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「つれズレ綴り帖」

深い意味も無く、ただ書き綴って行こうかな。
足跡を残していただければうれしいかな。

○●「自己紹介」●○

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2007-02-19 きをつけたいこと
2007-02-18 何故継ぎたい?
2007-02-14 足許は脆いもので
2007-02-13 基準が曖昧ですが
2007-02-12 最近知りました
2007-02-11 自分好き?
2007-02-10 誰でもなれる?
2007-02-09 座布団あげよう
2007-02-01 自戒を込めて
2007-01-30 いつまで抱いているの?


2007-02-19 きをつけたいこと

ひとりよがりになっていないか?
せっかくしてやったのにと思っていないか?
独善的になっていないか?
自己満足を相手に押し付けていないか?
紋切り型でモノを言ってやしないか?
勝手に思い込んではいないか?

人は己を映す鏡である。
そして自分自身の中にある同じモノに時として腹を立てる。

自分と相手、逆だったらどう感じるか?
価値観を自分の物差しで計ってはいないだろうか?

常に色々と反省を促してくれる物事がそこらじゅうにある。

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人生は自分という敵と闘う格闘技。SもいればMもいる。。。 / のん ( 2007-02-22 14:32 )
「いまこ」は別のHN♪いまこむと〜いひしばかりに〜逢うけれど〜わびぬれば〜いまはたおなじ〜難破なる。゜+.*(+・`ω・)9とどさん☆ありがと☆ / うらん ( 2007-02-22 09:10 )
( ・ω・)ノオハ♪トドがとどのつまりと侘びいれてる。。ウランワールド((o"(`┏ω┓´メ)" 「自分に負けたくないことは。。。自分好き」人生道ド級のSMでしょなァ〜┌(目:)ニッ " / いまこ ( 2007-02-22 09:00 )
おおっ!かつてのHNでカキコしちまったよ(笑) / のん ( 2007-02-21 00:22 )
おおっ / のん ( 2007-02-21 00:21 )
やらない善よりやる偽善とも言いますが。。。。。苦しみから抜け出せない人程毒を持ちそんな自分を気に入っているから変わることはない、あははは。耳が痛い(笑) / とど ( 2007-02-21 00:20 )
(*´∇`)ノ こんばんは〜☆ここん所考えるのが「愛着と執着について」一つの文字違えるだけで意味は異なる。。執着に変わる前に自分の感情斬り捨てる。心に残る言葉「あなたって偽善者だね。。」中ってて│・ω・`)<コッショリ 苦やし泣きました / ねじれウラン ( 2007-02-20 23:42 )

2007-02-18 何故継ぎたい?

どの分野でも何故後を継ぎたいの?継がせたいの?と思う時がある。
自分達がそれを継承していくんだという決意?
自分達の生活の確保の為?

それぞれに思いはあるんだろう。
ボクの親は偉いさんだからボクも未来の偉いさんだーって勘違いバカがたまにいるけど(笑)
まぁそうなれるように頑張って立ち回ってくださいな。
いいトコ付きしたい人間だけは付いて来てくれるでしょうから。

後継者と言う視点からは私も全く同じ立場で、
ただ縁もゆかりもない人間が後釜につこうと言う訳だ。
よく何故ここに来たの?と聞かれる事がある。
それほど明確なビジョンがあってという訳でもないので、なんとなくと答えている。

書くともう自分が惨めになるから割愛するが、もう未来に希望を見出せる要素なんて何も無かったな(笑)

なんか私が奇麗に掃除してみようって思ったのが本音かな。

まだまだ沢山の掃除すべき箇所があるけれど、それが自分の色に染めていける魅力でもある。

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2007-02-14 足許は脆いもので

人の話を聞かない者は霊の話を聞いてしまう。
ひとりよがりだから、目に見えない何かにはつい心を傾けてしまうのだ。

「それ、先祖の霊のタタリですよ」

それでコロッとやられてしまうケースも多いと思う。
結局は人の話をきちんと聞けないから理解の力が乏しいのだ。
そしてまた人の話を聞かずに霊の話を聞いて突き進んで行く。

気がついた時にはいろんなモノを失っている事だろう。

その霊の話は程度の悪い人からの戯言だけど、それに気付かない程度の能力しか持ち合わせていないんだもの。
同じレベル同士で取る者と摂られる者とに分かれているだけ。

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2007-02-13 基準が曖昧ですが

根拠は何?と聞かれたらどう答えるべきか、
商品ならコストやら色々と加味して金額がはじき出される。
そうなるとお布施の金額の目安とは何ぞや?

その辺に違和感を感じる人や、つけ込む人がいる。
高い、安い、根拠が無い、色々と言う人がいる。

殊に都市圏なんかは地方出身者が多いから、昔ながらの付き合いを疎ましがる傾向が強いと思う。
都市圏に昔から住んでいる人はその中で昔からの付き合いを続けている。
そのあたりで一つの壁も生まれてくると思う。

こういう法事の時ぐらいは、日頃先祖さんを守ってくれているから気持ちばかりに入れさせてもらおう。

何でここぞとばかりにたまの法事でこんなに金取るんじゃ。

色々と渡す側、受取る側でも思案があるだろう。
お布施の金額を問われて「お考え」というお寺さんもあるだろう。
その「お考え」で悩むから聞いてきてると思うのだが。。

安くていいモノを得たい消費者と少しでも高く売りたい生産者
乱暴な言い方だがその点は色んな世界で共通しているだろう。

私の場合ははっきりと答えている。
その根拠と言われれば言葉に窮するが、以前からそう定められている。
お寺と総代とで相談して、近隣との大体の平均値で決まったのだろう。
みなさんで決められた御布施と言えばいいのだろうか。

本来の精神で喜捨していただければいい。
そう考えるので多ければありがたく頂戴するし、少なくてもそれでありがたく頂戴する。

そりゃ収入が沢山あれば運営は楽だ。
その辺は私の努力課題であるので、今の何かを値上げするのとは話が違う。

近所でウチと一桁違う金額を提示しているお寺さんがある。
それでもそこで仏事をお願いする檀家さんがおられる訳である。
双方にとって「この金額を出してでもお願いする価値がある」からなのだろう。

同じ内容で金額が違うからとそれが批判の対象になるとは思わない。
似た商品でも金額が違うものは沢山ある。
それを手にする買い手が自分にとっての手頃を買い求めるのだ。

ゴミを整理していたら、古いパンフが出てきた
仏教会が御布施の基準をこれぐらいと提示したものだ。
目安だから実際はどうだったかは知らないが、
当時もお布施の中身については坊さんも悩む所だったのだろう。

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2007-02-12 最近知りました

グリーフケア
大切な人を失った嘆きをいかにして緩和していくか、とでも言うのでしょうか、
「癒し」と言う言葉にどこか違和感を感じていた私でしたが、
「嘆き」と言う言葉に不謹慎ながらにしっくりくるものがありました。

本来はこれって宗教側の実践的分野だったと思うのだが、
何時しか宗教から別分野へと移行してしまっている気がしない訳でもない。

僧侶の立場からしても、遺族とまともに話をする時間はわずかだ。
葬儀式の式次第の中に組み込まれてしまっていてろくに話もできない。
ある僧侶は
「通夜・葬儀に話はいらない、何も言わずに沈黙で服するべし」
という考えも持っている。
別の僧侶は
「人の死に宗教者として携わる以上は、死者もそうだが、遺族の悲しみを緩和する事にもつとめるべし」
とも言う。

どちらも間違ってはいないと思う。
ただし、その後をきちんした対応と対話がなされるのであれば、だ。

人の心はデリケートでもあり強い。
沈黙を持って心の緩和を感じさせる僧侶もいるだろう。

私の祖母が亡くなった時、葬儀屋に対しては少々言いたい事があるが、
指定の僧侶しか呼べないと言う事で菩提寺の住職が呼べなかった。
私は言いたい事があったが、喪主が叔父であるので何も言わなかった。
その指定の僧侶がやってきて通夜の儀式が進む。
終了後に少し法話らしきものをする。

委託業者になってしまっている僧侶とて意地はあるんだろう。
あえて依頼されたから引受けたと言う感じで話は始まる。
「故人の事を全く知らないので、お供えされているお茶碗とお箸を見ながら故人の生前に思いをめぐらして勤めました」
そういう簡単な話を済ますと会場を後にした。

上手い事を言う、そう思った。

確かにその後、霊前供の盛茶碗に突き立てられた箸に目が行った。
祖母が生きる為に食事を摂っていた茶碗に箸だ。
棺の中に納められた祖母であるが、それらが生きていた事を物語る証でもあるのだ。

仏教儀式としての葬儀が悲しみの緩和にならないと言う人もいる。
ローソクに線香、仰々しい祭壇に良く分からない僧侶の儀式。。。
TVドラマなんかの影響もあると思うけど
「ここに亡くなられた人がおるんや!」って感じを押し付けるのだろう。

故人と遺族の別れを余儀なくされるのは事実だ。
悲しみや嘆きの緩和の時間よりも先に決別をさせられる。

その中でいかにして我々が接していくべきなのだろうか?
そんな事を考えている。

第三者であり当事者でもある我々の存在の中にある違和感を
今の現状から見て抱いたりする事もあるが、私もその中の一人である事は間違いない。

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自分達が体験していない世界は分からないから説くべきではないとも語る仏教の矛盾です。 / のん ( 2007-02-14 10:46 )
(*´∇`)ノ こんばんは〜♪そうですね〜♪そのやさしき真心一番☆死後硬直和らげるツボ知ってるのが「おじゅっさん」でしょうね。。。_| ̄|○)) だから、皆救い求める。有無踏まずとして誰が説こうの世界ですねはーい(●´∀`●)∩ / ウラン ( 2007-02-14 00:15 )
人の死の問題は色々と考えさせられます。何を言われても冷酷に客観的に押し進めて行かなければならない立場の人も必要ですし、人間的な立場で接していくべき人もまた必要です。医療ともなると直面する場面が多いですから尚更ですよね。当たり前すぎるけどいざとなると動きにくくなる生死の問題です。 / のん ( 2007-02-12 22:17 )
 ⊃`ノ八"`ノ八_φ(・ω・´◎)。。いかにして接していくべきか?σ(・ε・`●) 私も旅度あるけど第三者として、相手の死に対し悔やみ、相手をこれから先も尊ぶべきだと接してますわァ。。当たり前のことですけど(u_u*)m申し訳ございません。そもさ!せっぱ!で答える引き出しはこれくらいしかないので。。_〆(・ω・*) / ウラン ( 2007-02-12 19:04 )

2007-02-11 自分好き?

自分自身が好きで仕方ない方が多い気がするこの世界(笑)
自己陶酔もいいけれどその自己陶酔を周囲に押し付けている気がするのもこの世界。

生き様としてよりも職業として捉えている方も多いと思う。

葬儀屋が痒い所まで手を伸ばしているうちに、
いつしか葬儀の添え物みたいになって行き、
そして仏教離れだ、葬儀屋が主導権を持つとはけしからんって(笑)
あんたらがそれを先頭切って乗り出したんやないかいな。。

葬儀がある程度システム化されて昔ながらのしきたりさえも宗教者が語らなくなった。

遺族と葬儀社の間に坊さんが入り込まなくてもいいような感じにさえなっていたりする。
そしてその方が楽だからと何も言わずに受取るものだけ受取る。。

それは地域でやる事だからお寺は関係ない
それは葬儀屋でする事だから葬儀屋が教えるべき

以前に私がお寺と葬儀についての座談会に行ったら坊さんにそう言われた。

なんかアホらしい内容だったので、私は問いかけてみた

「坊さんは聞きたい時にはめんどくさそうに答えるか、そんな事も知らんのか?という上からモノを見た態度で接してくる。ご立派な建物に住んで門を閉ざして気軽にすら出入りが出来ないようなお寺を作っている。坊さんがこれは地域、これは葬儀屋って決め込んで何も受け止めないのなら聞きたい事のある檀家や人々は葬儀屋に尋ねないと分かりませんよね?それで面倒くさい事は葬儀屋に任せて自分たちに都合の悪い事はけしからんっていう発想が理解できない。田舎は街中の文化が10年遅れで入ってくるから、今からよく考えておかないと淘汰されるだけだと思う。」

そういった内容の事を要所要所で言ってみた思う。
自分たちは高級な文化サロンを営んでいると思ったら大間違いだ。
そりゃステイタスで名前のある寺院の壇信徒になりたいという方もいるだろう。

問いかけても糠に釘とでも言うか、自浄能力がないというか、
自分達に周囲が合わすべきって感じの匂いもあって辟易とした。

色んな人がいて、色んな宗教者がいてでイイと思うよ。
でもねそれを糧に糊口をしのいでいるんだったら、葬儀屋けしからんよりも、
これからはいかにして人々に「人の死」を問いかけていくかに議論を深めた方がいいと思う。

私は坊さんの世襲についてはどちらでも構わないと思っている。
どういう背景で後継となるのかはそれぞれの事情だろう。
批判的にも肯定的にもどちらの立場でも考える事は可能だ。

ただそれなりに淘汰されて行くべきだとは思う。

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2007-02-10 誰でもなれる?

そう言ってしまえば、どんな職業にもあてはまる。
誰でも志す事は出来るけれど、プロになるのは難しい。
誰でもなれる職業や生き様は間口は広いけれどもその後のハードルが高くなる。

その仕事に就いている時以外は自由人と言う訳にはいかない職業だってある。

ある坊さんが
「今日の修行は終わった」
と公然と酒盛りやバーベキューに興じていた。

集団で夜の街を闊歩する坊さんだっている。

「こういう世界の事も知っておかないといけない」
「色んな社会を見ておかないと、人の心を扱うから」
たいていこういう理屈を言って切り返している。

だったら坊さんになる前にそういう事をやっておけよ。
大学に入ったら遊ぶというのと理屈変わらん気がする。
成人式があんなんなこの国だ、若いうちに遊んでおくの意味自体が変わってきている。

俺は家はお寺だけど会社員を経て後を継いで坊主になったから世襲やない

この理屈を展開した坊さんには言葉を失った。
独特な理論が社会標準と感じ取れる完成には恐れ入る。

自分自身が立派と思っているか知らないが、
偉いと勘違いできる世界の住人ほど、
その偉いと思ってくれていると思っている世界からは、
時折生温かい目線で見つめられている事を忘れてはならないと思う。

先頭 表紙

一字に千理を含み。。。と言う所ですね。しばらくは時折チラシの裏の下書きの様な感じで続きます。 / のん ( 2007-02-11 17:28 )
(*´∇`)ノ こんばんは〜☆南無懺戯♪懺悔無量所犯罪☆〜生温かい目生冷たい目も感じるのも自身のハードルの高さです(♥ó㉨ò)ノジャンプ☆一切衆生のため。加持護念にして。非命を除かんが故に。陀羅尼に説かん。。。 意味合ってるでしょうねY(ω / ウラン ( 2007-02-10 22:48 )

2007-02-09 座布団あげよう

掲示板で僧侶の事を「せしうはげ」と表現していた。
これ上手い表現やなぁと感心した。

医者・坊主・教師・・・・

この身分、上に色々な言葉をつけて呼ばれる事がある。

親から子へと代々受継がれる伝統的な生業では世襲に物申す人は少ない気がする。
医者も教師もなろうとしても簡単にはなれない、それなりに大学での課程をこなして専門知識を学び実習期間を経なくちゃならないし、最終的には試験をパスしなくしゃいけない。
詳しいカリキュラムは知らんから間違ってるかもしれないけれど、誰もが手軽になれるものではないという事が言いたいだけ。

それに比べれば僧侶は資格としてみればハードルは低い。
なるのは簡単だが、僧侶であり続ける生き方をするのが難しいのだ。

同じ掲示板で書かれていた言葉

職業として僧侶になりたいのか
生き様として僧侶になりたいのか?

人生経験が乏しくとも老若男女を問わずに「先生」とさえ呼ばれるこれら

それ故にある落とし穴の多さよ。。。

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2007-02-01 自戒を込めて

密厳院発露懺悔文

我等懺悔す
無始よりこのかた妄想に纏はされて衆罪を造る
身口意業常に顛倒して
誤って無量不善の業を犯す
珍財を慳悋して施を行ぜず
意に任せて放逸にして戒を持せず
しばしば忿恚を起して忍辱ならず
多く懈怠を生じて精進ならず
心意散乱して坐禅せず
実相に違背して慧を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して
還って流転三途の業を作る
名を比丘に仮って伽藍を穢し
形を沙門に比して信施を受く
受くる所の戒品は忘れて持せず
学すべき律義は廃して好むこと無し
諸佛の厭悪したまう所を慚じず
菩薩の苦悩する所を畏れず
遊戯笑語して徒らに年を送り
諂誑詐欺して空しく日を過ぐ
善友に随がはずして癡人に親しみ
善根を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ
勝徳の者を見ては嫉妬を懐き
卑賤の人を見ては驕慢を生じ
富饒の所を聞いては希望を起す
貧乏の類を聞いては常に厭離す
故に殺し誤って殺す殺す有情の命
顕はに取り密かに盗る他人の財
触れても触れずしても非凡行を犯す
口四意三互に相続し
佛を観念する時は攀縁を発し
経を読誦する時は文句を錯る
若し善根を作せば有相に住し
還って輪廻生死の因と成る
行住坐臥知ると知らざると
犯す所の是の如くの無量の罪
今三宝に對して皆発露し奉る
慈悲哀愍して消除せしめ賜え
皆悉く発露し 尽く懺悔し奉る
乃至法界の諸の衆生
三業所作のかくの如くの罪
我皆相代って尽く懺悔し奉る
更にまたその報いを受けしめざれ

本当に読んでいると頭痛いね。。。。
分かっていても分かっていない事の多さよ。
そして自分自身のハードルを低くしている事の言い訳の多さよ。

先頭 表紙

2007-01-30 いつまで抱いているの?

有名な禅問答だけど、
多少話が違うかもしれないが細かい所はさておいて。。。。

ある日、和尚と小僧が外出していた。
すると橋のない川にさしかかると若い娘がそこに立っていた。
和尚が問うと向こう岸に渡りたいが一人でよう渡らないと言う。
すると和尚は
「そうか、では私が抱きかかえて渡らしてしんぜよう」
と娘を抱きかかえて川に入り向こう岸に渡らした。

そして娘と別れてまた和尚と小僧は道を歩む。。。
その様子を見ていた小僧は疑問がふつふつと沸いてきて仕方が無い
出家は女人に触れることを禁じられている。
なのに何故和尚は戒律を破り娘を抱きかかえたのか?

そこで小僧はその事を和尚に問うてみた
「和尚は何故戒律を破って女人を抱きかかえたのですか?」
和尚は
「私は岸で娘を降ろしたが、君はまだ抱いているのか?」

。。。。。
私は結構この話が好きなのだが、これって色々な比喩が利くと思う。
物理的には女人に触れた和尚に非があるだろうが、
困っている人を救済する点では性別は関係ないのが仏の道だろう。
娘を抱きかかえた行為を背景に思えばそれは如何なものだろうか?

掲示板で「どこからが浮気か?」という話があった。
つきあっている人がいるのに、この人も好きと思ったら浮気という意見から、
最後までいっても本心は彼氏彼女の事が好きなら浮気やないなど多様だった。
だから際限なく理屈は展開されていく。

一応、行動・発言・思考の三つの中で善悪が発生すると言われている。

例えば。。。。
実際に人を傷つけてしまう
言葉で人を傷つけてしまう
心の中で人を傷つけてしまうことを思う

悪ばかりやけど、これらは意・口・考の中で犯す罪として捉える事ができる。
だから思っただけでアウトといえばアウトという理屈も間違っては無い。

でも傷つけた方、傷ついた方の双方が修行が足らないのか?
そうやないと思う。

どちらもそれらを越えた所に悟りといえば大げさだが、本質があると思う。

比喩が飛びまくるが、
「好きな・または憧れているタレントや人がいる」
これならどうだろう?

恋愛ならその人に近づける努力をして研究すると思う。
それはひとつの向上心だと思うし覚えがある人も多いと思う。
これが憎しみやよこしまな想念に進んでしまえばどうだろうか?
人間ってちょっとした事でどっちにもころんでしまう。

私もそうだが、人の言葉・行動とか
その時に降ろすべきはずのものを抱いたままにしてしまっている物事の多さよ。
人に言うのはたやすくとも自分自身には難しいのが人間だ。

人と人との間には超えられないバカの壁があり、
それでええんじゃなかろうか?と思ったりする。

腹立つ時、悲しい時、つらい時はとことん底に沈んで、そこからまた少しずつ浮上する。
感情の底をしればそれほどの不安やつらさもなく気がつけばTVでも見て笑っている。

先頭 表紙

ぶるうさん:怨恨を突き進めて闇に走る人とその先にある悟りに至る人、それぞれです。抱きかかえる事も大事ですが、何時までも抱いていると自分が怨みを抱くだけの存在になってしまう気がします。何をやっても批判されるのなら自分の好きな様に進めばいい。その方が自分自身も愉しいはず。そう教えられましたよ。 / のん@わかっちゃいるけど難しい(汗) ( 2007-02-01 17:26 )
見返りを求めないのが愛だという話を聞いた事がありますね。愛というとさだまさしの「恋愛症候群」の歌詞の後半を思い出しますね。 / のん ( 2007-02-01 17:21 )
小さな事にこだわっていたり、いつまでも怨んでちゃいけませんよということでしょうか? / ぶるう ( 2007-01-31 19:59 )
(〃´・ω)ノ コンバンハ♪人の間越えれない壁の高さやァ〜だって人間なんだもの(♥ó㉨ò)ノ。。。。信愛とは己を捨て神を愛すること〜親愛とは己の如く、他を愛すること〜己を愛するから人は苦しんでしまう。。己忘れるように隣人を愛し、主を愛する。それが掟であるかのよう┌(目:)ニッ " / ウラン ( 2007-01-30 23:41 )

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