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町田マチルダの「湿気の少ない涼しい場所」

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blog:Be Machilldania

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2013-07-15 「マチキネマ」のこと
2013-07-12 「わかる」のこと(続き)
2013-07-08 骨は脆く
2013-07-07 願いごとのすべてがうまくいくとは思わないけれど
2013-07-06 「わかる」のこと
2013-07-06 居場所論の続き
2013-07-05 事件の場所
2013-07-04 なぜ勉強しなければならないのか、そもそもしなければならないのか
2013-07-03 うた
2013-07-03 わたしも居場所の話


2013-07-15 「マチキネマ」のこと

くまざわ書店で「マチキネマ」という漫画を
みつけたのだけど、誰か読んでいないかしら。

絶対おもしろいと思うのだけど。
というか、誰も読んでいなくても入手するけど。

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2013-07-12 「わかる」のこと(続き)

「わかる」という現象は言語化不可能な領域で
起こるから、「わかる」ことを伝えられないのだと
書いた。

具体的にいうと、音楽や芸術、絵画の分野で顕著で、
どうわかったかを言葉にすればするほど「真」とは
遠く離れていってしまう現象を想起されたい。

それは、芸術も言語化不可能な領域に存在するから
なのだ。

注意しておきたいのは、「わかることができない」と
「わからない」は違うということだ。


もうひとつ芸術の分野で考えておきたいというか
考えたいことがあって、それは、「絵の完成とは何か」と
いうこと。画家は、完成形からさかのぼって描いているのか、
それとも逆なのか。逆であれば、何をもって「完成」とする
のか。冒頭の話から考えればこの問いは陳腐というか逆の
ことをいっているのかも知れないが、であるならば、画家は
休憩を挟んではいけないのではないか…というのはあまりに
極論か。んー、矛盾するようだけど、形になるものは言語化
できるということだからな。何かクッションが必要かな。

すみません、結論出ません。でもこういうのって好き。

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2013-07-08 骨は脆く

自転車の小学生をみているとヘルメット必須なのか
かわいらしいというか流線型のカッコいいものを
かぶっている子が多い。

自転車なんて転んでナンボだと思うけど、頭とか
首とかから落ちると大変だからね。

そういうわたしも、いいトシして年に2回は転んで
病院行った方がいいんじゃないかという負傷をする
わけで。

一方高校生とか大学生とかそれ以上の人たちは
何か聴きながら(そして画面みながら)走っている人が
多くて、ああいう人たちは何が起ころうが自業自得だと
思う。同情の余地がない。

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2013-07-07 願いごとのすべてがうまくいくとは思わないけれど

あの黒沢健一が「関ジャニの仕分け∞」に出て
「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」を歌った。

勝ち負けより、あれ以来ぶりに聴いた、あの声。
とはいっても熟して渋くなってはいたが、いいものはいい。

実は最近よく聴く(YouTubeで)歌で、正直、発売されてから
(発売日に買った)1000回は聴いたと思うが、飽きない。

3分15秒しかないんだから、フルで歌ってほしかった。
それだけが心残り。

あ、3分15秒ということを知っているのは、カセット編集を
趣味にしていた世代特有の経験ですね。

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2013-07-06 「わかる」のこと

「理解」について。

で、課長と話していて、解釈を話そうと
思いながらずっと聴いている、という状態が
続いたときに、ふと「わかる?」と訊かれた。

「わかります」と答えたのだけど(わかったし)、
そのときに、「わかる」という現象がわかった気がした。

同じ言葉を返すのは「理解」にならない、その人なりの
文脈で、同じ意味にならなければならない、しかし、
意味が同じであると「理解」するためには…という
堂々巡りになると思っていて、「理解」の不可能性と
いうテーゼを立てようと思っていたくらいなのだけど、

そのとき、「わかる」というのは、感覚である、という
ことに気づいた。言葉にできない。でも、わかる。

説明のしようがないから、相手は、自分がわかっているか
どうかわからない。そういう構造の問題なのね。

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2013-07-06 居場所論の続き

続きといえば都筑区山田町に山田隆夫が住んでいるそうだが
(「週刊文春」より)、それはいいとして。

仕事先のとなりの課の課長(論文の相談に乗っていただいて
いる)と昼前に少し話したところ、「場所以前の『場』という
ものにヒントがあるのではないか」とのこと。

わたしは「場所→居場所」というラインを考えていたのだけど、
それ以前に、言語によって表されない「場」というものがある
だろう、と。

「言語化されない」という項が、他者というより自己のコアな
部分(わたしは、自己は、言語化可能領域と不可能領域に
分かれると思っていて、可能領域は「他者性」に相当し、
不可能領域は「語りえないもの」に相当する。専門的な話)と
合致すると思うのだけど、というかするはずなのだけど、何かが
宙に浮く気もする。


つづく(いつか)

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2013-07-05 事件の場所

KABA.ちゃんがカフェのトイレに閉じ込められて、
30分後に店員がハンマーで扉を叩き壊してやっと
救出されたと野沢直子がブログで書いて、それを
ニュースとして報道するのはどうなのかと思う、この頃。

有名人のブログみてまわるのも大変なんだろうけど。

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2013-07-04 なぜ勉強しなければならないのか、そもそもしなければならないのか

常識を持っていないと常識を疑えない、というのは
常にいっているのだけど、子どもが生まれたときに、
ある程度のことを知っておかないとまずいんじゃないかと
思う。何も教えられないし。九九とかできないと本当に困る。
漢字が読めないのも困るね。目的地に行けない。

ただ、本を読むべきかと問われたならば、その答えは
「どっちでもいい」で、本を読むよりも、ひとりでも多くの
人と話をする方が大事だと思う(「仲良くやる」という
ことではない)し、そのために、聴く力が必要だと思う。

わたしが子どもに教えるとしたら、「お先にどうぞ」精神とか、
突然大声を出さない、とか、イスを戻す、とか、ドアは静かに
閉める、とか。あくまでも、子どもと配偶者がいないいまの
段階で思いつくことだけど。

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2013-07-03 うた

確か本木雅弘の息子の名前が「うた」(漢字を
おぼえていない)だったと思うが、それはいいとして。


一瞬耳にして「これはっ!」と思った歌がわたしにもあって、
メモ的にいくつか羅列。ベスト5くらいにしようかな。


L⇔R「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」
paris match「太陽の接吻」
Mr.Children「名もなき詩」
MY LITTLE LOVER「めぐり逢う世界」
TUBE「さよならイエスタデイ」

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2013-07-03 わたしも居場所の話

みなみさんが「居場所はつくるもの」と
書いていて(これだけではもちろんないが)、
わたしが考えていることとズバリいっしょだったので
感動して書いている。

わたしの研究テーマというか論文のテーマがこれで、
実は最近社会学の自己論のあたりで流行しつつある
テーマなのだけど(「生きづらさ」というくくりで
考えると、ずっと前から流行中)、わたし自身が
どこにいても居心地の悪さをおぼえるタイプで、まぁ、
社交的ではないからだと思うが、それとは別にしても、
完全に没入するという状態が殆どない。

競馬だって、ヘタしたら最後の直線をむいた瞬間に
踵を返してパドック方面に歩を進めたりするのだ。

いくらでも批判されると思うが、その殆どは人格批判だと
思うので措いといて、一度ボールを最終ラインまで戻して
立て直すと、居場所というのは所与のものではなくて、
つくる(つくられる)ものではないかと、やはり思う。

場所が居場所になる、ということ。

結論っぽいことをいったが何をいったわけでもない。
その要因みたいなことをいわなきゃいけないんだけど、
心理的なもの以外思いつかないなー。

論文では、「名前」がその役割を果たすんだ、みたいな
ことを書いているのだけど…

先頭 表紙

競馬の話で申し訳ないんですが、ファンファーレに合わせて手を叩くようなことはしません。 / 町田マチルダ ( 2013-07-04 01:12 )
私もあんまり没入しない、できない方です。まあ直線入った瞬間パドックに、は私はしない(できない)かなーと思うけど(笑)、周囲のお客さんの熱狂ぶりの観察とかは普通にするだろうなぁ。 / みなみ ( 2013-07-03 20:54 )

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