ここ最近でもう一つ、葬儀屋に全然やさしくない私。
打ち合わせの時点でかなり攻撃的に接している。
喪主の代理で来る担当者には罪はないが、以前の葬儀の担当者に罪がある。
これまでに何度か苦言を呈した事があったがきちんと伝えてなかった事が分かった。
いちいち坊主の言葉を聞いててもしゃーないわって土壌があるのだろう。
基本的にアドバイスも「関係ない」状態でスルーだった。
数ヶ月前に私も堪忍袋の緒が切れて社長が謝罪にやってきた。
今までお宅の部下に言って来た事、あんたに伝わってるか?
そこからはじまり儀式についての進行についてなど細かく不備を指摘した。
経験不足を言い訳にするのならベテランをきちんと配備して不測の事態に備えれと強く伝える。
担当者も菩提寺は下請け業者でも連れでもないんや、儀式を執行する導師なんやから最低限それはわきまえておくべきだ。
お互いに批判があればどんどん対話するべきや。
対話がないから葬儀屋は儀式をおろそかにしてしまい、坊主は自分の手抜きを葬儀屋のせいにするんや。
接待や社交辞令なんかはいらん、対話のない関係に未来があると思う?
信頼関係がなかったらこっちは安心してみんなに背中を向けて引導を渡せられないんやで?
「私が遺族になって葬儀社に葬儀を依頼する時、正直おたくは嫌や」
社長に向かってはっきり言った。
いままで信頼していた葬儀社だっただけに失望が大きかった。
葬儀社だって方針があるからそれを変えろとは言わない。
今まで出来ていた事が出来なくなってしまっていた現実がある。
慣れがダレに変わる時が一番怖い。
私に従うべきやない、私に対する批判もあれば出すべきだ。
葬儀式を行う式場ってどういうものか、よく考えて欲しいと伝える。
社長に言われれば堪えるのだろう、知人の葬儀に参列した時にかなり改善されていた。
そこの葬儀社に限らず、式場に行けば祭壇の荘厳から細かく指図をしている。
それぞれの宗派や寺院で方針があるから自分でできる事は担当者と打ち合わせしながら段取りをする。
位牌を中央に置くと遺影の邪魔になるとか言われた日には、関西弁もろだしで淡々と問い詰める事になる。。。
行うのが葬儀である以上は導師として妥協せずに性根を入れて臨みたい。
そう思うからこそ打ち合わせの時点で妙に力がこもるのだ。
それにもう二度と儀式を進行する立場によってわやくそにされたくない。
その思いが語気を強めていく。
こちらとて葬儀でも祈祷でもそうだけど祈る事にはそれだけのエネルギーを使うのだ。
エエ加減にやられた事に気付かずに支払いをしている施主が悲劇だ。
葬儀ディレクターとか資格もあるようだけどそれを取得した所で、
「時間通りに流れる」やり方が身につくだけだ。
結局そんな資格名札をぶらさげても研鑽がなければ言わずもがなだ。
「社長を棺おけに入れて模擬葬儀を会館を使わない日に研修でやってみーな」
そうしたらよくわかると思うのだがと言ってみた。
揚げ足取りをしたい訳ではない。
お互いに仕事として関わる時は緊張感を持ってしかるべきなのだ。
坊主も葬儀屋任せにするべきではない。
任せておいて「葬儀屋に主導権を握られているけしからん」はないだろう。
坊主もきちんとしなければ足元をすくわれるべきなのだ。
きちんとするべき時にするべき場所においてはどうあるべきか、メリハリは重要だ。
無茶を通すつもりはないが頑固で譲れない所はこうるさくいきたい。 |