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青い角砂糖


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2002-11-30 傷(2)
2002-11-17 手(1)
2002-11-17 手(2)
2002-11-17 手(3)
2002-11-17 手(4)
2002-11-17 手(5)
2002-10-12 言葉を綴る愉しみ
2002-10-03 稲穂の海
2002-09-29 想い
2002-09-27 金木犀


2002-11-30 傷(2)



 次の記憶の中で、彼は私の恋人だった。とても気持ち良く晴れた初夏の午(ひる)、私たちはレストランのテラスで食事をしていた。木々の緑と、生成りの帆布のパラソルの作る影の下、彼はクリームスパゲティ、私は魚介のアラビアータを注文した。まっ白で、つるりと円い皿の縁には、グリーンの縁どりが入っていた。彼の開襟シャツの胸元には、プラチナの太い鎖がかすかに見えていたが、それはちっとも嫌みではなく、実によく彼に似合っていた。
「これ、おいしいよ」
 私は、大きなほたてを一つ、フォークで掬って彼の皿へ移した。
 緑色の壜から薄い琥珀色のアップルタイザーを注ぐと、細かい空気の粒がキラキラと光りながらグラスの中を昇った。その泡がはじける、チチ、チチ……という小さな音を聞きながら、私は幸せだと思った。心の底から。そして、彼の口唇がアラビアータのソースで紅く染まるのを、確かに私は見た。



 ぐずぐずに熟れ切った果実のような、真っ赤な夕日が沈む。私はサンダルを右手に下げて、裸足で道路を歩いていた。昼のうちに鉄板のように太陽に焼かれて、まだその余熱を蓄えたままのアスファルトは、温かく、ざらざらと心地が良かった。
 そして私は、道路脇の側溝の中にうつ伏せに寝そべっている彼を見つけた。
「どうしたんですか」
 思わず傍へかがみ込むと、彼は、大型の鳥を思わせるようなまっすぐな瞳で私の目を射た。そして、差し伸べた腕を掴んだ。助け起こそうと、ぐっと力を入れると、彼の腕にもまた力が入り、私の掌の中で、その筋肉が張った。
 彼は立ち上がって、服についた汚れを払った。夕陽の光を受けて、シャツの襟元に銀色の鎖がきらりと光った。アスファルトに擦れたのか、口唇の端が切れていて、そこから紅い血が滲んでいた。
「あの、怪我を……」
 彼は手の甲で傷をぬぐって、言った。「ありがとう」
 そして彼は、背を向けて歩いて行った。
 その時から、なにかわけのわからない、チチ、チチ……という小さな電子音のようなものが、私の後頭部で鳴り始めた。そして、その日からずっと、音は止むことなく、今も私の頭の中で鳴り続けている。病院に行っても、原因は一向にわからないままだ。

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怜さん、HP閉じられたんですね? 残念です……。 / M ( 2003-04-02 01:58 )
こちらこそつっこみ返しがいたく遅れてしまい、申し訳ございません。今後ともよろしくお願いいたします。 / M ( 2003-03-30 23:13 )
幻聴は電波なビョーキの兆し。いいお医者さんを早く探して治しましょう。……冗談はさておき、お久しぶりです。先々月にはご連絡いただき感謝しています。メールしましたのでご確認ください。遅くなってしまいましたが、どうぞお許しを。 / 怜 ( 2002-12-12 17:34 )

2002-11-17 手(1)

 わたしは、今、裏通りの喫茶店の二階で、この文章を古びたノートにしたためています。今、午後の3時17分。こうして思い出話を書き留めることに、特に深い意味はありません。ただ、わたしは6時までここで時間を潰さなければならないのです。

* * *


 わたしが生まれてはじめて男の人を異性として意識したのは16歳。高校2年生のときでした。今でもはっきり覚えています。当時、わたしの斜め前は、緒方君という、剣道部の男の子の席でした。緒方君はクラス委員を務めていましたが、授業中はしょっちゅう居眠りをしていました。その席は教卓のすぐ正面だったので、わたしは、「先生の真ん前でよくあんなに眠れるなあ」とおかしな感心をしていたくらいです。

 それは数学の時間でした。わたしは数学が嫌いでした。その時のわたしには、そもそも数学を学ぶこと自体に何の意味があるのか、まったく理解できていませんでした。数学の時間はほとんど先生の話も聞かずにぼんやりしているのが常でした。そして、退屈まぎれに周囲を見渡していたわたしは、そのとき突然、本当になぜか突然、斜め後ろから見える緒方君の手に釘付けになってしまったのです。

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トモコさん、どうもありがとうございます。手ってその人の生活や生きざまも見せてくれるような気がします。 / M ( 2002-11-23 23:12 )
はじめまして。私も過去日記、全部読ませていただきました。素敵なタイトルですね!私は職業柄か、どうしても人の手に目がいきます。素敵な手をしている人はそれだけで惚れちゃいます。 / トモコ ( 2002-11-17 23:32 )
半日もかけて読んでくださったとのこと、ありがとうございます。学生の時、柔道の授業で組んで準備体操をした時(我ながらここがカワイイところ)、留学生の韓国人の男の子と手をつないだらとても大きかったのでびっくりしたことがあります。世の中にはこんなに大きくて肉の厚い手の人もいるんだな、と。自分の知らないことはまだまだ沢山あるようです。 / M ( 2002-11-17 16:02 )
新着一覧の「青い角砂糖」が光っていたので・・・・半日かけてゆっくりと読破いたしました。私にとってのはじめての「男の手」は小学校からずっと同じで意識したこともなかった後当君の手が角張っているのに気付いたときでした。。。 / 和代 ( 2002-11-17 12:18 )

2002-11-17 手(2)

 それは、ごつごつとした、骨ばった手でした。それはどこか、波打ち際で長いこと潮に洗われて、すこし角がとれた、白い動物の骨を連想させました。わたしは思わず、自分の両手を机の上に並べてみずにはいられませんでした。するとわたしの手は、黄色くて不恰好とはいえ、緒方君の直線的な手に比べたらやはりずっと流線的で、やわらかく、華奢だったのです。同じ人間の手には違いないのに、彼の手とわたしの手はなんて違うんだろう。

 そう、わたしが「手」ということばを聞いて思い浮かべるのは、この自分の手です。でも、緒方君が「手」といって思い浮かべるのは、おそらく、彼自身のあの骨ばった手なのです。緒方君の手は、「男の手」以外の何物でもなく、同様に、私の手も「女の手」以外の何物でもあり得ませんでした。私はどうしようもなく女であり、緒方君もまた絶対的に男でしかなかったのです。私はそのとき、そういう、あたりまえといえばあたりまえのことに生まれて初めて気付き、衝撃を受けたのでした。
 
 それ以来、ときどき緒方君の姿を追うようになりました。緒方君はクラス委員をしていたので、必然、他の男子よりも少し目立っていたのかもしれません。緒方君は書道の段を持っていたらしく、彼が指名されて黒板に字を書くときは、よく男子たちから「よっ、書道二段」とか、「オマエ、それで本当に段持ってるの」などというヤジが飛びました。そのたびに緒方君は「煩いな」と笑いながら振り向きました。緒方君の筆跡は見る人によって乱暴とも豪快とも取れそうでしたが、私はその勢いのある字が好きでした。

 しかし、緒方君に対してはっきりとした恋愛感情を抱いていたわけではありません。いつだったか、体育の時間に、となりのコートから男子のサッカーの様子を眺めていたときのことです。片方のチームがつけている、遠目にも鮮やかなオレンジ色のゼッケンが、初夏の光を照り返してまぶしく光っていました。そのゼッケンをつけた緒方君が見事にシュートを決めて、女の子たちの間から歓声が上がりました。そのときです、その中の一人の、千夏(ちか)ちゃんという女の子が、とつぜん前触れもなく、「わたし、緒方君がお気に入りなんだ。いいよう、緒方君は」と言ったのは。

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2002-11-17 手(3)

 けれどもわたしは、千夏ちゃんに対して「へえ、なかなか人を見る目があるなあ」と感心したくらいで、焦りやショックといったものはまったく感じませんでした。私が緒方君に感じていたのはあまりに漠とした好意のようなものだったがゆえに、「なんだ、千夏ちゃんもなの。わたしもそう思ってた」などと、同意することさえもできなかったのですが。

 もっとも、千夏ちゃんという人は、高校生としては――今にして思えば、高校生だったからこそ、かもしれません――ちょっとめずらしいくらいドライなところを持ち合わせていて、ときたま、こちらが思わず絶句してしまうような辛辣な皮肉もさらりと言ってのけるような人でした。表面上はとても付き合いやすいけれど、心底からは友達の誰にも心を許そうとしていないような印象がありました。そんな千夏ちゃんが冗談めかして「緒方君がいい」と言ったからには、案外本気なのではないかというような気もしたのですが、そのときのわたしには、どのみちどうでもいいことでした。

 考えてみれば、わたしは緒方君と個人的に話をした記憶もないのです。文化祭の係の振り分けとか、クラスマッチの打ち合わせとか、そういう事務的な会話なら交わしたこともあるような気もしますが、それも定かではありません。そもそもわたしには、緒方君と仲良くなりたいとか、彼のことをよく知りたいというような願望はほとんどありませんでした。したがって、実に子どもじみたことですが、緒方君のあの骨っぽい、何ともいえない魅力を湛えた手や、そこにつらなる、筋肉のついた腕を眺めることは好きでも、それに触れてみたいと考えたことはなかったのです。

 わたしには他に誰か好きな人がいたわけでもありません。でもしかし、自分が緒方君に対して感じているものは一種特別な興味と好意であって、恋に至るまでのものではないことははっきりと自覚していました。わたしは中学生の時、幼いながらに手痛い失恋を経験していたため、「恋に恋する」という状態をひどく軽蔑していたので、無意識のうちに、自分が誰かに恋をするということ自体を警戒していたのかもしれません。

 やがてわたしは3年生になり、クラス替えで、緒方君とも、千夏ちゃんとも違うクラスになりました。放課後にはときたま、紺色の袴をつけた緒方君と、渡り廊下ですれ違いました。昼休みに、校舎の窓から、緒方君がグラウンドにいるのを眺めていたこともありました。しかし、特別な何かが起こるはずもなく、本当に何事もなく、春が来て、わたしは高校を卒業し、大学へと進学しました。

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2002-11-17 手(4)

 大学でのわたしの専攻は史学でしたが、入学してからほんの一か月もしないうちに、自分が進路の選択を誤ったことをはっきりと思い知らされました。歴史の暗記が得意だということだけで史学科に入ってしまったことが、わたしの、最大にして根本的な間違いでした。始まったばかりのわたしの大学生活は、幻滅と後悔、そして強烈な自己嫌悪に彩られていました。

 わたしは、ときには専門の必修授業をさぼり、そしらぬ顔をして他学科の授業にもぐりこむことでその鬱憤を晴らしました。わざわざ単位を危うくし、自分で自分の首を締めるという行為、そしてそれに対する自嘲を、自身に対する罰のようにとらえていたのかもしれません。そして、それが専門外のものでさえあれば、どんな講義でも面白いように感じたのです。

 しかし、そのようなすさんだ生活の中でも、わたしは緒方君のことを忘れたことはありませんでした。退屈な授業のあいまにはよく、いま緒方君はどこで何をしているのだろう? と思いを馳せました。しかしやはりそう思いこそはすれ、本当に彼の居場所を知りたいとか、会いたいと思うことはなく、ただあの浜辺の骨のような彼の手を頭の中によみがえらせて、わたしは一人悦に入っていたのです。

 そして、あれは確か、国文学の講義の時でした。戦争文学についての授業だったと思います。恰幅の良い、上品な感じの教師は、大岡昇平の『野火』という小説の中から、次のような引用を行いました。「"私の身体の中でもっとも美しい部位は左手である。" ……私はこれを、日本文学史上で最も美しい対比表現だと思っています」と。その時のわたしの感動を何と表現したら良いでしょう?

 ……それは、千夏ちゃんが「緒方くんはいいよ」と言うのを聞いたときの感心と源を同じくするものだったかもしれません。そう、自分がすばらしいと思うものに対して誰かもまたすばらしいと言ったときの嬉しさ、自分と他人の感性の同調を感じたときの素朴な驚きと喜びでした。『野火』は、中学3年生のときに読んで以来、心酔していた本でした。その左手の美しさについて触れた一文は、特別わたしの気に入っていたのです。考えてみれば、まえもってその文章に出会っていたことが、わたしが緒方君の手の魅力に気づいた原因のひとつだったのかもしれません。

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2002-11-17 手(5)

* * *


 今、珈琲の香りと煙草の煙の中にこうして並べてみる自分の手は、あのとき教室の机の上に並べてみた手よりもずっと歳を重ねてしまいました。けれども、わたしが「手」といって思い浮かべるのは、やはりあのころの手ではなく、今この瞬間の自分の手に違いありません。

 わたしは今でもたまにふと緒方君を思い出します。昔と変わらぬままに、黒い学ランを着て、机で居眠りをしている、わたしの中の緒方君。ろくに話をしたことさえないとしても、緒方君はわたしにたくさんのものをくれました。大人になるための、たくさんのものを。もし今、緒方君に会うことができたら、わたしはその手に触れてみたいと思うのでしょうか? あの、波打ち際で長いこと潮に洗われた、白い、骨のような、手に。……それとも、緒方君の手は、長い年月を経て、もっと美しく変わっているのかしら。

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2002-10-12 言葉を綴る愉しみ

 どうせ自由にものを書くならば、できるだけ自分の好きなこと、思い入れのあることについて書くべきだ。そういったものは、そうでないものより、豊かで複雑な、より言葉にするのに困難な感覚を私にもたらしてくれる。
「ああ、この感じを、いったい何と表せば良い?」
 途方に暮れるとき、言葉など及ばない、微妙で繊細な感覚によって自分が成り立っているということに気付く。言葉など及ばないという言い方は正しくないかもしれない。正確には、言葉とはまったく別個に存在する”もの”を、自分の表面へと掬い上げるために、私たちは言葉を使うのだから。
 いずれにせよ、そうして途方に暮れる瞬間が愉しくて、私は言葉を綴る。

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2002-10-03 稲穂の海

 今、わたしの周りには稲穂の海が広がっている。手を上げてバランスを取りながら細いほそい畦道を辿る、後ろからは年老いた愛犬がついてくる。ふと足を止めて見渡せば、黄金色に色付き始めたその海に、秋の匂いのする風が渡ってゆく。さあっ、さあっと、ゆるやかに稲を薙いでゆく。まるでほんものの波のよう。そしてその波の向かう先には、筑波の紫峰がおだやかな稜線を描いている。どうということのない風景なのに、その何と美しいことか。わたしは言葉を失って、ただそれを見つめる。自然と涙がこぼれそうになる。
 わたしはいつか、この景色のすばらしさを、あるひとに語ったことがある。騒がしい酒の席で、熱弁するわたしの前には、そのとき確かに、この田んぼが広がっていた。あのひとは、日本酒の盃をかたむけながら、わたしの話に、目を細めて相槌を打った。あの瞬間、あのひとの目には、この稲穂の海が見えただろうか? その頬に、稲を薙いでゆくこの風は、吹いただろうか? ……
 そんなことを思いながら、目を閉じた。心地のよい風を、全身で感じてみたかった。しばらくそうしていたら、犬が、わたしの膝の裏を鼻面でちょんとつついて、早く行こうよと、言った。

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ありがとうございます。そのお気持ちだけでも嬉しい。そのひとがいなくなるのは薄々知っていたことでもあります。わたしはそのひとのことが気に入っているけれど、顔見知り程度の間柄のひとで、また、その距離を積極的に縮めてみようという気もないのです。だから、子どもっぽい感傷ですね。単なる。 / M ( 2002-10-12 03:10 )
どうしたの、大丈夫? あなたの話を聞きたいけれど……なにもできなくて、ごめん。 / さとる ( 2002-10-09 22:55 )
あと数ヶ月でそのひとがいなくなってしまうと今日知った。悲しい、切ない、 / M ( 2002-10-06 00:15 )

2002-09-29 想い

おだやかに
寄せては返すこの波も
いつかは疾い潮に乗り
遠い島へと届くかな

三日月の
ような 舟漕ぐ少年が
獲物を銛で射たならば
うろこは剥がれて 輝くばかり

ああ

梔子(くちなし)の
数えきれない花びらが
波のまにまに漂っている
朽ちているのも そうでないのも

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2002-09-27 金木犀

千鳥格子のスカート
白くてうすいくつした
まっすぐに伸びた二本の足
革靴はストラップつき

その下に踏みしだかれたのは
金木犀の花

これほど近しい距離なのに
それでも
心臓にいちばん遠いところから
ゆっくりと
秋が体温をうばってゆく

頭の芯へ忍び込む 麻酔薬の香り

――冷えて、冷えて
もう どうしようもなくなる、迄。

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