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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-12-04 〔短評〕最近の新刊から 『ドーナツブックスいしいひさいち選集 39 ライ麦畑でとっつかまえて』『暴れん坊本屋さん(3)』『ドラゴン桜(16)』
2006-11-27 新本格1/4+謀略アクション3/4 『霊柩車No.4』 松岡圭祐 / 角川文庫
2006-11-24 串刺しにされてぎゃあぎゃあ鳴き喚く 『姉飼』 遠藤 徹 / 角川ホラー文庫
2006-11-13 毒とも薬とも 『のりこ』 二階堂正宏 / 新潮社
2006-11-05 女の子は 人形じゃないんだから 『スミレ 17歳!!』 永吉たける / 講談社コミックス
2006-10-30 目が死んでいる 『レナード現象には理由がある』 川原 泉 / 白泉社
2006-10-23 『きのこの迷宮 こんなところにあった,別世界』 小林路子 / 光文社 知恵の森文庫
2006-10-13 『深海生物ファイル あなたの知らない暗黒世界の住人たち』 北村雄一 / ネコ・パブリッシング
2006-10-09 『巨人軍タブー事件史』 別冊宝島編集部 編 / 宝島社文庫
2006-10-02 『巨人(ジャイアンツ)マンガの系譜』 蕪木和夫 / 水声社


2006-12-04 〔短評〕最近の新刊から 『ドーナツブックスいしいひさいち選集 39 ライ麦畑でとっつかまえて』『暴れん坊本屋さん(3)』『ドラゴン桜(16)』


ドーナツブックスいしいひさいち選集 39『ライ麦畑でとっつかまえて』 いしいひさいち / 双葉社

 うーぬむぬむむん?
 バラエティに富んでいた前巻に比べて,今ひとつキレが悪いというか……得した気分が薄い。『ライ麦畑でとっつかまえて』という名作文学パクリタイトルも伝説の(か?)『いかにも葡萄』や『椎茸たべた人々』『伊豆のうどん粉』に比べて面白くない。
 しいていえば用務員の操る「シュリ剣抜き器」の存在感と,最後のページ,青空に抜けるような外れ矢がお見事。……何の本の紹介なんだこれは。

 次巻は第40巻,ドーナツブックス収録作だけで通算5000を超える。
 本作は今ひとつだったが,朝日朝刊の『ののちゃん』のクオリティは今朝のもなんちゅーかで,いしいひさいちが相変わらずいしいひさいちであり続けているところはすごい。

『暴れん坊本屋さん(3)』 久世番子 / 新書館 UN POCO ESSAY COMICS

 1巻めが大手新聞の書評欄で取り上げられるなど,ベストセラーとなった(のだろう,書店でのあの平積み度合いを見ると)書店店員エッセイコミック。
 この手の作品はヒットすると売れる間は出来る限ーーーり引っ張ることが多いのだが,帯にこの3巻で完結とある。思いがけず動揺した。どうやら自分で思っていたよりずっとこのオバQが気に入っていたようだ。
 要は,本好きは本好きな人が好きなのである。多分。

『ドラゴン桜(16)』 三田紀房 / 講談社モーニングKC

 東大を目指す登場人物の一人,水野直美が初めて表紙をピンで飾った。これには意味がある。
 『ドラゴン桜』は,ダメダメな龍山高校を立て直すために,債権整理を請け負った弁護士桜木が特別進学クラスを組織して東大合格を目指す物語である。特進クラスの水野,矢島は,有能かつ個性的な講師陣の教えに少しずつ学力を高め,マンガ作品としてよりはその過程における勉強法がウケているわけだが……。
 前巻の手帳の話といい,今回の学力の話といい,ここ数巻は,水野がただの教えられ子から,いかに自分自身で力をつけてきたかが大きなテーマとなっている。つまり,『ドラゴン桜』は,ここにいたってようやく水野や矢島にとっての成長物語となりつつある,ということである。
(非力な主人公が超人的なマスターと出会って成長し,強敵と倒していくのは少年マンガの王道パターンである。が,『ドラゴン桜』は,16巻を費やしてなお,主人公にあたる二人は自力で試験に出願することもできない。これは,実際に東大を受験する高校生においても大同小異だろう。勇者候補生には,高校二年の秋あたりに本書をがーっと読むことをお奨めしたいものだ。)

 なお,勉強に適した姿勢,計算のテクニック,試験の際の心構えなど,この第16巻は(受験生だけでなくおそらく社会人にとっても)役立つ情報が少なくない。
 惜しむらくは,受験生として精度を高めた水野や矢島が,登校の途上で淡々と目に入る光景を英語で表現したり,通りがかった車の番号4桁を足したり掛けたり縦横に計算してみせるシーンが次の17巻にこぼれてしまった。
 「学生が勉強する姿」を美しく描いたという点で,稀有なシーンである。次巻の発売が今から楽しみだ。

先頭 表紙

2006-11-27 新本格1/4+謀略アクション3/4 『霊柩車No.4』 松岡圭祐 / 角川文庫


【遺体は貨物だ,だから載せられる。きみは,まだ貨物じゃない】

 失礼,こちらは同じ角川でも「ホラー文庫」ではなかった。『姉飼』と並んで平積みだったのでつい勘違いしていたようだ。

 『催眠』,『千里眼』の松岡圭祐の新作,というか新シリーズである。
 主人公はリンカーンのショートリムジンタイプの霊柩車を駆るドライバー,伶座彰光,39歳。黒づくめの身だしなみ,ほっそり痩せているが物腰は油断なく,端正な鼻高い面影はどこか神秘的(御手洗とどこが違うんだ……)。
 数知れぬ遺体を運んできた彼の経験は,遺体を一見するだけでその死に様を読み取り,深い洞察をもって真実を看破する……。

 葬儀屋探偵という設定にはすでに前例があるが,本作は「霊柩車ドライバー」という職業に限定することで,独特のキャラクター,雰囲気を作り上げることに成功している。

 松岡圭祐という人は不思議な作家で,『催眠』ではサスペンス,アクション色を排した朴訥なまでに謎と解明を積み上げるような作風だったのが,次作『千里眼』ではジェームス・ボンドもよもやの戦闘機アクションまで飛んでいってしまい,面白いがどこかついていけない,とその後は縁遠くなってしまっていた。
 『霊柩車No.4』は何年ぶりかに手にとった松岡作品だが,短編と中編を組み合わせたような構成の,短編のほうはシックで緻密で大人びたA級作品,中編のほうは絵に描いたようなジェットコースターサスペンスのB級作品と,作者の二面性のよく表れた(正確には二面めが暴走した)構成になっている。
 霊柩車,遺体,火葬場といった要素にそれだけで「怖い」「気持ち悪い」と敬遠される方は別として,予断を許さないスピーディでスリリングな展開,プロの霊柩車ドライバーのブログに取材したというリアリティあふれる葬儀の薀蓄が読み手を飽きさせず,よく出来たエンターテイメントとなっている。たとえばこんな一節だ。

 「脳卒中や心筋梗塞で亡くなった故人を,しょっちゅう運ぶ。たいてい,生きているうちに血液がサラサラになる薬ってやつを飲んでる。そのせいで血液が固まりづらい。デリケートな液体入りの袋を運んでいるようなもんだ」

 個人的には,こういった薀蓄がちりばめられ,遺体の様子から事件の謎を読み取る,新本格ばりの前半の短編部が好もしい。このシリーズそのものは残念ながらそうではない方向に進みそうだが,ニヒルでカッコいいヒーロー像といい,エンターテイメントのジャンルに新しい柱ができたことは祝いたい。
 ……ただ,一点。この続編のタイトルは『霊柩車No.4 2』になるのか?

先頭 表紙

霊柩車ドライバーについては,著者(松岡)がテレビ番組「ブログの女王」に出演時に審査員として選んだブログからのネタだそうです。それにしても,催眠術師として怪しいエロ番組に出ていたり,全体に不思議な作家です。でも,名誉よりエンターテイメントを体が選んでいる感じで,嫌いではないなー。 / 烏丸 ( 2006-12-03 14:05 )
松岡圭祐って、変な作家さんですよね。『催眠』を書いていた頃は、ほとんど本は読まないと言っていた気がします。それなのに、そういう特殊な知識はどこで得るのでしょうね。 / koeda ( 2006-12-03 10:05 )
こんなシュミのものもあります。 / 烏丸 ( 2006-11-27 02:08 )

2006-11-24 串刺しにされてぎゃあぎゃあ鳴き喚く 『姉飼』 遠藤 徹 / 角川ホラー文庫


【──さぞ,いい声で鳴くんだろうねぇ。】

 角川ホラー文庫から気になる本が続けて発売されたので,とりあえず紹介。

 「姉飼(あねかい)」は,短編ながら第10回(2003年)日本ホラー小説大賞受賞作。しかし,大賞に選んでおきながら選者らの評価がどちらかといえば酷評に近いものばかりで,ある意味悪趣味な興趣をそそられた。単行本をつい買い逃していたため,文庫になってさっそく購入してきた。

 「姉」とは,脂祭りの縁日に胴体のまんなかを太い串に貫かれてぎゃあぎゃあ泣き喚いている危険な生き物である。主人公は子供のころにクラスメートの家で姉を見て以来,姉を買うことを夢見続けて……。

 蚊吸豚,脂祭り,出店の姉ら,想像力がしたたるような世界を淡々と描く前半のエグさは悪くない。と思って読み進むと,後半は思いがけず正当派,といっておかしければ妙に人間ドラマ臭い短編小説としての体裁整えて終わる。力のこもったエンディングではあるが,容易に予想がつくといえばつく,類型的なオチでもある(類型的なものは,強いのだ)。

 かつて筒井康隆がSFを語るにおいて,小説を
   通常の世界に 通常の登場人物
   異常な世界に 通常の登場人物
   通常の世界に 異常な登場人物
   異常な世界に 異常な登場人物
の4つに分け,一番めは普通の小説,SFが担うのは二番めと三番め,四番めはもはや小説といえない,ということを書いていた。
 「姉飼」は,この分類でいえば途中から軸がぶれているのである。意図的かどうか。「妹の島」という作品でも視点がぶれたように,この作者はそのあたり少し無頓着なのかもしれない。

 ただ,よい悪いを問われれば,「姉飼」は,よかった。
 思わず鼻をそむけたくなるような悪臭,陰惨を随所に盛り込み,最後には強引に小説の型にはめて終わらせている。これはマンガに近いチカラワザである。無駄に話を長引かせず,短く切り上げたこともよかった。

 強いて物足りない点をあげるなら,「姉飼」という素晴らしいタイトルを得ながら,「姉」という言葉が作品中でなんら意味を持たなかったことだ。主人公に「弟」の要素を一切持ち込まなかったのは,作者の側の意図だろうか。

 ところで。「姉飼」が大賞を受賞した同年の日本ホラー小説大賞の短編賞は朱川湊人の「白い部屋で月の歌を」が受賞した。「白い部屋で」も作品としては悪くないが,確かに,一短編としての固さ,重さは「姉飼」に及ばない。
 もっとも,短編集『姉飼』収録の他の三篇(「キューブ・ガールズ」「ジャングル・ジム」「妹の島」)の思わぬ出来の悪さに比べれば,朱川の語り部としての技術,素養は桁違いで,その後朱川が営々と一定水準以上の作品を発表し続けていることを思うと『花まんま』での直木賞受賞はダテではない。

 ただ,ここでは,遠藤,朱川が日本ホラー小説大賞において同年受賞者であったこと,また,朱川のデビュー短編集『都市伝説セピア』収録のホラー短編「アイスマン」が,少年の日に縁日で非日常的な生き物に出会ったことがその少年の後の人生を狂わせて行くこと,その生き物や出店の正体が最後まで曖昧なままで終わってしまうこと,さらには登場人物を巻き込んだありがちなエンディングまで,実に「姉飼」そっくりな構成になっていることを記しておきたい。

先頭 表紙

2006-11-13 毒とも薬とも 『のりこ』 二階堂正宏 / 新潮社


【頭を割るんじゃなくて お湯で割ってほしかったのよ】

 あちこちの書店でA5版,つまり大判のマンガ棚に割合よく見かける本なのだが(新潮社の営業力のタマモノだろう),昨今はマンガ本にビニール掛けしている書店が多く,内容を気にかけていた方も少なくないに違いない。

 『のりこ』は,林静一ばりの伏し目がちな美人妻が,七年間寝たきりの義母を殺そうとするが,義母は嫁を投げ飛ばし,マンガ的な回復力をもって生きながらえる。ただその繰り返しで1冊である。

 たとえば,(三河屋が届けてきた鯛を)「三枚におろせるかしら」と義母が問えば,嫁は包丁をふるって義母を三枚におろそうとする。「頭が重い」と訴えれば,斧を振りかざして頭を切り落とす。「ヌカ漬けの作り方知っているかしら」と問えば,腹を包丁で割いて内臓を引っ張り出し,塩辛の作り方と間違えていたと謝る。

 ときどき屋外編があったり,二人黙り込むシーンがあったりと,独特の破調が読み手を引き込むが,全体これがブラックユーモアになっているのかどうかはよくわからない。
 困ったことに,読むに堪えないとか,一読するや速攻古本屋行き,と言ってしまうにはそれなりに楽しんでしまったし,捨てる気もない。
 いや,どこかにそこいらの名作本より喜んでいる自分がいる。

 なんでこんな遠回しな言い方をしなければならないかといえば,それはこの作品が示す楽しみが「隠微」の領土にあるためだ。美少女の尻の穴さえクリック二,三発で安直に見られるようになった当今,「隠微」こそはなかなか得がたいものであり,なおかつ習慣性の強い媚薬なのである。
 タバコをやめるには,禁煙を宣言して壁に半紙の1枚も張ればよいが,「隠微」から逃れるのは難しい。「隠微」はそれを楽しんでいることからしてそも自分にも内緒だからだ。

先頭 表紙

ヒキタクニオの週刊現代連載エッセイの挿絵のキャラが正にこの「のりこ」で,はっきり言って本文よりよかったのだが,単行本にはとくに二階堂正宏の名前は見受けられない。残念ですわお義理さま。 / 烏丸 ( 2006-11-14 01:00 )
普段は表紙カバーのキャプチャーを旨としているのだが,『のりこ』の表紙は色合い,カットともかえって誤解を与えそうなので,本ページからの引用とした。 / 烏丸 ( 2006-11-14 00:59 )

2006-11-05 女の子は 人形じゃないんだから 『スミレ 17歳!!』 永吉たける / 講談社コミックス


【きっと誰かに届くハズです】

 ヘンなキャラにヘンな設定,そういうマンガなら多少は見慣れている。ましてやこんなショボい絵柄,今さら驚くことも……と油断してたら,うう。驚いた。

 主人公はおちゃめで明るい女子高生の四谷スミレ。
 ……ではない。多分。スミレは口元に切れ目の入った腹話術の操り人形であり,真の主体はそれを操っている黒子のオヤジのほうである。

 が,「ゼイゼイ」「ヒパーヒパー」と息切れする以外一切セリフのないこのオヤジが何者で,何を思って人形女子高生を操っているのかはまったく説明がない。
 ポイントは,操られているスミレが自分のことをごく普通の女子高生であると信じて一片の疑いもないことだ。オヤジはスミレがスミレであるためだけに愚直に力を尽くし,スミレはスミレでオヤジが蹴られようが殴られようが「フン 超空振り〜 みたいな!!」と意にも介さない。ときどき勢いでスポッとスミレの首が抜けて,追うオヤジ。走るオヤジ。

 スミレは行く先々で騒動をまき起こす(それはまぁ,そうだろう)。スミレはまっすぐで優しくて夢見がちで,友だちの輪を広げ,ときどき壁にぶちあたった若者たちを立ち直らせる。
 スミレの言動は当然すべて黒子のオヤジによるものなのだが,とてもそうは思えない。少年たちはオヤジの操る人形とわかっていながらスミレに恋をしてしまう。おっちょこちょいなスミレだが,そこは年の功(?),恋する少年の扱いだけは妙に達者だ。このあたり,構造を冷静に考えるとかなり気色悪い。

 オヤジにはかつて娘がいて,とか,ウェットな背景を想像するのはたやすいが,この細目のオヤジは黒子に徹して,決して私生活を見せない。生活費はどう捻出しているのか?
 朝日新聞の書評は本作を「萌え」の構造を白日の下にさらけ出したと指摘したが,どうだろう……少し違うような気がする。ギャグとシリアスのバランスについては,徳弘正也『新ジャングルの王者ターちゃん』あたりを思い起こす。だから何,ではあるのだが。

 『スミレ 17歳!!』は2巻で完結し,週刊少年マガジンに『スミレ 16歳!!』とタイトルを少し変えてリニューアル連載され,単行本もすでに2巻発売されている。しかし,純度については初期の『17歳』のほうが格段に高い。だまされたと思って読んでみよう。たぶん貴方は呆れるだろう。少しだけ笑うだろう。少しだけ泣くだろう。

先頭 表紙

盗撮少年が報道カメラマンになってイラクで子どもたちを撮影する1ページなど,シンプルだが感動的だ。マンガというメディアの表現力の高さに改めて驚く。 / 烏丸 ( 2006-11-05 03:27 )

2006-10-30 目が死んでいる 『レナード現象には理由がある』 川原 泉 / 白泉社


【そーかい? ありがとう 和田くん】

 もう何ヶ月か前のある夏の日,大手書店に立ち寄って大判のコミックを何冊かまとめ買いした。

  吾妻ひでお 『うつうつひでお日記』
  とり みき 『トマソンの罠』『パシパエーの宴』
  二階堂正宏 『のりこ』
  浦沢直樹 『PLUTO(3)』

袋の大きさからするともっとあれこれ買ったはずだが,よく覚えていない。

 いずれもすぐに目を通した。ただ,1冊だけ,そのあまりの重さに棚にずっと放置していたものがある。
 川原泉の新作短編集だ。

 もちろん,たかが学園コメディ,内容が重いわけではない。ひでお日記のように文字だらけというほどでもないし,パシパエーやトマソンのような全共闘時代のSFでもない。のりこのように……これは比較するのが無理か。PLUTOは3巻にいたってさすがにトーンダウンだが,これは別の機会にしよう。

 川原のこの十年の作品はすべて痛い。痛くてたまらない。
 とくに,主人公の目がひどい。これは,放置されたセルロイド人形の目だ。死人にはめたガラスの目だ。

 ことにこの『レナード現象』は,穏健な学園を舞台に,奇抜なめぐり合いをし,ささやかに惹かれ合う若者を描くという,初期の『3月革命』や『月夜のドレス』,食欲魔人シリーズを彷彿とさせる枠組みだけに,当時との落差がつらい。

 『空の食欲魔人』『甲子園の空に笑え!』『カレーの王子さま』『銀のロマンティック…わはは』『美貌の果実』,これで必要十分。
 『笑う大天使』以降は不要。

先頭 表紙

2006-10-23 『きのこの迷宮 こんなところにあった,別世界』 小林路子 / 光文社 知恵の森文庫


【だからきのこは自然がそこにポンと置いていった贈り物のように思えるのではあるまいか。】

 みな底にひそむ異形の徒が深海生物なら,森を飾るあやかしの使いがきのこである。
 上に引用した一節の「ポンと置いていった」にも表れるごとく,なにか私たちの日常の脈絡とはかかわりなく,あたかもほかの次元からはみ出して,ふと気がつけばそこにいるような異界の生き物。さっきまでその切り株には間違いなく何もなかったのに,ふと振り向けば,そこに,いる?

 本書は,細密なきのこの絵で知られる画家の小林路子が,きのこの楽しさを知らしめんと著したもので,きのこ採りの楽しさから食べる楽しみまで,さまざまな切り口からきのこを語りつくした1冊である。

 繊細で不思議なきのこそのものの魅力。きのこを語り合う仲間たちとの集い。完全防備で山に踏み込み,雨をものともせずきのこを探す魅力。逆に都会の一角にひっそり発生するきのこをめぐり,菌類好き同士が出会う話。
 きのこ好きが乗じて仲間うちで「仙人」とあだ名される著者の筆さばきは軽く明るく,笑いを誘うエピソードも満載だ。きのこを探して三年ばかりすると,次第に目がなれてきてきのこが見つけられるようになることを「きのこ目になる」という話など得がたく,興味深い。

 ところで,山に登り,スケッチしたり,ナベにしたり,というきのこ採りの楽しみとは別に,きのこについて耳目を集めるのは,そのいくつかにエキセントリックな「毒」があることだろう。一昨年,これまでごく普通に食用とされてきたスギヒラタケが突如毒性を発現して多数の死者まで出たのも記憶に新しい。
 餌となる生物を捕らえようとしたり,我が身を守ろうとする毒ヘビや毒虫の毒と違い,きのこの毒は明らかに「たまたま」人の体内で毒となってしまうものであり,症状も毒の強弱も千変万化,その分すさまじい。
 嘔吐,下痢,腹痛などの胃腸系の症状は序の口で,
「再び激しい嘔吐がはじまり,大量の黒い血を吐き続け,タタミをかきむしって苦悶した」「その後も人工透析が欠かせず,一人前に働けない体になってしまった。臓器がボロボロになってしまうのだ」(ドクツルタケ)
「一時意識はもどったが,四人の子供のうち小さい三人は二日後に死亡,一番上の子は四日後に死亡した」(ニガクリタケ)
「手足の先が赤く腫れ,焼け火バシを刺されるような激痛が一ケ月以上続くのである」「皮膚がただれて,治ってもケロイド状になるそうである」(ドクササコ)
「数日後,四十度以上の発熱があり髪が抜けはじめた。運動や言語に障害が起き,幸い回復したが後遺症があり小脳に萎縮が見られたという」(カエンダケ)
など,など。食べたときには違和感がなく,何日も経ってから症状が出るものも怖い。あとに障害が残るのも恐ろしい。
 きのこは結局のところ,ヒトとは文脈,文体が違う生き物なのである。理解できなければ,解毒剤の開発も難しい。

 著者はきのこの楽しみを伝道する意識をもって本書を纏めたようだが,実際に記憶に強く残ったのはナベにして楽しいきのこではなく,あくまで異界の使者としての謎めいた毒きのこの姿である。
(まぁ,このあたりは私がもともとマツタケ含めてきのこにあまり食欲のわかないタチであることにもよるのだろうが。)

 きのこのヒダからツボにいたるまで詳細に扱った本書は実に興趣に満ちた書物ではあるが,しいて1冊の本として欲をいえば,本文中にさまざまなきのこが話題に登場するのに対し,カラー口絵にはタマゴタケやアシベニイグチなどほんの数種類しか掲載されていないことが寂しい。カラフルな,あるいは不気味なきのこと遭遇し,「私は喜んで,地面に寝転び,スケッチをした」といったような表記が散在するだけに,余計に口惜しい。

 また,きのこの食べ方について万漢全席ならぬ「万菌全席」と称してシブくてゴージャスなきのこ料理のフルコースを紹介するなど,バラエティに富んだ内容のわりに,最後がきのこグッズやきのこの形を模したお菓子の話題で終わるのはどうもバランスが悪い。同じきのこの話題を広げるのなら,きのこが登場する本や映画まで扱ってほしいと思うのは,選り好みが過ぎるだろうか。しかし,冬虫夏草を扱って名高い白土三平『イシミツ』や,きのこの怪しさを描いて夜の巷の心肝寒からしめた映画『マタンゴ』など,私の知る限りでもきのこを扱った作品には魅力的なものが少なくない。など,など。

先頭 表紙

2006-10-13 『深海生物ファイル あなたの知らない暗黒世界の住人たち』 北村雄一 / ネコ・パブリッシング


【餌になる魚を置いてしばらく待てば,何もいないように見える深淵の闇のなかから集まってくる】

 ターミナル駅の地下街の書店でたまたま出会った。奥付を見ると昨年の11月の発行とある。
 不覚,不覚,不覚,不覚。こんないい本を知らなかったとは。

 ……それから夜毎枕元に置いて,ところが読み切るまでに2ヶ月近くかかってしまった。
 暗い海の底に音もなく集まる怪しい生き物たちが脳裏に揺れて,毎晩ほんの2ページ,4ページと読み進んだところでとろりとろーりと意識がとけてしまうのである。

 最初の80ページあまりは深海生物の写真集。
 これは貴重だ。嬉しい。美しい。
 試しに,小学生のころから魚類図鑑であこがれだった,あの口が大きくて胃袋に自分より大きな魚を収めたフウセンウナギ(サッコファリンクス),フクロウナギ(ユーリファリンクス)の画像をインターネットで検索してみよう。海洋堂のボトルキャップで人気の出たセンジュナマコ,早川いくおの『へんないきもの』で有名になったオオグチボヤなどの深海生物でもいい。イラストや海洋堂のフィギュアの写真はあっても,生きた深海生物のクリアな写真となるとほとんど見つからないことに驚くだろう。
 深海生物はこと写真,映像についていえばまだまだ未開拓な分野なのだ。
 (深海生物の高画質な壁紙用画像,ゆるゆると泳ぐ深海魚のスクリーンセーバーをCD-ROMにしたらウケると思うのだが,どうだろうか?)

 本文ページではグラビアで紹介された生物たちが,左に文章,右にイラストで再登場する。本の造りはベストセラーとなった『へんないきもの』の真似と言われてもやむを得ないところがあるが,なにしろ紹介される深海生物の特殊性がそんなことを忘れさせる。

 異形でありながら,どこか静かで毅然とした美しさをたたえた魚の仲間たち。
 この星の生き物であることが信じがたい,あでやかで量感たっぷりのクラゲの仲間たち。
 巨大なヒレと直角に曲がる長い腕とをもつ大型イカ(映像はあるが標本がないので未命名)やNHKのドキュメンタリーで一躍勇名をはせたコウモリダコを含む,不気味なイカ,タコの仲間たち。
 夢のように美しいナマコの仲間たち,みな底の砂に奇妙な軌跡を残すユムシ,ギボシムシの仲間たち。
 そして,硫化水素と酸素を化学反応させてそのエネルギーで増殖する硫黄酸化細菌を体内にぎっしり共生させて成長するハオリムシ。ハオリムシは口も肛門も消化器官も退化し,ただ真紅のエラから硫化水素と酸素を取り込んで体内のバクテリアに送り込んで自らも成長していく……。

「さらに深く潜ると1000メートルあたりで全くの暗黒になってしまう。」
「暗い深海では植物が光合成によって有機物を生み出すことができない。」
「人間は10気圧程度で呼吸障害を起こす。深海の生物にとって水圧が真に脅威になるのは深度3000メートルを超えて圧力が300気圧以上,1センチ四方にかかる圧力が300キログラム以上に達するあたりからだ。強大な水圧は生物のミクロな部分,細胞やタンパク質の構造まで押しつぶしはじめる。」

 宇宙に進出するのに比べても比較にならないほど過酷と言われる深海に生まれ,漂い,棲息する個性豊かな生き物たち。
 彼らの多くは発光器官をもつ。あるものは目が異常に発達し,あるものは目がすっかり退化している。繁殖の機会が少ないためか,深海魚には,雄が小さくて雌に寄生するもの,雌雄同体のもの,さらには最初は雄として成熟し,成長すると雌に性転換するものもいる。

 彼らが自ら望んでこのような姿,このような機能を持ったのでないとしたら,この世界には,間違いなく,設計に長けた神がいるのだ。ただし,その神のデザインセンスは人間の想像を超えている。その神の存在を前にしたとき,死肉にもぐりつく骨らしい骨のないヌタウナギと人間にどれほどの違いがあるのだろう。

 ……よく,わからない。わからないながら今夜もまたページをめくる。そして深い闇に沈む。

先頭 表紙

2006-10-09 『巨人軍タブー事件史』 別冊宝島編集部 編 / 宝島社文庫


【凋落しているのはジャイアンツで,プロ野球ではない。】

 ジャイアンツの本など別に続けたくはない。ないのだ。のだけれど今のうちに書いておかないと二度と話題にできないかもしれない……そんなことをウスら寒く思ってしまうジャイアンツの凋落度合いである。諸行無常。

 本書は長島解任,江川空白の1日,バース敬遠指令疑惑,桑田当板日漏洩疑惑,湯口変死事件,韓国籍選手への差別,番長清原の乱闘時の意外なヘタレ具合など,ジャイアンツにまつわる数々のスキャンダルを取り上げたもの。
 アンチジャイアンツ派にとっては溜飲の下がるダーティなスキャンダルのオンパレードであり,「やっぱりあいつらは,な」と酒の肴に煮たり焼いたりしたいところだが……あいにくジャイアンツの悪口で盛り上がることのできるトモガラも今や絶滅危惧種だ。

 そもそも,ジャイアンツの凋落の直接の原因は何だったのか。
 嗜好の多様化,度重なる不祥事,金権野球。サッカー人気,スター選手のメジャーリーグへの流出。妙にバラエティ化したナイター放送の勘違い。
 いずれも正解だろう。その中でも,昭和のスーパーヒーロー,長島を軽んじた監督解任事件はマーケットを断絶させた点で減点ポイントが高い。さらにもう1つ,あまり言われていないことだが,松井秀喜の役割というか,残したダメージが大きかったのではないか。

 松井のドラフト会議への反応について,ある記事は「阪神ファンだったと言われる松井だが,長嶋茂雄監督(当時)がクジを引き当て巨人に決まると笑顔で快諾」と記している。これはそれまでのジャイアンツ一辺倒の入団記事とはかなり色合いが異なる。
 空白の一日を利用して江川が,密約を噂されながら桑田が,FAを利用して落合が清原が入団したがった球団に対して「快諾」。この文脈は,明らかに主体が球団側でなく(まだ北陸の一高校生に過ぎなかった)松井の側にあったことを示している。そしてその松井は,四番打者として活躍中,球団を見捨ててメジャーリーグに走る。礼を失しているわけではないが,球団に対する過剰なレスペクトは感じられない。
 もしかすると,生真面目な顔をした松井秀喜こそは「栄光」のジャイアンツに水をかけ,この国が見続けていた太平の夢を覚ました張本人だったのではないか。……

 ところで,そのジャイアンツを復活させるための方策は何かあるだろうか。
 ジャイアンツの人気を取り戻すために生え抜きの選手によるクリーンナップを,という提言をよく見かける。別にそんな必要はないだろう。阪神金本,日ハム新庄らを見ても明らかなように,問題は生え抜きかどうかではなく,魅力と実力である。
 ……それにつけても解せないのは高橋由伸だ。あり余る才能を持て余し,ただ引退を待ちこがれているかのようなふてくされた態度。
 彼は,どこへ行きたいのだろう。何が,嫌なのだろう。

先頭 表紙

ところで,もし自分がジャイアンツのオーナーなら,三顧の礼をもって新庄を監督に招きたい。同じ勝てないなら,ジャイアンツがもってない大切なものを知っている新庄に任せたほうがなにかと吉。 / 烏丸 ( 2006-10-11 01:23 )
ホークスの相手が中日ドラゴンズに決まった。……と,今日くらいは言わせてください日ハムのファンの皆さん。 / 烏丸 ( 2006-10-11 00:38 )

2006-10-02 『巨人(ジャイアンツ)マンガの系譜』 蕪木和夫 / 水声社


【あゝ,あの頃の巨人が懐かしいなあ】

 駒苫の田中を持ち上げるだけ持ち上げて,ハンカチ王子こと早実斎藤の人気がブレークするやそちらに色目を使う。斎藤が進学表明すると,一転愛工大名電の堂上を1位指名。結局抽選に外れ,ことわざ通り虻も蜂も取り損なって後悔後の祭り。
 クジ引きは時の運とはいえ,少なくともここにはかつて金と人気で専横を極めた「盟主」ジャイアンツの面影はない。相変わらず傲岸不遜なのは球団幹部の老人どもだけで,痩せた選手らは顔と名前が一致せず,視聴率は勝っても負けてもふにゃふにゃとしお垂れるばかり。

 そんなジャイアンツのかつての栄光の時代に,少年マンガ各誌を飾った数々の「巨人マンガ」があった。本書はその重いコンダラを列挙し,過ぎし野球少年時代へのオマージュと,未来への苦味を込めた紹介をしてみせるシレンの道である。
 『スポーツマン金太郎』『ちかいの魔球』『ミラクルエース』『黒い秘密兵器』『巨人の星』『侍ジャイアンツ』……。
 いずれの作品も奇妙奇天烈,奇想天外,人間離れした主人公,ライバルともに味わい深く,かつて部屋の隅で日がかげるのも忘れて読みふけった半ズボンの日々が思い出される。

 今,こうして一連に並べてみると,憧れの対象だった主人公の誰しもに暗い「再起不能」の影が落ちていることに驚く。
 『ちかいの魔球』『黒い秘密兵器』『巨人の星』という少年マガジン連載シリーズでは,主人公はいずれも魔球を投げ過ぎて手首を傷めて消えていく。『ミラクルエース』でも主人公は満身創痍,『侍ジャイアンツ』にいたってはマウンドで弁慶立ちしたまま死んでしまう。
 星飛雄馬を例にひくまでもなく,なぜか巨人マンガのエースたちは肉体的にも精神的にも脆弱だ。荒唐無稽なマンガでありながら,結局のところ最後まで作中の「光」の具現たる長島に及ばない。

 もう一点,不思議なことがある。
 これら「巨人マンガ」では,作者を異にするにもかかわらず,記憶に残る名シーンの一つひとつがおよそ肉体の躍動感の対極にあった。
 投球シーンなら,投げ終わったあとの静止ポーズ。打撃シーンなら,振り終わって打球を目で追うシーン。映画『巨人の星』(そういうものがあったのだ)のラストシーンは甲子園に向かう飛雄馬ら星雲高校チームの乗った汽車に向かう一徹のVサインの静止画像だったし,テレビでは大リーグボール二号で飛雄馬が高く足を上げたシーンだけで30分はもった(ような気がした)。
 つまり,これらのマンガにおいて,ボールを投げる,打つ,取る,投げる,という一連の流れとしてのプレーはほとんど記憶に残っていないのである(ちばあきおの『キャプテン』『プレイボール』の躍動感と比較すれば,その「静止」性は明らかだ)。
 まるで所作として「大見得」をきることだけが大切であるかのように,ポーズポーズがいちいち停止してしまうスポーツマンガ。梶原一騎の趣味嗜好だけで語れることではないような気がする。

 つまるところ,「巨人マンガ」とは野球に姿を借りた格闘技であり,その必殺技たる「魔球」は野球というスポーツの技術ではない。だから,「巨人マンガ」では,ボールゲームとしての野球のダイナミズムは描きようがなかったのかもしれない。
 これらの「巨人マンガ」に再三登場する土ケムリにボールが姿を隠す魔球,あの魔球はピッチャーの手首を凍りつかせ,バッターは立ちすくんで動けず,観客も水を打ったように静かになる。どう頑張っても,土けむりごと振り抜いてみせた,あの長島に勝てるわけはなかったのだ。

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