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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

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2006-11-09 アメリカの高等教育
2006-11-07 うおおお
2006-11-07 アッパークラスのホームパーティ
2006-11-03 I love Nihon!
2006-11-02 強さ
2006-10-30 パキスタンからきた脚本家その2
2006-10-30 パキスタンからきた脚本家
2006-10-29 おばさん
2006-10-29 自信、
2006-10-27 くりえーたーうらない


2006-11-09 アメリカの高等教育

NYは雨である。

しかも土砂降りである。ザザザザザー。


それなのに、どのクラスに行っても出席率がいつもとかわらない、と
いうのは目を見張る。
ほんとうーーーーーに、日本の大学はもっと勉強厳しくさせてもいいんじゃないかとも思ってき始めた。

結局日本の大学にある、自由=自分で選択をする責任、なんて思ってる人は限りなく少ない。なんとなく学校休んでバイトして遊んでるのが大半なのだ。
私の友人には、授業がユルユルなのをいいことに起業しちゃったり、ガクセイイベントの大王みたいになっちゃったりする人がいるけど、そういう人は超超少数派なのだ・・・

こんなアクティブすぎるほどの活動をしている大学生くらいの年齢の皆さんは、ほぼ学校を辞めてる。それか、休学している。だって、学校にいたらそんなことできないからだ。勉強に追われる毎日だから、起業?え?ムリムリみたいな・・・。でも、休学してる人がおおいのは、なぜだろうと思ったら、アメリカの大学は復学が可能なのだ!10年経っても20年たっても学校に籍をのこしてくれる(これ、最近知った)。

某あべ首相は「再チャレンジ」とかいう政策を掲げているらしいが、そこまでしたかったら、日本の大学のこの融通の無さをどうにかしてくれ。

余談だった。で、結局、日本の大学の卒業=ちゃんと学校で学びました、ではない。起業しちゃっても、イベントの大王になっても卒業できちゃうのだ。バイトと合コンばかりで4年間過ごしても、卒業できちゃう。でもアメリカはそうはいかない。卒業したかったらまじめに勉強してよというのが大前提だ。途中で勉強する気が変わっちゃったら退学なり休学なりすればいい。でも、復学はとっても容易だから多くの人が、勉強しましたよ、という証明をもらいに大学に復学する。うただひかるみたいなもんだ。ていうか、うただひかるが私がいるうちに学校に戻ってきたりとかしないんだろうか。

また話がそれた。だから、アメリカではいっちども「大学のころ、まじめに勉強しとけばよかったわ」なんて話はきかない。大学に入ればまじめに勉強せざるを得なくなるし、やめていても、すぐ復学が可能だから、後悔するまえに実践できる。え、あんがい素晴らしいよね、これ。

自分で書きながら自分の考えってこーだったのかーと思うときはたたあるけど、これを書きながら、アメリカの高等教育システムというのは素晴らしいんだなあ、とつくづく実感した。ここは日本も絶対に見習うべきだ。そしてちゃんと大学で勉強した若者をよせ集めて政策シンクタンクを立ち上げてくれ(別の話になった)。

・大学を勉強させるための場にさせる(テスト厳しく、宿題厳しく、成績容赦なく。ただそれをフォローさせるためのTAとかのシステム(テスト前のリビューセッションとか、ついてけないガクセイのための相談とか)をちゃんとさせないと、ギブアップするものがでてくる)

・復学を容易にさせる。(そうでないと、起業したい学生とかイベント大王になりたい学生がジレンマにおちいってしまう。)

この二つが日本の高等教育に必要なことかと思われますがどうでしょうか。
ていうか、私最初は長靴について語ろうとおもってたんですけど。

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ほんと〜?ディベート!懐かしい。うちらのディベサーでは、Hello ladies and gentleman.Today, under the motion that American education is better than that of Japan, we, as the government side,,,,とかはじめるんだよ。。。ゲームとしてのディベートは大好き。でもそうでなければ頑なに信じているというわけでもないので、こんどネコ君の意見でもきかせてよ。 / みほ ( 2006-11-10 11:10 )
なんか、おもしろいこと書いてるねー。時間あったら是非でぃべーとしてみたいですわ。 / neko// ( 2006-11-10 02:23 )

2006-11-07 うおおお

もうこんな時間だああ

朝9時の歯医者なんて予約せねばよかたー


でも歯イタイ・・・。

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2006-11-07 アッパークラスのホームパーティ

昨日は、知り合いの誘いでアッパーイーストサイドで行われたホームパーティに呼ばれた。

アッパーイーストサイド、制服を着たドアマンが玄関ごとに立っていて、中にはいるととってもうまいぐあいにニコっと微笑みかけてくれる。

シャンデリアと高級骨董品で敷き詰められた部屋(壊すんじゃないかとずっとビクビクしていた)は、ともかく「子どもなしで資産は沢山ある50代夫婦」ってかんじ。そこにいた人々は、不動産投資家、投資銀行勤務、DCの弁護士、大手投資銀行の顧問弁護士、金髪の綺麗な若いお姉ちゃんさえも、弁護士・・・というようなそうそうたる白人のアッパークラスなメンバー・・・。

そこにコテコテ日本人の私がひょこっと現れて、ワインじゃなくて、スパークリングなブドウジュースとか飲んでるんだからさ・・・。

パーティのオーガナイザーであるおじちゃんは、綺麗に整理されて、綺麗な絵画がかかってある廊下を抜けて家を案内しながら、

これが、君が今いる大学の卒業生が住むような家だ

とか私の目を見て言う。多分、大学の寮の環境があまりにも悪いから、職をもったら反動でこんな素敵なところに住むようになるんでしょうね!!としかいうコトがなく、そのすぐ後にハッハッハという、いかにもアメリカな高笑いを聞いた。

皆、こー、アメリカ人によくある満面の笑みで、会えて嬉しいわ!と声をかけてくれる。抜群の会話運びで(なんてったって社交慣れしてるんだこの人たちは!)メンバー全員にまんべんなくスポットライトがあてられる。

不動産投資家のオバサマが、オーガナイザーのおじちゃんに一枚の紙切れを渡して投資にどう?とか勧めている。それは、マンハッタンのど真ん中にあるマンションの案内で、彼女いわく「マンハッタンのど真ん中にいるのに、そう感じさせないリラックスな雰囲気があるの!」写真には、悪趣味になるスレスレの豪華なゴシック庭園と、これは完璧悪趣味なキラキラ光る部屋の内装が映っていた。

おじちゃん夫婦は紙切れに魅入っている。もしも決まったら数億のお金がサラリと動く。新しい事業の寄付金の話をする弁護士もいた。日本円にして2億くらいのお金が集ったから、いよいよだよとかいってた。

ブドウのスパークリングジュースをちびちび飲んでいる私に皆が高級ワインを勧めてくる。いやー、あんまり飲めなくて・・・とか拒んでみたけどためしになめてみたらとてもおいしかった。おお、さすが高級ワイン。年代モノの高級ワインが高値で落札されちゃったなんて話もあるくらいだし、日本でワイン投資系のビジネスしたいので出資してくださいとか言ってみると、ハッハッハーじゃあ私はミホに1ミリオンあげるわーとかいう人々だ。

パーティの最後、オーガナイザーのおじちゃんが、感謝祭も呼ぶからね、といってくれた。もっと大きなパーティになるらしい。横にいた知り合いの先生が、「感謝祭のパーティによばれるのはラッキーだよ」とつけたした。ラッキー・・・アッパークラスの生活をちょっと覗けるからだろうか。

自分が今いる世界と全く違う世界を垣間見るのは楽しい。自分ひとりで仮面舞踏会でもやってるみたいなもんだ。一人だけ仮面をつけて紛れ込む。オーガナイザーの奥さんから、あなた、本当にアメリカ人みたいね!とまた言われる。

アッパークラスなアメリカ人用の仮面。

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せれぶ・・・うへー。実は私の夢は、自分で生活できるほどのお金と、お絵かきをする余裕でつ。日本でいうセレブ系とは違うっす。でも、あの家は凄かった。いや、まじでアッパークラスの人々だった。ああいうアッパークラスカルチャーは日本にないっすね・・・。ていうか、ジェフリーアーチャー?どんな小説ですか? / みほ ( 2006-11-09 06:32 )
おおお、貴重な体験、うらやましいです。ジェフリー・アーチャーの小説に出てきそうな世界。いずれみほちゃんもセレブになって、そんな世界に私を招待してください(笑) / みなみ ( 2006-11-07 15:47 )

2006-11-03 I love Nihon!

日本特有の政治コンサルの必要性、真にフレキシブルになるべき社会、そして新たなブランディング(こういう言葉って、なんか使えこなせなくてムズムズするんだけど・・・ブランディングって・・・おいおい)が必要な日本。パブリックディプロマシーと、ソフトパワーを発生させるためのツール。

いや、ここにきて、日本を思ううちにぽっと出てきた色々な考え。や、アメリカから習うべきことは沢山ある。そして、アメリカから習うべきでないことも。


でも、ここを良くすれば日本はもっとよくなる、というコトガラを若者が考えることができる余地があるということは、私達が日本を良くする余地が残っているということだ。

フロンティアだフロンティア!そういう意味では日本はまだまだ私達にとって魅力的だ。

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退屈になると、ウツになりますorzだから、脳内妄想ばかりするようになったのかもしれません。みなみ姉さんも絶対退屈しないよなあ。子どもがいれば毎日がドラマでつねえ / みほ ( 2006-11-09 06:28 )
そういう考えができる人はどこへ行っても退屈しない。自分自身の中にもフロンティアを見いだせるからね。 / みなみ ( 2006-11-07 14:15 )

2006-11-02 強さ

彼氏の前ではよく泣きます。きついことを言われると泣きます。(でも研究会の先輩から人格否定のようなこといわれても泣かないので表向きは大丈夫)

そんな彼はもはや私の涙に一ミリも動じることはありません。(Sad!) ただ、ぐずって鼻水たらしてる(鼻水たらさず美しく泣く方法教えてください)私の前で、「精神的に弱い」と一度も言われたことがないので、もはや涙が私の武器になり得てなくても、まあ許せます。

弱さとは、きついことをいわれたらすぐ泣いてしまうことをいうのでしょうか?よく、プライドの高い女性が、「ココで泣くものか、弱さを見せてたまるか」とココロの中でつぶやく、そんなシーンがあります。が、人前ですぐ泣くことは、それは弱さでしょうか?

「泣いたって何も変わらないよ」とはよく言うセリフですが、ある意味本当にその通りです。泣いても、変化を引き起こすことは不可能に近い。ですから、泣いたという行為のみでは弱さを見ることはないんじゃないでしょうか。時間が経過しても、変化を引き起こさないことが弱さだと私は思います。厳しい指摘を受け、その反応として泣いても泣かなくても、自分を見つめることなく、変化を起こさない、それが弱さです。

(理にかなっている)厳しい指摘ほど真に受けるのは勇気がいります。人間は元々安定を求める傾向がある気がするので、厳しい指摘からくる劇的な変化にはかならず躊躇します。それで自分を変化させないのだったら、それは弱さと言えるでしょう。

逆に、どんなに人前で泣いてしまっても、その後自分を見つめる勇気を持ち、自分を変化させることが可能だったらそれは強さだと言えるのです。泣くこと自体は反射的な反応と捉えてもいいかと思います。その後の行動の有無で強さや弱さをみることができるのではないでしょうか。

・・・電話ごしに鼻水すすってる私にたいして「よく泣くねえ」と彼氏がいったんですよつい前・・・。で、こんなことをいい訳としてつかって、その場をごまかしてまつた・・・。

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Steven, yeah, we must talk later!(about,,,oops) I am okay, what I mean is (don't worry, that music doesn't come out this time) I am sooo much stressed out with my job search and my study especially this moment,,,,haah,,,,orz / みほ@Cuddle!! ( 2006-11-03 06:25 )
ねこくん、ひさ〜。どうよ卒論(笑)自分を変えないことも強さであるときがあるのは確かなので、申し訳程度に「理にかなった指摘には」という条件をつけているという分かりにくさ。涙に弱い?よわそ〜(笑)確かに涙は相手を変えるかもしれないけど、泣いたところで自分は変わらないしねえ〜。はあ。このごろ涙よりも鼻水が先に来るよww / みほ ( 2006-11-03 06:21 )
Hey, hope you're feeling alright, itsuka hanshiyou, huuugs / baka boy ( 2006-11-03 04:43 )
おひさ〜。たまに見てるのよんw強さ・弱さって場面によって、捉えられ方で姿を変えるよねー。ちなみに僕は涙に弱いです(涙で変化w) / neko// ( 2006-11-02 23:09 )

2006-10-30 パキスタンからきた脚本家その2

それでも、私はドゥパッターを身にまとい続けることをやめない。パキスタンではこれを身にまとわないで外に出ることはなかった。これを着る事で、私は自由を表現する。着ると言う選択を行えるのだ。そしてこのドゥバッターはパキスタンでの私を忘れないための、ただ一つのより所なのだ。

自由、この国で自由を得るためにこの民族衣装をまとう。それは、もう私の目的になりかけている。自由を得るのだ、より広く、深い自由を。真に抑圧の対極をなす自由を手にするまで、私はドゥバッターをまとい続けるのだ。それまでは、私はパキスタン女性を描写しきれない。もう、アメリカにきて、2ヶ月がたった。

私は次の講義に行くために道路を渡ろうとしていた。ここの信号はいつも待たせられる。そこに、ヒスパニック系の男女が、大きな声をまくし立てている。「そう、手をあげるんだよ、おばちゃん、あんたならできるよ!」

声の先を見ると、ドゥバッターをまとった老女がとても控えめに道路に対し手をあげていた。パキスタンから?彼女は何をしてるんだろう。ヒスパニックの彼らは、タクシーという単語を連発している。老女は、タクシーをつかまえたいのだろうか?

彼女は、歩道の先で突っ立っている私を捉えた。ああ、この感覚、自分が麻痺しているような抑圧感、自分の意見が音声を伴わない失望、自分を表す型をもちえない感覚。彼女はそれらをいまだに、このアメリカで抱きながら道路の前で立ちすくんでいる。

ウルドゥー語で彼女に話しかけた。「おばさま、タクシーを拾いたいなら、運転手に分かるように・・・」このアメリカでは、自分の存在をアピールし続けなければ。彼女はもう、自分の型を持つことを許されている。もう、ここは、パキスタンではない。

「手をもっとあげて!」

すぐにタクシーはつかまった。老女はお礼を言いながら、車に乗り込んだ。「お嬢さん、ここでタクシーをつかまえるのは、勇気がいりますね・・・・」

私は、この類の勇気にはもう慣れたのだ。自由な自分自身を勝ち取るための勇気。ああ、そうか、もう慣れているのだ。すでに手に入れているのだ、この自由を。

そろそろ、この自由を手段にしてしまってもいい頃だろう。

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2006-10-30 パキスタンからきた脚本家

隣に座っている男、ラギーは同郷で、官僚だった。目の前に座っている日本から来たアンダーグラッドのミホコという子はラギーが頼んだチップスをつまみながら、けらけら笑っている。「へえー、じゃあ、ふたりはパキスタンからきたんですね〜」抑圧という言葉を知らないで育った女の子、彼女の表情は大げさすぎて時々ハラハラする。

私はパキスタンで育った。アメリカで脚本を学ぶためにここにきた。この地にくるまで、祖国を出たことはない。英語は必死に自分で習得した、アメリカにくるために。祖国の抑圧から解放され、表現の自由を得るために。

ミホコは大きな声でラギーと話している。「本当にラギーって、女の子にしりにしかれてる感じがするー」まさか。私の自由を奪っていたのは政府だった。女性は、自分の表現方法が限られていた。イデオロギー、思想、「言論の抑圧」と名のつくようなものは全て国が管理していたのに。

「そうね、でも、パキスタンにいたころはどうだったかしら、ラギーなんて私たちをコントロールする側だったのにね。ニューヨークにきてからというもの、私に逆らったことがないわ!」ミホコはへえー、という顔をした。ラギーは私をみて、へへ、と苦笑いをした。

私はこの地にきて議論というものができる喜びをかみしめている。イスラエルから来た知り合いとイスラム教とユダヤ教について議論することさえ、パキスタンから来た私にとっては奇跡のようなものなのだ。その知り合いは、最後にはもうやめないか、と打ち切りにしようとしていたけれども、私は楽しんでいた。「そう?こういう話するの、楽しいじゃない」

国の慣習というパキスタンが作った型を気にしなくてもいいアメリカで、私はやっと自分自身の型を作り上げることができる。ドキュメンタリーを作り上げたい私にとって、この国は最高の環境を提供してくれる。パキスタン女性の声を世界に届けるためにアメリカの自由を基準においてくれる。私は、アメリカの環境を基準において、パキスタン女性の声を伝えたいのだ。「自由の国の皆さん、世界には、このような抑圧がまだ蔓延しているのです」それは、私自身の型が、このアメリカにまできて主張したいただ一つの事実だ。

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2006-10-29 おばさん

姪が生まれた。それを父が報告したとき、私は徹夜ばかりの中間明けで疲れてぐっすり昼寝をしていた。「おお〜おめでとー・・・でも、眠いからまた折り返し電話するわー、ばいばいおじいちゃん・・・」という私にぶつぶつ文句をいいつつ、父はきっかり2時間後には赤ちゃんの写真をメールで送ってきた。

ものすごく小さいの。生まれたての子って、こんなに小さいんだ。目があんまり見えないだろう生まれてすぐの子なのに、お母さんのほうを必死にさがして、ちゃんとお母さんの目をさがして見つめてるの。今はお母さんしか頼る人がなくても、おおきくなったら可能性を自分で両手に持てるほどの子になるだろう。

良い子になれよ!
母は「そんなの、皆子どもが生まれてくるときに願ってることだわね」と笑っていた。幼稚園に入って、笑いながら遊んで大きくなって、小学校の掛け算もすぐおぼえちゃったりして、中学に入って好きな子ができたりして、いっぱい泣いて、いっぱい笑って大きくなって欲しい。

姉はじめとして親族のみんなも彼女の成長の1ステップごとにハラハラすることになるんだろう。できるだけ彼女の好きにしてやりたくても、どうもムズムズして彼女の人生に手を出しちゃったりするんだろう。そんなみんなの心配など気にせず、彼女はすぐに大きくなってしまうんだろうな。

私の両親は相変わらずだ。私が今日電話をかけたとき、母はのんきに布団を干していた。「あかちゃんがきたら、ネコ達を毎日お風呂に入れなきゃだめかねえ」とか笑う母ももうおばあちゃんになってしまった。「全然実感なんてないわよお〜」とケラケラ笑う。私も、おばちゃんだ!全然実感がない。

でも、眠っているあかちゃんの写真を見てはじめて気付いた、新しい家族を迎えるということは、とっても幸せなことだ。彼女の無限のような可能性を夢に見ながら、もう自分が持つことがない類の可能性を彼女に重ねてみながら、見守る存在がはじめてできた。

私も早くも成長を見守る側になってしまいましたあ。彼女が誇れるおばさんになる努力も忘れないようにします。
うう〜年末の一時帰国が楽しみだにゃ〜

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姪がうまれただけでもこんなきゅ〜ん(笑)となるんだから、子どもができるときなんてうわ〜って感じなんでしょうねえ・・・。 / みほ@でもやはりおばさん・・・ ( 2006-11-02 10:12 )
おめでとう〜!(^0^) 私もおば達には昔からよくしてもらっているんだけど、自分自身に甥ができてその気持ちがよくわかるようになったよ。お互い素敵なおばさんになりましょう(笑) / みなみ ( 2006-10-31 19:26 )

2006-10-29 自信、

君は、自分に自信があるからだいじょうぶ、と友人が言ってくれた。

違う、私は元から自分に自信があるんじゃなくて、自信を持たせてくれるだけの人が周りにいるから自信があるんだ。例えば君がそんなことを言わなければ私は自分が「自信ある人」という映り方をするなんて思いもしなかったし、自分に対する自信に気付くことはなかった。彼は私を「自信がある」といってくれたけど、私が自信を持ったのは彼がそう言ってからだ。

自信というものは、自分自身から内発的に生まれるときもあるが、圧倒的に他人から、外からの後押しで生まれることが多い。おひめさまの絵を描いてみせたら、うまいね、と言ってくれる母がいた、試験で一番を取ったら、さりげなくがんばったな、と言ってくれる父がいた、そんなささいなこと。

別に、私に対してイエスとしか言わない人ばかりが周りにいるわけではない。自信というものは下から上り詰めたときにしか生まれることはない。お前の論文、意味わかんないといって自信を摘み取るような先輩がいれば、何回も書き直した後にずっとよくなったと言ってくれる先輩がいるが、それは同一人物なのだ。

だから、私に自信があるとすれば、私の周りの人が自信をつけてくれたからに他ならない。彼らがいるから私は自信を持つことができる。

優しい人にはならなくてもいいと思う。でも、人に自信を与えることができるようになりたい。慰めるための優しさよりも、自信を与えるための厳しさと寛容さはずっと身に付けるのが難しい。他人にたいして客観的であり、自分にたいして余裕がなければ、人に自信をつけさせることはできない。

はあ、私、昨日おばさんになったんですよ。姉の赤ちゃん(女の子〜)、ちょーサルみたいだけど、かわいいんですよね。姉と旦那様をはじめとした赤ちゃんを囲む環境が、彼女の自信の基盤を作っていくんですね。
叱るのは、感情に任せて簡単だけど、自信をつけさせるのは、とってもむずかしい。いつもしゃきっと前みて歩くconfident girlになってほしいなあ

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Hey my big brother!(ww) I think a person who can give someone a confidence is also confident in himself. Our comments are just like flattering eachother, but since you were confident in yourself, you could cheer me up and give me a confidence.(oh no this time,this is not a joke!) / みほ ( 2006-10-29 17:18 )
perhaps self-confidence isn't easy for anyone.. but you, as someone who created her own path ima made, who got 1st place in a big speech contest, who is in America now.. you have a good chance of becoming truly confident to omou yo / baka boy ( 2006-10-29 16:50 )

2006-10-27 くりえーたーうらない

あなたは、理論や理屈で解釈するよりも、自分の感覚を大切にしている人です。感受性がとても豊かで、視聴覚や食感や触感といった五感を通じて物事をとらえて経験値として自分の中にインプットしていきます。経験や体験を重ねるほど感性が研ぎ澄まされていくはず。相手の気持ちや願いやその場の雰囲気などを素早くつかんで周囲をなごませることが多いでしょう。でも、感受性に左右されすぎると単なる好き嫌いの判断に陥ってしまい、得意不得意の差が激しくなりがち。食わず嫌いにならないよう客観的な目を養ってすべき内容であればニガテなことも逃げ出さないできちんと行ないましょう。責任感にめざめれば周囲に大きな影響力を与える人になります。

独自の視点と豊かなイマジネーションが持ち味のあなたは、相手の求める事柄を的確につかみとる能力に恵まれています。ほんの小さなヒラメキも見落とすことがありませんし、相手が漠然としたイメージを伝えてきても、あなたの手にかかれば具体的なものへと形づくられていきます。この先、表現力に磨きをかければ人の心をときほぐす作品を次々に発表していくでしょう。そんなあなたは、人の目を未来に向けさせる仕事や夢やロマンを提供する仕事向き。専門的な理論や知識を吸収すれば、バツグンな感性と相まって独自の発想で新たな方法ややり方を編み出し、充実した毎日を過ごすはず。他の人にはない個性を放って業界で注目される人になるでしょう。


どのような職人になるタイプなのかという診断・・・
うう・・・シューカツの今は案外こういう宣伝がおおいっす・・
そして思わず診断してしまう・・・
こういうの、みんな好きだよねー・・・私もすきです

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