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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

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2006-07-18 雨の渋谷
2006-07-06 占い
2006-06-17 文化人類学とか
2006-06-17 お米
2006-06-15 主張するべきもの
2006-06-08 ロハス
2006-06-02 考え
2006-06-02 復刻版
2006-05-21 driver's high
2006-05-19 うおお


2006-07-18 雨の渋谷

「今日はうちにきてくれない?」

雨の渋谷、夜半でもせいぜい薄暗い。

「仕事があるんだ」
「ユカの家に行くと、疲れて明日の仕事に支障がでるから・・・」

ユカは傘を忘れた。よわよわしいビニール傘を持っているユウジに腕をよせられる。

「ほら寄って」

こんな小さなビニ傘では到底ユカの右半分の腕とバックを濡れさせないようにできない。

「ねえ」
「どこいくの」
「スタバ」
「やっぱりうちにきてほしい」
「ムリだよ」
「お茶飲んで帰ろう」

ユウジはマンゴーフラペチーノをトールで頼む。ユカはスターバックスラテを豆乳で頼む。途中ATMでお金をおろしてきたユウジがサイフからお札を出す。ユカは何も言わない。

「そんなふくれっつらにならないで」
「その顔は可愛くないよ」

ユカは黙ってラテを吸っている。イスにバックを半分投げるようにしておく。

「ユカ」
「このイス濡れてるからこっちに置きなよ」
「バックだって結局濡れてるんだから、同じことだよ」
「ねえ」
「行けないんだって」
「分かってね」

イスに座って、ユウジはユカを見る。ユカは黙ってユウジの手からマンゴーフラペチーノを取る。一口吸って返す。

「そっちに行く気は無いからね」
「わかった」
「わかったってば」
「もう来る気が無いのは分かったからこっちもフテくされて気を引くのはやめる事にした」
「今からは建設的な会話をする」

ユウジは笑った。お互いの飲み物を交換して飲む。「建設的な」仕事の話をする。

「仕事が思うとおりにいかない」
「なんで?」
「さあ」
「効率的に仕事をしないからだよ」
「いつもユウジは仕事が遅い」
「そうだね」
「なんでだろう」
「そんなモチベーションないならやめたら」

ユカは窓の外を見た。雨足が強くなっている。向かいに座っているユウジの表情を読み取ることができない。

「やりたいことをしていない気がする」
「自分でそうさせているんじゃないの」
「そうかもね」

席から離れるとき、ユカはユウジのせなかを見る。彼は何も言わずに二つの空のプラスチックカップを手にとり、そして所定の場でそれらを丁寧に捨てる。残った氷とプラスチックを分別していた。「せつない」ユカは思った。

「ねえ」
「渋谷駅まで送って」

ユカはまたこの小さなビニール傘に収まって、ユウジの腕につかまる。

「俺はさ」
「職人になりたいのかもね」
「ふうん」
「細かいことを、こつこつ作り上げてくの」
「合ってそうでさ」

駅までの地下通路まで来る。階段を数段下りて、ユカは地上で立ち止まっているユウジを見上げる。

「分かったよ」
「改札まで送るよ」

ユウジの腕につかまるために、ユカは手を伸ばす。雨の日の通路は、ホームレスがむらがっている。

「俺がホームレスにならざるをえなくなったら」
「潔く死んじゃおう」

ユカはユウジの目を見た。

「わたしがいても?」
「ユカが助けてくれなかったらだよ」
「俺は、いつもユカが助けてくれると思ってる」
「でも、それがかなわなかったら、生きなくてもいいんだよ」
「心残りもないしね」

二人は腕を組みながら階段を降りる。空気が生臭い。

「唯一の心残りがあるとすれば」
「ユカともっと一緒に生きられないということかな」

改札に着いた。二人はわかれる。ユカはホームに出る。人だかりの中で胸が締め付けられる。
帰ったら、ユウジに電話して謝ろうと思った。

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2006-07-06 占い

ほへと数秘占い〜。
http://www.geocities.jp/standing_art/hoheto/kazu.html?input1=19790223&output=%0D%0A


・基本性格
好きな事しかしない、純粋な人。
興味のある事、好きな事意外は非常にストレスを感じます。好きな事を仕事にするか、。好きな趣味を持って下さい。
集中と怠惰の差が激しく、集中したときのタイミングの良さは神懸かりですが、モチベーションの低いときは時間を無駄にしがちです。

・人間関係
人間関係は飾り気を嫌い、素朴で素直な関係を求めます。一見クールな部分はありますが、これと思えば面倒見はいい方です。
性格的に利己的な部分もありますが、基本的にまず自分ありきな性格なので自分を否定する人に対しては非情な部分があります
恋愛は純粋な部分と秘めた衝動。基本的には純真なので大人のドロドロした恋愛は無理ですね。意外と恋愛が苦手な人も多いです。衝動を抑え込みすぎると無感情になる場合があります、感情の解放も大切です。

・生活
仕事はわずらわしい人間関係が絡むと効率が著しく低下します。あとは好きな仕事か否かが問題です。

・金運
趣味には消えていきます。先にも出てましたが仕事に自分の能力が生かされてるかが大切です。




いつもあたってると思う占いは同じことしかかいてません。(当たり前か)
好きなことしかしたくない、というのは、もう、ああ!(笑)
その点では今期はよく金融の勉強とか、研究会の幹事(飲み会幹事、合宿幹事とか・・・)やったよな〜・・・。それでよくストレスで倒れなかったよな〜。
あたってると思われる占いをここに貼り付けるとほぼ同じ結果に・・・。

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2006-06-17 文化人類学とか

先日、MITの助教授の方がこっちにきて講演をしてくれた。日本文化人類学が専門のお若い先生。

なんとその人は日本のアニメについてとうとうと語ってくださったので、とてもシンパシーを(勝手に)感じた私は講演後図々しく名刺まで頂いて、今は楽しくアニメ文化の人類学についてメール交換をしている。彼はあっちの夏休みが終わるまで、日本に滞在してウェブ上での日本のオタク文化についてフィールドワークをするらしい。

やはり、その現地に行かないと、何がはやりで、ドレくらい認知されているかを肌で感じることはできない。例えば、「2ちゃんねる」がどのような層によって構成されて、ここから派生する色々な「祭り」といわれる文化は認識することはできない。私達が当たり前のように接する文化という認識を、他の文化圏の人は容易に見過ごすか誤認をする。

日本では、「2ちゃんねる」的な人々はオタク層のもはや必要十分条件になっているといっても過言ではないかもしれない。そんな人々が、あの巨大な匿名掲示板を使っていまや日本全体にインパクトを与えているという事実(電車男とかノマネコとか)をMITの先生は知らなかったというらしい。

彼が2ちゃんねるに関わる研究をするかどうかは分からないが、アメリカにいたままであったらやはり日本についての文化人類学は難しいと思う。

文化人類学は、一度そのような研究会にいたことがあるが、自分の研究分野に関わる特定人物や特定団体を近くから観察し続けることで特定分野に関するなんらかの方程式を導く研究手法をとる。ミクロを徹底的に分析することでマクロに還元するやり方だ。アメリカからじゃやっぱりそういうことはできない。

ってかどのような学問でも、外国についての研究をするならその外国に足を運んで研究するしかないのだろう。またもや先日、研究会のゲストレクチャーで、ジェラルド・カーティス先生という超有名な日本政治学者にお会いしたんだけれども、彼は一年のうち半分は日本にいて、実際日本の政治家から色々な話を聞くらしい。

・・・というかその先生は私が夏から一年間留学する大学の先生で、学部生にも「日本外交史」みたいな講義を行っているらしい。ぺろっと「受講するかもしれません・・・」とか言ってみたけれども、本当に受講するかも・・・。超ためになったレクチャーだったしなあ〜

やはり外国のことについて研究するのは、色々手間隙かかるもんなんだな・・・。

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2006-06-17 お米

玄米半分、白米半分のおこめをといで、水を入れて、炊飯器に一日ねかせてから炊いたら驚くほどおいしかった。玄米って実は本当ーに香ばしい穀物なので、白米よりも好き。一口食べたら幸せになれる。でも上手く炊かないとパサパサしてしまうので、玄米で幸せを感じるのはちょっと手間がかかる。

ちょっと手間をかけて幸せを得る。

幸福感を得るには、やはり手間がいる。しかも、正しい手間がいる。見当違いな手間は幸福どころか結果として人を落ち込ませてしまう。玄米を水にずっと浸してたらおいしくなるのはいいが、水の分量を間違えたらそれこそぬっぺりしたモノになってしまう。

正しい手間をかけるためのちょっとした注意力。

みちをあるいていたら綺麗なバラがさいていたとするが、それを見て幸せと思えるかどうかは、「それを見て幸せになれるだけの余裕」が必要だ。落ち込んでいる時に、花をみて幸せになれたとするが、なんてボタモチ的な幸福なんだろう!というわけではない。落ち込んでいても、「余裕」という感受性を働かせるまで「正しく回復」しているから幸せになれる。

おいしい玄米を食べて、綺麗な音楽を聴きながらこうやってひまじんの記事入力画面の前でキーボードをかたかた動かしていることは、私にとって幸福だ。こんな梅雨中のちょっとした晴れ間を使って外にでてもいいのだろう。だけど、何かを残しておきたい時に、充足した満腹感をもちつつ、音楽きいてリラックスしてるときに、おもったことを文章にすることができるなんて、多分、このごろなかった幸福だ。

今まで課題やら研究会の発表やらで、自分が何考えてるか妄想するよりも、自分の研究のリサーチばかりしていた。私にとって妄想をちゃんと言葉にするって案外な嬉しさを伴うのだけれども、忙しかったりすると、そういう嬉しさを感じる余裕が出来上がらない。

時間を楽しむだけの「正しい余裕」。

こんなことをして幸せになるだけの条件である正しい余裕とは、多分私にとっては、このような余裕が貴重であるという認識から始まる。余裕というものを望んだときにそれは価値があるものになる。それは当たり前のようなことだけれども、研究会の発表やらで忙しかったときに渇望していた余裕を今得ることができる、そしてそれはあと一週間もしたら無くなってしまう(次は研究会個人発表が待っている)と分かっているから貴重であると認識できる。

ここで幸せになるための下地を作らなければ、それこそ玄米おいしくたけた、とかひまじんでいろいろかきこめるとかいうファンデーションやらチークやらルースパウダー塗っても崩れるだけだ。

だから、正しい手間が必要。

あ、あとふとんも干せるのって幸せ。

家庭的なこと、家事とかで身の回りをととのえることって、余裕があるときにやると本当にいい気分になれますね。といいつつ家事は料理以外苦手なわけですが・・・

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2006-06-15 主張するべきもの

主張するべきことなんて人間そんなに多くないとおもう。
研究会でどれほど議論をしていっても、結局主張し続けることは良くないときが多い。いかに自分の主張を論理つけて話しても、それを最後まで押し通す、そこまでする価値のある場合なんてそうそうないのだ。

論破する価値がある議論なんて本当にそんなに存在しない。ひとりだけで研究をしているのではなく、「グループで」研究をしているときは、尚更だ。自分が正しいという事はそんなに難しくない。でも、それにどんなに理由をつけても、根拠を見せても、自分の意見のみが通る価値がある議論なんて、少なくとも勉強の中では存在しない。

主張するべきところがある話なんて、本当に私が一年に発する会話のうちに、何回かある位だ。

自分の命に関わること、自分が守るべき人間に関わること、ソレくらいしか存在しないんじゃないかと思う。確固とした価値観は時に人を傷つけることがある。でも、人を傷つけてまで守るべき価値観なんて、「演技」するときにしか存在しない時がおおい。だから、結局私の中で価値観を持つこと自体を重要だと思っていない。

確固とした価値観を持ちなさいとよく言われる。でも、それが目的ではない。信じるものが存在している、それが目的になると人は自分自身に対して固まってしまう。価値観というものは、それを持つことが重要なのではなく、どうやって価値観と接するかで違いが生じる。信じるものが自分自身と照らしあわすことができるなら、どういわれても動じないから人はフレキシブルになれる。自分自身を価値観と向き合わせれば、自分の決定には自信がもてる。「他者を受け入れる自分」に自信がもてる。

人間は多分もともとフレキシブルだ。自分を信じていれば。


・・・と思った今日の研究会飲み会。

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むずかしいですけど、いつも心にとめておきたいことっす。けめ子ちゃんも、自分を信じることができる強いオンナニナッテホシイデスヨ!! / みほ ( 2006-06-16 20:53 )
これとっても素敵。そして実践的! 参考にします。 / みなみ ( 2006-06-15 23:38 )

2006-06-08 ロハス

ロハス。

先輩が日本においてのロハスの扱われ方について論文かいてた。で、ロハスという単語の意味を知った。つい最近知り合った人がロハスコンサルタントだった。ロハスがどれだけビジネス的に熱いのか教えてもらった。その一週間後、ロハス雑誌ソトコトを東京駅で読んだ。そしてフラフラしていたら、オーガニック化粧品なぞというものに出くわした。ロハスを意識してみた。

で、ロハス。
こんなんプチリッチーの道楽だよーっけーっ
と思っていたけれども、あながちそうでもない。
道楽ではなく、カテゴライズを求めていた人たちにとっての格好の言葉だった。確固とした価値観をもって日々生きることが出来る人なんてそーそーいない。大体、色んな選択の理由は私含め「なんとなく」だ。

そもそもロハスってライフスタイルの言葉であって、それは価値観に結びつく。「こういう価値観をもっている」という認識は、自分の選択に理由を見出せる。例えば、無添加な化粧品を選ぶのも、有機栽培野菜を食べるのも、CO2プロジェクトを意識してみるのも、全ては「持続可能なライフスタイル」を支持するという価値観があるからだ。

CanCam的なライフスタイルは「モテたい」が価値観に組み込まれるし、ヒルズ族的なライフスタイル(個人的にはもう廃れてしまった感)には、「セレブリティ意識」な価値観が生まれるし、チョイ悪オヤジなライフスタイルには、「オヤジだけど格好いい」価値観が提供される。

色々な性別、年代によってライフスタイルが提供されてるけど、プチリッチーナチュラル系には彼らをカテゴライズする価値観が無かったからロハスがサササーっとそんな人々の間に入り込んできた。

会う限り、ロハスな人々って、20代後半から30代前半の独身の方々が多くて、仕事も充実してて、まだ夢もあって、だから何かに貢献したい感がありありと見て取れる。

そんな人々に、環境にも貢献できて、ちょっとナチュラルクールで、語感がいいロハスってぴったりだったんだろう。て感じで、今私の学校ではやりのマーケティングとかみたいに語るのは簡単だけど、ロハスってやっぱりなんか違うと思う。

ライフスタイルに、「環境政策」的な政策も入り込める余地があるのは、今のところロハスだけだ。ロハスだけが、「他者への影響」としての政策を語れるライフスタイルを持っている。それが生活全般に入り込むんだから、すごいことだと思う。人々の生活様式に微妙に政策が入る余地があるってやっぱり私の知ってるところロハスしかない。

環境政策を、価値観として、選択の理由として、格好いいものとして取り入れることができる人々がロハスピープルとか言うんじゃないだろうか。

やー、すごい。政策を達成するためのライフスタイル提案って使えるんじゃないか?いや、いままでそういうのがあったけど、今まで取り上げられなかったとか。どうだろう・・・。

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2006-06-02 考え

99年の事件をウェブでウロウロしてたら発見した

カルト宗教集団が
ミイラを放置してたって話。


まだしんでないんです、まだしんでないんです、


という信者達
もしもそれがホントウだったら、ホントウにそう思ってるなら、
私だったら逮捕するという以前ににその人の考えてることをきく。

価値観の相違。物事の捉え方の相違。

ソレを一つにまとめちゃう社会。




ところで
正当化のできるボーダーラインは全て、今、米国にゆだねられてるね
その米国のなかに相違がありすぎて困っているのにね

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2006-06-02 復刻版

世もかしこも回顧録

団塊の世代の皆様オツカレサマです
ですが、仕事やめる前に財布ヒラカセトクゾ

と言わんばかりに復刻版ったら大流行ですね。



まあ私にとっちゃ生まれるまえの製品を回顧されてもですね、
あー、ふーん、これってどっかの新製品?

としか思わないわけで・・・でも
新製品=復刻版
という購買欲のそそられ度には理解を示してるので(どういうハナスカシ発言だという野次は無視しつつ)、
復刻版というのは、新製品のインパクトを内包しつつ、
ターゲット層以外の年配様にもお財布開いてもらえるという
ナウでデリシャスな企画なわけですね!


・・・という話を、私が10分で作ったブロッコリースープ(ブロッコリーは冷凍・・)を
すすりながら彼氏としていた、つい2週間前。





商品だけじゃなくてさ、記憶も復刻してもらったら面白いわけですよ

そして出てきたIはら君案


テロルチョコ

内容
10個のチロルチョコサービスパックの中に、
一個だけ生命に関わる毒が入ったテロ顔負けのチョコ



・・・ほら、森永なんとか毒事件
ってありましたよね、
あの要領で、
事件の記憶を復刻してもらうわけですよ・・・。
ホントウは森永製品にやってもらいたいわけですが・・・。



そうですよ、製品の記憶を復刻させるのではなく、
事件・出来事の記憶を復刻させるインパクトのある製品!

どうにか作れないもんでしょうか
でもテロルチョコは、平和主義ないしざわさんは大反対です。

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2006-05-21 driver's high

研究室においてあるチョコが溶けそう。

暑い。

ラルクの曲を誰かがitunesで聞いてる。

無線ランで共有される楽曲。

共有される情報

共有される・・・

共有される認識を作るのは、
共有される情報を作る基盤を作り上げるよりも難しい。

絶対的な認識は存在しない。

論理で作り上げた概念は納得できるけれども、
心に響くとは限らない

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2006-05-19 うおお

大丈夫大丈夫。

グループスタディ(もはや、二人だけの私達に「グループ」なんて単語使えるのかとか思う)のメンバーが、

「大丈夫」

といった。
私は、

「本気になってがんばればね」

と付け加えた。
かれは

「そういうこと」

と返した。


黙々と資料探して、院生に華麗にロジック崩壊させられ、また違うトピック探して・・・。
ああ、なんでこんな研究会入ったんだろう、ともはや明るい朝4時ぐらいに思ったのかもしれない。
うす明るい青が染まる窓をみながら二年前の光景を一瞬頭が再生した。
1年とき、2月に出させてもらった、日中韓の学生ビジネスコンテストが忘れられない。
日中韓が、力をあわせればこんなにすばらしいものができる、一体感を共有できる、
そんな皆が言うような「理想像」をあの時一瞬でも、一瞬限りでも見ることができた。それを将来、皆が、フツウにあることのように見ることができたらと思って、この、東アジアの地域研究をしている研究会に入ったんだ・・・
ビジネス、ていうとても実質的なことで日中韓の私達があそこまで意識を共有できたのなら、実際に私はその基盤を作るための研究をしたかったんだ・・・
だから、貿易を専攻したんだ・・・

なんか、色々思い出した。
元気が出た。
love&peace
とか、カッコつけた人が良く言うけど、私だって、この東アジアって地域で堂々とそんなことが言えるようにできたらとっても嬉しいだろうな、って思うよ・・・

本気になってがんばろう。

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