今日昨日 since20030313 はじめまして chCCygEPcF |
目次 | (総目次) [次の10件を表示] 表紙 |
2009-12-31 今日も過ごせました。 |
2009-12-31 今日も過ごせました。 | |
ひまじんネットはなにゆえ作られたものなのか気になったので検索したら、分かったのは、株式会社カルディアというIT系の会社がやっているということで、やはり分からなかった。こういう、広告もなく発展したいわけでもない、素朴なつくりの、ブログと言う言葉はなかった、というようなサイトは結構残っているのだろうか。
|
|
2009-12-30 追記 | |
---
|
|
2009-12-30 今日も過ごせました | |
2年前に初日の出を高尾山で見たとき、強烈な興奮を体験してから、空や日の出や日の入りには注目してきました。ブータンの人はチベット仏教が完全に肌にしみこんでいて、お寺が日常に溶け込んでいるらしいが、ブータンにとってのお寺、スイス人にとっての山、そういう存在が私の生活圏にとっては空かなと思うのです。ただ、寺、山、そこには人との見えない心地よい共感があるはずですが、今のところ空では成功していません。
|
|
2009-12-29 ご飯をつくって、外を歩いて、勉強をして、本を買いに駅に行って、新聞屋のおじさんと話して、健康に終わりました | |
なんとか退院して2日目の夜を迎えることができた。前回は退院して家に着いてから少し痛くなりはじめて、次の日には痛かったので、とても安心している。ちなみに、前回悪かったのはジャンクフードたるミスタードーナッツが食べたくなって、差し入れてもらったのを全粥2食目時に食べたのが特に効いてしまった気がする。ドーナツというのは、消化に悪いものらしい。油で揚げている故。今回は家に帰ってからも5分粥で出る食事に合わせている。
|
|
お返事ありがとうございます。いろいろと興味深い情報、ありがたいです。最後のまとめがキレイでニタニタしちゃいました(笑)。今年もよろしくお願いします。 / みなみ ( 2010-01-04 16:15 ) と反応したそうです。これも浜のりこの言葉なので本当のところは分かりませんが、浜のりこ自身に対しても、過激派なのでまだ信用するか決めかねていますが、でもなんというか本当に、会社を大きくすればそれでいいんだ、と思ってしまいました。「食べる」ということはもう盛んに論じられてますが「着る」ということも考えられてくる気がします。その歌は初めて買ったCDです!globalization...ならぬglobeですね / ヒポコトリ ( 2009-12-29 23:36 ) いえいえ、おひさしぶりです。生活クラブの会員の方はどこにいるんだろう?と思ったらこんなに近くにいましたか!牛乳は大きいのでためらっていましたが今度買ってみます…!年明けにでも。今日は食パンを買いましたが、見た目がふつうなのでそそられはしませんが口に含んで、おいしいですね。浜のりこが十月号でユニクロ栄えて国滅ぶという文章を書いてこのデフレの危なさを訴えたそうですが、それにユニクロの社長が「反論にも値しないと思いますね。日本もグローバル化していて、その一員であるという視点が抜けている。」 / ヒポコトリ ( 2009-12-29 23:32 ) ↓「お久しぶりです」の「お」が抜けました orz ごめんなさいー! / みなみ ( 2009-12-29 16:00 ) 久しぶりです(いつも読ませていただいてます)。生活クラブの組合員です。牛乳がすごく美味ですよ。価格対品質を考えると、安いと思っています。ユニクロの社長の思想、気になります。ユニクロには世話になっているので。文春見てみます。「たまには誰かと比べたい 私の方が幸せだって……!」とは華原朋美の歌の歌詞でした。どうぞお体お大事に、良いお年を☆ / みなみ ( 2009-12-29 15:59 ) |
2009-12-28 わたしは4度目の腸閉塞になった(3) | |
12月13日(日)
|
|
2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞になった(2) | |
(過去の日記に書いてありますが、私が腸閉塞になる原因というのは、2004年2月に卵巣がんのために行った手術によるようです。その後、2005年1月、2006年7月・10月に腸閉塞で胃管というのを入れて、治りましたが、今回はイレウス管というのを入れても治らなかったので、手術となりました。)
|
|
2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞となった | |
そのあと、12月2日の夜にまた痛くなって、明け方ついに嘔吐したので、12月3日の早朝に病院に行き、入院となった。10日ほどで退院したが、再び痛くなり、吐き気はないもののその痛さであまり食欲が出なかった。1週間後に抜糸(今回は手術となった)で通院の予約が入っており、そこで1週間調子が悪かったんです、と伝え、その際に入院となった。今日はその退院の日である。
|
|
2009-11-30 わたしの超閉塞対策 | |
そういうわけで朝には落ち着き、夜はあまり寝れなかったので、寝不足から寝ていた。昼に起きてもまだうすら痛かったので、2週間かかりっきりだった絵を描きに行くのを思い切ってやめた。家にいれば勤勉の良心がはずれるので、寝たり、本を読んでいた。最近はもっぱらイスラームである。かさねの色目のことが気になり、ネットをしようと決めた。いつの間にか、かつて心をとりこにしたアイドルの現在の情報を探していた。特に気になっていたのは、昔会ったことのあるBerryz工房のファンの人たちが今もそうなのかということと、NYCときいたらNは中島裕翔だろうと普通思うだろうと思っていたが、それが中山なんとかという人だったことに驚いたのは、私が離れている間に常識が変わったのか?ということだった。他には、ヤアヤアヤアの番組はどうなったのかということであり、今も薮と八乙女がはっていると知って、私は驚いた。そして変わらないことは安心だった。太陽くんがバレーボールの時から出ていないこと、堀越の生徒会長だったこと、おもしろいな、と思った。かつてのBerryzファンはエッグのファンであり、その子はあの子に似ていた。…これら全ては、イスラームのベールについての外部からの意見のようなものである。そしてyoutubeで見るその映像らは今も現役で私の心をつかんだ。歴史も鍛錬も消失したかのような歌、として孤独を感じると共に、旋律や踊りは気持ちが良かった。新たに獲得したのは、これだけの人物配置、収集、会場、映像を作ることは、簡単なことではない、プロの仕事なんだなと思った。(それは悔しい気持ちがあった、しかしそこに思想はあるのだろうか。頭で否定しても関わってしまう、それが資本主義の悪魔だと思う。)youtubeはすごかった。その感情は、例えば水村さんがノスタルジアにいいですと形容するような讃えられる生き方の世界から、はまりこんでしまう世界へというものであった。こういうことを、学問に迷い込んで足腰を失い青白くなってしまった幽霊のような、と形容するのが好きだ。ところで、アイドルはやはりすごかった。私は自分がティーンになる前から、そして終わった今でも、彼らの見た目は美しすぎると思っている。そこには、背後に物語ができてしまう。ただし気分がよくないのは、中身がおいしくないだろうに、惹かれてしまう自分の気持ちが居心地悪いのだ。現在の日本のティーンは、他の世代と閉ざされて育つようにできているために、世界観がひどいのだと思っている。その思いは、西洋近代のシステムに近づき列強を目指した日本がいけないのだと思ってのがれられない。なにか、を共存してそれを行うことはできなかったんだろうか。歴史の死んだのとひきかえに、この豊かさを手に入れて…私はどうしてもイスラームでないにしろ、非・資本主義合理的効率的な生き方をしている人々の本を読むのがすきだし、そしてそれは読むまではそんな世界もあるのだとまるで知らなかったのだ。終わりなき日常などという言葉の生まれるのは当然だと思っていたし、イスラームのベールが、見た目という罠からの解放を示している、そのようなものが何もかも死んでしまった、それは渋谷の街であり、下北沢の街であり、芸術であり、悲しい世界であると共に、罪であると思う。 |
|
2009-11-30 わたしの腸閉塞対策 | |
11月で終わらす予定の卒業制作が終わらないことがわかった。その最後の日である今日は、全くやらなかった。それというのも、腹痛だったからだ。昨日と一昨日の夜は今年最初の腸閉塞の恐怖であった。時期の悪さもあるが、一昨日、とりあず治ったといって昨日の夜食べ過ぎたのがいけなかった。私は、腸閉塞にかつてなってからというもの、生理と腸の動きの関連性を思ってならない。生理がきたとたん、とても調子がよくなるのだ。その代わり、生理になる前というのは非常に腸の調子が悪い。つまり今は生理前である。このことを婦人科のお医者さんに聞いてみたら、わからないと言われた。
|
|
生理前に腸閉塞もどきの痛みがある、あるいは生理が来た途端にうんこがいっぱい出て、お腹がすっきりするとはこのことか!という話については、どうやら本当に関係があるらしい。どっかのネット上のpdfファイルで(見失った)一般向け腸閉塞パンフがあったが、生理前は女性ホルモンが出ていて腸の動きがにぶります、とあった。あと、入院したときに聞いたら、外科では関連付けて考えますよ、と言われた。盲腸が痛むのと関連するとか。 / ヒポコトリ ( 2009-12-31 04:33 ) |
2009-11-19 壮年にとっての人口問題 | |
S先生*0と話したら、ところで人口問題についてどう思いますかと聞いたら、私は町中の人であればきらめく瞳となったが、感銘のそれではなかった。つまり、先生は、「少子化と食料問題のせめぎあい」という、実に社会の中にいる、中立的らしき情報を述べた。そして、あなたはどう思うかと言われ、絵を描くのは罪だと思って、描かなくても済む私のような人間は、描かない方がよくて、それでも描かずにはいられない人だけが描くべきだというようなことを言った。それはオブラートに包んだ言葉であり、社会的な言葉であり、つまり、絵以外の能力があるのなら、僕は漫画描く以外できそうになかったといって菓子工場から帰ってきた才野茂*1でないのなら、絵なんてゴミをつくるな、と言っても言い過ぎではない状況が私が肌で感じる世界では起こっている状態なのだというのが、私の中のリヴァイアタンである。けれど同時に私は認めたいと思う、私は「毎日絵を描きたい、太鼓たたいていたい、イルカといつも遊んでいたい」*2と思える程の才能がないということを。
|
|