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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

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2006-12-05 マキアージュのグロッシーグロス
2006-12-03 今日の一日
2006-12-03 グーグル先生その2
2006-12-03 グーグル先生その1
2006-12-03 リーダー・・・
2006-12-03 国、
2006-12-02 依存
2006-12-02 経営者たれ
2006-11-25 サンクスギビング後のマンハッタン
2006-11-23 両親の想いと私の理由


2006-12-05 マキアージュのグロッシーグロス

いつも見ているマキアージュのウェブサイト・・・

ここのCMがダイスキーでして、こー、女心をくすぐる(ひらがなで「ぱんつ」といえるような下着しか着用していなくても、女心というのはあるらしい)コピーやら絶妙なウェブ構造やら・・・いろいろ興味深いのです。いやいやあぱーれ・・・

で、時間つぶしに新製品のモニターアンケート結果のページにいってみた。

http://www.shiseido.co.jp/mq/html/result.html

冬の新製品のグロッシーグロス(この名前微妙)のモニター結果らしいです。

・グロッシーグロスの色・質感はどうでしたか?

良い(100%)



いやここはいいです。



・グロッシーグロスの仕上がりで最も良かったポイントはどこですか?

「ラメが細かく、輝いているような質感がありました」
「ラメが入っているのに変にギラギラせず、上品に発色するところがよかったです。以下略」
「色も程よくつき、質感もよかったです」

=存在感のある輝き

「きれいにツヤができるところがよかったです。存在感のある唇が簡単にできる点が非常によいです」

=厚みのあるクリアなツヤ

「色がきれいで、さらに唇もきれいに見えました」

=揺らめく光のような色




いや、なんていうか、あのモニター結果から存在感のある輝きとか厚みのあるクリアなツヤとか揺らめく光のような色とか、こんなあからさまなすばらしい表現がでるなんて、微妙に絶妙すぎて香ばしかったす(アメリカ人が作る履歴書のようなメイクオーバーぶりだ)。ので図書館で一人ふきだしてしまいました。




・・・健康オタク(日用品に関してだけだが)の私にとっては一生縁がない商品ですが、やはりこの香ばしさも含めてマキアージュは大好きです。

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2006-12-03 今日の一日

二週間分の洗濯

ランドリーにて、味気ないぱんつやらぶらじゃーやらをほかの住民に見られて恥ずかしい思いをする。だからといって私がもしもひもぱんを洗っていたら、見られても恥ずかしくないというわけでもない。だがしかし、これがもしも好きな男の子にみられたとしたら、

「いつもめがねかけてユニクロ服ばかりきてメイクもしない石沢さん、ヒモパンはいてたなんて・・・!」

というような意外性で彼の頭の中は小一時間ほど私とひもぱんのコトでうずまいてしまうであろうし、印象付けには危ない賭けのようなもんだがいい手かもしれない。というのを真面目に書いてしまうくらい、ばばシャツ、ばばぱんつはいただけないと思った。


味噌汁を飲む

アメリカに来て初めて日本からの輸入品を購入した。その名もインスタント味噌汁・・・。う・・・うまいよ・・・これぞ日本のソウルフードだよ・・・。どうでもいいが日本には高級志向な味噌汁専門店とかあってもいいとおもう。おいしい新潟産(郷土愛)コシヒカリつきで。京都のすばらしい漬物つきで。どうでしょうか飲食業界さま。あ、これはNYでも受けるかも。無駄に内装をスタイリッシュにしたりして(笑)


イソターネット

これこそ、2日前までペーパーで忙しすぎてネトサーフィンもする暇もなかった私に与えられた娯楽・・・!とか言うあたり、もう終わっている。面白い社会・マーケティング関係のウェブログを発見。勉強としてマーケティングをするのはどうかなーとか思うけど、勉強としては社会学とか文化人類学あたりってやっぱ楽しいな・・・。政治学も人間ドラマだったりするので面白いけど・・・


ひまじん

そして一日に数エントリーをたいぷしながら今に至る・・・。


インドアな一日・・・。アパートメントとアパートメントの間からみた空はとっても青くて、過剰なヒーティングに耐えかねてあけた窓からはとっても冷たい風が流れ込んでいた。


12月だ。このセメスターも、今月で終わり。

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2006-12-03 グーグル先生その2

(その1の続き)
断言すれば、うちらの信条は、「質のいいもんつくれば利益はあとからついてくる!」なんで、いろいろ作ったりするときにはいつも利益とかはかんがえませーん。

→(つぶやき)こういうのを公言してしまう会社にもわらわらと投資家が集まるっていうのはあれかね、googleが作ってgoogleがインターネットの中で広めた考え方でしょうか。私はこのごろ、ネットの普及=質の高いものがより注目を集めやすくなった流れと思ってやみません。みんなが言ってるように、googleが作ったフレームワークの中でインターネットは動いている、ていうのはまー半分本当かとも思います。googleは情報を整理させ、ユーザーが求める情報のアクセスを容易にしました。それは、やはり「質の高いものがより評価される」動きの素地の一部を作り上げたということでもないでしょーか。


自分が思ったことのまとめ〜。

・グーグル先生にとって広告とは情報の一部であり、ユーザーにとって有益な情報をより容易にアクセスさせるのがグーグルの役目。既存の「広告やさん」とはまったく違うアプローチで広告というものを見ている。が、そのアプローチがgoogle教の基盤であるインターネットに案外まかり通っている雰囲気。
インターネットで上手く何かを売り込みたいのだったら、googleが持つ概念である「広告=情報」を逆手にとるのがいいとおもうんだ。「情報が整理されて、いつでも簡単に引き出せるようになる」ということは・・・みたいな。それかgoogle先生に習って、「ユーザーに役立つ情報として機能する広告」にフォーカスしてみるとか?

・googleはやはり、「よいものが正しく評価される」という今のインターネットの流れを作り出した一人だとおもわれる〜。まあ、「よいもの=アクセス数、およびよいサイトからのリンク数」である範囲だけど。

・そもそも魅力的な「会社の見せ方」がとっても上手いところなんだなーってのが私が感じた印象。理念からしてぶっ飛んでると思えば(外から見てるからどうかわかんないけど)それをちゃんと実行して、会社として結果をだしている。「遊び心のあるイノベーティブな会社」という位置づけは私が知ってる限りグーグル以外見当たらないっす。

ってそんな感じ。
googleの人から話を聞くと、やっぱりあらゆる意味でグーグル先生はいろんな概念を塗り替えては面白おかしく新しく作りだしていっているというか。か。

で、そこでgoogleの求人パンフレットに目を落としてみると

「広告営業のノルマはあります」

あ・・・れ・・・・・・・・・・・
でもでも、まあ、なんていうか、うん、まー、googleの会社である理由をちょっと垣間見た瞬間でもあり・・・


後日談でこのグーグルブースで頂いたティーシャツ二枚は彼氏が持って帰り(友達に自慢するらしい)、グーグルブースで頂いたグーグルメモパッド、グーグルペン、グーグルキーホルダーなどは、すべて彼氏が持って帰りました。企業のグッズにこんなに価値があるっていうのも(一部のギークな方々の間でだけだけど)そうそうない・・・

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2006-12-03 グーグル先生その1

大学では、googleを「google先生」と崇め奉るW3C(ワールドワイドウェブコンソーシアムって名前だった気がする)関係の人々に囲まれぬくぬくと育ってまいりました。グーグルグッズを入手するたびに、「わっきゃーー!!」と喜び、W3Cの皆様と分け合う習慣も出来ているのだから多分google教ってのがあったら世のウェブ関係の人々はみんな入ってしまうんじゃないかとおもいます。

そんな私は当たり前のようにボストンキャリアフォーラムでgoogle先生のブースに足を運んでみました。実はなんと

http://www.mediologic.com/weblog/

この人が、googleブースにおられました。名刺頂いて後ほどそれこそググったら案外有名な方だったのね。

その彼がいまやグーグルの広告やさんをやっていて、「Googleの広告ビジネスについて」というプレゼンをやっていましたのでそそくさとのぞいてみました。覚えている限りで内容を羅列してきまつ。

僕らって、何考えてるのかってよく聞かれるけどさ、「情報を整理したいだけなの」。だから、僕らにとっては広告も情報の一部。情報として価値が高い(クリックされる&リンクされる)広告ほどアドワーズの上にいくし、お金出してもらっても、価値がないんなら下にいくしかなくなります

→(つぶやき)Google教キタコレ。インターネットはグーグルの作り出した価値観で動いてしまうというすばらしい基盤がなければこんなん言えないと思われます。グーグルに金を払う広告主様よりも情報としての価値を優先する考え方!(笑)

で、まあGoogle Japanとして広告のお仕事は、まずやっぱアドワーズとかアドセンスとかで何が出来るかってことになるよね〜。たとえば、検索ワードの特性をアルゴリズムで分析して、似通ったカテゴリの検索ワードに広告打たせるとかさ。やっぱり、うちらって「情報として価値があるかどうか」、「ユーザーにとって有益な情報を与えることができるか」に重点をおいてるものだからさ〜。

→(つぶやき)google先生の広告の捕らえ方はgoogle教の基盤であるインターネットの中でこそ有益になるという思いはやはり強まります・・・。「広告は情報、ユーザーにとって有益な情報をよりアクセスしやすくするのが私たちの役目です」と、いかにもgoogleでしか言えないようなことをさらりと言ってしまうのがやっぱりgoogle。

余談だけど、みんななんでyoutube買収したのか言うよねえ〜。ただ面白そうなことができそうだから買収したってのが本音で、どんなことが出来るかは考え中〜。

→(つぶやき)youtube買収したググール先生の意図は!?とかネット上で騒がれてましたが、私、googleってただ「ネット上で強大な力を持った純粋に面白そうなもの好きな連中」だと思ってたんだけど、やっぱりそうか的な。(でもgoogleの収益って結局広告なんで、youtubeの動画に動画広告はさむことも考えたのかなーとも思うけど)

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2006-12-03 リーダー・・・

はっ

としたエントリ。

http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2006/05/_lost_technical_1096.html

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2006-12-03 国、

アメリカにのまれそうになってしまうときがある

アメリカを捨ててしまいそうになったアメリカ人に会った

この国に希望が持てないんだ

戦争をしてる国でもあるに関わらずバーにいけば周りはみんな上気だっている

笑い声が聞こえる

お酒によわい私に、と甘いカクテルの名前をバーテンダーに伝えるこの彼の横顔には

アメリカという国が半分見えない


大いなるパラドクスを内包するこの国において国の形を語るのは不可能に近い


しわだらけの米国ドル札を数えながらこの国でよく見るバーテンダーの笑顔を横目に見る

アメリカという名前だけがこの国では確かなもの

その名前の強さに疲れ、そのパラドクスの深みにはまったこの彼は


自分が背負う名前を変える権利だってあるはずだろう、

と笑う



外は風が強い。

川辺の公園を歩く。対岸からニュージャージーの光がちらちら見えては時々木の枝に隠れる



自分が今この国にいる意味を問う
頭をぶんぶん振って考え込む私の横で彼は来年からどの国に住むか考えていた

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何か酒気のあるものを頼まないといけないときは、とりあえずファジーネーブル! 飲みすぎは注意だけど、ジュースみたいで良いよ。 / りぃな ( 2006-12-03 23:22 )

2006-12-02 依存

自分以外のものに依存すると自分が弱ってくるのがわかる


ほかの人の存在
ほかの人からの言葉
まわりの環境



依存する、ということと
頼る、ということは根本的に違うものだ



依存は、自分の選択、判断を麻痺させる。
要は自分自身の存在価値をすべてほかのものになすりつけてしまうということ

ただ、人は容易に依存しやすい

簡単なのだそのほうが

依存していたものが壊れた、そのとき
自分は声を上げて泣いていたことに気づく

それがなければ自分が存在できないからだ

というのも大げさだけれども、それに近い感情



依存する、ということは自分自身が自分自身の力で前に進むのをやめて
ほかの力をもって明日に到達すること

自分は何もしないのだ
何もしない、依存する限り

簡単なのだそのほうが



ただ、自分の足で歩かないと、自分自身が前にすすまない

環境に依存するのではない
ほかの人に依存するのではない


自分が置かれている環境で、
自分が回りにいる人の力を借りて

自分で進まなければ、

依存したものがなくなるときに自分が頼りなさ過ぎて


声をあげて泣いてしまう






自分の存在だけで生きていける世界ではない
でも、自分の意思なしで生きていける世界でもない

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はっ。何も説明なしで申し訳ないのだが、君の考え方が、どうもそのゲームの主人公の考え方と似てるんだよね・・・。 / みほ ( 2006-12-03 08:06 )
Fate/stay nightというPS2ゲーム(来年一月発売)(ていうかPCゲームでもう発売されてるけど)をやってみるといいとおもうよ君。うん。 / みほ ( 2006-12-03 02:27 )
時に人は、依存することの方が難しいと、そう思うこともあるよんwただ、近くに人がいると、そこを自分の一部と感じてしまうような。それもまた依存なのかと、思う今日この頃。どうもneko//ですw / neko// ( 2006-12-02 19:37 )

2006-12-02 経営者たれ

別にここに彼氏が時々見に来ているから彼に関することは書かないで置こう・・・とかそんなことを思っているというわけでもない。

日本での大学では、経営者になったこともない、ていうかむしろ社会経験もないような学生にたいして「組織経営論」なんて無駄に近い授業が存在して、面白半分で履修したことがある。

某有名外資系コンサルのパートナーだった先生がおっしゃるには、
経営者というものは「大きな絵を描き続け、それを魅力的に、とっても魅力的に見せるように社員に伝えることができる人間」を言うらしい。その企業の業界中の位置づけ、特性、そして目指すべき方向、それを達成するための大まかな指標・・・などなどなど。

世の中のベンチャー起業家は多分いろんなビジネス書を読み、このような経営者たれ論を頭の隅に常においているのかもしれない。

ここでの皮肉は、日本でまかり通っている経営論は概して大企業に向けられたものであり、スタートアップベンチャーの経営論的なものがあんまり広まっていないことかと思われる。いや経営者になったこともない、ていうかむしろ社会経験もないような学生が思っていることなのでもしかしたら、ちゃんとスタートアップベンチャー経営者の間にバイブル的なベンチャー経営論みたいなものが存在しているのかもしれない。

でも、私が見る限り、そんなにない。で、何が起こるか。数人でまわっている会社の経営者は、大企業の経営論をそのまま自分の会社に当てはめてしまう。大きな絵を書けばいい、仕事のねたを拾ってきて、その実行をほかのメンバーに任せきり・・・とかとかとかとか。

で、何が起こるかその2。メンバーが仕上げた仕事にたいして、「こんなんじゃないんだけどー」と不満を漏らしてほかのメンバーとの溝を深めてしまう。おいおいおい。小さな会社の経営者は、大きな絵を描くアーティストであればいいというわけではない。逐一コミュニケーションをとりつつコンセンサスを確認して、細かな期限を設定しつつ、大きな目標を忘れないようにさせるとかいう「大企業でいう社長とその参謀役」があわさった行動をしなければ物事が進まない。

スタートアップの経営者は学校でやるグループスタディのリーダー格みたいなもんだと思う。そのような人間が、突然「じゃ、こんなアイデアを、これを目標にすすめていくってかんじで。んじゃ、みんながんばって、期待してるよ」とかいっていすに座りながらテトリスはじめて、メンバーのリサーチが終わったら「えーこんな感じじゃないじゃん」といってしまうようなリーダー・・・。無理にきまっているのだ。

そういえばもうひとつ。会社は小さければ小さいほど、「自分の会社は自分のもの〜」的意識が働く。だけど会社という組織が出来上がってしまった以上、自分だけのものではないのだ。自分のものだからー、という意識が働くと、「やっぱ大企業の経営者みたいにピラミッドの上にたって、大きな絵を描き続けるべきだよなー」と思いがちだ。

スタートアップはグループスタディなのだ。ヒエラルキーが存在しては、上手くまわるわけもない。「ともにつくりあげていく」的精神が必要だ。グループスタディとひとつだけ違うところといったら、責任の所在が書面化されて、経営者にいってしまうこと位なのだ。

はい、スタートアップベンチャーの経営者はグループスタディのリーダー格であれ、ただ、責任の所在を自分にあてろ(そのために利益配分が一番大きいんだから)ということを肝に銘じるべきだと思います。

とかいう、超まとまっていない文章ですが、(眠い)まあがんがれ>彼氏

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2006-11-25 サンクスギビング後のマンハッタン

は快晴!私、ひきこもり!


カゼひいたらしい。寝不足が・・・栄養の偏りとか・・・


アメリカにきてから日本にいたときよりも体調管理ができていない・・・
簡単に昼夜逆転するし、自炊もこの部屋にうつってからほとんどしないというのはどういうことか
(ピザピザピザピザサンドイッチピザピザラーメンピザみたいな・・・)

そもそも外国で自炊というのはこんなに精神的障壁が高いものだったのだろうか?

日本にいたときはほぼ自炊だったのに・・・

はあ・・・


あと少しで締め切りのながーいペーパーの締め切りがおわったら生活習慣を
考え直そう。



サンクスギビングは、実は前のパーティよりも超こじんまりしていた。どれくらいのこじんまり度かといえば、私以外はみんな親戚の集まりだったってことで、あの超豪勢なアッパーイーストの部屋に親戚一同集まっていた(私抜かす)

こんなパーソナルな場面に招待していただいたのはとっても光栄なことでした。た。ホストのおじちゃんは、「この部屋引き払ってほかに行こうと思うんだけど、いる?」とか笑っていた。呼んでくれた先生は「私の日本の別荘の草刈を定期的にしてくれたら君の資産運用してこの部屋買う足しにしてやってもいいよ」とか言っていた。

あ、その、えー、この部屋っておいくら億円?

ホストのおじちゃんは、葉巻をくわえると、イタリアマフィアのドンって感じです。(これってほめ言葉らしいよ)

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2006-11-23 両親の想いと私の理由

久しぶりに電話をした両親は、どことなく冷たい。

私が年末は早く帰ることができないと伝えたからだろうか。

両親は、いつもそうだ。特に母は。彼女は私が日本にいたときでも、頻繁に電話をかけてきては、「次の夏休みはいつこっちに帰ってくるの?」と聞いてきた。新幹線に遅れて乗ったときでさえ、事前に伝えていた到着時間をすぎると「まだ着かないの?」と確認する。

一人暮らしじゃあ、こんなご馳走食べれないからねえ・・・

そういっていつもそれはそれは豪勢な食事を出してくれる。

何か、服はいらないの?

実家暮らしだったときよりもずっと頻繁にそう聞くようになった。

もうどうせすぐかえっちゃうんでしょ、今しか買ってあげられないんだから・・・


「早く顔がみたいのよ」このようなことを一度も言われたことはないが、両親は私が感じる以上に私の帰省を楽しみにしてくれている。「いや、学校の予定があって・・・」と言うたびに、とてもさびしそうな顔を電話越しに感じる。私にとっては時々顔を見せて元気にやってるよ、と伝える程度の帰省でも、彼らにとっては長い間会わなかった娘に会える「待ちわびるべき機会」なのだと、神奈川のアパートでは作れないような天ぷらとか、味が染み渡ったフキの煮物とかを見るたびに思う。

段々年をとるたびに忘れていくのだ、両親がどれだけ自分を気にかけているということを。段々私たちは自分が自ら作り出す世界に入り込んでゆき、両親が用意してくれている世界に顔を出すことが少なくなってゆく。私たちは段々年をとる度に両親の助けを必要としなくなってゆく。それでも、

彼らが私たちを見るまなざしは、彼らが私たちに注ぐ愛情は、私たちが生まれるときから今まで何ら変わることはないのだ。

どんなに私たちが自分が作り上げた世界の中に浸かって彼らを忘れる日が多くなっても、彼らは私たちを忘れる日は一度もないだろう。忘れる日などないのだろう、私たちが生まれてから一度も。

だからこそ彼らは私が年末に帰省する日が遅くなることにがっかりしたのであろうし、理由を説明しても、ため息をつかれるだけだったのであろう。

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そうだねー。早く帰ってあげたいものですが、が、やはり私は東京にいる友人たちも大事なのじゃよー。親は何をしたって疎遠になることはないとかいう甘えからかな。だからこんなエントリ書いてみました。 / みほ ( 2006-11-24 13:11 )
生まれて始めて生きる世界は、親が守ってくれる世界。親はすべてであり絶対でした。でも少しずつ自分というものを意識して自分の世界を作っていく。いつか子は親から離れて、親は子から離れないといけないんだろう。それでも、どんなに違う世界で違うことをしていても、「親子」であることは変わらないんだ / neko// ( 2006-11-23 19:29 )

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