昨日が履修科目登録の締切日。この二週間がショッピングウィークだったんだけれども、悩みに悩みすぎた上で決めたのは五科目。
Japanese politics(なんてったってSFCのゼミで講演してくれた先生!彼の講演を聞いてすぐに絶対この科目を取ろうと決めた。この講義のおかげで恥ずかしながら今更、しかもアメリカで戦後の日本を体系的に深く知る機会を得ることができまつた・・・),
Globalization and international politics(セキュリティ、経済、法の視点からグローバライゼーションを見る!みたいな授業。インターナショナルリレーション統括、みたいな感じ。アメリカから見るグローバライゼーション・・・うーん),
Sociology in Mass media and pop culture(これが一番面白い。超課題がエグいけれども、社会的にマスをふかんするのはいつもエキサイティング。アメリカというマス消費社会で、メディアとポップカルチャーは相互補完であり、その構図をセオリーを用いつつ明かしていく感じ。),
Statistical reasoning(統計って物事を正確に読み取るために重要だよ、と数多くの社会人な知り合いからずっと言われてきているので、ためしにとってみた。),
Mind/brain and behavor(サイコロジー系の授業で、面白半分に行って見たら超興味深かった。脳が感情、行動にどのような影響を与えるか、というような授業)
急いでウェブ登録をしたあとは、登録科目の教科書を買いに近くの本屋へ。日本の学校の生協では、キャンパス内の授業の教科書を扱うエリアがある。が。ここの教科書売り場ははーーーーーーーーーーーんぱなく広い。日本の生協の教科書売り場とは天と地との差がありそうなくらいだ。身長以上の本棚にずらーっと教科書が押し込まれてあって、多くの学生が10冊とかそれ以上の本を抱えながらウロウロしている。
このただっぴろいエリアの中この大学で提供される知がつまっている。生徒達はこの中から数個の知のラベル、本、を選りすぐり、引き出す。この行為が限りなく贅沢であるように感じるのだ。あたかも全知の中心に位置し、その中にある小さな知のピースを受け取る権利を得ているかのように。
「アカデミア」という言葉をはじめてここで意識した。巨大な知の渦がひしめくこの大学に、自分自身を巻き込ませ、これを外界に反映させるための場。知を提供し、また新たな知を創造させるべき場。その為に存在するこれらの数え切れない書籍。アカデミア、生徒の絶え間ない意見交換と書籍からの知識の吸収、その知識を操る学者達、これらによって構成される空間。この膨大な文字の羅列の中心に立ち、人々は意見を交わし続ける。
その営みは途方も無いほどの昔からつもりにつもった知の蓄積だ。それは、アカデミアにおいて止まることがない。知を伝承し、次の世代に伝えるというこの流れを止めるものは存在しないかのように思える。
戦争さえも。この本屋のカウンターには一つの写真が掲げられてある。第二次世界大戦中、瓦礫と化したポーランドの図書館。この中で、人々は残った書籍を手にとり、文字を追っていた。図書館としての機能をもはや果たしていない荒れ果てた場所でもなお彼らは知を追い、文字に情熱を傾ける。
戦争という絶対的とも思わせるような破壊を前にしても、知が破壊されることはない。このコミュニティにおける絶対は「知」である、と語りかけるような写真。そして、これらの知を操る権利を得た私たち。
がんばるっす。 |