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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

せんきちの超おたくサイト「旅荘 愛のさざなみ」(総本家)にも、ぜひお立ち寄り下さい。

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-08-02 尤敏を買いに
2003-08-01 怖いもの食べたさ
2003-07-31 けもののかほり
2003-07-30 明報を読んで思ったこと
2003-07-30 元祖ユーミン(25)
2003-07-29 めでたい!
2003-07-28 元祖ユーミン(24)
2003-07-27 元祖ユーミン(23)
2003-07-26 元祖ユーミン(22)
2003-07-25 ぞくぞく


2003-08-02 尤敏を買いに


と言っても、「川を渡って女買いに行く」(BY:山頭火。うろ覚えなので、間違っているかも)の世界ではございません。
新宿・京王百貨店で開催中の「大古書市」に、行ってきたのでございます。

来週、伊勢丹で開催の「大古本市」は、目録が家に届いたので既に注文済みなのですが(抽選があるけど)、京王の方は目録が来なかったので、現場でいちいち確認せにゃなりません。

まずは、同時開催の「切手・コイン展」会場(お隣)に立ち寄り(というか、引っかかり)、奉天(瀋陽)の絵はがきセット(瀋陽の故宮。記念スタンプ付)と、インド人が書いた香港仔の水上レストラン(シーパレス)絵はがき(香港からボンベイ〔ムンバイ〕宛。何語の文字なんでしょう、不思議な文字が)を購入。
それから、一軒一軒丹念(てきとーかも)にブツを見て廻りました。

本業の方で「買っておいたほうがいいかな」という本(昔の山田流筝曲の唄本)もありましたが、今日は敢えて止めにして、尤敏モノに的を絞ります。

結果、『明星』1963年9月号(記事が1頁)、『映画情報』1962年5月号(グラビア1頁、写真入記事少々)、『アサヒグラフ』1962年6月8日号(表紙。特集記事2頁。写真)をゲット。
これに高橋英樹の映画ポスター(母親へのお土産)をプラスして、〆て4830円でした。
思ったよりも安かったです。

この中では、明星が一番高かった(2500円)ですね。状態はあまり良くなかったですが。これで状態が良ければ、5000円位にはなるのでしょう。

さて、来週は伊勢丹です。金欠だわ。。。。

先頭 表紙

おにぎり様:なんでもとって置く方がいいですよ。邪魔になりますが。。。。 / せんきち ( 2003-08-03 21:21 )
数年前まで、中山美穂が「モデル時代」の明星ヘアカタログが実家にありました。 / おにぎり ( 2003-08-03 12:56 )
『社長洋行記』と『続社長洋行記』、「東宝通販倶楽部」で扱っていました。『香港の星』は、廃盤でした。 / せんきち ( 2003-08-02 21:40 )

2003-08-01 怖いもの食べたさ


おかげさまで無事でした。元気でピンピンしております。

以前、カビの生えた大福を食ったときもなんともありませんでしたし、物理的な圧力に対しては強いようです、私の胃腸は。
ところが、心理的な圧力になると、からっきしダメなのですねえ。
すぐにシクシク痛み始めます。

さて、今日も行ってきました、W大学。
学内のE博物館でちょっくら調べ物をしておりまして、7日から夏季休館になってしまうため、今のうちにまとめて調べておかなければならないのです。

本業の方と趣味の方、目下2本立てで調べておりますが、昭和40年代に香港の邵氏兄弟(ショウ・ブラザーズ)が、日本の映画監督を招いて撮影した映画のシナリオ(日本語版)なんかを見つけてしまい、ついつい本業の方を忘れがちになっております。
今日は、『恋泥棒』なんていうシナリオがあったので、そいつを読んでみたところ、井上梅次監督の『鑽石艶盗』(1970)のシナリオでした。
ちなみにこの映画、井上監督が大映で撮った『宝石泥棒』(山本富士子主演)のリメイクです。

でなわけで、用事が片付いたのが午後3時45分過ぎ。
またしても昼飯抜きでしたので、昨日の確認(本当に山羊肉だったのか。あるいは羊か)をするため、再度くだんのお蕎麦屋さんへ行きました。
で、ハンバーグ定食を注文して食べてみたところ、

おいしいのですよ、これが。

お肉がジューシーでね。

月曜日も行こう。。。。



写真は、イメージです。

先頭 表紙

ビバビ様:お帰りなさい。ボリュームありましたよ、ハンバーグ定食。今日も食べました。 / せんきち ( 2003-08-04 20:33 )
やっぱり学生街の食堂って、ボリューム命だったりしますよね。で、おいしいとこが多かったりもしますよね。 / ビバビ ( 2003-08-03 22:31 )
↓あらら。。。。支店の方から切り替えするのを忘れてました。とほほ。。。。 / せんきち ( 2003-08-03 21:21 )
aika様:学生街のお蕎麦屋さんなので、定食メニューが豊富です。体育会系の店かも。。。。 / せんきち ( 2003-08-03 21:19 )
お蕎麦やさんにハンバーグ定食があるのが不思議な感じです。でも、おいしければいいですね♪ / aika ( 2003-08-03 07:01 )
しんちゃん様:私、中華圏にいるときはストレス無しなんですよ。なぜでしょう? / せんきち ( 2003-08-02 20:46 )
ぷるぷる様:鰐淵晴子様も美しかったですわ。お直ししすぎで大変なことになっていますが。。。。あ、そういえば、この間逮捕された土屋前埼玉県知事の娘(ピーチ桃子)、すごい美少女でしたわ。フライデーに載ってたけど、写真が。 / せんきち ( 2003-08-02 20:45 )
tomohiko様:どっちが先に胃を壊すかのチキンレース。。。。ちなみに、胆嚢は取ってしまってありません。 / せんきち ( 2003-08-02 20:41 )
めらこ様:私の友人にも、つねにビオフェルミンを持ち歩いているやつがおります。実は私も、下しやすいんですがね。。。。 / せんきち ( 2003-08-02 20:40 )
日本にいた頃は心理的にヨワヨワだったとおもうのですが、こっちにきてからは何と言うか気にしなくなりました、あんまり深く。(だめじゃん) / しんちゃん ( 2003-08-02 01:01 )
頑丈な胃袋に乾杯 ( ^_^)/▼☆▼\(^_^ ) チン♪ イチ時期大映の時代映画に凝っていて見まくりましたが、山本富士子と富士真奈美のべっぴんさにはビビリました。今は怖いくらいの美人女優って居ないような気が。 / ぷるぷる ( 2003-08-02 00:37 )
私も心理的な圧力には弱い方ですが、さらに強い圧力ではね返します。だからお客様(伝票の上位会社)のウケが悪いの(笑) / tomohiko ( 2003-08-01 23:37 )
ご無事でなによりです^^☆ それにしても羨ましいなぁ。。私なんかビフィズス菌の粒が手放せません。腸だけはデリケートなんです・・ / めらこ ( 2003-08-01 21:30 )

2003-07-31 けもののかほり


今日、ヤボ用があって、W大学へ行ってきました。
さいきん、美人局やスーパーフリーで話題になった、あそこです。

いろいろあって、用事がすんだのが午後3時半過ぎ。
昼食をとっていなかったので、近くのお蕎麦屋さんに入りました。

大学は夏休みですし、こんな中途半端な時間帯なので、他に客のいるはずもなく、店内にはわたくしがただ一人。
「カツ丼を下さい」と注文を告げて、席に着きます。

10分ほどして、できたてほやほやのカツ丼が出てきました。
味噌汁、香の物の他に、小皿も一品ついています。

まずは味噌汁を一口。ちょっと味は濃い目ですが、なかなかいけます。
「よしよし」と思いつつカツを口に含むと、なにやらいやーな風味が口の中いっぱいに広がりました。

それはまるで、豚肉のものではない、何か別の獣の肉のようなかほり。。。。
(もちろん、鳥や牛ではなくてね)

「やぎかな?なんかちょっとくさいな。肉の色も変だし」と、一瞬躊躇しましたが、空腹には勝てず、全てきれいに平らげました。

明日が楽しみだ。。。。



写真は、イメージです。

先頭 表紙

aika様:思わぬところで「びっくり人間大集合」になってしまいました。 / せんきち ( 2003-08-01 19:13 )
tomohiko様:「出されたものはすべて食い尽くす」という、貧乏人の悲しい性もありますです。。。。 / せんきち ( 2003-08-01 19:12 )
チャレンジャーですね。ご無事をお祈りしておりますです。。。 / aika ( 2003-08-01 00:56 )
「空腹には勝てず」って… ご無事をお祈りします。 / tomohiko ( 2003-07-31 22:45 )
しんちゃん様:あ、そうか。羊かもしれません。くさかったんですよ、とにかく。あんなカツは初めて食べました。 / せんきち ( 2003-07-31 22:07 )
羊肉だったりして。新疆直送羊肉。 / しんちゃん ( 2003-07-31 22:03 )

2003-07-30 明報を読んで思ったこと


今日、国会図書館(東京本館)で、関西館から取り寄せてもらった『明報』を読みました。
取り寄せに5日、コピーに8日(今日頼んで8月7日に出来上がり)と、果てしない手間と時間がかかりますが、香港の図書館へわざわざ行くことを思えば、まあ許せる範囲でしょう。
今回は、一応、尤敏の死亡記事関連のみの調査を行うため、1996年12月から1997年1月にかけての分を取り寄せました。

で、それらもろもろの記事を読みつつ思ったこと。

尤敏が亡くなったのは12月29日でしたが、実はわたくし、その前日まで香港で遊び呆けておりまして(勿論、その頃には尤敏のことなど知りませなんだ)、映画欄に居並ぶ『食神』の2文字を見て、クリスマスの日に佐敦の新寶戯院で『食神』を鑑賞した懐かしい思い出が、ありありと甦ってきました。

そして当時、紅館(香港コロシアム)では張國榮(レスリー・チャン)が「跨超97演唱會」を開催しておりまして、その記事が紙面を賑わせていました。
あれから6年ほどの歳月が流れ、誰がこんな悲しい結末を予想できたでしょうか。
彼は、遠い世界へ旅立ってしまいました。

旅立ったと言えば、羅文(ローマン・タム)の記事もありました。
彼も昨年、天に召されました。

さらにさらに、尤敏が亡くなる少し前には、これも50年代から60年代の香港を代表する映画監督・李翰祥(リー・ハンシャン)が逝去、尤敏の死から約半月後には、李の弟分でやはり偉大な映画監督・胡金銓(キン・フー・写真の人物)が逝去と、香港映画界の大立者の死が相次いでいます。

と、ここまでは、儚い人の世の無常を感じつつしんみりとしていたわたくしでしたが、1月下旬に入って、突如わたくしの中国茶の師匠が紙面を飾っているのを発見、思わず爆笑してしまいました。
もちろん、コピーも頼みました。

それにしても、「十年一昔」と言いますが、たった6年ほどの間でも、いろいろなことがあるものですねえ。
先のことは、わからない。つくづく思い知らされました。

先頭 表紙

そのとき、香港で泊まっていたのが「新雅圖酒店(ニューアスターホテル)」。『社長洋行記』を見ていたら、ここの中に「東京亭」(新珠三千代の店)があるという設定になっていて、尤敏がホテルの前に!!!うれしかったです。。。。 / せんきち ( 2003-07-31 22:04 )
jing様:台北で友人に会った後、香港でクリスマスを過ごそうというナイスな企画の旅でした。しかし、同行予定の友人は仕事が立て込んだせいで行けなくなり、けっきょく一人旅に。その友人も今は天国の住人です。 / せんきち ( 2003-07-31 22:01 )
ぷるぷる様:『百分之百感覚』なんかが流行っていた頃で、なつかしいなあと思いました。サミーの記事が沢山ありました。あと、キャス・パン。この頃好きでした。 / せんきち ( 2003-07-31 21:59 )
おにぎり様:当方、同時多発テロのときは、『ウソコイ』というフジテレビのドラマを見ておりました(王非主演)。しかも最終回。途中でいきなりビルに飛行機が突っ込む映像に切り替わり、「『ダイ・ハード』に番組変更か?」と思ったら、テロでした。最終回はぶっつぶれました。 / せんきち ( 2003-07-31 21:57 )
うん、沁みますわ。>ぷるぷるさま 私の初香港はそれからほぼ1年後です。 / jing ( 2003-07-31 01:25 )
染みますわ、今日の日記。(゜-Å) ホロリ。 / ぷるぷる ( 2003-07-31 00:42 )
アメリカがテロ攻撃を受けているとき、私は友人と呑んでました。帰宅してTVの前でNews番組を見ながら体育座りしている愛夫から話を聞かされビックリ!!! / おにぎり ( 2003-07-30 23:09 )

2003-07-30 元祖ユーミン(25)


(前回の続き)
尤敏の死から2日後の12月31日、香港の新聞に彼女の死亡記事が掲載されました。
それによると、尤敏は亡くなる2ヶ月前にも健康を害して入院、この時、海外に住んでいた子供たちも香港へ呼ばれたそうですが、幸い事なきを得たので、子供たちもそれぞれの家へ帰っていたのだそうです。
しかし、退院後も健康状態は優れなかったようです。
亡くなる前夜、尤敏は心臓に異常を覚えた(不整脈の持病があったそうです)もののそのまま就寝、ところが、翌朝になっても症状が治まらないため、救急車で病院に搬送されましたが、間に合わなかったそうです。

引退から既に30年以上の歳月が経過していたため、新聞に掲載された彼女の経歴には、ところどころに誤りが見られます(『無語問蒼天』〔1961年〕でアジア映画祭主演女優賞を得た、等)。
テレビ番組(『城市追撃』・TVB)でも、実際には出演していない映画(『四千金』)を出演作品として紹介していたようです。

年が明けた1997年元旦、日本の新聞(毎日・朝日)にも、共同通信が配信した尤敏の訃報がひっそりと載りました。

尤敏さん(ゆう・びん〔『朝日』ではヨウ・ミン〕=香港の女優)
31日付香港各紙によると、29日、心臓病のため香港の病院で死去、61歳(原文ママ)。
59年の「玉女私情」と「家有喜事」で、アジア映画祭(日本で開催)の最優秀主演女優賞を受賞。「香港の夜」で宝田明と共演、三船敏郎との共演作品も上映され、日本でも人気を集めた。
64年にマカオの富豪と結婚し引退した。(共同)
(1月1日付け 『毎日新聞』及び『朝日新聞』。『朝日』には最後の1行なし)

ここでも、彼女の経歴が間違って伝えられています(くわしくは、付記参照)。

1月8日午前10時から香港殯儀館大礼堂で葬儀が営まれ、午前11時に出棺、尤敏の遺体は荼毘に付されました。


近年、1950年代から60年代にかけての香港映画を見直す機運がようやく高まり、尤敏の映画も上映される機会が多くなってきているようです。
幸いなことに、電懋時代の名作の数々も、これから続々とDVD(VCD)化される予定です。
すっかり色褪せてしまった『香港の夜』のフィルムの中で、いきいきと息づく尤敏を初めて観てから約7ヶ月、フィルムはどんなに色褪せても、彼女の魅力は永遠に色褪せることはない、そんなことを思いつつ、わたくしの拙い文章もこれでひとまずおしまいとさせて頂きたく存じます。
長らくのご愛読、ありがとうございました。(おしまい)

付記:『玉女私情』で、1959年、クアラルンプールで開催されたアジア映画祭で主演女優賞を受賞、翌年、今度は『家有喜事』で、再度主演女優賞を受賞しています。
1960年、東京での授賞式は、赤坂のホテルニュージャパンで行われたそうです。現在、ニュージャパンのあった場所には、プルーデンシャルタワーという外資系金融機関の高層ビルが建っていますが、国会図書館からそのビルがよーく見えます。そしてそのビルを見るたび、40数年前の尤敏を想うわたくしなのでありました。

本稿執筆にあたり下記のサイトを参考にしました(リンクはってません)。

・尤敏紀念網頁(中文BIG5・英語)http://come.to/youmin
香港の方が1999年に開設したサイト。非常に優れたサイトです。姉妹サイトとして、葛蘭、林黛、樂蒂のサイトもあります。あ、ちなみに、葛蘭と尤敏は夫同士(高福全氏と高福球氏)が兄弟で、義理の姉妹(こういう場合にも、そう言うのだろうか)なんですよん。

先頭 表紙

現在のところ、電懋時代の尤敏出演作品でDVD(VCD)化されているのは、『玉女私情』と『星星 月亮 太陽』のみです。それらに関しても、いずれ詳しくご紹介いたします。 / せんきち ( 2003-07-30 22:11 )
ぷるぷる様:ご愛読、ありがとうございました。わたくしのおっかけは、まだまだ続きます。。。。 / せんきち ( 2003-07-30 22:10 )
ほ〜。おつかれさまでした。こちらもユーミンの伝記映画を観ているような気分に浸れました。ありがとうね。今度香港行ったらDVD探してみます。 / ぷるぷる ( 2003-07-30 22:09 )

2003-07-29 めでたい!




どうしたわけか、都立雪谷高校野球部が、甲子園に出場することになりました。
都立高校が甲子園に出場するのは、これで3校目だとか。

品川区民のわたくしにとっては、雪谷高校は同じ学区(第1学区第2グループだったかな、私の中学時代には。旧学校群で言うと、13群になりますね)の高校なので、とりわけ馴染み深い高校であります。

だから、とても嬉しいです。

実はわたくし、中学時代、「私立高校はお金がかかるから、都立に行くよ」と殊勝なことを言っておりましたが、結局は前言撤回、杉並の私立高校に進学してしまいました。

親不孝者。。。。

甲子園でも、善戦健闘することを祈ります。

先頭 表紙

おにぎり様:去年、母校が西東京大会の決勝で無残にも負けてしまったのですが、今年はとてもハッピーでした。めでたしめでたし。 / せんきち ( 2003-07-30 20:43 )
fuku様:いやあ、ほんとうによかったです。うちの近所の娘っ子が、今、雪高に通っています。ピッチャーの彼、素敵ですね。 / せんきち ( 2003-07-30 20:41 )
プロ野球って見てても「ふぅん」としか思わないけど、高校野球って、モロ青春してて試合終了時には涙が出るぅ。 / おにぎり ( 2003-07-29 23:45 )
大田区民の者です!そうなんですよ!今日はかぶりつきでテレビを見ていました。すごい試合でした。このチームはほんとすごいですよ。神宮に行かなかったこと激しく後悔したのでした・・。 / fuku ( 2003-07-29 23:02 )
写真は、草津温泉のおしゃれ地蔵。 / せんきち ( 2003-07-29 21:56 )

2003-07-28 元祖ユーミン(24)


(前回の続き)

(引用続き)(中略)

−尤敏さんの結婚引退は、キャセイにとっては、かなり打撃だったそうです。

宝田 そうですか。もし僕がちょっかいを出して結婚なんてしていたら、彼女は香港に帰れないくらいのことになったかも知れない(笑)。(後略)

(「宝田明、香港三部作を語る」より。『香港映画の黄金時代 T』パンフレット所収、2002年、国際交流基金アジアセンター)

一読して、なかなか興味深いエピソードと言えますが、これまでに辿ってきた事実の流れから考えると、やや矛盾する部分も見られます。
例えば、宝田は尤敏の結婚のことを東宝には内緒にした、と言いますが、尤敏に婚約者がいて、近い内に結婚・引退するであろうことは、先述した通り、日本のマスコミも報道済みのことであって、周知の事実でした。したがって、わざわざ内緒にするまでもないことです。
また、宝田にもその頃公認のガールフレンドの存在があり(元ミスユニバースでモデルの児島明子。1966年結婚。84年離婚)、尤敏もそのことは知っていました。
その上で、果たして本気で「自分と結婚する意志があるか」と言うものかどうか、これにもはなはだ疑問を感じます。

いずれにせよ、40年も前の出来事であり、尤敏が既に天に召された今となっては、真相を確かめるすべはないのですが・・・・


引退後、尤敏はごく稀に公の場へ姿を現すこともありましたが、華やかな世界からは距離を置き、高太(高夫人)として、また3人の子供たちの母親として、静かな生活を送りました。

1995年3月、尤敏と同時期に電懋で活躍した女優・林翠(1936〜95。2番目の夫だった王羽〔ジミー・ウォング〕との間の娘が、現在タレントとして活躍中の王馨平〔リンダ・ウォン〕)の葬儀に参列したのが、公式の場に姿を見せた最後となりました。

1996年12月29日午前10時30分(香港時間)、尤敏は心不全のため香港港安病院で永遠の眠りにつきました。享年60歳でした。


(つづく)

付記:国会図書館関西館に取り寄せを頼んだ『明報』(香港の新聞)が、明後日、本館に届くので、それを読んでから続きを書く予定です。
したがって、明日の更新はお休みにいたします。
あしからず、ご了承下さい。

先頭 表紙

もう少し小ネタを。林翠、1966年に『神火101 殺しの用心棒 』という松竹映画に出演しています(竹脇無我共演)。林黛も、1955年に 『東京−香港蜜月旅行』という松竹映画に出ています(佐田啓二共演)。これらも観てみたいものです。 / せんきち ( 2003-07-29 21:01 )
ちなみに、林翠のお兄さんは、俳優の曾江(ケネス・ツァン)。でも、なぜか日本では、「弟」になっています。曾江本人も、「妹の仕事振りを見にスタジオへ遊びに行っていたら、自分もスカウトされた」と言っているんですが。。。。 / せんきち ( 2003-07-29 20:54 )
ぷるぷる様:先日、娘が司会をやってる『星光剪影』に王羽がゲストで出ていましたが、すっかり太って「白木みのる状態」になっていました。ショック! / せんきち ( 2003-07-29 20:50 )
jing様:『再会』、観たかった気もしますが、彼女の引退、それはそれで見事な引き際だったと思います。この時代の女優さん、ほとんどが自死するか寿引退するかで、すごく極端なのですよ。 / せんきち ( 2003-07-29 20:43 )
60ですか。まだまだお綺麗だったでしょう、もったいないです。もったいない、と言えば宝田ちゃん。昨日の話では「もったいね〜」と思いましたが、今日のここを読んだら…うーん、ちょっと眉唾な話かもしれませんね。 / ぷるぷる@王羽ちょっといいね ( 2003-07-29 10:49 )
華やかな世界から身を引き、奥さん(とはいっても富豪の夫人ですが)となったのですね。儚い花(女優)の生き様ですね。 / jing ( 2003-07-29 00:51 )
写真は、『香港映画の黄金時代 T』パンフレットの表紙。 / せんきち ( 2003-07-28 22:28 )

2003-07-27 元祖ユーミン(23)


(前回の続き)

1964年4月、『深宮怨』(旧題『董小宛』)の撮影を終えた尤敏は、ロンドンで高福球氏と結婚、半年間の予定で新婚旅行に出発します。
しかし、旅行中に、電懋の社長である陸運濤の飛行機事故死や、よき友であった女優・林黛の自死というアクシデントが発生、結局4ヶ月ほどで香港に帰ることとなります。

そして帰国後、尤敏は正式に引退を表明しました。

尤敏が出演するはずだった東宝の『再会』はお蔵入りとなり、電懋の『最長的一夜』は、ヒロインを樂蒂に代えて1965年に製作、宝田明が日本人従軍記者役で共演しています。

ところで、尤敏の結婚・引退に関して、最近、宝田明がこんなエピソードを明かしています。
少し長くなりますが、引用してみましょう。

宝田 尤敏とは同じ年代でしたし、男と女というより僕は妹みたいな気持ちでいたし、彼女も僕を何でも言える相手と思っていてくれたのでしょう。それで『ホノルル・東京・香港』の撮影でハワイに行ったとき、次の映画、来年もあるなという話をしていました。その後撮影の休みで香港に帰った彼女がまた日本に来て、ちょっと話があるから帝国ホテルに来てくれと・・・・これは私的なことですが、もう彼女も亡くなられたからいいと思うのですが、「自分と結婚する意志があるか」(英語で「Do you have any idea to marry me?」と言ったのだそうです・せんきち注。でも、ideaを意志と訳すのって、どうなんでしょ)と言われたのです。

−尤敏さんから?

宝田 はい。で、「いや、俺はまだちょっと仕事をしなきゃいけない」と(笑)。何でそんなことを急に言い出すのかと聞いたら、香港に帰ったときにパーティである方に会って、プロポーズされたと。それはいいじゃないかと・・・・内心は面白くなかったですが(笑)。相手はというと、長く英国に留学して建築の勉強をして、香港映画界のことはよくわからない方で、パーティで会ってプロポーズしてきた。家柄はと聞いたら、マカオの公営賭博場総元締めの御曹司、ミスター高だと言うのです。それで僕は「結婚しろ!」(笑)と。
その人と結婚して、あなたがもしやる気があるなら”一年一部、両年一部(1年か2年に1本)”でいいから映画に出なさい、と言いました。彼女も、あなたがそういうのならと了解して、『ホノルル・東京・香港』が終った後、もう次の作品は止める、と東宝に言ったそうです。東宝の重役からは、「宝田、お前が何か悪いことをしたから、彼女は傷心の思いで帰国したんだろう」と言われました(笑)。僕は彼女の結婚のことは、東宝には絶対内緒にしたのです。そんないきさつで、幻の第4部になりました。
(引用もう少し続く)

(つづく)

付記:「Do you have any idea to marry me?」と尤敏が言ったというのは、藤井省三の「宝田明が見た60年代の香港映画界」(『NHKラジオ中国語講座テキスト』2002年8月号所収、のち『中国見聞一五〇年』〔2003年、日本放送出版協会〕に収む)によります。ところが、なぜか引用のインタビュー(「宝田明、香港三部作を語る」)の英訳では、「Do you have any intention to marry me?」になっているのです。ひょえ〜!

先頭 表紙

『香港の星』なんかを見ると、亭子脚(雪国の雁木やこみせと似たようなもの)という、福建や広東、台湾(マカオやシンガポールもね)に見られる建築様式の建物がまだ残っていたりして、懐かしい気分になります。 / せんきち ( 2003-07-29 20:40 )
このころのネーザンロードってまんまロンドンっぽいですね。今は「香港」以外のなにものでもないですけど。 / ぷるぷる ( 2003-07-29 10:50 )
おにぎり様:ははは、マカオとオカマ、全然気が付きませんでした。でも、「オカマの公営賭博場」ってありそうですね。仲通りあたりかな、やっぱり。 / せんきち ( 2003-07-28 22:43 )
マカオの公営賭博場ね^^;うっかり一瞬見間違えて【オカマの公営賭博場】かと思って.......... / おにぎり ( 2003-07-28 21:55 )
写真は、着物でネーザンロードを往く尤敏。 / せんきち ( 2003-07-27 22:19 )

2003-07-26 元祖ユーミン(22)


(前回の続き)

尤敏の東宝での次回作『再会』は、ヨーロッパを取材旅行中の写真家(宝田明)と、演奏旅行中の音楽家(尤敏。『日刊スポーツ』の報道ではピアニスト。ただし、『週刊平凡』の報道ではバイオリンを学ぶ音楽留学生)がスイスで出会い、そのときはお互い名乗らずに別れますが、日本でぐうぜん再会、愛をとるか芸術をとるか悩んだ末に、パリで別れるというもので、監督は丸山誠治、脚本は菊島隆三が担当しています。

キャストは、4度目のコンビとなる宝田明の他、白川由美(雑誌編集者)、山村聰(カメラ会社社長)、淡島千景(バーのマダム)等の出演が予定されていました。

2人の出会いと別れの土地となるスイス(インターラーケン、ルツェルン)、パリの他、ハンブルグ、ウィーンで撮影を行なうという、従来の日本映画にはない本格的なロケーションによる大作で、1963年2月にはすでに丸山と菊島がロケハンを済ませていました。

また、宝田の香港での人気に目をつけた電懋側も、尤敏の電懋での次回作『最長的一夜』(日本の報道では『長き夜』)に宝田を起用することを決定、宝田も前向きに出演を検討しています。

8月に入り、ベネチア映画祭に向かう途中、香港へ立ち寄った藤本真澄に対して、尤敏は「『再会』にぜひ出たい」と表明、8月24日には丸山と菊島が香港を訪れ、『再会』に出演することがいったんは決定しました。

しかしその後、『週刊平凡』の単独取材に応じた尤敏は、

「・・・・ぜひ出たいと、藤本さんにお伝えしましたが・・・・やっぱり、お断わりするつもりです・・・・」
とうつむき、
「ゴメンナサイ。でも日本へ・・・・ハネムーンで行きたいと思っています」(後略)
(「ユー・ミンの婚約者を追って」 『週刊平凡』1963年9月12日号)

と語り、28日に電懋を通して出演辞退の意向を東宝に伝えます。

8月31日付けのスポーツ紙紙面には、

 ユー・ミン出演を辞退 「再会」の製作、来春に延期
東宝では九月中旬のヨーロッパ・ロケからクランク・インする予定だった「再会」(脚本菊島隆三、監督丸山誠治)の製作を来春に延期することになった。
これは中国人ピアニストの役で宝田明の相手をつとめることになっていたユー・ミンの出演が、彼女自身のスケジュールのつごうで不可能となったためで、二十八日夜キャセイの王・製作担当重役から突然そのむねの電話連絡を受けた田中プロデューサーはじめ東宝の関係者は、二十九日急きょ善後策を協議したもの。(略)
なお、ユー・ミンの個人的スケジュールとは、キャセイでの出演のほかに挙式のことも含めているもようで、結婚後は引退するといっていたところから、今後は日本の作品に出ないことも考えられる。
(『日刊スポーツ』)

とあり、尤敏の結婚・引退が、いよいよ現実味を帯びてきたのでした。


(つづく)

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2003-07-25 ぞくぞく






昨日、長年憧れ続けた映画『梁山伯與祝英台』のVCDが、香港から届きました。
で、今日、国会図書館から帰ってきたら、さらに『四千金』『香車美人』『啼笑姻縁』(上・下)『愛奴』のVCDが届いていました。
週末は、また映画漬けです。

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追伸:ただ、以前上海で、深センの会社が作った初期台湾ニューシネマのVCD系列を買いました。なんで台湾の会社じゃなくて大陸の会社が作っているのか、いまだに謎なんですが。。。。 / せんきち ( 2003-07-26 20:07 )
しんちゃん様:これら邵氏や電懋の作品は、大陸では上映されていないはずですので(時代が時代でしたからね)、香港・台湾・東南アジアのオールドファン向け仕様ですね。 / せんきち ( 2003-07-26 20:05 )
香港・・・。来月末に行くのでそん時はDVDとCDを漁ってくる予定です。うわさによると品揃えが大陸とは全然違うそうですよネ。 / しんちゃん ( 2003-07-26 00:06 )

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