先日、知人が来ていろいろとおしゃべりをしていた時に、その知人が「ジュモクソウがあるんで、4月に〜〜へいくんですよ」(〜〜はこの人の郷里)と言った。
「ジュモクソウ?」聞きなれない言葉だったので、何のことかと聞き返した。
そうしたら、知人は1枚のハガキを見せてくれた。
「樹木葬」の案内状?だった。
故人の遺骨をお墓に入れず、海や山に散骨してもらいたいと望む人が増えてきていることは、何かで読んだり聞いたりしていたので、すぐに理解できた。
故人が愛した木の根元に遺骨を埋めるのだろうか、木々の茂った山に散骨するのだろうかなど聞いてみたが、その人も初めてのことであり、よくは分からないとのことであった。
故人の本葬は昨年の10月にあり、その時にも〜〜へ行ってきたとのことであったので、お葬式を2回するようなものかなと思った。「樹木葬」の方は平服で簡単にと書いてあったので、法事のように内輪でやるらしい。
実は、私もこの散骨を望んでいる。私は海を朝に夕にながめて育ったので「海」を希望している。乳がんの再発を繰り返している私にとって「死」は常に側にある。
時々、海の底にあるいは浪打際に人の骨とは分からないような色と形になっている「自分」を想像する。
私の夫は全くの常識人であり、「散骨」などは考えもつかない人だ。
それでも、私は1つだけ「約束」してもらっていることがある。
それは、私が死んだら「骨の1かけら」を「海」にながしてほしいということ。
夫は「いいよ」と言ってくれるのだが・・・・・
それにしても、散骨するにはそれなりの手続きが必要らしい。
骨の1かけらでは、どうなのだろうか。 |