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2002-07-04 楽園の砂 |
2002-07-04 楽園の砂 | |
楽園の白い砂を噛んで |
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2002-06-30 青とあをのあいだ | |
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2002-06-16 ジャム人間 | |
べっとりしたジャムを |
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2002-05-13 オムレツ | |
「何、作るの、」 |
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2002-05-10 左手の思い出 | |
彼は私の左手を、オーディオ・セットの棚の、いちばん上のガラス戸の中に飾っている。彼がブルガリアの合唱曲を聴くとき、私の左手は、異国情緒溢れる、その繊細な不協和音に合わせて、かすかに身悶えをする。彼がボサノヴァを聴くとき、私の左手は、そのけだるいリズムに乗って、ちいさく飛び跳ねる。 |
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2002-05-10 銃痕(了) | |
一時間半ほどのミーティングを経て、「震星」の廃刊が正式に決定された。話し合いが多少長引いたとはいえ、別にたいした悶着があったわけではなく、その決定自体は実にあっさりとしたものだった。ただ、大量に残っている在庫をどう処分するかということで少し揉めた。 話し合いを終えて外に出ると、夜はすでにその濃密さを増していた。それでも、蒸し暑い空気の中にときおり乾いた風が吹く。着々と季節は移り変わっているのかもしれない。 「……これからも詩、書く?」 並んで歩きながら、私は小西に訊ねた。 「さあ、書きたくなったら書くし、そうでなかったら書かない。それだけだな。――もう書かないとか言うつもりは、無いよ」 小西は澱みなく答える。まるで何かを吹っ切ったように。 「……おまえは?」 「まあ、ぼちぼち考える」 「また何か書いたら見せろよ」 「うん。そうする」 そのまましばらく会話が途切れた。それを再開させたのは小西だった。 「……そういえば、話は変わるけど、おまえ、いつか、中学校の同級生が、猟銃のさ――あの事件の犯人だって話、しただろ」 「うん」 「時々、思わねえか? そいつが今、何をしてるのかって」 「――それは――思うよ」 私は頭の片隅であの少年の笑顔を思い浮かべた。授業中に彼が言ってみんなを笑わせたジョーク。掃除の時、棚の上に手が届かなくて苦労していたのを、手伝って拭いてくれたこと。席が隣だった時、よく一緒にバカ話をして笑った。 「俺、たまに考えるんだ。俺の人生を通りすぎてった奴らはみんな今どこで何をしてるんだろう。本当に今もちゃんとこの世に存在しているんだろうかって。特に俺、勉強ばっかりしてたからさ。昔の思い出に、実体というか、実感がねえんだよ。まあ、そんなこと、別にどうでもいいんだけど」 小西はジーンズのポケットに手を突っ込み、上を見ながら歩く。傘を、柄とは反対の方で握り、ときおり野球の素振りをするように振り回す。私はそれとは反対に下を向いて歩く。街灯の光を受けて、濡れたアスファルトが光っている。街路樹の陰が黒く歩道に落ちる。 ――訊くべきかどうか迷った末、結局私は訊ねた。 「彼女は、あれ以来、どうしてるの」 小西は少し驚いた表情をした。一呼吸を置き、眼鏡を外して胸ポケットに入れた。そして答えた。 「たまに電話する」 ――でも、と言葉を続ける。 「向こうからは来ない」 それは静かで落ちついた声だった。 私は小さくため息をつき、右手に下げている紙袋――中には十何冊かの「震星」が入っている――の紐を思わずきつく握った。なぜか胸の底のあたりがつよく疼いた。その時、そのずっしりと重い袋の中に、彼女が最後に詩を載せた号が入っているのを思い出した。家に着いたら、自分はきっとそれを開かずにはいられないだろう、と思った。それはすでに確信であり、暗示だった。 私は考える。 いつかまた、小西が彼女に会う日はあるのだろうか。――そして私がふたたび小西の詩を読み、小西が私の詩を読むことはあるのだろうか、と。 翌々日、気象庁が全国の梅雨明けを発表した。 (了) |
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2002-05-10 銃痕(12) | |
再び小西に会ったのは、あの喫茶店ではなく、学校でだった。それはまったくの偶然だった。考えてみれば、大学の構内で小西と偶然顔を合わせたのは、この三年間でほんの二、三回しかなかったような気がする。それは、学科が違うということもあるし、それ以前にキャンパスそのものが不必要に広すぎるということもあるが、日々、いかにそれぞれが互いに偏った行動をとっているか、ということの証でもあるかもしれない。 小西は、ベンチの上に寝転がって目を閉じていた。よく見ると、髪の間からのぞくその耳からは、細く黒いコードが流れ出ている。それはまるで点滴のチューブのように思えた。コードがチューブで、イヤホンは針。そうやって常に養分を送りこんでやらなければ、呆気なくこと切れてしまう、瀕死の病人。そんな不吉なイメージが私の心に浮かぶ。 私は、そのイメージを振り払うかのごとく、ずかずかとそのそばに近寄ると、イヤホンを一気に引き抜いてやった。 「うわっ」 本気で驚いたらしい。 「……何だ、有子か。驚かすなよ」 「久しぶり。……授業?」 「ああ、さっき、ちょっと早めに終わったんだ。今日はこれで終わり」 その時、授業時間の終わりを告げるチャイムが鳴って、大勢の学生が、賑やかに喋りながら階段を降りてきた。その手には色とりどりの傘が握られている。私はそれを見て、子供のころ、従姉がアメリカ旅行のお土産に買ってきてくれた着色料過多のキャンディを思い出す。 私と小西は、ぶらぶらと駅の近くまで一緒に歩いた。他愛のない世間話に紛らせて、小西は、来週の金曜日に会合を開くから出席しろ、と言った。淡々とした口調だった。そして私たちは本屋の前で別れた。 そのまま、私は何とはなしにあの喫茶店に行った。いつものようにそこは少し薄暗く、空気は冷たく澱んでいて、しかしそれが心地よい。その中で熱いコーヒーを飲むとほっとする。この喫茶店はまるで繭のような場所だ。ここに居れば外界から逃れることもできる。 喫茶店のテレビではまたワイドショウを流していて、そこにはあの乱射事件の犯人のビデオ映像が映っていた。体格こそ多少大人びてはいるものの、犯人の額にはその年齢にふさわしい幼さがあり、やわらかそうな前髪がそこにふわりと落ちかかっている。 彼はゆっくりと法廷の被告人席に就く。なめるようにテレビカメラがそれを追う。瞳は、すべてを拒絶するように、無表情に前方を見つめていた。 それを見ていて、私はふいに自分が二十一歳であることを痛感した。今、この古びた地下の喫茶店に――広い世界の片隅に、たった一人でぽつねんと座っている自分が、刻一刻と完成された大人へと近づきつつあるのを感じた。 見る者に頼りなさげな印象を与える、その年若い大量殺人者の前で、私は、かつて十四歳であったという、ただそれだけの人間でしかありえないのだと思った。 |
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2002-05-09 銃痕(11) | |
彼女が今年度いっぱい休学してアパートを引き払ったらしいという噂を、彼女と同じ学科の友達から聞いた。娘の自殺未遂という事件に面して、彼女の両親がむりやりにでも手元に連れ戻すことにしたのだろう。当然といえば当然の成り行き。もっとも、前にも言ったように、彼女はすでに一年近く学校に来ていない。彼女の家族はそんなことはもちろん知らなかったと思うが。 あの雨の朝以来、私は小西と連絡を取っていなかった。 「震星」の廃刊――あるいは存続――も宙ぶらりんのまま、自分をとりまくいろいろなことが、静かな、劇的さのかけらすらない終末に向かって、のろのろと進んでいるような気がした。それは梅雨の不快さとあいまって、とてもけだるい、うすぼんやりとした日々だった。 どこへゆく当ても無く、とりたてて何をする必要も無い。誰に強制されている訳でもない、しかし味気のない日常を繰り返し消化するだけ。毎日、学校に行って講義を受け、ルーズリーフの罫線と罫線の間を、シャープペンシルの細かい字で半分自棄のようにクソ丹念に埋め、講義がひけたら食堂で暇を潰し、長いだらだらとした坂を下ってアパートへ帰る。 ある日の帰り道、その坂の途中で、ガードレールの端に一匹の小さな蛾が止まっているのを見つけた。蛾は、ゆっくり、ゆっくりと、羽を震わせていた。 私は直感的に、その蛾が「ああ、疲れた」と思っているのだと、悟った。 ――地球上の生き物はみんな、どんな理由なのかは判らないが、生きて子孫を残すためにそれぞれの知恵を振り絞ってきた。その中のある者は蛾という形をとり、あるいは人間という形を選んで。 あの蛾が蛾であり、私が人間として生まれた必然性とは一体何だろう。必然性も理由も本当は無いんだろうし、要らないのかもしれないけれど、それでも、私たちは何に向かってそれぞれの手段を選んだのだろう? 姿は違っても行きつくところは同じなのだろうか? 何が目的で自分たちの血を残そうとするのだろう? 私はただ、自分に与えられた生命で、与えられたこの場所で、自分に可能な限りの進化を遂げるだけ。ふと、そんな考えが頭をよぎる。どんなに長く生きても、どんなに子供を残しても、私は生命の進化という化け物からしてみれば鎖の輪の一つでしかなく、鎖の先にあるものを見ることは絶対に不可能なのだ。 今年の梅雨は例年に増して長く、街は、そして私は、常に憂鬱な雨に支配されていた。 |
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2002-05-08 銃痕(10) | |
「でも俺も、それと似たような経験をしたことがある。 |
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2002-05-03 銃痕(9) | |
アルコールの残滓が身体じゅうを這いずりまわっている。 私たちは並んで壁に背中を凭せ、とりとめもなく煙草を吸った。けむりが、ざらついた咽喉を愛撫する。目に沁みる。 夜明け前の部屋は、淡い水色に染め上げられている。ベネックス・ブルー。そんな言葉が浮かぶ。ジャン・ジャック・ベネックスというフランスの映画監督が、好んで使った色だ。 静かな青。 早朝のパリ。 私がいまだかつて足を踏み入れたことのない土地。そしてこれからも一生訪れることのないかもしれない街の朝。――その空気の匂い。 私は、ゆっくりと目を閉じて、それらを思い浮かべてみる。 外では、いつのまにか小雨が降りはじめたらしく、小さく絞ったラジオの雑音のような、やわらかな音がする。心が落ち着く音。そう、この部屋は雨に閉ざされた小さな王国。帰りの傘の心配なんかしなくてもいい。濡れて歩けばいいだけの話だから。 「――ねえ、……何か面白い話してよ」 「……何で俺がおまえを面白がらせなきゃなんねえんだよ」 いかにも面倒くさそうな声。 「いいから。お願い」 壁に凭れて、きつく膝を抱く。その上にこめかみを乗せる。二日酔いが訪れはじめた頭の、その感覚が、まるで自分のものではないような気がする。今は、自分以外の人の声を聞いていたいと思う。 「じゃあ、俺の爺さんの話だけど」 そうして小西は話し出す。床に両足を投げ出し、目を閉じたまま。流れだす、聞きなれた低い声。 「俺の爺さんは、戦争中、軍需工場で働いていた。 家のすぐ近くに工場があったから、昼休みは弁当を持たずに、家に帰って飯を食っていたんだ。 その日も、昼どきになって工場を出た。うだるように暑い日でね、真昼だから自分の影さえもなかった。家に帰るための道は川の土手沿いにあって、そこを爺さんは歩いていた。その時、急に空襲警報が鳴り始めた。 なにしろ土手だから、隠れる場所なんてどこにもない。とりあえず走った。走って防空壕へ行こうとしたんだ。でもその時、一機のグラマンが機銃掃射をしながらさあっと頭上に降りてきた。 爺さんは走りに走った。でも、戦闘機が相手じゃ、逃げきれるわけがない。死を覚悟して、――そして、もうどうとでもなれとやけくそになって、土手に大の字になった。 その瞬間さ。 操縦席の男と目が合った。 刹那、世界のすべては静止したようになり――爺さんには、その男の表情や、服に刻まれた皺のひとつひとつに至るまでが、鮮明に見えた。瞳は透き通るような水色。その時の爺さんとたいして年の変わらない、若い男だった。 爺さんは今でもその男の顔をはっきり憶えてるって言ってる。きっと死ぬまで忘れないだろう、相手もそうに違いないって。 それに加えて言うにはだよ……その時、爺さんは叫びのようなものを聞いたんだ。自然を貫く叫びのようなものを。 それをを聞いたとたん、爺さんは一瞬にしてその男のことを理解した。その男がどういう町で生まれ、どういう子供時代を送り、どういう家族に囲まれて育ったのか。どういう性格の持ち主で、どういう声を立てて笑い、どういう時に怒るのか。ガールフレンドとどういういきさつで知り合い、結婚したのか。そういうことをみんな知ってしまったって言うんだ。まるで古い友人みたいに。 ……どう思う? 死に追いつめられた人間の錯乱か? それとも老人の妄想か? ……長い年月のうちに、記憶が都合のいいように変形されてしまったのか? |
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