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「つれズレ綴り帖」

深い意味も無く、ただ書き綴って行こうかな。
足跡を残していただければうれしいかな。

○●「自己紹介」●○

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-01-09 のんすけさん(1)
2008-01-01 ただひたすらに
2007-12-29 大きな学びになった事
2007-11-13 研修会
2007-11-10 追えば追うほど遠ざかる
2007-11-08 あるがままなり
2007-10-13 何処へ
2007-10-08 コピペ
2007-10-01 行き先は
2007-09-27 彼の岸より我は来た


2008-01-09 のんすけさん(1)

のんすけさんは以前の職場の従業員さんの息子さんが飼っていた猫だった。
かわいがられていたそうだが家の事情で彼の実家で飼われる事になった。
「絶対に人にあげないでくれ」
と息子さんは言っていたそうだがやがて過ごす時間が薄くなるにつれて
「だれかかわいがってくれる人がいたら」
と気持ちは変わって行ったのも無理はない話だった。

プニと名付けた猫がいた。
おそらく誰かに飼われていて捨てられたのだろう。
ひとなつっこい猫で夜になると台所の戸口にやってきた。
家に入れてもここまでしか入ったらあかんよと言うとそれを守った。
適当に家で過ごした後はまた夜の暗闇へ帰っていった。
時折旅に出る様でしばらく姿を見せないと思うと現れる。
そんな日々が少し続いた。

当時子供もおらず、そんな事も考えていなかった頃
適当に家付近にやってくる猫に適当に名前をつけたりして、時には魚なんかをあげていた。

しばらくして実家で私が小学生の頃から飼っていた犬が死んだと電話があった。
限りなくアホに近い犬だったが、体の白さが奇麗な雑種だ。
大学を卒業するまでは私が晩に散歩に連れて行っていた。
しかし一番なついていたのは私の父だったので、散歩中に帰宅中の父に会うと散歩が中断して家に飛んで帰っていた。
私が実家を出てからは滅多に会うこともなかったがやはり別れはつらいものがあった。

そしてプニもケンカでもしたのかかなり弱って姿を現した。
治療も考えたいが我が家の猫ではなく野良猫としての誇りを持っていた。
それに色々な家で名前を持っている奴でもあった。
ある晩、外で寝ているプニの鳴き声が一声聞えた。
次の日の朝、冷たく堅くなったプニが戸口で横たわっていた。
最期を私達に看取って欲しかったのだろうか、山に埋めに行った。
飼っていた訳ではないがやはり別れはつらい。

犬を飼おうか、そんな事を言っていた頃にのんすけさんの存在を知った。
当時は嫁も同じ職場のパートでのんすけさんを飼う従業員さんの家に行きその猫を知った。

耳の垂れた猫で当時はまだ珍しい猫だった。
「耳が垂れていて丸顔でひとなつっこい」と多くの本に書いてあった。
あるペットショップで「リアルドラえもん」と店の方が言っていた(笑)

しばらくしてのんすけさんが我が家に来る事になった。
最初に聞いていたお利口猫ではなくかなり気の荒い近寄れない猫だった。
「触れ合えないペット」で近寄ると威嚇するし、朝には寝ている私達を叩き起こす。
嫁は頭をかじられて私は目を覚ますとくしゃみで鼻水をかけられていた。
私は噛みつかれて何度派手に出血した事か、今も傷跡が手に残っている。

獣医も以前ののんすけさんを知っていた様子で
「なんでこの猫もらったんですか?」
と聞かれた事があったぐらいで、診察中も色々な出来事を見せてくれた。
あまりの気性の荒さに去勢する事にした。
なんせ「にゃぁ」よりも「しゃーっ!」の方が一日で聞く事が多かったのだ。

そうして少しずつではあるは気性の荒さは和らいでいった。

仰向けで寝る。壁やらにもたれかかる方が落ち着くようだ。
ソファーに腰掛けてTVを観ている、なんか人間臭い猫でもあった。
何かつぶやいているようなしぐさもあり愉しませてくれた。

猫バカかもしれないがハンサムでそれなりに利口な猫だと思う。
気高いけれど寂しがり屋でもある。
我が家の一員としてのんすけさんはかけがえのない存在となった。

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2008-01-01 ただひたすらに

密厳院発露懺悔文

我等懺悔す
無始よりこのかた妄想に纏はされて衆罪を造る
身口意業常に顛倒して
誤って無量不善の業を犯す
珍財を慳悋して施を行ぜず
意に任せて放逸にして戒を持せず
しばしば忿恚を起して忍辱ならず
多く懈怠を生じて精進ならず
心意散乱して坐禅せず
実相に違背して慧を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して
還って流転三途の業を作る
名を比丘に仮って伽藍を穢し
形を沙門に比して信施を受く
受くる所の戒品は忘れて持せず
学すべき律義は廃して好むこと無し
諸佛の厭悪したまう所を慚じず
菩薩の苦悩する所を畏れず
遊戯笑語して徒らに年を送り
諂誑詐欺して空しく日を過ぐ
善友に随がはずして癡人に親しみ
善根を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ
勝徳の者を見ては嫉妬を懐き
卑賤の人を見ては驕慢を生じ
富饒の所を聞いては希望を起す
貧乏の類を聞いては常に厭離す
故に殺し誤って殺す殺す有情の命
顕はに取り密かに盗る他人の財
触れても触れずしても非凡行を犯す
口四意三互に相続し
佛を観念する時は攀縁を発し
経を読誦する時は文句を錯る
若し善根を作せば有相に住し
還って輪廻生死の因と成る
行住坐臥知ると知らざると
犯す所の是の如くの無量の罪
今三宝に對して皆発露し奉る
慈悲哀愍して消除せしめ賜え
皆悉く発露し 尽く懺悔し奉る
乃至法界の諸の衆生
三業所作のかくの如くの罪
我皆相代って尽く懺悔し奉る
更にまたその報いを受けしめざれ

本当に読んでいると頭痛いね。。。。
分かっていても分かっていない事の多さよ。
そして自分自身のハードルを低くしている事の言い訳の多さよ。

出来ると思っていてもいざとなると出来ない事
とっさにできた事
普段如何にして生きているかでその時の己にとっての最良の選択を目の当りにする。

何も出来ない、出来ていないやないか、
それを感じる事ができるのがせめてもの救いでもあり憂いでもあり

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2007-12-29 大きな学びになった事

あなたが大切な人を失った時に流す涙は、
本当に大切な人の為ですか?
大切な人を失った自分自身を悲しんでの涙ですか?

この文章、悲嘆に対して勉強していて大きな学びとなった。
今年の前半はグリーフケアについて色々と勉強していた。
そして宗教者として死と関わる事の大切さと残された者への悲嘆の緩和について如何に取り組むべきかを模索するきっかけにもなった。

祈祷にも色々と勉強して取り組んだ。
行法に関してもそうやけど、如何にして依頼者の心を安息へと誘導するか、根拠のある安心を得ていただくか。。。。

特別に口が上手い訳でもなく、話が上手な訳でもない。
歳相応でいうと話術はかなり劣る方だと自分では感じる。
おまけに人付き合いはかなり悪い(^^ゞ
ホンマ今専業でお寺を維持しているのは限りなく奇跡やわ。

友人には本当にお世話になった。
最後の最後に大きな経験と勉強と宿題を与えてくれた。
おそらく遺族とは疎遠になってしまうだろう、
友人そのものとも手紙やメールだけのやりとりで10年以上会っていなかったのだから。。。

そんな友人が出会って間もない頃に私に言った言葉

「あんたは他人から見て好き嫌いがはっきり分かれるタイプやわ、しかも『むちゃくちゃ嫌い』か『好き』かのどっちかや!」

これを聞いた時にすごく楽になったのを覚えている。
あ〜でも友人はどっちとして接してくれてたんかなぁ。。。。
他に冗談交じりに「もしお前より先に死んだら・・・」ネタもあってんけどね(笑)

まぁいずれ黄泉の客になった時に出会う事があれば
「お前だけ若くてずるいやんけ!わしこんなに老けたのに!」
と言ってやろうかと思っている。

話がそれてきたけど本題もないか・・・(^^ゞ

色々と今年はやらかした年やったな。
いい縁、できれば遠慮したい縁、色々と縁もあった年やったな。
勉強する事が多い年でもあったな。
これからも勉強する縁を多く持ちたいって思うので、もう少し頭も利口になりたいものだ。

来年は・・・・って言う前にまだ僅かに残る今年、確実に踏みしめたいものだ。
なんせまだまだやり残している仕事があるんやもん。

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2007-11-13 研修会

鰻を焼く時には2本の串をさして丸まらないように焼く
そして串を外しておいしい鰻だけにして料理を提供する
串は美味しく焼く為の手段である
串がしっかりしていないと美味しい鰻が焼けない
鰻と串のいい関係の上で焼かれている

教理は串であるそうな、
その串を生かして如何にして美味しく題材を料理をするか、
そこが坊さんの腕の見せ所といったところか。。。。

坊さんは串についてとかく語りがちではないだろうか?
串をみせて鰻の美味さを説いても理解はされないし、
串に刺さったまま出されてはそれはそれで食べにくい。

美味しい部分だけを食べさせて実はそこに真実がある。
そう感じ取らせる事って難しいやんなぁ。。。

布教師研修会ってのに参加している。
2晩の泊り込みでの研修会だが日帰りで参加させていただいているその1日目。
3日目は檀務があるので欠席にした。

そこでの講演でこの話を聞いたのだ。
話が面白いというか、わかりやすくて船を漕ぐ事もなく聞き入った。

ああ、坊さんはホンマ話が上手やなぁと思う事しきり、
私も坊さんやねんけど言葉に詰まるというか鳥頭やからなぁ。。
あたりまえをあたりまえに話す事ができる、そうなりたいね。

人の話を理解する能力がかなり落ちている気がする今日この頃。。。。
耳からこぼれ落ちない様に片方の耳を塞いで話を聞こうかしら?
その方が聞えにくくて余計にわからんようになるか、あははは。

それでも非社交的な私でも実践ワークの中で何人かと会話を楽しむ事ができた。
さすが布教を研究しているプロやね、上手に考えておられる。
せっかくのご縁やもんね、一期一会かも知れへんし愉しむのがええね。

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2007-11-10 追えば追うほど遠ざかる

夢は追えば追うほど遠ざかり、
実現したいとあがけばあがくほど遠ざかる。
目線を変えたら夢と並行にもがいていた・・・・なんて事も起こりうる。

目標が出来た時点で方向が見失われる事だってある。
目標にとらわれるあまりに目標に至る過程を誤ってしまうなんて事も。
だから目標という「とらわれ」に目を奪われずに今の自分自身あるがままであれと・・・・

私の師僧は「男のロマン」と言う表現で物事を進めていく時があるそうだ。
歩んでいる方向が間違っていなければロマンの後から実現が伴ってくるのだろう。
それは私自身すごく実感している事がある。

私が今のお寺に来た時、それは「すごい」状態だった。
荘厳という言葉が裸足で逃げて行きそうな・・・・・そんな感じだった。
師僧に言われたのが「とにかく掃除しろ」だった。
この掃除ってすごく大事な事だと思う。
やはり掃除すら出来ない人に立派だと思える人はいない。
ついでに言えば、本堂の掃除をせずに誰かにさせている住職にろくなのはいない。
自分が手を合わす道場すら奇麗にできないでよく人にモノが言えるもんやね、私には理解できひん。。。

とにかく掃除して少しずつ荘厳も整えていった。
掃除をするという事をしなければ今の状態はありえないと断言できる。

何かをやろうと思った時、まず足元の掃除から始めたらいいと思う。
遠くの目標に向かう時ほど足元をしっかりみつめておかなければと思う。
その目標に向かうに足る足元になってますか?

自分自身が体験して実感して思うこと、理屈はええから掃除機でもあてぇなぁ。。。


現在幾つかの計画を立てて行動に移しているのだけれども、
本堂のムダな増築部分と倉庫を撤去する必要が出てきた。
建てるのもさることながら撤去にもそれなりのお金がかかる。
男のロマンで押し切ってやってしまいたい反面、石橋も叩いて渡りたい。。。

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2007-11-08 あるがままなり

多くの抱え込んだ物を全て捨てれば楽になる。
選り好みをすればゴミが増える。
「たい」が増えれば欲の垢が溜まりだす。
理屈の中で心が遠ざかる。
ただ手を合わせてそっと沈黙する一瞬。。。。

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2007-10-13 何処へ

私の親族の法事の時に呼ばれた坊さんの話
「私は一言一句はっきりと唱える事を大事にしています」
言葉の大切さを伝えたかったのだろう、そこに至るまでの話は結構良かった。
「今日の読経でもそれを実践しましたが、はっきりと唱えていませんでしたか?どうでしたか?」
と問いかけてきた。私は一気にしらけた。
当時中学生位の私だったが、坊さんは20代後半の若い方だった。

日々が勉強じゃ修行とか、読経ははっきりと唱えるとか、当たり前の事を人前で言いなさんな。
それができて当たり前で坊さんなんやろ?

「いつもは美味しく作ってるんですが、今日は美味しくないです」
って言い訳しながら料理出す料理屋があるか?

。。。。。。。。。。。

若くして娘さんを亡くされたある一家がおられた。
父親は博学な方で自分の宗派の教えの説かれている文献を読み漁っていた。
菩提寺の坊さんが来る度に色々と質問攻めにしていたそうだ。
仏教を学ぶというよりは娘を失った悲嘆を緩和する為の行為だったろう。
自分が分からない事は納得できない。
誰も知らない事を「そうである」と言う坊さんの言葉に根拠が見出せない。

我々は一般論(と言っていいのかわからないが)で人が死んだらどうなる?と言うのを理解している。
三途の川や極楽や地獄、源信の往生要集やら色々な文献が存在する。
でもそれが真実なのかは誰も知らない。
死者が行く道として説かれた話を淡々と多くの坊さんは話す。
仏式の場合は葬儀で出家得度させてから僧侶にして仏の世界に送る。
客観的視点でまだ観ぬ知らぬ世界を我々は語る。

私はそんな一家とと話をしていたが、

「それで娘は今、何処にいる?」

遠い目線で向こうの部屋の天井を見つめながら父親はポツリ言った。
私は言葉が繋げられなかった。
私には重たい言葉だった。

心の中にいている。。。。。でも。。。
人は親離れ・子離れの時期が来るように、あえて突き放さなければならない時期がくるのだ。
目の前から突然いなくなった我が子をさらに突き放せ。。。。。
そうする事によってやがて死者と生者は適正な距離を保って歩めると思う。
距離を思うのは他ならぬ生きる者の心の中での事であるが。
家族の立場を想うと言葉を失っていく、第三者な視点も必要ではあるが。


ふと子供の頃の事を思い出した。
私はまだ幼稚園前か園児ぐらいの頃の話だ。
曽祖父が逝去したのだ。後にも親族の不幸があったが曽祖父のそれは強烈だった。
「人が死ぬとは?」これを軸に幾つかを考え続けて今に至る。

まぁ、答えを求めていないかも知れない(笑)
迎えが来た時に私が私で答えを体験するのだから。

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2007-10-08 コピペ

十七条の憲法現代語訳
第1条 お前ら仲良くしる
第2条 仏様とお経と坊さんは大切にしろよ
第3条 天皇陛下の詔勅は謹んで受けろ
第4条 役人は礼儀と身分をわきまえろ
第5条 人を裁く奴は賄賂とかに惑わされんなよ
第6条 DQNは叩け。いいことしろ
第7条 役人はちゃんと自分の仕事をしろ
第8条 役人は朝早く出勤して夜遅く帰れ。きっちり定時なんかに帰るなよ
第9条 信用は大切だぞ
第10条 他人が何か間違ったことしてもあんまり怒るな
第11条 功績や過ちはハッキリさせて、賞罰とかその辺きっちりさせろよ
第12条 役人は住民から搾取しちゃダメだろ
第13条 役人ども、おまいらは同僚が何やってるかはきっちり知っておけよ
第14条 役人は他の市とかの方が給料高いからって妬んだりすんな
第15条 役人どもはてめー財布のことばっかり考えてないで国のために働け
第16条 国民に何か課すときは、必ず時期とか空気読んでやれよ
第17条 重要事項は会議して決めろ。ひとりでコソコソやんなよ

なんとなく笑えた。。。。

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2007-10-01 行き先は

人は何処から来て何処へ行くのか?
文明や科学が発達したとてそれは誰にもわからない。
一大事とて宇宙規模で見れば小さい事と捉えてしまう。
先ずは目の前にある事をしっかりと見つめて踏みしめていくとするか。。。

何かとドタバタしてるけど空回りな感じも否めない今日この頃。。。。
疲れるほどにはなんもしてへんしちょっと中途半端な時期にいてるなぁ

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2007-09-27 彼の岸より我は来た

何時も同じ時期になるとやって来る僧侶がいた。
何処から来たのか?と問いかけると
「彼の岸より此の岸に来た」とだけ言った。
いつしか人々はその僧侶が来ると
「彼岸が来た」と言ったそうだ、それが「彼岸」の語源だと言う。

その根拠や真偽は私も知らないがそんな話を聞いたことがある。
彼岸になると彼の岸におられるご先祖を想い、お墓にお参りに行ったり、僧侶に回向を頼まれる家もあると思う。
ウチの檀家さんでも英霊のおられる家を中心に彼岸のお参りにお伺いする習慣がある。
先代住職時代に始めた習慣らしいが、世帯主の世代交代と共に激変してお参りに行く件数は現在はさほどない。

今年は時間的に余裕があるのもあるが、結構お参り後の世間話なんかも楽しんでいる。
農家の方が多いので作業中に仏間にお邪魔して済めば一声かけて帰る事が多いのだが、この彼岸は結構雑談をさせていただいている。

法事での法話もかみくだいた内容でさせていただいている。
檀家さんの中ではウチが真言宗だという認識のない方も多い(^^ゞ
簡単に覚えてもらいやすい、しかも法事なりの仏事を勤める行いが尊い物だと感じていただけるように。。。。
思いは先行するが難しく試行錯誤の連続だ。

今日も自転車で法事や彼岸のお参りに出かけた。
お寺に戻った時にはカゴが頂き物で一杯になった。

おまつりは神仏と人間との「間」を吊り上げる事だとも言う。
おまつりによって神仏と人間は一緒になって融合するのだ。
共に食事を愉しんだりして時間を共有する。

坊さんも檀家さんとの間にある「間」をちょいと吊り上げて、
神仏に親しんでいただける空間や時間を提供できる存在であればと思う。

「この前の話を聞いて醍醐寺に行ってみたくなって、行って来た」
そう檀家さんに言われた時、結構嬉しかった。
観光旅行であってもどこかの寺院に参拝して灯明をお供えした時に、
「この前の話を思い出した」
とか思い出していただけたらありがたい。

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