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あやこの「週刊(?)しりとり雑記」

おはようございます。冬眠している間に一つ年まで取ってしまいました。
20代最後の一日一日をかみしめつつ・・・ふふふ
かんから館HP

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2003-06-06 しりとり 5:眼鏡(めがね) 2002/Oct/11(Fri)
2003-06-06 しりとり 4:米(こめ) 2002/Oct/10(thu)
2003-06-06 しりとり 3:冷蔵庫(れいぞうこ) 2002/Oct/9(Wed)
2003-06-06 しりとり 2:トイレ 2002/Oct/8(tue)
2003-06-06 しりとり 1:嫉妬(しっと) 2002/Oct/7(Mon)
2003-06-05 初めまして


2003-06-06 しりとり 5:眼鏡(めがね) 2002/Oct/11(Fri)

 眼鏡(めがね)
私はどちらかというと視力のよい方である。今はたぶん1.2くらいだと思う。高校生までは驚異の視力2.0(これ以上は測れないの)あった。その頃は本当に何でも見えた。すごく遠くにある道路標識や遠くの方の看板、ちょっと離れたところの広告のPOP内容など特に見えなくてもいいけど、まぁまぁ便利だった。クラスメイトには「野生児やで」と言われたし自分でもサバンナでも生きていけるかもとか思って楽しかった。あのころに比べると確実に視力は落ちている。でも日常生活では十分目のいい人である。親に感謝しておこう。
だから私自身が眼鏡のお世話になったことはない。しかし私は眼鏡と聞くと「ムフフ」と思ってしまう理由がある。

私は眼鏡に弱い。というか「眼鏡君」に弱い。しかもずっとかけているのではなくて「たまにかける眼鏡」これにメチャメチャ弱い。普段は裸眼やコンタクトでいる友人や知り合い(男の子)がいたとする。そんな人が何かの理由でたまたま眼鏡をかけていた。「くらり」である。フラフラと近づいて「すき・・」と言ってしまいそうになる。
しかもどうやら私は「視力の悪い人特有の目つき」これにも弱いようだ。
眉を少しひそめてまぶたに少し力をいれたあの感じ、よく視力の悪い人が「めつきこわいって言われる」っていうあの独特の「めつき」。何かクールで格好いいと思いません?さわったら切れそうな感じ。「う〜ん。たまらんなぁ」

実際今まで好きになったり、いいなと思った人の90%くらいは視力が悪い。
そのうえ「ひとえまぶた」なら完璧である。ごく個人的に断言するならば「ひとえまぶた」の男の人の方が「格好いい!」さらに目つきが悪くなって「目力:めぢから」が出ているような気がする。
かといって別に私はものすごく恐い顔が好きなわけではない。普段は優しくて、眼鏡もかけていなくてそんな人がふと見せる「クールな目つき」や、時折かける眼鏡によわいのだ。やっぱり恋ってギャップから生まれるのよね・・・・

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2003-06-06 しりとり 4:米(こめ) 2002/Oct/10(thu)

 米(こめ)
言わずと知れたアジアの主食である。こういう文章を書こうとすると見慣れているせいか「米は日本人の主食である」と書きそうになる。「日本人の主食は米である」と書くならまだしも「米は日本人の主食である」という文面を見るとなんだか「ん??」という感じがしてならない。だって韓国も朝鮮も中国もタイ、ベトナム、香港・・・等々米を主食にしている国はたくさんあるのだ。何かこういうところに「単一民族国家なのだ。ガハハハハ!」という「くそくらえの理念」がちらっと見える気がして胸が悪くて「おえっっ」となる。(まぁ、私の気の回しすぎ、考え過ぎなんだろうとは思うけど)そういう点から見て私の大好きな表現がある。ずいぶん前の炊飯器かお味噌かなんかのCMで女優 三田佳子の言っていた言葉「お米の国の人だもの」というやつである。
この表現はいい!なんだかアジア全体を柔らかく包む感じで、お尻に蒙古斑のある人たちみんなが兄弟や家族みたいな感じに思えてくる。

直接は関係ないがこの「お米の国の人だもの」を体感したことがある。
大学生の頃仲良し4人組であこがれの海外旅行「グァム」に行った。(私も何年か前までは女子大生だったのでぃす)といっても沖縄に行くよりも安かったからという庶民的な理由からグァムに決まったのだけれど・・・。調べてみると「グァム」は東南アジアに位置していた。てっきり「ハワイ」の隣くらいにあると思っていた無知な私は少なからず驚いたのであった。飛行機に乗って3時間。あっという間にグァムに着いた。食事の全くついていない貧乏ツアーであったため、ガイド本片手にいろんなものを食べまくった。具がた〜っぷりと乗ったピザ、これぞアメリカ領!ってかんじのTボーンステーキ、BBQチキンを頼んだら鶏が半分出てきた。旅も三日目になり占領主アメリカの物ではなく地元のことも知ろうということで現地「チャモロ人」の経営する「チャモロ料理」のあるレストランに行くことになった。メニューを見ながらあやしい英語で何とか注文をすませた。私の頼んだ物は「EGG NOODLE」たまごめんである。出てきた料理はベトナムのうどん「フォー」とインドネシアの焼きそば「ミーゴレン」の間くらいの汁っぽい炒め麺状の代物であった。初めてのものを食べるときの「興味」と「おそれ」の混じった独特の興奮状態の中で私は一口目を口に運んだ。味わったその瞬間私は思ってもみなかった不思議な感情にとまどった。なんと泣きそうになったのである。その麺が特別おいしかったわけではない。懐かしい味がしたのだ!高級料理には出せないお母さんの味のようなそんな「ほっとする味」がした。もちろん食べたことのない初めてみる料理だったのにもかかわらずだ。後の三人も同じ事を感じたらしく少しニヤついてから後は一言もしゃべらず食べ続けた。すごく不思議な体験だけれどそのときに思ったのだ。
あーやっぱり「お米の国の人」なんだなぁ・・・と。

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2003-06-06 しりとり 3:冷蔵庫(れいぞうこ) 2002/Oct/9(Wed)

 冷蔵庫(れいぞうこ)
三年ほど前に冷蔵庫を買い換えた。一人暮らしを初めてちょうど二年くらいたった頃だった。訳あって今まで住んでいたところに私が残るという一人暮らしだったため、電化製品はもう全体的に古くなっていた。その冷蔵庫は私が生まれた頃からウチにあった年代物で上が霜がいっぱいつく冷凍室、下が冷蔵庫という昔ながらのシンプルな物だった。壊れてもいないのに買い換えられるほど余裕があるわけもなくその冷蔵庫は夏を前にして突然壊れてしまったのである。仕事から帰りドアを開けると冷蔵庫特有の低いモーター音がかなりの音量でうなっていた。「ん?」と思い近づくと冷蔵庫はなぜか大量の「おもらし」をしていた。よく見るとどうやら冷凍室の方がおかしくなったらしく霜が大量にはり、その霜が押す格好でドアが開きその霜が融けていたのだった。私はとりあえずその霜を割りもう一度ドアを閉め直ってくれることを祈った。しかし次の朝私は大きなモーター音で目が覚めた。冷蔵庫はまた大量に「おもらし」してくれていた。冷蔵室の方のドアを開けると冷風どころか生暖かい温風が出てきた。こうなったらもうダメである。私は観念して電気屋さんへと向かった。

どうせ買い換えるなら今の物よりランクアップさせないと気が済まない。私は何でも冷凍保存しておく方なので冷凍室と容量にこだわることにした。
まずは容量。絶対に今ある物より大きくないといけない。一人暮らしには無駄かもしれないが250Lは欲しい。
次に冷凍室。これにはこだわりがあった。ホームフリージングをするために「急冷アルミ板」がついていること。あこがれの「引き出し式」冷凍室であること。私にとっては一番使う場所なので、真ん中についていること。
この条件を満たした上で予算に見合う物ということになる。
一番苦労したのが意外にも「真ん中に冷凍室」であった。普通は「野菜室」をもっともよく使うらしく上から「冷蔵室」「野菜室」そして一番下に「冷凍室」という作りになっていた。(その頃の流行らしかった)「野菜室なんか一番下でえーねん!」と思い、いろいろ見て回ったがどうやらそのタイプが主流だった。しかしどこの世界にもちょっと変わり者がいるもので「SANYO」と「富士通」だけは「真ん中冷凍室」を守っていた。
「エライ!!」と心の中で賞賛しつつ「SANYO」の270Lを選んだ。

あれから三年、このあいだ電気屋さんの冷蔵庫売り場を何気なくのぞいたら、「真ん中冷凍室」は「SANYO」の一機種のみになっていた。とうとう時代の波に押されてしまったのね「SANYO」さん。でも一機種だけでもいいからどうか次の買い換えの時まで守ってねと願う今日この頃である。

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2003-06-06 しりとり 2:トイレ 2002/Oct/8(tue)

 トイレ(toilet)
私はトイレが遠い。もうむちゃくちゃ遠い。沖あい5キロってなくらい遠い。(なんのこっちゃ)少ないときは朝、夕、帰宅後の三回くらいである。こういうときは大抵、よく知らないところに仕事ややむを得ない事情で出かけたときにこうなる。安心感がないと出ないのである。引っ越したときはしばらく家ですらなかなか出なかった。嫁入り前の乙女の書くことではないが文字通り「出ない」のである。便秘ではない「液体」がでないのである。

もう「出そう」と思えば思うほど緊張してどこかへ行ってしまうのだ。今から思えば子供の頃からそうだった。風邪などで病院に行くと大抵「検尿」がある。名前の入った紙コップを持って母が言う「あやちゃん。お願いやから今日ははよしてやぁ」この言葉は大体裏切った。母は私にリンゴジュースの紙パックを持たせ目から「飲め〜飲め〜、出せ〜出せ〜」光線を出していた。その光線を浴び二本目のジュースを飲みきって頃になってようやく私はトイレに向かうのだ。しかしここで安心してはいけない、最後の難関が待っているのだ。トイレに他の人が居ると「出ない」のである。隣の個室に人が入ってしまうともうダメだ、気が散って「出ない」さんになってしまうのだ。
そんなこんなで検尿だけに一時間半から二時間もかかってしまっていた。大人になってからは「今は無理です」と断るか病院に行く前からトイレを我慢しておきいつでも出るようにしておくようにしている。

この「出ない」さんはなにも病院に限ったことではない。先日ドライブの途中でどうしてもトイレに行きたくなりコンビニに寄ってもらった。トイレのドアには「トイレはレジに一声おかけください」という張り紙がしてあった。私はここで店内をぐるりと見回した。店員さんチェックである。もし店員さんが全員男の人ならばもうそのトイレでは「出ない」。ぐるりと見回すと店員さんは女の人が二人、ビンゴである。レジに一人とお菓子売り場に一人、ちなみにお客さんは男の人ばかり7、8人。レジに行こうとしたがお客さん(男)が並んだのでお菓子売り場の店員さん(18才くらい)にコソコソと「あのぉ、トイレ借りてもいいですか?」と聞いた。するとその店員さんはなんとレジに向かって大声で「トイレお願いしまーす」と言ったのだ。どうやらレジにトイレのドアを遠隔操作する鍵があるらしい。しかしレジの人は接客中で聞こえないらしい、お菓子売り場の店員さんはさらに大きな声で「トイレお願いしま〜す!!!」といった。レジの人が鍵を開けてくれるとその店員さんは事もあろうに私に向かって「トイレどうぞ」と言ってくれた。
もちろん私が「出ない」さんになってしまったことは書くまでもない。
コンビニの店員さんよもうちっと気を使ってね。

何でもないトイレの話である。

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2003-06-06 しりとり 1:嫉妬(しっと) 2002/Oct/7(Mon)

*はじめに*
ムフフ。やってしまいました。とうとう日記を開設してしまいました。
これで私も立派なかんから館の一員です。表題にもある通りこの日記はしりとりに沿って続けて行くつもりです。
 私なりのルール
  1、しりとりでタイトルを決める
  2、「ん」がついたら一つ前の文字と足して二字で続ける
    「きりん」→「りんご」ってな具合に
  3、楽しくやる
  4、出来るだけ毎日書こう
では、末永いおつきあいを・・・

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 嫉妬(しっと)
急にどうしても日記が書きたくなった。理由は簡単である「嫉妬」したのだ。
かんから館で「各人HPを持とう」と決まってから一ヶ月、私はどうせやるならちゃんとしたHPにしようとたくらんでいた。タイトルからサブページ、レイアウトまでそれなりに考えていたのだ。でもいかんせん根が無精なもので考えるだけで実行には移していなかった。そんな風に私がだらだらと日常を送っているうちにチャンとGANちゃんが日記を立ち上げていた。しかも面白かった。芝居であれ何であれ根は同じ表現者である。彼らは私がボヤボヤしている間にヨノナカに自分を表現していた。最初は笑って読んでいたけれど途中からフツフツと私の中の「表現したい欲」が頭をもたげ、最後にはひきつっていた。「クソッ。私かて書いたるわい!」これがその結果である。

余談だけれど・・・
チャンの「カラス日記」読んで泣いてしまった。
別に「つらかろう、かなしかろう」なんて偽善的な涙ではない。
彼はそうやって自分の過去を表現することで言葉にすることでチャンキルスのアイデンティティーを世間に知らしめることが出来る。その漠然とした事実がうらやましかった。何か悔しくて泣いた。「嫉妬」したのだ。私にだって語りたいアイデンティティーがある。私にだって笑い飛ばしてしまいたい過去がある。ただ彼の様にストレートには書けない。何故なら母が悲しむであろうからだ。私が書けば母は「私のせいだ」と悲しむだろうからだ。まぁ、母がインターネットできるとも思えないけど・・・。
でもきっと近いうちに、そんな様な事書いちゃうんだろうなぁ。だって書きたいんだもん。だから、最初に謝っておこう「お母さんごめんなさい。大好きです。」

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2003-06-05 初めまして

はじめまして。あやこです。

どうしてもレス機能が欲しくって他日記から乗り換えしてきました。
あとに続いている17の日記は去年の冬に書いていたものです。
どうしても続きから書きたいので移植しました。去年のものなので季節感がおかしい日記もありますがどうぞお許しを・・・

それでは皆様に愛されるよう願いつつ☆

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