最初はどうにかなるかなとほっとしていたが、だんだん数多くのクラスを回るうちに顔が青ざめてきた。リーディングの量が半端ないのだ。いやマジでハンパない。一つのクラスにつき、多いところだと1冊の専門書(専門書ですよ・・・)を一週間で読んで来いとか言われる。しかもそれをサボると、テストもやばければ翌週のディスカッションで冷や汗をかくというしくみらしい。
しかもそんなクラスが文系はほぼ全てだ。え?アメリカの大学ってみんなこんなに大変なの?そうなの?日本の大学とは比べ物になんないくらいだよ。あー・・・。でも本当によかった、日本の大学で勉強で瀕死の思いをしたから、ショックはそんなに大きくなく、ただ毎日美術館(この学校の学生証を見せればNY主要美術館はタ・ダ・!らしい)なんて優雅な暮らしは絶対にできないな、と考えを改めただけだ。・・・でもやっぱショックはショックだ。
なんでショックなんだろうか。ここで別に日米大学比較をしてもしょうがないのだが、やはり勉強させられる量が違う。日本では10クラスを平均して取るけれども、こちらでは平均4,5クラスが一杯一杯だ。それほどみんな大変な思いして勉強をしている。日本の大学では、お金を払って自由が与えたれるが、ここの大学では、お金をはらって勉強する時間を与えられる。
でもやはりある意味日本の大学、というか私の行ってるSFCの方が、色々なことが学べるのかもしれない。「自由」というのは一番扱いが難しいのだ。勉強に励むのも自由、遊びに励むのも自由。授業料に見合った4年間を完璧に自分で作り上げなければいけない責任が18や19の若者に突然突きつけられる。何も考えないと、遊ぶだけになってしまうこの4年間をどうにかして自分を律して(笑)勉強に向けたり、課外活動したりして経験をつむようにスケジューリングしなければいけなくなる。
ので、案外SFCで私は誘惑に負けず(笑)勉強することを身に付けたし、どうにかおぼろけながら4年生の終わりまでの目標立ててみたし、それにそって計画たててみたり、ともかく昔よりは「自由」という言葉に惑わされないようになった気はするのだ。
ここでは、強制的に勉強させられて、それはそれでとても大切だけれども、もうちょっと「自由」というこわさをこの若いうちに分かっておいた方がいいような気がする。自由というコトは、何も生み出さないというコトにもなりかねない。その中から何かを自分で見出し生産するのは案外大変なのだ。まあ、大学卒業したら即何かの組織に誰もが結局は組み込まれるんだから、そんなの学ばなくてもいいっちゃいいのかもしれないけれどもさ・・・。でも、「自由」という環境のもとでは、自分が生産した成果物が一番自分の実力に添った形で現れてしまう。ある意味、緊張感がある。
いやだからといってここでの勉強を怠けたら毎週冷や汗かくことになるのでこれからちょっと読書しなければいけないのですが・・・。で、気付いた。強制される大量の勉強量は、どこか私を安心させるのだ。教室の中では緊張感は勿論ある。でもどこかで、「この授業を取れば絶対これだけの勉強量と知識は保証される」というゴールと成果物がハッキリしているという安心があるのだ。
その安心の上で、一年間ある意味気楽に、やってきまつ。 |