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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2009-05-04 クス、モミジ、ケヤキ、ベビーリーフ
2009-05-03 シシ肉
2009-05-02 なんといっていいやらわからない
2009-05-02 熊出没注意
2009-04-26 うちの左官屋さん
2009-04-25 られられ
2009-04-19 うちの外構屋さん
2009-04-13 青春の後ろ姿
2009-04-08 裏の畑でもないしポチもいないのになあ
2009-04-06 うれしはずかし初体験 1


2009-05-04 クス、モミジ、ケヤキ、ベビーリーフ

海月が簡単に作れる菜っ葉ものの栽培を始めていましたが、日当たりが悪いのとそこに僕が小屋を建てたいのとそもそも畑が手狭なのとで畑を引っ越すことにしました。山砂もそうないし、みみちゃん牧場の自家製ミミズ培養土もたくさんあるわけでない、安い培養土を買いに行くことにして、かねてよりの懸案であったプラスチックのプランターの楠、プラスチックポットのケヤキとモミジをきちんと植えるための鉢も見ることにしました。
広大な敷地を持つ園芸用品店まで出かけ、目当てのものでないものを不必要に大量に眺めて疲れ果てたころにやっと、一番奥まったところで目的にかなう形状と価格の鉢の一群を見つけました。

帰ってきて海月は陸丸の夕方の散歩へ、僕は出かける前に掘削しておいた畑にする場所に山砂と培養土を敷きならし、薄暗くなってから二人で葉野菜の芽を除いた小品盆栽の移植を始めました。
暗くなって電気をつけるようになってもやめられない。

出来上がった鉢を5つ部屋に持ち込んで、眺めながら食事しました。
いつまで眺めてても飽きないなあ。


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2009-05-03 シシ肉

昨日の川原のバーベキューはおいしかった。
清志郎の話題はほとんど出なかった。
40代間近の僕と50超えた人と、おじさん二人がちらっと話したくらいでほかのみんなはそう反応しなかった。若いからなあ。

シシ肉はみんなが思っているより臭みもクセもなかった。
おいしかった。
それでも食べきれなかった量はうちにもらって帰った。

サヤインゲンと猪のロースの炒め物、一度余分な脂を除いてまた炒める。
猪バラの味噌煮、葱と煮る。
引っ張り出してきたRCの90年代頃のベストと忌野清志郎&2・3’s聞きながら食べました。
おいしゅうございました。

それでも余ったバラはカレーになりました。

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いやいやぺーたーさんどういたしまして、こちらこそありがとうございます。そのおっきい熊さんみたいな人に報告とお礼の電話しました。いやあ、ひとことふたことみこと感想とお礼を言わないと気が済まないくらい旨かったですもの。また上げるって言ってくれたけど、いやいやそんなお気遣いなく、と遠慮してみました。形だけ(笑)。僕も嬉しかったですが、海月も喜びました。ありがとうございます。 / 揚水 ( 2009-05-07 23:49 )
クマがシシ持って・・・私がシシを貰った人に比べりゃ私なんぞ小熊みたいなもんで・・・可愛くないけど。先日はご自宅、バーベキュー共にご招待頂きありがとうございました。海月様にもシシを食していただけてよかったです。 / クマのバラ肉とかぺーたーとか ( 2009-05-05 22:54 )

2009-05-02 なんといっていいやらわからない

忌野清志郎さんが亡くなられたという。
今知った。

直接の知人でも何でもない、こちらが一方的に知っているだけの有名人の死で、今までで一番ショックかもしれない。
衝撃的なのでなく、じっくり、じんわり寂しくなってきた。

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そう、なんか、じんわりなんですよ。 / 揚水 ( 2009-05-08 22:51 )
小学生の時から心の恋人はキヨシローだったけど、今はダンナがいるからね。女ってそんなものなのね。まぁでもやっぱりじんわり寂しいですよね、たしかに。 / いわなが ( 2009-05-07 16:27 )
夢樂堂さん、たぶん僕は遅れて聞いている世代です。「宝くじは買わない」も知ってるけど、RCでは「covers」とか忌野清志郎&2・3’s、H・I・Sの方がリアルタイムで聞いてました。「雨上がりの夜空に」、「スローバラード」、「トランジスタラジオ」、このへんを聞こうと思って探したらテープで持っていたらしく、今家にないのでびっくりしました。 / 揚水 ( 2009-05-05 09:37 )
同世代です。1学年上の先輩がRCセクセションのオリジナルメンバーでした。当初から知っているのでショックです。 / 夢樂堂 ( 2009-05-03 10:04 )

2009-05-02 熊出没注意

「くまにさそわれて散歩に出る。」とあれば川上弘美氏の小説「神様」の出だしである。そこでは「くま」と「わたし」は川原に出かける。

妻にゆかりのある土地に「天野川」という川がある。
夏の輝く水面の下で鈍く光る小さな魚影の群れの上を、カワセミが滑るように飛び去る姿を見た。上流下流は知らず、僕の知る限りでは、コンクリート間知で護岸を施された二面張りの、川原らしい川原はないけれど中洲に草も生い茂る、大きすぎず、かといって小さくもない、水は澄んでいる。まずそうした川である。
その天野川に数年前熊が出たという。熊が出たことを報せ、そしてそれに注意を促す町内放送が流れたという。
あまのがわのくま。
なんだか響きが美しいな、と思ったのを昨日思い出した。

きのう、誘ってうちにくまが出た。
熊は熊でも「くま」さんと人に呼ばれることもあるというれっきとした人間の知り合いが初めてうちに来てくれた。残念ながら実際の熊に知り合いはない。
同業の人で、昨夕はうちの会社の事務所に顔を出していた。
自分の家に壁を立て漆喰を塗ったのを見せたかった僕は彼をうちに誘った。

僕は彼を「くま」さんと呼ぶことはないが、誘ってうちにくまがきた。
「くま」さんはコーヒーを飲んでシュークリームを食べてなんだか恐縮しながら帰って行った。
うちは彼にめだか鉢と釣竿を以前にもらっている。
そのお礼もろくに果たせていないのだから恐縮すべきは実際うちのほうなのに、おかしなくまではある。
ともかくは、これまで「くま」さんの話を聞かせることしか出来ていなかった妻と「くま」さんが顔を合わせることができたので、まずよかった。

今晩僕ら夫妻はまたホヤを食べた。
そして明日、妻は友人の家に行くので参加できないけれど、僕は川原で肉を焼いて食べる。そこで猪の肉を食べる。牛も豚もあるのかもしれないが、猪が一番楽しみである。
「くま」さんもくるが熊肉はないらしい。


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2009-04-26 うちの左官屋さん

漆喰塗った。

嬉しくて写真撮ったら胡麻が目から怪しい光線を出してた。


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かずえもんさん、お久しぶりです。ただものではないと思ってましたが、ただのメン喰いではなく漆喰でしたか。渋好みですねえ。使ってみて僕も漆喰好きになりました。またあの石灰臭さがたまらんです。 / 揚水 ( 2009-05-02 22:47 )
まーこさん、そうですね。ひとしおです。そしてまた仕事での実験くんやモデルケースの意味合いもあるのでした。 / 揚水 ( 2009-05-02 22:44 )
お久しぶりです。漆喰渋いっすね!!かなり漆喰好きです♪ / ca ことかずえもん ( 2009-04-30 11:47 )
ひとつひとつ手作りで愛着もひとしおでしょうね♪ / まーこ ( 2009-04-26 22:53 )

2009-04-25 られられ

めっきり春めいてきました。
名古屋地方に限らず、今日は広い範囲で雨模様だったようですが。

気がつくと桜も散り、後を追ってきたほかの花が方々に咲き乱れ草は萌え、木々の芽ぶきは日毎にその色を濃くしていきます。数日前の新聞には、ヒトツバタゴの白くけぶるような満開の様子が載っていました。ハナミズキも咲き、家々の花壇にも多くの花が彩り豊かにその身のそれぞれの美しさを誇っています。あるものは華々しく、あるものはひっそり可憐に。

虫やトカゲなどの小動物たちの活発な姿も増えました。ミミズも、元気です。
数日前にはアカタテハがひらひらと飛びゆく姿を見ました。

うちの海月はモンシロチョウなどが、おそらくはメスオスが追いつ追われつ飛ぶのでしょうが、複雑な軌道で絡み合って2羽で飛ぶ様を「られられ」と表現します。
「ジグザグ」というにはその軌道の角は緩やかであるし、「ふらふら」というのは力強い2羽の飛翔を表すには弱々しいし、云い得て妙の表現だと感心しています。
僕がアカタテハの話をしたら、自分もられられの蝶を見たと言っていました。
られられと聞くそれだけで1羽だけの蝶でなく、3羽以上の複数でもなく2羽の蝶がまさに「られられ」と飛ぶ様子がよくわかります。

僕の中では学生時代の友人のひとりが、まさにそのまんま、ぴったり、という擬音語・擬態語を生み出す最高峰の達人だと思っていたのですが、うちの嫁も捨てたものではありません。捨てたものどころか彼と双璧をなす高い頂であるやもしれぬと思う今日この頃です。
僕は彼をオノマトペイ野郎とも呼びますが(主に心の中で)、女性の場合どう呼べばいいものやら。

うちでは、られられ、というのはそこから派生して蝶に限らず、人目も憚らない、かといってただ無様や不粋でなく微笑ましい、けれどどこか度を越した親密さの睦まじい若い恋人たちの様子を指す言葉としても使います。
春の陽射しを感じさせるような、そういう光景。まあ特に若くなくても可なんですけれど。なんだか嬉しさが伝染しそうな、そういうのであれば。
ついこの間も僕らの友人である恋人同士のことが話題にのぼった時に、られられしてるかな? られられしてるよ、という会話を交わしたばかりです。

もう春です、そしてすぐに夏がやってきます。
季節は巡ります。

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そうか、それはよかった、こころゆくまでられられれたまえ。←なんのこっちゃ。 / 揚水 ( 2009-04-26 22:29 )
おかげさんで『られられ』しておりますよ。 / ばばんばばんの ( 2009-04-26 00:08 )

2009-04-19 うちの外構屋さん

また壁立てちゃいました。
今度はポストとインタホンがつきます。
門灯はひとまず配線用の配管だけ埋め込んでおきました。

以前の壁を作っている時には近所では見かけないおっさんが来て、「(うちの人)いらっしゃいますかね?」と訊いてきたので、「何かご用ですか?」と尋ねたところ、あっという顔をして気まずそうに、「朝○新聞の勧誘員です」と言われたものです。
「ああ、うちもう新聞とってますから結構です」と作業をしながら答えると、素直に帰って行ってくれました。
ただ、帰りがけに「どちらの方を?」と訊かれました。
「あー、中日さんですよ」

どこだっていいじゃん、と正直思います。あなたのとこ取らないんだから。
ごめんね、あんま好きじゃないのよ、朝○。

うちは引っ越してきてまだ1年経ってませんが、近所の人、うちの前を用があって通る人散歩する人犬を連れた人などは、そういう人とは違って、もうここんちの人間がやってるんだとわかってくれているようです。
今日もたくさんの人から声をかけられました。

たいていの人はなぜかにこにこ笑いながら
「こんにちは」
と挨拶してくれるので、僕も挨拶を返します。
「こんにちは」

あるおばさんは、
「自分でできていいねえ」
と言うので
「ははは」と笑ってみました。

またある二人連れのおばさんがあいさつを交わした後に通り過ぎながら、
「本職みたいだねえ」
「うんうん、本職みたいだ」

本職ですってば。

朝10時過ぎから買い出しに行った割には順調に進みました。
はやく漆喰が塗りたいよう。


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2009-04-13 青春の後ろ姿

先々月か、新聞の文化欄にギャラリーである作家の展覧会をやっていることが載せられてあった。彼は僕の学生時代の2級先輩だ。
同級生から展覧会案内のDMが届く。
先月、縁あって僕の出身大学を今春出る予定の子がうちの会社に面接に来ることになって、卒業制作展を観に行った。
今週日曜日、疎遠になってしまっていたかつての友人の展覧会を夫婦で観に行った。

自分が作品を作る人でなくなったことを後悔はしていないし、卒業後しばらく、たまに感じることのあった、止めてしまった、という疾しさも今はもう感じない。そもそも疾しさを感じるというのも自意識過剰にすぎ、そういったものではなかったのだろう。
学部の1年か2年の頃、僕の出身大学の卒業生は大学のある町に住み続け活動をしている人も少なくなく、助教授の先生のお宅での飲み会の席でそういう先輩の一人で10何級も上の人に「揚水、お前は(制作)止めそうな顔をしてるなあ」と言われたことがあった。
ガキんちょだった僕はその言葉に反発した。だがしかし結局その先輩のおっしゃる通りになった。でもそれがだめだとは思わない。ただ、自分よりも多くの経験をしてきた人がその経験に照らして正しく僕を判断したことに即座に反発した自分の幼さを思い返しては恥ずかしくなる。

後悔もしていないし疾しくもないが、いまだ活動を続けて美術家として活躍している先輩・同級生・後輩の動きを風の便り人の口に聞くと、ある種の寂しさを感じることはある。過ぎ去ってしまった過去は、もう還らない。やらなかったことに結果は生まれないし、起こしてしまったことは、消せない。
ごくごく当たり前のことであるけれども、青春の後ろ姿は、たとえそれが自身のものであったとしても、この手に掴むことはもうできないのだ。
それを感じると、少し寂しい。それはしかし、いいことでも悪いことでもない。

日曜日に展覧会を観に行ったかつての友人は、僕の年上であったけれど、とても仲良くしてくれていた。
振り返ってみればのことであって当時はそういう自覚が薄かったけれど、一時期僕自身の事情で精神的に不安定になっていた頃が結構長くあり、それと重なった時期に些細なことで僕の方から距離を置くようになってしまった。
その頃は自分の感情も上手くわからない、未だに記憶も曖昧だったり不確かだったりして、上に書いたことも正確かどうかは自信がない。

ある程度のことは妻も知っている。今の妻と付き合うようになって結婚してそういう不安定さは随分と癒された。
それにともなって僕が彼にとった態度を恥ずかしく思うようにもなったし、後悔もした。自分の痛みにしか目がいかなかった僕は、彼に負わせた傷から目をそらしたままでいた。
あんなに仲が良かったはずなのに。
自分でしたことは、一人もがいても、消せない。

その彼がいくつかのことをきっかけに、展覧会の案内をくれた。二人で観に行った。
作品は良かった。
別の共通の友人の一家をうちに呼ぶ話をしたら、彼は自分にも声をかけてくれと言ってくれた。その時僕が感じる以上に、妻が喜んでくれた。仲が良かったころの話もしているし、ガキみたいなことで僕が彼と疎遠になって、いや、してしまったことも知っていて、気にかけてくれていたという。
「来てくれるって言ってくれたね、よかったね」と。
僕はすこし後になって、妻と彼の言葉を噛み締めて、くるものがあった。

友人であった頃に、戻れるものではない。青春の後ろ姿を捕まえることはできない。過ぎてしまった空白は埋まらない。
けれどしかし前を見ることはできるのだな、と思った。

ありがとう。


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2009-04-08 裏の畑でもないしポチもいないのになあ

昨日庭を部分的に改作するお宅の現場で、ブロックを積み直すための下準備のために土を掘っていたら出てきました。
ほんで昨日持ち帰るの忘れて今日持ち帰りました。

なぜこんなものが?


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そうですね、おそらく水晶だと思われます。掘ってて見つけた最初、「お、上物の石英だ♪ 水晶みたいだ」と思って手にとって裏返したところ、どうも水晶ですね。そのあとしばらくしてもう一個。事務所戻って親方に「こんなんあった」と見せたら「ああ、あったねえ。何個かほかっちゃった」ですって! 「何で俺にくれんのだー!」でした(笑)。興味ない人には石も水晶も一緒なんですかね。 / 揚水 ( 2009-04-10 20:24 )
これ何???水晶? / 秋 ( 2009-04-09 06:00 )

2009-04-06 うれしはずかし初体験 1

「初体験」と書いて「しょたいけん」と読む人と「はつたいけん」と読む人があるかと思いますが、あなたはいま今回のタイトルをどちらで読まれたでしょうか?
僕ははつたいけんと書いたつもりです。

それはさておき。

最近日曜日はずっと、自分ちの外構工事をやるおじさんになっていて、昨日もCB100(10センチ幅のコンクリートブロック)を積むベース(コンクリートを床掘りしたところに流し込んで基礎にすること)の床掘り(ベースを流し込む部分を掘ること)やってベースを打って(打設:コンクリートを流し込み均すこと)根(ブロック積みする際の1段目)かその上まで積もう、と土曜の晩から楽しみにしていたのです。正確には前の日曜からですか。
ところが朝起きたら左の手首がどうにも痛い。腱鞘炎、とまではいかないでしょうが、痛い。一年ほど前から軽く痛んでいたので、もうその痛みも友人のように付き合っていたつもりだったのが、昨日に限ってその友人が僕に悪さをする。
これが加齢というものか。いいものだな、若さというのは。
過ぎ去って、失って初めてわかるその価値。

それもさておき。

外構屋さんは店じまいでした。

で、海月の食料品の買い出しの運転手を務めさせていただきました。
海月一人で買い出しに行くと脇目も振らず最小限の必要なものを買うのみらしいのですが、僕が一緒に行くと「あ、あれ見て」「お、こんなんがある」「ねえねえ、これ旨そうだよ」などとこれがまた煩い。
海月はそれを煩がらずに一人だと気付きもしなかっただろうものに気付いたりするので楽しいと言ってくれます。だからといってあれ買ってこれ見てをあんまり繰り返し調子に乗ってしつこくすると軽く叱られますが。でもあくまで基本楽しいらしい。
出来た嫁だ。

僕も海月も鮮魚コーナーをひやかすのが好きです。
二人で買いものに出かける時は、特に用がなくてものぞきます。
玄米を買うのが目的で1軒目行った先では、エイやアンコウや天然真鯛やオニカサゴに見惚れました。あと赤ナマコ。

僕は高校時分郡部(今現在は合併されて市内になった)から長崎市内の学校にバスで通っていました。高校は山の上にあって、平地のバス停で乗り換えて山頂近くの学校まで通学していましたが、帰路は、バスを使うこともあれば、ぶらぶらと車も通れないような狭い階段や急な坂の道を下って市内の中心部まで降り、家に向かうバスに乗る前にまたぶらぶらするようなこともありました。ともすればそちらの方が多かったかもしれません。
浜町や観光通りのアーケード街、遊郭のあった丸山町、そこから銅座に抜けるどぶ臭かった細い路地。路地の脇には夏になるとおじさんが手で引いてアイスクリンを売って歩く色褪せた木製の屋台が何台も何台も所狭しと並べてある一角があって。どれが現役なのか引退したものか、区別の付けようがないほどすべてが古ぼけていて。

西浜町から銅座に抜ける道には大判焼の店があり、切り花や海産物、飴玉やポップコーンなどを売る露店が、シートを敷いたり箱の上に板を渡した上に商品を並べたり、屋根もかけてなかったり、たくさん店を広げていました。
ナマコが好きだった僕は、ここでちょくちょく学ラン姿のままナマコを買ってました。そのくせ赤ナマコと青ナマコのどちらが高いのか、どちらが柔らかいのかはすっかり忘れましたが。

今回ナマコは買いませんでした。

で。
米以外の食材を買うためにもう1軒のお店に行ってまた鮮魚コーナーをひやかしていたところ、お兄ちゃんがワゴンを押して鮮やかな朱と赤紫のものを品出しに運んできました。

なんだこれは。

先頭 表紙

へええ。あっちの方は松山の陸上競技場くらいしか知らないですね。いろんなとこにあったんですかね、13段ソフト。たしか12段に減ったという話もあったように思いますが既にうろ覚え。 / 揚水 ( 2009-04-15 21:39 )
西高前の13段ソフトクリーム←あったような気もしますが、私は城栄町の13段ソフトクリームの方を食べてました(o^-^o)  / まーこ ( 2009-04-15 16:04 )
高校時代の行動範囲の北限はだいたい中央橋ですね。一浪してる間は通ってた美術研究所の場所の関係で立山町、諏訪神社、宝町あたりまで北上しましたが。茂里町より北になるともう異世界です(笑)。西高前の13段ソフトクリームってまーこさんの頃はあったのかしら? / 揚水 ( 2009-04-08 23:14 )
私は「しょたいけん」と読んでしまいました(o^-^o) 長崎の街のアソコだな・・・って思う描写ですね・・w / まーこ ( 2009-04-07 23:05 )

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