himajin top
「つれズレ綴り帖」

深い意味も無く、ただ書き綴って行こうかな。
足跡を残していただければうれしいかな。

○●「自己紹介」●○

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2007-05-27 レポート作成中(3)
2007-05-26 レポート作成中(2)
2007-05-25 レポート作成中
2007-05-24 やどれかし
2007-05-23 声に出して言っていたハズやねんけどなぁ
2007-05-22 テーマというか
2007-05-17 仕方ないねぇ
2007-05-12 五月病やないやろうけど
2007-05-10 窓の形の空模様
2007-05-07 数秒で修了


2007-05-27 レポート作成中(3)

グリーフ(grief・悲嘆)
悲嘆とは死による喪失から生じる深い悲しみであり、死別に関わる悲嘆は深く心を痛める。
人生のパートナー・家族を失った時、残された者は精神的苦痛を体験する事になる。
また人生の中で大きな時間を失うかのような情緒的苦痛でもある。
親を亡くせば過去を、配偶者であれば現在を、子供だと未来をそれぞれ失うかのようである。
これまでそこにいた人のいない生活に順応するには長い時間を要する作業であると言っていい。
                    ⇓
喪失の悲嘆による精神状態や行動は病気ではないが、適切な処置が必要である。
悲嘆には身体的にも精神的にも大量のエネルギーを必要とする。
(悲しむのにも体力が必要なのである)

大雑把ではあるが、大切な人を失った喪失の悲嘆を如何にして緩和していくかという事がグリ
ーフケア(grief care)であり、大切な人を失った者が立ち直るまでに努力して行う作業がグリー
フワーク(grief work)である。

ここでは、
第三者(宗教者・葬祭関係者・医療関係者)の遺族以外の者が行う事をグリーフケア
当事者(遺族・死者と関係のある者)が自分自身で行う事をグリーフワーク
として考える。

宗教者が遺体に対して儀式を行うのも「グリーフケア」の一つとして考える。
遺族が宗教者に儀式を依頼する、写真や遺品を整理するなどの行為は「グリーフワーク」のひと
つとして考える。

これから、死別者が体験する作業・過程を幾つか例示していきながら考えていきたい。

この作業は心から配慮して携わる必要がある。悲嘆に無い者が悲嘆の最中にある者に対して携わ
るのである。場合によっては無神経さに激怒されたり悲嘆を増す結果にと傷口を広げる結果にな
りかねない。行為は時として高みから「してあげている」態度に陥りやすくもある。
悲嘆に対する深い共感があってこそなのである。
グリーフケアで必要なのは立ち直る為の指導や助言ではなく、如何にして適切な悲嘆へと心を
開き、悲しむことが出来るような環境を用意する事ができるか、そうできるように周囲が心が
けるか。(自分がして欲しくないなぐさめはしない事が一番ではある)

人の死は他人事ではなく自分自身にも降りかかる事である、宗教者にとっては一つの葬儀であ
っても、遺族にとっては宗教儀式がグリーフワークの始まりとなる場合が殆どなのである。
導師として携わる我々としては、遺族に対してのグリーフケア、そして自立に向けたグリーフ
ワークへの一助としての方向性や取り組みについて見出す事ができればと考える。

先頭 表紙

2007-05-26 レポート作成中(2)

葬儀は死者には仏道に歩む始まりの儀式であり、遺族には決別を告げるも安心を与える儀式であ
り、周囲に対しては何故葬儀を行うのか納得のいく儀式であるべきだろう。


現在は葬儀も多様化してはいるが、社会的義務としての死体処理(火葬・埋葬)のみで済ますと
いうケースはまた少数派である。死に対するなんらかの儀式行為を求めている場合が多い。
                   ⇓
葬儀は死の事実を残された者に突きつけて死の事実を認識する重要な意味がある。
          
身近な者の死は看病期間が長ければ一時の開放感を与えるが、主には虚脱感や今までに無い感覚
と時間、精神の極限状態をもたらすものである。
                   ⇓
死の否定・死を打ち消したいという衝動にかられるも「死の事実」は目前に突きつけられる。
                   ⇓
喪失の大きさによって自分の精神状態を保とうとする防御本能が起き上がる。
(無感情な状態になる・号泣するなど精神状態を保つ為の感情が働く)

残された者の感情や精神状態をよそに、遺体処理・葬儀・埋葬という客観的事実や社会的義務で
もある作業の為に要する時間が待ち受けている。
                   ⇓
残された者はこれによって遺族である事を演じるように強いられるのである。
そして社会的・地域的に遺族としての振る舞いを余儀なくされていく作業に移るのである。

我々「導師」として儀式に関わる者として、これらの場面で如何にして遺族の「悲嘆の緩和」
の一助として関わるべきかを探りたい。

死の喪失により心の拠り所を求めている者に対して、宗教者としてどのように関わるべきだろう。
儀式の式次第の流れに乗ったまま、対話不足になりがちである感は否めない。

「死者」を送る儀式ではあるが、「残された者」に焦点を向けたい。

先に述べた葬儀の意味を述べた所で、それは「葬儀の成立と意味づけ」であって葬儀を行う理由
とはならないのではないだろうか?
悲嘆にくれる遺族の心を緩和する面では、「それでしかるべき世界に送っていただける」という
安心は与えるだろうが、それが伝わらなければ理解されるだろうか?
普段から葬儀とは何かという発信と周知がなければ、急な場面で述べた所で理解は難しい・・・

考えるべき事柄が多いが、「グリーフケア」「グリーフワーク」という面から我々が出来る事を
見出していく事ができればと考える。



続く・・・・

先頭 表紙

2007-05-25 レポート作成中

ただ今こんな感じでレポートの草稿を練っています。
自分自身が模索中なのでかなり中途半端なんだけど、作成過程と言う事で。。。

誰かイイ知恵を与えてくれないかという虫のいい期待を持ちつつ(^^ゞ

葬儀とグリーフケア・ワークについての考察

葬儀:真言宗(または)仏教では出家者の死に対してのみ葬送儀礼に関わる
   実際は壇信徒や非出家者の葬送儀礼に携わっているが、その場合は死者に対して出家得度・灌頂の儀式を行い僧侶にしてから供養してあの世に送る
                 ⇓
   密厳浄土・弥勒の兜率天(大師の居所)・大日如来が説法する阿迦尼天へ送るとする。

葬儀は仏門に導いて入門させ同門にする儀式行為であり通過儀礼でもある。
通過儀礼とは主に「開始→入門→手ほどき→伝授」と進んでいくのであるが、葬儀の過程はその過程を辿る。

日本では死霊が生者に対して害をもたらすと信じられてきた。また「死に至らしめるもの」への
畏怖の念が強く自分にそれが降りかからないようにと強く願った。
死者を死後の世界に加入させる事が残された者の務めであると考えたのである。
魂・霊魂の存在を信じる日本人の中でその条件の一つとして仏教が取り入れられ、葬儀の儀礼が編み出され確立されていったと考える。

葬儀の内容 多くの仏教宗派では葬儀とは「授戒作法」である。
      剃髪・生前の行いを懺悔・戒律を授ける・仏弟子としての名前を授与する・僧侶として出家させた後に供養・読経・・・と進んでいく

葬儀の導師 儀式を司るものとして死者が仏弟子となってあの世の住人になった事を説き、残された者に対しては死者の旅立ちを示し安心を与える存在である。

葬儀の後  遺族は社会的儀礼として社会的に規定された行動としての喪に服する。
      「四十九日」など遺族が死者の成仏を祈る儀礼的期間でもある。
死によって遺族が受ける精神的衝撃や悲嘆を受ける期間を社会が認知した行為でもあると考える。

葬儀・出棺の際に故人の茶碗を割る、棺を回転させるなど、死者が戻ってこないようにする為の
所作を行う事がある。
残された者は死者がしかるべき場所に辿り着くようにとあえて決別し、成仏を願う決意をする。
帰るなといいながら成仏を願い、お盆には帰ってくる事を願うのである。
法要・儀式を重ねる事により死者は生者を守る存在となり祖霊へと変化をたどる。
そう信じることによって死別の苦しみから脱却することが可能になり、残された者は未来へと
歩む事が可能になるのであると考える。

先頭 表紙

2007-05-24 やどれかし

清流に住む生命とて汚物を放出する
汚泥に住む生命とてさもありなん

清きを保つ為に下へ下へと汚物を流す
やがて汚物は消え去り清き清流に戻りはするが
下流はその事を忘れない

汚物を出したる者供はいつか喉を汚物で詰める

その時に物事の全てを知るのだろう

先頭 表紙

しばらく酒を呑んでなかったおかげもあってかかなりお腹の肉もとれましたよ。とりあえずそぎ落とせるものは落としておきます。 / のんすけ ( 2007-05-26 22:34 )
(〃´・ω)ノ コンバンハ♪その皮肉の贅肉感知いたしましたので。。贅肉は消費してね┌(目:)ニッ " 肋骨に両手あてゆっくり腹式呼吸もいいもんだ☆ / ウラン ( 2007-05-26 22:10 )
多分「河童」は読んだハズだけど・・・完全に忘れてしまっています(^^ゞ。。これは私からある方への皮肉です。たまにはこういう皮肉の一つでもいいたいのさ。 / のんすけ ( 2007-05-26 20:47 )
ぉは(σ。ゝω・)σYO!! 〜いざ、立ちてゆかん。娑婆界を隔つるたにへ。岩むらはこごしく、山水は清く、薬草の花はにおえる谷へ。〜「河童」芥川龍之介☆倫理・恋愛・家族制度・芸術・官憲の横暴・法律・宗教などあらゆる方面について、もてあますことなく描かれてます。。「僕」が見た河童の国はどんなものなんだろ。。? / ウラン ( 2007-05-26 11:35 )

2007-05-23 声に出して言っていたハズやねんけどなぁ

食事作法っていうのがある。
言葉通り食事をいただく作法である。
配膳されてから式次第にそって経や偈文やらを唱えていくのだが、
あたたかいご飯も箸を手にする頃には冷めている。

箸の持ち方、器の取り方、音を立てない。。
色々と所作というか基本的マナーのもと食事をするのだ。

色々と戒めや教えを唱和してきたハズの坊さん
何故か食事を奇麗に食べる坊さんが少ない気がする。

名のある立派そうなお寺の坊さんでも平気で箸先を人に向けて置いていたりする。
食べ残しになにも思わない。。

「命を粗末にするな」なんて言いながら、命を粗末に扱ってるやん

修行僧として「させられていた時だけ」が守るべき時だったのか?
その時に唱えていた文言は自分の心に届いていたのだろうか・・・

先頭 表紙

2007-05-22 テーマというか

子供の頃からずっと考え続けている事が幾つかある。
もちろん現在も結論には至っていない。

でも一つはある本との出会いによって一つの方向性というかベースが生まれた。
小説風な哲学本だったのだが、そこでの最終章の場面と自分の考える事柄が一致した。
考え込んでいたけれど、既に先人が見出していた理論の上で転がっていただけだったのか。
そう思うと人ってずっと同じ事の繰り返しで生きているんだな。
研究だってずっと一人の研究者が過去の事を繰り返して自分の中に蓄積させていくのだ。
そうしないと誰だって理解できないんだからね。
自分の中の考えとして固まるまではまだまだ先人の思考の迷路で遊ぶ必要がありそうだ。

もう一つもおそらく死ぬまで考え続けるテーマであろう。
それを追求したくて生きているようなもんなんだけど、結構重い。。
今はそれについて色々と考えている状態だ。
幼稚園?ぐらいの時からずっと私の心の中で問いかけているテーマ。
あの日の子供らしくない思考にずっと問いかけて続けている私
多分ね、もうどっかそこらへんにいい結論が転がっているよ。

まぁずっと考え続けて生きているから愉しくもアリなのだ。

先頭 表紙

2007-05-17 仕方ないねぇ

胸の痛みはかなりマシになってきたが、
なんか痛みというより熱いというか、そこだけ熱を持っている感じだ。
お腹すいてないけど空腹感って言うのかな?そんな心加減だ。

喘息も気管支炎も縁遠い存在ではあったが、子供の頃からよく咳き込んでいたなぁ。
この歳になって胸を患うとはね。

おかげかわからないけど、酒も呑まずに食べる量も減っている。
丁度いいダイエットに休肝になっている。

晩もはやく寝たいと思うので、まだ本調子じゃないんだろうな。

先頭 表紙

レンコンの穴ならからしでも詰めるんですけどね(笑)ぼちぼちとやりすぎて他の進み方を忘れてしまっています(^^ゞ / のんすけ ( 2007-05-20 16:29 )
ぼちぼちっとなあσ(・ε・`●) / うらん ( 2007-05-18 21:17 )
・ω)ノ コンバンハ♪達人の、人を見る眼は、少しも誤るあることべかれず。。「眼力」の元は「経験知」生獣さん☆自分・周り見る眼、ふし穴じゃないよぅ〜はーい(●´∀`●)∩ / いまこ ( 2007-05-18 21:15 )

2007-05-12 五月病やないやろうけど

気管支炎がさらにひどくなり安静にとの事
仕事が入らないのを幸いにのんびり過ごしているが、
仕事がないと別の意味でのんびり出来なくなる。

胸が痛さが気力を奪う。
咳をしたくないから行動が前に出ない。

さすがに酒も呑む事を控えている。
体が呑みたいと思わなくなっている。

体は正直だ。

ただ今なまけもの加速中

先頭 表紙

地上のアザラシの如くすごしています / とど ( 2007-05-14 09:43 )
(〃´・ω)ノ コンバンハ♪なまけもの、生獣、怠け者、ナマケモノどれもなまけもの?人はどちらかと言うと小より大を好むもの、ともとすると大きくすることのみに囚われやすいようです。けれども、それは非常に危険だと思います(u_u*)mゆっくりする束の間の時間です。。お体おだいじに〜☆ / ウラン ( 2007-05-12 22:56 )

2007-05-10 窓の形の空模様

今朝、目が覚めかけの時。。。。
夢の中で友人と再会した。
おぼろげながら、夢とはっきり分かっている。
幾つかの会話を交わして目が覚めた。

そうだ今日は初七日か。。。
他人とはそういう事は忘れているものだ。
どうしても忘却の彼方へ進んでしまう。

今日は祈祷を引受けていた。
前日用意した御札を立てて祈祷する。
祈祷が終わった後、ふと思い立ち引導作法の次第を持ち出す。

「死んだらわしが葬式したるさかい。。」
学生時代そんな冗談を交わしていた。
折りしも引導作法の伝授のおさらいをしてまもない。
友人の胸を借りておさらいさせていただく
そして終わった後、端から見れば独り言だが語りかける。
「・・・まっ、風邪ひきなや、時期がきたらまた来てや。。」

「気管支炎で骨までいわした奴に言われたないわ!」
そんな声が聞えてきそうである(笑)

体調が芳しくないが会合に出るために車で家を出る。
会場に着き、場所を提供してくれた○師に礼を言って
「今日は呑めない」事を事前に伝える
無理せんと欠席したら?と言ってくれるが、
私が行うべき会場の段取りから懇親会まで全ての段取りを手配してくれたのだ。
さすがに顔を出して礼を言わなければ義理が立たない。

色々と話が進み、会合は終わりを告げる。
車で宿泊希望者はホテルへ進み、その後懇親会の店へ。。。
中心部から少し離れた小料理屋で食事をする。
さすがは○師、頼った甲斐があるというか、いい店を知っている。
それぞれがそれぞれの話題で盛り上がる中、私はお茶を飲みながら食事をいただく。
まぁ、こんな感じならたまぁ〜にはイイかな?

私の車ともう1人の車とタクシーに分乗して御城下をめざす。
車組はそこで別れて岐路に着く事に。
今頃はどこかでそれなりに楽しんでいる事だろう。

家に帰り本堂前の工事具合を確認する。
石畳の仮組みがなされていた。
玄関までスロープ状に施された具合がかっこいい。

先頭 表紙

2007-05-07 数秒で修了

嫁にバイクを手放そうかと相談したら即答

「持っといたら?」

・・・・以上

私が不安を感じた先日の件を言うと
「なんとかなる」
の一言で終わり。

理解があるというか、伊達に私の嫁さんをやっていないというか。
不安を持たない方が不安と言う事か。

もう少し道楽な部分を維持してみよう。

先頭 表紙

曙vsジャイアントシルバの対決ですね(♥ó㉨ò)ノ / ウラン ( 2007-05-10 01:43 )
せめて曙より長く闘いたかったです(笑) / のん ( 2007-05-08 09:49 )
秒殺…(-∀-)ボソッ 秒察やろなぁ(´・ω・)ノ☆*゜*゜+.゜そこがスペシャル☆嫁・妻・マーマンデス゜+.゜☆*゜* / ウラン ( 2007-05-07 22:35 )

[次の10件を表示] (総目次)