himajin top
「つれズレ綴り帖」

深い意味も無く、ただ書き綴って行こうかな。
足跡を残していただければうれしいかな。

○●「自己紹介」●○

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-12-13 頼まれ仕事
2006-12-12 まぁ続くって書いてしもうたから。。。。
2006-12-11 なんやかんやで
2006-12-10 そういえば来年は。。。。
2006-12-09 年賀状
2006-12-07 そろそろ寝ろ
2006-12-06 はらへったか
2006-12-05 まぁ、お菓子でもつまめ
2006-12-04 まぁ茶でも飲め
2006-12-03 ベンチ談義


2006-12-13 頼まれ仕事

なんとか頼まれていた事を済ませる事ができた。
出来栄えは正直わかりません(笑)

そう言えばハンコ屋に頼んだ印鑑、まだ連絡が無いなぁ・・・・
私「今年中にできたらええよ」
店「いくらなんでもそんなにかからんです」
もう年末が迫ってますけどどないなもんやろうか。

急がんって言ったんは私やからまぁ今週末にでも行ってみるか。。。

先頭 表紙

2006-12-12 まぁ続くって書いてしもうたから。。。。

袈裟ころもありがたそうに見ゆれどもこれも在家の他力本願
みな人は欲を捨てよとすすめつつ後で拾うは寺の上人

法衣は出家者の決心でありその法衣に人は仏を想い礼拝し仏に向かい合う。
そして法衣は欲望を断ち切りたいという出家者の欲望の現れでもある。

一休さんの話に出てくるんだけど、すごく考える。
前にも同じような事を書いたけど「〜たい」というのは欲の起こりだと考えている。

威儀を正す上での衣の話をしたい訳でもないし前にも触れた。

精進してようが、道を究めてようが、エロだろうが、因業だろうが、
衣を着ることによってそれになるのだ。

そしてその衣の中身は自分自身でありそれらでもあるのだ。
「自分は違う、そうやない」
そう思った時に欲望を断ち切りたい欲望の現われとなる衣が生まれる。

煩悩即菩提、欲望も悟ればそれもまた仏の境地
そうではあるがそれもまた真にして難しい事だ。

仏も神も存在しない
ただ手を合わせるその瞬間の沈黙の手の中に真実はある

そんな類の言葉がある。

手のひらを合わせる時に仏だけやなく、願い、感謝、故人、あの世・・・・
実に色んな事をそれぞれに考えている。
宗教に関わらず自分自身の心によって合わす手の中に真実がある。

食事の時もそう、一日の僅かな瞬間といえども、
そっと手を合わせる時の沈黙の世界を忘れたくは無い。

先頭 表紙

2006-12-11 なんやかんやで

年末調整の書類をある程度だけ作り上げておく。
あの用紙だけは未だに書く時にどこか間違えて大修正となる。
今からある程度やっておくと提出する時にドタバタが多少やわらぐ。

それ以上にドタバタするのは年度末決算書だ。
会計そのものはいたってシンプルなのだが、一年のまとめとなると結構膨大だ。
一応来年度の予算編成ってのも必要になる。

新聞で何千万や何億やと大きな額が踊る時があるが、百万はおろか十万貯めるのも大変だ。
月ごとの決算なんて1万に満たない事の方が多い。
それでもやっていけるのはありがたいというより他にない。

どんなお金で呑もうとも呑まれるお酒に変わりない♪

子供の頃から時代劇が好きだったのでランドセルを放り投げてはTVに向かっていたのだが、
芸者が悪代官達の宴会でそんな小唄を唄ったシーンがあった。
歌詞は正確かはわからんけど、妙に頭に残っている。

そう会計で差し出されるお金は受取る側にはどういう出所のお金か分からないのだ。
努力の成果のお金、汗水して働いて得たお金、誰かから奪ったお金、欺いて得たお金。。。。。。

お金の魔力やないですが、儲けって字「信者」って読めるのがコワイ(汗)
人・言・者ねぇ。。。(笑)

禅問答やないけれど、
坊さんが川を渡れずに困っている娘を抱いて川を渡るのを手伝った
横にいた小坊主は女性に手を触れるなんてと問うてみた
「私は岸で娘を降ろしたがお前はまだ娘を抱いているのか?」
と言葉が返ってきたという話がある。

じゃあ、あとくされなかったら坊主の性行為もありなのか?
という話にまで及んだ話があったけど、キリがない。
お金の話やし。

あまり1人で呑みに行く事もなければ、誰かと呑みに行く事もそうない。
だからかも知れないけれど、家で1人晩酌か家族で外食の時に一杯と言うのが殆どだ。
特に同業と酒席を共にするのは好きや無い。
今この席に座る為に得たお金の出所をふと思うと楽しめないからだ。
それに元々人付き合いが希薄な気性だから今の時間よりも他の事を考えてしまう。

いつまでも考えるあまりに思案の中で娘を抱きかかえてしまっていた小坊主と同じなのだろうか。

ある裕福な同業の家の窓から見た空
矛盾と欺瞞と驕慢と色々な物が渦巻いたような雲が流れて行く景色
豪華なリビングでは参加者が歓談の模様

「どないしたん?外ばかりみてて・・・」
と話しかけられた。
心の中で
「裕福で立派で羨ましいけど、あんた達と一緒にはなりたくないよ」
とつぶやきながら
「滅多に見れない景色だから」
とお茶を濁した返事をした。

「わし、ここと同じようなやり方は嫌や・・・・それを忘れんようにこの空目に焼きつけたるねん。。。」
そう思いながら勧められたコーヒーに手をつけた。

まぁ身の丈考えれば同じような事をやってもそれにはなれんやろうけどね(笑)

実は続きが(またかよ)
多分書く事になると思う。
自分の中での矛盾でもあるし皮肉でもあるし探求でもあるから・・・。

先頭 表紙

2006-12-10 そういえば来年は。。。。

何かの選挙がある年やったかな、
別に私は首長や議員になる事はないだろうから運動もする事はないけれど。
議員秘書を経て次の選挙に出る予定の方が挨拶周りでやってきた。
一軒一軒挨拶回りに伺うのだから大変だろう。
「政治家になるには3000人の顔と名前を覚えなでけん」
と上司が言っていた事があった。
その時点で私には完全に無理です。

別に選挙前は体が前に折れるけど、当選後は体が後ろに反っている〜
とかいう皮肉をいうつもりはありません。

こっちに来てから選挙が一度あったんやけど、
挨拶に来られて心の中で応援した方は落選してますから(汗)

自分が選んだ人間が政治を動かすのだ、しっかり投票しないとね。
えらい事になっている行政もあるけれど、有権者の無責任か選んだ結果の産物だ。
無関心がとんでもない結果を招く事がある。
その時になって助けを求めても手を差し伸べる人はいないだろう。

利己的個人主義者が増えた気がするが、それが可能なのはいつまでだろう。
自分たちはどれだけの犠牲の上に生きているのだろう。
こうしてPCや携帯電話をいじっている時、それに関わるどれだけのものの上でそれが成り立っているのだろう。

世界規模から最小単位の家族まで、人との調和は大変だ。
私人から公人になろうとする方々、守るべき魂を忘れずに。。。

先頭 表紙

2006-12-09 年賀状

もう年賀状はお早めにと言うCMも聞えるようになってきた。
既に年賀状が作ったので、後は喪中葉書が届けば省くと言った具合だ。

まぁ年賀状といってもほぼDMと同じようなもんだ。
ちらっと見たらお年玉抽選の一枚とされるだけだろう。

今まで顧客に対しても年賀状すら出していなかったというのだから始末が悪い(汗)
だから年賀状が届く量も数十枚程度で半数は業者DMしかない。

今までの事を悪く言うのはたやすいが、先ずはこれからだ。
私自身はあまり年賀状を出さない方だ。
それ以前に住所録を持たないので、せいぜい数枚書く程度で済ませていた。
いつしかしがらみが増え、年賀状も50枚ちょいになってきた。

今年切手シートが1枚だけ当たってたけど、もらいに行くの忘れてたなぁ。。

社交辞令があまり好きでない私
それでも仕事に関しては型どおりの挨拶も必要だとは考える。
自営?となった今はこちらから挨拶に出向かないまでも、
「活動してまっせ」
と周知してもらう事も作戦の一つなのだ。

年賀状以外にも色々と考える事はある。
例えて言えば飲食業の話。。。。
メニューが多すぎて仕入れが膨大になり経費がかさむ
経費削減でメニューを減らして客が遠のく
ケースはそれぞれだろうが、大変だろうと思う。
でもメニュー以外の根本が確かであればなんとかなるだろう。

うちとて業種は違えど同じ事
色々やるのは簡単だし、減らすのも簡単だ。
根本がおろそかだったらそれ以前の問題ではあるが(笑)
確かなものがあればなんとかなると思っている。

確かなモノ?う〜ん。。。。
うちはなんなんだろうね(笑)

先頭 表紙

薄利多売の店も、がんこおやじの値段の高い店も売れるところは売れるから、根本的、確かなもの、難しいなあ。持ちたいなあとは思っています<鋭意努力中(汗) / ななみ ( 2006-12-16 23:29 )
スマイル0円♪なんてね(笑)でも自分が迎えられているって思わせるのって簡単なようで難しいんですよね。 / のん ( 2006-12-15 23:56 )
お邪魔イタシマス(u_u*)u。。。売り?!誠意の御もてなし・顔スマイル(〃^∇^)o彡☆でしょ^.......(笑)実際には職業別・解らないけどね。。プロとしての自分自信が確かなものでしょう(´・ω・`)ノ / ウラン ( 2006-12-15 23:50 )

2006-12-07 そろそろ寝ろ

久し振りに作文中、頼まれたので書いてみることにした。
作文と言っても既に雛形がある文章をつないで完成させるだけなので、それほどは頭は使わない。

それでも最初は手書きで草稿を練るので結構時間がかかる。
ワードで打ち込めば早いんだけど、手書きが頭に入る。

清書はワードで済ませよう。

先頭 表紙

後半はテンションが下がる手書き派です / のん ( 2006-12-13 08:47 )
私も、「練るときは手書き」派ですね。よくわかります。 / しょうま ( 2006-12-12 22:20 )

2006-12-06 はらへったか

行事儀式の多くは社会制度の変移と共に各々の地域の習俗もまた変移していった。
葬儀にしてもかつては昼の葬列は許されていなかった。
葬儀の時は餅やお菓子を撒いていた、
故人による最後の宴席と言う事で酒盛りを行っていた。
喪服は遺族のみが着用する服装であった。

まだ様々な習慣が残っている地域もあろう。
冠婚葬祭はいつの間にか「恥をかかない為の雛形」に支配されてしまった。 
だから画一的な行事儀式が全国的に広まった。。。。
その中で守り続けているものはなんだろう。

日本人の伝統や習慣を守る中にも曖昧さを残している所が、日本人たる所以だとも考える。
でも曖昧な中にどこか大勢の中にいる時の安心感を求めたい。
大勢の中で大勢と同じようにありたいという心とでもいうのかな。

買い物に言ってくるので一旦UPして再編集します。

買い物の途中、仕事の合間に色々と考えました。

結論を「あるがままなり徒然なるがままに」で片付ければ楽なのだと思うものの、色々と模索中ではございます。

神仏は人間が編み出した産物と冷めて捉えるならば、
「人が決めた事は人の手で変移を遂げる事はまぬがれない」
とあっさり結論付ける事もたやすいだろう。

でも人智を超えたことも沢山あるのも事実。
所詮、人間の思考なぞ程度が知れている。
自然はもっと人智を超えた所にあろう。。。。


おさまりつかないのでこの辺で終わりにする。

正直、難しい問題だと思う。
でも突っ込みでも書いたとおりの事が私の本音だ。
「外野ほど勝手な思い入れを増幅させる」
正直これには反論があると思う。
でも儀式行事に立ち向かう当事者にとって、日時を変えてまでかくあり続けるかが、
正直に考える所、儀式の如何に関わるのではないかと思う。

宗教儀式よりも祭りの副産物を愉しみたい方には儀式は如何か?
祭りのサブが重視の方には祭りの副産物はいかに感じるか?

酒酔いで書いたので自分でも訳がわからなくなっているぞ(汗)

そうそう、神仏も含めて人々が楽しめるべき行事としての儀式
「人も来なけりゃ意味が無い」
人が集まる行事には神々も集うのでは、そう思いたい。

先頭 表紙

自由を手に入れると自然に「なにかに縛られたい」と思うのが人間なんでしょうね。私も制約がある方が気楽な方かな(汗)コバンザメ状態ですが、ウチの宣伝ありがとうございます。 / のん ( 2006-12-12 01:18 )
むむむ . . . 深い内容ですね。現実と理想の狭間で生きている私には、つっこみどころがありません(爆)人間は誰しも「自由になりたい」と言いながら、自分からナニカに縛られ、身動きが取れなくなってるんですよね、僕もそのひとりです。宣伝ありがとうございます♪ / スナフキン ( 2006-12-12 00:00 )
釈迦と言ういたずらものが世に出でて多くの人をまよわするかな。一休さんの詩でしたっけ?相当好きな言葉です(笑) / のん ( 2006-12-11 22:40 )
こんにちわ(♥ó㉨ò)ノ仏も昔は人なりき 我等も終には仏なり 。。。ほっと(*´I`))継起のしばしの生☆時間☆大切にしたいものDЁ━d(ゝω・´○)━SЦ! / ウラン ( 2006-12-11 14:00 )
医者の不養生やないですけど、程ほどに(笑) / のん@人の事は言えません ( 2006-12-11 12:20 )
飲みましたっ。。 / かくせん ( 2006-12-11 10:21 )
内容を追求していく事も大切ですよね。子供は祭りの縁日を通して少しずつ神仏の事を知ってきたのでは?と思います。心の面ではかなり貧しくなって来た時代だけに、寂しさもひとしおです。しかしこの時間なのにまだ呑むの?(01:11ですが) / のん ( 2006-12-11 08:00 )
子供の頃の祭りみたいに、純真に楽しめるためには、自分たちは内容に突っ込みすぎたのかもしれませんねえ。そうでないと困るんですけども・・。なんか、寂しい・・。帰って飲もっ。。(・□ゞグビグビ… / かくせん ( 2006-12-11 01:11 )

2006-12-05 まぁ、お菓子でもつまめ

続きになるかわからんが続編

かつては今の様な文明なぞ考えもつかない時代それで誰もが疑うことがなかった時代。
やがて山を崩し穴を掘りと自然を切り崩す能力を人間は身につけた。
何日も歩いて山を越えていた人々は車であっという間に越えることが出来るようになった。
人間の都合でダムに沈んだ村もあり、道路や開発で移転を余儀なくされた神社仏閣もあろう。
別に神社仏閣だけやなしに様々なものがそれによって変化を遂げた。
便利さと引換えに多くのものを失い、またもたらした。

人間の傲慢さでもあるが、気がつけば人間は自然を脅かす存在へと進歩した。
ただそれらが全て悪であるかと言えばそうではない。

ある一面から見れば「善」もあり「悪」もある。
善悪を神仏に例えれば、それらを調和したモノが神仏なのである。
だから善にしろ悪にしろ調和を乱すものはどちらか側にいればそれは
「悪」にも「善」にもなるのではないだろうか?

イイと思う神もいれば悪いと思う神もいる
八百万の神々が善いも悪いも含めて存在している
どちらかに片寄ればその時点で善悪のバランスが崩れて調和が乱れる。
人間は調和を乱す可能を得たと共に、人間自身が決めたルールに縛られる事も得たのだろう。
そのルールを大切に守る心は持ち続けていくべきだと思う。

アンパンマンもそういう視点で観ると結構深い。
バイキンマンがいないとまた調和が取れた世界として成立しないのだ。
話をややこしくしそうだ、この辺で切り替えよう。

何の話やったっけ・・・・
そうそう伝統の話やった。
その日に執行するべき伝統的行事が時代の都合で変更されていく
俗な話をすれば「何を対象としているのか」と言うことだろう。
神仏に対する行事であればしかるべき者達が集まって執行すれば良い訳であって、
人間に対する行事であればその対象が集まれる時に執行すれば良い。
だから行事でも神事と祭事が一致しないものもあるだろう。
「まつりごと」は定められた日に執行し、「おまつり」は人間の都合にあわせて催す。
・・・・・実際はそういう風にはいかないだろう。

人間を集めるのが目的であれば休日移動はいたしかたないだろう。
「それが目的なのだから」
人を集めたいと神事として行いたいが一致しない時は別々で行うか、どちらかを選ぶかになるだろう。
こればかりは当事者でないと事情があろうから賛否は言いづらい。
ただ祝福できるお祭りとして神仏や人々が調和するようにする努力は必要だろう。

さらに俗な話
うちでも50年以上続いてきた行事を人の都合で変えた。
人影すら見えない行事も幾つか存在します。
行事を止めるのは簡単ですが、復活するのは至難の業なので今も継続している。
誰にも知られる事の無く、知っていても誰も来ない行事、確かにその日に行うことに意義があるので続いている。
そんな誰も知らないけれどやっているのはいわば「神仏の為」であるからだ。
ただやっているだけでは務まらない。
多くの人にその行事の存在を認知させるのもまた必要だ。

多分結論まではいかんだろうが続くかも・・・

先頭 表紙

行事で熱くなる時に嫌なのが、「行事(儀式)よりも出店(えんにち)」の事を主体にモノを語られる事。形骸化された儀式の中で盛り上がる出店の構図も考え物です。せめてまつりの由来ぐらいは把握して行事に向かいたいものです。 / のん@ようこそ ( 2006-12-08 22:09 )
はじめまして!!九州の北東からこんにちは・・・。行事の意味もわからず行われてるものもあるし、悲しいですね。せめて理由を知り出来る限り引き継いで欲しいですね。 / ダイリン ( 2006-12-08 20:39 )
無理がある中でそこから選んだり生み出した物事があるんですよね。今の正月も然りですね。旧暦が農耕社会には適した暦だと何かで載ってましたね。失われるもの編み出されるものそういう時間の中で我々は生きているんですよね。 / のん ( 2006-12-08 14:14 )
淡水魚を海に放したら生きていけないように、神仏を西洋の暦にあわせることに無理があるのでは?とも思えます。 / しょうま ( 2006-12-07 23:13 )
こんばんわ|。・ω・)っ◎もなか、いただきます♪私の所の秋祭りでの子供神輿、主人が子時代から続き我が子時代で。。今年で神輿は神社に奉納されました。「少子化にて」祭りまで物議を交わしましたが、新参者の私は地元の先輩方に右にならえ!!(*´I`)アー お子達の思い出☆記憶一つ無くなった。。残念です。 / ウラン ( 2006-12-07 23:01 )
そんな時こその「折衷」ですよ(笑)「あるがままなり」でかくありたいものです。考えがまだ固まっていないので曖昧です / のん ( 2006-12-07 21:43 )
難しいですね、轟では夏は旧暦、秋は第二日曜(人集めに譲歩)、自坊縁日は旧暦、大祭は人集め。 / しげ ( 2006-12-07 17:38 )

2006-12-04 まぁ茶でも飲め

ミクシィに招待してくれた先輩にして同輩のかくせんさんのブログを読みました。


「伝統と格式を持った神事が時代の人間の都合で日時を変更する事について」

言わんとしている点はこればかりやないと思いますが、そこから色んな事を考えました。
自分自身の認識に対する確認だから、言葉足らずになるが久し振りの「ちらしの裏ワールド」
考えながら書き綴っていきたい。
興味深く拝読し、久し振りに色んな事を考えさせていただきました、ありがとう。
基本的にはかくせんさんの主張に賛同である。


確かに「まつりごと」にはその日・その時間・その場所に於いて執行される事に意義がある。
正月や大晦日を冬は寒いからと8月に行う事はありえないだろう。
(そりゃ暦が違う文化圏では新年の始まる月が違うだろうケド)
日本文化の上では暦上の年の変わり目に新年を祝うのが文化であり習俗であろう。
ただその日本とて明治に旧暦から太陽暦に変更して多くの習俗もそれに従った。
旧暦の暦で「まつりごと」を執行している行事もまた多くあるのも事実だ。
今の時代、殆どの人が近代に制定された暦での「お正月」を祝っている
暦を欧米と同じにする為に伝統や習俗、はたまた文化までもが変化しているのだ。
それも時の人間の都合で変えた「ものごと」だろう。
自分自身がその時代の転換期にいた訳やないので異論を持つことなく、
生まれた時からそうだったと旧暦なんて考えもせずに子供の頃は正月を過ごしていた。
これが自分自身が暦の変更に直面した時代にいればかくせんさんと同じ感情を抱いたと思う。

正月だからお盆だからとシャッターを閉める店の方が稀少になってしまったこの時代、
正直な話、便利だけども厳粛で大自然や目に見えない何かに畏怖し敬う心が希薄になったと思う。

でもその何かに対して畏敬する事、それに対する「まつりごと」は人間が生み出した事でもある。
はるか昔は大自然の力によって恵を受けたり生命を奪われる事が「あたりまえ」だった。
山は水や食料をもたらす生命の源であるが生命を脅かす存在でもある。
大学時代に卒論の序章でもそう書いたのだが、大自然を畏敬する気持ちが儀式を創生した。
そして信仰の対象としての山、大自然がありその中で生きている事に感謝しながら、
おそれて人々は生きていたのではないかと考察する。
やがて決まり事が作られて社会が形成され儀式を司る者が現れるようになった。
目に見えない何かの力によって人々をコントロールするようになった。
これは決して悪い事ではない、冬に動物を狩れば春に生まれてくる動物がいなくなる。
草木を乱獲すれば次の季節に食べ物が取れずに自分達を危うくする
川を汚せば飲み水を失う。。。
漠然とした大自然や山から何かの「よりしろ」を求めて
信仰の崇拝対象物が生み出され神体が創造された・・・
そんな事を考えてあの当時は書いたかな、結論がまとまらなかったけど
提出してからいい結論がひらめいて後悔したなil||li _| ̄|○ il||li

閑話休題

かくせんさんの言う様に、「本来の教えの上で根幹に関わる部分」という点は殊に大切にするべきだ。
また喩え話になるが水源地の山がある、そこにある石ころを少しでも動かせば水が止まる事がある。
なんでもない事であってもそこにそれが無ければ水の流れが変わり、
ふもとの生活を脅かすことになる。
だからその石を神格化してまつり触れないようにさせる。
ここに何かそういうメッセージを込めて神社仏閣を設けて動かさないようにと後世に伝える。


混乱してきたから続く・・・かも

先頭 表紙

2006-12-03 ベンチ談義

習い事を早めに済ませて知人の勤め先に立ち寄る。
数日前にも行ったのだが、ついでがあったのでアポなし突撃訪問だ。

留守だった・・・・
もう1人にも用件があったが公休日だった・・・・

il||li _| ̄|○ il||li

事務所の女性に用件を伝えて書類を渡して帰ろうとしたら、私を呼び止める声がするではないか。
ふと声の方に目をやると、急な坂道を2匹の犬を従えて降りてくる年配の方が1人・・・・
社長だった
しかし個性的な方だけど、味のある登場の仕方ですね。。

社長には特に用事はなかったが、先日お邪魔した礼を言い訪問の趣旨を伝える。
コーヒーでも飲んでいけと言うので外のベンチに二人腰をかけてしばし談笑。
この世界然り、この地域然りの新参者である私は知らない事が多い。
おそらく禁句扱いの話もあっただろうが、気にせず色々な話をしてみる事にした。
夕刻迫る時ではあったが、何故地域での同門の結束がイマイチ弱いのか、かいつまんで聞くことが出来た。
ほかにも雑談ではあるが色々とお話をさせていただいた。

それなりに時間が過ぎ、うちの社長の自宅の電話番号を問われる。
実は同じ恩師に師事した同士なのだ。
これまでは集まりで会えば挨拶を交わす程度のおつきあいだったらしいので、
職場と自宅が別である事を知らなかったらしい。

ふとした事から社長本人と勤めの方々と知り合う事になった。
縁というモノは面白いが、私がここにきて出会った方々の多くが、
この社長の所に出入りしているという世界の狭さ(笑)

両社長の時代以上に盛り立てて行きたいものだ。
パーフェクトに無礼な訪問しかしていない私だが、非礼を詫び、お礼を言って門を出た。
正直想定外だったが、色んな方の話が聞けるのは楽しいし勉強になる。

先頭 表紙

こちらから出向かないと誰もウチには来ませんから(笑) / のん ( 2006-12-08 14:15 )
人の話を聞くことができるというのは才能のひとつ。単身赴任の上司に仕えることが多い私としては、大いにあやかりたい。 / しょうま ( 2006-12-07 23:00 )
俺は現場処理の男〜です(笑)しとしと降ってますよ。晴耕雨読ですがいつも私は・・・・(汗) / のん ( 2006-12-07 11:18 )
こんにちわ(´・ω・`)ノ今日は、そちらも雨ですかね?実るほど頭が下がる稲穂かな。。種まきは、いつかはσ(・ε・`●) すばらしい「成実」という実になるでしょう。。。さァ〜それでは私も開拓作業に戻りますヾ(-`ω´-o)ゝ。+゜ / ウラン ( 2006-12-07 10:46 )
のんすけさんは年上の人によく可愛がられるよね。あなたの考えがきちんと筋が通ったものだからなのでしょうね。<うらやましい / ななみ ( 2006-12-07 07:40 )

[次の10件を表示] (総目次)