himajin top
泉木修の「百物語」

 
あなたは鳥のように這い、蛾のようにしたたる。
魚のようにまぐわい、兎のようにひりひりと裏返る。

まぶたを縫ってあげよう。
耳もホチキスでとめよう。
眠れぬ夜のために。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-11-22 青い羚羊(カモシカ) その一
2000-11-07 第七十四夜。 「砂」
2000-10-18 第七十三夜。 「舌」
2000-10-06 第七十二夜。 「春 その二」
2000-10-05 第七十一夜。 「湖」
2000-10-03 第七十夜。 「春 その一」
2000-10-02 第六十九夜。 「面」
2000-09-30 第六十八夜。 「雪の夜」
2000-09-29 第六十七夜。 「嫉 妬」
2000-09-28 第六十六夜。 「氷 雨」


2000-11-22 青い羚羊(カモシカ) その一

 
 カウンターの右奥で独りグラスを傾ける女の横顔。祐介はふと惹かれるものを感じてそちらに目を向けた。その鼻筋の通ったほの白い横顔に、どこか見覚えがあった。

 真田祐介は、都心の大手家電メーカーのパーソナルコンピュータ販売支援部に勤務する二十九歳。ことさら人に自慢するほどの特技も人生の出会いもない。趣味といえば仕事の延長のパソコン操作とビデオ鑑賞、読書ということになるだろうか。最近遠縁の叔母が見合い話を寄越してきたが、学歴と会社名以外釣書に書くことがなく、自分でも多少情けなく思った程である。
 ここは、彼の住むワンルームマンションと最寄り駅のちょうど中間辺りにある瀟洒なスナック。くの字型のカウンターと四人がけのボックスが四つあるだけの小さな店構えだが、夜になっても簡単な食事メニューがあるため、付き合いのない日など、時々立ち寄ることになる。今夜も、同期の者同士で飲みに出るはずが中心メンバーの残業で流れ、なんとなく夕飯も食べそこなってこの店のドアを開けたのだった。
 カウンターの奥で水割りを手にした女は、年のころ二十歳過ぎ、せいぜい二十五前後で、髪は胸までのソバージュ、やせぎすな体に薄地でざっくりとしたモスグリーンのサマーセーターを着込んでいる。
 仕事先で出会ったことがあるのだろうかと、会社の各フロア、出入りの業社など頭の中でたぐってみるが、どうもイメージが噛み合わない。彼の周囲で働くOL達は、大半、タイトなスーツ姿か、濃紺あるいはグレイの制服で、全体に存在感というかボリュームを感じさせられるタイプが多く、彼女のどこかリアリティに欠ける希薄な横顔は、そのどれとも噛み合わないのだった。
 ビールが入り、この後の予定もなく、住まいまで歩いてでも帰れる距離にいることが祐介に一種呑気な勇気を与え、彼は「迷うくらいならとりあえず」と心の中で一度咳払いし、それからストレートに声をかけることに決めた。

(つづく)

 

先頭 表紙

2000-11-07 第七十四夜。 「砂」

 
 玄関からリビングに入ったところでスリッパがざらりと鳴り、わたしは思わず声を上げた。灯かりを点けてみると、フローリングには片手に盛ったほどの砂が散っていた。
 少し落ち着いてから引き出しの通帳や衣類を調べたが、とくに変わりはない。
 それからも一月か二月に一度、同じ場所で砂を踏んだ。
 

先頭 表紙

復活なさいましたね! / よちみ ( 2000-11-07 14:40 )

2000-10-18 第七十三夜。 「舌」

 
 その上に土を盛っての帰り、込み合う電車の中で私の隣の席は空いたままだった。
 立ち寄った喫茶店では静かに水が二つ置かれた。

 どの女だろう。
 

先頭 表紙

2000-10-06 第七十二夜。 「春 その二」

 
 まだ風の冷たい朝、車を降りる。雪を頂いた大振りなポストに届いた手紙をその場で開けば、揺れるような褐色の字で「来ていただけないのでしたら、こちらから逢いにまいります」。
 顔を上げると丘の上の墓地から何かを引きずったような跡が我が家のポーチまで続いている。手紙より書き手が先に来てしまったわけだ。いや、それだとこの跡が説明できない。
 私は北の峰の湖にさっき自分が今捨ててきたモノを思い出す。ソレはこれから発見され、埋葬され、それからもう一度あらためて私に逢いにくる。

 死者の時制はいつだって少し狂い気味。

 彼女は針の飛ぶレコードのように私の人生にときどき影を落とすだろう。こんなふうにヌメヌメと、あるいはガリガリと。
 

先頭 表紙

お休みになってしまったのですか?心配です。 / イナホ ( 2000-10-13 20:20 )

2000-10-05 第七十一夜。 「湖」

 
 ある曇った暗い朝、遠足に出発する。
 湖畔に廻らされた廻廊を歩いていくのだが、紅柄(べんがら)を塗ったこの鉄の廻廊には幾度かの記憶がある。そうだ、父が旅先で倒れたと報らされて母と姉と共に病院に急いだのも確かにこの道だった。
 暗く狭い廻廊の床に設えられた鉄板はところどころ塗料が剥げ落ちて荒い赤錆が毛羽立ち、響く靴音の重さによってその下に湖水が近いことが窺える。廻廊の天井には床と同じ鉄板が設えられ、右手には黒く濡れた岩肌、左の、湖に面した側には丈夫な鉄の網が張られている。
 陰気な行進は続くが、これがいったいどこを目指す遠足なのかはわからない。ただ、一行が通り過ぎたあとあとには必ず何者かによって廻廊の鉄の扉が一つまた一つ閉ざされる音が響き、少なくとも今来た道を戻ることは決してできないことが知らされる。
 やがて廻廊は少しだけ開かれた草地に出て途切れ、行列は無言のままに一人ずつ小さな木造りのトロッコに乗り込んでは膝を曲げて座る。やがて鎖が解かれ、トロッコは、湖の内奥に向けて、水面に見えるか見えないかの高さに敷き渡された長方形の石台の上をごろごろと頼りなく進み始める。
 あたりは夕暮れの気配に包まれ、湖面の果ては陽の消えた空につながって、その、仄かに白光を肌射す蒼ざめた薄絹の闇空は裏地に蠢く毒々しいまでの紅を思わせて妖しい。その闇を背に、竹竿を突いてはトロッコを操る青年のくきりとした影の向こう、石台は湖面の中央を指してまっすぐに伸び続き、やがて岸辺がどの方角にも見えなくなるあたりでしゃっきりと直角に折れ曲がる。
 いつもながらこの角は恐ろしい。いくつか数珠つなぎになったトロッコの小さな車輪のうちどれか一つでも石台を滑り落ちれば最期なのだ。黒々とうねる湖水は浸す指に絡むように重く、生温かい。
 

先頭 表紙

2000-10-03 第七十夜。 「春 その一」

 
 蕾のいっぱいに吹いた美しい春の樹に、娘は屍体を垂らしている。
 知恵遅れのその弟、その樹の下に笑いながら蟻の巣を崩す。
 春。
 

先頭 表紙

2000-10-02 第六十九夜。 「面」

 
 雨に封じ込められたような夜の街外れ。
 急に何かとても恐ろしいものが近づいてきたような気がして、古い公開堂に走り込む。整然と長椅子の並べられた伽藍堂に身を潜めるところを求めていると、白く懐かしい手が傍らの小部屋に僕を押し入れてくれる。
 壁土の隙から窺える道の角々には銃を携えた兵士達がたむろして油断なく、僕は息を圧し殺す。彼らが狙っているのはこの僕の目玉なのだ。兵士の一人が思い当たったかのように銃を構えてこちらに数歩歩みより、僕は壁から飛び離れて小部屋の中を振り返り見る。
 暗がりに慣れた僕の目に映ったもの、それは壁一面に掛け並べられた祭りを待つ青鬼赤鬼の衣装束であり仮面だった。吊り上がった太い眉、赤く裂けた口、鈍色の牙。
 罠にはまったのだ。あの白い手は兵士達をこの小部屋に招き入れるだろう、怒・怒・怒の塗り込められ固められた鬼供の面には、どれ一つとして瞳がないのだから。
 
 

先頭 表紙

2000-09-30 第六十八夜。 「雪の夜」

 
「ぷう。いやあ、助かった。や。お安くないね、玄関に白いパンプスたあ」
「別に」
「こんな時間にお邪魔して、まずいんじゃないか。俺はよそで呑み直してもいいんだぜ」
「どうして」
「だから、奥にいるんじゃないの、この靴の主」
「いないよ。いたってかまわないが」
「ふうん。今夜は留守なんだ」
「誰が」
「いや、だから、この白い靴」
「妹のだ」
「へえ、知らなかった。妹さん、いたのか」
「いないよ。妹なんて」
 

先頭 表紙

2000-09-29 第六十七夜。 「嫉 妬」

 
 Nの屍体がある。
 僕は古い家にいて、大きな仏壇を構えた薄暗い部屋を覗き見ている。屍骸の肌は青白いというよりは黒に近い深緑で、隙間なく鳥肌の立っているその様子はあたかも拡大して見た黒真珠の表皮のように思える。屍体は一糸も纏っておらず、ごろりと横たわったままあたりは鉛に封じ込められたような静けさに満ちている。つと、襖を手に立っている僕の傍らを通り抜けて男が──顔は見えない──Nの屍体に歩み寄ると、いつの間にか着衣を脱ぎ捨て、Nの股を押し開いて青臭い腰をそこに押しあてがう。硬直した深緑の肉塊を相手にしたぎこちないが熱っぽいセクスを僕は見るに堪えない気がするが目を離すこともできないで

 気がつくと居間に一人膝を抱えて座っている。いきなり目の前の障子が開き、先程の男が現れる。男はどうやら学生時代の同級生らしい。手にした袋には肉屋の包みが入っており、彼は棚から台秤を降ろしてその重さを確かめる。おおよそ三百グラムの荒挽きのミンチはビニール袋の中、さらに丁寧に竹の皮を模した紙にくるまれていて、ひどく新鮮そうに赤い。Nの肉なのだ。
 納得して僕は立ち上がり、食卓を整える。ガステーブルに向かって僕と男は黙々とミンチを炒め、溶いたメリケン粉に焼き込んではソースをかけて口に運ぶ。
 生焼けのお好み焼きの中に小さな肉の塊を噛み当てたとき、僕は口腔いっぱいの腐乱臭に初めてNの死を思い、それを飲み下した。
 

先頭 表紙

2000-09-28 第六十六夜。 「氷 雨」

 
 嵯峨野に向かうバイパスは広い斜線がしのつく雨にうたれ、ときおりすれ違う対向車のライトは目の奥に白い曲線を描いては消える。無口な運転手はラジオの音をしぼり、ときおり面倒そうにハンドルを握り換えては右にあるいは左に車線を変更する。
 前後に車の影もないのに、なぜ、と首を傾げ、それからこのあたりが古戦場で知られていることに静かに思い当たった。
「すると。このあたりにはさぞかしたくさん」
「ええ、まあ」
と運転手はくぐもった声で返す。
「武者鎧の男姿が多いのでしょうか」
「いやあ、今ふうの若い子もたくさんいるようだねえ。とくにいわれはないのだけれど、呼び合うのかもしれないねえ」
「雨にうたれて、冷たいでしょうにね」
「冷たいだろうかねえ」
 それから彼は何度目かにハンドルを切ろうとし、それから面倒そうにそれをおしとめた。つかの間、対向車の光とも違う何かが後部座席の私のすぐ傍をすり抜け、すぅと雨が匂った。
 

先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)