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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

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2011-01-09 男も一緒
2011-01-08 正月も終わり
2011-01-05 とりあえず一本!!
2011-01-04 この繰り返す果てしない戦いの毎日に
2011-01-03 松の内
2011-01-01 新年明けましておめでとうございます
2010-12-30 年末の記憶
2010-12-29 今年のことはまあこんな感じ
2010-12-26 5000m上空からの富士のシルエット
2010-12-25 上空は明るい雲だった


2011-01-09 男も一緒

退屈な女より   もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より   もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より   もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より   もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より  もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より   もっと哀れなのは 忘れられた女です。


「鎮静剤」という堀口大學が訳した、
マリー・ローランサンの詩ですが。
                  


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2011-01-08 正月も終わり

夕べは七草粥を作り、これで正月も終わり。
今年の冬はまだこれから三連休ですから、
もう少しゆったりと過ごして、
新年の仕事は本格的に始めとなるのでしょう。

今年の冬は寒くて、
最近では朝七時くらいだと気温零度の時もある。
でも信州で学生時代を過ごした経験では、
冬は寒くて結構だ。
気温三度なら「温かいな」と思ってた。
あの寒くて部屋の中でもコート着たまま、
こたつに足突っ込んで寝ていた頃の空気の冷たさが懐かしい。
それでもそんな寒さがふとした日差しの中で緩む時が来る。
そのひだまりの温かさを知っているから、
寒さに負けない気持ちを持ち続ける事が出来る。
だから寒い冬は好きだ。

今年も胸に秘めるは同じ言葉。
どうやら人生はドラマティックに出来ているようだ。
まだ見ぬ景色を見て、まだ出会わぬ人と出会おう。
そうして歩いていければ、
と思っている。


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2011-01-05 とりあえず一本!!

・・・と言うことで、2011年の舞台、
一本目、「飆」懐かしき宇宙科学館の舞台で演じてきました。
まあ、以前びーばーがやってくれた禅額という役でしたが、
自分で言うのもなんですが、さすがのアドリブでした。(アドリブ?)

今年はあと何本、舞台に上がれるだろうか。
そしてどのくらい前に進めるだろうか。

この日が初舞台という人がいて、それも良かった。
ここから始まるなら、どこまで行くだろうかね。

うっちゃん、照明が暗いって駄目だしくらったし。
あははは、でもお世話になりました。
仕込みの手際はさすがのプロだね。
☆野さん、いつでもうっちゃん、科学館イケますぜ。
球も交換してたし。

さて、次はサクっと新しい台本書いて、
六本木俳優座劇場に殴り込みだっ!!


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2011-01-04 この繰り返す果てしない戦いの毎日に

今日はたまたまだけど、
自分のして来た演劇について話を聞くことがあった。
うっちゃんが明日のオペの下準備で、
一日芝居の稽古に付き合ってくれた後のことだ。
もちろんうっちゃんの言葉に悪意は無いし、嘘もない。
ただ知らないこともある。

僕のいる「この世界の演劇」は鬼の世界だ。
それは僕とうっちゃんが芝居をしていた、
15、6年前には全く気づかなかったことだ。
必死に中央を目指していて駄目だったあの頃は気楽だった。
今から考えると甘い甘い世界の中で、
一生懸命やっていた自分に酔っていた。
そしてそういう部分が今もあるから駄目なのかもしれない。

ものの言い方かも知れないが、
お金を掛けて、
素晴らしい作家に脚本を書いてもらい、
スタッフにプロを使って、
実力のある役者を揃えて、
実力のある演出が芝居を作り、
大劇場で芝居をするのは、
確かに僕の作る芝居より素晴らしいはずだ。
しかしそれは僕の芝居じゃない替わりに君の芝居でもない。
そして僕はそれには興味がない。
僕には勝ち負けの無い世界で「甘いもの」にしか見えない。
素晴らしいけど甘いもの。
(いや、きっとそこには僕の知らないきつさはあるだろうけど)

僕との違いは僕はある意味たった一人で、
「勝ち負けのある芝居」を戦って来たことだ。
戦友は居たけれど戦い続けてるのは僕だけ。
そういう意味では孤独な戦い。
僕の芝居はそういう意味では素晴らしくなくてもいい。
僕の芝居は僕が作らなきゃ意味がないからだ。
そして「勝ち負けがある」ってことはそれだけで、
鬼の世界にいるってこと。
相手にしている鬼はもう二十年以上も勝ち続けてきた相手とその後継者。
ここに勝負しているのは埼玉でも五人くらいだ。
僕はもうその幾人かのうちの一人だから。

そして負けるもんだから、
どん底に落ち込みながらまた這い上がって、
何度も何度も立ち向かうことになる。
「どんだけ敵が多いんだ」と言われたことがあるけど、
そう意味では敵ばかりなのは当たり前だ。
勝ち負けがあるそういう世界は修羅の道だから。
「芝居に勝ち負けは無い」って言うのは、無い世界にいるだけ。
ある世界にはある。

うっちゃんに悪意はない。
敵ではなくかなり味方だ。
ただ知らないことはある。
未熟でもあいつらは戦ってる。
うっちゃんだってそういうあいつらに、
あいつらの知らない世界の存在を教えたかっただけだ。
そういうことも分かっている。

でも、僕の苦しかったこの15、6年で何をしてきたか、
見てきたんじゃなくて、してきたか、
それはきみにも知らないこと。
そういうことがあると言いたかった。

明日はうっちゃんにお世話になる。
僕の前に現れるのはプロの照明家の一人の男だ。
もうかつての口だけの高校生ではない。
なぜなら彼もこの15、6年してきたことがあり、
それで今の彼があるってことだ。
無事本番が終わったら「ありがとうございました」と伝えよう。


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2011-01-03 松の内

のどかな正月休みでした。
元旦の朝は風が少しあるも快晴。
歩いて近所の小さな神社にささやかな初詣をする。
露店も出ていないようなところだが、
静かで落ち着いていて良かった。

翌日の二日は恒例となっている劇団の新年会。
旬の鰤を使った鍋と鰤カマの塩焼き、サラダとトッポギと磯辺餅を作った。
一通り作ったらビールと日本酒の冷酒、飲んですぐ寝ちゃった。
新年会でだらだら飲んでると、正月だなあって気がする。
そこに居る人たちが愛おしい気がする。
そういうことが良いことなのだ。
正月の年の始めにそう思えることは良いことだ。
そして夕方いいとこで切り上げて失礼する。
皆さん、後片づけお任せしちゃって失礼。
今年もよろしくお願いします。

そのまま少し遅れたが高校時代の友人である、
ヒデちゃんの家に行く。
夕食をご馳走になり、
ヒデちゃんの娘にお年玉を渡す。
そしてお父さんのアキラさんたちと麻雀をする。
これもまた、正月の恒例の行事だ。
今年はうっちゃんを混ぜての半チャン4回だったが、
成績はトータルでややへこみの二位。
ツキもほどほどの良い年ってことか。
一年に一回しかしないここでの勝負も、
恒例となっていて欠かせないことだ。

三日は買い物に出るだけでのんびりと過ごす。
明日からはもう正月気分を少し改めて芝居に取り組む。
他にもやらなきゃならないことはメモ書きして整理するほどある。
忙しいということは有り難いことであると捉えて、
またマイペースで走り出そうと思う。


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2011-01-01 新年明けましておめでとうございます

今年の自分に幾つか。
今年はもう少し身体を鍛えて本来の切れを取り戻したい。
一方で芝居はもっともっと頑張りたい。
自分の演技でより人を惹きつけられるような技量を身につけたい。
そして自分にとって人をゆっくりと認め、
自分でなるべく間違わないように真っ直ぐ歩きたい。
そして間違ってしまった人は許したい。
僕は間違った時は素直に認めてそれを反省したい。

歩いて行こうと思う。
楽しいと思う。

一緒に歩いてくれる人がいればその人達を大切にしよう。

いつかもっともっと自分が大きくなれたら、
もっともっとたくさんの人を幸せに出来たらいいと思う。

あと一歩もう一歩、遠くに行きたい。
自分だけでなくみんな連れて行けたら最高。

新年の初め、また新しい一歩を今まで通りに踏み出す。


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2010-12-30 年末の記憶

年の瀬というけれど、今年は色々しきりにやって、
意外と今はのんびりとする事が出来ている。

あとは今年最後の給油して車清掃して、
まあ車は洗わないでもいいかな。
また天気悪くなるしね。

今年あったことは忘れない。
あのビル風の夜。
大切な家族。
助けてくれた人たちの顔。
支えてくれた人たちの顔。

あの頃の冬の寒さは懐かしい。
あの時居た人は居ないけれど、
それも時の移ろいだ。
良いことも悪いことも取り混ぜて、
今年の冬をこうして過ごすことが出来るのを、
心安らかに良かったと思っている。


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雅さんへ。僕も年末年始、病気の母と一緒でした。母と一緒に居られて良かったです。 / あるまじろ ( 2011-01-03 02:17 )
大晦日です!なのに病人抱えて、大掃除が全然おわっていません〜。今年もバタバタと過ぎて行ってしまう感じです。 / 雅(みやび) ( 2010-12-31 11:27 )

2010-12-29 今年のことはまあこんな感じ

少し長い時間、僕が沈んでいた頃に、
一方でずっと芝居では勝ち続けた。
その間、少しずつ僕の時間は、
水底からゆっくり浮き上がるように、
本当にゆっくりと真っ当な感じになってた気がする。
僕の時間を取り戻してくれたのは、
本当に僕のことを考えてくれた人たち。
やっぱ人。
人生って人が作ってる。

そしてなんとなく今年、結果的には負けた。
実を言うと負ける予感はしてた。
いつも以上に力んで用意してたし、
負けるはず無い布陣で臨んでいたのに。

7月の終わり、最強のTが番狂わせで負けたのは象徴的。
あれって絶対何かの暗示。
それから自分のテイストでは分からない部分に、
常に不安を感じていたけれど、
それはそれで良いのかと思っていた。
自分を騙してたとこもあったと思う。

タカノ氏が言う、
「トンカツは大好き、カレーも好き、
 でもカツカレーは許せない」の世界。

結局日和ってたのかね。
そんなつもりは無かったんだけど。

それでも賭けるもんはきちんと賭けてたんだけどな。
まあ、損して得取れ。
得るものもあったんだから。
結局、浮くものがあれば沈むものもある。
全てを望むなんて虫が良すぎるって話。

それでも逆に自分の芝居では何か掴めた気がした。
ここから先に進むにしても、
そこだけちゃんとあるならなんとか。
自分の芝居なら次もなんとかイケるって。

ああ、富士が見える。
あんときゃ確かにそう思ったね。
きれいだなって素直にそう思ったんだ。
傷はまだ残ってたはずだけど、
不思議と、まあいいかって思えたんだ。


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2010-12-26 5000m上空からの富士のシルエット

夕暮れの迫る雲海の中に頭を出した富士山。
飛行機の窓からしばらく目が離せなかった。

太宰が小説の終わりに見た「ほおずきに似た」という富士は、
母の追憶から生まれたものだったか。


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2010-12-25 上空は明るい雲だった

遠い雲の向こうに夕日が迫ってきてる。
雲の半分はアンバーに染まってる。
2010年も25日を終わると、
そろそろ夕暮れだね。

さよなら、さよならって手を振りながら、
遠く彼方へと過ぎ去っていく。

あの時見た風景も、
もう色褪せてしまった。

そういう記憶でも大切に思えることが、
今年良かったこと。


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