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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

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2006-09-03 diversityとは
2006-08-31 あとから読んだら恥ずかしい話2
2006-08-31 あとから読んだら恥ずかしい話1
2006-08-31 今日のとってもアウチ!なこと
2006-08-22 NYC
2006-08-13 偶然の発見とか
2006-08-10 引越し前日
2006-08-08 にゃりーん
2006-08-08 戦争とか
2006-08-06 母、来襲


2006-09-03 diversityとは

diversityとは、「多様性」というらしい(ていうか今ネット辞書で調べてしまったんだけど)。昨日かおととい、law schoolの友達と、affirmative actionについて話した。この学校は、どうなんだろう?と聞いてみたら、「いや、ここはdiversityをとても重要視する学校だからね」と答えてくれた。ああ、ちょっとは人種とかを考慮に入れてるんだな、とふと気付いた。この学校のdiversityはちょっと人の手が入っている。それほど、diversity is a valueなのだ。だってここはニューヨークなのだ。

diversity.ニューヨークを形容する言葉といったらdiversityだろうと多分ほとんどの人は思うんだろう。私もそう思う。ところでdiversityは「多様性」と直訳できない感じがする。多様性をembraceするのがdiversityという感じがするのは私だけか?それでも、ニューヨークは人種、宗教を抱え切れていない。受け入れている、という状況には到達していない印象を受ける。ただ、でもそんな多様な人種とか宗教とかはこの小さなマンハッタン島にいることを許されている。呼吸でもするように自然に多様だ。受け入れるという地点には到達してないにしろ(だってこのマンハッタンにいるアメリカ人の中で壁があるという印象があるんだから)、でも、多様性が存在することは自由だ。

昨日のTVショウで、「世界はアメリカの領土だ!」とか言ってた人がいた。(その人は自分の国を皮肉るのが大好きらしい)それを聞いたとき、笑ってしまったけれども、それでも、アメリカの中には確かに世界がある。世界が存在することが許されているのがアメリカ。マンハッタン島には世界が存在する。アメリカという国にいるということを自覚しながら、自分がアメリカ人であると自覚しながら、それでも違う世界を内に持つ人々。彼らのひとりひとりがこの小さな島で世界を形成する。ストリートという国境を形成しても。

私がいる学校は、diversityを作り上げようとしている。世界がaffirmative actionという概念がなくてもいいほどに混ざりあい、本当のdiversityを垣間見ることができる日を夢見ているのだ。diversity is a value. 世界でdiversityに一番近い街にあるこの大学で、 

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2006-08-31 あとから読んだら恥ずかしい話2

余談で、今だからいうが前の彼のK君はとっても完璧に大人(私の前で怒ったり取り乱したことが記憶の限り存在しない)であったので、私は早く大人っぽくなろう大人っぽくなろうと努力をしていたものだった(無駄だったが)。完璧な大人っぷりに恋焦がれてそこがいい!とめーろめろだったものだけれども、彼は結局彼自身の問題は彼の中で全て完結させていたにすぎなかったのかとも思う。とっても大人だった。結局とっても大人な彼の弱い場所を探し当ててやれる大人っぷりが私に足りなかった。そして彼はだんだんそれに耐えられなくなった。多分それだけだ。

私が留学する旨伝えたとき、今の彼はとっても寂しがった。「一年なんて、長いよー」と小言を言いながら、「でも、しょうがないよね、いい経験だからね」といつも付け加えつつ頭を落としていた。「私の経験から言わせてもらえば一年なんて超!あっというまだよ」と胸はっていた私がだんだん寂しくなってきたのは出発数日前からだ。対して、成田空港まで見送りにきていた彼は、もはや「一年なんてあっというまだよ、いい経験なんだからがんばってきなよ」とか言うようになってしまっていた。出発ゲートに行く階段でぐずっていた私にたいして、ガラス越しにピースしながら笑っていた。つられて私もにやーっと笑ってピースしてしまった。涙も一秒でぬぐってしまった。

相応の恋愛はとっても心地がいい。背伸びする恋愛も忘れられない。でも、「二人」であるということを感じさせてくれる恋愛は、なんかレンアイだと思う。二人とも、お互いから何かを得ては、一緒に笑って、共通の話題でケンカして、反省してお互いの課題を指摘しては変化を続けていくという関係は実に「both of us」って感じで恋愛感がある。二人でできること(相手がいないとできないこと)を徹底的に深めていくというのが、恋愛なんだ、私にとって。

でもどうでもいいけど、次会うときまでにお互いあとずさって驚くほどスリムになってるのが目標です。

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2006-08-31 あとから読んだら恥ずかしい話1

長い記事を消されたついでにはらいせとして彼氏の話でもしようと思う。(あとからみたら絶対恥ずかしい的な!)

彼は、紫のアイシャドウをつけていた私を一目で気に入ったんだ、と言っていた。彼が私と初めて会ったとき、確かにベルファーレなんて場所だったから、私はそれなりにケバい外見だったんだろうが、彼はそれを気に入ってくれたらしい。自分は派手な格好をしないけれども派手な格好をした女の子が好きなんだそうだ。そんな派手な子が友人達と話していた内容が、アニメ同人誌潮流の変遷(3時間は語れる)だったから、とっても気が合うと思って(彼はガンダムオタクだ)一目で好きになってくれたそうだ。そしてその日のうちに私を彼女にすると共通の友人に宣言して(笑)、私についての情報をなるたけ集めてくれ、と皆に言ってまわっていたらしい(たしかに共通の友人からなぜか私の好みのタイプとか今すきな人はいるかとか聞かれるときが当時多かった)。

その割に、彼のアプローチはとっても地味で、時々アキバで食事したり、電車男(映画)を見たりしたりそんなものだった。趣味の合う友人だとずっと思っていたが、さすがに彼が私を気に入ってくれていることはなんか感知することが出来たので、さて、これからこの人とはどうしようと思っていた時に神楽坂の居酒屋で飲もうと誘われた。で、日本酒と焼酎を飲みすぎてへろへろになった彼に「つきあってよ〜」とへろへろな口調で告白されたときは、思わず笑ってしまった。ぷっ。

で、成り行き的に軽く付き合ってみたらとっても心地が良い人で、前の彼のように子どもながらに「激しく恋!」なんていう燃料のいる恋愛はしていない。いつもまったりとアキバに行ったり、テレビみたり料理一緒に作ったりと、まったく心が穏やかだ。しかも、年が近いので等身大で気分がいい。彼は彼なりに年相応にすねたり間違ったりするから、こっちが子どもっぽくてショボンとかいう罪悪感がなくてよろしい。

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2006-08-31 今日のとってもアウチ!なこと

ああああああああ
記事けしたああああああ(しかも長いやつ)
orz

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2006-08-22 NYC

NYについて4日になる。

なんとアッパーイーストサイドだと思っていたところがどっこいイーストハーレム。いや、これは私のルームシェアの部屋の話で・・・。イーストハーレム。響きが悪い。こわいイメージ。でも、実際住んでみると、とても周りの人たちはフレンドリー。そして、ルームメイトもとっても素敵なインド系アメリカ人。

ただ、学校から遠いのだ。遠い。バスはいつくるのかわかったもんじゃないし、地下鉄の駅は結局遠いし乗り換え必要。そうなると歩くしか?と思ってしまう。しかも、大学周辺を見渡せば見渡すほど大学周辺に住むのが魅力的〜に見えてしまうんだよな。まあ、でもそういうのは置いといて、一番不安なのが治安なのだ。昼間は問題ないと思われる。夜はすっげーこわい。気をつければ大丈夫なレベルなんだろうが、私の前の留学経験からして、外国生活では自分の周りに注意を払わなくなるから危険なんだ・・・。まあそんなのアメリカにいけば普通気をつけることでしょ、という感じだけど、わざわざ自分がcarelessになるのを知っていてリスクの高い場所に住むという理由はない。

ああ・・・でも、ルームメイトが凄くいい人なんだ・・・。だからここを離れるかどうか迷っていたりするこのニューヨーク留学。

案外自分ひとりで全てのアレンジはやってきたけど、流石に周りの皆さんうまいところでサポートいれてくれてとっても嬉しいかぎり。持つべきものは、少なくても頼れる知り合いだ!学校の先生も入っていたりするのがラッキー。この前のエントリで触れたジェラルドカーティス先生。私の身を心配に思って今日ランチにさそってくれたという・・・。

NYCにきてまず気付いたのが、貧富のすみわけがとってもはっきりしていること。アメリカじゃあ当たり前なんだろうけど、日本には全くない概念。住む地区でまず階級がきまる。日本じゃ別に練馬にすんでいようが六本木に住んでいようが、その土地の「イメージ」をしょわされるだけで、階級が確定するわけではない。地区が、数ブロックで超高級マンション群から、危険な地域に変わってしまうんだから、そのすみわけはとっても大胆。「ここから先は違う世界」という概念が、ストリートのナンバーで決まってしまう。しかも、一つのストリートを隔てるだけで。人種も、人の行動も全てストリートナンバーによって変わるというその整備されたすみわけにびっみょーにマンハッタンの負の部分を見るような気はする。でも、すみわけから文化は生まれ、ジャズが飛び出し、ソウルフードだってできあがった。

文化は他から隔離されないと生まれない。どんな文化でも。文化の多様性といったらやはりマンハッタンだけれども、人種のるつぼ、というイメージからくる「ミクス」。この言葉がマンハッタンにおいては最初にこない気がする。隔離されて始めて文化の芽が出る。人々が隔離された文化を許容できる、という面がマンハッタンにおける文化の多様性であり、違う人種、違う階級自体を手放しに受け入れているわけではない気がする。あくまで他文化の許容だ。人よりも、文化が軽くストリートナンバーを超えてしまう。

そういう文化形成、東京にはないなー、と思ったところで明日は、NYの田舎にある知り合いの先生の家でお泊り〜なので寝ます。

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2006-08-13 偶然の発見とか

能動的に情報(とか商品)を得ようとすると、刺激が少ない。受動的な情報収集を能動的にやろうとすると、偶然の発見がある。

本当にネットばかりやってると、偶然に面白い情報に出会う機会が少ない。もうネットは私にとってタウンページで、知りたい店の情報とか、友人の近況とか、グーグル先生やmixiをつかってぱぱっと調べる。調べよう、探し当てよう、とする情報はすぐ入るけれども、その枠を出ないのがネット。自分の意思に及ぶ範囲の情報が多いものだからどうもそれがルーチンになってあんまり刺激はない。

このごろテレビも暇つぶしでみるようになった。案外面白いコンテンツがあったりして、テレビも捨てたもんじゃないとか思うようになってきてる。というのもテレビって案外つけっぱなしで、情報の得方がすごく受動的。選ぶ選択肢がない。でも、つけっぱなしてると、「おお」と内容の番組がちょっとあったりする。「おお」って思う情報は案外自分が能動的に調べようとする情報の枠からはみ出しているものが多い。だから新鮮。偶然の発見。私が「おお」と思う番組ははテレ東とNHKのものが圧倒的に多い。自分の興味の枠からははみ出ない範囲の番組をよく放映してるから。

情報を偶然に発見するってすごく刺激的だと思う。刺激的だと思う情報は、大概自分の興味の枠の中にあるけれども、能動的に調べようとはしない範囲のものが多い。「興味は持ってるけど、知らないことがおおいんです」的分野。テレビって、テレビ局の色を知っていて、それが自分に合うと感じたら、つけっぱなしにしとくと偶然の発見を手にすることが多いメディアだ。能動的に受動的。

でも、ネットとかって、案外能動的な色が強いメディアだったりするから偶然の発見は少ない気がしないでもない。だってまず検索ワードありきな感じがするし。そうなるとアマゾンってなんか下手な気がする。自分が今まで購入した本と同じ分野の本ばかりリコメンドしているから、紹介される本がすべて想定の範囲内。ルーチンな気がして買おうと思わないし。自分が「おお」と思うような偶然の発見的本があったら、それこそカートに入れるのに。ネットショッピングって、客に財布をどんどん開かせるような仕組みがまだまだな気がしないでもない。

その点、最近ちょっとはやりらしい、3D使った仮想店舗内をぐるぐる回れるネットショッピングは上手いと思う。やっぱり、実際の本屋をぐるぐる回ってると、偶然興味を引く表紙に出会う時が多いし。それで、買おうと思ってた本の他に予想外の出費がでたりしてさ。

・・・そういえば、ブログとかってカテゴリ分けされてるから、必要な記事だけみれるけど、このひまじんみたいに記事のソートは時系列だけ!ってなると、どうしても必然的に全部の記事みちゃって、その中から偶然超面白い記事発見したりとかしてたな。順に読む、なんて受動的な日記ののぞき方しかなかった時代の方が、ちょっとお得感はあったかも。時間はとられたけど。

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ウェブを意味もなくウロウロしてるとそーいうのありますよね(笑)でも、このごろ私にとってのウェブは知りたい情報引き出しツールとなりつつあり・・・。時間のゆとりがほしいっす。 / みほ ( 2006-08-22 13:29 )
「興味の枠内だけれど能動的に調べようとしない情報」、私は質問サイトでいろいろ見つけて楽しんでます。はてなとかOKウェイブとか。「そういえば私もそれ疑問に思ってた!」という質問に行き当たるとつい見てしまう……。 / みなみ ( 2006-08-19 01:25 )

2006-08-10 引越し前日

とうとう引越し前日。
・・・結局母親はすばらしい手際よさで荷物をまとめてくれた・・・。パッパパッパと掃除して荷物をまとめ・・・。洗濯ものも、すごくキレイに干してくれた。乾いたら、シワがない!箱根に行く途中、電車の中ではやく仕事をやめて主婦になりたいと言っていた。家事が本当は好きな人なんだ。・・・私が卒業するまで、希望的観測ではあと一年と半分。私は早く自立したい、とおもう。母は早く家に入りたい、とおもう。

私が学校に行きたくないとわめいていた中学か高校のとき、母はひとりごとのように言っていた。
「私達が共働きだから、みほこのことをみてやれなくて・・・」
共働きだから、という言葉が響いた。私はあの時そんなの今の状況に関係ないと想っていたし、今も両親が共働きだったから私が学校いかなかった、という関係性はないと思っている。多分、彼女の願望だったのだ。娘たちと一緒にいたかった、できれば主婦になりたかった・・・

母は多分、自分が働いていたから娘の心境や状況の変化に気づかなかったし、手遅れになる前に手助けできなかったと悔やんでいたと同時に、純粋に家にいたかったんだと思う。私は母が主婦であっても状況はかわんなかったし、両親共働きであんまり干渉されないでよかったなあ、と思っていたけど。

電気とか電話とか水道とか、解約手続きを全て済ませた。全部で45分かかった。つかれた。暑い・・・。

そして明日からは

コ ミ ッ ク マ ー ケ ッ ト 。

新潟帰る前に行こうかな・・・。

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2006-08-08 にゃりーん

エクニカオリの「落下する夕方」をまた読んでる。ついでに同時平行的に村上春樹のダンス・ダンス・ダンスもまた読み始めてる。色んなアンケートを見てると、江国香織と村上春樹は雰囲気がにてる、なんてあるけど、私はよく理解できない。あんがい違う気がする・・・たとえば江国香織なんて、恋愛を「狂気」と位置づけて、それによっていかに普通(ってなんだろうね)の生活を送れなくなってるかをとうとうと語ってる。別れた恋人を静かに想い続ける様は周りの人間に助けたいと思わせるほど狂気じみてる。で、村上春樹は恋愛を、大切な位置においてはいるけれども、主人公とかって極めてそれを日常的に生活の一部として扱ってる。必死に恋愛絡みの過去とか奥さんとか皆追ってるけど、それは日常の一部として必要だから追ってるだけというカンジがする。

あー・・・。これってさ、男女のれんあいかんだよね。
はあ。そうか、そうだった。恋愛を「狂気」ととるか、「日常においてとっても大切な部分」ととるか、女性には前者の傾向が強いだろうし、男性には後者の傾向が強い・・・かもしれない。


ところでうってかわってワールドビジネスサテライトでは、「カロリー気にするサラリーマン」なんて話題があったよ!ぜひビール腹人口を減らすために貢献してもらいたいす。男性向けダイエットプロダクツはもっと増えていいと思うんだ!サラリーマン向けテイカロリーデリとか。そういうヘルシーお昼ごはん的な場所ってOLさんがほとんどだから、おじちゃんたちとか入りにくそうだし。薄汚い食堂に「ダイエットメニュー」陳列とかw

明日は箱根に行きます。ハコーネ。母と二人でハコーネ。

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2006-08-08 戦争とか

今夜は母がうしろで寝てる中一人でテレビを見る。NHKの硫黄島玉砕戦ドキュメンタリーと、テレ東のワールドビジネスサテライト。ひとりでテレビ番組みるなんて本当に久しぶりで、番組途中に「ねえこれって・・・」と話しかける相手がいないのが超違和感。

やっぱりこの時期になると、戦争関係の番組がおおくなる。私は戦争については、存在意義(たとえば戦争が政策の選択肢に入ること)は否定しないが、結局感情的に存在を否定する。今まで手放しに戦争反対と頭ごなしに考えてきたし、戦争関係の話を聞くのは辛いし鳥肌が立つ。でも、結局は戦争ってマクロ的な利益を得るor維持するために存在する、一番ミクロを犠牲にする「政策」であるといったらそれは本当だ。戦争を否定したい私にだって戦争の恩恵はうすーく存在するのだ、歴史的にも、社会的にも。それはやはり戦争がある意味「政策」であり、それを実行する「意義」を持っているからだ。

でも、私達はやはり戦争を否定したい。人が人でなくなることへの拒絶感をほとんどの人は内包している。しかも日本の興味深い歴史教育で、現代史がいきなりミクロ化してしまうことによって、悲惨さだけが強調され、例えば太平洋戦争の歴史的、政治的位置づけが示されないまま私達は教育されてきている。

小さな事象に焦点をあてて、「この人たちはこんな悲惨な体験をしてきました、だから戦争を絶対的、決定的に否定しよう」というのはドキュメンタリーとして美しいけれども、そもそもその「意義」をみつめてみなければ根本的な問題は見つめられない。戦争がなくならないのはそこに意義があるからでしかない。war brings nothingじゃなくてさ・・・。例えば太平洋戦争で日本は世界情勢の中で追い詰められて戦争しか選択できなかった、だからそうならないためにも外交手腕強化していきましょうね、と、意義から教訓を得ないとただのデモ行進で終わってしまう。それこそbrings nothingだ。戦争意義だけは否定しない。


・・・はぁ。とってもセンシティブなトピックだけど、自分は一体何を考えてるんだ、と、結局はミクロ的に、パプアニューギニアの激戦を生き残って、その体験について多くを語らず数年前に死んだじいちゃんを思い出しながら書きました。まだ混乱してるけど。

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2006-08-06 母、来襲

母がきます。引越しのパッキングの手伝いにきます。というか、横浜で講演会があってそのついで、しかも箱根に温泉行きたいからそのついで、に引越しの手伝いにきます。

私としては
ひとりでひっこし経験は何度かあるので大丈夫だと言ったのだが、

「もう有給とっちゃったも〜ん」

ときかないので、今日から9日までお母様と一緒。


・・・私の愛用ディオールアイシャドウ(母の化粧箱から盗んだ)や、ちょっと時々使ってるヴィトンのバック(母のワードローブから盗んだ)は、全て取りかせされる運命なんだろうか。

ていうか、少ない予算で買ったオオバコダイエットの粉末は隠さなければ!母は保健婦で、独自の健康哲学があるらしくそういうのに過剰な嫌悪感をしめします。昔はダイエットシェイクを意味なく非難してました。そのわりに実家ではよくカレーうどんとか冷凍焼きおにぎりとか出てました。

母は50代前半のクセにあいのりとかネプチューンなんとかとか、爆笑問題のなんとかとかがすきだったり、楽天マーケットで散財してたり(そして私が買おうとも思わない「エビちゃん系」の時計とかアクセサリーとかバックとか買っては電話をよこして「ちょっとみほ、これかっちゃったんだけど、いる〜?」とかきいてくる)、ちょっと若い人とシンクするとこがあるんじゃないかと思ってましたが、ギャルやギャル男君は苦手だそうです。

要するにミーハーなんだ!実家で使われてない健康グッズとか沢山あるしさ!あ、でもハンリュウの波には乗ってませんでした。

そういえば母は私のワードローブを綿密にチェックします。「あんたこんなのいつ買ったの」とかよくにらまれます。そのたびに、「学園祭のフリマで買ったんだよ・・・」(100%本当)と悲しい返答をしなければいけません。自分の家は片付けないのに、私の部屋が汚れていると怒ります。ついでに、実家の掃除をするのは大概父です。あるいみ共働きの鏡のような家ですが、どうみても父がやる家事の方が多いです。でも、週末は母ががんばって掃除をしていて、私などは昼まで寝てると、突然部屋のドアが開いて爆音で掃除機をかけてました。

そんなチャーミングな母です。


・・・毎回どうも考えの違いが起こるらしく母は絶対一回は爆発するので、そう書いておいて大きな心でこの3日間をのぞみたいです。

そんなチャーミングな母です。愛嬌がある人です。

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