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「つれズレ綴り帖」

深い意味も無く、ただ書き綴って行こうかな。
足跡を残していただければうれしいかな。

○●「自己紹介」●○

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-03-01 私の為に世界はあるの
2008-02-01 色々と
2008-01-31 ん〜
2008-01-10 かばんてにもつ
2008-01-09 のんすけさん(2)
2008-01-09 のんすけさん(1)
2008-01-01 ただひたすらに
2007-12-29 大きな学びになった事
2007-11-13 研修会
2007-11-10 追えば追うほど遠ざかる


2008-03-01 私の為に世界はあるの

久し振りにジャスコまで足を延ばして買い物に行ってきた。
その帰り道の事・・・・

片側二車線のバイパスに入り第二車線を走る
時刻は夕方、次第に車の量も増えだしだ。
制限速度を下回る速度で車は流れる。

別に家路に急いでいる訳でもなく、車は流れている。。。。
時間的にそんなもんかとハンドルを握る。
前方では我先にと車線変更に忙しい車も見える。
ゆるいカーブで先頭の車がちらっと見えた。
その先頭の車の前は全く車の姿がなかった。

二つの車線の先頭にゆっくり走る車が並走していたのだ。
そりゃ渋滞もするわ(笑)
後方からも前に進みたい車がジグザグとせわしない。
でも先頭の2トップに阻まれて先には進めない。
わずかなスキマができたら2トップを抜けて先に進んで行く車達。。。
この2トップは連れではなかったみたいで第一走行車線の車は側道へと消えていった。
気がつけば私の前に2トップのかたっぽがいた。
他に倣って私も第一走行車線に車線変更すると信号が赤になった。。。

第二走行車線の乗用車はおばちゃん二人が乗っていた。
乗用車のドアミラー越しに大口あけて喋る口元がみてとれる。
運転しているおばちゃんも手振りをいれながら喋っている。
もう話に夢中になっていて運転どころではないのだろう。

信号が青になり車を走らせる。
すぐに色々な車がおばちゃんを追い抜いて走っていく。

車内と言う小さな世界の中で周囲を見ずに喋くり倒しているのだろう。
楽しい一時を楽しみながらの歓談。

自分の時は別にいいじゃない、それぐらい。
そう思っている事が周囲の迷惑になっている事もあるのだと気付かされた。
そんな時、車内のTVからこんな言葉が・・・
「○○さん、もっと周囲の空気を読んで!」
それなりに周囲に気を配りながら愉しみたいものだ。

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2008-02-01 色々と

頭の中で色々と浮かんでは消え、時に留まりながらまた消えていく。。。

変っているようで変っていない
進んでいるようで進んでいない
始まっているようで始まっていない
終わったようで終わっていない
でも確実に生きている

人間って面白いと思う。

まだまだ道の途中やね、何処に辿り着くか知らんけど(^^ゞ

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2008-01-31 ん〜

他人事と思っていてもそれが他人事であり続けるとは限らない
当事者として関わる事もあれば、第三者として関わる事もあるかも知れない。
そうなれば数多の物事が他人事ではなくなってくる。
でも受け止めすぎると心が重く苦しくなるから見切りをつけるのも必要だ。

心中複雑なモノがあった今日一日やったな。

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2008-01-10 かばんてにもつ

今のお寺に移り住んでから葬儀会館に足を運ぶ事が多くなった。
檀家さんもあまりいないので葬儀の回数は年間で10件もあれば多い方ではあるが、この2年間で自宅での葬儀は数件あっただけだ。

自宅であっても葬祭会館であっても葬儀の担い手はご近所ではなく葬儀社の方々である。

葬儀会場までいつも住職の自家用車で赴く。
タクシーはどうも落ち着けない。

葬儀の会場に到着すれば駐車場の誘導を受ける。
そこまでは別にいいのだが、次からが私は嫌なのだ。

「おかばんお持ちします」

私も住職もこれが嫌いなのだ。
かばんがないと手持ち無沙汰なのもあるのだが、二人して必ず拒む。
たまにそれでも持とうとされる方がいるのでその時は怒る。

「法衣や法具は坊さんの魂や、自分で持つべきものやから気安く触るんやない。」

仕事道具でもあるかばんを取られると主導権は我らにあると言われているような機がして嫌なのだ。

前は私が祭壇の荘厳をしたりしたけど、流石に向こうにも立場がある様子なのでお伝えしてしていただく事にした。

葬儀社にはそれなりの手引き書があるのだろう、やたらにこちらをまつりあげようとする。
葬式仏教なんて言葉があるけど、その業者の御輿に担がれて祀り上げられているうちに葬祭パックの添モンになってしまっている感が否めない。手引きの上に乗っていれば遺族も葬儀社も坊さんも楽と言えば楽だ。

何も考えないうちに葬祭業者による葬祭業者の為の流れよい葬儀へと移り変わり、宗教者は余計な経費の一つとしてしか扱われつつある。

焼香の後におしぼりを出す葬儀社まで現れた。。。
故人の為にお香を薫じた手が汚いのでしょうか?
香で清めた手が臭いと騒ぐ方がいるのでしょうか?

開式で戒名を読み上げる司会もいる。
まだ引導すら渡してませんが?あなたが導師さんでしたか。。。

葬儀式の中心だった儀式を司る者が「居酒屋の付き出し」のようになってしまった感が否めない。

先日、葬儀の連絡を受けた。
その後の葬儀社の対応で物申したい事があったので、お寺に来られた担当者に小言を言わさせていただいた。


葬祭業者に主導権を持っていかれてた。けしからん!
そう言っていたお寺さんがいた。
話を聞いているうちに「あんたが渡したんでしょ?」と言いたくなった。

不特定多数の方々の葬儀を受けるお寺さんは色々としがらみもあるのだろう。
ビジネスが頭にちらつくと言葉も控えるんだろう。

私は少々小うるさい頑固者でいたい。

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2008-01-09 のんすけさん(2)

やがて私達に子供が産まれ、最初はのんすけさんよりも小さかった。
子供の成長と共にのんすけさんは老いの証しか気長になった。
多少の事では子供達には怒ったりしないが、私には噛み付いた(笑)

そして高知に移り住み、二人目が生まれたがやはりのんすけさんの方が大きかった。
若い頃の様なさっそうなジャンプも逃げ出す時の勢いのよさもなくなって外に出ても静かに座っているかゆっくり散歩していた。

のんすけさんは私達と共に生きてきた。
猫を飼う多くの人が「ウチの猫は尻尾が二つに割れて化け猫になってでも長く生きる」と本心はともかく、そんな事を言うように私もその1人だった。
多分のんすけさんがいなかったら私達には子供はいなかったかも知れない。
よく酔っ払っては抱きかかえて「のんはうちらの神様や」なんて言ったりしながら撫でていた。

帰省中、いつものんすけさんを預かっていただく動物病院から電話が入る。
いつもゲージで仰向けになって寝る程リラックスして過ごすと聞いていたので安心して預けていた。
容態がかなり悪いので検査や投薬をして言いかとの旨だった。
連れて行くまで外で散歩をしてエサも食べていたのに。

帰省後、病院に行き容態を聞く。
この帰省がなければこの病気には気付かなかっただろう。
余命を聞けばあと数日かもしれない、薬で生きながらえているだけの状態。

病院を後にして車に乗り込むと必死に堪えていたモノがあふれ出す。
安楽死も視野にいれてください、獣医もそれを口にするのはつらいだろう。
でも伝えるべき事でもあろう、できれば家で可能な限り過ごして最期を迎えさせたい。
入院も必要かもしれないけれど出来る限り家族と過ごしたい。

ゲージでは箱座りしていたけれど家に連れて帰るとぐったりしていた。
時折首をもたげる程度に衰弱している。
カゴから抱きかかえた時にあまりの軽さに泣きそうになった。
あのふっくらした、赤ちゃん時代の子供よりも大きかったのんすけさんじゃない。
やせ細った動けない程に衰弱したのんすけさん、寝場所を動かしながら様子を見守る。
限界までは通院点滴が続く。。。。

のん、お前の生涯は幸せやったか?私達はすごく愉しかったで。
お別れの時間が近づいてきているけれど、これからもよろしくな。
ありがとうしか言葉がでてこんわ。
これからも見守ってくれな、時が来るまでは見守るからな。
安息な日々でその日を迎えて欲しいと強く願う。

猫はな、10回生まれ変わった最後に神様がごほうびで猫として生まれさせてくれるねんて。
そして死んだら天国に迎え入れてもらえるんやて。
違う国の話やけどそんな話もあるねんで。


たかがペット、そして猫。。。。そしてされど・・・

共に歩いて来た時間の長さがもたらしたモノはあまりにも大きい。
幾つかの人生の分岐点に来た時にのんすけさんは普通に過ごしていた。
色々な思いが頭をめぐる。。。。

どうも何時もの様な自分でいる事ができない。
ちょっと感情に流されてしまう。

まぁこんな時もあるわさ。。。。

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2008-01-09 のんすけさん(1)

のんすけさんは以前の職場の従業員さんの息子さんが飼っていた猫だった。
かわいがられていたそうだが家の事情で彼の実家で飼われる事になった。
「絶対に人にあげないでくれ」
と息子さんは言っていたそうだがやがて過ごす時間が薄くなるにつれて
「だれかかわいがってくれる人がいたら」
と気持ちは変わって行ったのも無理はない話だった。

プニと名付けた猫がいた。
おそらく誰かに飼われていて捨てられたのだろう。
ひとなつっこい猫で夜になると台所の戸口にやってきた。
家に入れてもここまでしか入ったらあかんよと言うとそれを守った。
適当に家で過ごした後はまた夜の暗闇へ帰っていった。
時折旅に出る様でしばらく姿を見せないと思うと現れる。
そんな日々が少し続いた。

当時子供もおらず、そんな事も考えていなかった頃
適当に家付近にやってくる猫に適当に名前をつけたりして、時には魚なんかをあげていた。

しばらくして実家で私が小学生の頃から飼っていた犬が死んだと電話があった。
限りなくアホに近い犬だったが、体の白さが奇麗な雑種だ。
大学を卒業するまでは私が晩に散歩に連れて行っていた。
しかし一番なついていたのは私の父だったので、散歩中に帰宅中の父に会うと散歩が中断して家に飛んで帰っていた。
私が実家を出てからは滅多に会うこともなかったがやはり別れはつらいものがあった。

そしてプニもケンカでもしたのかかなり弱って姿を現した。
治療も考えたいが我が家の猫ではなく野良猫としての誇りを持っていた。
それに色々な家で名前を持っている奴でもあった。
ある晩、外で寝ているプニの鳴き声が一声聞えた。
次の日の朝、冷たく堅くなったプニが戸口で横たわっていた。
最期を私達に看取って欲しかったのだろうか、山に埋めに行った。
飼っていた訳ではないがやはり別れはつらい。

犬を飼おうか、そんな事を言っていた頃にのんすけさんの存在を知った。
当時は嫁も同じ職場のパートでのんすけさんを飼う従業員さんの家に行きその猫を知った。

耳の垂れた猫で当時はまだ珍しい猫だった。
「耳が垂れていて丸顔でひとなつっこい」と多くの本に書いてあった。
あるペットショップで「リアルドラえもん」と店の方が言っていた(笑)

しばらくしてのんすけさんが我が家に来る事になった。
最初に聞いていたお利口猫ではなくかなり気の荒い近寄れない猫だった。
「触れ合えないペット」で近寄ると威嚇するし、朝には寝ている私達を叩き起こす。
嫁は頭をかじられて私は目を覚ますとくしゃみで鼻水をかけられていた。
私は噛みつかれて何度派手に出血した事か、今も傷跡が手に残っている。

獣医も以前ののんすけさんを知っていた様子で
「なんでこの猫もらったんですか?」
と聞かれた事があったぐらいで、診察中も色々な出来事を見せてくれた。
あまりの気性の荒さに去勢する事にした。
なんせ「にゃぁ」よりも「しゃーっ!」の方が一日で聞く事が多かったのだ。

そうして少しずつではあるは気性の荒さは和らいでいった。

仰向けで寝る。壁やらにもたれかかる方が落ち着くようだ。
ソファーに腰掛けてTVを観ている、なんか人間臭い猫でもあった。
何かつぶやいているようなしぐさもあり愉しませてくれた。

猫バカかもしれないがハンサムでそれなりに利口な猫だと思う。
気高いけれど寂しがり屋でもある。
我が家の一員としてのんすけさんはかけがえのない存在となった。

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2008-01-01 ただひたすらに

密厳院発露懺悔文

我等懺悔す
無始よりこのかた妄想に纏はされて衆罪を造る
身口意業常に顛倒して
誤って無量不善の業を犯す
珍財を慳悋して施を行ぜず
意に任せて放逸にして戒を持せず
しばしば忿恚を起して忍辱ならず
多く懈怠を生じて精進ならず
心意散乱して坐禅せず
実相に違背して慧を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して
還って流転三途の業を作る
名を比丘に仮って伽藍を穢し
形を沙門に比して信施を受く
受くる所の戒品は忘れて持せず
学すべき律義は廃して好むこと無し
諸佛の厭悪したまう所を慚じず
菩薩の苦悩する所を畏れず
遊戯笑語して徒らに年を送り
諂誑詐欺して空しく日を過ぐ
善友に随がはずして癡人に親しみ
善根を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ
勝徳の者を見ては嫉妬を懐き
卑賤の人を見ては驕慢を生じ
富饒の所を聞いては希望を起す
貧乏の類を聞いては常に厭離す
故に殺し誤って殺す殺す有情の命
顕はに取り密かに盗る他人の財
触れても触れずしても非凡行を犯す
口四意三互に相続し
佛を観念する時は攀縁を発し
経を読誦する時は文句を錯る
若し善根を作せば有相に住し
還って輪廻生死の因と成る
行住坐臥知ると知らざると
犯す所の是の如くの無量の罪
今三宝に對して皆発露し奉る
慈悲哀愍して消除せしめ賜え
皆悉く発露し 尽く懺悔し奉る
乃至法界の諸の衆生
三業所作のかくの如くの罪
我皆相代って尽く懺悔し奉る
更にまたその報いを受けしめざれ

本当に読んでいると頭痛いね。。。。
分かっていても分かっていない事の多さよ。
そして自分自身のハードルを低くしている事の言い訳の多さよ。

出来ると思っていてもいざとなると出来ない事
とっさにできた事
普段如何にして生きているかでその時の己にとっての最良の選択を目の当りにする。

何も出来ない、出来ていないやないか、
それを感じる事ができるのがせめてもの救いでもあり憂いでもあり

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2007-12-29 大きな学びになった事

あなたが大切な人を失った時に流す涙は、
本当に大切な人の為ですか?
大切な人を失った自分自身を悲しんでの涙ですか?

この文章、悲嘆に対して勉強していて大きな学びとなった。
今年の前半はグリーフケアについて色々と勉強していた。
そして宗教者として死と関わる事の大切さと残された者への悲嘆の緩和について如何に取り組むべきかを模索するきっかけにもなった。

祈祷にも色々と勉強して取り組んだ。
行法に関してもそうやけど、如何にして依頼者の心を安息へと誘導するか、根拠のある安心を得ていただくか。。。。

特別に口が上手い訳でもなく、話が上手な訳でもない。
歳相応でいうと話術はかなり劣る方だと自分では感じる。
おまけに人付き合いはかなり悪い(^^ゞ
ホンマ今専業でお寺を維持しているのは限りなく奇跡やわ。

友人には本当にお世話になった。
最後の最後に大きな経験と勉強と宿題を与えてくれた。
おそらく遺族とは疎遠になってしまうだろう、
友人そのものとも手紙やメールだけのやりとりで10年以上会っていなかったのだから。。。

そんな友人が出会って間もない頃に私に言った言葉

「あんたは他人から見て好き嫌いがはっきり分かれるタイプやわ、しかも『むちゃくちゃ嫌い』か『好き』かのどっちかや!」

これを聞いた時にすごく楽になったのを覚えている。
あ〜でも友人はどっちとして接してくれてたんかなぁ。。。。
他に冗談交じりに「もしお前より先に死んだら・・・」ネタもあってんけどね(笑)

まぁいずれ黄泉の客になった時に出会う事があれば
「お前だけ若くてずるいやんけ!わしこんなに老けたのに!」
と言ってやろうかと思っている。

話がそれてきたけど本題もないか・・・(^^ゞ

色々と今年はやらかした年やったな。
いい縁、できれば遠慮したい縁、色々と縁もあった年やったな。
勉強する事が多い年でもあったな。
これからも勉強する縁を多く持ちたいって思うので、もう少し頭も利口になりたいものだ。

来年は・・・・って言う前にまだ僅かに残る今年、確実に踏みしめたいものだ。
なんせまだまだやり残している仕事があるんやもん。

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2007-11-13 研修会

鰻を焼く時には2本の串をさして丸まらないように焼く
そして串を外しておいしい鰻だけにして料理を提供する
串は美味しく焼く為の手段である
串がしっかりしていないと美味しい鰻が焼けない
鰻と串のいい関係の上で焼かれている

教理は串であるそうな、
その串を生かして如何にして美味しく題材を料理をするか、
そこが坊さんの腕の見せ所といったところか。。。。

坊さんは串についてとかく語りがちではないだろうか?
串をみせて鰻の美味さを説いても理解はされないし、
串に刺さったまま出されてはそれはそれで食べにくい。

美味しい部分だけを食べさせて実はそこに真実がある。
そう感じ取らせる事って難しいやんなぁ。。。

布教師研修会ってのに参加している。
2晩の泊り込みでの研修会だが日帰りで参加させていただいているその1日目。
3日目は檀務があるので欠席にした。

そこでの講演でこの話を聞いたのだ。
話が面白いというか、わかりやすくて船を漕ぐ事もなく聞き入った。

ああ、坊さんはホンマ話が上手やなぁと思う事しきり、
私も坊さんやねんけど言葉に詰まるというか鳥頭やからなぁ。。
あたりまえをあたりまえに話す事ができる、そうなりたいね。

人の話を理解する能力がかなり落ちている気がする今日この頃。。。。
耳からこぼれ落ちない様に片方の耳を塞いで話を聞こうかしら?
その方が聞えにくくて余計にわからんようになるか、あははは。

それでも非社交的な私でも実践ワークの中で何人かと会話を楽しむ事ができた。
さすが布教を研究しているプロやね、上手に考えておられる。
せっかくのご縁やもんね、一期一会かも知れへんし愉しむのがええね。

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2007-11-10 追えば追うほど遠ざかる

夢は追えば追うほど遠ざかり、
実現したいとあがけばあがくほど遠ざかる。
目線を変えたら夢と並行にもがいていた・・・・なんて事も起こりうる。

目標が出来た時点で方向が見失われる事だってある。
目標にとらわれるあまりに目標に至る過程を誤ってしまうなんて事も。
だから目標という「とらわれ」に目を奪われずに今の自分自身あるがままであれと・・・・

私の師僧は「男のロマン」と言う表現で物事を進めていく時があるそうだ。
歩んでいる方向が間違っていなければロマンの後から実現が伴ってくるのだろう。
それは私自身すごく実感している事がある。

私が今のお寺に来た時、それは「すごい」状態だった。
荘厳という言葉が裸足で逃げて行きそうな・・・・・そんな感じだった。
師僧に言われたのが「とにかく掃除しろ」だった。
この掃除ってすごく大事な事だと思う。
やはり掃除すら出来ない人に立派だと思える人はいない。
ついでに言えば、本堂の掃除をせずに誰かにさせている住職にろくなのはいない。
自分が手を合わす道場すら奇麗にできないでよく人にモノが言えるもんやね、私には理解できひん。。。

とにかく掃除して少しずつ荘厳も整えていった。
掃除をするという事をしなければ今の状態はありえないと断言できる。

何かをやろうと思った時、まず足元の掃除から始めたらいいと思う。
遠くの目標に向かう時ほど足元をしっかりみつめておかなければと思う。
その目標に向かうに足る足元になってますか?

自分自身が体験して実感して思うこと、理屈はええから掃除機でもあてぇなぁ。。。


現在幾つかの計画を立てて行動に移しているのだけれども、
本堂のムダな増築部分と倉庫を撤去する必要が出てきた。
建てるのもさることながら撤去にもそれなりのお金がかかる。
男のロマンで押し切ってやってしまいたい反面、石橋も叩いて渡りたい。。。

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