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泉木修の「百物語」

 
あなたは鳥のように這い、蛾のようにしたたる。
魚のようにまぐわい、兎のようにひりひりと裏返る。

まぶたを縫ってあげよう。
耳もホチキスでとめよう。
眠れぬ夜のために。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-11-27 青い羚羊(カモシカ) その三
2000-11-24 青い羚羊(カモシカ) そのニ
2000-11-22 青い羚羊(カモシカ) その一
2000-11-07 第七十四夜。 「砂」
2000-10-18 第七十三夜。 「舌」
2000-10-06 第七十二夜。 「春 その二」
2000-10-05 第七十一夜。 「湖」
2000-10-03 第七十夜。 「春 その一」
2000-10-02 第六十九夜。 「面」
2000-09-30 第六十八夜。 「雪の夜」


2000-11-27 青い羚羊(カモシカ) その三

 
「ほう。ヒナにはマレな」
 地下街で昼食後の社への帰り道。課の先輩の福本が赤信号に立ち止まりながら、ぽつりとそうつぶやいた。
「なんです、いきなり」
「ほら、あの工事現場で赤い棒振ってるお嬢さん。ありゃ、なかなか美人だ。スタイルもいい」
「こんな遠くからで、よく見えますね」
「俺は若いレデーのことなら、百メートル先のほくろの位置でもわかるんだ。あれは大したタマだよ、まあ近くに寄ってじっくり見てご覧」
 そう言ってすたすた信号を渡る福本の後を追い、その青い作業服の上下にヘルメットを被った若い女の側まで近寄ったとき、祐介は福本の言葉があながち大袈裟でもないことを知った。工事現場で一日中立ち仕事だろうに、日焼けしない質なのかそのほっそりとした横顔はほの白く、束ねた髪の毛が少しほつれて頬の汗に光っている。
 通り過ぎながら福本が言う。
「当節流行、いわゆるガテンな女、ってやつだな」
「ガテンというと、就職情報誌の?」
「そう、道路工事やガソリンスタンド、トラックの運転手なんかで体張ってる女の子が最近増えてるらしいねぇ。またこれが往々にして、お茶汲みとコピーにくたびれたオヒースレデーなんぞより見目麗しいのが多いんだ、不思議と」
 そのときはもちろんそれだけのことだったのだが・・・。

(つづく)

 

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2000-11-24 青い羚羊(カモシカ) そのニ

 
「あの、失礼、どこかでお会いしたことありませんか」
 聞いて初めて、彼女が独り客かどうか、連れを待っているのでないかどうかを確認していないことに思い至ったが、どうやら彼女自身も特に時間を気にしないくつろぎの中にいたらしく、妙に生真面目な笑顔を祐介に向けて応えた。
「いいえ。私の方では、思い当たることはありませんが。どなたか、他の方とお間違えじゃないですか」
 顔馴染みの店主が、カウンターの中で、明らかに聞こえないふりをしているのをどことなく恥ずかしく思いながら、祐介は続けた。
「う〜ん、割合最近、どこかで会ったような気がして。それがどこだか思い出せなくて、なんだか魚の骨が喉に引っかかったみたいで困ってるんです」
「私のお皿の方には、とくに刺さるほどの骨はないみたいですよ」
 彼女の返答は辛辣だったが、表情はそれほど拒絶的ではなかった。むしろ、退屈していたところに、手ごろな時間つぶしが現れた、といった風情さえ感じられる。
「それに・・・ナンパされるなら、もう少しそれなりの相手や場所があるでしょうし」
「ああ、いや、あの、そういうつもりじゃありません。焼き肉ライスにビール飲みながらナンパできるほど、僕は勇敢じゃないです。ただ、ほんとに気になって・・・」
 それから、祐介はかすかな記憶をたどって付け加えた。
「そうだ、男っぽい青い服着てた、ということはないですか」
 彼女の顔が急に緩んで、初めて上半身ごと祐介のほうを正面から見る角度に動いた。
「それならもしかしたら私かもしれない。どちらにお勤めなんですか?」
「都心のNF電産」
「ああ、わかった。じゃ、お会いしてるんでしょう。私、あなたの会社の前で、道路を掘り返しているショベルカーやトラックの、交通整理してます」
 ビールのグラスを取り落としそうになって、慌てて祐介はそれを口に運んだ。そういえば、数日前・・・。
 

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おお、連載小説になっている! 続きを楽しみにしてます〜。恋愛モノ? / よちみ ( 2000-11-27 09:18 )

2000-11-22 青い羚羊(カモシカ) その一

 
 カウンターの右奥で独りグラスを傾ける女の横顔。祐介はふと惹かれるものを感じてそちらに目を向けた。その鼻筋の通ったほの白い横顔に、どこか見覚えがあった。

 真田祐介は、都心の大手家電メーカーのパーソナルコンピュータ販売支援部に勤務する二十九歳。ことさら人に自慢するほどの特技も人生の出会いもない。趣味といえば仕事の延長のパソコン操作とビデオ鑑賞、読書ということになるだろうか。最近遠縁の叔母が見合い話を寄越してきたが、学歴と会社名以外釣書に書くことがなく、自分でも多少情けなく思った程である。
 ここは、彼の住むワンルームマンションと最寄り駅のちょうど中間辺りにある瀟洒なスナック。くの字型のカウンターと四人がけのボックスが四つあるだけの小さな店構えだが、夜になっても簡単な食事メニューがあるため、付き合いのない日など、時々立ち寄ることになる。今夜も、同期の者同士で飲みに出るはずが中心メンバーの残業で流れ、なんとなく夕飯も食べそこなってこの店のドアを開けたのだった。
 カウンターの奥で水割りを手にした女は、年のころ二十歳過ぎ、せいぜい二十五前後で、髪は胸までのソバージュ、やせぎすな体に薄地でざっくりとしたモスグリーンのサマーセーターを着込んでいる。
 仕事先で出会ったことがあるのだろうかと、会社の各フロア、出入りの業社など頭の中でたぐってみるが、どうもイメージが噛み合わない。彼の周囲で働くOL達は、大半、タイトなスーツ姿か、濃紺あるいはグレイの制服で、全体に存在感というかボリュームを感じさせられるタイプが多く、彼女のどこかリアリティに欠ける希薄な横顔は、そのどれとも噛み合わないのだった。
 ビールが入り、この後の予定もなく、住まいまで歩いてでも帰れる距離にいることが祐介に一種呑気な勇気を与え、彼は「迷うくらいならとりあえず」と心の中で一度咳払いし、それからストレートに声をかけることに決めた。

(つづく)

 

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2000-11-07 第七十四夜。 「砂」

 
 玄関からリビングに入ったところでスリッパがざらりと鳴り、わたしは思わず声を上げた。灯かりを点けてみると、フローリングには片手に盛ったほどの砂が散っていた。
 少し落ち着いてから引き出しの通帳や衣類を調べたが、とくに変わりはない。
 それからも一月か二月に一度、同じ場所で砂を踏んだ。
 

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復活なさいましたね! / よちみ ( 2000-11-07 14:40 )

2000-10-18 第七十三夜。 「舌」

 
 その上に土を盛っての帰り、込み合う電車の中で私の隣の席は空いたままだった。
 立ち寄った喫茶店では静かに水が二つ置かれた。

 どの女だろう。
 

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2000-10-06 第七十二夜。 「春 その二」

 
 まだ風の冷たい朝、車を降りる。雪を頂いた大振りなポストに届いた手紙をその場で開けば、揺れるような褐色の字で「来ていただけないのでしたら、こちらから逢いにまいります」。
 顔を上げると丘の上の墓地から何かを引きずったような跡が我が家のポーチまで続いている。手紙より書き手が先に来てしまったわけだ。いや、それだとこの跡が説明できない。
 私は北の峰の湖にさっき自分が今捨ててきたモノを思い出す。ソレはこれから発見され、埋葬され、それからもう一度あらためて私に逢いにくる。

 死者の時制はいつだって少し狂い気味。

 彼女は針の飛ぶレコードのように私の人生にときどき影を落とすだろう。こんなふうにヌメヌメと、あるいはガリガリと。
 

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お休みになってしまったのですか?心配です。 / イナホ ( 2000-10-13 20:20 )

2000-10-05 第七十一夜。 「湖」

 
 ある曇った暗い朝、遠足に出発する。
 湖畔に廻らされた廻廊を歩いていくのだが、紅柄(べんがら)を塗ったこの鉄の廻廊には幾度かの記憶がある。そうだ、父が旅先で倒れたと報らされて母と姉と共に病院に急いだのも確かにこの道だった。
 暗く狭い廻廊の床に設えられた鉄板はところどころ塗料が剥げ落ちて荒い赤錆が毛羽立ち、響く靴音の重さによってその下に湖水が近いことが窺える。廻廊の天井には床と同じ鉄板が設えられ、右手には黒く濡れた岩肌、左の、湖に面した側には丈夫な鉄の網が張られている。
 陰気な行進は続くが、これがいったいどこを目指す遠足なのかはわからない。ただ、一行が通り過ぎたあとあとには必ず何者かによって廻廊の鉄の扉が一つまた一つ閉ざされる音が響き、少なくとも今来た道を戻ることは決してできないことが知らされる。
 やがて廻廊は少しだけ開かれた草地に出て途切れ、行列は無言のままに一人ずつ小さな木造りのトロッコに乗り込んでは膝を曲げて座る。やがて鎖が解かれ、トロッコは、湖の内奥に向けて、水面に見えるか見えないかの高さに敷き渡された長方形の石台の上をごろごろと頼りなく進み始める。
 あたりは夕暮れの気配に包まれ、湖面の果ては陽の消えた空につながって、その、仄かに白光を肌射す蒼ざめた薄絹の闇空は裏地に蠢く毒々しいまでの紅を思わせて妖しい。その闇を背に、竹竿を突いてはトロッコを操る青年のくきりとした影の向こう、石台は湖面の中央を指してまっすぐに伸び続き、やがて岸辺がどの方角にも見えなくなるあたりでしゃっきりと直角に折れ曲がる。
 いつもながらこの角は恐ろしい。いくつか数珠つなぎになったトロッコの小さな車輪のうちどれか一つでも石台を滑り落ちれば最期なのだ。黒々とうねる湖水は浸す指に絡むように重く、生温かい。
 

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2000-10-03 第七十夜。 「春 その一」

 
 蕾のいっぱいに吹いた美しい春の樹に、娘は屍体を垂らしている。
 知恵遅れのその弟、その樹の下に笑いながら蟻の巣を崩す。
 春。
 

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2000-10-02 第六十九夜。 「面」

 
 雨に封じ込められたような夜の街外れ。
 急に何かとても恐ろしいものが近づいてきたような気がして、古い公開堂に走り込む。整然と長椅子の並べられた伽藍堂に身を潜めるところを求めていると、白く懐かしい手が傍らの小部屋に僕を押し入れてくれる。
 壁土の隙から窺える道の角々には銃を携えた兵士達がたむろして油断なく、僕は息を圧し殺す。彼らが狙っているのはこの僕の目玉なのだ。兵士の一人が思い当たったかのように銃を構えてこちらに数歩歩みより、僕は壁から飛び離れて小部屋の中を振り返り見る。
 暗がりに慣れた僕の目に映ったもの、それは壁一面に掛け並べられた祭りを待つ青鬼赤鬼の衣装束であり仮面だった。吊り上がった太い眉、赤く裂けた口、鈍色の牙。
 罠にはまったのだ。あの白い手は兵士達をこの小部屋に招き入れるだろう、怒・怒・怒の塗り込められ固められた鬼供の面には、どれ一つとして瞳がないのだから。
 
 

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2000-09-30 第六十八夜。 「雪の夜」

 
「ぷう。いやあ、助かった。や。お安くないね、玄関に白いパンプスたあ」
「別に」
「こんな時間にお邪魔して、まずいんじゃないか。俺はよそで呑み直してもいいんだぜ」
「どうして」
「だから、奥にいるんじゃないの、この靴の主」
「いないよ。いたってかまわないが」
「ふうん。今夜は留守なんだ」
「誰が」
「いや、だから、この白い靴」
「妹のだ」
「へえ、知らなかった。妹さん、いたのか」
「いないよ。妹なんて」
 

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