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日々徒然日記


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2005-04-04 そりゃもう大騒ぎ その1
2005-04-04 そりゃもう大騒ぎ その2
2005-04-03 シュトゥットガルトの通り魔 3日の日記、その2
2005-04-03 すごいよなぁ 3日の日記、その1
2005-04-03 もーりへーいきーましょおお(笑) 3日の日記、その3
2005-04-02 Ich bin froh. その1
2005-04-02 Ich bin froh. その2
2005-04-02 Ich bin froh. その3
2005-04-01 切ねぇ
2005-04-01 切ねぇ・その2


2005-04-04 そりゃもう大騒ぎ その1

ごきげんよう、ヤマダです。

 最近、大熊猫の顔を見るよりテレビの画面を見ている時間のほうがはるかに長い生活を送っているのですが(苦笑)、ま、大騒ぎです。

とにかく世界中から、(カトリック教徒だけではなく)死んだ法王に最後の挨拶をしに訪れる人が殺到。ホテルやレストラン、タクシーは高騰。っーかむしろ空き部屋なし。無論トイレも十分な数がないので、仮設を必死こいて設置しているそう。しかも法王の遺体に挨拶するために並ぶ人は、サン・ピエトロ広場に5時間とか6時間とか待たねばならず、日射病で倒れる人もいるので、水を配ったりしているらしい。

ドイツでは、ミュンヘン経由してローマに入るのが一般的らしいのですが(ちなみにドイツ人はローマが大好きだ)、もうイースター休暇は終わったので、時間がかかる陸路よりは、やはり飛行機でひとっとびしたいのが人情。しかしチケットを求める人が多くてもうたいへん。ルフトハンザは『お葬式特別割引チケット』などを売り出した模様。

ま、なんて言うんですか? 世俗ってのが悪いとは言わないけど、でももう、法王はローマにいないと思うな、こんなありさまだし(激しく謎)。

ま、法王自身のことにつきましては、4日の火曜日、夕方17時に『法王の遺体は崩御から2日たった日に、遺体が安置されているクレメンティーナ広間(日本語でなんていうか知りません)から、聖ペータース寺院(サンピエトロ寺院というのだと先ごろ気がついた)に、移「されねばならぬ」』という決まりがあるらしくて、世界各国から集まった枢機卿の皆様(とてもエライ人。いわゆる「緋の衣」っつーくらいだから赤い服を着ている)が聖人の名前を詠唱していくのに先導され、お人形のようなスイスガードに守られ、10人くらいの黒の礼装に身を包んでおいちゃん(若いものいた)に担がれた、なんて言うんでしょうか、赤い板(正しい名前を知りたい人は自力で調べましょう、爆)に乗せられて、それはそれはしずしずと移動していったわけです。

サン・ピエトロに移動するためには、広場(つまり野外)に出ねばならず、『その瞬間』を集まった人々が今か今かと待っていたわけですがね。

なんて言うんでしょうかね、クレメンティーナに遺体が安置されていたときは、別に悲しくもなかったんですが、赤い大に、赤い法衣を着た法王が横たわり、それはそれは静々と進んでいくところを見ますとね、やっぱり何だか、胸にくるものがありますな。

故あって家で見ることが出来ず、慌ててテレビの見られる電気屋に行って、大画面でソファーに腰掛けながら見たんですがね、正確には測ってませんが、大体30分弱かけて、法王の遺体はサン・ピエトロに運ばれたわけです。 続く

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2005-04-04 そりゃもう大騒ぎ その2

法王の遺体が広場に出てくると、集まった人たちが伸び上がって遺体をカメラに収めようとしていまして(笑)。携帯で撮ろうとしている人がいたのは当世風ですが(ヨーロッパは先進国ではないので(爆)、携帯、パソコンなどが2世代遅れています)。

サン・ピエトロに入る直前、台を担いでいた人が方向を変え、広場に集まった人々に遺体を見せるようにしばらく静止してくれましたが、ま、これは親切だったと思います。

しかしまあ、悲しいのは悲しいんですが、あの模様はカトリックの『様式美』っつーのの極地でございましたね。たぶん中で一番エライ役目を担っていたんだと思う、『妙齢のお年寄り』ほか3名が、赤に黄金の刺繍のべったりついた、それはそれはスンバらしく豪華な法衣を着てまして。『貧しい人たちの神』という言葉とは大層かけ離れた、スンバらしく豪華な行列だったわけです。何せあなた、普段はそれはそれはおえらい枢機卿の方々が、『その他大勢』となり、ゾンロゾンロ先導して歩くんですから。

そして、サン・ピエトロの真ん中、多分『ペテロのお墓』があるところ(つまり地下だな)に下がっていく階段の前に、祭壇がしつらえてありまして、その前に法王の遺体は安置されたわけでございます。違ったらごめん、何せあたし、1回行ったことがあるだけなんです(汗)。

赤い法衣に包まれた法王を中心にして、祭壇、枢機卿などが配置され、それはそれはあなた、『はいすみませんごめんなさい』としか言いようのないほどの様式美。ああ、これがカトリックだよな(爆)。中身なんてどうだっていいというかなんというか(更に爆)。いや、褒めてるんですが(爆)。

なんていいますかね、ドイツの放送では、そりゃあもうしつこく、『カトリックの法王だからじゃない、亡き法王のすばらしい人格に人々は感銘を受けているのだ』とくり返す人が多いのですが(笑)、ま、亡き法王が愛されていたからといって、それはカトリック教会が愛されていたということには『全く』ならない、という、教会にとっては厳しい現実があるわけです。

何十万人もの人がローマを訪れているというニュースを話したら、知り合いのプロテスタントのおばあちゃん(カトリックが大キライ)に言わせると、『カトリックのプロパガンダよ!! あいつらはいつだってそうだ!!!』と大層怒っておりましたが、ま、現在教会が法王の死をプロパガンダに利用していることは明らかだと思うわけです。

何でしょうか、あたし罰当てないで欲しいんですが(ここら辺が小心者、笑)、法王のしたこととか、人柄ですか、表情とか、そういうものを散々テレビで見た後で、あのような壮麗な『様式美』を見せられると、そりゃああの人はカトリックの法王で『神の代理人』であったわけなんですが、何だか、そぐわないような気がするのよねぇ。っつーか、簡単にいったら何ですか、『なんかムカツク』(激爆)。

法王の故郷、ポーランドが『遺体の一部が欲しい』もしくは『遺体をポーランドに(一時的にしろ)安置させて欲しい』と言ってきているそうです。確かじゃないけど、キリストが初代法王のペトロに『あなたの上に私の教会を立てよう』といったという故事に習い、法王っつーものは、亡くなったらサン・ピエトロの地下に埋葬されるのが慣例なんだと思いますんですがね。ま、ポーランド人の法王に対する思いったら、格別なものがありますのでね。

法王はどうしたいんだろうかね?

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ヤッホー、スズキ君。心臓が欲しいのはポーランドの方々でございまして、法王はどうしたいかは知らない。ま、埋葬すんだのでそれはないんじゃないのかね? / 山田寅次郎 ( 2005-04-11 01:10 )
「法王」が、自分の心臓を故郷に、と言っていたと何処かで読んだのだが。ただし、そのソースが正しいかどうかは謎。 / スズキくん ( 2005-04-07 19:53 )

2005-04-03 シュトゥットガルトの通り魔 3日の日記、その2

ごきげんよう、山田寅次郎でございます。

全国的に日曜日の本日、私はやはりテレビに釘付けでございます。
んでもって、ヤマダ的に最近のテーマのヨハネス・パウロ2世(イタリア語で、ジョヴァンニ・パオロ、というらしいのを知って、腰が抜けるほど驚いた)なのでございますが、多くの人が言っていることですが、『私は悲しくない』。確かにあたしも悲しくない。ただ感動しているだけだっつー感じなんです。あとなんだな、寂しい。まあ、なんてったって、彼は満足して安らかに死んだわけですし、キリストのところに行くのに悲しいことなんてないんだろうと思ったりするわけです。大変な成功を収めて天国に凱旋した、と、そんな感じだと思うんですが。ま、それはいいとして。

今さっき入ったニュースによるとシュトゥットガルトのエヴァンゲリッシュ(プロテスタント)の教会で、ミサの最中、『それはそれは若い男性』がいきなり周囲の人を『ザムライ・シュヴェールド(サムライ刀)』でもって切りかかり、少なくとも1人が死亡、何人かが負傷した模様。もちろん犯人は警察に捕縛されました。

っつーか割とよく聞く言葉なんですが『ザムライ刀(ドイツ語はSが濁るので、ちなみにSUZUKIなども「ヅツキ」と発音したりする)』って何だよ(汗)。いや、言うまでもなく日本刀のことなんですが、君たちの言葉で言ったら、『騎士の剣』っつーくらいの意味だぞ? 響きがかっこいいのはわかるけど、ちょっと違うような気がするんですがあたしは。

とにかく、その犯人がどのような理由で、教皇が死んだということが原因で、犯行に及んだか、ということや、事件の詳細は今のところ全く不明。電波系か?
全く、事件のネタに尽きないなぁ。

それはさておき、大熊猫が『法王関係の番組だと、(コメントする人が、大体教養ある人ばかりだから)、ドイツ語が綺麗でいいわね』と言っております。確かに、大変綺麗なドイツ語で聞いていても疲れない、っつーかあたしが聞き取れるんだからたいしたもんだ(あたしはキレイなドイツ語しか聞き取れない。いやマジで)。

しかも、今ヤマダと大熊猫は大変な事実を発見いたしました。っつーのは、

ヤマダ『この水を飲んでいる法王の横顔(結構年をとっている)、パンダに似てる(激爆)』
大熊猫『…だからこんなに法王が好きなんだ!!』


結局それかい、あたし(ガクリ)。

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2005-04-03 すごいよなぁ 3日の日記、その1

こんにちわ、ヤマダです。

 イタリアはもちろんだと思いますが、本日、ドイツは亡くなった法王の死を悼み、半旗を掲げております。

んでもって、只今ライヴで、亡くなった法王の安置された遺体にお別れする皆様の模様を放送しているのですが。

いやー、死んでいる人の顔をしてるなぁ、と、当たり前なんですけどね、思ったわけです。

まあでも、こういう言い方が正しいのか知りませんが、『栄光の死』だなぁ、と、ひしひしと思ったわけです。スンバらしい教会の中で、お人形のような衛兵に護られて安置される法王の遺体に、次から次ぎへと跪いて十字を切っていく枢機卿やらシスターやら高そうな背広を着た明らかに偉そうな方々やら。

ここいう言い方がいいかは知りませんが、大層華やかでございます。
昨日、まだ法王が生きていたときに、一緒に話をしたばあちゃん(プロテスタントなので、カトリックを目の敵にしている。苦笑)が、『あの人たちはいい暮らしをしていたじゃないの。でも貧しいままで生きて、貧しいままで年をとって死ぬ人はどうなのよ』といっておりましたのですが、確かにまあ、そういえんこともない、のかもしれないけどさ。

あえて言わせていただくと、『それがカトリックだからさ』としかいいようがないよなぁ。きっと今度遊びに行ったら、そのばあちゃんあたりが『虚飾』とかいいそうだけど(笑)、法王は何せ教会の象徴だし、ヴァティカンは神の国の栄光の象徴だし、そりゃあ、キンキラキンで『なくてはならぬ』と思うんですけどね。ま、それは別の話で。

キューバで国葬が行われるとか何とかいってるし、ゴルバチョフやダライラマはじめ、いろんな人たちが追悼の意を表明していて、彼がしたこととか何とかを見ていると、その『キンキラキン』ってのも、なんだかあんましそぐわないような気もするけど、ま、何せ『カトリックだから』。

法王の最後の言葉は、『アーメン(お祈りの最後にとなえるもので、「そのようになりますように」という意味)』というものだったとやっておりました。
最後の瞬間は、『彼はヴァティカン前広場の方・10万もの人々がロザリオの祈りをしている・窓のほうに頭を向け、祝福の十字を切ろうとしているように見えた。そして彼は祈りの終わりに、最後の力で「アーメン」といって死んだ』というものだったそうでございます。

何故死ぬ寸前まで、人のことが考えられるのか。しつこいようですけどね、あたしと比べちゃいけないんだけどね(苦笑)、やっぱすげぇ、と思いますのよ。

只今ドイツのテレビでは中継の傍ら、法王の『私は嬉しい、あなた方もそうでありなさい(Ich bin froh, seit ihr es auch)』という言葉の意味について、何だかいろいろいっております。

彼がその言葉を何語で書いたか知りませんので、どういう意味かなんてあたしにゃわかりませんが、ま、大層カトリック的な言葉だとは思うわけです。

『ドラマティックな人生だった』といっておりますが、まさに彼の死はお話のようです。イースターの最後の日曜日に葬式、この日はキリスト教で特別な日だそうでございます。蘇ったイエスが『イースターの最後の日曜日を「贖罪の日(正確じゃないけど、多分そうだと思うわ。汗)」とする』といったということなんですが、すみません、あたしは知りませんでしたけどね(激爆)。

非日常的な単語も多いもので、片手に聖書(日本語訳)、(大熊猫の)傍らにドイツ語辞書を置きながらテレビに釘付けのヤマダ大熊猫家。

家事のすべてをさせてしまってすまない、大熊猫よ(激爆)。

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求明様v やっほっほ!! っつーか大好かれちゃった(大テレ)。これからもよろしく(とモミ手をするヤマダ)。っつーかあたし、子供産めるのか(激爆)? / 山田寅次郎 ( 2005-04-04 01:03 )
こんな時にこんな突っ込みもなんですが、山田さん良い大熊猫さんに出会えましたねvワタシにはぎょーさんの子供や孫や友人に見送られる、山田さんのその時ってもが容易く想像できますが。(不謹慎かな、御免なさい)貴女は何しろ人を引き付ける力がお有りですからv(ワタシもそのひーとりー)大好きv / 求明 ( 2005-04-03 23:41 )

2005-04-03 もーりへーいきーましょおお(笑) 3日の日記、その3

こんばんわ、山田寅次郎でございます(平伏)。

このたび、シュトゥットガルトの通り魔の続報を見たのですが、『すんげぇ若い』男ではなく、どうやら25歳だったらしいです。若く見えたんだな。

んでもって、スズキ君とチャットしていたのですがね。スズキ君。がイタリアで法王のドキュメンタリー番組を見ていたのですが、そのときに法王が日本を訪問した際のフィルムが流れたそうでございます。んで、スズキ君。いわく。

『武道館で、アグネス・チャンが子供たちと一緒に♪もーりへーいきーましょおおむーすめーさんー♪とか歌いながら法王のまわりをくるくる回って、おまけに法王にも歌うことを促した。で、そのときの司会は、徳光さんだったみたい』、らしいんですが。

スズキ君。『見ていて気の毒で気の毒で』
ヤマダ『(大受け)で、パーパ(イタリア語ではこういうらしい)はいっしょに歌ったのですか』
スズキ君。『日本語なんですから歌えるわけないです』
ヤマダ『でも、ランラーラはできるだろう』
スズキ君。『そこだけ歌っていました』
ヤマダ『あのパーパならやると思うけど、さぞ困惑したことでしょう(笑)』
スズキ君。『ええ、大層困惑していました』

っつーか何故アグネス、そして『森の熊さん』(笑)。もしかしてあれってポーランドの歌なのか(笑)。ま、寛容な方でございますし、別のところではインディアンの帽子などをかぶらされていたりしたので、別に気にしてなかったとは思いますが、何故に(笑)。

で、何ですかね、次の法王が誰になるか、ということはまあ、関心事ではあるんでしょうが、みんなその件に関してはあんまり報道してないですね。ちなみに公式発表まで、秘密を漏らしたものは破門になるらしいですが(笑)。他の理由としては、多分、みんなはあの法王の人柄とか行動力とか、そういったものに感銘を受けて偲んだり、宗教の壁を越えて敬意を表したりしているのであって、別にカトリック教会そのものに敬意を表しているわけじゃないもんな。いや、彼はカトリック教会の頂点であって、それはそうなんだけども、まさに『彼はカトリック教会だけの偉大な人物だったのではなく、世界にとって偉大な人物であった(ゴルバチョフ)』っつー感じなのでは、とか思います。あたし個人としては、次の法王が誰になってもいいの(爆)。だって候補といわれる皆様のご尊顔を拝見するに、前の法王があまりにもかっこよかったせいだと思うのですが、『これがいい(大きなお世話。笑)!』と思える方がおられないような気が(激爆)。

でも何だな、過去の映像を見ていて思ったんだけど、彼は子供や若い人は大層好きだと思うけど、動物は微妙に好きじゃないみたい(笑)。コアラやヤギがが近づいてきたときに、微妙に腰が引けていたもの(笑)。

大熊猫が珍しく酔っ払い、それはそれはもう、訳のわからないほど上機嫌で横たわり、私を空気を入れて膨らませる武器のおもちゃで(海賊が持っているような、木の棒に黒い丸いトゲトゲのついた鉄の玉がついている、振り回して使う武器)叩いてはケラケラ笑っているので、今日はこのくらいで失礼します。

何だな、普段自分がやっていることを先に人にやられると、腹が立つもんだな(爆)。


合掌。

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2005-04-02 Ich bin froh. その1

こんばんわ、山田寅次郎でございます(平伏)。

昨日(金曜日の夜)はですね、ネットにいたらスズキ君が相手をしてくれましてね、結局朝の6時まで起きていたんですが、ヴァティカンから公式発表がなかったもんですから、ちょっと横になりました。それはもう、びっくりするほど身体が冷えていたもんですから。

んで、スズキ君がネットから去った時点で、あたしも寝ようかなぁと思ったのですが、ふとね、キリストがローマ兵に捕縛された夜に、弟子たちが寝こけていたので、彼が『あなた方はたった1時間も私とともに起きていられないのか』と嘆いた箇所を思い出しましてね。しかもドイツのテレビが新しいニュースがないもんだから、文字ニュースの同じのをずっとくり返していまして、そこにはですね、聖ペータース広場にいるローマの青年が、『僕は(夜通し)起きている。それが法王に対して、少なくとも僕たちが出来ることだ』といったというね、それがエンドレスで流れるものですから、しかも法王の故郷のポーランドではみんなが徹夜している、とかとね、流れるもんですから、意地でも寝られませんでした。何なんでしょう、小市民、ってやつですな。ま、死ぬのは生涯のうちで1回だからな。

『今夜中』という発表でしたし、人間は亡くなるのは夜明けとかが多い、という話を聞いていましたので、6時過ぎた時点で布団にもぐりこみ、そのままテレビを見ていたら、大熊猫が『まぶしいから消してもいいか』というので、前述の理由により、多分夜明けを越したから大丈夫だろうと思ってテレビを消してね、うとうとしたのでございます。

大熊猫の出勤の時間になったので、テレビをつけて見てみたら、意識があって話したというじゃありませんか。しかも夜と朝のミサもちゃんと拝受したという。

誰だよ、脳死なんていったのはよ(純粋な怒り)。

しかし、イタリアの新聞の1面は全て『さよなら、カロル(法王の世俗名)』とか『法王の最後の旅路』とか、『ヨハネス・パウロ2世(在位1978〜2005)』とか、もはや死人扱い。っつかまだです、まだなんだよ、わかってんのかこのイタ公(不穏当な発言があったことをお詫び申し上げます)。

んで、テレビを点けっぱなしにして見ていたのですが、ちゃんと意識もあれば(失うこともあるけど)、手紙は書けるはお話も出来るわで、本当に気丈な、というか丈夫な人だなぁと。

ドイツ語で『法王はTodeskampf(死との戦い)をまだやめてはいない』と報道していまして。ヴァティカン前広場でたくさんの若者があなたのために祈っていましたよ、と側近に聞かされると、『私はあなた方(若者たちだな)を求めていた。そしてあなた方は私のところに来てくれた。感謝します』と言ったそうで。危篤状態にもかかわらず、ちゃんと法王なんだなぁ、と。やっぱすごいなぁ、と思ったりいたしまして。 (続く)

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2005-04-02 Ich bin froh. その2

ちなみにローマ教皇(法王)は、ドイツ語で『Heilige Vater(はいりげ・ふぁーたー/聖なる父親)』というのですが、テレビの特番をじーっと見ていると、ああ、この人はこの名前にふさわしい人だったんだなぁ、と思いまして。

彼は、『清濁併せ呑んだ』人だったと思うわけですよ。ローマ教皇なんてそりゃ便宜上は聖職者かもしれないけど、実質は11億のカトリック教徒の頂点に立つ政治家な訳です。
でも無論、『教皇』なわけだから、政治家なだけじゃダメなのは明白なんですが、まずカトリック教会というアホみたいにデカイ組織の頂点に立つということは、莫大なお金とか利権が絡みに絡んだ、それはもう闇鍋みたいな場所なんですから、それはそれはもう、信仰の強さと人柄だけじゃやっていけないことは火を見るより明らかでございましょう。
『とんでも本』でよく言われることですが、一つ前の法王は、教会幹部と銀行との癒着を暴こうとして消された、といううわさが根強くあるくらいですから。

そういうことを考えながら、彼の人柄をしのばせるフィルムとか映像とかを見ているとね、もうあんな人は出ないんじゃないかなぁ、とかね、あたしだけが言っているわけじゃなくてこれはみんなが言っていることだけども、そうヒシヒシと思ったりしたわけです。

とてもフォトジェニックであって、力に溢れて精力的で、人好きのする、それでいてインテリで誠実で、ま、簡単に言ったらカリスマ性がある人だったと思います。ドイツの首相が『歴史に残る法王である』といったそうですが、在位の長さをおいといても、歴史に残るだろうなぁ。となると、次の法王は結構大変かもしれませんね。

夜7時過ぎくらいですかね、『1時間のうちに書面にて法王庁のほうから容態の説明がある』との情報がありましてね、その時点では、『法王は高熱を出している。意識は戻ったり失ったりしている』ということだったので、みんなで待って待って待ったのですが、待てど暮らせど誰も現れない。んで、9時過ぎですかね、広場にようやっと枢機卿が現れまして、『何を言うか』とみんなで聞いたら、『法王がこの瞬間まで生きていることは、神からの贈り物です、云々』とはじまり、『ロザリオの祈り(ロザリオっつー十字架のついた首飾りのような形態のものを使ってする祈り。つなげられた玉1個につき1回お祈りを唱える)』をおもむろに始めたのでございます。

そのお祈りの内容というのは、『めでたし聖寵満ち満てるマリア』から始まり、『今の臨終の時も、われらののために祈りたまえ』というものでございます。お祈りとして『主の祈り』と並んでポピュラーなもんです。

その前に、テレビで『法王が亡くなったら、どのようなことが起こるのでしょうか』というアナウンサーの質問に聖職者が答えていたのですが、なくなった場合

『1.そのお役目を担った人が、ラテン語で3回、洗礼名を呼んで、返事がなかった場合に死亡と認定される。2.法王の亡くなった部屋が封印される。3.ヴァチカン前広場の鐘が鳴る。4.漁師の指輪と呼ばれる法王の指輪と印が壊される』

といっていたので、まだ鐘はならないしね、何せ『もうだめだ。もうだめだ』といわれてもなお、意識はちゃんと戻ったり会話したりしているし、何せ丈夫な方ですからね、気を抜いていたんですが。 (続く)

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2005-04-02 Ich bin froh. その3

それでね、夜9時45分くらいですかね、もしかして50分くらいだったかも。
テレビのアナウンサーが『ただいま、公式発表はまだですが、ヴァティカンがローマ法王ヨハネス・パウロ2世が崩御されたと認めました』とね、言ったですよ。夜9時37分だったそうですが。

ああ、あのお祈りをしに来た枢機卿は、別に容態の説明をしにきたわけじゃなくて、その1時間のうちにあるといわれていた書面での説明も、容態の説明のために1時間といっていたんじゃなくて、『多分1時間のうちに本格的に危篤になるだろう』とヴァティカン側が判断していた、と、そういうことだったんだなぁ、と思いまして。それで死にいく法王のために、集まった信者と聖母マリアの祈りをしに来たんだなぁ、と。

それで、夜10時ちょっとすぎですか、街中の鐘がガランガラン鳴り始めました。大きいので有名なケルンの大聖堂の鐘もガランガラン鳴って、大熊猫がバルコニーに出てみたら、街の方から鐘がガランガラン一斉に鳴る音が聞こえました。その音を聞きながら、ああ、この瞬間にヨーロッパにいられてよかったなぁ、としみじみと思った次第です。

なんていうんですかね。瀕死になってもなお、ほぼ24時間法王は死と戦ったわけです。彼は『強い教会』の象徴であって、教会はもはや、以前のような強大な力がないのかもしれないけれども、それでもなんですかね、底力を見せ付けられた思いですよ。昔の人は違うねぇ。

法王の最後の言葉、というかメッセージは、書面に書かれた『私は喜んでいる。あなた方もそうでありなさい』というものだったそうです(ちなみに、日記のタイトルは、その前半部分)。

そして今朝、晩年一緒に仕事をした枢機卿が尋ねて行った際、彼に感謝し、お別れの言葉を述べたそうです。

いやもう、あたしなんかのような安普請の人間と、比べること自体不遜なのですが、死ぬんだからもう少しワガママになってもよかろうに、本当に死ぬ寸前まで何でそんなにエライのか。

天国に行くことはキリストのそばに行くことで、聖マリアもそばについているし、怖いことなんかなくて、むしろ喜ばしいことなんでございましょう。法王はついに安息を得られたんでございますな。天国のことは、あたしにはわからんけど。

ま、そんなこんなで、大熊猫が法王ファン(苦笑)の私のために、モーツァルトのレクイエム(鎮魂ミサ)をかけてくれました。

安心して、喜びながら死ねるっていいよな。人生に自信があるんだな。あたしなんて、悪事ばっかり重ねているおかげで、『まずはごめんなさい』とか大汗かいて言いながら死ぬしかないもんな。いや、あたしと比べるな、って感じですけど(苦笑)。

安らかに眠ってください、という言葉は、何だか彼にはふさわしくないような気がする。何でだかね、天国でバリバリまだ仕事してそうな気がするの。いや、天国の構造は、私には全然わからないのですけどね(爆)。

さよならじいちゃん、あたしはあなたが大好きだったよ。


合掌。

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2005-04-01 切ねぇ

こんばんわ、ヤマダでございます。

いや、何ですかね、法王ヨハネス・パウロ2世が危篤だそうでございますが。

切ねぇ、マジ切ねぇ。
なんだか青春が終わるような気がします。いや、激しく謎なんですが。

ドイツのテレビは『その時』のために、みんなでライブ放送をしています。で、そのときまで今までの映像とか、彼の人となりのドキュメンタリーとか、色々と放送しているわけです。彼はポーランド人でして、巻き舌多用の聞きにくいものではありますが、ドイツ語も出来るもんですから、ドイツのテレビでは、彼の言葉が直に聞き取れるわけです。
ああ、このときのためにだけでも、ドイツ語が多少なりともわかってよかったとしみじみ思ったりするわけです。あ、あとローマと時差がなくてよかった、とも思うわけです。
あたしがわざわざドイツに居るのも、このためだったのかな、とすら思うわけですよ。

今大熊猫がテレビみていっていたのですが、(ヨーロッパ時間の)今夜中に亡くなるんではないか、といっているそうですね。

あのねぇ、あの人はねぇ、本当にステキだったんだよ。法王になった時にね、あたしカトリックの学校に行っていたもんですから、それはもう、大騒ぎでね。俳優だったもんだからそれはもう、立派でステキでね。精力的で、本当にステキだったんだよ。

街の教会にお祈りに来ている人たちのインタビューをやっていたのですが、『あなたは何を祈られましたか』と言う問いに、『パプスト(教皇)の、安らかな死です』と答えている婦人が居ましてね。もう本当にね、そのとおりだと思ったわけです。

あんな精力的だった人がさ、あんなによぼよぼになってさ(ま、ローマのテレビ局のヴァチカン番だった友達に聞いたら、言うほどよぼよぼじゃなかったらしいけど)、それでもまだ『元気になりますように』とは祈れないですよ。ああ辛い、本当に辛いよあたしは。

彼の『聖職者』としての力量はあたしはアホなので知りませんが、ドキュメンタリーとかを見ていると、ああ、この人ってば政治家だよな、としみじみ思うわけです。
彼が教皇になった時、カトリック教会の未来は、本当にキラキラと輝いて見えた。それでもって彼が撃たれて、具合が悪くなって、ヨボヨボになって、たとえばアラファトなんかが手を添えて彼が歩くのを支えていく。イスラム教徒なのにさ。

そこには老人に対する畏敬の念はあっても、『強いカトリック教会』を髣髴とさせる何物もない。彼の姿とカトリック教会を重ね合わせてみるに、…本当になんていうんでしょうかね、もうね、多分みんなおんなじ様な気持ちがしてるんだと思う。

あんなにすばらしく輝いていた人が老いぼれて死んでいく。ドイツに来たときに挨拶した人たちや、会談をした世界の(元)大統領、全員じゃないけど、みんなまだ元気だよ。

今、特番を放送しながら、テレビ局はみんなで『その時』を待っている。もちろん、みんな彼が死んで欲しいわけじゃないけど。
朝起きたときに『何時に亡くなったんだって』と、聞くのが嫌だから、一晩中でもあたしは起きていたい。

…じいちゃんお疲れ様、成仏してね。

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2005-04-01 切ねぇ・その2

っつーか、テレビ見てるんですけどね。

夜9時30分にはまだ意識があったそうですが、イタリアのマスコミは、ヨーロッパ時間夜10時50分現在、『脳死』と発表したそうですね。セント・ピーターズ・広場には6万人以上の信者が集まっているとか。

今夜、もしくは真夜中には、『キリストはパプスト(教皇)に、今夜、もしくは夜の間に(天国の)ドアを開くであろう』とヴァティカンの枢機卿が発表したとか。

っつーか、この間イースターのときに窓越しに姿を表したときは、さすがにもう少しもつと思ったんですが。

心臓が悪くて、肺が悪くて腎臓が悪かったらどうしようもないよな。でも、クリニック(病院)にいないで、ヴァティカンの何だかどっか(聞き損ねた)にいるんだから、そんなに馬鹿みたいな延命処置をしていないってことなのかなぁ。

現在、世界中から枢機卿がローマに向かっているとのことです。いや、ダメって言うのは明らかにわかってんだけどさ。やっぱさ、何だか辛いよ。

テレビもやることないんで、ドキュメンタリーばっかりやっているのですが、ヨハネス・パウロ2世は自分を狙撃した犯人を訪れ、許した、といっておりました。
そのときに犯人の腕を抱いた手。テレビ入ってるし、ある程度演出ってのはあるとは思うけど、キリスト者ってのはああじゃなくちゃいかんよな。
切ねぇ、ああ、切ねぇ。

んでもって、色々と浮かれ騒いでいたせいで知らなかったけど、イースターに出てきたときとかに演説した声。 あと、しばらく前に話したときの声。

気管支だかなんだかが悪かったっつーんだから仕方ないけど、何であんな声になっちゃったんだよ。全然前と、全然違うじゃないかよ。

じいちゃん、何十万人もの人がじいちゃんのために祈ってるよ。みんなじいちゃんのことが好きだよ。

先頭 表紙


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