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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

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2006-09-18 アカデミア
2006-09-14 アニメクラブ
2006-09-14 グランドゼロ、夜0時1分
2006-09-14 グランドゼロ、夜11時30分
2006-09-13 グランドゼロ、夜11時
2006-09-12 911
2006-09-07 ここの学生生活
2006-09-06 アフリカと食文化
2006-09-04 占いってさ
2006-09-03 diversityとは


2006-09-18 アカデミア

昨日が履修科目登録の締切日。この二週間がショッピングウィークだったんだけれども、悩みに悩みすぎた上で決めたのは五科目。

Japanese politics(なんてったってSFCのゼミで講演してくれた先生!彼の講演を聞いてすぐに絶対この科目を取ろうと決めた。この講義のおかげで恥ずかしながら今更、しかもアメリカで戦後の日本を体系的に深く知る機会を得ることができまつた・・・),
Globalization and international politics(セキュリティ、経済、法の視点からグローバライゼーションを見る!みたいな授業。インターナショナルリレーション統括、みたいな感じ。アメリカから見るグローバライゼーション・・・うーん),
Sociology in Mass media and pop culture(これが一番面白い。超課題がエグいけれども、社会的にマスをふかんするのはいつもエキサイティング。アメリカというマス消費社会で、メディアとポップカルチャーは相互補完であり、その構図をセオリーを用いつつ明かしていく感じ。),
Statistical reasoning(統計って物事を正確に読み取るために重要だよ、と数多くの社会人な知り合いからずっと言われてきているので、ためしにとってみた。),
Mind/brain and behavor(サイコロジー系の授業で、面白半分に行って見たら超興味深かった。脳が感情、行動にどのような影響を与えるか、というような授業)

急いでウェブ登録をしたあとは、登録科目の教科書を買いに近くの本屋へ。日本の学校の生協では、キャンパス内の授業の教科書を扱うエリアがある。が。ここの教科書売り場ははーーーーーーーーーーーんぱなく広い。日本の生協の教科書売り場とは天と地との差がありそうなくらいだ。身長以上の本棚にずらーっと教科書が押し込まれてあって、多くの学生が10冊とかそれ以上の本を抱えながらウロウロしている。

このただっぴろいエリアの中この大学で提供される知がつまっている。生徒達はこの中から数個の知のラベル、本、を選りすぐり、引き出す。この行為が限りなく贅沢であるように感じるのだ。あたかも全知の中心に位置し、その中にある小さな知のピースを受け取る権利を得ているかのように。

「アカデミア」という言葉をはじめてここで意識した。巨大な知の渦がひしめくこの大学に、自分自身を巻き込ませ、これを外界に反映させるための場。知を提供し、また新たな知を創造させるべき場。その為に存在するこれらの数え切れない書籍。アカデミア、生徒の絶え間ない意見交換と書籍からの知識の吸収、その知識を操る学者達、これらによって構成される空間。この膨大な文字の羅列の中心に立ち、人々は意見を交わし続ける。

その営みは途方も無いほどの昔からつもりにつもった知の蓄積だ。それは、アカデミアにおいて止まることがない。知を伝承し、次の世代に伝えるというこの流れを止めるものは存在しないかのように思える。

戦争さえも。この本屋のカウンターには一つの写真が掲げられてある。第二次世界大戦中、瓦礫と化したポーランドの図書館。この中で、人々は残った書籍を手にとり、文字を追っていた。図書館としての機能をもはや果たしていない荒れ果てた場所でもなお彼らは知を追い、文字に情熱を傾ける。

戦争という絶対的とも思わせるような破壊を前にしても、知が破壊されることはない。このコミュニティにおける絶対は「知」である、と語りかけるような写真。そして、これらの知を操る権利を得た私たち。

がんばるっす。

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2006-09-14 アニメクラブ

というか今日はアニメクラブなんですよ。
ここのアニメクラブはとってもさわやかなナイスガイが多いので(さわやかで社交的で面白くてかっこよくてそれでもアニメTシャツきてる彼らが大好きだ!)とても楽しくなるだろうと思われます。

光栄なことに(?)次期主要メンバーにならない?と誘われました。残念ながら私は一年だけいないんだよね、と言ったらがっかりされました。そのかわりにオタ関係のイベントなら色々考えるよ、まずは年末の日本ツアーかな!みんなでコミケとかアキバにいこう!(でもアニメTシャツを着てうろうろするのはは止めといたほうがいいと思う)と言ってみました。日本行きの予算とか、どこ回ろうとか、色々楽しいものにしていきたいんですが、なかなか学部のクラブは旅行などに予算が下りないらしい。・・・ここのビジネススクールのジャパンアソシエーションなんて、毎年何十人もの人々を引き連れて日本に旅行しにいってるのに!!ちっ、さすがビジネススクールだ

ていうかどうやって予算作ってるんだろう。あっちのジャパンアソシエーションにいるひとにどうやって予算作ってるのか聞いてみたい。それとも皆お金持ちなんだろうか・・・。

うん、どうしても成功させたいっす。というのもやはりヲタたるもの日本にきて本場を味わってみるのが一番だと信じているからだ!このアニメクラブの部員の殆どが日本に行きたいのに行った事がない、ってのが驚きだ!ここのビジネススクールのジャパンアソシエーションの人々は日本の企業に色々コネクションがあるってんだから、それをたどればバン○イとかスク○ニとかにたどり着いて、企業訪問できたりしないものか。ていうか、今の時代オタ産業は海外展開が必要なのだからアメリカの優秀なオタクをリクルートする意気込みはないのか。

ここは、学部のジャパンアソシエーション(日本クラブのクセに日本人が超少ない)なんて、日本に支店がある外資系投資銀行とかコンサルと連絡とって、この学校にリクルーターを呼び込むようなイベントをしょっちゅう開いている。日本からリクルーターがわざわざ一つの学校の一つのクラブ(しかも学部)のために渡米するんだから、アニメクラブだって、日本にいって企業訪問くらいできないこたない気がする(という妄想)。

こんな妄想だけは幅広くて、行動しようといわれたら即行動する用意はできてるのに、リーディングの課題に押しつぶされそうになっている現実を垣間見ると涙出そうになってきます。いや、ぜったい要領よく課題を終わらせる術をみつけなければここの生活、勉強だけになってしまう(そ  れ  は  い  や  だ)

・・・というこんなところでしかかけないような恥ずかしいエントリでした。

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japan tour OTAKU versionみたいな!(笑) / みほ ( 2006-09-18 03:30 )
誕生日おめでとう!ここまで具体的に考えがまとまってたら、あとはホント行動あるのみって感じがする。経過を楽しみにしてるわ☆ / りぃな ( 2006-09-18 01:24 )

2006-09-14 グランドゼロ、夜0時1分

2001年9月11日、日の出は6時32分だったそうだ。晴天、晴れ。まるで、その五年後と同じように。

飛行機が突撃する瞬間の写真の空は、限りなく青かった。その一年後も、二年後も、三年後、四年後も朝は絶対晴天であるらしい。そして、五年後も。

ある友人が言っていた。「その時の職場からワールドトレードセンターは近くてさ、いつも本屋によったり、コーヒーのみにいってた。but they are all gone, i can no longer go to these places」

彼のように、ワールドドレードセンターが日常に組み込まれていた人はニューヨークで何人いたのだろうか?冴え渡る空の下で、いつものように、意識するまでもなくあのビルに向かう人々。

グランドゼロには、2001年9月11日、一日の経過を追ったボードがある。11日の夜、最後の表記として、あの一日を”Long day”と締めくくっていた。長い一日。平和を思わせる青い空、人々はあのビルでコーヒーでも買いながら、職場につこうとしていたのだろうか、そこに突然飛行機が突撃した瞬間。それから時間がスローモーションのように流れ、埃と瓦礫にまみれながらこれが物語の一部なのではないかと信じたいのに政府は次々と最重要警告を発し続け、いやでも事態の深刻さを思い知らされる。やがて夕方が訪れ、夜に変わった。

腕の時計をみた。0時1分。12日だ。五年前、日付が変更される瞬間をニューヨークの人々はどのように過ごしていたのだろう。あの事件は911と名づけられ、11日のみが切り取られた。しかしニューヨークではその次の日も、次の次の日も、一年後も、そして五年後も毎日があの事件の続きであったのだ。今もそれは続いている。

The long day is over, 何人の人が悲しみにくれつつ一日を耐え切ったのだろうか。その悲しみがやがて流れ去り、5年もの月日がたった。12日になっても、追悼のライトは天に伸び続けていた。近くからみるとあまりに巨大で強い。まるで、空の上の犠牲者にも光が届くように。

天国、というところがあったらあそこは5年前のようにずっと空が青いのだろうか。こんなに月日がたっても、人々が悲しみから抜け出しても、情報に流されそうになってもこの事件を忘れないという必死の願いがあの光に込められているのだろう。

学校に帰り、ふとダウンタンの方面をみると、まだはっきりと光を見ることができた。夜の雲さえも突き抜けるような強い光は、ニューヨーク中から見える。We will never forget.その願いを、空の上にいる人々に届けるように。

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2006-09-14 グランドゼロ、夜11時30分

柵の向こう側を見ると、目の奥が熱くなる。

真夜中のグランドゼロ、ヘリコプターが空を舞い、911にあやかるようにニューヨークグッズを売る露天が並び、人々はカメラのシャッターを切り、ダウンタンのこの周辺だけが光をおびる。

グランドゼロが見渡せる展望台の前につく。仏教の僧侶がならんで歩いていた。祈りをささげていた。アメリカ軍の制服を着た数人が花をささげていた。顔をうずめて泣いている人を見た。みんな、目が柵の向こう側に向かい離れない。

柵に手をかけた。柵の向こう側は、大きなキズあとだ。
2001年9月11日に作られた、「世界の傷跡」。光に照らされても、奥を見渡すことができない。あの日、アメリカだけが傷つけられたのだろうか?ワールドトレードセンターに勤めていた世界中からの人々、日本人もいた。そして、イスラム教徒の人々も。犠牲者全員の名前が記されているボードには、確かにイスラム系の名前が存在するのだ。世界中の名前、それがある意味でワールドドレードセンターの中にある世界を形成していたのだ。その世界はグランドゼロに代わり、この瞬間、世界が、傷つけられた。

それはあまりに巨大な傷跡だ。夜、どのような光をもってしてもこの傷は奥深くに闇を落とす。柵の先が見えない。胸が締め付けられているからだろうか?

アメリカ人の友人は、「グランドゼロを訪れるたびに、アメリカの強さを垣間見るよ」と言っていた。時がたち、瓦礫がのけられ、周りが整備され始め、新たなタワーを建設する準備をはじめている。何もかもが流動するようなニューヨーク、グランドゼロもその例外ではない。この大きな流れの中で、グランドゼロさえも動いている。グランドゼロさえも動かす力をアメリカは持っているのだと。

いや、止めることが出来ないのだ。このニューヨークで、グランドゼロだけが瓦礫をかぶっていてはいけないのだ。動かないと、グランドゼロの傷はいえることがない。ただ、傷が乾くのを待っているだけでは、いえることがないと思い込みながら。

皮肉にも動き続けることで、世界はより大きな傷を負うこととなっている。グランドゼロが動くかわりに、世界中が傷を負い始める。それでも、それを知っていてもアメリカは、ニューヨークは動きを止めない。

グランドゼロの奥にある暗闇だけが、動きにあがらうようにそこに存在し続け、そこに世界の暗闇を映し出していた。

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you really made me upset that time! but since you were being that much stupid(well you are always like that), i could just go to ground zero(so that i could forget what you said"bad signal") talk to you later! / みほ ( 2006-09-14 22:53 )
I swear it looked like the bat signal... but good job giving the entire moment more meaning, even my stupidity had imi w / baka boy ( 2006-09-14 14:41 )

2006-09-13 グランドゼロ、夜11時

一緒に向かうつもりだった友人はあとから気付いた課題の量に愕然としたらしく、グランドゼロにむかうのはやめて、結局学校近くの韓国料理屋さんで夕食を食べ、家に帰ろうというコトになった。その帰り道、学校のカレッジウォークを横切る。そこから、夜の空に伸びる一つの筋を見つける。

「ねえ、スティーブ、あれ」
 私は友人を引き止める。
「ああ、あの光?あれはバッドマンに違いない」
「はぁ?」
「どっどどどどどどぅー」(バッドマンのテーマソングを歌い始める)
「ちょっと、あれ、グランドゼロの追悼の光だってば」
「ええっ!!!!」
「・・・」
「アメリカ人としてあんたちょっとそれはどうかと思うよ」
「うわあああああ!!!!」
「私があの光をみて、平和への祈りをささげてたときにオマエはバッドマンのテーマソングかい。雰囲気ぶち壊しだよ!」
「うわあああああ!!!」
「エセアメリカンめ!」
「いや、だってああいう光のビームつかったアドって沢山あるんだよ・・・」
「だからってあの光をアドに間違えるってのも程がなくないか?」
「あはははは・・・」
「はあ」
「でも、5年前はこんなふうに笑えなかった」
「そうだね、もう5年も経った」
「time is the best remedy」
「that's right」

時間が全て解決してくれる。この情報にあふれた世界で情報市場はパンク状態だ。911は新しい情報にとって代わり、いつか悲しみもうすれ、グランドゼロには新しいタワーが建つ。無常観に浸っていたわけではない、でも、朝の青い空とあの光が忘れられない。この世界の中で、必死に思いを留めようとさせている青さと光の筋。

夜11時だった。ひとりで地下鉄をくだり、グランドゼロに向かうことに決めた。

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2006-09-12 911

中学1年のときに、NYCに来たことがある。一週間だけの観光だ。親がカメラを壊していたのに気付かずに写真をとっていたから、その時の写真はほとんどない。おぼろけに残っている記憶だけが存在する。メトロポリタン美術館で引き込まれた絵画、日本の中かと思った紀伊国屋、真下から見上げた自由の女神、そしてワールドドレードセンターから見たNYCの絶景。

とても広い建物だったのを覚えている。入り口には巨大な絵が掲げられてあって、上に向かうエレベーターには行列ができていた。エレベーターは高速で最上階まで昇り、耳鳴りがした。外の展望台からみた景色は、みんな自分より低かった。高層ビルが立ち並ぶマンハッタンで、一際高くて、一際目立っていたのがそのビルだったのだ。曇りだったのかもしれない。下を見るのが怖かった。限りなく、底を思わせたのだ、ただの道路が。

このとっても高いビルが一瞬で崩れ落ちた、それこそ底に吸い込まれるように。

それからもう5年。もう5年だ。私は今日、朝9時からある授業に間に合わせるように家を出た。朝、雲、ひとつない真っ青な空だった。フと思い出した、今日は9月11日だ。

この朝の授業はsociology in mass mediaというものだ。先生は、教室につくなり「911は、メディアにとって何だったのかしら」と私たちに問いかけた。911はマスメディアのための事件だったといった。有史以来、世界で一番多くの人がメディアを通し目撃した事件だと。歴史上で一番多くの人の目にさらされた悲劇だと。私は窓際の席に座っていた。空を見上げた。雲が、現れ始めた。

大学周辺は何一つかわりがないように動いている。生徒達は談笑しながらカレッジウォークを横切る。その真ん中で、男性生徒が壇上で被害者の名前を全員読み上げていた。横切る生徒達。2000を超える名前を読む声は、限りなく小さい。5年後だ。

雲が空を覆いはじめる。有史以来一番多くの人の心に刻まれたこの事件から多くの月日がたった。映画化もされた。人々はsensitiveという状況からじょじょに抜け出そうとしている。

911、5年後の今日は多くのテレビチャンネルが特番を組んでいる。その10年後は、特番の放映時間が半分になっているかもしれない。何十億、何百億もの人々がその存在をしる事件も、雲に流されるようにいつかは教科書上のみのものとなる。でも、今日、飛行機がワールドトレードセンターの内部に消えたあの瞬間の五年後、記憶を流すような雲は空に一つも無かったのだ。飛行機雲さえもない青い空が、記憶を留めさせていた。

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2006-09-07 ここの学生生活

最初はどうにかなるかなとほっとしていたが、だんだん数多くのクラスを回るうちに顔が青ざめてきた。リーディングの量が半端ないのだ。いやマジでハンパない。一つのクラスにつき、多いところだと1冊の専門書(専門書ですよ・・・)を一週間で読んで来いとか言われる。しかもそれをサボると、テストもやばければ翌週のディスカッションで冷や汗をかくというしくみらしい。

しかもそんなクラスが文系はほぼ全てだ。え?アメリカの大学ってみんなこんなに大変なの?そうなの?日本の大学とは比べ物になんないくらいだよ。あー・・・。でも本当によかった、日本の大学で勉強で瀕死の思いをしたから、ショックはそんなに大きくなく、ただ毎日美術館(この学校の学生証を見せればNY主要美術館はタ・ダ・!らしい)なんて優雅な暮らしは絶対にできないな、と考えを改めただけだ。・・・でもやっぱショックはショックだ。

なんでショックなんだろうか。ここで別に日米大学比較をしてもしょうがないのだが、やはり勉強させられる量が違う。日本では10クラスを平均して取るけれども、こちらでは平均4,5クラスが一杯一杯だ。それほどみんな大変な思いして勉強をしている。日本の大学では、お金を払って自由が与えたれるが、ここの大学では、お金をはらって勉強する時間を与えられる。

でもやはりある意味日本の大学、というか私の行ってるSFCの方が、色々なことが学べるのかもしれない。「自由」というのは一番扱いが難しいのだ。勉強に励むのも自由、遊びに励むのも自由。授業料に見合った4年間を完璧に自分で作り上げなければいけない責任が18や19の若者に突然突きつけられる。何も考えないと、遊ぶだけになってしまうこの4年間をどうにかして自分を律して(笑)勉強に向けたり、課外活動したりして経験をつむようにスケジューリングしなければいけなくなる。

ので、案外SFCで私は誘惑に負けず(笑)勉強することを身に付けたし、どうにかおぼろけながら4年生の終わりまでの目標立ててみたし、それにそって計画たててみたり、ともかく昔よりは「自由」という言葉に惑わされないようになった気はするのだ。

ここでは、強制的に勉強させられて、それはそれでとても大切だけれども、もうちょっと「自由」というこわさをこの若いうちに分かっておいた方がいいような気がする。自由というコトは、何も生み出さないというコトにもなりかねない。その中から何かを自分で見出し生産するのは案外大変なのだ。まあ、大学卒業したら即何かの組織に誰もが結局は組み込まれるんだから、そんなの学ばなくてもいいっちゃいいのかもしれないけれどもさ・・・。でも、「自由」という環境のもとでは、自分が生産した成果物が一番自分の実力に添った形で現れてしまう。ある意味、緊張感がある。

いやだからといってここでの勉強を怠けたら毎週冷や汗かくことになるのでこれからちょっと読書しなければいけないのですが・・・。で、気付いた。強制される大量の勉強量は、どこか私を安心させるのだ。教室の中では緊張感は勿論ある。でもどこかで、「この授業を取れば絶対これだけの勉強量と知識は保証される」というゴールと成果物がハッキリしているという安心があるのだ。

その安心の上で、一年間ある意味気楽に、やってきまつ。

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自由度が高ければ高いほどジツは緊張しますよねwって思いまつ。自分で責任持ったうえで何をやっても良いって、案外大変すよね / みほ ( 2006-09-07 21:51 )
大学時代、「自由」とは「自分で責任を持った上で何をやってもよい」と先生に言われたことを思い出しました。それまでは、何してもOKとしか思ってなかったから。そういうことが分かることも大学生活のうちなんだろうな、と今になって思います。 / マッキィ@未ログイン ( 2006-09-07 07:31 )

2006-09-06 アフリカと食文化

先日、ハーレムのど真ん中にあるアフリカ料理屋さんに行った。アフリカからの移民がコックさんで、お客さんも、みんなアフリカ人なので、みんなフランス語をしゃべる。鶏肉を丸ごと煮込んだスープがでてきた(足つき!)。魚の丸焼き野菜あえもでてきた。何しろアフリカ料理なのだから味も見た目も野性的だけどそれがまた良い。ついでに、食べ方は全て手づかみ。野性的。レストランで手で食べた経験というのは覚えているだけでも初めてだ。

魚の背骨をびびーっと手で引っ張る。んで、パンをスープの中にジャバジャバ入れる。それを手ですくって食べる。とってもラクなのだ。私は食事のマナーが良いほうではないので、時々箸から芋を落とすし、ナイフを皿の上に落としてカシャーンとか静かなレストランの中で響かせてしまう。だから、何の気遣いもいらないこの食べ方は緊張しなくてラクだった。

いや、ていうか、なんでこの国にはナイフとフォークとスプーンというカトラリーがそろっているんだ?と家に帰って台所にあるスプーンナイフ置きをじっとみつめてしまった。楽なほうでいいじゃないか、手で食べたっていいじゃん、手で・・・、と疑問をぶつぶつ言っていたら(怪しいって!)、スプーンに私ののめーっと広がった顔が反射された。

いや、まて、カトラリーなしでは「野蛮」なのではないか?スプーンから見えるだらしない顔をじーっと見て気付いてしまった。そうだ、この社会では「野蛮」なんだ。野蛮だ!・・・と、多分、アフリカ人を植民地の奴隷に仕立ててしまったヨーロッパ人は思ったのだろう。自分達はカトラリーがある、それだけで自分達のほうが優位、イコール相手を野蛮と決め付けてしまうこの傲慢っぷり。

何故ラクな手づかみを放って、ナイフとフォークに行き着いたんだろうか。スープが熱いから。なんか格好悪いから。手づかみだと手から細菌が直接入って汚いから。・・・。確かに手に細菌とかついてたらなにかにあたってしまって寝込むかもしれない。しかもその料理をシェアしてたとしたら・・・。おおおおおお。集団感染だ。

所でそのアフリカ料理につれてってくれた彼はこう教えてくれた。「アフリカはコミュニティを何より大切にするんだ。料理も皆でつくって、みんなで床にすわって食べて、同じ部屋で寝る。コミュニティなんだよ、分かるかい、コミュニティなんだ」ああ、多分、細菌とかに感染しても、コミュニティが一体感を持っていれば、多分誰かが必ず看病してくれるだろうし、誰が細菌持ち込んだとかそんな話にはならないんだ。アフリカの運命共同体、コミュニティ。ナイフやフォークを発明する必要がなかったんだ、個人を最重要視する欧米と違って。

そんな感じでカトラリーがより優位で、手づかみは野蛮なんて欧米人が決め付けた構造だけれども、それでもレストランで相手が最初に手を洗ったか確認する私は多分構造の中の一人であることに代わりはないんだろうと思う。

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2006-09-04 占いってさ

占いというか、性格診断ってよくあるじゃないですか。ていうかよくふらふら性格診断してしまうんですよ・・・。「あたる」って評判の占いとかって、本当に同じ様な答えしか出さないっす。(前も書いた気がする)しかも友人達から指摘されるものとよくかぶってしまうので、(前も書いた気がする)どうやってこれらの性格判断してるのか気になります。今回なんてさ、血液型と、気になる絵二つえらんだだけでこれですよ!私をよく知っている人はうんうん、とうなづいてみてください。んで、
下にアドレス張っとくので、ちょっと試しにやってみてちょ(ちょ?)

あーやっぱり女子は占い大好きなんだなー。将来への予見に一番耳を傾けるのは女性だし(オンナとして本能的なところもあるかもね)、性格分析が大好きなのも女性。(ほら、他人から自分のホンショウを言い当てられると女の子って弱いじゃん・・・「何で私のことわかるの!?カンドー」みたいに)でもそこから何か読み取ろうとか、改善しようとする傾向は男性が多いよね。がんばれcompetitiveな世界の中に生きる男たち!性格判断でも使ってよりイイオトコになるんだ(いや私もかorz)

今日は、れーばーでー。お休み。なので、これからUNtourに行ってきます。んで、夜は、オペラ座の怪人だ〜。ミュージカルダー。




http://www.senrigan.net/bloodmind/  より。


人からどう見られようと独自性があり、
その気になれば即行動に移ることができる力を持ち、
自分のペースで成果に向かって前進していきます。
しかしながら、周りと調和を失うことも多く、
その際には孤立しがちです。
わずらわしいと感じている人間関係に戸惑い、
せっかくの自分の才能を世に生かそうとする
機会を見失いがちです。
自分のペースで生活し、常に柔軟な思考を働かせているので、
みずからを自由人に感じられることもありますが、人恋しい側面もあります。
異性を愛することについては、
心にしろ身体にしろ相手とコンタクトを持つこと自体に熱をあげ、
そればかりを追求しがちです。


束縛されることを嫌い、マイペースにことを運びます
行動はワンパターン化せず、じつは変化に富んでいます
思考もパターンに嵌まらず、柔軟です
照れ屋なところがあり、気持ちをストレートに表現しないところがあります
多種多様な人に心を開くことができる面もあります
周囲に流されたり、とらわれたりせずに生きられるほうです
世の習慣だとか、規則はあまり気にかけるほうではありません
考えを行動に移すのが早いです
正確に判断を下そうとします
アメリカ人のような実利主義を秘めていて、実用的で具体的な考えを持とうとします
あらゆることに興味を持ち、また、ひとつのことに集中できる特性もあります
過去を振り返りがちなところもあります
将来を楽観視するところがあります
感情の起伏が激しいところもあります
心に負った傷の回復は早いほうです
庶民的なものや家庭的なものから遠ざかろうとする願望もあります
情熱を感じることや、興味、関心を抱くことを優先する生き方です

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みなみねえさん、ぬーん。そうだったのか。やはり占いか・・・。私の知り合いは殆どあたってるっていってましたので、ねえさんレアですよw / みほ ( 2006-09-07 21:49 )
なしょびさん、うん、君の結果に感動したwというコトで返事はメールで / みほ ( 2006-09-06 02:55 )
あーみほちゃんと全く同じ結果が出たー!! でも私には当てはまらなかったかな〜。ぬーん。 / みなみ ( 2006-09-05 02:24 )
いいな〜。私もやってみたら美穂子とは反対傾向だったわ。興味深いけどSNSの日記には書き難いので結果をメッセで送ります。どう思うかご意見賜りたいわ。 / なしょび ( 2006-09-04 23:31 )

2006-09-03 diversityとは

diversityとは、「多様性」というらしい(ていうか今ネット辞書で調べてしまったんだけど)。昨日かおととい、law schoolの友達と、affirmative actionについて話した。この学校は、どうなんだろう?と聞いてみたら、「いや、ここはdiversityをとても重要視する学校だからね」と答えてくれた。ああ、ちょっとは人種とかを考慮に入れてるんだな、とふと気付いた。この学校のdiversityはちょっと人の手が入っている。それほど、diversity is a valueなのだ。だってここはニューヨークなのだ。

diversity.ニューヨークを形容する言葉といったらdiversityだろうと多分ほとんどの人は思うんだろう。私もそう思う。ところでdiversityは「多様性」と直訳できない感じがする。多様性をembraceするのがdiversityという感じがするのは私だけか?それでも、ニューヨークは人種、宗教を抱え切れていない。受け入れている、という状況には到達していない印象を受ける。ただ、でもそんな多様な人種とか宗教とかはこの小さなマンハッタン島にいることを許されている。呼吸でもするように自然に多様だ。受け入れるという地点には到達してないにしろ(だってこのマンハッタンにいるアメリカ人の中で壁があるという印象があるんだから)、でも、多様性が存在することは自由だ。

昨日のTVショウで、「世界はアメリカの領土だ!」とか言ってた人がいた。(その人は自分の国を皮肉るのが大好きらしい)それを聞いたとき、笑ってしまったけれども、それでも、アメリカの中には確かに世界がある。世界が存在することが許されているのがアメリカ。マンハッタン島には世界が存在する。アメリカという国にいるということを自覚しながら、自分がアメリカ人であると自覚しながら、それでも違う世界を内に持つ人々。彼らのひとりひとりがこの小さな島で世界を形成する。ストリートという国境を形成しても。

私がいる学校は、diversityを作り上げようとしている。世界がaffirmative actionという概念がなくてもいいほどに混ざりあい、本当のdiversityを垣間見ることができる日を夢見ているのだ。diversity is a value. 世界でdiversityに一番近い街にあるこの大学で、 

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