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にょろろんの脳味噌活性化計画、日記帳本館



Webサイト「にょろろんの脳味噌活性化計画」の日記コーナーと更新情報。
前向きになったり、後ろ向きになったり、車庫入れのような日記です。
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脳出血体験記はこちらで連載中

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-01-15 入院して一週間、なんとか生きてます
2003-01-13 小康状態の6日目
2003-01-12 体力低下が身に染みる5日目
2003-01-11 弱りの入院4日目
2003-01-10 憂鬱な3日目
2003-01-09 入院2日目
2003-01-08 入院
2003-01-07 いつもの部屋に戻る
2003-01-06 仕事初め
2003-01-05 ひまじん日記帳正式デビュー&正月休み終わり


2003-01-15 入院して一週間、なんとか生きてます

昨日は午後から再びずっと苦しく、休日のため先生もなかなか捕まらなくて大変でした。
ステロイドを臨時で追加したものの、呼吸が楽になるどころか過呼吸になって興奮して、手はしびれて何をやっても失敗するパニック状態、その後落ち込んで眠りにつく。
これは喘息以外の病気を併発しているんで歯ということで、早速初めての耳鼻科へ。鼻から細いファイバースコープを食道の直前まで強引に突っ込まれました。結構な長さがあるものですね。
ちょっといたい診察でしたが、耳鼻科領域異常なし。今度は気管に麻酔をかけて肺の方まで管を通して調べる胃カメラよりこわい気管支鏡をするかどうかを検討するらしい。
今日で入院一週間、何とまだ一日たりとも平和でのどかな日を体験していません。
昼眠っていたら聞き覚えのある声が、何とほかの部署で働く後輩がわざわざ客先からたずねてきてくれて仰天。病院の場所すら教えていなかったのにすごすぎ、ホント嬉しかったです。
今回の入院で初めての家族以外の院外お見舞い客でした。
同じ会社と言えども何カ月も会話していなかったので、こっちはベッドに尿付で固定状態ながらも会話に花が咲きました。
遠いところ気を付けて帰ってね。
それにしても、ゆうはんくらいのじこくになったあとはなんでいつもこんなに苦しいんだろう。もう1週間進展ないじゃん!
忙しいしもっと重症なひとがいるのは分かるけど、早く呼吸を楽にしてほしい!あしたはCT全身輪切りだそうです。

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気管支鏡はまだわかんない。今日いまいって来た首と胸の輪切りで原因が映るか、抗生物質が効くのを祈る。ひさぞもこっちではおはつです。 / にょろろん ( 2003-01-16 13:14 )
入院して数日は検査だらけだよねー。胃カメラより怖いのか・・・<気管支鏡 / ひさぞ ( 2003-01-15 23:35 )

2003-01-13 小康状態の6日目

ステロイドを増量したためか寝汗がひどかったものの、苦悶するほどの不眠もなく、昨夜の町屋斎場の夢とは打って変わって今朝は「かに道楽」の夢で割合気持ち良く目覚めました。
「同じのれんの味続き」とは言っているけど、確実に大阪の方が関東より量も質も上だと思う。ああ治ったら大阪行きたいなあ。
まだ息苦しさは残るものの昨日よりはまし、但し副作用で血圧が異常に高い。
水分の補給は昨日から意識して多めにやってます、これもだんだん功を奏してくるでしょう。
この前の日記に書いたおじさんは毎日お見舞いに来てくれ、ありがたいです。「この部屋に移されて酸素が常時接続になったときの心細さが分かった」と私が言うと、
「うん、でも意外とあっさり治っちゃったんだよね」だそうです、私もそうありたい。
それにしても、病院の外の景色が見えないのは憂鬱ですね。なんだかテレビ見ても集中出来ないし、ちょっと調子のいい時を見計らってこうやってザウルスのメモ帳で打っています。
この界隈には全く歩けない人は私のほかにはいないようです。同じ点滴を持って動くにも、歩くのと車椅子じゃ便利さは雲泥の差ですが、管をあらかじめ肩に背負ってから動き始める、など自分なりの技を編み出し始めました。
うーん、しかし脳性麻痺で喘息で常時点滴している人って、同室の人や見舞い客からみると相当重症者に見えそうですねえ。「この人は一生出られないんだろうな」って帰宅後の夕食時の話題にされたりして。きっとそうだろうなあ、ふだん会社勤めや車椅子で海外一人旅しているだけだって相当驚かれるしねえ。
しかし、ちゃんと治って復活するんです。
おしっこのときに看護婦さんを呼ぶのはやっと抵抗がなくなりました。もちろん忙しいから待たされるのは当然。それに点滴しているといつもよりトイレが近くなる。だからどの程度の体感で溜まったときにコールするか、のこつをつかむのが難しいですね。
午後からは体を拭いてもらった後、会話していたら息苦しくなってきました。今度は喉がやられたという説ありですが、昨日の気管支ほどのしんどさではないです。

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イッセイさん。一人で旅行できるようになるように頑張ります。旅行記はサイト本体にあります。 / にょろろん ( 2003-01-16 11:23 )
車椅子で海外一人旅ってのは すごいですね 驚く驚く / イッセイ ( 2003-01-15 08:58 )

2003-01-12 体力低下が身に染みる5日目

世の中うまく行かないもので、昨日よりさらに不調。
なぜか、小説などで有名な町屋の火葬場(東京博善社町屋斎場)の夢(ちなみに火葬の夢は精神的な抑圧を表すらしく、縁起が悪い訳じゃないらしい)でうなされて息苦しくて5時に目が覚め、そのまま意識もふらふら。夜まで歯も磨けず。
息苦しさは発作止めのステロイド点滴(そるメドロール)を入れても治まらず、来てくれた主治医の指示でしばらくは常時接続の大きい点滴の濃度が2倍になります。
調子は悪くても3食きちんと食べているのは救いですね。
先日病室のカーテンについて書きましたが、私が半開きというのは気分的なものよりむしろ物理的なものです。
要するに、壁からの酸素の管が届かない。だからカーテンをしまうと、自分で閉める必要があるときに困るのです。気分的にはやはり外の景色が見たいし、もっと開けたいかなあ。
金曜日から追加された脳性麻痺の体の痙攣を取る薬、マイルドに効いてると言うか、帯びにみじかし襷にながしというところ。
でも頭はかなりボーッとするし、一度に減らすと反動でかえって悪化するらしい。
これも退院近くなったら慎重に減量してもらわなければいけませんね。
今回の入院で前回と決定的に違うのは、日を追う事に体の自由が利かなくなっていくところ。
本当に今日なんて食事と電子機器操作以外は完全介護状態、おしっこすら一人でうまくとれない。
これがこたえた。看護婦さんは偉いとはいえ、やはり20代前半の娘さんにやってもらうのは抵抗も遠慮もあり、そのため水分を控えていたら午後に脱水症状になりかけて急遽診察をうけるはめになった。
もう余計な気を遣うのはやめよう、おしっこはわがままではないんだし。
夜になって入院して初めて父に会った、やはり今回はショックなのか、父がいつもより老けて小さく見えた。
そして、父に顔をふいてもらったり、髭を剃ってもらったり、やはり家族は気持ちいい。
なんだか今晩はうまく入力出来ないし、いい文章表現も思いつかないので、この辺で。

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2003-01-11 弱りの入院4日目

今日は4時間ちょっと眠れたものの、朝起きたときは苦しくて意識がおかしくなりそうでした。
夜行便の点滴が夜が明けても半分も終わってないようで(ひじを曲げて寝ていたのか、管が変なのか、調節の問題か、誰のせいという訳じゃないけど)、薬が予定通り入っていなかったようです。
朝の排泄や食事もなかなかしんどく、なぜか前回の入院よりかなり弱ってしまったことは否定出来ません、心細いなあ。
前回の入院では体の自由もいくらか利いたので、ナースコールも1日2,3回程度だったけど、今回は1日に車椅子の乗り移りから何から、最低限と考えながらでも平均10回以上呼んでいます。
それでも一度も嫌な顔せず対応してくれて、本当に看護婦さんって偉いなあって改めて思います。
本当にこの病院は患者さんの自主性を考えてくれているなあっておもいます。
これが人員削減の悪徳養老院や貧乏病院だったら、おむつをさせられて寝たきりにさせられたのではと思います。
ちゃんと自分の意思で排泄出来て、車椅子にも乗り移れてこうして日記が書けるということは、ふべんな中でも恵まれていると思わなくては行けないのかも知れません。
午後からは1時間くらい昼寝をしたものの、やはりあまり快方には向かわず。
来てくれた母や妹は予想以上に弱った私を見てちょっと動揺していたようです。でも、ここは高度病院なので心配ないです、頑張りますよ。
母たちが来てから短時間だけ酸素を外して、点滴を引きずりながら病棟ラウンジへ。入院して4日目にして初めて外の景色を見ました。ああ、懐かしい横浜の町並み。
今は点滴も定刻どおりになるように取り戻しちゅう、明日こそ快方に向かうといいなあ。

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denkoさんおはつです。人の辛さはそれぞれです、お大事に! / にょろろん ( 2003-01-12 20:46 )
風邪が長引いてるだけで弱気になってるのに…にょろろんさんを見習って、明日こそ快方に向かうぞ〜! / denkoはじめまして ( 2003-01-12 10:54 )
ぼくも 入院中ですが 様子がちがいますね がんばってください / イッセイ/ おはつです ( 2003-01-11 19:12 )

2003-01-10 憂鬱な3日目

今日も午前2時から5時まで目がさえてしまって、なかなかの不調。
呼吸も24時間体勢の大きなのっぽの点滴の割に特に午前は芳しくない。今でも安静時はいいんだけど、動いたり10分くらい会話したりすると、もう息がゼイゼイして苦しくなります。
熱はそれほど出ていないけど、脈が130台からなかなか下がらないので、なんだか変な気分です。
もともとの障害の状態も悪くなっていて、筋緊張やけいれんが強く、何をするにもうまくいきません。排泄とか、食事とか、はずかしながら結構こぼしてしまいます。
う〜ん、鬱な気分、まあしょうがないか、現状を受け入れるしかないよね。
看護婦さんにも「以前のような活気がないねえ」って言われる、当然です(笑)。呼吸の辛さより精神的なダメージの方が大きい位だもん。
嬉しいこともありました。前回の入院で仲良くなり、彼の病状が悪化して私が本当に心配しながら先に退院したのですが、私の再入院を聞き付けて、まだ入院中なもののすっかり元気になった顔を見せてくれました。
今度は以前の彼と入れ替わるかごとく(笑)、私が酸素や点滴の常時接続になったので、売店にも行かれないだろうと飲料の差し入れまでしてくれました。
とにかく、元気になってくれて良かった〜。
退院したら一緒に食事に行こうって連絡先も交換してくれて、ホントにありがたい。
辛い憂鬱な一日だったけど、治す目標がおかげさまでひとつ増えました。
入院生活はこういう心遣いはすごく身に染みますね。

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2003-01-09 入院2日目

横浜のとある大きな病院で朝を迎えました。
環境が変わったせいやら、かなり強いステロイドの薬の副作用やらで昨夜は、睡眠剤を2種類駆使しても2時間しか眠れませんでした。
昨日から装着されている鼻からの酸素吸入と点滴、どちらも24時間常時接続に計画が変更されました、残年。インターネットの常時接続は最近のうれしい流れですが、点滴や酸素の常時接続は全く正反対で結構苦痛です。ベッドや車椅子にホースが絡み付いていらいらするし、やはりどんな動作をするにしても存在が気になります。
そして何より、部屋とトイレ以外の移動が出来ないのが辛いです。
ベッドから起き上がるにもトイレに行くにも、看護婦さんの手を借りなければいけません。お世話になります。
内気な方が多いのか、同室の人同士の会話は殆ど無く、話し相手がいないのもちょっと寂しいです。
これがいつまで続くのかは分かりませんが、早く呼吸と脈拍が楽になって常時接続から解放されたいです。
こんな中でも食欲があるのは救いですね、頑張ります。でも頑張り過ぎて中途半端に回復も良くないし、今回は流れに身を任せた方がいいのかなあ。

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2003-01-08 入院

朝2時に目が覚めてずっと息苦しく、産業医との面談で休養を勧められ、上司や職場への説明も最低限をこなし、そのまま病院へ直行しました。
今日はまるで野戦病院のように外来はごった返していて、喘息の発作の点滴を診察室の空きスペースで開始。このとき脈が150あり、「なんでもっと早く来なかったのー」と言われる、だって会社行ってたんだもん、ほんとは行きたくないのに復帰に向けて頑張ったんだって。
早速、生まれて初めての鼻から酸素チューブを装着され、入院を促されるも満室らしい。
帰ろうかなと思い始めていたころ「病棟に空きがひとつ出た」ということで、訳が分からぬまま連行。着の身着のまま何もないけど、充電済みザウルスだけはもっていた(笑)。
前回の入院のときのような、「これで楽になれる」という解放感は今回は余りなく、点滴の中身や酸素を見るにつけ、重症になったかへのショックの方が大きいです。
前回の入院日記で「なぜみんな部屋の仕切りカーテンを一日中閉めるのだ?」
と書いたけど、そういう気持ちが理解出来ました(ちなみに今は半開き)。
ちなみに残念ながら部屋は窓側ではありません。
点滴も明日の朝まで外れないし、酸素も壁から延長コードで鼻につながっているんで、身動きがうまく取れず、トイレにも自由に行けず、車椅子に管類がからまるストレスと副作用でイライラします。
では、第2回入院日記不本意ながらスタートです。

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2003-01-07 いつもの部屋に戻る

今日は今年初めての十日市場の夜です(実家からだと水、木は朝の会議に間に合わないので)。
このアパートに戻ってくるのも3週間ぶり位で、なんだか半分別荘感覚で懐かしいです。狭くてすぐ暖まるこの部屋も落ち着いて気にいっています、車椅子での移動の自由度も高いし。
もっとも、金曜日は休んで通院なのであさっての夜また実家に戻るという、たった2泊の滞在です。よって、PCも「蘭ちゃん」も実家に置いたままです。いきなり一人暮らしに戻って発作その他も危険なので、今日は親が泊まってくれています、ご心配なく。
年賀状がたまってたー、うれしいけどこの通りなのでお返事は遅れます。もう7日過ぎたら寒中見舞いなのかな、寒中見舞いは15日過ぎだったっけ、実家に置いてきた印刷済みのお返事用年賀はがきどうしよう。
因みに、2週間以上家を空けて留守電は一つもなし、ちょっと寂しい。
今日は酸素濃度が低下したのか、だるくて長く感じた一日で、なんでもないような仕事がとてもおっくうで疲れました。出社2日目にして、ステロイド25mgの効き目すら低下してきたような気がします。この先不安だあ、息苦しいなあ、会社ではどう思われているんだろうなあ(毎日こればっかり)、そろそろ点滴かな。

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2003-01-06 仕事初め

世間では仕事初めといっても、うちの会社にはそれらしい雰囲気はまるでない。服装がきちんとしている人がいるわけでもなく、新年の挨拶すらしない人も珍しくない。昼礼のときに帰省土産のお菓子を配ってくれる人がいるくらいは、殆どいつもと変わらないのです。普段職場でお菓子をあまり食べないので、各地のものが食べられるのは楽しみ。

去年発生して逃げてきてしまった問題の処理は、私が休む寸前に息も絶え絶えで無い知恵振り絞った解決策を、派遣社員の若者にテストするように頼んでおいたのですが、幸いうまくやってくれたようで、無事に鎮火しそうです、感謝感謝です。これで新年早々ヤミ金まがいの膨大な利息に悩まされることはなく一安心。

やはり悔しいかな、とくに午後からは不調でした。まったくなんのために入院して、なんのために皆が遊んでいるときに禁欲の正月おくって、それで結果は薬だけは倍近くに増えて先月の体調と大して変わらないのか、と思うと本当に悔しくてたまりません。

4時半くらいまで頑張りましたが、職場復帰して1ヶ月、早退するのもやはり周りの視線が気になってやりづらい。しかし、しんどいんだからしょうがない。

やはりこのパターンが続くのはもううんざり、どうにか方針転換できないものか。10日の通院では外来でぶちぎれてしまうかもしれないし、ぶちぎれたらしょうがないんで論理的に紙に書いて整理するべきなのかも知れないし。

ああ、初日からストレスが溜まります。あと3日とりあえず頑張ろう。

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2003-01-05 ひまじん日記帳正式デビュー&正月休み終わり

新年を境に、今まで使っていた日記帳サービスから、こちらの「ひまじんネット」へ日記コーナーを正式に引っ越します。使い勝手も今までとは違うし、ここは独自のつっこみ機能など、独自の楽しみ方もあるようなので、よろしくおねがいします。

11日間連続の休みも今日で終わり。明日からは仕事です。
今までの正月休みよりも長かったのですが、まあ落ち着いて休養できていい休みだったかなあと思います。喘息発作も小規模なものがほとんどで救命救急センターのお世話にもならなかったし、風邪もひかずにすみました。風邪を引いたら入院といわれていたので、これには特に気をつけていました。

一番残念で悔しいのが、体調が予想していたほど回復しなかったことです。入院中と同じステロイド25mgを神経的な副作用と闘いながら1日も休まず続け、酒の量も控え、外出もいつもより控え、深夜のTVや2ちゃんねる巡りも控え、とこれだけ禁欲で安静にしたにも関わらず、喘息の状態は去年の仕事納めの時と殆ど変わりません。

去年の仕事納めはしんどさのあまり仕事を放り出して逃げるように帰ってきたので、明日からどうなるかを考えると「頭痛が痛い」です。当時は「11日間の自宅静養で年初には体調は回復しているはず」って考えていたし、自分以上に職場の周りの人達がきっとそういう前提でいるだろうなって考えると、本当に明日は行きたくないです。

仕事初めなんだから心機一転もっとさわやかで前向きな気分でなければいけないんだけど、今年は困ったことになかなかそんな気にはなれません。
まあ、10日の金曜日は休んで通院の日なので、やれるところまでやってみます。

それでも、休み自体は家族揃って割とのんびりと穏やかに過ごせたので、まあよしとしましょう。こんな年もあるさ。

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