himajin top
「つれズレ綴り帖」

深い意味も無く、ただ書き綴って行こうかな。
足跡を残していただければうれしいかな。

○●「自己紹介」●○

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-05-01 伝家の宝刀抜けば竹光
2008-04-16 これです
2008-04-16 言われたとおり
2008-04-05 わかっているつもりでも
2008-03-01 私の為に世界はあるの
2008-02-01 色々と
2008-01-31 ん〜
2008-01-10 かばんてにもつ
2008-01-09 のんすけさん(2)
2008-01-09 のんすけさん(1)


2008-05-01 伝家の宝刀抜けば竹光

久し振りにラジオを聴きながら過ごしていた。
その時に聴いていて思った事・・・・


人は何かと免罪符を欲しがる生物です。
それは私とて例外ではなく、なにかの逃げ道を常に作って生きていきます。
逃げ道や抜け道を失った時に初めてそれに気付くのです。

そしてそれに気付いた時に
「逃げ道はない自分はかわいそうなんだから同情しなさい」
というベクトルで前に進んだり、
「逃げ道ではなく根本から見つめなおそう」
と原点に立ち返ってみたりする。

当の本人にはそれは抜けば威力の高い宝刀のつもりかもしれませんが、
その宝刀を持っている、抜こうとする人はただの過保護の子だと思う。
伝家の宝刀を持っている時点で誰かに与えられたモノしか使えない自分がそこにいるだけ。

何かに守られていなければ生きていけないでは前には進めないと思う。
守られたいのではなく、自分が守るべきではないか?

自分が変わるのではなくて、周りが変わるべきな思考回路が多すぎる。
過保護に育った感性が世界に飛び出せるとは思えない。

出たとしてもすぐに言い訳をしながら帰ってくるだけだろう。

子供は親に甘えられる時は甘えればいいと思う。
それはあくまでも家庭内もしくは親子の中であっての事
親子や家庭の甘えの世界を世間や社会に広げないようにと思う。

かつては光輝く宝の刀だったのだろうが、
振り回しすぎてただの棒切れになってしまっている事に気付かない
そんな事が多くはないかと自分自身を省みながらの一時だった。

先頭 表紙

2008-04-16 これです

森一丁さんのコメントを読んですごく考えました
わずかな文章で深い内容のコメント、さすがです。
ありがとうございます

この世の大地には生命の木が生えておりそれぞれの生命体が枝葉の様に描かれている
学校なんかの授業でそんな絵を一度ぐらい見た事あるだろう

そして天敵もいれば相愛の仲もそこにはあり、交わる機会のないままの存在も然り
自らの生命を脅かす存在ですら共存しているのだが全ては一つの生命の木から伸びた枝葉である

どの生命にももれなく枝葉が枯れる時期が訪れ
この世の大地に帰っていく
それが死の時を告げる落葉ではあるが、大地に戻り肥料となり
新たな生命の息吹をもたらす糧となる
大地にしても木にしても枝葉の種類はとりとめのないもの

この世に生きとし生けるものは種類名前は違えども枝から根元に辿れば一つの存在にすぎない
人間はそれぞれの枝葉に名前をつけて枝葉を分類した
そうしてしっかりと枝葉にくっついたままで
自分たちは木から超越した存在であると考えるようになってしまった

名前をつける知能を得たがあたかもそれが生命を作り出したかの様に振舞った
それでも生命の木はただそこに生えている

太陽と大地の恵みを与えられながら生命の木は枝葉を育む
そこには何の区別もないが生えている場所によっての差異が生まれる
日の光をいっぱい浴びられる位置の枝葉
日陰になって日のあたらない枝葉

葉の一つでもある人間も一つの木として考える
その木には多くの家族や民族が人間の木の幹より枝葉へと広がりをみせている
枝葉同志は時に寄り添い時にはこすれ風に揺れている

そんな枝葉の全てに人は名前をつけている
そして自分自身のモノとして大切に守りたいと思いつつ生い茂る

人間という種族として今を生きているとは言えそれぞれの価値観・信条で時に衝突もする
天敵も生まれれば同志も生まれる
それでもそんな生命の木を描けばみんな一つの木の一つ

自分の人生を木にしてみよう
時間と共に枝葉が多く生い茂って豊かな木へと育てたい

時には笑い・時には苦しみ多くの喜怒哀楽をちりばめる
好きな人嫌いな人と人との出会いと共に枝葉が茂る

好きであろうが嫌いであろうが多くの人も人生の色づけをしてくれる
自分の人生の枝葉になる人物とてそれぞれに一つ一つの木があり人生も名前がある
名のない存在はそこにはいない

好きな人にも名前があり嫌いな人にも名前があり、出会う人で会わない人にも名前がある
たとえそれが各々が勝手に付けた呼称であって
生命の木がそうは呼んでいなくとも
生命の木にとっては全てが自分から生み出されている必要で大事な枝葉

自分の木から落ち葉がポトリ
落ち葉は土に帰り自分の木に命を運んでくれる

自然に帰ればそこには何の区別もない
空気もそうだけど
「こいつにはイイ酸素吸わせて、こいつには吸わさせない」
なんて事はせずに誰にもあまねく吸いたいだけ酸素を与える
そして普段は意識したり感じることはなくても必ずそこにあり離れる事はない
自然と一体化した境地とでも言えばええか

ちっぽけな存在ですら壮大な事を考えて尊大になる
ちっぽけな存在がちっぽけなことを考えてちっぽけになる

時に自分という存在に混乱を起こす
喜怒哀楽、好き・嫌いそんな感情が調整剤になる

天敵だってきちんといて名前がないとつまらない
嫌な出来事はたまらんけれど、なければないでどうだろう

あっ迷っててイイんや。。。。。。

先頭 表紙

2008-04-16 言われたとおり

遠足は家に帰るまでが遠足なり
無事に家に到着
久し振りに結構歩いた3日間やった。

実家の車が使えなかったので移動は徒歩+公共交通機関
おかげで多くの移動は無理やけど色々な景色を満喫した。

新聞の投書欄で車を手放して歩きの生活になったとたんに
今まで目に留まらなかった景色を堪能できてすばらしい!車を乗るのをやめようよみんな!
ってな感じの事を投書するのがいるけれど、その気持ちがよくわかる。

景色以上に人の動きを眺めながら見えてくる世の中、人間模様は面白い。
もっともその流れに乗るのが嫌な私ではあるけれど。

春の桜は綺麗やけれど
花弁は生命の終わりを自然に委ねて風にまかせて散っていく
土へと帰り肥やしとなって新たな生命を生み出す土壌となる

色々と執着してるけれど私もそんなつたない枝葉の末である
死の風が吹けば自然に任せて散っていく
何も持てずに一枚の花弁がひらひらと。。。。。

祈りの中に祈りがきちんと込められているかい?
その合わせた手は形の為?思いの為?
自分自身に手を合わせるゆとりを持ちたいね

多くの人の中にいたからすごく疲れた
良くも悪くもいい勉強になった外出だ。
ちょっとだけ充電して前に進むかな。
まぁ勉強に行っているんやから気力も知力も体力もつかうけどね。

私はきちんと大地から枝葉に繋がっているかな?
最後の散って風の舞に酔っている所やないやんな。


森一丁さんのコメント

木の葉が子供だとしたら、幹は親なのですかね・・??

親は一枚一枚の葉になんて名前をつけるんでしょうかね??

「大地くん」「水音ちゃん」「太陽くん」「翼ちゃん」

数ある名前の中に、天敵である「人間くん」とはつかないのでしょうかね・・・やっぱ。。。
人間でいう「悪魔くん」と同列なのですかね??

人間は「樹」や「葉」の名前を使いたがるのに・・・あちらはそうではないのですかね。。。

と、のんすけさんの文を読んで、なんだか飛躍して考えちゃいましたが…なんだかなんだかデス。。。

先頭 表紙

2008-04-05 わかっているつもりでも

「拝み方教えてください」
「手と手を合わせればいいんですよ」
「そんな事わかってます」

幾度となくそんなやりとりをした事がある。
私は手と手を合わせる事の大切さがすごく奥深い事であると思うが、
「そんな事わかってます」と言い切れる方がすごいと思う。
時折その「手を合わせる事」の大切さを忘れていた事に気付く方もおられる。
読経や作法について聞きたいのは分かるけれど、まず手を合わせる事の大切さや当たり前と思っている事が当たり前でない事に気付く事が最初の段階だろうと思う。

目を閉じて合掌してしばし黙想する。
すぐに何かが頭の中に浮かんでしまうが何も考えない瞬間がある。
その瞬間は宇宙と一体になっていると思ってもいいと思う。
手と手と間にはぬくもりがあり祈りや思いがそこにある。。。。

思いを託して合わす手に偽りはないと思う。それが祈りだろう。

今年は様々な勉強の機会に恵まれた。
おかげで行法に関しても以前より深く出来るようになったと思う。
私の現時点でのレベルは「あたりまえ」の段階かも知れない。
でもその当たり前である事が理解できた事が何よりの成果と自画自賛(笑)
なんせ自分自身がアホであるという事がさらによく理解できる機会にも恵まれた。
これが一番の収穫やったかな(`・ω・´) 

ここ最近は坊守りとしての寺院運営の事で考える事が多い。
年末調整やら決算やら「数字で見る今年」が具体的になってきたからだ。
私が来る以前の事はあまり触れないようにしているが、それを整理してなくてはならないのは私の仕事。かなり大変な事が多すぎるのだが私が坊守りである以上はそれは当然な事であるでぼちぼち消化して行くのみだ。頭が痛い面も多々あるが運営で安心があるのも怠け街道に陥りそうやしね。それにそれがクリアして行く毎に自分の色に染まっていく愉しさがある。昔からあるお寺だけれど自分の想う色に染めて行く作業が出来る事ほどありがたいことはない。間違った方向に行かないようする事の基本が「掃除」であり「ロマン」(笑)なのだと師僧の言葉に思う。

今は勉強できる機会を多くいただけているのが一番のご縁やね。
ホンマこれが一番何よりの事だ。

先頭 表紙

2008-03-01 私の為に世界はあるの

久し振りにジャスコまで足を延ばして買い物に行ってきた。
その帰り道の事・・・・

片側二車線のバイパスに入り第二車線を走る
時刻は夕方、次第に車の量も増えだしだ。
制限速度を下回る速度で車は流れる。

別に家路に急いでいる訳でもなく、車は流れている。。。。
時間的にそんなもんかとハンドルを握る。
前方では我先にと車線変更に忙しい車も見える。
ゆるいカーブで先頭の車がちらっと見えた。
その先頭の車の前は全く車の姿がなかった。

二つの車線の先頭にゆっくり走る車が並走していたのだ。
そりゃ渋滞もするわ(笑)
後方からも前に進みたい車がジグザグとせわしない。
でも先頭の2トップに阻まれて先には進めない。
わずかなスキマができたら2トップを抜けて先に進んで行く車達。。。
この2トップは連れではなかったみたいで第一走行車線の車は側道へと消えていった。
気がつけば私の前に2トップのかたっぽがいた。
他に倣って私も第一走行車線に車線変更すると信号が赤になった。。。

第二走行車線の乗用車はおばちゃん二人が乗っていた。
乗用車のドアミラー越しに大口あけて喋る口元がみてとれる。
運転しているおばちゃんも手振りをいれながら喋っている。
もう話に夢中になっていて運転どころではないのだろう。

信号が青になり車を走らせる。
すぐに色々な車がおばちゃんを追い抜いて走っていく。

車内と言う小さな世界の中で周囲を見ずに喋くり倒しているのだろう。
楽しい一時を楽しみながらの歓談。

自分の時は別にいいじゃない、それぐらい。
そう思っている事が周囲の迷惑になっている事もあるのだと気付かされた。
そんな時、車内のTVからこんな言葉が・・・
「○○さん、もっと周囲の空気を読んで!」
それなりに周囲に気を配りながら愉しみたいものだ。

先頭 表紙

2008-02-01 色々と

頭の中で色々と浮かんでは消え、時に留まりながらまた消えていく。。。

変っているようで変っていない
進んでいるようで進んでいない
始まっているようで始まっていない
終わったようで終わっていない
でも確実に生きている

人間って面白いと思う。

まだまだ道の途中やね、何処に辿り着くか知らんけど(^^ゞ

先頭 表紙

2008-01-31 ん〜

他人事と思っていてもそれが他人事であり続けるとは限らない
当事者として関わる事もあれば、第三者として関わる事もあるかも知れない。
そうなれば数多の物事が他人事ではなくなってくる。
でも受け止めすぎると心が重く苦しくなるから見切りをつけるのも必要だ。

心中複雑なモノがあった今日一日やったな。

先頭 表紙

2008-01-10 かばんてにもつ

今のお寺に移り住んでから葬儀会館に足を運ぶ事が多くなった。
檀家さんもあまりいないので葬儀の回数は年間で10件もあれば多い方ではあるが、この2年間で自宅での葬儀は数件あっただけだ。

自宅であっても葬祭会館であっても葬儀の担い手はご近所ではなく葬儀社の方々である。

葬儀会場までいつも住職の自家用車で赴く。
タクシーはどうも落ち着けない。

葬儀の会場に到着すれば駐車場の誘導を受ける。
そこまでは別にいいのだが、次からが私は嫌なのだ。

「おかばんお持ちします」

私も住職もこれが嫌いなのだ。
かばんがないと手持ち無沙汰なのもあるのだが、二人して必ず拒む。
たまにそれでも持とうとされる方がいるのでその時は怒る。

「法衣や法具は坊さんの魂や、自分で持つべきものやから気安く触るんやない。」

仕事道具でもあるかばんを取られると主導権は我らにあると言われているような機がして嫌なのだ。

前は私が祭壇の荘厳をしたりしたけど、流石に向こうにも立場がある様子なのでお伝えしてしていただく事にした。

葬儀社にはそれなりの手引き書があるのだろう、やたらにこちらをまつりあげようとする。
葬式仏教なんて言葉があるけど、その業者の御輿に担がれて祀り上げられているうちに葬祭パックの添モンになってしまっている感が否めない。手引きの上に乗っていれば遺族も葬儀社も坊さんも楽と言えば楽だ。

何も考えないうちに葬祭業者による葬祭業者の為の流れよい葬儀へと移り変わり、宗教者は余計な経費の一つとしてしか扱われつつある。

焼香の後におしぼりを出す葬儀社まで現れた。。。
故人の為にお香を薫じた手が汚いのでしょうか?
香で清めた手が臭いと騒ぐ方がいるのでしょうか?

開式で戒名を読み上げる司会もいる。
まだ引導すら渡してませんが?あなたが導師さんでしたか。。。

葬儀式の中心だった儀式を司る者が「居酒屋の付き出し」のようになってしまった感が否めない。

先日、葬儀の連絡を受けた。
その後の葬儀社の対応で物申したい事があったので、お寺に来られた担当者に小言を言わさせていただいた。


葬祭業者に主導権を持っていかれてた。けしからん!
そう言っていたお寺さんがいた。
話を聞いているうちに「あんたが渡したんでしょ?」と言いたくなった。

不特定多数の方々の葬儀を受けるお寺さんは色々としがらみもあるのだろう。
ビジネスが頭にちらつくと言葉も控えるんだろう。

私は少々小うるさい頑固者でいたい。

先頭 表紙

2008-01-09 のんすけさん(2)

やがて私達に子供が産まれ、最初はのんすけさんよりも小さかった。
子供の成長と共にのんすけさんは老いの証しか気長になった。
多少の事では子供達には怒ったりしないが、私には噛み付いた(笑)

そして高知に移り住み、二人目が生まれたがやはりのんすけさんの方が大きかった。
若い頃の様なさっそうなジャンプも逃げ出す時の勢いのよさもなくなって外に出ても静かに座っているかゆっくり散歩していた。

のんすけさんは私達と共に生きてきた。
猫を飼う多くの人が「ウチの猫は尻尾が二つに割れて化け猫になってでも長く生きる」と本心はともかく、そんな事を言うように私もその1人だった。
多分のんすけさんがいなかったら私達には子供はいなかったかも知れない。
よく酔っ払っては抱きかかえて「のんはうちらの神様や」なんて言ったりしながら撫でていた。

帰省中、いつものんすけさんを預かっていただく動物病院から電話が入る。
いつもゲージで仰向けになって寝る程リラックスして過ごすと聞いていたので安心して預けていた。
容態がかなり悪いので検査や投薬をして言いかとの旨だった。
連れて行くまで外で散歩をしてエサも食べていたのに。

帰省後、病院に行き容態を聞く。
この帰省がなければこの病気には気付かなかっただろう。
余命を聞けばあと数日かもしれない、薬で生きながらえているだけの状態。

病院を後にして車に乗り込むと必死に堪えていたモノがあふれ出す。
安楽死も視野にいれてください、獣医もそれを口にするのはつらいだろう。
でも伝えるべき事でもあろう、できれば家で可能な限り過ごして最期を迎えさせたい。
入院も必要かもしれないけれど出来る限り家族と過ごしたい。

ゲージでは箱座りしていたけれど家に連れて帰るとぐったりしていた。
時折首をもたげる程度に衰弱している。
カゴから抱きかかえた時にあまりの軽さに泣きそうになった。
あのふっくらした、赤ちゃん時代の子供よりも大きかったのんすけさんじゃない。
やせ細った動けない程に衰弱したのんすけさん、寝場所を動かしながら様子を見守る。
限界までは通院点滴が続く。。。。

のん、お前の生涯は幸せやったか?私達はすごく愉しかったで。
お別れの時間が近づいてきているけれど、これからもよろしくな。
ありがとうしか言葉がでてこんわ。
これからも見守ってくれな、時が来るまでは見守るからな。
安息な日々でその日を迎えて欲しいと強く願う。

猫はな、10回生まれ変わった最後に神様がごほうびで猫として生まれさせてくれるねんて。
そして死んだら天国に迎え入れてもらえるんやて。
違う国の話やけどそんな話もあるねんで。


たかがペット、そして猫。。。。そしてされど・・・

共に歩いて来た時間の長さがもたらしたモノはあまりにも大きい。
幾つかの人生の分岐点に来た時にのんすけさんは普通に過ごしていた。
色々な思いが頭をめぐる。。。。

どうも何時もの様な自分でいる事ができない。
ちょっと感情に流されてしまう。

まぁこんな時もあるわさ。。。。

先頭 表紙

2008-01-09 のんすけさん(1)

のんすけさんは以前の職場の従業員さんの息子さんが飼っていた猫だった。
かわいがられていたそうだが家の事情で彼の実家で飼われる事になった。
「絶対に人にあげないでくれ」
と息子さんは言っていたそうだがやがて過ごす時間が薄くなるにつれて
「だれかかわいがってくれる人がいたら」
と気持ちは変わって行ったのも無理はない話だった。

プニと名付けた猫がいた。
おそらく誰かに飼われていて捨てられたのだろう。
ひとなつっこい猫で夜になると台所の戸口にやってきた。
家に入れてもここまでしか入ったらあかんよと言うとそれを守った。
適当に家で過ごした後はまた夜の暗闇へ帰っていった。
時折旅に出る様でしばらく姿を見せないと思うと現れる。
そんな日々が少し続いた。

当時子供もおらず、そんな事も考えていなかった頃
適当に家付近にやってくる猫に適当に名前をつけたりして、時には魚なんかをあげていた。

しばらくして実家で私が小学生の頃から飼っていた犬が死んだと電話があった。
限りなくアホに近い犬だったが、体の白さが奇麗な雑種だ。
大学を卒業するまでは私が晩に散歩に連れて行っていた。
しかし一番なついていたのは私の父だったので、散歩中に帰宅中の父に会うと散歩が中断して家に飛んで帰っていた。
私が実家を出てからは滅多に会うこともなかったがやはり別れはつらいものがあった。

そしてプニもケンカでもしたのかかなり弱って姿を現した。
治療も考えたいが我が家の猫ではなく野良猫としての誇りを持っていた。
それに色々な家で名前を持っている奴でもあった。
ある晩、外で寝ているプニの鳴き声が一声聞えた。
次の日の朝、冷たく堅くなったプニが戸口で横たわっていた。
最期を私達に看取って欲しかったのだろうか、山に埋めに行った。
飼っていた訳ではないがやはり別れはつらい。

犬を飼おうか、そんな事を言っていた頃にのんすけさんの存在を知った。
当時は嫁も同じ職場のパートでのんすけさんを飼う従業員さんの家に行きその猫を知った。

耳の垂れた猫で当時はまだ珍しい猫だった。
「耳が垂れていて丸顔でひとなつっこい」と多くの本に書いてあった。
あるペットショップで「リアルドラえもん」と店の方が言っていた(笑)

しばらくしてのんすけさんが我が家に来る事になった。
最初に聞いていたお利口猫ではなくかなり気の荒い近寄れない猫だった。
「触れ合えないペット」で近寄ると威嚇するし、朝には寝ている私達を叩き起こす。
嫁は頭をかじられて私は目を覚ますとくしゃみで鼻水をかけられていた。
私は噛みつかれて何度派手に出血した事か、今も傷跡が手に残っている。

獣医も以前ののんすけさんを知っていた様子で
「なんでこの猫もらったんですか?」
と聞かれた事があったぐらいで、診察中も色々な出来事を見せてくれた。
あまりの気性の荒さに去勢する事にした。
なんせ「にゃぁ」よりも「しゃーっ!」の方が一日で聞く事が多かったのだ。

そうして少しずつではあるは気性の荒さは和らいでいった。

仰向けで寝る。壁やらにもたれかかる方が落ち着くようだ。
ソファーに腰掛けてTVを観ている、なんか人間臭い猫でもあった。
何かつぶやいているようなしぐさもあり愉しませてくれた。

猫バカかもしれないがハンサムでそれなりに利口な猫だと思う。
気高いけれど寂しがり屋でもある。
我が家の一員としてのんすけさんはかけがえのない存在となった。

先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)