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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-12-04 ハワイ問題(2)
2003-12-04 ハワイ問題(1)
2003-12-02 江戸天下祭(大結局)
2003-12-02 江戸天下祭(13)
2003-12-02 江戸天下祭(12)
2003-12-02 江戸天下祭(11)
2003-12-01 江戸天下祭(10)
2003-12-01 江戸天下祭(9)
2003-11-30 江戸天下祭(8)
2003-11-30 江戸天下祭(7)


2003-12-04 ハワイ問題(2)


(つづき)ビデオはあるにはありましたが、154分バージョンでした。

がーん。。。。

が、もしかしたら、ちらりとでも、林翠の姿が拝めるかもしれません。
とりあえず、借りて帰ることにしました。

そして、結果はというと。。。。

やはり、きれいさっぱりカットされておりました。
ついでに言うと、主人公夫妻(マックス・フォン・シドー&ジュリー・アンドリュース)の長男の成人後をピーター・フォンダがやっているらしいのですが、それも抹殺されていました。

王家衛も真っ青。。。。

154分バージョンでは、主人公の3人の子供たちが、勉学のためにアメリカ本土へ渡るところで終っています。

まあ、154分でも十分長いですから、200分と言われた日にゃあ。。。。

しかーし、どうしても林翠が観たい!

この一件、今後も継続調査いたしますわ。

どなたかオリジナル版をご覧になった方、いらっしゃいましたらご一報下さい。

輸入版ビデオなら、オリジナル版なのか知らん?(とりあえずおしまい)


付記:『ハワイ』には、無名時代のベット・ミドラーも出てるそうです。これはけっこう有名な話。

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しんちゃん様:ありがとうございます。実は、先日がんばって本家アマゾンにオリジナル版ビデオの注文をしました。来月には届くみたいです。お心遣い、ありがとうございます。 / せんきち ( 2003-12-09 20:21 )
あ、この映画も洋画ですよね、すいまそん。 / しんちゃん ( 2003-12-09 01:45 )
ちょっくら近くを探してみます。でも洋画がメインなので厳しいかもです。中国映画より日本のアニメの方が品揃えがいいもので・・・。 / しんちゃん ( 2003-12-09 01:43 )
くすのき燕様:ニッポンのハワイですね。 / せんきち ( 2003-12-06 20:56 )
私、来週ハワイ公演です。といっても、鳥取県羽合町だけど。 / くすのき燕 ( 2003-12-06 17:50 )
KEI様:追伸です。林翠と陳厚が『ハワイ』に出ていること、香港の研究者も(管見の限りでは)全く触れていません。カットされてしまったからだとしたら、なんとも浮かばれない話です。 / せんきち ( 2003-12-05 20:53 )
KEI様:さっそくどもです。中古が5と新品が4ありました。中古の新品同様でも買ってみようかと思います。しかし、英語がめんどくさい。。。。 / せんきち ( 2003-12-05 20:50 )
オリジナルバージョンは189分みたいですね。ここちょっと前にBSでも放送しましたが、何分バージョンかは不明です。189分版ならアメリカでビデオが出ているみたいですが廃盤のよう(中古では手に入るらしい) / KEI ( 2003-12-05 00:40 )

2003-12-04 ハワイ問題(1)


香港の昔の映画雑誌『國際電影』(大手映画会社・電懋が発行していたもの)を読んでいたら、1965年5月号に「林翠(1936〔or7〕〜1995。50〜60年代の香港を代表する女優の一人)、ハリウッドで映画撮影」という記事が載っていました。
なんでも、『夏威夷(ハワイ)』に出演するとか。
しかも夫役で、やはり当時香港を代表する男優だった陳厚も出るらしい。

へっ!?『ハワイ』?あの、ジュリー・アンドリュースの?

というわけで、早速『ハワイ』のキャストをチェックしましたが、林翠の名前も陳厚の名前もありません。
しかし、キネマ旬報のデータベースにあるストーリーの後半には、

成長したミカーはエール神学校に入った。何年間か、アブナーの闘いの年が過ぎた。その頃白人の資本家が島にのりこみ、低賃金の中国人労働者を酷使し始め、これに反対したアブナーと、アメリカ産業界は真っ向から対立した。本土から帰ったミカーは、ホクスワースとノエラニとの間に生まれた娘を、恋人として連れてきた。ミカーは勘当され、神学をあきらめて薬学を専攻しホノルルに落ち着いた。そして彼はライ病のまん延を防ぐなど、革新的大事業を敢行した。また永い年月が過ぎた。アメリカ産業界の圧力は、ついにアブナーの聖職引退を要請するまでになった。失意のアブナーをなぐさめるのは、和解した息子のミカーだった。彼は父に、ホノルルで一緒に住もうと申し出たがアブナーは断った。ジェルーシャとともに苦労を重ねたラハイナこそ永住の地だと思いこんでいたのだ。

とあり、たしかに中国人が出てきます。

「なんでだろう(流行語大賞らしいね)」と思いつつ、更に詳しく調べてみると、『ハワイ』には200分189分154分、3通りのバージョンがあるらしいのです。
ということは、154分バージョンでは、この後半部分がきれいさっぱりカットされている可能性があります。

とにもかくにも、まずは本編を見てみないとお話になりません。
不詳せんきち、渋谷のTSUTAYAへ急行いたしました。(つづく)

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2003-12-02 江戸天下祭(大結局)





フィナーレは、山車丸ごと一基の展示です。

埼玉県加須市本町の龍神の山車。
文久2年(1862。一部資料では文久元年)、仲秀英の作。この秀英は、古川長延の師であった二代目秀英ではなく、神田白壁町に住んでいた三代目秀英のようです。
山王祭21番(新大坂町、田所町、通油町)の山車として曳かれていたものを、明治16年(1883)に購入したのだそうです。
江戸から地方へ散逸し現存する山車のうち、もっとも原型を留めているものです。

山車人形は、当時載せられていた龍神ではなく、織田信長に代わっています。
これに陵王の面を被せて、「織田信長が陵王を舞っているところを描いている」と、展示会場にいらした地元の方が説明してくれました。

信長だと、雅楽の舞よりは仕舞って感じなんですがね、本当は。

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ぷるぷる様:築地の魚河岸の人たちが復刻製作した龍神の山車があるらしいのですが、めったに曳かれることはないようです。この山車の人形も、龍神のほうがいいですね。陵王の山車人形というと、川越が有名です。とても優美な人形ですよ。 / せんきち ( 2003-12-04 23:10 )
龍神バージョンも見たいところですね。なんだか迫力がありそうです。 / ぷるぷる ( 2003-12-04 11:05 )
シャルさん:どうも。よくわかりませんが、ボチボチサンてどなたですか?個人的なご用件は、またメールでも下さい。 / せんきち ( 2003-12-03 22:29 )
それにしてもおひさしぶりでごんす。オゲンコ?昨日は本当にありがとうね。でね。そろそろ鍋の季節だと思うんだけど例の台湾風鍋ってコリアンダー以外ののスパイスあるのかしらん。ボチボチサンの方がよくしてえるかな。でも今日は眠いからまた聞いて見ますわ、、。 / シャルウィダンス? ( 2003-12-03 00:20 )

2003-12-02 江戸天下祭(13)





青梅市仲町の静御前の山車人形。
町に伝わる由来によれば、嘉永元年(1848)に松雲斎徳山が製作し、山王祭9番(瀬戸物町、伊勢町、本小田原町)として曳かれた山車を、明治5年(1872)に購入したとのことですが、実はそれと同一の由来を持つ山車が、栃木市倭町3丁目にも現存(明治7年購入)しています。
現時点では、倭町3丁目の方が嘉永元年作の山車である可能性が強く(というか、ほぼ100%そうらしいです)、となると、こちらの山車はいったいどこの山車?ということになってきてしまいます。
そこで嘉永7年(安政元年。1854)の「山王祭礼番付」を仔細に眺めて見ると、33番(本湊町)にも静御前の山車がありました。
もしかしたら、青梅市の静御前は、こちらの山車なのかも知れません。

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2003-12-02 江戸天下祭(12)





東京都八王子市八幡町1・2丁目の諫鼓鶏の山車人形。
文政2年(1819)、二代目原舟月の作。
これも、天下祭で曳かれていたものではないようです。
が、天下祭でも1番山車は諫鼓鶏の山車でしたから、八王子の祭礼においてもこの慣例が継承されていたことがよくわかります。
江戸期の祭礼文化の伝播をうかがわせる、興味深い資料といえましょう。

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ぷるぷる様:↓ひょえ〜!!!またしても、レスできなくなってしまいましたので、こちらで。玄関の魔よけによいですね。留守の時にはリビングにおいてもよいかと。。。。 / せんきち ( 2003-12-06 21:14 )

2003-12-02 江戸天下祭(11)





埼玉県本庄市仲町の神武天皇の山車人形。
こちらは、天下祭で曳かれていたものではなく、明治24年(1891)に町が三代目法橋原舟月に依頼して製作してもらったものです。

三代目原舟月は、明治時代に古川長延と並び賞された山車作りの名人。日本橋岩付町に住み、本庄市の他にも栃木県栃木市、埼玉県川越市に三代目舟月作の山車が現存しています。

神武天皇も、山車人形として非常に人気のあるキャラクターです。

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これは可愛いのでは…。一家に一台欲しいですね。 / ぷる2@玄関に置いとくねん ( 2003-12-04 11:04 )

2003-12-01 江戸天下祭(10)





茨城県石岡市金丸町の弁財天の山車人形。
製作年代は不明ですが、製作者が幕末から明治にかけて名人として知られた泰精斎古川長延(文政9年〔1826〕生まれ)ですから、嘉永2年(1849)以降(付記参照)の製作ではないかと考えられます。
また、もとは山王祭7番(日本橋本町、岩付町、本革屋町、金吹町)の山車として曳かれていたものを、大正13年に購入したのだそうです。
そこで番付を調べてみたところ、嘉永7年(安政元年。1854)の「山王祭礼番付」にこれと類似した弁財天の山車人形がありますので、おそらくはこのころの製作でしょう。


付記:古川長延は二代目都梁斎仲秀英の弟子となり、嘉永2年(1849)に独立して仲英真となりますが、師との間に軋轢が生じたため、名前を返上して本名の古川長延に戻り、製作を続けました。

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tomohiko様:そうですね。たぶん、100年先の人も見られるでしょう。大事に保存してありますので。 / せんきち ( 2003-12-02 21:43 )
歴史あるものが(多少姿を変えつつも)後世に残っているっていいですね。100年先の人達も同じものが見られるといいな。 / tomohiko ( 2003-12-02 02:25 )

2003-12-01 江戸天下祭(9)





こちらも鴨川市諏訪講の神功皇后の山車人形。
神功皇后と武内宿禰も、山車人形界のアイドルです。

製作年代、製作者ともに不明ですが、神田鍋町の山車を明治43年に購入したのだそうです。
その点に関して、たしかに天保二年(1831)の「神田祭礼番付」には神田鍋町(5番)の山車として神功皇后の山車が見えますが、この山車はその後焼失したらしく、天保八年(1837)の祭礼では松の山車が曳かれています。
また、それ以降も、安政4年(1857)、文久元年(1861)の番付によると神田鍋町の山車は宝来に亀の山車となっており、神功皇后の山車ではありません。
しかし、神田鍋町は山王祭の際にも山車を曳いていますから、文久二年(1862)の山王祭のさいに、神功皇后の山車が新造されて曳かれた可能性もあります。
このあたり、まだまだ解明の余地がありそうです。

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2003-11-30 江戸天下祭(8)





ここからは、丸ビルロビーでの展示編。

鴨川市諏訪講の源頼義の山車人形。

大正年間に神田祭36番の神田松田町から購入したものだそうです。

製作年代、作者ともに不明ですが、文久元年(1861)の祭礼番付には頼義人形の鉾台型山車が見えますので、おそらくはこの頃の作と考えられます。

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おにぎり様:あ、すんません。テレ朝ドラマへのぼやきが先に来てしまいました。アイーンか、あるいはそこからシェーに移行する可能性も考えられます。 / せんきち ( 2003-11-30 22:19 )
↓満影で働いている中国人への差別待遇をなくしたのも彼だし、「満州に住む人々(つまり、中国人)のための映画を作りなさい」と言ったのも彼。そういう面も描いてほしかったわん。無理な話とは思うが。 / せんきち ( 2003-11-30 22:18 )
「アイーン」する直前 / おにぎり ( 2003-11-30 22:04 )
甘粕は徹底して悪者としてしか、描かれていないわね。満映ではけっこういいこともしたのに。 / せんきち ( 2003-11-30 22:00 )

2003-11-30 江戸天下祭(7)





房総半島にも、江戸型山車が数多く残されています。
今回の「江戸天下祭」には、鴨川市の山車が参加していました。
鴨川市山王講の「恵比寿」の山車です。

由来によれば、江戸・嘉永年間(1848〜1854)の作で、神田祭のさいに曳かれていたものを、明治42年(1909)に購入したのだそうです。
現存する文久元年(1861)の「神田祭礼番付」には、34番として恵比寿神の山車(神田白壁町)が登場しますので、おそらくはこの山車ではないかと考えられます。

昭和38年(1963)に改修。
高さ7メートル。

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はあ、天海祐希の李香蘭か。。。。 / せんきち ( 2003-11-30 21:18 )

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