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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-08-19 「食われる」ということ(3)
2003-08-18 「食われる」ということ(2)
2003-08-17 「食われる」ということ(1)
2003-08-16 1959年の畢打街
2003-08-14 さむい
2003-08-12 わーい!
2003-08-11 あやしい男
2003-08-10 香港の花のことなど
2003-08-08 樂蒂と幻の合作映画(おまけ)
2003-08-07 樂蒂と幻の合作映画(5)


2003-08-19 「食われる」ということ(3)


(前回の続き)

昨日、凌波の演じた梁山伯が、台湾で特に熱狂的な支持を受けたと書きましたが、劉現成氏の「台湾電影発展史上的絶響 談《梁山伯與祝英台》的社会意義」(『電影欣賞』第71期、1994年、台湾・国家電影資料館)によれば、台湾でこの映画を観た観衆の大半が婦女子で、しかもそれらの人々が全て凌波の山伯に熱を上げたのだそうです。
すこぶる「男前」な凌波の魅力に、普段は国語(北京語)映画を観ないような本省人(特に福佬人。母語は台湾語)までもが、大挙して映画館に押し寄せたといいますから、台湾人の「凌波フィーバー」たるや、まさに凄まじいものがありました。
しかし、こうやって男役の凌波に人気が集中してしまうと、娘役の樂蒂に対しては嫉妬と羨望ぐらいしか寄せられないことになり、本当に、何度も言うようですが、樂蒂は運が悪かったとしか言いようがありません。

ところで、この凌波フィーバーに対して人一倍警戒心を抱いたのが、邵氏(『梁山伯與祝英台』の制作会社)の看板女優・林黛(1934〜64)でした。
映画『宝蓮燈』(1965年。林黛の死後、公開されました)で、林黛は華山聖母を演じましたが、このとき、聖母の子供である沉香を凌波が演じる予定だったのを林黛が断固拒否、自分で演じてしまったというエピソードが、鄭佩佩(1946〜。「武侠影后」の称号を持つ。最近では、『グリーン・デスティニー』のこわーいおばさんで有名)の『戯非戯』(1998年、明窗出版社)に見えます。

最後に、あまりにも有名な話ですが、この映画の成立に関する逸話をご紹介しておきたいと思います。
『梁山伯與祝英台』は、当初、邵氏のライバル会社である電懋が制作に着手していたところ(厳俊監督。尤敏、李麗華主演)、これを聞きつけた邵氏が同じネタで急遽撮影、電懋作品よりも先に封切って大当りをとってしまったという曰くつきの作品です。
芸能界は生き馬の目を抜く世界ですから、何でもありなのかも知れませんが、私自身としては、この逸話、はっきり言って好きな話ではありません。
やはり、どんな世界であっても、仁義というものはあると思うのです。

というわけで、なんだかオチがなくなってしまいましたが、樂蒂はただただ運が悪かった、これに尽きると思います、はい。(おしまい)

先頭 表紙

香港人、特に樂蒂迷にとっては、凌波は天敵らしく、樂蒂のサイトの掲示板で凌波と書こうものなら袋叩きに遭うようです。先日、なんと林黛サイトの掲示板に凌波のことを書き込んだ不心得者がいて、熱いバトルが繰り広げられていました。 / せんきち ( 2003-08-20 21:11 )
同じネタで先に作って…って未だによくある話ですねぇ。だからネタ漏れしないよーに香港映画は台本を作らないってホントかしらん。ところでこの映画、広東語のセンセが好きでいっしょにビデオを見て(何シーンかのみ)主題歌(挿入歌だったかも)をフリつきで歌う、という授業もやりました。 / ぷるぷる ( 2003-08-20 01:02 )

2003-08-18 「食われる」ということ(2)


(前回の続き)
さてさて、昨日の続きでございます。

なにゆえに、樂蒂は凌波に食われてしまったのか?
それは、山伯を演じた凌波が女性、すなわち「男装の麗人」だったからであります。

中国の古典劇といいますと、なによりも京劇が有名ですが、その京劇では梅蘭芳に代表されるような女形が存在いたします。
しかし、越劇(江南地方)や粤劇(広東地方)、あるいは福建省辺りの地方劇になりますと、女形よりはむしろ男役の方が名物(?)なのです。
日本でも公開されたのでご記憶の方も多いと思いますが、映画『喝采の扉 虎度門』(1996年)で主演の蕭芳芳(ジョセフィーン・シャオ。1947〜)が演じていたのも、粤劇の花形男役スターでした。
で、この『梁山伯與祝英台』も、もともとは古典劇の人気演目でしたから、その慣例にのっとって、映画化の際にも男役を起用したというわけです。

そうなると宝塚と同じで、いきおい観衆の眼差しは娘役の樂蒂(もちろん、彼女が男装するという趣向はありますが)よりも、男役の凌波に注がれることになります。
そして観衆の期待に応えて、凌波は立派に山伯を演じ切りました。まさに、「はまり役」だったわけです。
もしも凌波演じる山伯が「男装の麗人」には程遠い、魅力に乏しいものだとしたらこの映画の成功はなかったので、大変素晴らしいことなのですが、娘役から見れば、それは観衆の喝采を男役にほとんど全てさらわれてしまうことを意味するのです。

では、「リアリズム命」とばかり、男優に山伯を演じさせたとしたら、どうなっていたでしょうか。
おそらく、大した映画にはなっていなかったと思いますし、そうなれば、樂蒂が金馬奨を受賞することもなかったでしょう。

つまり、映画が成功するためには、どうあっても樂蒂の犠牲が必要だったわけで、そう考えると、樂蒂が凌波に食われてしまったのは、ただただ「運が悪かった」としか言いようがありません。

このお話、もう少し続きます。(つづく)


写真は、山伯を演じる凌波。特に台湾で、熱狂的な支持を受けました。

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2003-08-17 「食われる」ということ(1)


さて、長い間、ずっとずっと観たくて仕方がなかった『梁山伯與祝英台』(1963年)をようやっと観ましたので、ちょっとばかりその感想を。

お話の内容は、中国の有名な悲恋物語から。
学問への情熱止みがたい英台(樂蒂)は、男装して杭州に行き、学問を修めますが、そこで山伯(凌波)と兄弟の契りを交わします。
3年の後、母親が病に臥せっているという知らせを受け取った英台は、故郷に帰ります。しかし、英台が故郷へ帰ってみると、母親が病というのは真っ赤な嘘、両親が勝手に英台の縁談を進めていたのでした。
学問所の師母から実は英台が女性で、自分のことを慕っていると聞かされた山伯は、急ぎ英台の家へ赴き結婚を申し込みますが、時すでに遅し。英台は馬家へ嫁ぐことが決っていました。
失意のまま故郷へ帰った山伯は、病に罹り亡くなってしまいます。
婚礼の日、山伯が亡くなったという知らせを受けた英台は、馬家へ向かう前に山伯の墓にやってきます。すると、にわかに嵐が起こり、山伯の墓がぱっくりと割れて、その中へ英台は吸い込まれていきました。
やがて嵐が収まると、二匹の雌雄の蝶が、山伯の墓から空高く飛び立っていくのでした。

以前、樂蒂のところ(『樂蒂と幻の合作映画』第1回。8月3日)でも書きましたが、この映画で樂蒂は第2回台湾金馬奨の主演女優賞を受賞しながら、観衆の人気を凌波にかっさらわれてしまいました。

つまり、ものの見事に「食われてしまった」というわけです。

ところが、じっさいに映画を観てみると、この映画の主演は確かに樂蒂ですし、その演技は凌波と比べても全く遜色のないものでした。
では、なぜこんなことが起こったのでしょう?
続きはまた明日。(つづく)


付記:この世で添い遂げられなかった男女が雌雄の蝶になるという設定は、日本でも「蝶の道行」(義太夫「けいせい倭荘子」。参照サイトのぐぐっと下の方に解説あります)という所作事に見られます。この2作品に何か影響関係があるのかなあとずっと考えているのですが、まだきちんと調べておりません(お話の成立は、中国の方が先です)。

先頭 表紙

tomohiko様:中国人なら誰でも知っているといってよいお話です。なぜか日本ではあまりメジャーではありませんが。『梁祝』というバイオリン協奏曲も大変有名です。 / せんきち ( 2003-08-18 21:25 )
「心雨」の歌詞のようなストーリーですね。 / tomohiko ( 2003-08-18 12:58 )

2003-08-16 1959年の畢打街


昨日、自宅で恐怖の4本立て上映(『四千金』『梁山伯與祝英台』『続社長洋行記』『香車美人』)を楽しみました。
ひどい腰痛になりました。

最後に観た『香車美人』(1959年)の冒頭、香港島の中環(セントラル)の実写映像が流れましたが、その内の畢打街(ぺダー・ストリート)の映像がなかなか興味深かったです。
香港に行かれたことがある方ならご存知と思いますが、1階に「上海灘(つぶれたかと思っていたら、まだまだ健在でした)」のある畢打行(ペダー・ビル)が、中央奥にはっきりと映っております(写真内、矢印で示したビル)。
めまぐるしく変化する街・香港にも、こんな風に昔のものが今なお残されているのです。

それから同じく『香車美人』で、主人公の若夫婦(葛蘭、張楊)が中環のスターフェリー乗り場前にある広大な駐車場で待ち合わせをするのですが、地図(『香港街道地方指南』)で調べたところ、どうやらそこは現在の大会堂(シティ・ホール)のある辺りのようでした。
そんなことを確かめながら映画を観るのも、また楽しいものです。

そういえば、『四千金』(1957年)のやはり冒頭、四姉妹(だから四千金です)がいつも立ち寄る士多(しーとお。storeの音訳。雑貨屋さん〔今風の意味ではなく〕みたいなもの)で流れている音楽が、なんと『マンボ・マニラ』。ティト・ロドリゲス楽団のラテン・ジャズです。渋すぎ。
この他、長女と三女がマカオに行く場面では、『ポルトガルの4月(コインブラ)』が流れたりして、なかなかナイスな選曲(死語)なのですが、果たして元のフィルムの時からこれらの曲が収められていたものか、それともDVD化するに当たって新しく付け加えられたものか、ちょいと疑問が残ります。
かりに元から収録されていたものだとしたら、電懋(『四千金』の制作映画会社)のセンス、恐るべしです。
在り物の曲をふんだんに使って、著作権の問題が気になるけど。。。。

先頭 表紙

ぷるぷる様:これを見つけたときは、なかなかに感動いたしました。目下、香港3部作(『香港の夜』『香港の星』『ホノルル・東京・香港』)のロケ地を調査中です。 / せんきち ( 2003-08-17 22:12 )
jing様:「維多〔女乃〕」、これも隠れた香港名物と言えましょう。 / せんきち ( 2003-08-17 22:11 )
w(゜o゜)w オオー!「上海灘」が大好きなので、毎回と行っていいほど必ず畢打ビルに行きます。(高くて小物しか買えないですが)石造りの部分、ちっとも変わってないですね!感動しました。 / ぷるぷる@紙袋が可愛いのです ( 2003-08-17 21:20 )
「維多〔女乃〕」・・・生まれて初めて飲んだときはコントみたいに口から「だぁ〜」と出しそうでした。でも慣れてくるとふいに飲みたくなるんですよね。 / jing ( 2003-08-17 01:22 )
『四千金』で、三女と友人、長女とボーイフレンドが観に行く映画がこれ。デートにはふさわしくないと思うが。 / せんきち ( 2003-08-17 00:34 )
『香港の夜』の中で、宝田明が湾仔の裏町(ただしセット)をさまようシーンがあるのですが、そのバックに「維多〔女乃〕」の看板が!1950年代からあったのですね、びっくり。 / せんきち ( 2003-08-16 22:31 )

2003-08-14 さむい






さむいっすねえ。
また風邪気味。
これでも飲んで寝ます。

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めらこ様:今日も雨です。いつまで続くのか。。。。しつこいようですが、頭痛いです。 / せんきち ( 2003-08-16 20:35 )
しんちゃん様:まあ!「上海猛暑」なんて日本で報道される頃には、すっかり涼しくなってしまうのですね。冷え切った関係。。。。 / せんきち ( 2003-08-16 20:34 )
ビバビ様:ははは。イチコロです。。。。 / せんきち ( 2003-08-16 20:33 )
ぷるぷる様:富山の薬です。いつもお世話になっています。 / せんきち ( 2003-08-16 20:32 )
ナルさん:お大事にして下さいね。頭が痛いっす。 / せんきち ( 2003-08-16 20:31 )
はしもも様:リチ夫君、元気ですか?雨、全然やみませんねえ。 / せんきち ( 2003-08-16 20:28 )
こちらも秋の風でしたょ。草むらで虫が鳴いていましたしね。 お大事に・・ / めらこ ( 2003-08-15 05:38 )
こっちもここ二、三日は肌寒いでっす。セプテンバーな匂いがしてきました。。 / しんちゃん ( 2003-08-15 03:35 )
色的に風邪薬、というより殺虫剤っぽいですね。 / ビバビ ( 2003-08-15 01:31 )
こりゃ効きそうだ。和漢薬「ゴオウ」ってのが。どうぞお大事にね。 / ぷるぷる ( 2003-08-15 00:37 )
あたくしもヤバイっす!!!(しかも休めないのに・・・) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-08-15 00:31 )
連日の雨は、リッチのシャンプーをしたからです。すると必ず翌日から雨に....。ごめん! / はしもも ( 2003-08-14 23:22 )

2003-08-12 わーい!






わーいわーい!
ずっと欲しかったんだ、これ



こちらもごらん下さい。ほんとは「恋のフーガ」狙ってたのに。。。。

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めらこ様:その頃、わたしはトマトが大の苦手で、アレを見るたびに気分が悪くなっておりました。 / せんきち ( 2003-08-17 22:47 )
アレがやりたく=コレ(真似)↓のことよん♪・・・誤解しちゃィャん(*´`*) / めらこ ( 2003-08-16 20:48 )
この笑顔の人↑グラスなんですか(笑) 傷だらけはね〜真似してトマトに塩かけ過ぎてしまい、口の中が傷だらけになったです★とほほ・・ / めらこ ( 2003-08-16 20:36 )
めらこ様:「やっちゃいな、やっちゃいな、やりたくなったらやっちゃいな」でございます。 / せんきち ( 2003-08-16 20:27 )
ビバビ様:これ、実はグラスになっているんですよ。背中がぱっくり割れてます。 / せんきち ( 2003-08-16 20:24 )
傷だらけの天使のオープニング曲を耳にする度、アレをムショウにやりたくなるのです^^ぁぁ。。カラダが反応してしまう(爆) / めらこ@食いしん坊バンザ〜イ ( 2003-08-15 05:34 )
↓つるぴかハゲ丸君、久しぶりにその名前を聞きました。このおでこをパチンと叩きたいですね / ビバビ ( 2003-08-15 01:30 )
ナルさん:ライディーンといえば、竹の子族。。。。 / せんきち ( 2003-08-14 20:41 )
おにぎり様:おまけらしいんですが、こっちの方がメインかも。 / せんきち ( 2003-08-14 20:41 )
ぷるぷる様:やけくそ状態で喜んでおります。つるぴかはげまるといえば、荒井注の最後の奥さんが、注のことをそう呼んでいました。 / せんきち ( 2003-08-14 20:40 )
tomohiko様:はるか彼方昔の学生時代、大学近くのカラオケスナック(ボックスなんてなかったんですのよ、おほほ)で、この歌を熱唱する勘違い男がいました。 / せんきち ( 2003-08-14 20:39 )
ライディーンを久々に聴きたいですね。。。 / ナルでしぃ〜。 ( 2003-08-14 00:42 )
オマケ? / おにぎり ( 2003-08-13 00:59 )
つるぴかハゲ丸君、えらい喜びようですね。まさに「わーい!」ってかんじ。わたしは「ひなげしの花」が欲しいなあ。 / ぷるぷる ( 2003-08-12 23:19 )
うすいキアサに〜、きがえたおんなわ〜、くびれたーらいんが〜 / tomohiko ( 2003-08-12 21:15 )

2003-08-11 あやしい男







この顔に、ピンときたら!

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はしもも様:先日、ひさびさに「分享愛」を歌いました。しかし、なんのためのちょび髭。。。。 / せんきち ( 2003-08-16 20:29 )
いやぁ、久々に「強」とか「純真伝説」歌いたくなりました。ビデオ見たいし。 / はしもも ( 2003-08-14 23:17 )
aika様:ダンディー坂野といいコンビかもしれません。 / せんきち ( 2003-08-14 20:37 )
確かにあやしいぃ。なんかコントに出てきそうですねぇ。 / aika ( 2003-08-12 22:31 )
ナルさん:一応、自前の鬚のようです。しかし、何のためなんだか。。。。 / せんきち ( 2003-08-12 20:24 )
tomohiko様:女衒ですね。南千住辺りにいそう。。。。 / せんきち ( 2003-08-12 20:24 )
ぷるぷる様:しかし、ベクトルがずれまくり。。。。 / せんきち ( 2003-08-12 20:23 )
KEI様:スタイリストがついていてこれだったら、と思うと、悪夢です。私服であることを祈ります。 / せんきち ( 2003-08-12 20:22 )
このチョビヒゲ・・・ピリピリィ〜ってハガれるタイプに見えます・・・。(笑) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-08-12 01:35 )
こんなアヤシイ人は新宿の奥地でもあまり見なくなりましたね。 / tomohiko ( 2003-08-11 23:32 )
いつもジャージのあのヒトよりかは、「おされするざんす。」という気概が見られるだけマシであります。 / ぷるぷる ( 2003-08-11 21:27 )
彼に限らず亜州明星の服装センスは謎…としかいようがないです。どこにそんな服が売っているのか、と小一時間問いつめたい気持でいっぱいになります。 / KEI ( 2003-08-11 21:23 )
それにしても、このグラサンにちょび髭、妙な柄のサマーセーター。。。。ほんとにトップスターか、お前は? / せんきち ( 2003-08-11 20:31 )

2003-08-10 香港の花のことなど


8日、都内某所(って、図書館ですけどね)で尤敏が出した日本語の歌(『香港の花』。岩谷時子作詞、松井八郎作曲)のシングルレコードを発見、聴いてきました。

著作権の関係があるので歌詞は載せられないのですが、ちょっと舌足らずな日本語がなかなかよかったです。
アグネス・チャンの日本語よりも、きれいな発音です。

メロディー自体は、映画の中でさんざん流れて(ここでは中国語で歌っています)いたため、すっかり覚えていました。
そんなわけで、もうばっちり歌えますよん。

そして9日、伊勢丹の「大古本市」で、『近代映画』1962年5月号、7月号等をゲットしてきました。
岩下志麻が表紙の7月号の写真、載せておきます。
お楽しみ下さい。
ひばりと旭の婚約で大騒ぎでしたわ、その頃。

そういえば、会場で映画ポスターを漁っていたら、『ボルネオ大将 赤道に賭ける』(1969)という映画(なんてタイトルなんだか)のポスターに、『香港の夜』(1961)や『香港の白い薔薇』(1965)に出ていた香港の俳優・馬力の名前があるのを見つけました。

で、帰宅後、『キネマ旬報』のデータベースでさらに調べていったら、ブルース・リーやジャッキー・チャンの映画を手がけた監督・羅維(1918〜96)が、『アンコールワット物語 美しき哀愁』(1958)なんていう東宝映画にカンボジア国王の役で出演しているのを発見しました。

いろいろ働いていたのね、皆さん。


付記:8日の日記に引用した『日刊スポーツ』の記事中、「陳厚の日本公開作品はない」とありましたが、実際には『海棠紅』(1955)が、1957年に日本で公開されています。
この映画、香港の新華と日本の東和映画との合作で、日本の連合映画のスタジオで撮影された作品です。

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2003-08-08 樂蒂と幻の合作映画(おまけ)


5回に亘って執筆してきました『樂蒂と幻の合作映画』、昨日いったん「おわり」にいたしましたが、今日『日刊スポーツ』(1962年2月7日付け 「スチール撮影もなごやかに 東映、香港合作『香港旅情』」)を調査した結果、いろいろ新しいことがわかりましたので、もう1回だけ執筆することにいたします。

まず、映画の内容についてですが、記事によると、

・・・・日本の遊覧飛行機のパイロットになる陳厚を追って香港から日本へやって来たのが許婚者の樂蒂で、その時はもう陳厚の気持ちは彼女をはなれ、三田に傾いている。彼女に同情する同じパイロットの高倉は同情がいつしか恋ごころとなり、やがて高倉は樂蒂と、陳厚は三田と結ばれるといった甘いメロドラマ。

とのことだそうです。

なるほど、こうすれば丸く収まりますからね。

この記事、なかなか面白いですので、ほかの部分からも、もう少し引用しておきましょう。

・・・・樂蒂と陳厚の映画は日本では未公開だが樂蒂は香港映画の昨年(1961年・せんきち注)の人気投票で李麗華、林黛とベテランにつぐ第三位、第四位が尤敏だった。一方、陳厚は五八年度アジア映画祭で最優秀男優主演賞を得た人気スターで、二人は上海生まれの同郷人。香港で結婚式を挙げてまっすぐ日本へ新婚旅行をかねてやってきたもので新婚六日目のおあついカップルである。
記者会見が終わって夜は築地の某スタジオで宣伝スチール撮影。樂蒂と高倉の甘い場面を写す段になって高倉がだん那さまに「エキスキューズミー」といえば、陳厚はにっこり笑ってカタコトの日本語で「ドウゾ ドウゾ エンリョナク」といい返したりして大笑いだった。(後略)

これを読んで、お蔵入りになったことが、ますます惜しく感じられました。

観たかったなあ。。。。


(今度こそおわり)

先頭 表紙

ぷるぷる様:健さんは、甘い二枚目だったのですね。この少し後に任侠路線が始まって、今我々が思い浮かべる健さんのイメージになるようです。 / せんきち ( 2003-08-10 21:18 )
ほんと、惜しいですよねぇ。それにしても健さん、カワイイわ〜(*^。^*) そうして撮ったのが8/5のスチールなのですね。 / ぷるぷる@おつかれサマ( ^-)_旦~~ ( 2003-08-09 14:03 )

2003-08-07 樂蒂と幻の合作映画(5)


(前回の続き)

東映と邵氏は、この作品がお蔵入りになったせいなのかどうか、ほかの合作映画を製作することもないまま、やがて提携自体も解消されたようです。
もっとも、1964年に石井輝男監督が東映で『ならず者』を撮影したさいには、邵氏所属の役者が出演していますが、これは合作ではなく、単なる協力と考えた方がよいでしょう。

邵氏は、この後合作という形態を諦め、日本のスタッフを直接香港に招いて映画を撮ってもらうシステムに転換(すでに1950年代末、カメラマンの西本正〔中国名・賀蘭山〕を招き、大成功を収めていました)、井上梅次や島耕二、中平康といった監督が香港へ渡り、作品を製作しています。
これらの作品が日本で上映されることはありませんでしたが、井上の『香江花月夜(香港ノクターン)』(1966年。服部良一音楽)は昨年の東京国際映画祭で初上映され、好評を博しました。
服部の音楽と、鄭佩佩のダンスが素晴らしいミュージカルです(DVDあります)。

考えてみれば、尤敏があれだけ日本で人気を博しながら、彼女の香港での作品が日本で全く上映されなかったのも、なんだか不思議な話です。
尤敏が日本で活躍していた1962年、邵氏の『江山美人』(1959年。李翰祥監督。林黛主演。アジア映画祭グランプリ受賞。DVDあります)が日本で公開されましたが、興行的には惨敗しました。
それから30年以上経った今でも、日本の市場において中華圏の映画は、ごく一部の例外を除いて、なかなか一般的にはなりにくいようです。

最後に、もう一つ述べておきたいのは、1960年代初め、まだまだ日本が軍政を布いていた頃の傷跡が生々しく残っている香港で、日本との合作映画に出演した尤敏のことを「漢奸」(売国奴)よばわりする人が、香港の一部には存在したということです。
これは尤敏には何の罪もない話で、とても胸が痛むのですが、この上樂蒂までもが合作映画に出演していたら、果たしてどうなっていただろうか、とも思います。
『香港旅情』が製作されなかったことを心から惜しいと思う反面、もしも順調に撮影が進み、完成していたとしたら樂蒂は何と言われただろうか、まして日本軍の爆撃で父を失っているのに、と、そんなことも非常に気にかかってしまうのです。


(おわり)

先頭 表紙

ぷるぷる様:やっぱり、個人に対する感情と国家に対する感情とは別のものなのでしょう。あの時代のカンフー映画の日本人って、すごいですよね。今の北朝鮮映画も真っ青です。台湾の抗日戦争映画の日本人もすごいですよ。人間扱いしてません。 / せんきち ( 2003-08-10 21:17 )
ブルース・リーは「ニシモトサン、ニシモトサン」ととても慕っていたと聞きます。彼も日本人嫌いだと噂がありましたが(『ドラゴン怒りの鉄拳』の日本人はヒドイですからね。真実に近いものも含まれているのでしょうけれども。)西本さんのインタヴューを読むとけっしてそうではないことがわかり安心します。 / ぷるぷる ( 2003-08-09 14:10 )
西本正は、『ドラゴンへの道』の撮影も担当しています。 / せんきち ( 2003-08-07 21:51 )

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