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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

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2006-06-17 お米
2006-06-15 主張するべきもの
2006-06-08 ロハス
2006-06-02 考え
2006-06-02 復刻版
2006-05-21 driver's high
2006-05-19 うおお
2006-05-16 このごろのグルワ
2006-05-07 こわいよう
2006-05-04 たらこー


2006-06-17 お米

玄米半分、白米半分のおこめをといで、水を入れて、炊飯器に一日ねかせてから炊いたら驚くほどおいしかった。玄米って実は本当ーに香ばしい穀物なので、白米よりも好き。一口食べたら幸せになれる。でも上手く炊かないとパサパサしてしまうので、玄米で幸せを感じるのはちょっと手間がかかる。

ちょっと手間をかけて幸せを得る。

幸福感を得るには、やはり手間がいる。しかも、正しい手間がいる。見当違いな手間は幸福どころか結果として人を落ち込ませてしまう。玄米を水にずっと浸してたらおいしくなるのはいいが、水の分量を間違えたらそれこそぬっぺりしたモノになってしまう。

正しい手間をかけるためのちょっとした注意力。

みちをあるいていたら綺麗なバラがさいていたとするが、それを見て幸せと思えるかどうかは、「それを見て幸せになれるだけの余裕」が必要だ。落ち込んでいる時に、花をみて幸せになれたとするが、なんてボタモチ的な幸福なんだろう!というわけではない。落ち込んでいても、「余裕」という感受性を働かせるまで「正しく回復」しているから幸せになれる。

おいしい玄米を食べて、綺麗な音楽を聴きながらこうやってひまじんの記事入力画面の前でキーボードをかたかた動かしていることは、私にとって幸福だ。こんな梅雨中のちょっとした晴れ間を使って外にでてもいいのだろう。だけど、何かを残しておきたい時に、充足した満腹感をもちつつ、音楽きいてリラックスしてるときに、おもったことを文章にすることができるなんて、多分、このごろなかった幸福だ。

今まで課題やら研究会の発表やらで、自分が何考えてるか妄想するよりも、自分の研究のリサーチばかりしていた。私にとって妄想をちゃんと言葉にするって案外な嬉しさを伴うのだけれども、忙しかったりすると、そういう嬉しさを感じる余裕が出来上がらない。

時間を楽しむだけの「正しい余裕」。

こんなことをして幸せになるだけの条件である正しい余裕とは、多分私にとっては、このような余裕が貴重であるという認識から始まる。余裕というものを望んだときにそれは価値があるものになる。それは当たり前のようなことだけれども、研究会の発表やらで忙しかったときに渇望していた余裕を今得ることができる、そしてそれはあと一週間もしたら無くなってしまう(次は研究会個人発表が待っている)と分かっているから貴重であると認識できる。

ここで幸せになるための下地を作らなければ、それこそ玄米おいしくたけた、とかひまじんでいろいろかきこめるとかいうファンデーションやらチークやらルースパウダー塗っても崩れるだけだ。

だから、正しい手間が必要。

あ、あとふとんも干せるのって幸せ。

家庭的なこと、家事とかで身の回りをととのえることって、余裕があるときにやると本当にいい気分になれますね。といいつつ家事は料理以外苦手なわけですが・・・

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2006-06-15 主張するべきもの

主張するべきことなんて人間そんなに多くないとおもう。
研究会でどれほど議論をしていっても、結局主張し続けることは良くないときが多い。いかに自分の主張を論理つけて話しても、それを最後まで押し通す、そこまでする価値のある場合なんてそうそうないのだ。

論破する価値がある議論なんて本当にそんなに存在しない。ひとりだけで研究をしているのではなく、「グループで」研究をしているときは、尚更だ。自分が正しいという事はそんなに難しくない。でも、それにどんなに理由をつけても、根拠を見せても、自分の意見のみが通る価値がある議論なんて、少なくとも勉強の中では存在しない。

主張するべきところがある話なんて、本当に私が一年に発する会話のうちに、何回かある位だ。

自分の命に関わること、自分が守るべき人間に関わること、ソレくらいしか存在しないんじゃないかと思う。確固とした価値観は時に人を傷つけることがある。でも、人を傷つけてまで守るべき価値観なんて、「演技」するときにしか存在しない時がおおい。だから、結局私の中で価値観を持つこと自体を重要だと思っていない。

確固とした価値観を持ちなさいとよく言われる。でも、それが目的ではない。信じるものが存在している、それが目的になると人は自分自身に対して固まってしまう。価値観というものは、それを持つことが重要なのではなく、どうやって価値観と接するかで違いが生じる。信じるものが自分自身と照らしあわすことができるなら、どういわれても動じないから人はフレキシブルになれる。自分自身を価値観と向き合わせれば、自分の決定には自信がもてる。「他者を受け入れる自分」に自信がもてる。

人間は多分もともとフレキシブルだ。自分を信じていれば。


・・・と思った今日の研究会飲み会。

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むずかしいですけど、いつも心にとめておきたいことっす。けめ子ちゃんも、自分を信じることができる強いオンナニナッテホシイデスヨ!! / みほ ( 2006-06-16 20:53 )
これとっても素敵。そして実践的! 参考にします。 / みなみ ( 2006-06-15 23:38 )

2006-06-08 ロハス

ロハス。

先輩が日本においてのロハスの扱われ方について論文かいてた。で、ロハスという単語の意味を知った。つい最近知り合った人がロハスコンサルタントだった。ロハスがどれだけビジネス的に熱いのか教えてもらった。その一週間後、ロハス雑誌ソトコトを東京駅で読んだ。そしてフラフラしていたら、オーガニック化粧品なぞというものに出くわした。ロハスを意識してみた。

で、ロハス。
こんなんプチリッチーの道楽だよーっけーっ
と思っていたけれども、あながちそうでもない。
道楽ではなく、カテゴライズを求めていた人たちにとっての格好の言葉だった。確固とした価値観をもって日々生きることが出来る人なんてそーそーいない。大体、色んな選択の理由は私含め「なんとなく」だ。

そもそもロハスってライフスタイルの言葉であって、それは価値観に結びつく。「こういう価値観をもっている」という認識は、自分の選択に理由を見出せる。例えば、無添加な化粧品を選ぶのも、有機栽培野菜を食べるのも、CO2プロジェクトを意識してみるのも、全ては「持続可能なライフスタイル」を支持するという価値観があるからだ。

CanCam的なライフスタイルは「モテたい」が価値観に組み込まれるし、ヒルズ族的なライフスタイル(個人的にはもう廃れてしまった感)には、「セレブリティ意識」な価値観が生まれるし、チョイ悪オヤジなライフスタイルには、「オヤジだけど格好いい」価値観が提供される。

色々な性別、年代によってライフスタイルが提供されてるけど、プチリッチーナチュラル系には彼らをカテゴライズする価値観が無かったからロハスがサササーっとそんな人々の間に入り込んできた。

会う限り、ロハスな人々って、20代後半から30代前半の独身の方々が多くて、仕事も充実してて、まだ夢もあって、だから何かに貢献したい感がありありと見て取れる。

そんな人々に、環境にも貢献できて、ちょっとナチュラルクールで、語感がいいロハスってぴったりだったんだろう。て感じで、今私の学校ではやりのマーケティングとかみたいに語るのは簡単だけど、ロハスってやっぱりなんか違うと思う。

ライフスタイルに、「環境政策」的な政策も入り込める余地があるのは、今のところロハスだけだ。ロハスだけが、「他者への影響」としての政策を語れるライフスタイルを持っている。それが生活全般に入り込むんだから、すごいことだと思う。人々の生活様式に微妙に政策が入る余地があるってやっぱり私の知ってるところロハスしかない。

環境政策を、価値観として、選択の理由として、格好いいものとして取り入れることができる人々がロハスピープルとか言うんじゃないだろうか。

やー、すごい。政策を達成するためのライフスタイル提案って使えるんじゃないか?いや、いままでそういうのがあったけど、今まで取り上げられなかったとか。どうだろう・・・。

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2006-06-02 考え

99年の事件をウェブでウロウロしてたら発見した

カルト宗教集団が
ミイラを放置してたって話。


まだしんでないんです、まだしんでないんです、


という信者達
もしもそれがホントウだったら、ホントウにそう思ってるなら、
私だったら逮捕するという以前ににその人の考えてることをきく。

価値観の相違。物事の捉え方の相違。

ソレを一つにまとめちゃう社会。




ところで
正当化のできるボーダーラインは全て、今、米国にゆだねられてるね
その米国のなかに相違がありすぎて困っているのにね

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2006-06-02 復刻版

世もかしこも回顧録

団塊の世代の皆様オツカレサマです
ですが、仕事やめる前に財布ヒラカセトクゾ

と言わんばかりに復刻版ったら大流行ですね。



まあ私にとっちゃ生まれるまえの製品を回顧されてもですね、
あー、ふーん、これってどっかの新製品?

としか思わないわけで・・・でも
新製品=復刻版
という購買欲のそそられ度には理解を示してるので(どういうハナスカシ発言だという野次は無視しつつ)、
復刻版というのは、新製品のインパクトを内包しつつ、
ターゲット層以外の年配様にもお財布開いてもらえるという
ナウでデリシャスな企画なわけですね!


・・・という話を、私が10分で作ったブロッコリースープ(ブロッコリーは冷凍・・)を
すすりながら彼氏としていた、つい2週間前。





商品だけじゃなくてさ、記憶も復刻してもらったら面白いわけですよ

そして出てきたIはら君案


テロルチョコ

内容
10個のチロルチョコサービスパックの中に、
一個だけ生命に関わる毒が入ったテロ顔負けのチョコ



・・・ほら、森永なんとか毒事件
ってありましたよね、
あの要領で、
事件の記憶を復刻してもらうわけですよ・・・。
ホントウは森永製品にやってもらいたいわけですが・・・。



そうですよ、製品の記憶を復刻させるのではなく、
事件・出来事の記憶を復刻させるインパクトのある製品!

どうにか作れないもんでしょうか
でもテロルチョコは、平和主義ないしざわさんは大反対です。

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2006-05-21 driver's high

研究室においてあるチョコが溶けそう。

暑い。

ラルクの曲を誰かがitunesで聞いてる。

無線ランで共有される楽曲。

共有される情報

共有される・・・

共有される認識を作るのは、
共有される情報を作る基盤を作り上げるよりも難しい。

絶対的な認識は存在しない。

論理で作り上げた概念は納得できるけれども、
心に響くとは限らない

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2006-05-19 うおお

大丈夫大丈夫。

グループスタディ(もはや、二人だけの私達に「グループ」なんて単語使えるのかとか思う)のメンバーが、

「大丈夫」

といった。
私は、

「本気になってがんばればね」

と付け加えた。
かれは

「そういうこと」

と返した。


黙々と資料探して、院生に華麗にロジック崩壊させられ、また違うトピック探して・・・。
ああ、なんでこんな研究会入ったんだろう、ともはや明るい朝4時ぐらいに思ったのかもしれない。
うす明るい青が染まる窓をみながら二年前の光景を一瞬頭が再生した。
1年とき、2月に出させてもらった、日中韓の学生ビジネスコンテストが忘れられない。
日中韓が、力をあわせればこんなにすばらしいものができる、一体感を共有できる、
そんな皆が言うような「理想像」をあの時一瞬でも、一瞬限りでも見ることができた。それを将来、皆が、フツウにあることのように見ることができたらと思って、この、東アジアの地域研究をしている研究会に入ったんだ・・・
ビジネス、ていうとても実質的なことで日中韓の私達があそこまで意識を共有できたのなら、実際に私はその基盤を作るための研究をしたかったんだ・・・
だから、貿易を専攻したんだ・・・

なんか、色々思い出した。
元気が出た。
love&peace
とか、カッコつけた人が良く言うけど、私だって、この東アジアって地域で堂々とそんなことが言えるようにできたらとっても嬉しいだろうな、って思うよ・・・

本気になってがんばろう。

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2006-05-16 このごろのグルワ

ひさっびさに家に帰った。とってもひさびさに朝から夜まで引きこもれる。

外は雨。今日は授業がちょっとあったはずだけれども、起きる余力がなかったからそのまま寝てしまった。
昨日までずっと学校で研究してた。ともかく、薄暗い研究室に、グループメンバーと二人っきりで資料プリントしてエクセルにまとめて話合いして疲れてコンビニ行って栄養ドリンク飲んでパソコンいじって眠くなって、今まで何人が使ったか分からない非衛生的な毛布に包まって簡易ベッドで仮眠してた、という生活が続いた。もう眠る場所じゃないようなところで寝るのに抵抗も覚えない。

今期のグループスタディは、二人だけ。途中でひとり抜けた。
ぶっちゃけ先学期のグループスタディよりもつらいし、休めないし、どうしようもない。
でも、なれた気がする。先学期よりも、研究のペースがつかめたし、集中して資料にあたることも苦にならなくなった。
やらなきゃいけない量と責任は先学期の倍だけれども、気分は先学期の倍くらい楽。

先学期の倍ほど学校に寝泊りしている気がする。でもどうにかやっていける気もする。
昨日の夜、家に帰ったらホントにすぐ意識がなくなった。悲しい夢を見て朝起きたらからだがだるかったので昼まで寝た。

電気料金支払いも、留学の手続きも、母の日のプレゼントも、みんな先延ばしだけど、それらをやろうと思えばできるのに、その前に寝たい。
文章がまとまらない。
今日も夜10時から研究室

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2006-05-07 こわいよう

留学先の大学から、
「学校内の寮は使えないから自分ですむトコ探してね」
というメールがきたので、真っ青になって
「ちょっとちょっと、そんなインターナショナルすちゅーでんとに、NYCで自力で右も左もわかんない人が部屋を探せるわけないじゃないですか、斡旋くらいしてくださいよー」
という旨をとても丁寧にメールしたところ、
「こんなサイトがあるから、自分で探してよ」
と、賃貸情報サイトのウェブアドレスだけわたされたorz


うきょー
やばいんじゃない?
モトカレもアメリカの大学に留学したときなんて、留学前に一度渡米して部屋探したっていうくらいだし、そんくらいしないと見つからないんでしょうか?

むしろ私はホストファミリーにお世話になってもいいんだけどなあ・・・
家具準備しなくていいし・・・

と、ホストファミリーつながりで今中国で英語教えてるNZでのホストマザーに、メールで「NYCで一緒に1年間すまない?」なんて提案してみました・・・。
彼女はホンコンに移り住む気があるらしいのですが、ホンコンよりもNYCの方がエキサイティングだよ!とか訳わからない説得しながら返事待ちでございますorz

彼女なら、気兼ねなく和気アイアイと一緒に暮らせる第一候補なのですが・・・



留学楽しみってかんじよりも、不安が強くなってきたー・・・
部屋みつかんの・・・?

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2006-05-04 たらこー

夜回り先生こと、水谷修さんの講演会が、ちょうど新潟でやってました。帰省中なんで、ぐうぜーん!って感じで足を運びました。


感動した・・・・!!!

自分もトーコーキョヒヒキコモリな10代前半を送っていたので、共感するとこありーの、涙うるうるになる話がありーの・・・

水谷先生は、社会的に「問題がある」子のために、こうやって実際行動を起こして、講演を重ねてる・・・


感動した・・・!!

大学でとある先生が、「社会的な問題、たとえば環境、人権とか、そういうものを、ひとつでもいいから自分の人生の軸に入れなさい」って言ってたけど、私の心に訴えかけてくる社会的な問題は、やっぱり青少年についてです。

私は自分の中でいろいろな興味の軸があって、それは絵だったり、仏教美術だったり、東アジアだったり、貿易だったりするけど、その中のひとつはやっぱり10代の子供たちについてだなー・・・あ・・・



という感じで改めて自分の心に訴えかけるものは何か、と実感したところで、

キューピーの、たらこ、かわいいっすよね・・・
あの、キューピーがたらこ着てるやつ!

たーらこ、たーらこ、たーっぷり、たーらこ、

ってやつ。

先日、それこそ水谷先生が夜回りで出かけて行きそうな深夜の渋谷はセンター街のゲーセンで、たらこのぬいぐるみがユーフォーキャッチャーであったので、彼氏と共に、1000円ほど投入してゲットしまつた。

あのぬいぐるみ、引っ掛ける場所がないからチョー苦戦したんですけど、心優しいゲーセンの店員さんが取りやすい場所にぬいぐるみを移動してくれて・・・

取れたときには二人で、

ッシャーーーーーーーーーーー!!!!

と思わずさけんでしまいまつた

あのシュールなデザインのぬいぐるみ・・・
好みにジャストフィット・・・

萌えー・・・。

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