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「短歌日記」

いしざきともこのページENTER

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2004-10-03 きょうのうた
2004-09-29 きょうのうた
2004-09-18 きょうのうた
2004-09-16 きょうのうた
2004-09-12 きょうのうた
2004-09-11 きょうのうた
2004-09-08 きょうのうた
2004-09-05 きょうのうた


2004-10-03 きょうのうた

■しかたなく洗面器に水をはりている今日もむごたらしき晴天なれば/花山多佳子

いや、今日は雨なんですけどねぇ。秋の雨、といった感じの雨。
雨は基本的に好きではないけど、同じ雨なら、春の雨のほうが好き。

■目を閉じて降られてみても虚しかろ雨で流せるもののなきこと/いしざきともこ


天気とその日の気分。割りと強く影響を受ける方だと思う。
人間関係においても、深く関わると、知らないうちに影響を受けている。
いい影響も、悪い影響も、波紋みたいに体の中に広がっていく気がする。


誰かの声を聞いたあと。
体のなかにすうっと広がっていって、そのあとに残る微熱。
ずっと保っていたいと思うような、熱もあるんよね。
そういう日は、そらをみても、陸をみても、
その先に誰かがいるような気がして、こころのなかが、じんわりとする。

■待つときの淡いゆらめき蝋燭の炎消えゆくまでのゆらめき/いしざきともこ

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2004-09-29 きょうのうた

いろいろ書きたいことはあるのだけれど、書きたいことは書けないことだったり。
だいたい、わたしの書きたいことや言いたいことは、あんまり人に言えることでは
ないような気がするから、ここも日記といいつつ日記風なことは全然書けない。
 
■どのような形になってもかまわない君の手を待つ粘土細工よ
 /いしざきともこ ネタは某女性から借りました(笑

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2004-09-18 きょうのうた

 「また」と言ひあいて別れし晩夏よりおのおのの身に時は積もれり/横山未来子

「また」というのは一時の別れなのか、永遠の別れなのか。
それによってもずいぶん解釈のしかたが変わって来ると思うけれど。

例えばどんなに人を想う日も、
結局は一人なのだなと思う気持ちに帰結することが多かったような気がする。

 約束のひとつを命綱として渡ってみたい海があります/いしざきともこ

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2004-09-16 きょうのうた

夢と現実の境界線って曖昧だな、と時々思う。
夢の中で現実を見て、現実の中で夢を見たりする。

夢からさめたあと、誰かの感触が残っていて
いるはずのない人をなぜか探していた。
夢の残像って、なかなか消えない。

 鈴の音のまた遠くなる兆ししてふいにあなたが消えてゆく夢/いしざきともこ
 

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2004-09-12 きょうのうた

 希望ありかつては虹を待つ空にいまはその虹消えたる空に/小島ゆかり

空はひとつであっても、陸はあれこれと邪魔なものが多く、
ひとつであると言うことは難しい。それでも陸に住むものなので、
空は見上げるしか出来ないし、憧れることしか出来ない。
そらへ、勝手に期待をして、勝手に絶望する、陸に住む生き物。

 果てしなく続くだなんてうそ空にあなたを失う予感、ヒコウキ/いしざきともこ

 この下にあなたはいたのかもしれず流れる雲のかたちよ愛し/いしざきともこ

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2004-09-11 きょうのうた

 負け馬に乗り換へほくほく往く生もたのしからむがわれは勝ちたし/栗木京子

勝ち組みとか負け組みという言葉はいつ頃から聞かれるようになったのだろ。
わたしはあまり勝ち負けにこだわりがない気がする。
ああ、でもすんごい美人で、しかもいいとこのお嬢様を目の当たりにすれば
そりゃあ、うらやましぃ〜って感じに思うけど。
そもそも何を持って勝ちとするのかって、よくわからないし。
地位とか、収入とか、幸せな家庭を築くとか。なのかなぁ。
とすると、自分は勝敗とはずいぶん縁遠い生活な気がする。

 もう武器は捨ててしまおう あなたへと降伏すれば崩れゆく膝/いしざきともこ

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2004-09-08 きょうのうた

 何か足らぬ何か足らぬといくばくの迷ひに掬う一匙の塩/蒔田さくら子

あー、なんか。前半部分のリフレインが、すっごい焦燥感を煽る歌です。
焦燥感はあるのに、どこか諦めているような感じがします。
漠然とした物足りなさとか、不満、ぽっかりと空洞があるような感じ、は
具体的に何が手に入れば解決するとか、楽になるとかではないのですよね、たぶん。
何か良くわからないけれど、それを求めて、自分が満たされたと感じる時の
充足感は快楽的ではあるけれど、どこまでいっても終わりがないから、
きっとどこかで諦めなきゃなのだろうな、とは思う。思ってるだけだけど。


 さっきまでいた場所がもうわからない潮の満ちゆくまでを見ており/いしざきともこ

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2004-09-05 きょうのうた

ともすると感情的になりすぎそうなとき、
だらだらと気持ちを書き殴れば、それはそれですっきりするのだけれど
吐き出しただけで、何も生まない、、、というのは、
なんだか勿体無い、と思うようになりました。
感情を公に出す、ということは、裸になるということと同じだから
そのこと自体に羞恥心を持つし、あとから後悔するくらいならば
やっぱり、そういうときこそ、短歌なのかな、って・・・私にとっては。
例えばそれが正の感情だとしても、負の感情だとしても、
いつかと「似たような」感情は心に沸き起こることはあっても
まったく同じ感情はひとつとしてないような気がするし、
一度きり、なのだと思うから、大切に出来たらいいと思います。
感情の一つ一つを、かたちとして残しておきたいと思うようになりました。

今日から、「きょうのうた」として、心に留まった短歌、思い起こした短歌を
日記ごとに書いていこうと思います。自分のもの(古いもの、新しいもの含む)
であったり、そうでなかったり、両方だったりすると思います。

 あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ/小野茂樹

これは、恋愛の歌として読むととても美しく切実な歌ですが、
また別の視点から見ると、時間というものは決して戻せないこと、
だから余計に貴重なのだということを教えてくれる気がします。
 
 どの春も一度きりだよ草むらでたったひとつの鍵を拾った/いしざきともこ

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