♪memory 私にさわって 私を抱いて。。。
その昔観た『CAT’S』の中で老女(猫)が歌っていた歌は、そのまま私の心情を表している。私を愛し、必要としてくれる人なんかいない。いや、私が産んだ子供達は別だ。彼らは私がどんな人間であろうと私を必要としている。私ももちろん彼らを愛しているけれど、それは当然のことなのだ。
。。。でも、その当然の愛情を受けられなかった私は、一体誰に愛されるというのだろう。
わかってる。こんな事を考えても仕方ないってことくらいは。だけど、書く事で少しでも気が紛れるのであれば、書く事くらいは許されるのではないだろうか。それとも、書く事さえ許されないのだろうか。
子供の頃から両親(特に母親)の愛情を感じられなかった私は、事あるごとにそれを確信させられ続けた。決定的だったのは一昨年の出来事だ。夫に対する耐え難い批判に反論すると、私達は父に解雇された。私情で解雇するという事がまず不当だし、最後1ヶ月の給与が支払われなかった上に会社に貸したお金も返さなかったり、実の娘にそこまでするか、とあきれるほどだった。
違法性を訴えると、なぜか私の給与だけ払ってきた。夫の給与は0円支給で、税金だけはしっかり引かれ、それも私の給与から天引きされていた。これはまったくの違法行為だし、いやがらせとしか受け取れなかった。裁判を起こそうかとも考えたけれど、さすがに気が引けるし、何よりもう、あの人達と会う事も思い出すのもいやだったのでやめた。
なぜ今こんなことを書いているかというと、今朝、祖母から電話が来たからだ。今唯一交流しているのは祖母だけだ。気にはなっていたけれど、あわただしい毎日に追われて手紙も出せずにいた。子供の写真を送りたいけど、祖母を通じて両親に写真を見せるのもいやだった。
祖母は元気そうだった。だけど、あんなにしゃんとして、数年前まで自転車に乗って街を闊歩していた祖母が、今は手押し車を押して歩いているのだそうだ。それを聞いてとても悲しくなった。電話をもらったあと、すぐに出かけたのだけど、電車の中で涙が止まらなくなってしまった。そばにいれば、何も出来なくてもひ孫を見せてあげる事くらいは出来たのに、今はそれさえも出来ない。祖母に会いたいけれど、会いに行く事が出来ない。それが悲しかった。 |