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「つれズレ綴り帖」

深い意味も無く、ただ書き綴って行こうかな。
足跡を残していただければうれしいかな。

○●「自己紹介」●○

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2007-02-11 自分好き?
2007-02-10 誰でもなれる?
2007-02-09 座布団あげよう
2007-02-01 自戒を込めて
2007-01-30 いつまで抱いているの?
2007-01-29 一月は早いね
2007-01-25 子供達
2007-01-22 毒を吐きながら
2007-01-17 少し落ち着いて。。。
2007-01-16 とりあえず今日になりました


2007-02-11 自分好き?

自分自身が好きで仕方ない方が多い気がするこの世界(笑)
自己陶酔もいいけれどその自己陶酔を周囲に押し付けている気がするのもこの世界。

生き様としてよりも職業として捉えている方も多いと思う。

葬儀屋が痒い所まで手を伸ばしているうちに、
いつしか葬儀の添え物みたいになって行き、
そして仏教離れだ、葬儀屋が主導権を持つとはけしからんって(笑)
あんたらがそれを先頭切って乗り出したんやないかいな。。

葬儀がある程度システム化されて昔ながらのしきたりさえも宗教者が語らなくなった。

遺族と葬儀社の間に坊さんが入り込まなくてもいいような感じにさえなっていたりする。
そしてその方が楽だからと何も言わずに受取るものだけ受取る。。

それは地域でやる事だからお寺は関係ない
それは葬儀屋でする事だから葬儀屋が教えるべき

以前に私がお寺と葬儀についての座談会に行ったら坊さんにそう言われた。

なんかアホらしい内容だったので、私は問いかけてみた

「坊さんは聞きたい時にはめんどくさそうに答えるか、そんな事も知らんのか?という上からモノを見た態度で接してくる。ご立派な建物に住んで門を閉ざして気軽にすら出入りが出来ないようなお寺を作っている。坊さんがこれは地域、これは葬儀屋って決め込んで何も受け止めないのなら聞きたい事のある檀家や人々は葬儀屋に尋ねないと分かりませんよね?それで面倒くさい事は葬儀屋に任せて自分たちに都合の悪い事はけしからんっていう発想が理解できない。田舎は街中の文化が10年遅れで入ってくるから、今からよく考えておかないと淘汰されるだけだと思う。」

そういった内容の事を要所要所で言ってみた思う。
自分たちは高級な文化サロンを営んでいると思ったら大間違いだ。
そりゃステイタスで名前のある寺院の壇信徒になりたいという方もいるだろう。

問いかけても糠に釘とでも言うか、自浄能力がないというか、
自分達に周囲が合わすべきって感じの匂いもあって辟易とした。

色んな人がいて、色んな宗教者がいてでイイと思うよ。
でもねそれを糧に糊口をしのいでいるんだったら、葬儀屋けしからんよりも、
これからはいかにして人々に「人の死」を問いかけていくかに議論を深めた方がいいと思う。

私は坊さんの世襲についてはどちらでも構わないと思っている。
どういう背景で後継となるのかはそれぞれの事情だろう。
批判的にも肯定的にもどちらの立場でも考える事は可能だ。

ただそれなりに淘汰されて行くべきだとは思う。

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2007-02-10 誰でもなれる?

そう言ってしまえば、どんな職業にもあてはまる。
誰でも志す事は出来るけれど、プロになるのは難しい。
誰でもなれる職業や生き様は間口は広いけれどもその後のハードルが高くなる。

その仕事に就いている時以外は自由人と言う訳にはいかない職業だってある。

ある坊さんが
「今日の修行は終わった」
と公然と酒盛りやバーベキューに興じていた。

集団で夜の街を闊歩する坊さんだっている。

「こういう世界の事も知っておかないといけない」
「色んな社会を見ておかないと、人の心を扱うから」
たいていこういう理屈を言って切り返している。

だったら坊さんになる前にそういう事をやっておけよ。
大学に入ったら遊ぶというのと理屈変わらん気がする。
成人式があんなんなこの国だ、若いうちに遊んでおくの意味自体が変わってきている。

俺は家はお寺だけど会社員を経て後を継いで坊主になったから世襲やない

この理屈を展開した坊さんには言葉を失った。
独特な理論が社会標準と感じ取れる完成には恐れ入る。

自分自身が立派と思っているか知らないが、
偉いと勘違いできる世界の住人ほど、
その偉いと思ってくれていると思っている世界からは、
時折生温かい目線で見つめられている事を忘れてはならないと思う。

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一字に千理を含み。。。と言う所ですね。しばらくは時折チラシの裏の下書きの様な感じで続きます。 / のん ( 2007-02-11 17:28 )
(*´∇`)ノ こんばんは〜☆南無懺戯♪懺悔無量所犯罪☆〜生温かい目生冷たい目も感じるのも自身のハードルの高さです(♥ó㉨ò)ノジャンプ☆一切衆生のため。加持護念にして。非命を除かんが故に。陀羅尼に説かん。。。 意味合ってるでしょうねY(ω / ウラン ( 2007-02-10 22:48 )

2007-02-09 座布団あげよう

掲示板で僧侶の事を「せしうはげ」と表現していた。
これ上手い表現やなぁと感心した。

医者・坊主・教師・・・・

この身分、上に色々な言葉をつけて呼ばれる事がある。

親から子へと代々受継がれる伝統的な生業では世襲に物申す人は少ない気がする。
医者も教師もなろうとしても簡単にはなれない、それなりに大学での課程をこなして専門知識を学び実習期間を経なくちゃならないし、最終的には試験をパスしなくしゃいけない。
詳しいカリキュラムは知らんから間違ってるかもしれないけれど、誰もが手軽になれるものではないという事が言いたいだけ。

それに比べれば僧侶は資格としてみればハードルは低い。
なるのは簡単だが、僧侶であり続ける生き方をするのが難しいのだ。

同じ掲示板で書かれていた言葉

職業として僧侶になりたいのか
生き様として僧侶になりたいのか?

人生経験が乏しくとも老若男女を問わずに「先生」とさえ呼ばれるこれら

それ故にある落とし穴の多さよ。。。

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2007-02-01 自戒を込めて

密厳院発露懺悔文

我等懺悔す
無始よりこのかた妄想に纏はされて衆罪を造る
身口意業常に顛倒して
誤って無量不善の業を犯す
珍財を慳悋して施を行ぜず
意に任せて放逸にして戒を持せず
しばしば忿恚を起して忍辱ならず
多く懈怠を生じて精進ならず
心意散乱して坐禅せず
実相に違背して慧を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して
還って流転三途の業を作る
名を比丘に仮って伽藍を穢し
形を沙門に比して信施を受く
受くる所の戒品は忘れて持せず
学すべき律義は廃して好むこと無し
諸佛の厭悪したまう所を慚じず
菩薩の苦悩する所を畏れず
遊戯笑語して徒らに年を送り
諂誑詐欺して空しく日を過ぐ
善友に随がはずして癡人に親しみ
善根を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ
勝徳の者を見ては嫉妬を懐き
卑賤の人を見ては驕慢を生じ
富饒の所を聞いては希望を起す
貧乏の類を聞いては常に厭離す
故に殺し誤って殺す殺す有情の命
顕はに取り密かに盗る他人の財
触れても触れずしても非凡行を犯す
口四意三互に相続し
佛を観念する時は攀縁を発し
経を読誦する時は文句を錯る
若し善根を作せば有相に住し
還って輪廻生死の因と成る
行住坐臥知ると知らざると
犯す所の是の如くの無量の罪
今三宝に對して皆発露し奉る
慈悲哀愍して消除せしめ賜え
皆悉く発露し 尽く懺悔し奉る
乃至法界の諸の衆生
三業所作のかくの如くの罪
我皆相代って尽く懺悔し奉る
更にまたその報いを受けしめざれ

本当に読んでいると頭痛いね。。。。
分かっていても分かっていない事の多さよ。
そして自分自身のハードルを低くしている事の言い訳の多さよ。

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2007-01-30 いつまで抱いているの?

有名な禅問答だけど、
多少話が違うかもしれないが細かい所はさておいて。。。。

ある日、和尚と小僧が外出していた。
すると橋のない川にさしかかると若い娘がそこに立っていた。
和尚が問うと向こう岸に渡りたいが一人でよう渡らないと言う。
すると和尚は
「そうか、では私が抱きかかえて渡らしてしんぜよう」
と娘を抱きかかえて川に入り向こう岸に渡らした。

そして娘と別れてまた和尚と小僧は道を歩む。。。
その様子を見ていた小僧は疑問がふつふつと沸いてきて仕方が無い
出家は女人に触れることを禁じられている。
なのに何故和尚は戒律を破り娘を抱きかかえたのか?

そこで小僧はその事を和尚に問うてみた
「和尚は何故戒律を破って女人を抱きかかえたのですか?」
和尚は
「私は岸で娘を降ろしたが、君はまだ抱いているのか?」

。。。。。
私は結構この話が好きなのだが、これって色々な比喩が利くと思う。
物理的には女人に触れた和尚に非があるだろうが、
困っている人を救済する点では性別は関係ないのが仏の道だろう。
娘を抱きかかえた行為を背景に思えばそれは如何なものだろうか?

掲示板で「どこからが浮気か?」という話があった。
つきあっている人がいるのに、この人も好きと思ったら浮気という意見から、
最後までいっても本心は彼氏彼女の事が好きなら浮気やないなど多様だった。
だから際限なく理屈は展開されていく。

一応、行動・発言・思考の三つの中で善悪が発生すると言われている。

例えば。。。。
実際に人を傷つけてしまう
言葉で人を傷つけてしまう
心の中で人を傷つけてしまうことを思う

悪ばかりやけど、これらは意・口・考の中で犯す罪として捉える事ができる。
だから思っただけでアウトといえばアウトという理屈も間違っては無い。

でも傷つけた方、傷ついた方の双方が修行が足らないのか?
そうやないと思う。

どちらもそれらを越えた所に悟りといえば大げさだが、本質があると思う。

比喩が飛びまくるが、
「好きな・または憧れているタレントや人がいる」
これならどうだろう?

恋愛ならその人に近づける努力をして研究すると思う。
それはひとつの向上心だと思うし覚えがある人も多いと思う。
これが憎しみやよこしまな想念に進んでしまえばどうだろうか?
人間ってちょっとした事でどっちにもころんでしまう。

私もそうだが、人の言葉・行動とか
その時に降ろすべきはずのものを抱いたままにしてしまっている物事の多さよ。
人に言うのはたやすくとも自分自身には難しいのが人間だ。

人と人との間には超えられないバカの壁があり、
それでええんじゃなかろうか?と思ったりする。

腹立つ時、悲しい時、つらい時はとことん底に沈んで、そこからまた少しずつ浮上する。
感情の底をしればそれほどの不安やつらさもなく気がつけばTVでも見て笑っている。

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ぶるうさん:怨恨を突き進めて闇に走る人とその先にある悟りに至る人、それぞれです。抱きかかえる事も大事ですが、何時までも抱いていると自分が怨みを抱くだけの存在になってしまう気がします。何をやっても批判されるのなら自分の好きな様に進めばいい。その方が自分自身も愉しいはず。そう教えられましたよ。 / のん@わかっちゃいるけど難しい(汗) ( 2007-02-01 17:26 )
見返りを求めないのが愛だという話を聞いた事がありますね。愛というとさだまさしの「恋愛症候群」の歌詞の後半を思い出しますね。 / のん ( 2007-02-01 17:21 )
小さな事にこだわっていたり、いつまでも怨んでちゃいけませんよということでしょうか? / ぶるう ( 2007-01-31 19:59 )
(〃´・ω)ノ コンバンハ♪人の間越えれない壁の高さやァ〜だって人間なんだもの(♥ó㉨ò)ノ。。。。信愛とは己を捨て神を愛すること〜親愛とは己の如く、他を愛すること〜己を愛するから人は苦しんでしまう。。己忘れるように隣人を愛し、主を愛する。それが掟であるかのよう┌(目:)ニッ " / ウラン ( 2007-01-30 23:41 )

2007-01-29 一月は早いね

一月行く
二月は逃げる
三月は去る

誰が言ったんやろう。。。
ホンマそう思うけど、30歳を過ぎてからの時の速さよ(笑)
子供が生まれてからさらに早くなった気がする。

子供の成長に比例して年を重ねていく、
それが当たり前やねんけど、
いやぁ気がつけば小学校の頃に
「中年やなぁ。。。」
と感じた年に今年なる。

もっと渋い年代かと思いきや、まだまだ子供の私がここにいる。

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2007-01-25 子供達

あまり育児参加型親父ではないかなと思う私だが、
自営?というメリットを生かして昼間に子供と接する事ができる。
時折仕事場にやってきては何かをしている娘。
本人はお手伝いのつもりでやっているらしい。
一生懸命何かをやっている姿は見ていて微笑ましい。
結構目が離せないシーンも多いのだが(笑)

結婚した頃はお互いに一生子供がいなくても別に構わないと言っていた。
後を継がす何かがある訳ではなく、子供に関心が全く無かった二人だった。
とりあえず30歳を迎えた時にお互いに考えようと夫婦で言っていた。

うちら二人で美味しいモノを食べたり、旅行に行ったりとできたらそれでええやん。
そんな感じだったが、30歳になった時に子供を意識し始めていた。

長女が生まれたのはまだ私が雇われの時だった。
周囲は「子供ができなかったのがやっと出来た」と勘違いしていた。
子供が生まれたら、収入よりも子供と過ごす時間が欲しくなった。
そしてもう1人欲しくなった。

笑うような夢だが、30歳の頃には独立する事と外車に乗る事が目標だった。
外車はもらい物だが欧州車を手に入れて乗っていた時期があった。
まだ独立とは言えない状態だがいちおう一本立ちする事ができた。
8年前に持ちかけられた独立話が消えてから5年後に今の居場所に出会えた。

ここに来た年に次女が生まれた。
人生の分岐点での選択肢、これまで何度かあったんだろうけど、
その選択が最善だったのかどうかはわからない。

でも日中に子供の遊ぶ声や泣き声を聞きながらこうしていられる今がある事に
多分選択肢は間違っていなかったのだろうと思う。

私の人生、家族を含めて色んな人々によって色付けがなされていく。

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2007-01-22 毒を吐きながら

できる事なら毒を吐きながら過ごすのは控えたほうがええやろう。
毒を吐くにもストレスがかかるし、自分自身の質を落としているのと同じだと思うから。
そうは思うが毒を吐かずにいられない時もままにある。
今の自分自身は気楽で気ままな面が多いと思う。
それに満足するのはすごく簡単だけど、安住するとすぐに下は闇なのが明白だから。

社長のこれまで足跡を悪くは言いたくないが、同じようにしたら先はないと思ってやっている。
言葉は悪いが対極のスタンスでやらないと先に進めないと断言できるからだ。

自分が社長になった時、どうやればいいんだろう?
今は良くも悪くも反面教師がそこにいる。
上に誰かいる事に安住している自分自身がそこにいる。

自分も流されちゃいけないと毒を吐きその毒に安堵と不安を感じて生きている

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慢性自家中毒家の私ですよ〜(笑) / のん ( 2007-02-01 17:16 )
只今、自己中毒中〜〜 / ぶるう ( 2007-02-01 14:32 )
まとめて:20歳の頃に10年後の自分とかよく考えていましたね。10年後の自分と10年前の自分ってたいして変わっていない気がします(笑)体に毒をためるより、出してしまった方が精神衛生にはイイですね。 / のん ( 2007-01-24 11:03 )
10年後の自分はどうありたいか?それには何をするべきか!何が必要かそれが答えだにぃ〜 / しげ ( 2007-01-23 12:38 )
(*´∇`)ノ こんばんは〜☆毒を持って毒制するのは良いですが。。。猛毒を持って功徳制したら行きませんよσ(・ε・`●) 自分信じなきゃ誰が信じてくれようぞ〜┌(目:)ニッ "それがあなたのモチベーション! / 堕天使★ウラン ( 2007-01-22 23:12 )

2007-01-17 少し落ち着いて。。。

やや心に余裕が出来てきたかな、先日のオフ会を思い出すことができた。
別に記憶喪失やってた訳でもないけど、
なんかオフ会そのものを例えるなら
「電車の中で通り過ぎていく景色」
見たいな感じでボーっと捉えていた感が否めなかったのだ。

主催者ならびに参加者に対して失礼な話なのであるが、
それぐらい自分自身にどこか心の余裕がなかったのだろう。

それでも色んな方と話が出来てすごく楽しかったし、
はじめてだけどはじめてやない会話が楽しくもありで
ネット交流の不思議さを愉しめる一時であった。

ヤフーのアバターで勝手に外見を想像するのは誰もが同じだと思うが、
アバターそっくりの方がおられて驚きましたよ。
初めてお会いするのに「そっくり!」と思う不思議(笑)

ドタキャン歴豊富な為に今回は必ず参加するという事を思い過ぎたか、
楽しむ場を自分の中で重たくしてしまっていたことに強く反省。
もう少し気楽に事を構える心の余裕を持てる自分でありたい。

先頭 表紙

今度は夏らしいのでそれまでに花輪君の様なヨコワケになっておきます。 / のん ( 2007-01-18 01:56 )
pωq)コンバン ヽ(・д・)ノ ワア〜♪ホンマにそうですね。。なにか、靄が掛かって・・・私も見えない人、信じるのも不安でしたが'`・・・・'`ィ(´ロ`ill)いい時間もらって本当に良かったよ。アバターそっくり〜書き込み本心〜☆信じる事も大切なんだと勉強させられました(*⌒∇⌒*))またの機会に〜♪と。。。 / ウラン ( 2007-01-18 00:59 )
いえいえ気遣い無用です。なんか自分の中で色々と重なった事があったもんですから(汗)同世代と膝を付き合わせる滅多にない機会、大切にしたいです。次回までに少しお酒の練習をしておきます(笑) / のん ( 2007-01-17 16:24 )
かえって要らぬプレッシャーを掛けてた事に反省してます。所詮ただの呑み会感覚で今後も参加くださればと思ってます。 / コロコロ ( 2007-01-17 14:56 )

2007-01-16 とりあえず今日になりました

風邪は治らないままというか、喉は腫れたままだ。
言ってしまえば自己管理ができていなかっただけ。
騒いで声を潰しても、風邪で喉をやられても出る声には同一だろう。
日曜日に声を出さなくては仕事なにならない事があったから、
それが決定打といえば決定打だった。

それでもやるしかないんだったらやらなあかんのよね。
さて状況を愉しみとして乗り切るかな。

一応はプロのはしくれとしての意地は持たないとね。

先頭 表紙


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