口車、かつて某建設会社に勤めておりました。国内も去ることながら、海外の工事現場はネタの宝庫。今回、私が体験したことの中でももっとも強烈なやつを御紹介いたしましょう。
今を去ること、ん年前、正確には「そるだしち」ができる前の年の、ポーランドはワルシャワと思ってくだせぇ。そう、共産党政権ごりごりのころの出来事です。時代的背景として、「共産党政権=治安はばっちり」ということを、念頭に置いといてくださいましね。
#「そるだしち」がわかったら、あなたは立派なポーランド通
さて、口車がいたのはワルシャワから西北へ、ヴィスワ川沿いに100km下った古都プウォックの街でした。なかなか落ち着いた街なんですが、なんせ小さい街につき、1か月もいるとあきちゃう。それに会社の人間と休みの時まで面つきあわせているのやなんで、時々バスに乗ったりして、週末はワルシャワに遊びに行っていました。
何をしに行っていたかというと、ワジェンキー公園というショパンの銅像がある公園での日曜コンサートとか聞きに行ったり(ただだよ)、さらに足を伸ばしてショパンの生家行ったり、あとは買い物とか頼まれての買い出しとかですね。ワルシャワのドルショップにしか売っていないたばことかあったので。あ、一度競馬しに行ったな。
たいていは日帰りしていましたが、オペラハウスのコンサート夜聞きたいとか、文化と科学の宮殿、すぽんさーど・ばい・ゆうえすえすあーる(ゆうえすえす・エンタープライズではない)地階にある、オネェチャンすっぽんぽんになるショウがあるナイトクラブで飲むとかすると、飛び込みで外国人相手のホテルに行き、1泊していました。これが以外と簡単に宿泊できたんですね。
さて、7月末の土曜日、いつものつもりで1泊するべく、ホテルに飛び込みで行きました。ところが、観光シーズンで部屋が空いていないという。そこで次のホテルに向かい、また飛び込みで「止めてよ」とレセプションでお願いしましたが、またまた部屋が空いていない。さらに次の、さらにさらに次の、さらにさらにさらに次の、さらにさらにさらにさらに次の、さらにさらにさらにさらにさらに次のホテルでも、断られてしまいました。
途方に暮れていると、その最後のホテルのロビーにいたおぢさんが声をかけてきて、自分のアパートに泊めてやると言ってくれました。いやー、あんときゃほんとにほんとにほっとしただよ。
おぢさんに連れられて10分ほど歩き、アパートの7階(日本式には8階)の彼の部屋へ行きました。そして軽くウォッカをやり(何はともあれ、挨拶代わり)、おぢさんにお金を払って、隣の寝室に案内してもらいました。そしておぢさんは、部屋を出ていくときに、「部屋の鍵は、ちゃんとかけるように。」と、念を押していきました。ところが不肖口車、昼間歩き回ったのと安堵感からくたくたで、うっかり鍵をかけ忘れてあっという間に寝てしまいました。
どれくらいたったでしょうか、頭の上でドアがかたっと開く音で目が覚めました。そしたら、若いスーツ姿のにいちゃんが、おぢさんを訪ねてやって来て、うっかり私が寝ている部屋のドアを開けてしまったのでした。時計を見ると、12時過ぎでした。そのにいちゃん、「あ、ごめん。」とすぐ出ていって、私もすぐまた深い眠りに落ちていったのでした。。。
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