主張するべきことなんて人間そんなに多くないとおもう。
研究会でどれほど議論をしていっても、結局主張し続けることは良くないときが多い。いかに自分の主張を論理つけて話しても、それを最後まで押し通す、そこまでする価値のある場合なんてそうそうないのだ。
論破する価値がある議論なんて本当にそんなに存在しない。ひとりだけで研究をしているのではなく、「グループで」研究をしているときは、尚更だ。自分が正しいという事はそんなに難しくない。でも、それにどんなに理由をつけても、根拠を見せても、自分の意見のみが通る価値がある議論なんて、少なくとも勉強の中では存在しない。
主張するべきところがある話なんて、本当に私が一年に発する会話のうちに、何回かある位だ。
自分の命に関わること、自分が守るべき人間に関わること、ソレくらいしか存在しないんじゃないかと思う。確固とした価値観は時に人を傷つけることがある。でも、人を傷つけてまで守るべき価値観なんて、「演技」するときにしか存在しない時がおおい。だから、結局私の中で価値観を持つこと自体を重要だと思っていない。
確固とした価値観を持ちなさいとよく言われる。でも、それが目的ではない。信じるものが存在している、それが目的になると人は自分自身に対して固まってしまう。価値観というものは、それを持つことが重要なのではなく、どうやって価値観と接するかで違いが生じる。信じるものが自分自身と照らしあわすことができるなら、どういわれても動じないから人はフレキシブルになれる。自分自身を価値観と向き合わせれば、自分の決定には自信がもてる。「他者を受け入れる自分」に自信がもてる。
人間は多分もともとフレキシブルだ。自分を信じていれば。
・・・と思った今日の研究会飲み会。 |