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Juneの「日々の想い」

日常のちょっとした想いを書き留めてみたいのです

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2004-03-08 長男の卒業式
2004-03-05 入金
2004-03-04 二男の進路
2004-02-26 結婚記念日
2004-02-26 最悪の日
2004-02-26 長女の災難
2004-02-02 LA旅行記
2004-01-18 頭にくる!!!
2004-01-09 お葬式の手伝い
2004-01-03 帰省


2004-03-08 長男の卒業式

長男の卒業式でした。

彼が3年間通った高校。
新しい校舎が出来、
男子校だったはずが、去年から共学になり
ミニスカートの女の子が校庭を闊歩する。

彼にとってどんな3年間だったのかな?
そう悪くはないと思うのだけれど…

同級生と笑っている彼は
ごく普通の高校生に見える。
ほとんどの級友が同じ学部に進み
卒業という感じはしないという。

4月からは彼も大学生。
有意義な大学生活を過ごして欲しい。

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2004-03-05 入金

母が二男のためにとへそくりを送金してくれました。

ありがたいとは思うけれど
これはもらえない。
お正月にももらったばかりだというのに。
有り余っているわけではないし。
何かのときのためにと
こつこつためていてくれたお金。
涙が出るほどありがたいけれど
やはりこれは返そう。

とりあえず、それで二男の授業料は払って来ました。
まだまだかかる費用は、これで終わらないのだけれど・・・

よかったという喜びは
お金の苦労に変りました。

この苦しみは、まだまだ当分続くなあ^^;

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2004-03-04 二男の進路

もう来ないだろうと思いながら帰った学校が
二男がこれから通う事になる。
ここが彼のこれからの三年間を過ごすことになるのだなあ
と思った学校に辞退届けを出しにいく。

世の中とはなんて皮肉なものだろう。

この3週間、本当に長くて辛い日々だったのに
過ぎてしまえば、まるで悪い夢でも見ていたようで
何を小さなことでくよくよしていたんだろうと
我ながら呆れてしまう。

彼自身も自分の進路が決まった事で安心し
それとともに周りの事まで気を配る余裕ができ
友達を思いやることができた。
自分の痛みを知っているから
他人の痛みもよく判る。
自分のせいで枠をひとつ減らしてしまい
なおかつ、自分は辞退した。
そのせいで、友人の進路を変えてしまった
という可能性。
手放しで喜べないという彼の憂愁。

こちらも余力があったのではないから
仕方のない選択ではあったのだけれど
世の中とは本当に皮肉なもの。

こういうことがこれから一杯あるはず。
一つ一つ乗り越えて行かなければ・・・

今回の選択は
果たして正しかったのかしら。
多分厳しい方の道を選択したんだろうなあ。
くじける事のないように
彼の健闘を祈るしかない。

とりあえず、おめでとう。
そして、がんばってね。

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2004-02-26 結婚記念日

何もない結婚記念日。

母からおめでとうのメール。
それで私も思い出した。
もう何年も思い出しもしなかったのに…

思い出さなきゃ、何事もない一日として過ぎていたのに…

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2004-02-26 最悪の日

   

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2004-02-26 長女の災難

   

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2004-02-02 LA旅行記

超格安ツアーに惹かれて思わず申し込んでしまったLA旅行。
娘2人と一緒に行ってきました^^

二男が受験で大変な思いをしている時に
かわいそうだな、とは思うものの
こんなに安く行けるなんて機会は
めったにあるものじゃないと
意を決して行ってきました^^;

もちろん彼の受験の日や
発表の手続きなどが重ならないよう
日を選びはしましたけれどね^^;

私の発表会の日も近づいていて
練習の問題もあったのですが
その日と重ならないように祈りつつ…でした。

出発は1月29日。
フライトは2時55分。

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2004-01-18 頭にくる!!!

長女の事で、また頭にきてる!

こんな雪の日に出かけるというのだって
いい加減にしろ、って言いたいのに、
迎えいるって言うから
お風呂にだって入れず待ってたって言うのに
今頃になって、
謝りの言葉もなく
お迎えはいらない、なんて
平気でメールしてくる
無神経な奴!!!

そうでなくてもここ数日
卒論の為と称して
友達の家に行くと言って
3日ほど音信普通になっていて
どうしちゃったのかとやきもきさせた後だというのに。

もう限界!

全くクレヨンしんちゃん、みたいな
他人に無神経な子なのだ。
それでいて
精神的にはものすごく弱くて
自分自身のことだけで精一杯で
自分の体のことさえもコントロールできない。
他人のことにまで
思いやる余裕はないのだとしても
一人で生きているのではないのだから
自己中で許されるわけがない。

とは思うものの
なぜか見放さない友達もいて
仕事も任されて
彼氏もいて
どうしてうまくやっていけるのだろうか
と呆れてしまう。

私にとっては
関わりたくない人種だなぁ^^;
自分の子じゃなきゃ
さっさと見放してるんだけどなあ(苦笑)

今日は朝から雪が降っていて
気分のいい日だったというのに
全く台無しになってしまった。
全くこういうことで気持ちがささくれ立つのは
勘弁して欲しい。

もう雪もやんでしまって
明日はいいお天気になるかなあ・・・

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クリックして、このタイトルが出ると思わず退いてしまうヨ。かなり頭にきてたんだな!”! / キヨミン ( 2004-01-23 10:26 )
まあ、「親だから」って、どっかで許してくれるものだと思って、甘えが強くでているのかもしれませんけど・・・(^_^)。 / 蒼惟 ( 2004-01-23 02:34 )
私もそんな娘さんみたいな人種の一人かも。弱くてしょうがなくなる時があるんだけど、なぜか一緒に居てくれて考えてくれる人がいるんですよね。でもきっと私の周りの人たちみたいに言いにくいこと、けっこうバンバン言ってくれる人達が娘さんの周りに残っているんだと思いますよ。私がそうだから。juneさんも娘さんに親としてじゃなく、同じ人間としてガンガン言ってもいいかもしれませんね。 / 蒼惟 ( 2004-01-23 02:32 )

2004-01-09 お葬式の手伝い

義両親の組の人が亡くなった。

もう18年も昔の事だけれど
義祖母が亡くなった時、そのお葬式を手伝ったので
組の女の人たちは煮炊きをするんだろうと判ってはいた。
まだまだ田舎なので、
おそらく今でも風習は変わっていないだろうと。

その日、朝義母を病院に連れて行く日だったので
早めに家を出て義両親の家に行くと
開口一番、義父が、大変な事になった、とまくし立てた。
この寒い中、義母を手伝いに出して
風邪を引かせてしまったらどうしよう、と。

私が替わりに出ます、と申し出るしかなかった。

本来なら、通夜と告別式と両方手伝うべきなのだけれど
ここに住んでいるわけでもないので
夜のは勘弁してもらって、告別式だけ出る事になった。

当日朝早く義両親の家に行くと
私の服を見て、汚すと困るから自分のを着ろと言う。
剥がされるようにコートを取られてしまい
自分のものだという古いコートとカーディガンを渡された。
むかえの家まで案内されて、そこの人に紹介され
一緒に手伝いの家まで行く事になった。

近所の組の人が7,8人集まって、おむすびを作るらしかった。
渡された服を着るとむっとカビのにおいがした。
しまいこまれていたせいで、かびているらしい。
とても着てはいられなくて、すぐ脱いだけれど
したのセーターにまで匂いが移ってしまって
気持ち悪くてたまらなかった。
見知らぬ人とおにぎりを作るのよりも
そっちの方がしんどかった^^;

告別式の間、台所で待機。
お茶を飲んで、暇つぶしの話をしていた。
式が終わって、最後のお別れをして欲しいと言われ
皆連れたって式の間のほうへ行く。
ただでさえ死人の顔など見るのは気が重いというのに
見知らぬ人を見なくてはならないのは勘弁して欲しい。
義父に用があるふりをして、そっと外に出る。
最後のお別れをしなかったとしても
罰が当たるまい。

出棺の後、少し片づけをして
後はまた夜に精進落しがあるという。
手伝いはないというので
食事は勘弁してもらって
手伝いは終了。

たいしたことはしていないが、
近所の付き合いの為に必要なのだ。
寒さと、気疲れでぐったりだった。
おまけに、あの服^^;

義両親は私が出た事で喜んでいて、
自分たちのときも頼む、というつもりらしいが
出来れば斎場でやって欲しいものだ。
それは、薄情というもの?

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2004-01-03 帰省

毎年恒例になっているお正月の帰省。

大晦日に行って、2日か3日には戻る、
という習慣が崩れてしまったのは
いつからだったろう・・・

実家が建て替えをしていた時もあったし
私が年末年始に休めないアルバイトを始めてしまったこともある。
それが今年は仕事もやめて
今年こそは行ける事になっていたのに
長女が大晦日にアルバイトの予定を入れてしまった為に
年末に行く予定が狂ってしまった。
その上、2日の日の夜にも入っているというので
2日の昼には帰らなければならないという
日帰りに近い強行軍になってしまった。

もう成人もしているのだし、置いていけばいいじゃない
とも言えるのだけれど
最近の彼女はまた素行がおかしくなり始めている。
夜遊びも頻繁だし
片付けも出来ないし
食べる事もセーブできないみたいだし
電化製品を使っても、スイッチを切るのを忘れる。
要するに一人で置いておくのは
こちらが安心できないのだ。
留守中に火事を出されても困るし。

という訳で
元旦の朝、彼女の帰りを待って
ぴーも連れて出かけた。
ぴーは車に酔うので
あんまり車に乗せた事がない。
なので、乗せ始めはひどく不安がって
大騒ぎをする。
約2時間の道中、
ぴーをなだめたり、抱きかかえたりで大変だった。
おまけに吐き戻してしまったし。

私の実家には両親が二人で住んでいるけれど
離れに弟の家族がいて毎日交流があるし
もう一人の弟も車で5分のところにいて
二人とも家の仕事を手伝っている。
両親はまだ元気に、動き回れるし
弟たちの家族も
私のところと違って
何の問題もなく過ごしている。

私の家族が来ていると知ると
弟たちも家族総出で集まってきて
皆で食事をしたり遊んだりする。
以前は、軽井沢へスキーに行ったものだった。

夕食は皆で持ち寄ったものを並べ
私がネットで手に入れた発砲ワインを開けて
皆で乾杯をする。
食後はいつものように
昔話になる。
あの時こうだった、ああだったと
懐かしい話に花が咲くけれど
夫や、弟の妻たちには
きっと面白くもないんだろうなあ^^;
ちょっと気の毒にもなるけれど
年に一度の事なので
まあ、許してもらおう(笑)

ぴーは慣れない場所なので落ち着かないが
私や夫がいつもいるので
そのうち足元に寝そべるようにもなった。
まるで赤ちゃんのようだ。
甥や姪も始めは怖がっていたけれど
すぐに慣れて触りたがる。
それがぴーをまた不安にさせるのだけれど(苦笑)

2日には朝ばたばたと支度をして
お昼前には実家を出た。
ゆっくり出来ないのを
両親には申し訳ないと思うけれど
なんだかそれでほっともしている。
実家といえども
私の居場所はもうあまりないのかもしれない・・・

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