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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-09-23 香港地獄めぐり(6)
2003-09-22 香港地獄めぐり(5)
2003-09-21 香港地獄めぐり(4)
2003-09-20 香港地獄めぐり(3)
2003-09-20 香港地獄めぐり(2)
2003-09-19 香港地獄めぐり(1)
2003-09-19 香港地獄めぐり(序)
2003-09-13 旅に
2003-09-12 な、ない!
2003-09-10 ぷるぷるさんのおすすめ


2003-09-23 香港地獄めぐり(6)


9月17日(水)

(つづき)とりあえず、最初の3件の調査は終ったので、それらを返却して、次の3件の資料を借りました。もちろん、コピーです。
今度は、『香港之夜(香港の夜)』(1961年)の特刊と『丹鳳街』(1958年)の特刊、それと林翠が出演した松竹映画『神火101 殺しの用心棒』(1966年)の香港公開時プレスシートを閲覧。
他に、館内に開架で置かれていた『影后尤敏畫集』や『一代影后林黛紀念選輯』、『銀河畫報』といった書籍(及び雑誌)のコピーも合わせて調査しました。

一通り目を通し終えて、開架資料をコピーしていると、係の人(午後になって、別の係の人に代わっていました)がすっ飛んできて「何をコピーしているんだ?」と尋ねてきます。
「これ(開架資料)は、そのままコピーしていいんでしょう?」と言うと、係の人は「あ、それなら大丈夫。でも、閉架資料をコピーする時は、必ずカウンターに言ってね。それと、コピーの分量は10分の1以内だからね」と、改めて念を押されました。

ハア。。。。

開架資料のコピーが終ったので、続いて閉架資料のコピーをしようと思い、カウンターにその旨伝えると、いきなり申請書が出てきて、「これに記入しろ」と言います。
さっきは、係の人が付き添ってくれてコピーが出来たのに、なんだか変だなと思いながら、書類に記入していて、はたと気づきました。
つまり、午前中の係の人は、私が日本人旅行者だと知っていたので、面倒くさい手続き(申請書提出)は省いて、こっそりコピーをさせてくれたのですね。

しかし、今はこっそりができませんから、仕方がありません。
正面突破で書類申請です。
ところが、申請が通ってコピーが出来たら、また資料館へ取りに来てほしいと言われて、当方、ほとほと困ってしまいました。
「明日日本へ帰るので、申し訳ないのですが、郵送して頂けませんか?(国会図書館は郵送サービスあり)」と頼みましたが、そういうサービスはないとかで、結局、香港の知人に取りに来てもらい、知人から当方宛に郵送する、ということに落ち着き、
知人の住所・氏名・電話番号も記入しました。

加えて、コピーしたい理由も根掘り葉掘り聞かれました。
曰く、「論文を書くのか」「雑誌や新聞記事を書くのか」等々。
ここは正直に、「ただの映画ファンです」と答えました。

いろいろ大変ですわ。

どうにか申請書を書き終えて、最後に残り2部の資料(『人鬼戀』〔1954年〕及び『馬戯春秋』〔1957年〕の特刊)を閲覧しましたが、コピーするのにはまた面倒くさい手続きが必要かと思うと、申し込む気力も薄れ、軽く目を通しただけで返却しました。
ついでにコピーカードも返却してデポジットを返してもらい、荷造りを済ませて係の人に挨拶、電影資料館を後にしました。

時刻は、午後5時近くになっていました。
(つづく)


写真は、東宝の定宿だったアンバサダー・ホテル跡(東企業広場)。ちょうど、シェラトン・ホテルの裏に当たります。かつて、シェラトンのあったところには、広い駐車場がありました。
『香港の夜』(1961年)では、日本に馴染めずに香港へ帰った呉麗紅(尤敏)が、アンバサダー・ホテルのショッピング・アーケード内にある洋品店で働いているという設定になっていました。
また、『社長洋行記 正・続』(1962年)では森繁久彌、加東大介、小林桂樹、『香港の星』(1962年)では団令子、『ホノルル・東京・香港』(1963年)では宝田明、『レッツゴー!若大将』(1967年)では星由里子が、このホテルに宿泊していました。

先頭 表紙

めらこ様:はい、そうです。ただ、係の人が親切だったのがせめてもの救いです。それだけに、よけいシステムそのものの不備が浮き彫りにされてしまいましたが。 / せんきち ( 2003-09-26 21:10 )
tomohiko様:ひどいシステムなりにきちっとマニュアル化されてはいますね。でも、ちょっと窮屈すぎますが。 / せんきち ( 2003-09-26 21:09 )
はぁ。。折角遥々出向いたというのにコピーのコピー・・・終始コピーに憑かれ(疲れ)た地獄だったのですね。。 / めらこ ( 2003-09-25 03:17 )
お役所が面倒なのはどこの国でもかわりませんね。手続きがきちんと型にはまっているだけ良いと思うべきでしょうか…。 / tomohiko ( 2003-09-24 22:43 )

2003-09-22 香港地獄めぐり(5)


9月17日(水)

昨晩寝るのが遅かったので、午前8時30分に目覚ましを合わせて休んだところ、なんと時計が大幅に遅れていて、目覚めた時にはもう9時近くになっていました。

ひょえ〜!

TVBのニュースは終っていたので、ATV(亜洲電視)のニュースを見て、朝食。
低血圧のせいか、朝はいつも調子が悪く(子供の頃から)、ようやく10時30分頃に準備完了、電影資料館に着く頃には11時をとうにまわっていました。

資源中心のカウンターで、昨日の申請書の控えを出します。
今朝の係の人は北京語が苦手だそうで、主に英語でやり取り。私がもっと広東語が出来るようになればいいんですが。幼稚園児以下のレベルなもんで。
まずは、『星星・月亮・太陽』(1961年)の特刊と『人約黄昏後』(1958年)の特刊、それに林黛が出演した日港合作映画『東京・香港蜜月旅行』(1955年)の特刊を閲覧。
が!出てきた資料を見てびっくり!

原本じゃないのですよ。コピーなのです。

こちらとしては、当然原本が出てくるものと思っていたので、これには本当に驚きました。
たしかに、今日び、資料の保存のために、原本ではなく複製本やマイクロフィルム、あるいはCD−ROMで閲覧することも多いのですが、この時代よりもはるかに古い時代(江戸期)の資料を本業で扱うことが多い私としては、「なんでやねん?」と首を傾げたくなりました。
つい先だっても、18世紀から19世紀にかけての資料(もち原本)を調査したばかりでしたし。
コピーの閲覧でよいなら当日でOK、原本を閲覧したいのであれば前日までの申請が必要、というのが、まず妥当な線だと思います。

と、なんだか職業意識丸出しになってしまいましたが、文句を言える立場ではないので、衝撃を受けつつもそのままおとなしく調査を進めました。
一通り目を通した後、「さて、コピーでもするか。コピーからのコピーだから、画質が悪くなっちゃうけど、ま、仕方がないか」と思いながら、係の人に「コピーをしたいのだけれど」と告げると、な、なんと、そこでも驚愕の事実が!

全体の10分の1までしか、コピーしてはいけないんですと。
ちなみに、国会図書館では、1回につき全体の2分の1までOKです(もちろん、全頁複写は絶対にいけません)。
頭がクラクラしてきました。

それでも、ようやく気を取り直してコピーをしたい箇所を厳選、コピーカード(これも恐ろしく使い勝手の悪い代物でした。くわしくは付記参照)を購入して、係の人に付き添ってもらいながらコピーを済ませました。

まだまだ苦闘は続きます。
(つづく)

付記:コピーはセルフサービスで1枚50セント。しかし、そこにも深ーい落とし穴がありました(それは次回に)。コピーカードは1枚20ドルで、うち10ドルはデポジット、残り10ドル分でコピーが出来ます。つまり、カード1枚につき20枚しか出来ないというわけです。
写真は、尖沙咀のネイザンロード(禰敦道)沿いにある美麗都大廈。『香港の星』で、日本での留学を終えて帰国した王星〔王連〕(尤敏)が、自宅に戻るためタクシーに乗ってここの前を通りかかった時、もう会わないと誓ったかつての恋人・長谷川透(宝田明)が出てくるのを発見、心が乱れるという場面がありました。
このビル、現在では重慶大廈(チュンキン・マンション)の弟分のようなビルになってしまいました。

先頭 表紙

ぷるぷる様:私立じゃない、公共機関なんですから、もうすこしゆるくしてほしいものです。たぶん、いろいろ悪用する人が多いからなのだとは思いますが。なにしろコピー天国ですからね。 / せんきち ( 2003-09-23 22:46 )
へぇ、けっこうきっちり、というかがっちり管理されているのですね。もっとアバウトかと思ってました。 / ぷるぷる ( 2003-09-22 23:42 )

2003-09-21 香港地獄めぐり(4)


9月16日(火)

(つづき)ホテルの部屋へ戻り、まずは残金を数えなおします。
200ドル余りしかありません。
これでは、あさってまで暮らしていけない気が。。。。
後でシティバンクへ寄ってお金を下ろすことにして、これからの対策を練ります。

とにかく、これ以上の趣味の買い物はしない。
おみやげは安いものを買う。
誘惑に負けぬよう、趣味の店には立ち寄らない。

これを3大原則にしました。

買ってきたお宝を眺めてひとしきりニヤニヤした後、トラムと地下鉄を乗り継いで九龍半島の尖沙咀へ。中秋節の燈籠見物です。
が、その前にまずお金を下ろす必要が。漢口中心にあるシティバンクで500ドルほど下ろしました。

燈籠は帰りがけに見物することにして、まずは夕食。
と、思いつつ、足はついHMVの方向へ。邵氏の映画のVCDを3枚買ってしまいました。
はあ。。。。これで止めにしないと。
でもね、ほんとはもっと沢山買う予定だったんだよ。お金がなくなっちゃったから、3枚しか買えなかったの(苦しい言い訳)。

HMVを出て、ここだけは必ず立ち寄る店「糖朝」へ。
例によって、日本人、香港人が入り乱れて大混雑しています。
10分ほど待って案内されました。
いつものように、メニューを見ながらチェックを入れていきます。
今日は、排骨麺とマンゴー&タピオカ入りココナツミルクを頼みました。
香港の麺は極細縮れ麺ですが、排骨麺の麺はやはり北方系のやや太いまっすぐの麺の方がいいかなあ、などと思いつつ、それでもおいしく頂きました。

食後、尤敏の映画に出てきた場所を4箇所訪れて、写真撮影。
どこもすっかり変わってしまっていましたが(40年前ですからね。変わっていないのは、ペニンシュラ・ホテルぐらい)、「ここに尤敏が立っていたんだなあ」と思うと、感慨深いものがありました。

そしてようやく、中秋節の燈籠見物。
大きな燈籠が、ぐるぐる回っていました。派手だね。
香港名物の夜景も眺め、帰りはフェリーとトラムを乗り継いで、ホテルに戻りました。

部屋へ戻ってから、電影資料館で買ってきた『國泰故事』と『邵氏電影初探』をぱらぱらとめくって読み始めたところ、あまりの面白さに時間を忘れ、寝たのは午前2時30分過ぎ。
特に、『邵氏電影初探』に載っていた、尤敏と李香蘭(山口淑子。1950年代、李香蘭名義で数本の香港映画に出演)が一緒に食事をしている写真は、大発見でした(宝田明は「尤敏と李香蘭は面識がないと思う」と話していたので)。

明日も電影資料館へ行きます。


写真は、尖沙咀・金巴利道63号。『香港の星』(1962年)で、尤敏演じる王星〔王連〕がここに住んでいるという設定になっていました。
現在では、61〜63号にかけて、嘉新大廈というビルが建っています。

先頭 表紙

ぷるぷる様:へい、まだまだ続きやす。 / せんきち ( 2003-09-23 22:44 )
はぁ〜、たまらんわ〜行きたくなるわ〜やめて〜 うそ、どんどん続けてください(^¬^) / ぷるぷる ( 2003-09-22 23:39 )
阿信様:ぜひぜひぶらぶらしてください。でも、香港は、空港も魅力的ですね。 / せんきち ( 2003-09-22 23:30 )
ナルさん:そう、夫婦だったのですよ。離婚後も、いい友人だったらしいですが。で、その後外交官と再婚したのですね。そして『三時のあなた』のおばさんに。。。。 / せんきち ( 2003-09-22 23:28 )
どうもお久しぶりです。香港は最近トランジットばかりなので、久しぶりに外に出てブラブラしてみたいです。 / 阿信 ( 2003-09-22 22:42 )
尤敏と李香蘭!!思わぬところで・・・。ちょっとビックリです。(*^∇^*)李香蘭とノグチイサムが結婚してたと一緒ぐらい。(笑) / ナルでしぃ〜。@情報、感謝です。 ( 2003-09-22 02:06 )

2003-09-20 香港地獄めぐり(3)


9月16日(火)

(つづき)クイーンズロード(皇后大道)から坂道をとぼとぼ上って、知人から教わっていたハリウッドロード(荷里活道)の骨董品屋へ。
狭い店内にガラクタが山積になっていて、その中でじいさんとばあさんが寄り添って店番をしていました。

ばあさんに尤敏の写真を見せて、「この人のものを探しているんだけど」と伝えると、まずはブロマイド探しが始まりました。
数葉のブロマイドが見つかり、あとは店内に飾ってあった葛蘭(グレース・チャン)の映画(『無頭案』。1957年)の特刊を購入することにして、「あれが欲しい」と言ってじいさんに取ってもらうと、今度はじいさん、別のところから「これもいるかい?」と言いつつ、同じく葛蘭の『驚魂記』(1956年)の特刊を出してきてくれました。

すると今度は、「『南國電影』(邵氏〔ショウ・ブラザーズ〕の雑誌)はいらないか?」と奥の方から出そうとします。
私は『國際電影』(電懋〔キャセイ・オーガニゼーション〕の雑誌)の方が欲しかったので、「『國際電影』が欲しい」と言うと、「『國際電影』は、電影資料館が皆買っていってしまった」と言われました。

くそ!

と、じいさんが「2階に尤敏の大きなポスターがあるけど、それはいるかい?」と聞いてきます。
とっさに値段も聞かぬまま「ほしい!」と叫んでいました。とほほ。。。。

しかし、2階からポスターを取るためには、梯子段の前にあるガラクタが入ったトランクの山をどかす必要があります。
トランクを一つ一つどかしながら、その中身も点検すると、樂蒂のお葬式の時の特集雑誌があったので、それも購入することにしました。
トランクの中から昔のスターの雑誌が出てくるたびに、「あ!陳寶珠だ!(1960年代の広東語映画のアイドル)」「あ!葉楓だ!」と私が言うので、店のばあさんは大喜びです。

そうこうするうちに、ようやくポスターを出すことができました。
尤敏最後の主演作品『深宮怨』のポスターでした。
もちろん、買いました。
値段は・・・・、秘密です。

気づいたら、残金が200ドル余りになっていました。
ばあさんに「今度はいつ来る?」と聞かれましたが、まだ全く予定が立たないので(破産寸前だし)「わかんないなあ」と答えると、「じゃあ、今日『南國電影』を見ていったらどうだ?」とすすめます。
が、なにしろ残金200ドルの身。「今日はいいや」と断って、店を後にしました。

後先も考えず、こんなに買ってしまって、一体どうしましょう?
ひとまず、頭を冷やさなければ。。。。
もう一度、ホテルへ戻りました。
(つづく)

写真は、キャットストリートの片隅で、なぜか置き去りにされていた梁朝偉(トニー・レオン)。

先頭 表紙

阿信様:お久しぶりです。日本では、中華明星の名前がカタカナ表記なので、とても困っています。漢字で書いて欲しいです。 / せんきち ( 2003-09-22 23:26 )
ナルさん:やっぱり、そうなると、航空券とホテルを薔薇で、もとい、バラで予約ですかね。また調べておきますね。 / せんきち ( 2003-09-22 23:25 )
ストリートの名前を中国語でも書いて下さっているので、わかりやすいです。数年前までコーズウェイベイ=銅鑼灣というのさえ知りませんでしたので。。。。。。 / 阿信 ( 2003-09-22 22:47 )
ぷるぷるさん、でも、道は険しいのです。。。( ̄▽ ̄;)一緒に行く友達が東京発でして。。。どうやって一緒に行こうか、(安く)奮闘中です。。。 / ナルでしぃ〜。@頭が痛い・・・。 ( 2003-09-22 02:07 )
ぷるぷる様:『裏街の聖者』ですぜ。誰がどこで見つけてきたのやら。そして、いくらで売られているのか。欲しいやつはいるのか。謎は尽きません。。。。 / せんきち ( 2003-09-21 22:21 )
ナルさん:台湾に行くんですね!なんか、いいツアー、探してみましょう。今なら激安の予感。昨日、日華資料センターで『皇天后土』という1980年の台湾映画を観ました。香港へ行く前のシベール・フーが主演でした。アクション以前。 / せんきち ( 2003-09-21 22:19 )
tomohiko様:それはそれは楽しかったのですが、帰ってからのことを考えると、一気に地獄に。。。。無間地獄へまっ逆さま! / せんきち ( 2003-09-21 22:17 )
シャルウィダンス??様:ども。ポスター、とってもいい状態だったので、埃はなかったです。いづれ英語班班長で同行してください。 / せんきち ( 2003-09-21 22:15 )
ああっ、トニーたんが置き去りに。。。お持ち帰りしたいわぁ。 ↓ナルさんは台湾行きなのですね、うらやま〜! / ぷるぷる ( 2003-09-21 20:54 )
す、スゴイ・・・。( ̄▽ ̄;)せんきちさん、素晴らしい!!!あたくしも負けずに散財を・・・。(笑)あ、せんきちサン!!!台湾行き、実現しそうです。でも、、、まだ、ツアーも何も申しこみしてません!!!(苦笑) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-09-21 03:49 )
宝の山を目にするとゆーのは、楽しくもあり、辛くもあり、ですね。 / tomohiko ( 2003-09-21 00:37 )
とにかく無事帰還おめでとさんんです。それにしても、一緒に行きたかったな。ポスターの埃をワッセワッセと拭きたかったわん。 / シャルウィダンス?? ( 2003-09-21 00:20 )

2003-09-20 香港地獄めぐり(2)


9月16日(火)

午前8時起床。TVB(無線電視)の朝のニュース(香港早晨)を見てから食事を済ませ、9時30分頃出発。例によってトラム、地下鉄を乗り継いで、西湾河で下車。
駅から地図を見ながら5分ほど歩き、香港電影資料館へ。
1階の展示を見た後、3階の資源中心へ行き、あらかじめホームページの検索システムで調べておいた尤敏関連の資料を閲覧したい旨伝えると、閉架資料は前日までの申し込みが必要との由。
仕方がないので、申請書類に記入して明日もう一度来ることにしましたが、ここでもまたハードルが。なんと1日に3件しか閲覧できないのだそう。
見たい資料は沢山あるのに「なんでそうなるの?(BY:萩本欽一)」とがっかりしていると、係の人が奥の事務所に事情(木曜には帰らなければならない日本人)を説明してくれて、特別に見たいだけ出しておいてくれるということになりました。

よかった。

何とか無事に資料の閲覧を申し込んだ後、ビデオは当日でも見られるとのことなので、これもやはり調べておいた『桃花涙』(1960年。羅維監督。張徹脚本。尤敏、雷震主演)の視聴を申し込みました。
視聴料50ドル(1日券。1年券は300ドル)を支払い、ヘッドホンを借りて視聴室へ。
しばらくして準備が出来たので再生ボタンを押し、いよいよ映画の開始。
ところが!尤敏の声ではありません。
広東語吹替、字幕なしのバージョンでした(尤敏は北京語映画のスター)。少しがっかり。
でも、ま、尤敏はきれいだったのでよしとしましょう。

映画のストーリーは、貧しい家の娘(尤敏)が母の死後、京劇の師匠(羅維)に引き取られてスターになりますが、難病に侵されて闘病を余儀なくされます。しかし、医師である夫(雷震)やまわりの人たちの励ましによって、奇跡的にカムバックを遂げる、というものでした。
尤敏の花旦姿が、「蛙の子は蛙(尤敏の父は粤劇の名優)」という言葉を思い起こさせて、なかなかの見ものでした。

映画を見た後、資料館の1階で『國泰故事』、『邵氏電影初探』などの書籍を購入してから、西湾河の駅上にある市場(街市)の食堂で昼食。
牛肉とトマト、たまねぎの炒め物にレタスの湯びき(オイスターソースがけ)、ご飯。これに通常だとスープがついて27ドルなのですが、スープをドリンクに替えると30ドルとのことだったので、紅茶を頼んでスープを止めにしました。
ご飯が異常に山盛りで少し残してしまいました。なんか、日本のご飯よりもお腹にたまりやすいような気がするのは、私だけでしょうか。

昼食を済ませ、いったんホテルへ戻って荷物を置き、ハリウッド・ロードの骨董屋へ。そこには、とっても魅力的な地獄が、私を待ち構えていました。
(つづく)

先頭 表紙

ぷるぷる様:うまかったですよ。店は小汚かったですが。いいですよねえ、香港の人は毎日おいしいものが食べられて。 / せんきち ( 2003-09-21 22:13 )
う、旨そう(^¬^)  米だけは日本のものが好きなので、おかずを持って帰って自分ちで炊いたご飯に乗っけて食べたいっていつも思います。 / ぷるぷる ( 2003-09-21 20:57 )
香港ドルは、1ドル=約16円ほどで計算して下さいまし。 / せんきち ( 2003-09-21 00:50 )
いつの間にやら1万5千ヒット突破。ありがとうございます。 / せんきち ( 2003-09-20 21:45 )

2003-09-19 香港地獄めぐり(1)


9月15日(月)

午前5時起床。朝食を済ませて6時過ぎに出発、午前7時東京駅発の「成田エキスプレス3号」で空港第2ビルへ。
今日利用するのは、全日空909便(午前10時5分発)。
チェックイン後、香港の知人へのお土産や機内で読む雑誌などを買ってから出国。
9時40分に搭乗、時間より少し遅れて離陸しました。

機内では食事、読書、爆睡。
機内食はシーフードのソテー、クリームソースがけ。あまり食が進まず、メインとデザートのみでやめました。
それにしても、あの機内食の日本そばは、何とかならないもんですかねえ。

午後1時30分頃、香港に到着。
迎えの車に乗ってホテルへ。
いつもは九龍サイドのホテルを利用するのですが、今回は香港島の下町・西営盤にある「港島太平洋酒店(アイランド・パシフィック・ホテル)」に投宿。
28階(エグゼクティブ・フロア)の9号室。オーシャン・ビューのツイン・ルームを独り占めです。

ウヒヒ。。。。

が!室内のセーフティ・ボックスに貴重品を入れたら扉が開かなくなり、慌ててマネージャーに電話をして、開けて貰いました。
念のため、もう一度使い方の説明を受けましたが、説明書にあった「Aボタンを押す」という記述が誤りで、正しくは「Bボタンを押す」だったことが判明しました。

どうりで開かないわけだよ。説明書、訂正してくれ。

ついでに、湯沸しポットが見当たらないので「お湯が飲みたいんだけど」と言ったら、壁にはめ込んだ引き出しからポットを出してくれました。

忍者屋敷か?

いろいろありましたが、ようやく一息ついて、お茶を飲んでから、トラム(路面電車)、地下鉄を乗り継いで銅鑼湾の知人の所へ。
その前に、中環(でも、ハリウッド・ロードじゃないよん)にある骨董品屋に寄って、昔の雑誌を物色。
あまり古いものはありませんでしたが、1969年の邵氏(ショウ・ブラザーズ)の雑誌があったので購入しました。
井上梅次監督が邵氏で撮った『女校春色』の日本ロケ特集記事などがあって、なかなか興味深い内容でした。

再び地下鉄に乗り、銅鑼湾の知人を訪問。お茶の先生です。
お茶をご馳走になりながら、ひとしきりおしゃべり。
この日は断続的に激しい雨が降る、あいにくのお天気でしたが、中秋節関連の花火のイベントがあり、知人の部屋の窓からもよく見えました。

8時30分頃に知人の所を辞し、途中、適当に食事を済ませてホテルへ戻ります。
ホテルの近辺は乾物(食材、漢方薬類)の問屋街で、夜はとても静か。
でも、庶民の生活感溢れる一帯で、そこをごとごとのんびりとトラムに揺られていくのも、なかなかよいものです。

ホテルへ戻ってからは、ニュースを見たり、お風呂に入ったりして、午前1時過ぎに休みました。
明日は、電影資料館に乗り込みます。

先頭 表紙

あ、それ賛成します!!!(笑) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-09-21 03:43 )
ナルさん:リニューアル、おめでとうございます。「そばをカップめんに替えろ運動」を始めましょう! / せんきち ( 2003-09-20 21:43 )
めらこ様:そばはゴムみたいです。どう見ても、開きスペースを埋めるために置いてあるとしか思いませんです。やはりカップめんがいいです。 / せんきち ( 2003-09-20 21:42 )
ぷるぷる様:いや、単なる失業者でして。。。。失業界のエグゼクティブ。日本そばの代りに、カップめんでも添えてくれるとよいと思いますです。 / せんきち ( 2003-09-20 21:40 )
せんきちサン!お帰りなさいませ!!!(*^∇^*)ノあたくしも賛同します!あのソバ、どうにかならないのでしょうか!?(笑) / ナルでしぃ〜。@HPリニューアル完了。 ( 2003-09-20 16:35 )
へぇ・・蕎麦激マズなのね・・ なんかもぅ香港も「庭」みたいな感覚でどこでもスイスイいけちゃうんですね〜 凄いっ☆   / めらこ@ワクワク♪ ( 2003-09-20 06:45 )
エグゼクティブ…せんきちたんはエリートなのね( ̄▽ ̄)ノ 日本ソバは私もいらんと思います。 / ぷる2@ジェットフォイルでゲ○りました… ( 2003-09-20 00:51 )
写真は、部屋からの眺め。中央下部を行く船は、マカオ行きのジェットフォイル。向かって左手奥には、青馬大橋が見えます。 / せんきち ( 2003-09-19 21:07 )

2003-09-19 香港地獄めぐり(序)



とりあえず、生きて帰ってきました。
香港に行っていました。
日本にいない間に阪神が優勝していたようで、道頓堀では死者まで出たとか。

痛ましいですね(BY:陳曼玲)。

香港では「SARS疑い患者発生」のニュース(その後陰性と判明)やら、インフルエンザの集団感染のニュースやら、危うい情報がいろいろありました。

後ほど、旅日記の執筆を開始いたします。

先頭 表紙

めらこ様:きれいですよ。でも、夏よりも11月から1月ぐらいの方が、空気が澄んでいていいと思います。 / せんきち ( 2003-09-20 21:36 )
ぷるぷる様:あ、この雲は夕立が来た後の雨上がりの雲で、翌日はすごーくいいお天気になりましたよん。 / せんきち ( 2003-09-20 21:35 )
ま。。眩しいゎ・・ / めらこ ( 2003-09-20 06:46 )
うおー!香港に行ってらしたのですね。「地獄めぐり」とはどんな旅だったのでしょう。この写真、暗雲がたれこめていますが… / ぷる2@イルミネーション減ったですよね… ( 2003-09-20 00:48 )
tomohiko様:C級グルメ情報でしたら。。。。なにしろ、腹が減ったらそのへんの店で飯、という生活をしてますもので。 / せんきち ( 2003-09-19 21:30 )
いいなぁ、香港。中華の食の本場ですからね〜。おいしい話があったら教えてくださいね〜。 / tomohiko ( 2003-09-19 20:16 )

2003-09-13 旅に





ちょっと旅に出ます。

来週の木曜まで留守にします。

戻りしだい、また「ずっこけ旅日記」を掲載いたします。

ではでは。

先頭 表紙

皆さま:おかげさまで無事戻りました。ありがとうございます。さっそく、旅日記を開始いたします。 / せんきち ( 2003-09-19 19:57 )
ずっこけ珍道中、楽しみにしてま〜す^^ / めらこ ( 2003-09-16 19:24 )
この写真、癒されますぅ。 / キャ ( 2003-09-16 05:34 )
いってらっしゃいませ。まったりとした旅日記、お待ちしております。 / ぷる2 ( 2003-09-15 23:33 )
いってらっしゃい。それにしてもこのお風呂、こじんまりしてていいな。 / rui ( 2003-09-14 06:29 )
ハァ ビバノンノン。いってらっさーい。 / おにぎり ( 2003-09-13 22:34 )

2003-09-12 な、ない!


唐突ですが、わたくし、東急目黒線(旧目蒲線)沿線に住んでおります。

この目黒線、武蔵小杉駅(神奈川県川崎市)を振り出しに、目黒駅を過ぎると都営地下鉄三田線と営団地下鉄南北線に乗り入れております。

その後、三田線の方は高島平方面(板橋区)へ、南北線の方は今度は埼玉高速鉄道線に乗り入れて、浦和御園駅(埼玉県さいたま市)まで走り続けます。

というわけで、この沿線には、東急・都営地下鉄・営団地下鉄・埼玉高速鉄道、計4種類の車両が入れかわり立ちかわり走っているのですが、先だってのとても暑い日、わたくしは埼玉高速鉄道の車両に乗り合わせていました。

ちょうど日差しのきつい昼下がり、シートに腰掛けたわたくしの背中に、容赦なく真っ赤な太陽がギンギラギンと照り付けます。

あまりの暑さに、わたくしはブラインド(ロールカーテン)を下ろすことにして、窓の上部に手をかけました。

が、いくら探してもないんですよ、ブラインドが。

都営地下鉄や営団地下鉄の車両にさえ付いているブラインドが、埼玉高速鉄道の車両にはなぜか付いていませんでした。

暑くて仕方がない。。。。

こんなところで、金をケチらないでほしいものです。

先頭 表紙

tomoniko様:そうなんですよ。ぼんやり乗っていると、武蔵小杉に行ってしまいますので、ご注意くださいね。 / せんきち ( 2003-09-13 23:06 )
fuku様:でも、ブラインドのない電車なんて初めてだったもので。衝撃的でした。 / せんきち ( 2003-09-13 23:05 )
私が目蒲線沿線住人だった時から早くも10年以上過ぎました。先日、目黒から蒲田に直行する電車が今はないことを知りました。 / tomohiko ( 2003-09-12 23:48 )
不◎前に通ってました。青春の駅・・・・。昔にくらべりゃ天国ですよ?!なんて〜。 / fuku ( 2003-09-12 22:52 )
清酒「キムスメ」。カタカナで書かないほうが。。。。 / せんきち ( 2003-09-12 22:16 )

2003-09-10 ぷるぷるさんのおすすめ


というわけで(女必殺拳の突っ込み欄参照)、ぷるぷるさんおすすめの『直撃!地獄拳』を、渋谷TSUTAYAで借りてまいりました
そして、観ました。

。。。。お笑いカラテ新喜劇でした。

さすが石井輝男監督、やってくれます。

途中、ちょこっと出てくる倉田保昭も、ほとんどおバカキャラだし。

私の好みとしては、主役の千葉(真一)ちゃんよりも、どこまでもスケベでお下劣な郷瑛治(ちあきなおみのご主人。彼の死後、ちあきなおみは隠遁生活に入りました)が印象に残りました。

ところで、主役の千葉ちゃんは甲賀流忍法宗家の跡取り、つまり忍者なのですが、なぜか拳法の使い手です。
ひょっとして、忍法と拳法を読み間違えたとか?

にんぽー、けんぽー、しょーろんぽー。

。。。。(しーん)。。。。。

おあとがよろしいようで。

先頭 表紙

ぷるぷる様:はい、ぜひそういたしやす。あと、これの続編も観ます。 / せんきち ( 2003-09-12 22:20 )
めらこ様:これは、3月に雪国へ行った時に利用した電車です。自分でボタンを押して開閉する、雪国ならではの電車です。 / せんきち ( 2003-09-12 22:19 )
KEI様:いいですよー、千葉ちゃん。あと、子役時代の真田くんね。真田君が大人になったら、千葉ちゃんという展開。無理がいっぱい。 / せんきち ( 2003-09-12 22:18 )
おほほほほ〜!サニー千葉ちゃんお素敵でしょ??もちろん「激突!殺人拳」も観てくださいねっ。 / ぷる@千葉ちゃんも倉田っちも変わってない ( 2003-09-11 22:53 )
(写真)北越へ「電車の旅」!!?  お馬鹿な映画も大好きです。 / めらこ ( 2003-09-11 21:12 )
ごめん、この映画じゃなくて「激突!殺人拳」のほうでした。 / KEI ( 2003-09-11 02:04 )
たしか「トゥルー・ロマンス」のなかでC・スレーターが映画館で観てるのがこの映画でした / KEI ( 2003-09-11 00:53 )

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