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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-07-22 元祖ユーミン(18)
2003-07-21 元祖ユーミン(17)
2003-07-20 今日もおまけ
2003-07-20 元祖ユーミン(16)
2003-07-19 おまけ(2)
2003-07-19 おまけ(1)
2003-07-19 元祖ユーミン(番外編)
2003-07-19 元祖ユーミン(15)
2003-07-18 元祖ユーミン(14)
2003-07-17 元祖ユーミン(13)


2003-07-22 元祖ユーミン(18)


(前回の続き)

尤敏の帰国から1ヵ月後の6月30日、『ホノルル・東京・香港』が封切られました。
興行成績は、『東宝50年史』によると「大当り」とのことですが、藤本真澄の回想(『プロデューサー人生 藤本真澄 映画に賭ける』)では「併映作品(『若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん』。ザ・ピーナッツ他出演・せんきち注)の関係もあってか、興行的には前二作ほど成功しなかった」とあり、どちらが本当のところなのか、判然としません(いずれ、具体的な興行収入を調べてみる予定です)。


では、いつものように、ストーリーを見ていきましょう。

舞台はハワイ・ホノルル。
ミス・ハワイの祝賀パーティーが、華々しく行なわれています。
しかし、肝心のミス・ハワイが会場にいません。

その頃、ミス・ハワイに選ばれた呉愛玲(尤敏)は、パーティー会場を抜け出して、一人ヨット・ハーバーに来ていました。
そこへやって来た大学のクラスメート・テル子(星由里子)に、愛玲は「自分は応募した覚えなどないのに、ミス・ハワイに選ばれた上に、水着姿でステージにまで立たされて恥をかいた」と訴えます。
テル子と話し合った結果、どうやら留学生でやはりクラスメートの岡本次郎(加山雄三)が勝手に応募したことが判明、愛玲は次郎への仕返しを計画します。

一方、次郎はホノルル空港へ、兄の岡本雄一(宝田明)を迎えに行っていました。
やって来た雄一に、次郎は、雄一の初恋の女性である桜井美代子(草笛光子)が、米軍兵士と結婚してホノルルに住んでいることを告げます。
雄一をホテルへ送る途中、クラスメートに会った次郎は、愛玲がミス・ハワイに選ばれたと知り、愛玲が仕返しを企んでいることなど何も知らずに、大喜びします。

仕返しを実行に移すべく、愛玲は、次郎やテル子たちを誘って、ヨットでセーリングに出かけますが、ヨットが沖へ出たところで、愛玲は次郎を海に突き落としてしまいます。
次郎は、岸辺まで自力で泳いでいくしかありませんでした。

愛玲が自宅へ戻ると、父(王引)と母(王莱)が、ミス・ハワイの賞品である「ハワイ−東京−香港」の周遊チケットを手に、愛玲の帰りを待っていました。
チケットを愛玲に渡した父母は、愛玲が自分たちの実の娘ではないこと、愛玲には実の妹の愛蘭がいて、香港で別の人に引き取られて幸せに暮らしていること、さらに、愛玲には実の親が生きている頃に決めた許婚がいて、今は香港に住んでいること、等を話します。
そして、このチケットで香港へ行き、実の親の墓参りをして、妹と許婚に再会するようにと告げるのでした。

日も沈みかけた頃、ようやく岸まで辿り着いた次郎は、雄一の泊まるホテルへ行き、服を着替えて、雄一と共に美代子が働いているバーへ行きます。
二人がバーで飲んでいると、美代子が現れて、雄一と再会します。

翌日、雄一は美代子の案内で、美代子の夫の墓を訪れます。
美代子の夫は、ベトナムで殉職していたのでした。

墓参りを済ませた二人が街を歩いていると、次郎と愛玲が車で通りかかります。
次郎は雄一と美代子に愛玲を、雄一は愛玲に美代子を紹介しますが、愛玲の姿を見た美代子は、逃げるようにその場を立ち去ってしまいます。
いぶかしがる雄一に、愛玲は、美代子はパイナップル農園で働いている人で、夫とは離婚したこと、元の夫は博打好きで酒びたりであることなどを告げますが、美代子が嘘をついているとは思えない雄一は、その話を頑として受け付けません。(あらすじ続く)

(つづく)

写真は、『ホノルル・東京・香港』の一場面。

先頭 表紙

どうでもいいけど、『うちら祇園の舞妓はん』(ザ・ピーナッツ)って、けっこうおもろい曲ですよ。アルバム『バカンスだよ ピーナッツ』に入っています。 / せんきち ( 2003-07-22 22:41 )

2003-07-21 元祖ユーミン(17)


(前回の続き)

思わぬ長逗留となったハワイロケもどうにか無事に終わり、暫しのインターバルの後、今度は東京での撮影が始まりました。

ところで、前回ちょいと書き忘れましたが、このハワイロケで尤敏は初めての水着姿を披露、さっそく芸能マスコミに大きく取り上げられています。

・・・・日本映画に登場して以来、一度も水着姿にならなかったが、『ホノルル・東京・香港』で、はじめて水着になった。地元の香港のスクリーンでも、まだ一度も水着姿を撮らせなかったのだが、「ハワイのムードに負けちゃった」のだそうだ。
 これまで、水着にならなかったのは、「近ごろはグラマーな人たちが多いでしょう。小柄なわたしはコンプレックスを感じちゃって・・・・」ということだそうである。
 そういう彼女、水泳は非常にうまく、水着の好みもなかなかうるさくて、アメリカ製の黄色い水玉模様を選び出し、やっと撮影をOKしたしだい。(以下略)
(『週刊平凡』 1963年5月9日号)

今回の東京滞在中、尤敏は日本のマスコミに対し、後に夫となる高福球氏(日本の報道ではエリック・コー氏。建築家。香港・マカオの富豪である高家の御曹司)との交際を認め、仕事と結婚の狭間で揺れる女心を告白しています。

 婚約してます!−尤敏−
「私 とても悩んでいます 結婚すれば映画界から引退しなきゃならないし まだまだお仕事をたくさんやりたいし・・・・」
どちらを選ぶか迷っていると胸のうちを語る尤敏−しかしこれこそ嬉しい悩みというべきで 彼女の表情には喜こび(ママ)が満ちあふれていた
「ボーイフレンドは数人 だが彼とはここ二年 結婚を前提にした交際をしています」
その名は建築家のエリック・コー氏−家族同士の付きあいで幼なじみだそうだ
尤敏は いま『ホノルル・東京・香港』の撮影で東京に滞在中だが 月末(5月末・せんきち注)に帰国してから正式に婚約するものとみられている
(『週刊平凡』 1963年5月23日号)

これをうけて、日本のマスコミの間では、尤敏の結婚・引退説がにわかに現実味を帯び始めました。

5月30日、東京での撮影を終え、尤敏は香港に帰りますが、その際の報道には、

 引退?サヨナラ尤敏
三十日の午後 羽田発のPAA機で香港女優尤敏が帰国した−東宝『ホノルル・東京・香港』の出演を終え約二か月ぶりでフィアンセのエリック・コー氏のもとへ帰れるというので彼女は喜色満面 いそいそとタラップを馳け(ママ)のぼって行った 帰国後 正式に婚約発表 引退するものとみられている尤敏について 羽田へ彼女を送った東宝・藤本専務は「この夏『再会』を撮ることになっているが すべては彼女次第−十八日に私も香港に飛び キャセイ関係者や尤敏自身と話し合うつもり」と語っていた
(『週刊平凡』 1963年6月13日号)

とあり、次回作『再会』(後述)に尤敏がはたして出演するか否かに、注目が集まっています。


(つづく)

先頭 表紙

ぷるぷる様:続きをお楽しみに〜! / せんきち ( 2003-07-22 20:54 )
このまま引退するの〜?もったいない!どうなるん〜?? / ぷるぷる@水着おされ! ( 2003-07-22 12:49 )

2003-07-20 今日もおまけ


昨日、2本の香港オールド・ムービー(北京語映画。中国語では、「国語片」といいます)のご紹介をしましたが、そんなことが出来るようになったのも、今年に入ってから、邵氏(ショウ・ブラザーズ)と電懋(後に国泰。キャセイ・オーガニゼーション)の名作群が、次々とDVD(ないしはVCD。DVDだと、リージョンコードの関係で日本では再生できないバージョンがあったりするのよ)化されているからで、全く便利な時代になったものだと思います。

そもそも、わたくしが香港オールド・ムービーに興味を持つことになったきっかけは、「国語時代曲」という、香港(古くは上海)の懐メロのCDを聴きはじめたことにありました。
中でも、葛蘭(グレース・チャン)の明るく朗らかな歌声に、わたくしは強く惹かれたのですが、そのほとんどが映画の中で歌われた曲であったことを解説を読んで知り、なんとかしてその映画を観られないものか、と思い始めるようになりました。
しかし、当時は映画そのものを観ることはおろか、映画に関する詳しい情報も日本語ではほとんど読めない(つまり、日本語の詳しい情報がほとんどない)状態でした。

そうこうするうち、香港国際映画祭でこういったオールド・ムービーを上映することが多い、という知識を得ましたが、一般の映画ファンにとって、いちいち映画祭の時期に香港へ行くということは、時間と予算の都合を考えると実現困難なことでした。
そんなわけで、CDを繰り返し聴いたり、本に載っている数葉のスチール写真を眺めては、憧れを募らせるという時期がしばらくは続きました。

幸い、昨年11月に東京国際映画祭で邵氏の、国際交流基金のイベント(香港映画の黄金時代)で電懋の作品がそれぞれ取り上げられて、ようやく幾つかの作品を観ることができましたが、その作品の選定には大いに不満が残りました。
なぜかと言えば、ファンならば誰もが知っている伝説の名作が、ちっとも取り上げられていなかったからです。
邵氏の特集なのに黄梅調(『梁山伯與祝英台』や『江山美人』)や林黛(1934〜64)の作品を上映しない、電懋の特集なのに『曼波女郎』や『野玫瑰之戀』、『星星 月亮 太陽』を上映しないといった按配で、直球勝負をすべき時にナックルやパームボール、シンカーを投げているような、そんな物足りなさが残るものでした。

年が明けて、冒頭で述べたように、邵氏、電懋双方の作品がDVD(VCD)化されて、自宅で気軽に作品鑑賞ができるようになりましたが、やはり、ファンとしては大きなスクリーンでこれらの名作を鑑賞したいものです。

企画に関わる皆さま、今度やる時はぜひ名作を上映してくださいね。

先頭 表紙

ぷるぷる様:国際交流基金の企画なんか、奇を衒いすぎですよ。しかも、『情場如戦場』なんて、広東語吹替だったし。国語だと思ってみていたら、いきなり「家姐(がーじぇ)」とか言いだすから、びっくらこきました。 / せんきち ( 2003-07-21 21:06 )
わかる、わかるわ〜! / ぷるぷる@思わずBタグ。 ( 2003-07-20 23:12 )
写真は、『玉女私情』の尤敏。 / せんきち ( 2003-07-20 22:54 )

2003-07-20 元祖ユーミン(16)


(前回の続き)

1963年、尤敏と宝田明共演による3作目の映画『ホノルル・東京・香港』の製作が始まりました。監督は前2作と同じく千葉泰樹、脚本は松山善三。
本作品の企画自体は、前作『香港の星』の製作中に既に決定していたもので、『週刊平凡』1962年5月17日号には、

 尤敏の次回作はやくも決定
『社長洋行記』『香港の星』に、女優になって初めての”かけ持ち”出演し、日本でもすっかり人気女優になった尤敏の次回作が早くも決定した。
東宝藤本(真澄)常務が、”尤敏映画の決定版はこれだ”といっている『香港・東京・ハワイ』(原文ママ)がそれ。
青い海をバックにワイキキの浜辺で、ハワイアンメロディーにのった尤敏のフラ・ダンスをいっぱいにとらえ、尤敏の新しい魅力をだそうとねらっている。

との、報道が見えます。

撮影は、2月の香港ロケに始まり、3月のハワイロケ、その後に東京でスタジオ撮影とロケを行なうというスケジュールでしたが、ハワイロケの経費を節約するためパン・アメリカン航空とタイアップ、『社長外遊記』(3月4日〜10日)『ハワイの若大将』(3月11日〜17日)『ホノルル・東京・香港』(3月18日〜27、28日頃)のロケを連続して行い、『ハワイの若大将』のスタッフ(監督、助監督以外)が、そのまま『ホノルル・東京・香港』のスタッフとして居残るという方法がとられました。
さらに、スタッフばかりか『ハワイの若大将』の主役2人(加山雄三、星由里子)も、それぞれ宝田明の弟役と尤敏のクラスメート役に駆り出されています。

東宝は、この連続ロケにより約1万ドル(当時のレート〔固定相場制。1ドル=360円〕で計算してください・せんきち注)の経費が節約されると見積もっていましたが、そううまい具合にはいかないのが現実というもの、その年の1月から3月、ハワイには例年の1年分の雨量を記録するほどの雨が降り、ロケ隊は長逗留を余儀なくされます。

『読売新聞』の現地取材記事(「東宝 ハワイの長期ロケ隊」 1963年4月8日付け夕刊)には、

『ホノルル・東京・香港』(千葉泰樹監督)の一行も長とうりゅうのため、ハワイアン・ビレージ・ホテルで観光客と友だちになり、つめかけるファンと日米交流だ。(略)ハワイ大学にロケしたとき、休憩時間に学生たちが俳優にサインをしてもらっていたが、ほとんどすべてが教科書の表紙のうらにサインをしろというので、日本の俳優たちはふしぎそうな顔。中国人系留学生は尤敏に、日系人は加山、宝田明、草笛光子に、白人系は両方にサインを頼み、フィリピン人などの東南アジア系は、サインを頼まないという光景がいかにもハワイ的だ。(以下略)

と、ロケ中の様子が紹介されています。

(つづく)


付記:ちなみに、藤本真澄はこれら3本のロケを立て続けに行なったことで、ハワイの観光宣伝に貢献したと認められ、ハワイ州議会に表彰されたそうです。

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2003-07-19 おまけ(2)


2本目は、『空中小姐』(1959年、香港)。
香港版『スチュワーデス物語』ですね、簡単に言うと。
ストーリー的にはどうってことないのですが、ロケーションがいいですね。
特に、昔の台北の風景には感動しました。
例によって、歌い踊る葛蘭も魅力的です。

写真、向かって右は、共演の喬宏(ロイ・チャオ。1929〜99)。
『女人、四十』(1995)のボケたお爺ちゃん役で有名ですが、かつてはこんなナイス・ガイの役をやっていました。

先頭 表紙

ぷるぷる様:周嘉玲の『空中小姐』って、リメイクなんですかね。『星星 月亮 太陽』も同じタイトルの映画があるんですが、ホステスの話です。それも結構面白いけど。 / せんきち ( 2003-07-21 21:03 )
↓COCOって学業一時休止中なのですね。歌上手くてルックス最高で頭もいいなんて…いっこちょうだい!! ところで母に電話でムリヤリたしかめさせたところ、周嘉玲のほうの「空中小姐」でした(^^;)。 / ぷるぷる ( 2003-07-20 23:10 )
作品中、葛蘭が「コーヒーはいかがですか?」を広東語、上海語、英語、フランス語、タイ語で喋るシーンがありました。すげーなあ。 / せんきち ( 2003-07-20 21:52 )
しんちゃん様:はい、COCOです。彼女は香港人で、お父さんが亡くなった後、お母さんとお姉さんたちと一緒にアメリカに移民しました。お母さんはお医者さんです。彼女も医者を目指して勉強をしていましたが、現在は歌手活動に専念するため、学業は一時休止中です。 / せんきち ( 2003-07-20 19:53 )
今さらですが、TOPの写真リーココですかね。彼女はどこ人ですか?香港?台湾? / しんちゃん ( 2003-07-20 02:12 )
喬宏はクリスチャンだったみたいで、『福音書』の朗読テープを出版してますね。それから、こんな喬宏さんもいました。痴呆老人介護が専門なんて、別人とは思えませんわ。 / せんきち ( 2003-07-19 21:56 )
ぷるぷる様:周嘉玲の映画にありました。1995年製作ですね。 / せんきち ( 2003-07-19 21:52 )
ちょっと待って!実家に「空中小姐」ってVCDあるです。(積んでるだけで未見なのですけど)これかな?でもありがちなタイトルだし…。うーん、来月帰るときに調べてみます〜! / ぷるぷる ( 2003-07-19 20:38 )

2003-07-19 おまけ(1)


今日は、塩漬けになっていたVCDを2本立で観ました。
先週も2本立で尤敏の映画のVCDを観ましたが、今日は香港最大の歌うスター・葛蘭(グレース・チャン。1934〜)の2本立。
まず、1本目は、『野玫瑰之戀』(1960年、香港)。
とにかく、音楽(服部良一)と、それを歌い踊る葛蘭が素晴らしい!!!
葛蘭のもう一つの代表作である『曼波女郎』よりも、こっちの方が好きです、私は。
ストーリーが歌舞伎なのよ。堕ちていく男女という設定がね。
いつか歌舞伎の台本にしてみたいです。

写真は、謎の和服姿で『ある晴れた日に』(北京語バージョン)を歌う葛蘭。

先頭 表紙

松岡環氏は、この作品を「香港映画のナンバーワン」にしていらっしゃいました。たしかに、その資格十分です。とにかく、すごい映画です。 / せんきち ( 2003-07-20 22:12 )
ぷるぷる様:ミュージカル、喜劇、メロドラマ、なんでもござれの職人肌の監督さんです。息子みたいにバ○ではないようです。 / せんきち ( 2003-07-19 21:58 )
蝶々婦人ですか。。↓どんなタイプの監督でしょう。息子と同じで、おバ○さんですか? / ぷるぷる ( 2003-07-19 20:45 )
ちなみに監督は、王晶のお父さん・王天林。 / せんきち ( 2003-07-19 20:20 )

2003-07-19 元祖ユーミン(番外編)






『香港の夜』より。
天本英世発見!!!

先頭 表紙

ぷるぷる様:割とすんなり見つかりました。特徴ある顔ですからねえ。 / せんきち ( 2003-07-19 21:59 )
うわ!!なんでいつも同じ顔なんだ! / ぷるぷる@ごくろうさまです ( 2003-07-19 20:40 )

2003-07-19 元祖ユーミン(15)


(前回の続き)

そして、映画の内容に関しては辛口の批評家氏も、こと尤敏に関しては、

洋服、和服、中国服と、十数着も衣装をかえる尤敏の美しさはかくべつ。彼女の日本映画出演はこれで四本目ですが、カタコトだった日本語もうまくなり、英語、中国語とちゃんぽんに話すセリフは、衣装同様、なかなか魅力的です。(以下略) (『週刊平凡』「試写室」 1962年8月2日号)

と、その魅力を称えています。

じっさい、この映画の尤敏は、本当に魅力的です。私が尤敏ファンになったのも、この映画を観てからでした。
とにかく、尤敏の魅力大爆発!(なんのこっちゃ)の1本です。

ところで、この映画の終盤で、星〔王連〕の父の追悼ミサのシーンが出てきますが、
尤敏は実生活でもカトリック信者でした。
彼女の英文名のLucillaは、クリスチャンネームです。

もう一つ付け加えておくと、函館に「尤敏」(もちろん、ユーミンと読みます)という名のラーメン屋さんがあるのですが、この店名の由来が、どうやら『香港の星』で尤敏が札幌ラーメンを食べるシーンにあるらしいのです。
そのうち、偵察に行ってきます(気軽に行ける距離じゃないけどね)。

短いですが、キリがいいので今日はこのへんで。


(つづく)

写真は、『香港の星』の一場面。

先頭 表紙

どうでもいいけど、カトリックだと追悼ミサ、プロテスタントだと記念式というらしいね。 / せんきち ( 2003-07-19 20:01 )

2003-07-18 元祖ユーミン(14)


(前回の続き)

(あらすじの続き)帰って来た星〔王連〕に、父は今まで自分のエゴを押し付けてきたことを詫び、これからは自分の好きな道を歩むようにと諭して、息を引き取ります。

その頃、長谷川の身にも転機が訪れていました。突然、サンフランシスコ支店に転勤になったのです。
長谷川は星〔王連〕の家へ電話を入れますが、悲しみにくれる彼女は電話に出ることが出来ず、長谷川は仕方なく、アメリカ行きの件と飛行機の出発時間を星〔王連〕に伝えてくれるよう、張に頼みます。

長谷川がアメリカへ発つ日。星〔王連〕の父の追悼ミサが、教会で行なわれていました。
長谷川は、空港でぎりぎりまで星〔王連〕を待ちますが、結局彼女は現れず、仕方なく飛行機に乗ります。
ミサの後、張は星〔王連〕に、「王先生の仕事は、私が引き継ぎます。あなたは自分の幸せを追い求めるべきです」と言われ、タクシーに飛び乗って空港へ向かいます。
しかし、タクシーが空港をのぞむ丘の上を走っているとき、長谷川を載せた飛行機が星〔王連〕の頭上を飛んでいきます。
タクシーを降りた星〔王連〕は、飛行機が飛び去っていくのを涙ながらに見送るのでした。(あらすじおわり)

『香港の夜』に続く第2弾ということで、今回、尤敏は日本で医学を学ぶ留学生を演じています。
前回の悲しい結末に続き、今回も二人は結ばれぬまま終わりますが、おそらくこの後、星〔王連〕は長谷川を追ってアメリカへ行くであろうことを暗示している分、こちらの結末の方が、いくらか救いがあるかも知れません。

しかし、星〔王連〕と加那子の譲り合いの精神(?)が、批評家氏にはいささか古くさく思えたらしく、

・・・・なかのいい女友だちが恋をゆずりあう、なんていうお話は、やはり古すぎます。それも、友人にも恋人にも、なにひとつほんとうの気持ちを伝えていないのです。うつくしい誤解、なんていうものではありません。発言しないで、相手の胸のうちを勝手に推察してしまうのでは、メロドラマの新しさもなにもありません。(以下略) (『週刊平凡』「試写室」 1962年8月2日号)

と、かなり点が辛いです。

が、今観ると、この譲り合い、むしろ床しく思えます。失われた美徳を見るような思いがしてしまうのです。

実は、『星星・月亮・太陽』で、尤敏が演じた朱蘭(阿蘭)も「譲る女」で、どこまでも他人のことを気遣ったあげく、自らは病に倒れて夭逝するという設定でした(臨終シーン、涙なくしては観られません)。
尤敏にとって「譲る女」は、まさにうってつけの役どころであったのだと言えましょう。
山川登美子の「それとなく紅き花みな友にゆづり そむきて泣きて忘れ草つむ」という歌を思い出します。


(つづく)

写真は、『香港の星』の一場面。

先頭 表紙

おにぎり様:あ、ちと違う気がいたしますです。。。。李香蘭でもありません。 / せんきち ( 2003-07-19 19:37 )
シャルウィダンス??様:どうも。また連絡下さい。これ、まとめてアップしたいんで。まだまだネタがあるんですよ。 / せんきち ( 2003-07-19 19:35 )
この人、ゆみ かおる? / おにぎり ( 2003-07-19 17:31 )
おひさしぶりです。ロンドンに行ってました。その前に福井、宇部、佐渡にも行ってました。何も語る気はしません。んでも、6月21日のユー民コンサートには何故か出席してましたです。何故だろう?? / シャルウィダンス?? ( 2003-07-19 03:20 )
も一つどうでもいいけど、今日、昔の新聞広告見たら、赤坂のミカドって家族連れで行けるナイトクラブだったのね。そういえば、私、吉原のおいらんショーに6歳の頃行ったわ。 / せんきち ( 2003-07-18 23:10 )
どうでもいいけど、国会図書館の新聞マイクロフィルムの複写は、なんであんなに画質が悪いんじゃ。尤敏の顔なんか真っ黒だよ。それで60円だぞ。しかも消費税も取るんじゃ。いいかげんにしてくれ! / せんきち ( 2003-07-18 23:07 )

2003-07-17 元祖ユーミン(13)


(前回の続き)

(あらすじ続き)東京へ戻った後、加那子は北海道でのお礼にと、長谷川を赤坂のクラブ「ミカド」に招きます。
長谷川、加那子、星〔王連〕の3人でテーブルを囲みますが、すっかり意気投合した長谷川と星〔王連〕の様子を見て、長谷川にひそかに思いを寄せる加那子は、1人ひっそりとその場を後にします。

星〔王連〕を誘ってドライブに出かけた長谷川は、星〔王連〕に自分の気持ちを告げ、二人は交際を始めました。
しかし、星〔王連〕の気持ちが長谷川に傾けば傾くほど、彼女の学業は疎かになっていき、心配した張は彼女に忠告をします。
星〔王連〕は、長谷川を愛しながらも、父の意思を継いで医師になることを最優先にし、長谷川に別れを告げます。

自棄になった長谷川は馴染みのバーへ行き、ママ(草笛光子)と飲み明かしますが、
長谷川に興味のあるママは、わざと酔いつぶれたフリをして長谷川の部屋へ押しかけて、彼を誘惑します。
長谷川は仕方なく、ママを部屋に置いて一人深夜の街へ出て行きますが、その隙にママは長谷川の写真をひそかに盗み出します。

そんなある日、加那子の勤めるブティックに、ママが新しく頼んだ洋服の代金を払いに現れました。
ママが落とした長谷川の写真をぐうぜん拾った加那子に、ママは「私の彼の写真よ」と言い放ち、加那子は動揺します。

後日、洋服を届けにママの部屋を訪れた加那子は、ママに長谷川との関係を質しますが、軽くあしらわれてしまいます。
傷ついた加那子は、家に戻って一人涙しますが、それを見た星〔王連〕は、加那子が長谷川のことを本当に愛しているのだと悟ります。

一方、再び香港行きを命ぜられた長谷川は、そのことを告げに星〔王連〕の許を訪ねますが、加那子のことが気がかりな星〔王連〕は、「私には、張英明というフィアンセがいます」と嘘を言い、その場を立ち去るのでした。

春、無事国家試験に合格した星〔王連〕は、張と共に香港へ帰ることになりました。
杉本家での祝いの宴の後、星〔王連〕は加那子に、「香港へぜひ来て下さい。香港には、長谷川さんがいます。私のことなら心配しないで。私は、張英明と結婚します」と告げます。
しかし、香港へ戻った星〔王連〕は、愛する長谷川のいるこの土地にいることが耐えられず、父に相談してシンガポール大学病院に赴任してしまいます。

何も知らない加那子が香港へ来てみると、星〔王連〕は既にシンガポールへ行った後でした。
加那子は張に、「お二人は、いつ婚約発表をするのですか?」と尋ねますが、張の口からは、「私たちはそんな関係ではありません。私は、王先生の弟子です。二人は、同じ道を歩む同志にしか過ぎません」と言われて、全ての真相を知ります。
加那子は長谷川に、星〔王連〕がシンガポールに赴任したことを告げ、会いに行くようにすすめます。

星〔王連〕を探しにシンガポールまで来た長谷川でしたが、星〔王連〕はクアラルンプールの病院に転任していました。
長谷川はすぐさまマレー鉄道に飛び乗ってクアラルンプールに向かい、ついに星〔王連〕を探し当てます。

長谷川は改めて星〔王連〕に愛を告白、プロポーズをしますが、星〔王連〕は父の許しを得るまでは返事をすることは出来ないと言い、その日はそのまま別れます。
その夜、父が倒れたという知らせを受け取った星〔王連〕は、急遽香港へ帰ることになり、二人は共に香港へ向かいます。(あらすじ続く)

(つづく)


写真は、『香港の星』の一場面。

先頭 表紙

ぷるぷる様:まず初日にチャンポンメンと春巻、翌日にユーミン丼と春巻にチャレンジします。 / せんきち ( 2003-07-18 21:01 )
尤敏ラーメン見ました〜。こってり辛そうでいいわ!せんきちさん、ぜひ食べてきてください。 / ぷるぷる@春巻きもいいわ〜 ( 2003-07-18 12:43 )
そういえば、尤敏ラーメンのメニューの中に、「ユーミン丼」なんてあったわ。今度行ってこよう。 / せんきち ( 2003-07-17 23:17 )
tomohiko様:まだまだ波乱が。。。。 / せんきち ( 2003-07-17 23:17 )
これが「尤敏ラーメン」です。 / せんきち ( 2003-07-17 23:15 )
うー、波乱万丈。続きがたのしみです。 / tomohiko ( 2003-07-17 21:54 )

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