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「つれズレ綴り帖」

深い意味も無く、ただ書き綴って行こうかな。
足跡を残していただければうれしいかな。

○●「自己紹介」●○

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2008-11-20 一気に寒くなってきたねぇ
2008-11-19 またぼちぼちと
2008-11-06 路傍の石 
2008-10-16 そんなもん
2008-10-15 挑戦状かい(2)
2008-10-15 挑戦状かい(1)
2008-10-13 わらわな
2008-10-10 まぁやらんとね
2008-10-01 十住心論か
2008-06-07 グリーフケア(7)


2008-11-20 一気に寒くなってきたねぇ

今までが暖かすぎただけやねんけど、ホンマ寒くなってきた。
仕事場にもストーブを入れた。

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2008-11-19 またぼちぼちと

どうでもいいような事を書きたくなる時があるねんなぁ。。。。
あっちこっちにブログを開設するのもめんどうくさいし、
またここを再開してみようかな。

何時まで続くかわからんけどね。

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2008-11-06 路傍の石 

たった一人しかいない自分を、
たった一度しかない人生を、
ほんとうに生かさなかったら、
人間 生まれてきたかいがないじゃないか

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2008-10-16 そんなもん

人生そういい事なんてある訳ない。
ヒーローだってヒーローであり続ける為には
ヒーローでいられる瞬間の為に多くの努力を費やす。
野球選手だって3割打てたらすごいけれど、7割は打てないのだ。
でも3割打者である為に多くの鍛錬を要する。

人生でいい事なんて3割あればかなりええんやないかな?
7割悪い事があるって思えばげんなりするかもしれないけれど、
3割のいい事の為にがんばれる事もあるんやなかろうか。

でもその3割を得る為にやるべき事はあまりにも多い。

寝ている時にふとある夢を観る事がある。
気分が下降気味を過ぎた時に夢に出てくる。
現実では起こらなくてイイ、夢の瞬間で十分な事だ。
過去を懐かしむような後ろ向きな夢だが、
それを観るとまた前を向こうと思う。

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2008-10-15 挑戦状かい(2)

ここ最近でもう一つ、葬儀屋に全然やさしくない私。
打ち合わせの時点でかなり攻撃的に接している。
喪主の代理で来る担当者には罪はないが、以前の葬儀の担当者に罪がある。
これまでに何度か苦言を呈した事があったがきちんと伝えてなかった事が分かった。
いちいち坊主の言葉を聞いててもしゃーないわって土壌があるのだろう。
基本的にアドバイスも「関係ない」状態でスルーだった。

数ヶ月前に私も堪忍袋の緒が切れて社長が謝罪にやってきた。
今までお宅の部下に言って来た事、あんたに伝わってるか?
そこからはじまり儀式についての進行についてなど細かく不備を指摘した。
経験不足を言い訳にするのならベテランをきちんと配備して不測の事態に備えれと強く伝える。
担当者も菩提寺は下請け業者でも連れでもないんや、儀式を執行する導師なんやから最低限それはわきまえておくべきだ。

お互いに批判があればどんどん対話するべきや。
対話がないから葬儀屋は儀式をおろそかにしてしまい、坊主は自分の手抜きを葬儀屋のせいにするんや。
接待や社交辞令なんかはいらん、対話のない関係に未来があると思う?
信頼関係がなかったらこっちは安心してみんなに背中を向けて引導を渡せられないんやで?

「私が遺族になって葬儀社に葬儀を依頼する時、正直おたくは嫌や」
社長に向かってはっきり言った。
いままで信頼していた葬儀社だっただけに失望が大きかった。

葬儀社だって方針があるからそれを変えろとは言わない。
今まで出来ていた事が出来なくなってしまっていた現実がある。
慣れがダレに変わる時が一番怖い。
私に従うべきやない、私に対する批判もあれば出すべきだ。
葬儀式を行う式場ってどういうものか、よく考えて欲しいと伝える。

社長に言われれば堪えるのだろう、知人の葬儀に参列した時にかなり改善されていた。

そこの葬儀社に限らず、式場に行けば祭壇の荘厳から細かく指図をしている。
それぞれの宗派や寺院で方針があるから自分でできる事は担当者と打ち合わせしながら段取りをする。
位牌を中央に置くと遺影の邪魔になるとか言われた日には、関西弁もろだしで淡々と問い詰める事になる。。。

行うのが葬儀である以上は導師として妥協せずに性根を入れて臨みたい。
そう思うからこそ打ち合わせの時点で妙に力がこもるのだ。
それにもう二度と儀式を進行する立場によってわやくそにされたくない。
その思いが語気を強めていく。
こちらとて葬儀でも祈祷でもそうだけど祈る事にはそれだけのエネルギーを使うのだ。

エエ加減にやられた事に気付かずに支払いをしている施主が悲劇だ。

葬儀ディレクターとか資格もあるようだけどそれを取得した所で、
「時間通りに流れる」やり方が身につくだけだ。
結局そんな資格名札をぶらさげても研鑽がなければ言わずもがなだ。

「社長を棺おけに入れて模擬葬儀を会館を使わない日に研修でやってみーな」
そうしたらよくわかると思うのだがと言ってみた。

揚げ足取りをしたい訳ではない。
お互いに仕事として関わる時は緊張感を持ってしかるべきなのだ。
坊主も葬儀屋任せにするべきではない。
任せておいて「葬儀屋に主導権を握られているけしからん」はないだろう。
坊主もきちんとしなければ足元をすくわれるべきなのだ。

きちんとするべき時にするべき場所においてはどうあるべきか、メリハリは重要だ。

無茶を通すつもりはないが頑固で譲れない所はこうるさくいきたい。

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2008-10-15 挑戦状かい(1)

最近は何かと「こうるさい」状態が続く
私自身がただ「こうるさい」奴になっているだけだが。
誰に対しても「こうるさい」と言うわけではないのだが。。。。

ここ数日は匿名にて相談事の電話がよく入る。
訳あって名前を名乗るのを差し控えているのだろう私も野暮ではない。
よくあるケースなのだが、菩提寺に頼むと高額なお布施を要求されるとか、菩提寺の住職には頼みたくないし、問いたくないので教えて欲しいとかそういう類で電話帳であたるのだろうか人づてに聞くのだろうかしてウチに辿り着く場合がある。
相談者の気持ちや菩提寺の立場を考えながら話は聞く。
そこで金品は受け取らないけれど依頼になればお布施の話になる。

名前を名乗らぬ電話主は墓地の事で掛けてきた。そして前回も
「お布施はいかほどでしょうか」
と問うので回向事に関しては檀家・非檀家でお布施の基準を定めているのでそれを伝える。
「お布施と言うものは本来はお気持ちというものであって・・」
とか言い出す始末。
「他所のお寺さんにも問い合わせて条件が見合う所で頼んでください、うちはこれでしかできません」
とはっきり伝えた。まだ納得がいかなさそうなので
「事情があっても1人を特別扱いして便宜を図ったらどうなります?」
できれば菩提寺さんに相談して菩提寺の住職にやってもらいたいけれど、色々と事情もあるのだろう。

「お金がない」とそれを前面に出してモノを言って来る人がいる。
安く仕上げたいのは人情だろうが、今それを必ずしなければならないのであれば別だが、そうでなければ「お金がない」のを理由に控えればよいのだ。
絶対に今やらなきゃいけないのでなければ時期を見て蓄えてからでも遅くはないのではないだろうか、配慮は求めるものではないと思うのだがそういう旨を伝えたものの伝わっているだろうか。。。。

まずどこの誰かぐらい名前ぐらい名乗ってよ。。。。
電話だからお互いに顔が見えないけれど、最低限の礼儀はあろうに。。。

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2008-10-13 わらわな

昨日の毎日新聞の「ダブルクリック(安野光雅氏)」で面白い事が書かれていた。
「溺れる者は藁をもつかむ」という言葉からはじまるのだが、賢者は溺れそうな買い手を作ってから藁を売る。そこから話は始まる。

そのまま書き写したい程に「なるほど!」と思った。
短い文章で世の中を上手く突いている。

世の中にはそれぐらい何かのきっかけでポンッと背中を押して溺れさせよう。
これで岸におあがりと藁をつかませようとする事があると言う事だ。

あっ、宗教も一つ違えればタタリだ障りだと相手を水辺に追いやる事もありはしないか?

きっかけは色々だ。
でも溺れてしまうのも自分の責任、藁をつかんでしまうのも自分の責任。

藁で救われる事もあれば藁で掬われる事もある。

だから人間って面白いのだろうけど。

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2008-10-10 まぁやらんとね

人生そういい事なんてある訳ない。
ヒーローだってヒーローであり続ける為には
ヒーローでいられる瞬間の為に多くの努力を費やす。
野球選手だって3割打てたらすごいけれど、7割は打てないのだ。
でも3割打者である為に多くの鍛錬を要する。

人生でいい事なんて3割あればかなりええんやないかな?
7割悪い事があるって思えばげんなりするかもしれないけれど、
3割のいい事の為にがんばれる事もあるんやなかろうか。

でもその3割を得る為にやるべき事はあまりにも多い。

寝ている時にふとある夢を観る事がある。
気分が下降気味を過ぎた時に夢に出てくる。
現実では起こらなくてイイ、夢の瞬間で十分な事だ。
過去を懐かしむような後ろ向きな夢だが、
それを観るとまた前を向こうと思う。

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2008-10-01 十住心論か

ネットでこんなの見つけた。。。。

Lv1 仏教?はあ何それ?食えるのか?食えない?はあ?糞して寝てろや、、
Lv2 やっぱ儒教でしょ、これからは、儒教最高!お前ら猿かよ、もっと善業を積めよ
Lv3 おまえまだ儒教とかやってる訳?少しは後世の事も考えろや、アホが
Lv4 もう何もいらん、自分もなくなった、、、法有を解して、我人みな遮す。やっぱ仏教だわ。
Lv5 お前等ゴメン、オレ覚ったわ、、っていうかお前等まだそんな所にいるの?ぷっ。
Lv6 というかお前等、オレについてこいや。オレに任せれば万事おk。間違いない。
Lv7 やった、阿字ktkr。これでもう思いのままだわ。自由自在融通無碍、、
Lv8 法華経最高、法華経と水さえあれば生きていける。
Lv9 仏になった!!オレは今、大日如来になったぞーー!!
Lv10 っていうかお前等もみんな大日如来じゃん。なんだ〜wみんな一緒じゃんよ。

十住心論の現代風か?
以前に十七条の憲法とか般若心経の現代風?を見つけたけど、よく勉強してるよなぁ。。。
賛否は別にして知識なけりゃこういうの思いつかないもん。

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2008-06-07 グリーフケア(7)

3回復期

人生が継続している事を認識し始める時期である。死者に対して感情を交えずに考えられるようになる時期である。
死者に対して捉われてきた思いが「悲しみやつらさ」ではなく、懐かしさややさしさなどの「心地のよい」感情で思い出すことができるようになる。
死者抜きの新しい社会環境、生活環境や人間関係に目が向くようになる。

ただ死者からの自立期ではあるのだが、内面的な傷つきやすさは依然として残る。
立ち直ったと言うよりは、喪失に慣れ、悲嘆も緩和され情緒的感情がやわらいだと考えるべきだ。

客観的時間で社会や世の中は動くが、グリーフワークは自分自身で自分の時間の中で行うしか方法はないのである。

死別は誰にでも起こりうる事である、そして様々なケースがある。
配偶者・両親・子供・友人など様々であり、死別も病死・自死・事故・突然死など様々である。
悲嘆の方法や悲嘆の時期も人によって様々である。

特に悲嘆は周囲から見て早期の立ち直りを期待するが、悲嘆のしすぎという事は決してない。
(矛盾するが「病的悲嘆」という社会的・人間的成長を阻害するケースもある)
(↑中期のまま留まってしまうケース)

多くは事実の拒絶・怒り・罪責感や自己非難・恥ずかしさ・虚脱感などに対する周囲の目を気にして早い時期の立ち直りを考えがちであり、周囲も望みがちである。
悲嘆のプロセスが短すぎると病的な悲嘆に陥りやすい。
宗教者とて早く立ち直らせる事がつとめであると考えがちであるが、悲嘆を理解する事によって互いのグリーフケア・グリーフワークが残された者たちへの悲嘆の緩和へと誘導する事ができるのではないだろうか?

本来、宗教が取り組んでいた分野であると考えるのだが、いつしか宗教の手を離れ医学や学門の分野での発展が著しい。
死者への儀式も重要なグリーフワークの一端であると考えるが、残された者に対して宗教者が今後行うべき事柄を考えたい。

坊さん、どうするよ?

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