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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2009-04-26 うちの左官屋さん
2009-04-25 られられ
2009-04-19 うちの外構屋さん
2009-04-13 青春の後ろ姿
2009-04-08 裏の畑でもないしポチもいないのになあ
2009-04-06 うれしはずかし初体験 1
2009-04-06 うれしはずかし初体験 2
2009-04-01 連載終了
2009-03-30 まばらな、すね毛
2009-03-19 世間は狭い


2009-04-26 うちの左官屋さん

漆喰塗った。

嬉しくて写真撮ったら胡麻が目から怪しい光線を出してた。


先頭 表紙

かずえもんさん、お久しぶりです。ただものではないと思ってましたが、ただのメン喰いではなく漆喰でしたか。渋好みですねえ。使ってみて僕も漆喰好きになりました。またあの石灰臭さがたまらんです。 / 揚水 ( 2009-05-02 22:47 )
まーこさん、そうですね。ひとしおです。そしてまた仕事での実験くんやモデルケースの意味合いもあるのでした。 / 揚水 ( 2009-05-02 22:44 )
お久しぶりです。漆喰渋いっすね!!かなり漆喰好きです♪ / ca ことかずえもん ( 2009-04-30 11:47 )
ひとつひとつ手作りで愛着もひとしおでしょうね♪ / まーこ ( 2009-04-26 22:53 )

2009-04-25 られられ

めっきり春めいてきました。
名古屋地方に限らず、今日は広い範囲で雨模様だったようですが。

気がつくと桜も散り、後を追ってきたほかの花が方々に咲き乱れ草は萌え、木々の芽ぶきは日毎にその色を濃くしていきます。数日前の新聞には、ヒトツバタゴの白くけぶるような満開の様子が載っていました。ハナミズキも咲き、家々の花壇にも多くの花が彩り豊かにその身のそれぞれの美しさを誇っています。あるものは華々しく、あるものはひっそり可憐に。

虫やトカゲなどの小動物たちの活発な姿も増えました。ミミズも、元気です。
数日前にはアカタテハがひらひらと飛びゆく姿を見ました。

うちの海月はモンシロチョウなどが、おそらくはメスオスが追いつ追われつ飛ぶのでしょうが、複雑な軌道で絡み合って2羽で飛ぶ様を「られられ」と表現します。
「ジグザグ」というにはその軌道の角は緩やかであるし、「ふらふら」というのは力強い2羽の飛翔を表すには弱々しいし、云い得て妙の表現だと感心しています。
僕がアカタテハの話をしたら、自分もられられの蝶を見たと言っていました。
られられと聞くそれだけで1羽だけの蝶でなく、3羽以上の複数でもなく2羽の蝶がまさに「られられ」と飛ぶ様子がよくわかります。

僕の中では学生時代の友人のひとりが、まさにそのまんま、ぴったり、という擬音語・擬態語を生み出す最高峰の達人だと思っていたのですが、うちの嫁も捨てたものではありません。捨てたものどころか彼と双璧をなす高い頂であるやもしれぬと思う今日この頃です。
僕は彼をオノマトペイ野郎とも呼びますが(主に心の中で)、女性の場合どう呼べばいいものやら。

うちでは、られられ、というのはそこから派生して蝶に限らず、人目も憚らない、かといってただ無様や不粋でなく微笑ましい、けれどどこか度を越した親密さの睦まじい若い恋人たちの様子を指す言葉としても使います。
春の陽射しを感じさせるような、そういう光景。まあ特に若くなくても可なんですけれど。なんだか嬉しさが伝染しそうな、そういうのであれば。
ついこの間も僕らの友人である恋人同士のことが話題にのぼった時に、られられしてるかな? られられしてるよ、という会話を交わしたばかりです。

もう春です、そしてすぐに夏がやってきます。
季節は巡ります。

先頭 表紙

そうか、それはよかった、こころゆくまでられられれたまえ。←なんのこっちゃ。 / 揚水 ( 2009-04-26 22:29 )
おかげさんで『られられ』しておりますよ。 / ばばんばばんの ( 2009-04-26 00:08 )

2009-04-19 うちの外構屋さん

また壁立てちゃいました。
今度はポストとインタホンがつきます。
門灯はひとまず配線用の配管だけ埋め込んでおきました。

以前の壁を作っている時には近所では見かけないおっさんが来て、「(うちの人)いらっしゃいますかね?」と訊いてきたので、「何かご用ですか?」と尋ねたところ、あっという顔をして気まずそうに、「朝○新聞の勧誘員です」と言われたものです。
「ああ、うちもう新聞とってますから結構です」と作業をしながら答えると、素直に帰って行ってくれました。
ただ、帰りがけに「どちらの方を?」と訊かれました。
「あー、中日さんですよ」

どこだっていいじゃん、と正直思います。あなたのとこ取らないんだから。
ごめんね、あんま好きじゃないのよ、朝○。

うちは引っ越してきてまだ1年経ってませんが、近所の人、うちの前を用があって通る人散歩する人犬を連れた人などは、そういう人とは違って、もうここんちの人間がやってるんだとわかってくれているようです。
今日もたくさんの人から声をかけられました。

たいていの人はなぜかにこにこ笑いながら
「こんにちは」
と挨拶してくれるので、僕も挨拶を返します。
「こんにちは」

あるおばさんは、
「自分でできていいねえ」
と言うので
「ははは」と笑ってみました。

またある二人連れのおばさんがあいさつを交わした後に通り過ぎながら、
「本職みたいだねえ」
「うんうん、本職みたいだ」

本職ですってば。

朝10時過ぎから買い出しに行った割には順調に進みました。
はやく漆喰が塗りたいよう。


先頭 表紙

2009-04-13 青春の後ろ姿

先々月か、新聞の文化欄にギャラリーである作家の展覧会をやっていることが載せられてあった。彼は僕の学生時代の2級先輩だ。
同級生から展覧会案内のDMが届く。
先月、縁あって僕の出身大学を今春出る予定の子がうちの会社に面接に来ることになって、卒業制作展を観に行った。
今週日曜日、疎遠になってしまっていたかつての友人の展覧会を夫婦で観に行った。

自分が作品を作る人でなくなったことを後悔はしていないし、卒業後しばらく、たまに感じることのあった、止めてしまった、という疾しさも今はもう感じない。そもそも疾しさを感じるというのも自意識過剰にすぎ、そういったものではなかったのだろう。
学部の1年か2年の頃、僕の出身大学の卒業生は大学のある町に住み続け活動をしている人も少なくなく、助教授の先生のお宅での飲み会の席でそういう先輩の一人で10何級も上の人に「揚水、お前は(制作)止めそうな顔をしてるなあ」と言われたことがあった。
ガキんちょだった僕はその言葉に反発した。だがしかし結局その先輩のおっしゃる通りになった。でもそれがだめだとは思わない。ただ、自分よりも多くの経験をしてきた人がその経験に照らして正しく僕を判断したことに即座に反発した自分の幼さを思い返しては恥ずかしくなる。

後悔もしていないし疾しくもないが、いまだ活動を続けて美術家として活躍している先輩・同級生・後輩の動きを風の便り人の口に聞くと、ある種の寂しさを感じることはある。過ぎ去ってしまった過去は、もう還らない。やらなかったことに結果は生まれないし、起こしてしまったことは、消せない。
ごくごく当たり前のことであるけれども、青春の後ろ姿は、たとえそれが自身のものであったとしても、この手に掴むことはもうできないのだ。
それを感じると、少し寂しい。それはしかし、いいことでも悪いことでもない。

日曜日に展覧会を観に行ったかつての友人は、僕の年上であったけれど、とても仲良くしてくれていた。
振り返ってみればのことであって当時はそういう自覚が薄かったけれど、一時期僕自身の事情で精神的に不安定になっていた頃が結構長くあり、それと重なった時期に些細なことで僕の方から距離を置くようになってしまった。
その頃は自分の感情も上手くわからない、未だに記憶も曖昧だったり不確かだったりして、上に書いたことも正確かどうかは自信がない。

ある程度のことは妻も知っている。今の妻と付き合うようになって結婚してそういう不安定さは随分と癒された。
それにともなって僕が彼にとった態度を恥ずかしく思うようにもなったし、後悔もした。自分の痛みにしか目がいかなかった僕は、彼に負わせた傷から目をそらしたままでいた。
あんなに仲が良かったはずなのに。
自分でしたことは、一人もがいても、消せない。

その彼がいくつかのことをきっかけに、展覧会の案内をくれた。二人で観に行った。
作品は良かった。
別の共通の友人の一家をうちに呼ぶ話をしたら、彼は自分にも声をかけてくれと言ってくれた。その時僕が感じる以上に、妻が喜んでくれた。仲が良かったころの話もしているし、ガキみたいなことで僕が彼と疎遠になって、いや、してしまったことも知っていて、気にかけてくれていたという。
「来てくれるって言ってくれたね、よかったね」と。
僕はすこし後になって、妻と彼の言葉を噛み締めて、くるものがあった。

友人であった頃に、戻れるものではない。青春の後ろ姿を捕まえることはできない。過ぎてしまった空白は埋まらない。
けれどしかし前を見ることはできるのだな、と思った。

ありがとう。


先頭 表紙

2009-04-08 裏の畑でもないしポチもいないのになあ

昨日庭を部分的に改作するお宅の現場で、ブロックを積み直すための下準備のために土を掘っていたら出てきました。
ほんで昨日持ち帰るの忘れて今日持ち帰りました。

なぜこんなものが?


先頭 表紙

そうですね、おそらく水晶だと思われます。掘ってて見つけた最初、「お、上物の石英だ♪ 水晶みたいだ」と思って手にとって裏返したところ、どうも水晶ですね。そのあとしばらくしてもう一個。事務所戻って親方に「こんなんあった」と見せたら「ああ、あったねえ。何個かほかっちゃった」ですって! 「何で俺にくれんのだー!」でした(笑)。興味ない人には石も水晶も一緒なんですかね。 / 揚水 ( 2009-04-10 20:24 )
これ何???水晶? / 秋 ( 2009-04-09 06:00 )

2009-04-06 うれしはずかし初体験 1

「初体験」と書いて「しょたいけん」と読む人と「はつたいけん」と読む人があるかと思いますが、あなたはいま今回のタイトルをどちらで読まれたでしょうか?
僕ははつたいけんと書いたつもりです。

それはさておき。

最近日曜日はずっと、自分ちの外構工事をやるおじさんになっていて、昨日もCB100(10センチ幅のコンクリートブロック)を積むベース(コンクリートを床掘りしたところに流し込んで基礎にすること)の床掘り(ベースを流し込む部分を掘ること)やってベースを打って(打設:コンクリートを流し込み均すこと)根(ブロック積みする際の1段目)かその上まで積もう、と土曜の晩から楽しみにしていたのです。正確には前の日曜からですか。
ところが朝起きたら左の手首がどうにも痛い。腱鞘炎、とまではいかないでしょうが、痛い。一年ほど前から軽く痛んでいたので、もうその痛みも友人のように付き合っていたつもりだったのが、昨日に限ってその友人が僕に悪さをする。
これが加齢というものか。いいものだな、若さというのは。
過ぎ去って、失って初めてわかるその価値。

それもさておき。

外構屋さんは店じまいでした。

で、海月の食料品の買い出しの運転手を務めさせていただきました。
海月一人で買い出しに行くと脇目も振らず最小限の必要なものを買うのみらしいのですが、僕が一緒に行くと「あ、あれ見て」「お、こんなんがある」「ねえねえ、これ旨そうだよ」などとこれがまた煩い。
海月はそれを煩がらずに一人だと気付きもしなかっただろうものに気付いたりするので楽しいと言ってくれます。だからといってあれ買ってこれ見てをあんまり繰り返し調子に乗ってしつこくすると軽く叱られますが。でもあくまで基本楽しいらしい。
出来た嫁だ。

僕も海月も鮮魚コーナーをひやかすのが好きです。
二人で買いものに出かける時は、特に用がなくてものぞきます。
玄米を買うのが目的で1軒目行った先では、エイやアンコウや天然真鯛やオニカサゴに見惚れました。あと赤ナマコ。

僕は高校時分郡部(今現在は合併されて市内になった)から長崎市内の学校にバスで通っていました。高校は山の上にあって、平地のバス停で乗り換えて山頂近くの学校まで通学していましたが、帰路は、バスを使うこともあれば、ぶらぶらと車も通れないような狭い階段や急な坂の道を下って市内の中心部まで降り、家に向かうバスに乗る前にまたぶらぶらするようなこともありました。ともすればそちらの方が多かったかもしれません。
浜町や観光通りのアーケード街、遊郭のあった丸山町、そこから銅座に抜けるどぶ臭かった細い路地。路地の脇には夏になるとおじさんが手で引いてアイスクリンを売って歩く色褪せた木製の屋台が何台も何台も所狭しと並べてある一角があって。どれが現役なのか引退したものか、区別の付けようがないほどすべてが古ぼけていて。

西浜町から銅座に抜ける道には大判焼の店があり、切り花や海産物、飴玉やポップコーンなどを売る露店が、シートを敷いたり箱の上に板を渡した上に商品を並べたり、屋根もかけてなかったり、たくさん店を広げていました。
ナマコが好きだった僕は、ここでちょくちょく学ラン姿のままナマコを買ってました。そのくせ赤ナマコと青ナマコのどちらが高いのか、どちらが柔らかいのかはすっかり忘れましたが。

今回ナマコは買いませんでした。

で。
米以外の食材を買うためにもう1軒のお店に行ってまた鮮魚コーナーをひやかしていたところ、お兄ちゃんがワゴンを押して鮮やかな朱と赤紫のものを品出しに運んできました。

なんだこれは。

先頭 表紙

へええ。あっちの方は松山の陸上競技場くらいしか知らないですね。いろんなとこにあったんですかね、13段ソフト。たしか12段に減ったという話もあったように思いますが既にうろ覚え。 / 揚水 ( 2009-04-15 21:39 )
西高前の13段ソフトクリーム←あったような気もしますが、私は城栄町の13段ソフトクリームの方を食べてました(o^-^o)  / まーこ ( 2009-04-15 16:04 )
高校時代の行動範囲の北限はだいたい中央橋ですね。一浪してる間は通ってた美術研究所の場所の関係で立山町、諏訪神社、宝町あたりまで北上しましたが。茂里町より北になるともう異世界です(笑)。西高前の13段ソフトクリームってまーこさんの頃はあったのかしら? / 揚水 ( 2009-04-08 23:14 )
私は「しょたいけん」と読んでしまいました(o^-^o) 長崎の街のアソコだな・・・って思う描写ですね・・w / まーこ ( 2009-04-07 23:05 )

2009-04-06 うれしはずかし初体験 2

「ホヤ」、と書いてありました。宮城産。1ヶ100円。
おお、これがそうか。食ったことないな。海月も食べたことがないと。
おにいちゃんに「どうやって食うの」と尋ねたところ、よくわからないようで、捌けるかどうか聞いてくれるといって奥に消えました。
ホヤの目の前で夫婦してわくわくしてると、恰幅のいいおじさんが出てきて、半分に切って皮をむいて、黒い部分を水で洗えば食べられる、と教えてくれました。東北の漁師さんは、獲ったその場で切ってそのまま海水で濯いで食べる、とも。
「ただね」
「?」
「においのくせが強いから食べ慣れない人はちょっとびっくりするかもね。食べられない人は食べられないよ」
「そうなんですか」
「そのかわり好きになる人は病みつきになるみたいだね」
「へええ」
さんざん脅されたのに、もう僕はその未知の生物を食べてみたくて仕方ない。
「今が旬なんですか?」と海月。
「そうだね」とおじさん。
「よし買って帰ろう」とこれは僕。
「100円だしね」
「100円だしね」

家に帰って僕が捌くことになって包装のフィルムをはがし、匂いを嗅いでみると、
「あれ?」
「どうしたの?」
「ナマコとおんなじ匂いがする」
「ええっ、そうなの? さすが学校帰りにファーストフードでナマコ買ってた人は言うことが違うね」
「いやだから道端で食ってたわけじゃないって」
「一回も?」
「いや食ったこともあるけど」
「ほら」

どうにもこうにもそれもさておき。

果たして食べてもナマコのような香りとお味でありました。おじさんあんなにビビらせるからどんな味がするのかと思ったよ。色はナマコと似ても似つかぬ柔らかな朱というかオレンジ。食感がナマコと違ってコリコリはしていない。でもほとんどナマコ。旨かった。これを食えない人もいるのか、ふーん。
海月も気に入ってくれたようです。また食べたい。
病みつきになるってこういうことなのか?


そんな初体験。

先頭 表紙

2009-04-01 連載終了

A5版のノートに切り貼りしている中日新聞の4コマ漫画「ちびまる子ちゃん」ももう6冊目に突入しています。
新聞小説「親鸞」は今日で207話、あと11日でスクラップブックが1冊終わります。

   ∴   ∴   ∴   ∴   

今朝、新聞を手にとって開き「まるちゃん昨日までだったんだって!」と海月に言ったところ、
「えーっ! さくらももこになにかあったのかなあ?」
との返事。

うーん、なんて思惑通りの反応をする人なんだろう。
去年の「雪降ってきたよ」「えーっ」のやり取りを越えました。

「今日何にち?」
「なにがあったんだろうねえ?」
「今日何にち?」
「ん? あーっ! また、だ・ま・さ・れ・た・あーっ」

   ∴   ∴   ∴   ∴   

ちなみに今日のまるちゃんは、ひろしがおでん屋で飲み友達に「うちの娘にお父さんの方が石原裕次郎よりかっこいいって言われたから百円やった」と話して、「千円ぐらいやれよ」とあきれられるという、エイプリルフールとは無縁のエピソードでありました。


先頭 表紙

画像は5冊目が終わる間際ですね。 / 揚水 ( 2009-04-01 22:58 )

2009-03-30 まばらな、すね毛

僕のすね毛は、薄い。
二十歳を越えるまですねにもふくらはぎにもふとももにも、毛らしい毛は一本もなかった。
二十歳を越えていくらか経った頃、ある時自身のすねに細くまばらな毛が生えていることに気づいて何とも言いようのない感慨にとらわれた。
嬉しくも悲しくもなく、ただ妙に感じ入った。
今でも太ももの表側には毛らしい毛は生えていない。そしてその頃からいくばくか濃くなっただけで、相変わらず僕のすね毛は薄い。


とあるひまじんライターさんがひまじんの日記で、一代で年収数億という立場を築き上げたお知り合いに『お金持ちになったな』って実感したのはいつ? と尋ねたところ、『かみそりの刃を毎日替えるようになった時』と答えが返ってきた、と書かれてあった。
それが妙に印象深かった。
足同様、当然、僕は髭も薄い。
鼻の下と上唇の間、下唇の下のくぼんだ所、顎の先、たったそれだけの場所にしかもまばらにしか生えない。
かつて伸ばしっぱなしにしていた僕のひげを見た知人に「なにそれ、カビみたい」と言われたこともある、まこと貧相な髭である。
世界では髭を蓄えないと一人前の男とは認められない風習のある地域もあると聞く。そんなところに放り込まれたら、僕は一生涯半人前のままだ。
ただしそうやって僕を小馬鹿にした知人の髭もカビのようなもので、僕が正月明けの餅についたカビなら、彼方は机の中に入れっぱなしにしておいた給食のパンについたカビという程度の違いでしかないと、今でも僕は思っている。

それはさておきかみそりである。
そのように、僕の髭はかなり薄いので、特に濃い方でない一般日本人男性程度すら、かみそりの刃は傷まないものと思われる。毎日刃を替えるなんて、たとえ年収数億だろうが数十億だろうがとんでもない話だ。
しかし僕の年収なんて、ほんにしれたものである。彼のひまじんライターさんのお知り合いとは逆に、どれだけ自分が貧乏なのかを実感するのが関の山。そう考えて替え刃式のかみそりの刃がどれだけもつものか試すことを思い立った。
それを実行に移したのが、去年の八月のいっ日からなので、「ああ、もう半年過ぎたな」と思ったのももう過去の話、明日でもうまるまる八ヶ月になってしまう。

どんだけ貧乏性なんだ。

ここまでくれば一年もたせてやろうという野望が起こらないこともないのであるが、最近少し剃ったあとの肌が何か引っかかるような気がしてきた。
のであるが。
ある時いつもより丁寧にかみそりの刃を濯いでみたところ、その引っかかりもまたなくなってしまった。

どんだけ毛薄いんだ。

まあとにかく僕のすね毛は今日もまばらなままだ。
そしておそらく明日も明後日も。

先頭 表紙

バニー(笑)。すね毛剃ったことはないですねえ。一時期頭は毎日銭湯で剃ってたことはありますが。見知らぬおじさんに修行道場から脱走してきた青年僧と勘違いされてオロナミンCを奢っていただきました(笑)。しかしバニー(笑)。 / 揚水 ( 2009-04-01 22:41 )
すね毛かぁ、私も濃いほうではないですね。15年前くらいに今の会社に入社したとき、歓迎会で芸をしろと言われて、バニーガールの扮装をした時に、すね毛を剃りましたが、それ以来、剃ることもなく、そのままです(笑) / てじお ( 2009-04-01 12:32 )

2009-03-19 世間は狭い

昨日はよその会社の手伝いに駆り出され、さらにそこの会社がまた別の会社の手伝いをしているところの外構の手伝いに行かされておりました。
二重派遣だ(笑)。
行く予定だった青年が大事な用事で休むのに急遽回されたらしいと思われます。

おじさんが一人でミニユンボで土間コン打ちの鋤取りをしている間に、門柱前の手鋤取りをしたり側溝の蓋を全部めくり上げて掃除して据え直したり門柱以外の場所の門扉の柱を立てたりとまあ、ごさごさ仕事を片付ける役回りでした。

で。

10時の休憩に話をしておりました。
以下その概要。

「改めまして揚水(実際は本名苗字)です」
「珍しい苗字だけど、生まれは?」
「ああ、九州、長崎です」
「僕はそこらにある普通の、Sです」
「Sさんは生まれどこなんです?」
「僕? 僕は三河」
「ああ、三河ですか。僕昔O(村)に住んでたことありますよ」
「へえ、Oに」
「はい。Sさん三河って、三河のどこなんですか?」
「ああ、I(町)だよ」
「へえ、Iなら昔現場で行ったことありますよ。あ、いや造園屋じゃなくて当時は林業やってたんで、その現場で」
「そんなとこで働いてたの? Iで?」
「や、Iじゃなくて。A(町)です、Oに住んでAに通ってたんですよ」
「へえ、Aなら僕の在所だ」
「へ? Iじゃないんですか?」
「婿入りしてA出たんだよ。僕の兄貴はAでまだ山やっとるよ」
「Aで? Sさん、Aのどこの出なんですか?」
「T(字名)だよ」
「へええ。……ひょっとしてお兄さんA(苗字)さんじゃないですか?」
「ピンポーン、って、なんでわかるの?」
「TっていったらAさん多いですしね。……で、ひょっとしてH(下の名前)さん?」
「なんでわかるの?」
「いやー、あんまり直接かかわりなかったですけどもね、僕Aの森組(しんくみ、と読む。森林組合のこと)にいたんですよ。出し(伐倒した木の出材)の現場を少し勉強がてらお手伝いさせてもらったことがあります」
「へええええ、奇遇だねえ、いや世間は狭いねえ」
「ほんとですねえHさんの弟さんかあ、こりゃ今日は一層頑張らねばならないですねえ」
「ははは」
「ははは」

そんな感じでびっくりしてなんだかそして嬉しくなって頑張ってしまいました。

生きてりゃ色んなことがあるもんだ。色んな人に会うもんだ。思わぬところでつながりがあるもんだ。
面白いなあ。

先頭 表紙

うん、狭い。一昨日うちらの学校の後輩が縁あってうちの会社の面接に来たんだけど、学生時代おいらがこっ恥ずかしい子供っぽい振る舞いで放り出されたバイト先でバイトしてた子だったよ。世間は狭いとこの時も思ったけど、おんなじ学校のバイト先ならそれもあるよな。やっぱH・Aさんの弟さんのが狭いか。 / 揚水 ( 2009-03-30 23:21 )
何それ。世間狭過ぎ。 / ばばんばばんの ( 2009-03-28 19:22 )

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