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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

せんきちの超おたくサイト「旅荘 愛のさざなみ」(総本家)にも、ぜひお立ち寄り下さい。

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-08-16 1959年の畢打街
2003-08-14 さむい
2003-08-12 わーい!
2003-08-11 あやしい男
2003-08-10 香港の花のことなど
2003-08-08 樂蒂と幻の合作映画(おまけ)
2003-08-07 樂蒂と幻の合作映画(5)
2003-08-06 樂蒂と幻の合作映画(4)
2003-08-05 樂蒂と幻の合作映画(3)
2003-08-04 樂蒂と幻の合作映画(2)


2003-08-16 1959年の畢打街


昨日、自宅で恐怖の4本立て上映(『四千金』『梁山伯與祝英台』『続社長洋行記』『香車美人』)を楽しみました。
ひどい腰痛になりました。

最後に観た『香車美人』(1959年)の冒頭、香港島の中環(セントラル)の実写映像が流れましたが、その内の畢打街(ぺダー・ストリート)の映像がなかなか興味深かったです。
香港に行かれたことがある方ならご存知と思いますが、1階に「上海灘(つぶれたかと思っていたら、まだまだ健在でした)」のある畢打行(ペダー・ビル)が、中央奥にはっきりと映っております(写真内、矢印で示したビル)。
めまぐるしく変化する街・香港にも、こんな風に昔のものが今なお残されているのです。

それから同じく『香車美人』で、主人公の若夫婦(葛蘭、張楊)が中環のスターフェリー乗り場前にある広大な駐車場で待ち合わせをするのですが、地図(『香港街道地方指南』)で調べたところ、どうやらそこは現在の大会堂(シティ・ホール)のある辺りのようでした。
そんなことを確かめながら映画を観るのも、また楽しいものです。

そういえば、『四千金』(1957年)のやはり冒頭、四姉妹(だから四千金です)がいつも立ち寄る士多(しーとお。storeの音訳。雑貨屋さん〔今風の意味ではなく〕みたいなもの)で流れている音楽が、なんと『マンボ・マニラ』。ティト・ロドリゲス楽団のラテン・ジャズです。渋すぎ。
この他、長女と三女がマカオに行く場面では、『ポルトガルの4月(コインブラ)』が流れたりして、なかなかナイスな選曲(死語)なのですが、果たして元のフィルムの時からこれらの曲が収められていたものか、それともDVD化するに当たって新しく付け加えられたものか、ちょいと疑問が残ります。
かりに元から収録されていたものだとしたら、電懋(『四千金』の制作映画会社)のセンス、恐るべしです。
在り物の曲をふんだんに使って、著作権の問題が気になるけど。。。。

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ぷるぷる様:これを見つけたときは、なかなかに感動いたしました。目下、香港3部作(『香港の夜』『香港の星』『ホノルル・東京・香港』)のロケ地を調査中です。 / せんきち ( 2003-08-17 22:12 )
jing様:「維多〔女乃〕」、これも隠れた香港名物と言えましょう。 / せんきち ( 2003-08-17 22:11 )
w(゜o゜)w オオー!「上海灘」が大好きなので、毎回と行っていいほど必ず畢打ビルに行きます。(高くて小物しか買えないですが)石造りの部分、ちっとも変わってないですね!感動しました。 / ぷるぷる@紙袋が可愛いのです ( 2003-08-17 21:20 )
「維多〔女乃〕」・・・生まれて初めて飲んだときはコントみたいに口から「だぁ〜」と出しそうでした。でも慣れてくるとふいに飲みたくなるんですよね。 / jing ( 2003-08-17 01:22 )
『四千金』で、三女と友人、長女とボーイフレンドが観に行く映画がこれ。デートにはふさわしくないと思うが。 / せんきち ( 2003-08-17 00:34 )
『香港の夜』の中で、宝田明が湾仔の裏町(ただしセット)をさまようシーンがあるのですが、そのバックに「維多〔女乃〕」の看板が!1950年代からあったのですね、びっくり。 / せんきち ( 2003-08-16 22:31 )

2003-08-14 さむい






さむいっすねえ。
また風邪気味。
これでも飲んで寝ます。

先頭 表紙

めらこ様:今日も雨です。いつまで続くのか。。。。しつこいようですが、頭痛いです。 / せんきち ( 2003-08-16 20:35 )
しんちゃん様:まあ!「上海猛暑」なんて日本で報道される頃には、すっかり涼しくなってしまうのですね。冷え切った関係。。。。 / せんきち ( 2003-08-16 20:34 )
ビバビ様:ははは。イチコロです。。。。 / せんきち ( 2003-08-16 20:33 )
ぷるぷる様:富山の薬です。いつもお世話になっています。 / せんきち ( 2003-08-16 20:32 )
ナルさん:お大事にして下さいね。頭が痛いっす。 / せんきち ( 2003-08-16 20:31 )
はしもも様:リチ夫君、元気ですか?雨、全然やみませんねえ。 / せんきち ( 2003-08-16 20:28 )
こちらも秋の風でしたょ。草むらで虫が鳴いていましたしね。 お大事に・・ / めらこ ( 2003-08-15 05:38 )
こっちもここ二、三日は肌寒いでっす。セプテンバーな匂いがしてきました。。 / しんちゃん ( 2003-08-15 03:35 )
色的に風邪薬、というより殺虫剤っぽいですね。 / ビバビ ( 2003-08-15 01:31 )
こりゃ効きそうだ。和漢薬「ゴオウ」ってのが。どうぞお大事にね。 / ぷるぷる ( 2003-08-15 00:37 )
あたくしもヤバイっす!!!(しかも休めないのに・・・) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-08-15 00:31 )
連日の雨は、リッチのシャンプーをしたからです。すると必ず翌日から雨に....。ごめん! / はしもも ( 2003-08-14 23:22 )

2003-08-12 わーい!






わーいわーい!
ずっと欲しかったんだ、これ



こちらもごらん下さい。ほんとは「恋のフーガ」狙ってたのに。。。。

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めらこ様:その頃、わたしはトマトが大の苦手で、アレを見るたびに気分が悪くなっておりました。 / せんきち ( 2003-08-17 22:47 )
アレがやりたく=コレ(真似)↓のことよん♪・・・誤解しちゃィャん(*´`*) / めらこ ( 2003-08-16 20:48 )
この笑顔の人↑グラスなんですか(笑) 傷だらけはね〜真似してトマトに塩かけ過ぎてしまい、口の中が傷だらけになったです★とほほ・・ / めらこ ( 2003-08-16 20:36 )
めらこ様:「やっちゃいな、やっちゃいな、やりたくなったらやっちゃいな」でございます。 / せんきち ( 2003-08-16 20:27 )
ビバビ様:これ、実はグラスになっているんですよ。背中がぱっくり割れてます。 / せんきち ( 2003-08-16 20:24 )
傷だらけの天使のオープニング曲を耳にする度、アレをムショウにやりたくなるのです^^ぁぁ。。カラダが反応してしまう(爆) / めらこ@食いしん坊バンザ〜イ ( 2003-08-15 05:34 )
↓つるぴかハゲ丸君、久しぶりにその名前を聞きました。このおでこをパチンと叩きたいですね / ビバビ ( 2003-08-15 01:30 )
ナルさん:ライディーンといえば、竹の子族。。。。 / せんきち ( 2003-08-14 20:41 )
おにぎり様:おまけらしいんですが、こっちの方がメインかも。 / せんきち ( 2003-08-14 20:41 )
ぷるぷる様:やけくそ状態で喜んでおります。つるぴかはげまるといえば、荒井注の最後の奥さんが、注のことをそう呼んでいました。 / せんきち ( 2003-08-14 20:40 )
tomohiko様:はるか彼方昔の学生時代、大学近くのカラオケスナック(ボックスなんてなかったんですのよ、おほほ)で、この歌を熱唱する勘違い男がいました。 / せんきち ( 2003-08-14 20:39 )
ライディーンを久々に聴きたいですね。。。 / ナルでしぃ〜。 ( 2003-08-14 00:42 )
オマケ? / おにぎり ( 2003-08-13 00:59 )
つるぴかハゲ丸君、えらい喜びようですね。まさに「わーい!」ってかんじ。わたしは「ひなげしの花」が欲しいなあ。 / ぷるぷる ( 2003-08-12 23:19 )
うすいキアサに〜、きがえたおんなわ〜、くびれたーらいんが〜 / tomohiko ( 2003-08-12 21:15 )

2003-08-11 あやしい男







この顔に、ピンときたら!

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はしもも様:先日、ひさびさに「分享愛」を歌いました。しかし、なんのためのちょび髭。。。。 / せんきち ( 2003-08-16 20:29 )
いやぁ、久々に「強」とか「純真伝説」歌いたくなりました。ビデオ見たいし。 / はしもも ( 2003-08-14 23:17 )
aika様:ダンディー坂野といいコンビかもしれません。 / せんきち ( 2003-08-14 20:37 )
確かにあやしいぃ。なんかコントに出てきそうですねぇ。 / aika ( 2003-08-12 22:31 )
ナルさん:一応、自前の鬚のようです。しかし、何のためなんだか。。。。 / せんきち ( 2003-08-12 20:24 )
tomohiko様:女衒ですね。南千住辺りにいそう。。。。 / せんきち ( 2003-08-12 20:24 )
ぷるぷる様:しかし、ベクトルがずれまくり。。。。 / せんきち ( 2003-08-12 20:23 )
KEI様:スタイリストがついていてこれだったら、と思うと、悪夢です。私服であることを祈ります。 / せんきち ( 2003-08-12 20:22 )
このチョビヒゲ・・・ピリピリィ〜ってハガれるタイプに見えます・・・。(笑) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-08-12 01:35 )
こんなアヤシイ人は新宿の奥地でもあまり見なくなりましたね。 / tomohiko ( 2003-08-11 23:32 )
いつもジャージのあのヒトよりかは、「おされするざんす。」という気概が見られるだけマシであります。 / ぷるぷる ( 2003-08-11 21:27 )
彼に限らず亜州明星の服装センスは謎…としかいようがないです。どこにそんな服が売っているのか、と小一時間問いつめたい気持でいっぱいになります。 / KEI ( 2003-08-11 21:23 )
それにしても、このグラサンにちょび髭、妙な柄のサマーセーター。。。。ほんとにトップスターか、お前は? / せんきち ( 2003-08-11 20:31 )

2003-08-10 香港の花のことなど


8日、都内某所(って、図書館ですけどね)で尤敏が出した日本語の歌(『香港の花』。岩谷時子作詞、松井八郎作曲)のシングルレコードを発見、聴いてきました。

著作権の関係があるので歌詞は載せられないのですが、ちょっと舌足らずな日本語がなかなかよかったです。
アグネス・チャンの日本語よりも、きれいな発音です。

メロディー自体は、映画の中でさんざん流れて(ここでは中国語で歌っています)いたため、すっかり覚えていました。
そんなわけで、もうばっちり歌えますよん。

そして9日、伊勢丹の「大古本市」で、『近代映画』1962年5月号、7月号等をゲットしてきました。
岩下志麻が表紙の7月号の写真、載せておきます。
お楽しみ下さい。
ひばりと旭の婚約で大騒ぎでしたわ、その頃。

そういえば、会場で映画ポスターを漁っていたら、『ボルネオ大将 赤道に賭ける』(1969)という映画(なんてタイトルなんだか)のポスターに、『香港の夜』(1961)や『香港の白い薔薇』(1965)に出ていた香港の俳優・馬力の名前があるのを見つけました。

で、帰宅後、『キネマ旬報』のデータベースでさらに調べていったら、ブルース・リーやジャッキー・チャンの映画を手がけた監督・羅維(1918〜96)が、『アンコールワット物語 美しき哀愁』(1958)なんていう東宝映画にカンボジア国王の役で出演しているのを発見しました。

いろいろ働いていたのね、皆さん。


付記:8日の日記に引用した『日刊スポーツ』の記事中、「陳厚の日本公開作品はない」とありましたが、実際には『海棠紅』(1955)が、1957年に日本で公開されています。
この映画、香港の新華と日本の東和映画との合作で、日本の連合映画のスタジオで撮影された作品です。

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2003-08-08 樂蒂と幻の合作映画(おまけ)


5回に亘って執筆してきました『樂蒂と幻の合作映画』、昨日いったん「おわり」にいたしましたが、今日『日刊スポーツ』(1962年2月7日付け 「スチール撮影もなごやかに 東映、香港合作『香港旅情』」)を調査した結果、いろいろ新しいことがわかりましたので、もう1回だけ執筆することにいたします。

まず、映画の内容についてですが、記事によると、

・・・・日本の遊覧飛行機のパイロットになる陳厚を追って香港から日本へやって来たのが許婚者の樂蒂で、その時はもう陳厚の気持ちは彼女をはなれ、三田に傾いている。彼女に同情する同じパイロットの高倉は同情がいつしか恋ごころとなり、やがて高倉は樂蒂と、陳厚は三田と結ばれるといった甘いメロドラマ。

とのことだそうです。

なるほど、こうすれば丸く収まりますからね。

この記事、なかなか面白いですので、ほかの部分からも、もう少し引用しておきましょう。

・・・・樂蒂と陳厚の映画は日本では未公開だが樂蒂は香港映画の昨年(1961年・せんきち注)の人気投票で李麗華、林黛とベテランにつぐ第三位、第四位が尤敏だった。一方、陳厚は五八年度アジア映画祭で最優秀男優主演賞を得た人気スターで、二人は上海生まれの同郷人。香港で結婚式を挙げてまっすぐ日本へ新婚旅行をかねてやってきたもので新婚六日目のおあついカップルである。
記者会見が終わって夜は築地の某スタジオで宣伝スチール撮影。樂蒂と高倉の甘い場面を写す段になって高倉がだん那さまに「エキスキューズミー」といえば、陳厚はにっこり笑ってカタコトの日本語で「ドウゾ ドウゾ エンリョナク」といい返したりして大笑いだった。(後略)

これを読んで、お蔵入りになったことが、ますます惜しく感じられました。

観たかったなあ。。。。


(今度こそおわり)

先頭 表紙

ぷるぷる様:健さんは、甘い二枚目だったのですね。この少し後に任侠路線が始まって、今我々が思い浮かべる健さんのイメージになるようです。 / せんきち ( 2003-08-10 21:18 )
ほんと、惜しいですよねぇ。それにしても健さん、カワイイわ〜(*^。^*) そうして撮ったのが8/5のスチールなのですね。 / ぷるぷる@おつかれサマ( ^-)_旦~~ ( 2003-08-09 14:03 )

2003-08-07 樂蒂と幻の合作映画(5)


(前回の続き)

東映と邵氏は、この作品がお蔵入りになったせいなのかどうか、ほかの合作映画を製作することもないまま、やがて提携自体も解消されたようです。
もっとも、1964年に石井輝男監督が東映で『ならず者』を撮影したさいには、邵氏所属の役者が出演していますが、これは合作ではなく、単なる協力と考えた方がよいでしょう。

邵氏は、この後合作という形態を諦め、日本のスタッフを直接香港に招いて映画を撮ってもらうシステムに転換(すでに1950年代末、カメラマンの西本正〔中国名・賀蘭山〕を招き、大成功を収めていました)、井上梅次や島耕二、中平康といった監督が香港へ渡り、作品を製作しています。
これらの作品が日本で上映されることはありませんでしたが、井上の『香江花月夜(香港ノクターン)』(1966年。服部良一音楽)は昨年の東京国際映画祭で初上映され、好評を博しました。
服部の音楽と、鄭佩佩のダンスが素晴らしいミュージカルです(DVDあります)。

考えてみれば、尤敏があれだけ日本で人気を博しながら、彼女の香港での作品が日本で全く上映されなかったのも、なんだか不思議な話です。
尤敏が日本で活躍していた1962年、邵氏の『江山美人』(1959年。李翰祥監督。林黛主演。アジア映画祭グランプリ受賞。DVDあります)が日本で公開されましたが、興行的には惨敗しました。
それから30年以上経った今でも、日本の市場において中華圏の映画は、ごく一部の例外を除いて、なかなか一般的にはなりにくいようです。

最後に、もう一つ述べておきたいのは、1960年代初め、まだまだ日本が軍政を布いていた頃の傷跡が生々しく残っている香港で、日本との合作映画に出演した尤敏のことを「漢奸」(売国奴)よばわりする人が、香港の一部には存在したということです。
これは尤敏には何の罪もない話で、とても胸が痛むのですが、この上樂蒂までもが合作映画に出演していたら、果たしてどうなっていただろうか、とも思います。
『香港旅情』が製作されなかったことを心から惜しいと思う反面、もしも順調に撮影が進み、完成していたとしたら樂蒂は何と言われただろうか、まして日本軍の爆撃で父を失っているのに、と、そんなことも非常に気にかかってしまうのです。


(おわり)

先頭 表紙

ぷるぷる様:やっぱり、個人に対する感情と国家に対する感情とは別のものなのでしょう。あの時代のカンフー映画の日本人って、すごいですよね。今の北朝鮮映画も真っ青です。台湾の抗日戦争映画の日本人もすごいですよ。人間扱いしてません。 / せんきち ( 2003-08-10 21:17 )
ブルース・リーは「ニシモトサン、ニシモトサン」ととても慕っていたと聞きます。彼も日本人嫌いだと噂がありましたが(『ドラゴン怒りの鉄拳』の日本人はヒドイですからね。真実に近いものも含まれているのでしょうけれども。)西本さんのインタヴューを読むとけっしてそうではないことがわかり安心します。 / ぷるぷる ( 2003-08-09 14:10 )
西本正は、『ドラゴンへの道』の撮影も担当しています。 / せんきち ( 2003-08-07 21:51 )

2003-08-06 樂蒂と幻の合作映画(4)


(前回の続き)

当初、『香港旅情』の公開時期は1962年7月(尤敏の『香港の星』と同時期)の予定でしたが、製作開始が延期になったせいで、急遽別の映画に差し替えられることになりました。
『近代映画』1962年7月号掲載の「早くも出そろったお盆映画の企画」によると、7月の東映は「大川橋蔵作品と、高倉、佐久間(良子・せんきち注)の青春もの」で、このうちの「高倉、佐久間の青春もの」が、『香港旅情』の代わりに企画された作品と考えられます。

一方、『明星』1962年7月号の千葉真一と三田佳子への取材記事(「新婚旅行なら海外へ・・・」)には、

・・・・二人の次回作は映画『香港旅情』。したがって香港ロケが予定されています。
「千葉ちゃんは海外旅行は初めてでしょ。私(三田佳子・せんきち注)はハワイからブラジルまで行ってきたけど・・・・いいものよ。(略)知らない土地や風俗を見るだけでも勉強になるし・・・・」(後略)

との記述があり、千葉真一も『香港旅情』に出演予定だったことがわかります。

これが、高倉健と三田佳子の他に千葉真一も出演するという意味なのか、あるいは、製作延期になったために高倉健のスケジュールの都合がつかなくなり、高倉の役を千葉が演じることになったという意味なのか、定かではありませんが、この雑誌が出た段階(5月下旬〜6月上旬頃)ではまだ、いずれは製作するつもりだったようです。

しかし、結局、『香港旅情』は製作されないままお蔵入りとなりました。
製作中止に関して正式な発表があったのか否か、そのあたりの報道はまだ確認していませんが、もしもきちんと製作されて公開されていたならと思うと、非常に残念でなりません。
しかも、日本と香港の合作映画史研究においても、この『香港旅情』に関しては、全く陽の目を見ていない、つまり埋もれた作品のままになっているのです。


(つづく)


写真は、製作発表記者会見での陳厚と樂蒂。

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ぷるぷる様:これに出ていれば、『風雲』に出るはるか前に「国際派スター・千葉ちゃん」が、誕生していたかもしれません。 / せんきち ( 2003-08-10 21:14 )
ええっ、千葉ちゃんが!! / ぷるぷる ( 2003-08-09 14:11 )

2003-08-05 樂蒂と幻の合作映画(3)


(前回の続き)

『香港旅情』の内容に関しては、当時の報道から類推するよりほか方法がないのですが、『朝日新聞』(1962年3月14日付け夕刊)と『近代映画』(1962年5月号)に少し詳しい情報がありますので、それを引用してみます。

・・・・東宝がキャセイと組めば、東映はやはり香港の製作会社、ショー・ブラザーズとの合作で「香港旅情」を計画している。渡辺邦男監督、主演者には、日本のパイロット(高倉健)と親友の香港の富豪のムスコ(陳厚−チェンホー)、彼のイイナヅケの楽蒂(ローティ)、それにデザイナーになる三田佳子。ローティは尤敏同様、香港で人気のある女優で、彼女を使う合作映画は大川社長らが二年前から考えていたそうだ。たまたま四月(原文ママ)にチェンホー、ローティ夫妻が新婚旅行で来日するので、話がバタバタ本決まりになり、四月の花のころ日本ロケで撮影開始と決った。
香港には五月すぎ、スタッフ十四、五人が渡り、約二週間ロケする。渡辺監督やプロデューサーは三月末、下見に行くそうだが、渡辺氏は戦前、長谷川一夫らと現地ロケしたこともあり、いわば合作映画の元祖。一方、ローティらもショー・ブラザーズ制作の「紅楼夢」で日本に来たことがあり、話が合うだろうと一行は張切っている。(後略)
(「香港ロケ大ばやり」より)

「香港旅情」クランク・イン−東映−
東映と香港のショウ・ブラザーズの合作作品「香港旅情」は、先に東映本社で記者会見を行ったが、ショウ・ブラザーズの都合で、撮影は延期されていたが、いよいよクランク・インのはこびとなった。ヒーローに高倉健のパイロット、ヒロインには東宝の「香港の星」に出演の尤敏と共に、彼の地で人気最高の楽蒂(ろうてい)が薄幸な斜陽族の娘として登場する。彼女は香港の自宅に、日本の庭園をつくった程の日本びいきになり、いっしょうけんめいやりたいと抱負をのべている。なおメガホンは渡辺邦男監督の予定。

これらの記事にあるキャスティングから見て、高倉健が親友のフィアンセである樂蒂と恋に落ちてしまい、三角関係に・・・・というパターンではないかと考えられます。
東宝の作品が、一人の男性(宝田明)に二人の女性(尤敏と日本人女優)というパターンなのに対して、東映は一人の女性(樂蒂)を二人の男性(高倉健、陳厚)が愛するという、全く逆のパターン(裏返しなだけか)で対抗する図式が、そこには見られます。
ただ、東映の場合、もう1人三田佳子が絡みますから、一気に四角関係(?)になる可能性も捨て切れません。

詳しい内容の検討はここまでにするとして、「四月の花のころ」、すなわち桜の咲く頃にクランクインするはずだった『香港旅情』は、なかなか製作開始にはなりませんでした。
その理由を、筆者(せんきち)は『元祖ユーミン』で「樂蒂のおめでたが発覚したため」と推測し、実際そうだったと思うのですが、これまでのところ、樂蒂の妊娠に関して触れている報道は未確認です。
今と違って、芸能人の私生活に関わる事項(特に結婚や妊娠に関して)が外部に漏れることに対して、皆驚くほど神経質でしたから、敢えて公表せずに済ませようとしたのかも知れません。


(つづく)

付記:先述した通り、樂蒂は日本軍の爆撃で父を失ったのですが、その点を考慮した上で「彼女(樂蒂)は香港の自宅に、日本の庭園をつくった程の日本びいきになり・・・・」という件を読むと、なにやら複雑な思いに駆られます。
写真は、『香港旅情』の宣伝用スチール(高倉健と樂蒂)。

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2003-08-04 樂蒂と幻の合作映画(2)


(前回の続き)

では、いよいよ本題に入りましょう。

邵氏との提携を決めた東映は、1961年8月29日、東映会館に邵氏の社長である邵逸夫(ランラン・ショウ)を招き、合作映画に関する会議を行いました。
その模様を報じた『日刊スポーツ』の記事(1961年8月30日付け)によると、「1、年間2本以上の映画を合作。2、粗製濫造は避ける。3、時代劇は準備期間を長く必要とするので、初めは現代劇を製作。4、製作費は、日本で撮影の場合は東映、香港の場合は邵氏が負担。5、配給権は、日本国内は東映、東南アジア各地は邵氏が有するが、その他は両社で二分」との基本事項がまず定められ、その後に具体的な作品の検討に入ったようです。

作品の内容としては、

邵氏からの提案:
『桜都長恨』(太平洋戦争中の東京を舞台にした、香港人青年と日本人女性の悲恋物)。
『紅鬚子』(満州を舞台にしたアクション物)。
『シンガポール、香港、東京』(パイロットとスチュワーデスが、日本や東南アジア各地で繰り広げる騒動を描いた喜劇。←でもこれ、まんま電懋の『空中小姐』〔1959〕のパクリだと思うんですが:せんきち注)。
東映からの提案:
喜劇(東京で開催されたアジア大会で知り合った香港選手〔女性〕と日本選手〔男性〕。その後日本選手は香港に移住して、彼女と再会する)。
喜劇(香港のカメラマン〔女性〕と日本のカメラマン〔男性〕が、国際コンテスト入選を競い合う。そこへプレイボーイのカメラマンが現れて一悶着。2人の作品は落選、プレイボーイの作品が入選するが、入選写真は2人の写真だった)。
その他、恋愛物と社会派ドラマ。

が、挙がりましたが、邵氏の提案が具体的なのに比べて、東映のそれはなんだか漠然としているのが気になります。今見ても、「本当にやる気があるのかなあ」と思ってしまいます。

結局、これらの作品案は採用されず、第1回作品として選ばれたのは、樂蒂と高倉健が共演する『香港旅情』になりましたが、そのあたりの経緯は詳らかではありません。
ともあれ、1962年2月6日、新婚旅行で日本を訪れていた樂蒂と陳厚も出席して、東映本社で『香港旅情』の製作発表記者会見が行われました。


(つづく)


写真は、記者会見の模様。向かって左から陳厚、樂蒂、三田佳子、高倉健の各出演者。

先頭 表紙

ぷるぷる様:なるほど、樂蒂の方ですね。明明ちゃんだ。 / せんきち ( 2003-08-05 20:32 )
おにぎり様:健さんと三田佳子ですか、それとも樂蒂と陳厚の方ですか? / せんきち ( 2003-08-05 20:32 )
そっか〜、このときには既にお腹の中におにぎりさんが…(^_^)3 / ぷるぷる ( 2003-08-04 23:32 )
あらっ!!私の両親の結婚記者会見じゃないですか!!! / おにぎり ( 2003-08-04 22:21 )

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