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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-09-17 彼岸花
2004-09-15 猫を、埋める
2004-09-07 久方振りに
2004-09-04 汗みずく
2004-08-09 60回目の
2004-07-30 甘い距離
2004-07-26 羞恥の窮み、という程ではないにせよ
2004-07-22 言葉の浸透性
2004-07-20 昭和は遠くなりにけり、本当に遠のいていく
2004-07-15 目撃


2004-09-17 彼岸花

いつもいつもいつのまにか咲いていることに突然気付かされる花。

子供の頃はぽつりぽつりと芽吹いては咲き始め、次第に増えてやがて咲き狂い萎れては消えていく様子をつぶさに知っていたように思う。

それがいつの頃からかいつのまにかになって随分と経った。
今年今回もいつのまにかびっしりと咲き誇っている彼の花らに気付いた。

なにか嬉しい。

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もうそんなになるか。連絡するよ。勇魚によれしく。 / 揚水@携帯から ( 2004-09-22 18:48 )
13回忌。 / 白長須鯨 ( 2004-09-22 01:28 )

2004-09-15 猫を、埋める

仔猫が輪禍に遭った。
発進する3tレッカー車のタイヤに無残に踏み潰された。
後輩同僚が轢いた。

僕がそこに行き合わせたときにはもう息絶えていた。
別の後輩にスコップを持ってくるように言う。
スコップを右手で受け取り、左手で仔猫を掴み上げる。

まだぐにゃりと柔らかく、そして初秋の朝のぬるい冷気にもう冷え切っていた。
仔猫を空き地に、無造作に放り出すように横たえる。

剣先スコップを手に穴を掘る。仔猫の体だったモノが余裕を持って収まるくらいの、深さ三十センチの穴。土と共にエノコログサの一群も掘り上げられる。

僕は何も考えない。

穴の底に仔猫を今度は丁寧に横たえて、掘った土を被せ埋め戻す。
エノコログサは僕に引っ掻き回されてなにかぐちゃぐちゃな様子にされてしまった。

轢いた当人が後で「よく触れますね。いつから平気なんですか?」と尋ねてきた。
僕は「昔からわりと平気だったよ」と嘘を吐く。

屍体に触れるのがわりと平気なのは本当。

僕はなるべく何も考えないようにしながら猫を埋めた。
でないと色々、堪らなくなる。

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はじめまして、ですかね、ホエールさん。それは、時間や距離が許すなら、いえ、なかなか許さなくてもいずれ機会を作って是非おとなってください。 / 揚水 ( 2004-09-17 21:01 )
昔、飼っていた猫を思い出した。父の畑の真ん中に、兄が埋めてくれた。久しぶりに、あの畑へ行ってみたくなった。 / ホエール ( 2004-09-16 00:04 )

2004-09-07 久方振りに

虹を見ました。
しかも。

これも久し振りだと思っていましたが、あらためて考えたら生まれて初めてかもしれません。

虹の袂から袂まで、すべてが完璧な虹でした。

きっといいことがあります。

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2004-09-04 汗みずく

今月始め、随分長いこと逢えなかったあの人に一月と少しぶりに逢えた。

逢ってすぐ、その喜びに暑い中彼女を抱きすくめて、僕は目の代わりに全身の肌から涙を流す。
随喜。
彼女も僕を抱きしめる。彼女も体全体で喜びの涙を流す。

お互いが、お互いの皮膚と自身の皮膚がどちらがどちらなのか判らなくなりそしてそれもまた判ろうが判るまいがどうでもよくなって、溶け合う。
歓喜天にも昇る。

溶けて後、ふたりは。
溶けたまま泥のように眠る。

眠る。 

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2004-08-09 60回目の

今日は59周年の長崎原爆祈念日です。

長崎生まれの僕は毎年この日11時02分には日本全国全国民を挙げて黙祷を捧げているものだと思っていました。

小学生当時、僕の世界が狭かった、ということも多分にあるのでしょうが、本気でそう思っていました。(長崎の小中学校は夏休みの幾日かある登校日のうち一日は必ず8月9日でした。そこで全児童全生徒は暑い中グラウンド或いは体育館に立って整然と並び黙祷を捧げたものです)

考えてみれば6日8時15分に長崎の人間が黙祷を捧げていたかといえば必ずしもそうだとは言い切れなかったのではないでしょうか。僕自身はというと、思いついた時だけはやっていたような曖昧な記憶しかありません。
人間とは勝手なものですね。こういった事例は自分の視野視点でしかものを見ていないことに相違ない。

なるたけ勝手な人間でいないようになりたく思い、11時02分にはかなり遅れましたが、今、黙祷させてもらいました。

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2004-07-30 甘い距離

今年度頭から海月は事情があって実家に戻っています。
ほとんど逢えなくてとてもとてもつらい。

月に一度逢えるか逢えないかという状況です。
寂しいというのとは違うのですが、とてもとてもつらい。

けれど。

逢えなくて逢えなくて逢いたくて逢いたくて堪らないのに逢えないから、
僕らはお互いに相手のことがとてもとても好きで好きで堪らないことに気付きます。

今、彼女と僕の身躰の距離は遠いのです。

ですがその距離はとてもとても甘い。

昨日今日と海月が僕の部屋にいます。
仕事が終わるのを待ってくれています。

今夜、彼女と僕の距離は、家に帰りさえすれば近い。

その距離も、とても甘い。

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2004-07-26 羞恥の窮み、という程ではないにせよ

車を運転していると、その閉ざされた空間に安心して人は自分が他人から見られやすい立場位置にいることを忘れてしまいがちです。
箱の中にいるとどうしてああも無防備になれるのでしょう?
車の中から外が見えるように、外からも中が丸見えだというのに。

車に乗っていた僕はご多分に漏れず気持ちが緩みきっていました。

知らず、僕は鼻くそをほじっていた。
それを見られていることに気付けば無論恥ずかしいのですが。

信号待ちでふと前方を見遣れば、対向車の運転手も鼻をほじっていました。向こうは僕の行為に気付いてはいませんでしたが。

自分が鼻ほじっているときに人が鼻ほじってるのを見るのも、これは相当恥ずかしいものだと知りました。

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とひゃひゃ。=とほほ+どひゃひゃ。とひゃひゃひゃひゃ。お久し振り鰤。 / 揚水 ( 2004-07-28 22:40 )
昨日息子のサッカーシューズを買うために一時間ほどドライブしました。揚水さんの日記をよんでいたので・・信号待ちでは思わず前・横・斜めの車を観察。いやぁ〜実に多いですな。鼻ほじっている人が・・・葉投げを抜いている人までいる。口紅ぬっているひとまでいたなぁ〜・・。退屈な信号待ち・・なんか楽しくなってきた。 / ほ肝 ( 2004-07-28 08:06 )

2004-07-22 言葉の浸透性

ことここに至って尚、家の大きなお金を動かす際に奥さんのことを「うちの財務省に聞いてみないと…」と表現する男性にお目に掛かったことがありません。

やはりそこは「大蔵省」でしょう。

同じように、お弁当その他食材を温める際に「ピピッ」或いは「ピーして」と言う人も皆無と言っていいでしょう。

その音を聞いたことがなさそうな若い子でも古めの人間と同じように表現するのを見たことがあります。

ここは「チン」で決まりでしょう。

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2004-07-20 昭和は遠くなりにけり、本当に遠のいていく

AP通信によれば、15日、チャールズ・スウィニー氏が84歳で亡くなったそうです。

僕は新聞を取っていません。もともととっていてよく読む方だったのですが、やめてしまってずいぶん経ちます。
最近では気が向いた時にコンビニで買ったり食事に入った店で読んだりする程度で、目を通すことが少なくなっています。
そんな風なのですが、たまたま昨日開いた新聞でその記事を見ました。

どこかで聞いた名だと思いました。

彼は1945年当時、「ボックス・カー」の機長だった人物だそうです。

ああ。

「ボックス・カー」とはB29型爆撃機、長崎に原爆を落とした飛行機です。
彼はその飛行機の機長だった人物です。

戦後彼は原爆投下を擁護する発言を繰り返していた、と記事にはありました。
その事実をもって彼を悪人と断じるのは簡単ですが、それは酷だとも思います。
彼はきっと自分がとんでもないことに、それが自ら進んで望む望まないに関わらず、加担させられていたということは重々承知していたのではないかと僕は想像してみるのです。
被爆者やその家族にしてみれば原爆を擁護する人物などそれこそ鬼みたいなものに違いありませんが、彼はその作戦を擁護する発言をすることによって、なにかしら自分の中でのバランスを取ろうとしていたのではないでしょうか。
それがたとえ逃げであったとしてもです。

人間はそんなに強い人ばかりではありません。
人間はそんなに強くはなれません。
彼はきっと鬼ではなく人間だったのです。

その彼が亡くなりました。
僕は原爆投下時産まれていた訳ではありませんが、またひとつ時代が進んだというか、遠ざかって行ったような気がしました。

そういう気がしてふと、年を取るとはこういうことも含むのかもしれないと考えさせられました。

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お久し振りです。長くだなんてとんでもない。lim.さんの言葉を再び拝見できてとても、嬉しいです。部外者である僕はいつも大概、こうしてどっちつかずなのです。「どっちの味方なんだよ!」なんて答えを迫られたりなんかしたらもう、確実にダメな人です(笑)。 / 揚水 ( 2004-07-27 01:08 )
お久しぶりです。この手のことは、もし自分がウィニー氏あるいは被爆者の家族の立場だったらどうするか、というシンプルなアナロジーで考えるのが適切だと思います。(揚水さんはもうなさってますね) 当事者以外はそうして繰り広げられた事態を考えることしかできないはずです。どちらかを独断的に擁護したり糾弾したりすることなど、本当の意味ではできない。戦争関係のお話は、自分が(倫理的に)どういう思想に偏っているかを知る手助けになると思います。長くてごめんなさい。 / lim. ( 2004-07-23 10:48 )

2004-07-15 目撃

子供の頃、埃をかぶった車に落描きして、見知らぬおっさんに叱られたりしませんでしたか?
僕は見知らぬおっさんにもおばはんにも見知ったおっさんにもおばはんにも叱られました。

今日、フロントグリルの上に「リコール車接近注意」と大書してある某社製の10tダンプを見ました。
どうも運転手本人が書いたのではないかと思われるのですが、

笑えない。

先頭 表紙

自身の痛い腹を探られると痛いので、鵜の目鷹の目機会を見つけては他人の腹をかき回すのです。それが大勢で標的のあら捜しをする真相だと僕は思います。みんな痛い腹を抱えているのだから、あとは何処が誰が的にされるかの違い。 / 揚水 ( 2004-07-16 22:12 )
実際のトコ、全世間が某社のあら探しをしているような気も若干する昨今。そりゃ確かに危ない会社かもしれないけど・・・・むむむ・・・ / kotarou子 ( 2004-07-16 09:29 )
好きなんスけどねえ、直球。うーん。 / 揚水 ( 2004-07-16 02:09 )
冗談が成り立たない状況に追い込まれたモノでユーモアを引き出すって余程のセンスがないと無理だよな。 この落書きは直球過ぎて笑えないのぅ。 / さにゃえもん ( 2004-07-16 01:10 )

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