森一丁さんのコメントを読んですごく考えました
わずかな文章で深い内容のコメント、さすがです。
ありがとうございます
この世の大地には生命の木が生えておりそれぞれの生命体が枝葉の様に描かれている
学校なんかの授業でそんな絵を一度ぐらい見た事あるだろう
そして天敵もいれば相愛の仲もそこにはあり、交わる機会のないままの存在も然り
自らの生命を脅かす存在ですら共存しているのだが全ては一つの生命の木から伸びた枝葉である
どの生命にももれなく枝葉が枯れる時期が訪れ
この世の大地に帰っていく
それが死の時を告げる落葉ではあるが、大地に戻り肥料となり
新たな生命の息吹をもたらす糧となる
大地にしても木にしても枝葉の種類はとりとめのないもの
この世に生きとし生けるものは種類名前は違えども枝から根元に辿れば一つの存在にすぎない
人間はそれぞれの枝葉に名前をつけて枝葉を分類した
そうしてしっかりと枝葉にくっついたままで
自分たちは木から超越した存在であると考えるようになってしまった
名前をつける知能を得たがあたかもそれが生命を作り出したかの様に振舞った
それでも生命の木はただそこに生えている
太陽と大地の恵みを与えられながら生命の木は枝葉を育む
そこには何の区別もないが生えている場所によっての差異が生まれる
日の光をいっぱい浴びられる位置の枝葉
日陰になって日のあたらない枝葉
葉の一つでもある人間も一つの木として考える
その木には多くの家族や民族が人間の木の幹より枝葉へと広がりをみせている
枝葉同志は時に寄り添い時にはこすれ風に揺れている
そんな枝葉の全てに人は名前をつけている
そして自分自身のモノとして大切に守りたいと思いつつ生い茂る
人間という種族として今を生きているとは言えそれぞれの価値観・信条で時に衝突もする
天敵も生まれれば同志も生まれる
それでもそんな生命の木を描けばみんな一つの木の一つ
自分の人生を木にしてみよう
時間と共に枝葉が多く生い茂って豊かな木へと育てたい
時には笑い・時には苦しみ多くの喜怒哀楽をちりばめる
好きな人嫌いな人と人との出会いと共に枝葉が茂る
好きであろうが嫌いであろうが多くの人も人生の色づけをしてくれる
自分の人生の枝葉になる人物とてそれぞれに一つ一つの木があり人生も名前がある
名のない存在はそこにはいない
好きな人にも名前があり嫌いな人にも名前があり、出会う人で会わない人にも名前がある
たとえそれが各々が勝手に付けた呼称であって
生命の木がそうは呼んでいなくとも
生命の木にとっては全てが自分から生み出されている必要で大事な枝葉
自分の木から落ち葉がポトリ
落ち葉は土に帰り自分の木に命を運んでくれる
自然に帰ればそこには何の区別もない
空気もそうだけど
「こいつにはイイ酸素吸わせて、こいつには吸わさせない」
なんて事はせずに誰にもあまねく吸いたいだけ酸素を与える
そして普段は意識したり感じることはなくても必ずそこにあり離れる事はない
自然と一体化した境地とでも言えばええか
ちっぽけな存在ですら壮大な事を考えて尊大になる
ちっぽけな存在がちっぽけなことを考えてちっぽけになる
時に自分という存在に混乱を起こす
喜怒哀楽、好き・嫌いそんな感情が調整剤になる
天敵だってきちんといて名前がないとつまらない
嫌な出来事はたまらんけれど、なければないでどうだろう
あっ迷っててイイんや。。。。。。 |