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だいなの「赤福 9lives」

日記と言うより、「雑文@暴走気味」
今年の個人的キャッチフレーズ「9lives」の様にしぶとく生きていきます。
とりあえず、がんばれ自分。

なお「浦和レッズ」、「特撮」の話題に偏る傾向にあります(爆)。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-07-07 NUDITY
2003-06-25 西尾維新『クビキリサイクル』
2003-06-17 涙が悲しみを溶かして、溢れるものだとしたら
2003-06-10 永遠(とわ)があるという城
2003-06-10 天使創造すなわち光
2003-05-19 翼をください
2003-05-07 地図をください
2003-05-05 タナトスの迷宮
2003-04-14 その日、街はボクの知っている街ではなくなった…。
2003-04-10 戦争と平和


2003-07-07 NUDITY

昨日は「ヴィクトリアン・ヌード展」を見てきました。
どうも題材が題材だけに、成人男性が一人で行く事にちょっと抵抗もありましたが、まぁ画学生を装って…(笑)
実際に客層は中年女性のグループが多かったです。ま、どの展覧会もそれは一緒か。

展示内容は面白かったです。知らない作品ばかりだったので純粋に楽しめましたし、1点1点の見応えもありました。
ヌードという題材は絵画の世界では古くから宗教画でも肖像画でもありふれていて、珍しい物でも何でもありませんが、今回のテーマは時代性からか退廃的だったり、残酷だったり、かなりエロかったり、かと思うと幻想的で綺麗だったり、宗教的な色が濃かったり。
展覧会のサブタイトルが「19世紀英国のモラルと芸術」ですから、そもそも「モラル」と言う言葉を使っている時点で芸術性とは離れたベクトルに向かっている作品があるのは当然なわけで。
つまりあれだな、芸術としてのヌードと、低俗としてのヌードと。その辺の意識のせめぎ合いが感じられます。そもそも19世紀英国というキーワードだけでも、それに付随する社会風俗には興味ありましたし(ホームズとか切り裂きジャックとかルイス・キャロルとかね)。まぁ、ヌードに限らず、ヴィクトリア朝の絵画って結構好きなんですが。

とにかく、入場料の元は十分過ぎるくらいとれる展覧会でした。開催中にもう一度行ってみたい。
「ルーブル」だの「ミレー」だのみたいに長時間並ぶ事もありませんし、ちょっと絵画に興味ある人なら楽しめると思います。オススメです。

◆ちなみにタイトルは菅野美穂ちゃんの話題になった写真集から。オイラは非ヌード写真の方に魅かれる表情が多いと思うのですが…

先頭 表紙

2003-06-25 西尾維新『クビキリサイクル』

デビューから1年以上を経て、既に著作も重ねている作家さんですが。
ようやく読みました。
んまぁ、表紙があまりにもあれなんで手を出すのをためらい続けていました。

ごめんなさい。面白かったです。
メフィスト賞らしい作品で、思いっきり変化球ではあります。例えばミステリーの主流作品群などと比較すると、あまりにもリアリティがありません。そこにあるのは電撃やスニーカーに近いキャラクター萌えのライトノベルの匂い。
特に魅力に感じたのはキャラクターたちの会話かな。これを読んでいて連想したのは上遠野浩平の「あとがき」だった(笑)。いろいろ理屈をこねくり回して「まぁいいじゃん」って感じの。
ただ、主人公であり語り手である「戯言使い」のいーちゃんの「戯言」に、読者を引きつける力を感じなかったのが難点かな。他のキャラたちの「戯言」の方に魅力を感じたし。
ヒロインの玖渚友にも魅力を感じなかった。これはオイラが年をくってしまってるからか、ダメでした。
むしろ、格闘メイドのてる子さん萌え。って、それはそれでダメダメですが。

作品としてはミステリーの王道と言えるクローズドサークル。閉ざされた孤島。警察が介入しない状況での連続殺人(これについては反則的)。首斬り死体。密室。
何故に首が斬られているのか? 以前であれば入れ替わりというパターンが普通だったが、近年は首の別な利用方法といった作品が増えている。この作品は、それをひねってひねってひねって、ちょっと意表を突いた真相を用意している。ま、上にも書いた様に、状況設定に反則技を使っているからこそ可能なのだが。クビキリのリサイクル、それがどの様な物なのか?

いーちゃんの過去に何があったのかを語らずに、そして探偵役を最後に登場させてこの作品は幕を閉じる。なかなか楽しく、読む速度も加速していく作品だった。いずれ他の作品も読みたくなる、期待させる作家だと思った。

『他人のために感情を発揮できる人間はね、何かあったときに他人のせいにする人間だからだよ。あたしはね、きみみたいな人間が最高に嫌いだよ』

◆『アルファベット荘事件』北山猛邦著、読了。講談社ノベルスの3作品に比べると世界観は普通。ただ、美由紀のキャラは普通ではない。んでも、オイラは未衣子の方に魅かれるが。白泉社だから、ボーイズラブ系でキャラ萌え作品かと思ったが、違った。トリックは予想がつきました。まぁ、この作家はやはり大仕掛けが好きなんだなと。
ただ、『創世の箱』の設定はイマイチだし、西ドイツのエピソードも無駄かな?と思った。

◆『微睡みのセフィロト』冲方丁著、読了。『ピルグリム・イェーガー』の原作者なので、以前から興味があった。200ページに満たない作品だが、なかなか面白かった。サイバーパンクって、映像よりもむしろ文章で、自分の想像力を駆使して読み込む方が作品を楽しむスタイルとして正解な気がします。「混断」された被害者の描写とか、イマジネーションを刺激してくれる。

◆『リドル・ロマンス 迷宮浪漫』西澤保彦著、読了。ミステリーと言うよりファンタジーに傾いた作品。まぁ面白かったのは否定しないけど、ハードカバーで読むには高い気がしないでもない。西澤さんは、以前は完成度の高い作品を連発していたんだけど、最近は質が落ちているよな…

先頭 表紙

2003-06-17 涙が悲しみを溶かして、溢れるものだとしたら


6月15日は、福田正博の引退試合が行われた。
試合前アップ時に、歴代選抜選手がピッチに姿を現すと、抑えきれない程のワクワク感があふれてきた。その中には伸二の姿もあり、うれしいサービスでした。
スタジアムは真っ赤。普段は黒い人たちも真っ赤。普段は敵サポが陣取る場所も真っ赤。
どちらが勝っても、誰が得点してもうれしい。普通の試合ではあり得ない「祭り」だったからか、90分があっという間に過ぎてしまった。
「ぜんぜん足りないな…(笑)」
ギドはギドだったし、岡野は紛れもなくあの頃の岡野だった。他の選手たちも、イベントとしての試合を楽しみつつ、サポの期待にプレイで応えてくれた。
もちろん福田の引退試合なのだが、このスタジアムにいない選手たちのプレイ、思い出がイロイロとよみがえってくる、そんな試合だった。

92年にオイラがレッズを好きになったきっかけ、それは福田だった。そう、この10年は福田の姿を追いかける事でサポを楽しんだ日々だった。
この引退試合は、その10年へのけじめなのかもしれないな。

5年後とか、福田が別の形でレッズに戻ってくれる事を信じている。また福田と一緒に闘いたい。けど、その時に無冠のまま迎えたくない。だから、それまでにタイトルを獲ろうよ。そのためにサポートを続けよう。

◆ちょっとだけ暴言(笑)。代表に招集された事で、暢久、坪井、永井が引退試合には参加できなかった。まぁ、暢久と坪井に関しては起用される可能性は高いのだが…永井を使わなかったら許さんぞ>ジーコ。引退試合での「新旧9番対決」が実現しなかったんだからな。今のくだらない代表戦と、一度きりの引退試合と、どちら大切だ?

◆今回のタイトルはポルノグラフィティの「サウダージ」からの一節。「サウダージ」はポルトガル語で「哀愁」に近い言葉。祭りの後の寂しさな感じ。W杯の後にも使われてましたね。まぁ、ポルノの曲は恋愛なんで、ピッタリではないのだけれど。「9」ってタイトルはヒネリが無い気がして…

◆画像は試合前のオーロラ、普段から仲良くさせていただいているサポ仲間のダンマク、セレモニー前の北側ゴール裏&デカユニ、試合直前の南側ゴール裏。

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2003-06-10 永遠(とわ)があるという城

1ヶ月前、「『アリス・ミラー城』殺人事件」を書店で目にした時から興味があった。んで、どうせなら著作をまとめて読んだろと思い、講談社ノベルスの3冊をまとめて買っといた。んまぁ、他にも読む本がたくさんあったので、今になってしまったが、ようやく読了。

北山猛邦という作家はメフィスト賞受賞作家である。って事は、その作品は変化球だと予想してしまうのだが…。

1作目、「『クロック城』殺人事件」は「世界の終焉」を前にした世界観である。
が、その設定に必然性は感じられず雰囲気作りに終わっている。ゲシュタルトも。余計なキャラが多いのもマイナス。ラスト70ページ弱が袋綴じになっているが、「208ページの真相」は想像通りのトリックだった。って言うか、あれだけ思わせぶりな装置を用意してあれば普通の読者なら気付くのでは? 例えば「ルパン・カリオストロの城」やゲーム「悪魔城ドラキュラ」シリーズなどを経験していれば目新しいギミックでは無い。
それよりも切断した頭部の意味、こちらには拍手をしたい。これだけで読んだ価値はあった。
ラスト、真相が2転3転するのはくどかったかな?
評価としては普通。まぁデビュー作なので今後に期待という感じか。

2作目「『瑠璃城』殺人事件」。こちらは「世界の果て」にある図書館から始まる。そして13世紀フランスの瑠璃城と、第一次大戦中のフランス。この3つの世界を舞台に事件が展開する。
これもね…3つの時代を1つの作品に詰め込む事に無理が生じている様な。何か、チグハグに感じるんですよ。トリックも大掛かりなのをそれぞれ用意していますが、諸手を挙げて評価したいのは図書館のだけかな?
1作目の時にも感じたんですが、何だかキャラに対しての愛情が薄いんじゃないかなと。これも評価は並です。

そして3作目「『アリス・ミラー城』殺人事件」。ルイス・キャロルの作品にちなんだ舞台。山根とか窓端とかアリスのキャラをもじった様な名前の探偵たち。チェス盤の動きに合わせ一人ずつ殺されていく。
この作品はオイラのツボにはまりました。文章、キャラ、描写…今までの作品に比べてレベルが上がっています。
『アリス・ドア』のトリックも、なるほどこういう使い方があるのかと感心。
真犯人に関しては、読書中は全く予想もつかなかったキャラだった。振り返って見れば、確かにアチコチに伏線はあったし、序盤から叙述トリックが仕込まれていた事に気付く。

『アリス・ミラー』を読むのを前提にしていたから、前2作も読んだ。だから1作目の時にリアルタイムで読んでいたら、以後の作品は読まなかったかもしれない。
北山猛邦という作家のレベルは留まってしまうかもしれない。が、もしかしたら化けるかもしれない。とりあえず、オイラは今後も期待して新作を待ちたいとは思う。

◆読みたい本ばかり溜まっていく。講談社ノベルスに限ってもキリが無いんだよね。メフィスト賞作家なんて、30人中10人も読んでない。西尾維新なんかも読んでみたいんだけど…う〜ん。

◆タイトルは今回も『少女革命ウテナ』のサブタイトルから。本来は「えいえん」だけど、この日記の都合上「とわ」と読んでください(笑)。
その回の中にあるシーン。
少女が2つの棺を両親ので、隣の棺を自分のだと言い、
「生きてるのって、なんか気持ち悪いよね。…どうせ死んじゃうのに、どうしてみんな生きてるんだろ。…永遠のものなんて、あるわけないのにね。」

◆さて、いよいよ「福田正博引退試合」が迫っています。

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2003-06-10 天使創造すなわち光

サイトでの特撮レビューのテストとして、ちょっと『ウルトラマンティガ』を。
『ティガ』は旧作と違い、「善意」の宇宙人なのか不明なままスタートした。(後の劇場版で、本来は悪だったと判明する)
第3話「悪魔の預言」でティガを敵視する存在が登場する。

死者の肉体に憑依し、聖なる炎によって穢れた地上を焼き払うと語り、ビル街を爆破し続けるキリエルの預言者。
夜のビル街に立ったティガに、人間の姿のまま対峙する。
預言者「君はこの星の守護神になるつもりかね?おこがましいとは思わないか?
 君がその巨大な姿を現すずっと前から、この星の愚かな生き物たちはキリエル人の導きを待っていたのだよ。
 君は招かれざる者なのだ!」
ティガはキリエルを倒した。だが、キリエルは人間社会の中に潜んでいるかもしれない。ラストで思わせぶりに振り向く女性。彼女は続編の第25話「悪魔の審判」にキリエルの巫女として登場する。

「悪魔の審判」冒頭、空に大きな天使像が出現し、人々の間でブームになる。天使の人形を手にし、背中には天使の羽根を付け、天使にすがろうとし、心に傷を持ち、未来に不安を抱える人々。

そして姿を見せるキリエルの預言者。
預言者「最後の審判の時が来ます。本当の悪魔を倒さなければ、人類は滅びてしまう。門を開けるのです。そして天使の審判を受け入れるのです。」
空中に出現した門の中から現われようとするキリエルの軍団。迎え入れようとする人々。
「悪魔の名はティガ! ウルトラマンこそ悪魔」
圧倒的なキリエル人の力に打ちのめされるティガ。地に伏し、門から噴出する闇の雲の中に包まれる。
イルマ隊長の呼びかけに人々は正気を取り戻し、ティガに光を差し向ける。ビルの窓の灯、車のヘッドライト、懐中電灯、ペンライト。
意識を取り戻し、立ち上がろうとするティガの姿がビル壁の「アダムの蘇生」のレリーフと重なる。
ティガは勝った。ティガを信じた人々が勝ったと言うべきか。
だが、ラストシーンで道に落ちた天使の羽根を大事そうに拾い上げる少女の姿が映る。人はそれでも天使にすがりたいのか…

人間は確かに弱いかもしれない。しかし、誰かに導いてもらわなければならない存在であってはならない。キリエルであろうと、ティガであろうと。ティガは、ティガだけではキリエルに勝ちえなかった。人がティガを「信じる力」があったからこそ、闘えたのだ。「光」はその象徴に過ぎない。そして、「信じる力」と自分自身の意志があれば、人間は強くなれる。
その後も『ティガ』の中では人間の強さと弱さが繰り返し描かれていく。そして最終3部作でそのテーマが収束していくのだが…
『ティガ』レビュー、次回は『拝啓ウルトラマン様』の予定

◆『天使』が敵になるというシチュエーション。例えば『エヴァ』の使徒や『仮面ライダーアギト』のアンノウンなんかがそうですね。これはたぶんグノーシスの思想が元になっているのかな?人間が過ぎた知識や力を持つ事を神は望んでいません。アダムとイブの様にね。
『アギト』のアンノウンは新人類アギトとして覚醒する可能性のある者だけを抹殺していきます。雛は雛のままでいろという立場と、鶏になるべきだという立場の闘い。

◆ちなみにタイトルは『ティガ』ではなく『少女革命ウテナ』から持ってきました。
『ウテナ』の中の『卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく』
これはヘッセの『デミアン』の中の『鳥は卵の中から抜け出ようともがく』に酷似している。そして、ここにもグノーシスの思想が見える。

先頭 表紙

2003-05-19 翼をください


土曜日は仕事が休めなかったので、昼間は寝てました。(あ、ちなみに夜勤でち)
なのでレッズ戦も不参戦。
試合自体は録画してあるが、まだ見てなかったり。結果が何とも…。
2点先制され、エメが2点入れて追いつき、達也が追加。残り16分耐えて欲しい所をさらに2点入れられ、終了間際に坪井の得点で同点に。
得点を重ねているのはいいが、セレッソ戦に続いて失点が多いのは問題。たまにDFが崩壊しているって事か?危険な兆候。
「負けはしなかった」とか、「勝点1でも積み重ねたのは大きい」とか。確かにそういう見方もあるけれど…今年の場合は延長が無くなった分、勝点を稼ぐには勝つしかない。ドローを重ねても下位からは絶対に抜け出せないんだ。
それでいいのか?

日曜日は誘いに応じて大宮vs横浜FC戦へ。JIO(大宮&FC東京サポ)、achaさん&お連れさん(横浜FCサポ)、COMEちゃん(レッズサポ)という混成部隊で観戦。メイン側ほぼ中央という絶好の席。
大宮戦も2年前は結構足を運んでいたが、最近はとんと。なので選手もよくわからない。ま、それは横浜FCの方もそうなのだが。
結果は0−2で横浜の勝利。
大宮は決定力が無さすぎだと感じた。かつての昇格争いをしていた頃の勢いは何処へ?
横浜は城頼りという感があったが、それが攻めて攻めてという流れを作り、試合全体を見ても大宮ゴール側での攻防の時間が多かった気がする。
まぁ、パスがつながらないとか、突破も阻止される事がお互いに多かったので、試合のリズムは悪かったが。
でも、どちらが勝とうが所詮は他人事なので(笑)サッカーとして十分に楽しめた。レッズ出身の選手も何人かいたので、彼らのプレイを見れただけでもね。
しかし、こんな試合の後だと言うのにスタジアムの雰囲気はまったりとしていた。ゴール裏からは多少のブーイングがあったけど。レッズサポの様な殺伐とした雰囲気は全然無く、違和感と言うか何とも言いようの無い気持ち悪さが残った。いや、こちらが普通なのか。
日曜の昼にも関わらず、当日券でゆっくりと席に着ける。晴れてる休日に大宮公園に来て、ちょっとサッカーでも観て行こうかって家族連れを受け入れる事のできる試合。地域に密着したサッカーチームとしては、これも正しい形なのかもしれないと、ちょっと思った。

◆画像は大宮&横浜のゴール裏。大宮側にはしっかりアルディ君もいます。

◆…と、今日はオイラの誕生日でした。日付は忘れる事が無いが、年齢がね…時々はっきりと意識できない事があります。あれ?…今年って4だっけ?5だっけ?みたいに。

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お誕生日おめでとうございます.レッズ,相変わらず出入りの激しいサッカーですね.点とれないよりは良いけど,点取られすぎ. / 八百八六助 ( 2003-05-20 00:05 )
誕生日おめでとうございます! 当日券で行けるサッカーが、本来普通なのかもしれませんね。あるいはシーズンチケットのみ(笑) / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-19 23:35 )

2003-05-07 地図をください


5日は久々にスタジアムに参戦できた。
レッズvsエスパルス@埼スタ。
まぁ、不安ではあった。啓太&達也にはミャンマー戦での疲労、山田暢久の不在。東京Vには勝ったが、その前のC大阪には…。

試合全体の印象としてはエスパルス側は人数を使ってガッチリ守り、外人選手3人に託すという形。レッズは過去の例だと暢久が三都主を封じていたが、今回は啓太の役。加えて坪井、室井が外人をきっちり抑え込み、ゼリッチが浮き気味にカバーに入るという形だ。前線にボールを供給し、起点となったのは山瀬。要所では必ず彼が攻撃の形を作っている。
が、レッズは連携が上手く機能しなかった。ボールを得てもすぐに奪われる。がら空きにしてしまったスペースをいいように利用される。レッズのダメなパターンの展開だった。敵ゴール前に詰めても、最後の冴が無く、得点に結びつかない。そして敵の反撃を喰らうが、それは固いDF陣と山岸のスーパーセーブで守りきる。(実際、1つ間違えば失点していた様なシーンがいくつかあった)で、また攻めていくが…。この繰り返し。
試合が停滞してきた中、達也を投入。多少は流れも変わってきたが、まだ勝てる気配がない。
このままスコアレスドローか…と思っていた時、エメが決めた。
だが時間はまだある。その間にも2度程か、エスパルス側がこちらのゴールを狙ってくる。
まだか、まだかとジリジリする中、試合は終わった。
ドローで終わったかもしれない。もしかしたら逆転されていたかもしれない。そんな展開は今まで何度も見てきた。けど、勝点3をつかんだ。
何と言っても、エスパルスの不調に救われた。
そしてレッズは、一部の選手にバランスが偏ってしまっている弊害が感じられた。主力選手が何らかの理由で欠けた時の不安は大きい。
とりあえず、勝てた。このまま勝ちグセをつけていってほしい。
敵にはなってしまったが、トゥットが見慣れたトゥットだった。身体は大事にしてほしい。頑張れよ!

◆画像はエスパルス側ゴール裏。そして試合後のレッズ選手たち。

◆開門前の並びで、「FFTA」をクリア。良い意味で「良質のジュブナイル」だった。エンディングで、精神的に成長した主人公たちにジーンときました。
ゲーム自体は、クエストを攻略していくためにアイテムが必要だったり、条件が煩雑。拠点の奪還も繰り返しているとウンザリしてくる。やり込むには面倒だし、もう一本ソフトを用意して通信を利用しなければ厳しいか。その辺が評価マイナス。
まぁ、楽しいソフトでしたが。

♪その地図を一枚ください
 朱く夢の場所を印した
 その地図を一枚ください
 帰り道の破れかけてる
 その地図を一枚ください…
 『地図をください』 by遊佐未森

先頭 表紙

らいむさん、ありがとうございます。う〜ん、この年になるとね、誕生日って実感が湧かないなぁ。 / だいな ( 2003-05-19 15:29 )
お誕生日おめでとうございます♪ / らいむ ( 2003-05-19 10:38 )

2003-05-05 タナトスの迷宮

4月に、一人のマンガ家と、一人の文筆家が自殺した。
週一くらいでオイラが巡回している別々のサイトで、それぞれ訃報が知らされていた。
マンガ家は全く知らない人。文筆家は一度だけ幻想文学系の評論を読んだ事があって、名前だけは記憶していた。
どちらも一般社会的には無名で、だから報道もされず、静かに去っていったわけだ。
そして、二人とも鬱病の末の自殺だった…。

実はオイラにも鬱病の傾向がある。10問くらいの簡単なチェックテストなどでも必ず赤信号が付くし、和田秀樹のココロクリニカでも、メランコ型(躁鬱病型)76%という結果になった。

一番危険だったのは98年の春〜秋の半年間。秋葉原の有名ゲーム店で店長補佐として1フロアを任され、売り上げとバイト管理をしつつ会議に問屋にイベントに、商品発注担当者と口論の連続。そんな日々が続いた後、突然に無気力になり「死にたい」「死んじゃおうかな」が口ぐせの毎日だった。
この頃は、自分一人だけが世界に取り残され、誰とも意志が通じない様に思えてしまう恐怖。
サッカーや映画やゲームや、いろいろな趣味に没頭しようとしても、何だか自分の意識を素通りしてしまい、感情を刺激してくれない。
当時、結婚を考えていた交際相手とも(川口と逗子という距離もあり)疎遠になり終わってしまった。
夜中に目が覚めて、不安に苛まれる。
死にたいとは思った。でも実際には死ななかったのは、猫がいたからかもしれない。もし自分が死んだら、猫たちは生きていけないだろうなと。6匹の猫を最後まで世話する、それまでは死ぬ事は考えない様にしよう。
まぁ、その程度の考えで死なずに済んだのだから、鬱病としてもホントに軽い初期段階だったんだろうけど。
当時、むさぼる様に読破した太宰治の著作も、自分の中で支えになっていた。太宰は暗い作品だと評価されるが、自分にはむしろ暗闇の中で灯を模索する様な作品に思えた。
『死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。』(太宰治『葉』より)

鬱病は半年くらいの間が一番苦しいと言います。その半年を乗りきれれば生きていく事ができます。
あれから後、一度も死にたいと思った事はない。けど、太宰のこの言葉はいつまでも憶えている。
『僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。』

冒頭に挙げた文筆家の日記をずっと読んでいた。死にたい死にたいと苦しんでいる自分を日記に綴っている。読んでいて、やりきれない。彼女の日記は4月26日、自分の遺書で閉じられている。

何とかならないのか… 鬱病の犠牲者を減らすためには、この病気に対する知識を多くの人が正しく認識し、彼らが生還できる様に支えていくしかないのか。
オイラは軽い段階で迷宮から抜け出す事ができた。今年なども危険ゾーンに近づいてはいたが、何とか心のバランスを保てた。ある程度、自分の心をコントロールする術を身に付けたから、生きていられる。
けど、多分オイラは長生きができないだろうという予感は続いている。

先頭 表紙

俺様は鬱で集中力低下した。それまで毎晩のやうに読書していたのが徐々に読めなくなつて、仕舞ひには看板を読むのすらつらくなつた。当時、受験生だった俺様は自傷行為を繰り返し、終日死にたいと思つた。さう考へるうちに自殺する気力もなくていっそのこと殺されたい思ひ、終にはもうすぐ死んでしまふのだといふ妄想にとりつかれた。然し、今ではもうどうでもよいことだ。 / muratorium ( 2003-05-17 19:03 )
1日経過してから読むと、何かイキオイだけで書いちゃってますな。まぁ、こんなのもオイラだって事で削除せずに残しておきます。 / だいな ( 2003-05-06 13:26 )
ヤバ、今回の日記はもっと文章を練ってからにした方が良かったかも。そろそろ支度しなきゃ… / だいな ( 2003-05-05 04:23 )
99年から01年に交際していた彼女も、福祉の仕事で身体を壊し、鬱病気味でした。オイラが支えになれたら良かったんですが、彼女は生まれた頃から家族ぐるみで入信している某巨大宗教団体に救いを求めました。宗教では救いにならないと思うのですが、口論の末、その彼女とも別れてしまいました。オイラはあの宗教団体が大嫌いです。 / だいな ( 2003-05-05 04:20 )
埼玉スタジアムに出発するまで1時間を切ってるのに、何を書いてるんだか>オイラ。んまぁ、試合前にここ最近の精神状態をリセットしておきたかったんです。 / だいな ( 2003-05-05 04:15 )

2003-04-14 その日、街はボクの知っている街ではなくなった…。

さて、ポケモンがバトルタワー攻略を残すのみとなったので、購入2ヶ月目にして『ファイナルファンタジータクティクス・アドバンス(以下『FFTA』)』を開始。

実は、オイラは現在のスクウェアが好きではない。と言うか、かつて輝きを放っていたスクウェアの姿が現状からは感じられない。例えばSFC時代、『ロマサガ2』で歴史を構築していく喜びを感じつつ、コッペリアの残骸には涙した。『FF6』の圧倒的な描き込みと演出には、胸をワクワクさせていた。
PS移行後。『FF7』は夢中になって遊んだが、『FF8』には失望し、『FF9』は退屈のあまり途中で放棄した。『FF』に今後期待する物は無い。
例えば『6』での魅力は様々な過去を背負ったキャラの群像劇が一定以上のレベルを維持していたし、限られた容量の中で病的なまでに描き込まれたドット絵と、オペラに代表される演出の圧倒的なまでの迫力。デフォルメされた2頭身キャラのちょこまかした可愛らしさと演技。
消化不足の『7』を経て『8』。新しい事を模索しているのはわかるのだが、全体的に深みが感じられず、戦闘にも魅力を感じなかった。そもそも7頭身キャラのリアル指向が逆に嘘っぽく感じられた。
で結局、スクウェアに失望した。
ま、『ドラクエ』も『4』までだと思っているので(笑)。

んじゃぁ、何故にお前は『FFTA』を買ったのかと?
実はオイラのマイベストゲームは今でも『伝説のオウガバトル』&『タクティクスオウガ』でして。どちらもSFC時代の作品。当時、この作品でオイラは泣きました。
んで、この『オウガ』のスタッフがスクウェアに引っこ抜かれて作ったのがPSの『FFタクティクス』。システムは『タクティクスオウガ』を継承していて結構楽しめた。
さらにGBAで『タクティクスオウガ外伝』を発売(オイラは未プレイ)。その延長線上に今回の『FFTA』があるのだ。

『FFTA』は現実の街が剣と魔法の国に変えられてしまった世界。
母に死なれ、飲んだくれの父と暮らすいじめられっ子のミュート。自分の髪の色にコンプレックスを抱く少女リッツ。現実世界では車椅子の生活をしていたドネッド。彼らは自分の願いが叶えられた異世界を歓迎します。
けれど、主人公は元の世界に戻る事を選択する。それが友人たちがしがみつく虚構の箱庭を壊す事になろうとも。
どんなに居心地が良かろうとも、虚構の世界に逃避しているのはいけない事。現実をしっかり見つめていかなければならない。それがこの作品のテーマだろう。
だが主人公の行動は、この異世界を『ロウ』と『ジャッジ』で支配する者にとっては秩序を破壊するカオス…『オウガ』シリーズで描き続けられてきた『法と混沌』『善と悪』のテーマが、ここにも受け継がれているんだな。

細かいドットで描き込まれた世界。疑似3Dによる魅力的な箱庭世界。ディフォルメされたキャラの動作パターン。300近いクエスト数。携帯機のおかげで少しの時間でも、どこでもプレイ可能なメリット。
オイラはやっぱりこのジャンルが好きなんだよな。状況とユニットの性質を把握して進軍、戦闘の結果に一喜一憂して。難易度の高いマップを戦略次第でねじ伏せる快感。作業と化したRPGでは味わえない達成感。

今の『FF』が好きな方々、暴言失礼しました。ゲームの評価は人それぞれですね。
ただ、ゲーム業界の未来のためには完成度の高い作品も低い作品も正当に評価される市場であってほしいです。

関連:開発者インタビュー

先頭 表紙

惰性で新作を買い続ける虚しさはもう味わいたくない。市場に吐きだされ消費される『商品』ではなく、本当に自分にとって大切に思える『作品』を何度でも楽しむ、それがオイラに合ったプレイスタイル。 / だいな ( 2003-04-14 07:39 )
何かね、91年から99年まで秋葉原の有名ゲーム店に勤務していた頃は、次から次にリリースされるゲームを消費していた。けど、今はゲームに抱く幻想から冷めてしまっている。普通の『FF』シリーズの新作は二度とやらないだろう。 / だいな ( 2003-04-14 07:38 )
とりあえず、まだプレイは10時間程度。最終的な評価がどう転ぶかわかりませんが、今のところはヤリコミ再プレイにも耐えられそうです。 / だいな ( 2003-04-14 07:38 )

2003-04-10 戦争と平和

最初に書いときますが、今回はかなり暴言が入ってます。これを読んでいただいている皆さんとは大きく考えが違っているかもしれませんが、まぁ、オイラとしてはこれが本音ですので、申し訳ありません。


いろいろと問題は残っているけれど、とりあえず今回の戦争は終結に向かっている。
反戦・反米が連日報道される中で、オイラはどちらかと言えばアメリカを支持していた。
もちろん、アメリカの強引なやり方は認められるべきではないけれども、フセイン政権が継続される事で被害を受ける犠牲者と、今回の戦争の犠牲者とでは、前者の方が多いと思っていたからだ。
だから、望むのは一刻も早いアメリカの勝利だった。

オイラは反戦運動やデモの様子をニュースで見ていて、薄っぺらな虚構にしか思えなかった。(まぁ以前に、平和を唱える某宗教団体のデタラメさにうんざりした経験もあるからだが)結局は安全な場所で平和を享受し、戦争の悲惨さと平和の貴さという理解しやすい図式に酔っている、対岸の火事の運動にしか見えなかったのだ。ここぞとばかり、反戦の意志を発した芸能人たちにも。
フセインの肖像を燃やし、銅像を壊し、アメリカやブッシュを讚え、喜ぶイラクの民衆。(それも作られた映画に見えてしまうのだが…)
その笑顔はアメリカの侵攻の結果によって生まれた物だ。もし、今回の戦争が起きていなければ、彼の国の人々は今でも苦しんでいたかもしれない。
『人間の盾』は明らかに今回の作戦の障害となったし、彼らが『盾』とならなけらば、戦争はもっと早く終わっていたかもしれない。
反戦運動は戦争が起きてから動くのではなく、普段から戦争が起きない様に活動するのが本当なんだよね。だから、今回運動に加わった人たちは、一過性のブームで終えるのではなく、これからも継続してほしい。

一度戦争が始まってしまえば、一日も早くキチンとした形で戦争が終結する事が大事だ。もし何の解決にもならない状況で戦争が中断してしまえば、無駄な犠牲だけが残り、フセインは再び力を蓄えるだろう、以前よりも強大に。そうした例は過去にある。それがヒトラーとナチスだった。
フセインの消息は不明だが、彼の独裁政権が事実上滅んだのは確かだ。
後は戦後処理・復興が最重要だね。そして今後にこそ、世論がアメリカを監視する必要がある。

そして、今回アメリカがルビコンの河を渡った事に関して、その独善的な行為は世界的な世論でもって批判すべきであるし、フセイン政権を崩壊させた結果とは切り離して、責任追及をすべきである。また、今回の件でイスラム圏は確実に反米感情を高めるでしょうし、その結果、テロ活動も増加するかもしれません。
だから、世界の平和はまだ遠い。その事を忘れてはいけないですね。終戦=平和ではないという事を。

『サイボーグ009・ヨミ編』のラストで少女が星に願った様に、世界中の人々が争わず、仲良く暮らせる日が、いつか実現しますように。



最後に、釈由美子ちゃんが自身のHPでアトム誕生の日に記した日記から引用。

 世界中のみんなが
 ほっこりできたらいいのにね。
 優しい微笑みを、あの街の人たちに
 早く早く、返してあげたい。

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