昔はやっていた「自分探し」という言葉。自分探しというのは全くよくわからなくて、一体何を探すのかといつも思い悩む。というのも、NZにいたときは、よく「自分探し」をうたって旅している日本人が多かったから。イイカンジにホームスティして、イイカンジに語学留学して、イイカンジにNZの自然と戯れて、開放的になって「ああ、これって自分なのね!」と思ってみてるのかもしれない。でも、そこでいう「自分」とはナンなのだろう。わざわざ外国でちょっとの間滞在して得た経験から引き出される「開放感みたいなもの」が「自分」なんだろうか
それは、そのNZという環境でしか得ることができない一時的な自分の姿であって、それはあくまでNZの環境に順応した姿を「開放されている」と思っているほかならない。こんなところで、「だから日本の環境は人を疲弊させるんだ」とか言うつもりとかって全くなくて。自分は自分でしかないということのどこが不満で「自分探し」をするんだろう。
外部的要因からもたらされる「新しい自分」なんて結局一時的なものでしかない。それを「本当の自分」と思うには飛躍しすぎ。
でもね、このごろ、自分探しって実はよかったんじゃないかと思うところが時々ある。それがたとえ虚構にまみれているかもしれなくても、良かったんじゃないかと。自分探しをやってた私が見た日本人の殆どは、NZに行く前は「軽い鬱」だった。自分が何をすればいいのかわからない、自分は何をしたいのかわからない、何もできないで一日がすごして、これって「自分」なんだろうか?と思い立ったが吉日、ちょっと前は旅行代理店に行った。
今はそれが心療内科だ。こんな症状がでたら「うつ病ですよ」と、チェック項目に自分を当てはめては心療内科を勧める。私だってそりゃ前の恋人と別れた時は、心療内科、一緒に行こうか、と友人に勧められてるほどウツ的な人間で、実際心療内科に頼ろうとしたので心療内科とかが悪いとはいってなくてさ。でも、軽度のウツは薬に頼ってしまうと結局クセになってしまう。
昔の自分探しって、実は「軽度のウツな人の自然治癒能力を上げる」ことだったんじゃないかと思う。「今までにない自分」とかじゃなくてさ、「本来の自分」を立て直すための刺激を自発的に享受するための行為が「自分探し」。
かぜの時に薬を飲むといけないって言われるのは治癒能力が下がるから。自分をあっためるために毛布にくるんで寝てればなおってしまう。「自分探し」はかるーい心の病の毛布の役割だったのかもしれないな、とフと思った、NHK(女性の)ウツ特集
でした。 |