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ナライフの「怒涛の映画&サッカー日記」

サッカーも映画も前世紀に大いなる飛躍を遂げました。さて、この新世紀、この2つはどう進んでいくのでしょうか?誰も分かりません。でも好きなんです。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-03-18 ポルトガルのお年寄り、健在!〜『家路』を観て〜@
2002-02-25 オリンピックの周辺
2002-01-28 映画における視線(3)〜小津の革新〜
2002-01-28 映画における視線(2)〜魅力、堕落〜
2002-01-23 映画における視線 (1)
2002-01-22 きたなくても勝て!!
2002-01-17 もし・・・だったら
2002-01-15 反=「物語」の見方について
2002-01-09 もしもこんな居酒屋があったら・・・
2001-12-28 ヘイズ・コードの産物〜スクリューボール・コメディ〜 A


2002-03-18 ポルトガルのお年寄り、健在!〜『家路』を観て〜@

 ひっそりと単館で公開されていて、きっと大した興行成績も上げず、話題にもならず、そのうちに終映となるに違いない映画がある。その作品の監督は、既に90歳を超えているのだが、最近は1年に1作のペースで映画を作り続けており、高齢を感じさせない。驚くべきは、その製作ペースだけではなく、中味の明晰さにある。
 監督の名は、マノエル・デ・オリヴェイラ。作品の名は『家路』。日比谷シャンテで公開中だ。この高齢のポルトガル人監督、私がその名を知ったのは、約10年前の『神曲』。日本では公開されていないが、機会あって観ることができた。次いで93年、日本では初お目見えとなった『アブラハム渓谷』。続いて、『階段通りの人々』、そして、『メフィストの誘い』、昨年の『クレーブの奥方』。『神曲』は同名のダンテの作品がベース、『アブラハム渓谷』はフローベール『ボヴァリー夫人』の現代版、『メフィストの誘い』の下敷きはゲーテの『ファウスト』、『クレーブの奥方』もその原作はラファエット夫人の古典文学、といった具合に、名だたる古典を映画化しており、いかにも「文学の香り」漂う「芸術臭い映画」のようだが、逆に全く「文学の香り」などしない。そもそも脚本自体も原作を大胆にアレンジしていることもあるが、原作通りの描写をすることなどまず無く、映像を映像として見せていき、余計な説明など一切しない(台詞も説明的演出、説明的演技も極力排している)、明晰かつ単純かつ無駄の無い、まさに「映画」になっている。
 最新作『家路』も、淡々と画で見せていく。舞台や映画で活躍するベテラン俳優が、ある日突然、最愛の妻と娘夫婦を事故で亡くし、残された孫と二人だけの静かな生活を送る中で、自らを見つめ直す姿を描いているこの作品、今回はオリジナル脚本のようだが、これまたイヨネスコの「瀕死の王」、シェイクスピアの「テンペスト」、ジョイスの「ユリシーズ」といった戯曲の上演の模様が作品全体のかなりの比重を占めるので、「名作好き」オリヴェイラらしい。しかしやはり、彼の演出は演劇とは対極にある。
 開巻後、舞台の様子を捉えた場面以外は、恐らく10分以上台詞がほとんどなく、必要最小限のショットを積み重ねていく。観る者は、それが余りに自然に展開されるので、台詞の無さを意識することはまず無いとは思う。本来は劇的な場面になり得る、妻と娘夫婦が事故で亡くなったことを主役のミッシェル・ピコリが知る場面は直接画面には示されない。そのことを知ったピコリが、しばらくすると後姿でフレームインし、小走りに画面奥のドアを開けて出ていくだけだ。そして数日後、ピコリは孫が元気に小学校に行く姿を微笑ましく見送り、部屋に戻って来て、机の上の写真立てらしきものを手に持って見る。物語上は、亡くした妻や娘の写真を悲しげに見ているのだろうが、全て逆光で撮っており、ピコリの表情など全く見せない。彼の後ろの窓の外は明るい陽が射しており、外と中の光の具合が素晴らしい。といった具合に、その演出は、オープニングから洗練の極みと言って良い。これぞ「映画」だ。

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2002-02-25 オリンピックの周辺

 約1ヶ月もの間、各所のつっこみに出没していましたが、自身のページの更新を怠っていました。忙しかった、という理由しかないのですが、よーく考えると、その理由をここで表明したところで、「それがどうした?」というつっこみをいただきかねないので、言い訳はやめておきます。
 今日オリンピックが閉幕しました。僕は、そういうことで、オリンピックの様子を観戦できず、新聞で結果等を知る程度だったので、どうにも詳細が分からないのですが、気に食わないことが1つあります。それは、オリンピックを利用したビジネス周りに存在しています。
 オリンピックは巨大なビジネスソフトです。世界中の目が注がれ、多くのメディアで露出され、終わってからも様々な広がりが予想されます。従って日本の企業も、自身の広報宣伝活動の一環として、この魅力的なソフトを利用しようとします。歴史的には、ロス五輪の頃からだそうです。その頃、私は学生だったのでよく分かりませんが、今回の五輪も、当然、色々な企業がこのソフトを利用して、自身の商品や企業そのもののイメージアップを図ろうと、巨額の宣伝費を投入していました。私が知っている、ある企業も、民放でオンエアされるオリンピック番組にCMを流すことに決まりました。因みにオリンピック番組は、通常の番組と違って、高いです。また、ある程度パッケージになっていて、そこそこの金額を必要とします。放送局も、ここぞとばかりに、いろんな企業に対して、「いかにオリンピックは凄いか」、「いかに日本国中の注目を集めるか」を資料を作って説明し、企業がお金を出すよう促します。広告代理店は、これに輪をかけます。さて、このとある企業、そういったやり取りの後、民放のオリンピック番組を提供することとなりました。オリンピックの提供をするのは初めて、ということで、相当社内で検討を重ねつつ、「清水の舞台から飛び降りる」つもりでの決断だったようです。さて、いよいよ始まったオリンピック。その企業のCMは毎日のようにオリンピックを放送する民放の番組でオンエアされていたはず。そして、今日閉幕。・・・ ところが、番組提供を決定した頃と違って、今やその企業、放送局と広告代理店に対して、かんかんに怒っています。何故か。視聴率が悪いから。突き詰めれば理由はその1点です。「話が違う」、「こんなはずじゃなかった」、「弁償しろ」…
 呆れて何も言えません。この論理、94年アメリカW杯で、サッカーくじで大損した地元のギャングが、その腹いせに、コロンビア代表のエスコバルを銃殺したのと同じです。「弁償しろ」などという台詞、いかにもビジネスっぽいですが、要は命に代替物を何か出せ、と言っているに過ぎません。
 もちろん、これを機に儲けようとする、メディアや広告代理店にも責任はあります。スポンサーがそういう発言をする原因を作っているのは、逆に言うと彼らにあります。
 しかし、…と書いていて、情けなくなってきたので、もうやめます。自分もそのビジネスの真っ只中に身を置いている人間です。僕がこの状況に腹を立てても始まりません。第3者的に批評しても仕方がありません。ただ、今回のオリンピックのスケールを遥かに凌駕するビッグイベントが今年の6月にやってきます。別に視聴率のことを心配しているのではありません。僕もこの時ばかりは、ビジネスとしてW杯と接するつもりなど毛頭ないのですが、純粋にスポーツをやっている選手達と、その最高レベルのプレーに心酔している観客たちをないがしろにする企業とお偉方には、どうか、何も言わず、大会そのものを体験して欲しい、と切に思います。

先頭 表紙

喜久蔵さん、後者の視点でもがっかりだったのですね。うーむ… / ナライフ ( 2002-03-05 13:20 )
Hidey様、おっしゃる通り、売らんが為の調子の良い嘘が代理店や放送局には多過ぎます。自戒の念も込めて言うと、まだまだこの業界、正確・緻密に推進すべきビジネスの話を勢いとかノリで済ませすぎです。 / ナライフ ( 2002-03-05 13:18 )
↓言葉足らずでした。放送時間を削って「無料で追加を」流してたということです。 / Hidey ( 2002-03-03 08:06 )
「収益」か「スポーツ選手の流した汗」。。オレは後者に感動します。今回のオリンピックにはかなりがっかりしました / りゃん吉屋喜久蔵 ( 2002-03-02 18:07 )
でも視聴率はactualが当たり前のアメリカでは、シドニー五輪の際、事前の見込みを大幅に下回っていたので、途中から放送時間を削ってCMを流したそうですね。それもそれで大変だ。actualとは言わないまでも、局と代理店はもっと言動に責任を持つべきだと思いますよ。 / Hidey ( 2002-03-02 14:42 )
心より、me, three. / Hidey ( 2002-03-02 14:39 )
フィー子さま、ちょっと今回の原稿、本来ここで僕が書こうとしているものではないんですが…あまり仕事のことを持ち込むつもりはないんです。つっこみ有難うございます。 / ナライフ ( 2002-02-26 18:58 )
ガス欠コイン様、いよいよフットボールモードですか!オリンピックの原稿、全部読んでいたのですが、なにせ何も観てなったので、つっこみできませんでした。(ここで詫びるな、って感じですが) / ナライフ ( 2002-02-26 18:56 )
おき楽大明神様、そうですか〜TV観なかったですか〜 / ナライフ ( 2002-02-26 18:54 )
八百八六助様、アテネ、そうですね。期待したいですね。そうですか、民放そんなにひどかったですか?なんとなく想像できますが… / ナライフ ( 2002-02-26 18:53 )
KATSUMIさま、金のかかるビッグイベントなので、スポンサーも必要だとは思ってますし、逆にスポンサーなくして成立しない要素も多々あるとは思っているのですが、金を出すのならイベントの精神というか本質を理解して欲しいと思います。 / ナライフ ( 2002-02-26 18:51 )
心より、me,too / フィー子 ( 2002-02-26 16:52 )
僕も多くを言える立場にはないのですが。「弁償」しろとはね。呆れちゃいますね。まあ、いよいよですね。世界最大のスポーツの祭典がやって来るのは。僕は、出身が北海道のせいもあって、ここのところオリンピックの原稿を書いておりましたが、いよいよ、フットボールモードに突入です。 / ガス欠コイン ( 2002-02-26 02:00 )
おき楽も〜TVを観なかった一人です〜☆ 選手個人〜いいプレ〜をすれば〜♪ どこからでも〜話は伝わってくる物ですね〜♪ / おき楽大明神 ( 2002-02-26 01:53 )
2004年はオリンピック発祥の地,アテネで開かれます.原点に戻って,商業主義を和らげたいというポリシーがあるようです.改善できると良いですね.それより,民放のオリンピック中継,あんなの誰が見るんだか.エキシビジョンで演技始まっているのにスタジオのタレントが映ってるんだもの. / 八百八六助 ( 2002-02-26 00:36 )
アメリカでのオリンピックに視聴率を期待するスポンサーが間違いましたね。ずいぶん早くからワールドカップとの抱き合わせ販売が噂になっていましたが。選手が最高のプレーを見せられる環境作りに、お金がかかるのはわかります。ただそれで儲けては欲しくないですね。特にIOCやFIFAといった団体は、奉仕の精神でいるべきだと思うので。 / KATSUMI@ジャマイ会 ( 2002-02-25 20:40 )

2002-01-28 映画における視線(3)〜小津の革新〜

 小津の映画は、「切り返し」の連続である。「静的」と形容されることの多い小津の映画ほど、カット数が多い映画も珍しく、その点では、小津の映画ほど目まぐるしい映画は類を見ない。彼が秀逸なのは、まず役者に心理的演技を一切させない。出演者が皆口を揃えて言う。「小津さんは身体の動き、目の動き、そして指の動きまで全部細かく指示を出して、何十回もリハーサルを繰り返す。動きは型にはめられ、窮屈だった。自分がどんな演技をしているかも分からず、監督の操り人形だった。」小津の映画での役者は、役柄になりきってなどいない。内面を露呈する表情による演技ではなく、あくまで身体のアクションを画面に定着させようとする。同じシーンでカットを変えるのにも必ずと言っていいほど、首に巻いたタオルに手をかける、とか、髪の毛を掻きあげる、とか、お茶を飲む、とかいったアクションをさせ、その間にスムーズに画面をつなげてしまう。恐らく小津は映画史上に残るアクション映画作家なのだ。

 そして、恐らく小津は、見つめ合うという行為を映画で表象するには「切り返し」という嘘をつかなければいけない、という不自然な事態とその「切り返し」が堕落しているさまを、理解していた。見つめ合うという同時間の行為が時間的な継起性に置き換えられる、という嘘。小津は、しばしば自作の中で、切り返しの「ルール」を破る。笠智衆と原節子の会話は、丹念な切り返しによって示されるが、観客から見て2人は同じ方向を向いているカットが続くので、2人の視線が交わらないのである。観る者は相当奇妙な印象を覚えるはずだ。成り行き上2人は会話しているのだが、てんでばらばらの視線なのだ。恐らくその誕生期から不自然さを抱え込んでしまった映画の嘘に自覚的な小津は、何よりも画面の画づくりを優先させた。原節子と笠智衆では体格も顔の大きさも違うはずだが、画面では同じ大きさ、同じ向きである。被写体とキャメラとの距離を役者に応じてわざわざ変えているのだ。明らかに小津は、編集での不自然さよりも己の美学に基づく画面の構図にこだわりを示した。自分の思う画づくりのためなら、「それらしく見せる」ためのテクニックは二の次でよい。虚構を「それなりにリアルに」見せる不自然さを自らの映画で露呈させるという暴挙に出た小津ほど、革新的な映画監督は他に居ないのではないだろうか。

 ゴダール、ロッセリーニ、大島渚、ソクーロフ、等々、映画史的に「革命家」と呼ばれる監督は、それぞれ確かに「映画の文法」を無視しつつも魅力ある映画を撮りつづけてきた。しかし、彼ら以上に小津は革新的な映画作家だったと思う。

先頭 表紙

おとめ様、今、更新しました!  / ナライフ ( 2002-02-25 16:51 )
更新マッテマス♪♪ / おとめ ( 2002-02-20 16:33 )
いやほんと、小津監督は凄いですよね。小津映画の無駄の無さを観ていると、黒澤映画ですら無駄なカットが多く、説明過多の印象を持ってしまいます。 / ナライフ ( 2002-02-14 12:48 )
語りつくす映画が多い中、ここまで何も語らず伝えることのできる小津監督ってやっぱりすごいですよね。小津監督の「切り返し」(モンタージュと言っていいのかな?)は自己満足でなく、見る人に優しい気がします。音でも、カットのつなぎ方でも、人をハッとさせられることを知り尽くした上での使い方だな〜って思いました。 / ぽん ( 2002-02-13 00:52 )
しまお様、実はゴダールのビデオによる作品『ゴダールの映画史』は、映画史がこれまで持ち得なかった革新的なものだと思っています。実に面白いです。 / ナライフ ( 2002-02-07 11:03 )
フィー子さま、物語の意味を追い求める「奥の深さ」ではなく、画面に見えるものだけを見る「奥の深さ」なのでしょうか。でも「見たくなっちゃったなあ」というお言葉が一番嬉しいです。 / ナライフ ( 2002-02-07 11:01 )
Hidey様、なるほど、有難うございます。漫画はあまり詳しくないので勉強になります。 / ナライフ ( 2002-02-07 10:35 )
なるほど・・。小津映画をもう一度見直したくなりました。でも映画の文法や、それを破ることも出尽くしてしまった今、革新的な映画作家が登場するのも難しいのかな?でもいつも期待はしてるんですが・・・。 / しまお ( 2002-02-03 00:36 )
なるほど。映画の話も奥が深くて面白いですね。切り返しか・・・、今後映画を観る上で1つの視点を与えられました。小津映画を観たくなっちゃったなあ。 / フィー子 ( 2002-02-02 14:42 )
映画の模倣ではありますが、漫画の世界に逸早く「切り返し」を導入したのはやはり手塚治虫でした。しかし彼も予定調和だけは嫌だったようで、左右対称のコマ割りを有効に使うなど、数々の試みをしたようです。 / Hidey ( 2002-02-02 14:07 )
一見微差だとは思いますが、表情での演技が無いと思います。普通に見ていれば気付かないくらいですが。 / ナライフ ( 2002-02-01 21:28 )
心理的演技を一切させない。すごい作家ですね。賛否両論あると思いますが、革新的だと僕も思います。 / ガス欠コイン ( 2002-01-31 23:34 )
最近確かにお見かけしないですね。『御法度』は健在ぶりを充分アピールしていた、と思いましたが。 / ナライフ ( 2002-01-30 11:14 )
大島渚は健在なんですか??体調崩してる話を聞きましたが、、野坂氏と喧嘩した記憶が鮮明です / りゃん@話とは関係なかったですね、、 ( 2002-01-30 00:05 )

2002-01-28 映画における視線(2)〜魅力、堕落〜

 映画が1910年代から急速に普及し、「娯楽の王様」として君臨するようになった要因として、恐らく「切り返し」の魅力の存在は非常に大きかった。舞台演劇を観客席から撮影しただけの映画では、人々の飽きは不可避だっただろう。事実、発明当初の1900年頃は物珍しさもあって、活動写真小屋は人だかりだったが、数年で廃れ始めていたらしい。1911年から映画監督となり、後に「映画の父」と言われるグリフィス監督の映画には、切り返しと、その際のクローズアップの魅力に満ちている。その魅力は、『イントレランス』や『國民の創生』という大作より『散りゆく花』や『東への道』といった小品に、発揮されていると思うし、ゴダールが『勝手にしやがれ』で引用した『散りゆく花』のラストシーンなどは、観た者誰もがあのリリアン・ギッシュの瞳を忘れられないだろうが、そこにこそ切り返しの真髄がある。見つめ合う2人を示す際の「クローズアップ」は、当然演劇ではあり得ない表現であり、そこで画面に映し出される顔や目に観る者は心酔したのだろう。グリフィスの映画には、映画ならではの魅惑が満ちている。1910〜20年代のことではあるが、グリフィスの映画を観ていると、映画はこの時から進歩を止めてしまったのではないか、と思うことがしばしばだ。実際、アメリカ映画黄金時代を支えた、30年代〜50年代の映画は、簡潔な切り返しと効果的なクローズアップを用い、編集で効率的に語っていった。

 こうしてその創世期には、据え置きのキャメラがただ対象物を撮り続ける、という手法で作られていた映画は、切り返しを初めとする「編集」を用いて、物語を「それらしく」見せるという嘘をつくことで、一気に広がった。ハリウッド映画産業の類稀なる商品力と他国への流通力とで、グリフィスの映画に見られる「テクニック」は、それが「イコール映画」として恐らく全世界的に一般化した。現在、映画に限らず、TVドラマ、MTV、等々全ての映像手段において「切り返し」は当然の様に使われているが、多くの製作者は、「切り返し」を、交わる視線の表象手段としてではなく、2人の心情描写手段として用いるという事態に陥っている。かつて松竹のスタッフの間で「何も策が思いつかなかったらクローズアップに逃げろ」という格言があったと言うが、見つめ合い、ささやき合い、議論し合う2人それぞれの心情を、その役者の表情の演技によって見せようとするようになってしまったが故に、グリフィスやチャップリンのような簡潔な切り返しは陰を潜め、これみよがしな恍惚とした表情の2人をクローズアップ気味に切り返していく。この状況は映画を堕落させたと言うべきだろう。たまにスイッチをつけると放送しているTVドラマは、その最たるものだ。一体何回切り返しをしていることか。何回下品なクローズアップを見せることか。心理的説明を誇張するための切り返し。TVドラマが好きな方には申し訳ないが、見ていて気持ち悪い。役者の表情を、心情を示すための「記号」にし、クローズアップも同様にその「記号」とし、そして、その「記号」を機能させるために切り返しを多用するというのは、映画を「動く絵=モーションピクチャー」たらしめているエッセンスを自ら放棄している。不可視ではっても交わる視線は、方向性という運動を持っており、簡潔な切り返しはそのものがアクションである。賢明な監督であれば、心理的説明を誇張するための切り返しやクローズアップは避け、あえて簡潔でその眼差しを画面に定着させると思う。それが「映画」というものだろう。

先頭 表紙

フィー子さま、ねえ、気持ち悪いですよね。某国営放送のように、物語は下品でないものでも下品なものになっていると思ってました。撮影も、がんがん照明を役者の顔に当てていて繊細さのかけらもないものが多いと思います。 / ナライフ ( 2002-02-07 11:08 )
もちこ様、滅相もない。ただどうしてTVドラマはこうも下品なんだろう、という思いが強かったんです。 / ナライフ ( 2002-02-07 11:05 )
自分がテレビドラマをなんか気持ち悪いと思っていたのはそういう理由も1つあったのかと、納得しました。ぽん。(←ひざをたたく) / フィー子 ( 2002-02-02 14:40 )
す、すごくお勉強になる文章でした。。。。。私も目指してみたいです。いろいろまた教えて下さいね / もちこ ( 2002-01-30 09:50 )

2002-01-23 映画における視線 (1)

 恋愛、決闘、友情、挨拶、等々、題材上の特性から鑑みても映画において人と人が向き合っている場面というのは、恐らく最も多く撮られてきたシーンでないかと思う。見つめ合う2人。恋する2人。対決する2人。そしてそれら全てのシーンにおいて、その2人は互いを見つめ、視線を交わらすことになるのだが、フィルムは人や瞳は映し出せても視線は映せない。当たり前の様だが、視線というのは不可視であり、決してスクリーンには表象され得ない。しかし、こうしたシーンで私たち観る者は、ごく自然に、2人が見つめ合っている状況を理解している。遠景で向かい合っている2人を一つの画面に収める、というのはその解決策の一つだろう。視線が交わっているかどうかは不明瞭だが、人は恐らく物語上の文脈からそう理解する。しかし、決定的な方法は、まずAなる人物を例えば右斜めから撮り、向かい合うBなる人物を今度は左斜めから撮る、というもの。これをすると、連鎖する2画面を通じて、人はいかにもAとBが見つめ合っていると理解する。この時間違っても2人を、右なら右で同じ向きで撮ってしまうと、連鎖する2画面は、交わった視線を表象しえない。

 交わる視線なくして面白い映画などありえるだろうか、と言いたくなるが、スクリーンに視線を投げかけることで観ることが成立する映画は、皮肉なことに、その交わる視線を示すのに、一つのテクニックを必要とするのである。そして、さらに皮肉なことに、その交わる視線こそ映画史上で最も多くかつ重要な表象対象なのだ。この、2画面を連鎖させることで、向き合った2人を示すテクニックは、今や当り前の様に使われているのだが、映画が発明されたころのものを幾つか私も見てみて分かったのだが、当然その頃(1900年頃)にはそんな技法などあるわけもなく、ひたすら固定されたキャメラから被写体を撮るだけである。要は、舞台を客席から撮っている状況だ。いつからこの技法が使われるようになったかは定かではないが、やはり「最も多くかつ重要な表象対象」だけに、サイレント映画初期に発見されたのは間違いなく、グリフィスやチャップリンの映画でそれは確認できる。ただ、それなくしては、恐らく演劇をそのまま撮るだけだったはずだけに、この技法は間違いなく映画を映画たらしめるものにさせる、革命的なものであり、この技法の登場と共に映画は言語の異なる地域を越えて流通しうるものとなったに違いない、と私は確信している。その技法を「切り返し」と言うが、それは単なるテクニックではなく、映画の本質だと思う。

 こうして、映画はその創生当初から、不可視なものを画面に定着させようとする、決定的に不自然な形態を、その必然として内包することになってしまったのだ。

先頭 表紙

ぽん様、ありがとうございます。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:39 )
りゃん様、ありがとうございます。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:39 )
しまお様、ありがとうございます。そんなこと言われると照れてしまいます。変な奴なんだろうと思います。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:38 )
おとめ様、ありがとうございます。こんなこと考えるのって、自分でも変だな、と思います。楽しければいいと思ってんですけどね。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:37 )
たらママ様、ありがとうございます。そう、目は大切にしたいですね。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:36 )
フィー子さま、誕生日ってなんでばれてるんですかねえ?当日見てないんですが、なんか出てたんですかね…ま、有難うございます。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:35 )
ガス欠コイン様、さすがに同姓は気味悪いから… わざわざ有難うございます。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:34 )
ガス欠コイン様、徹夜、最近してないです。すいません... / ナライフ ( 2002-01-28 15:33 )
Hiroko様、そうですね、脚本同じでも撮る人によって全然違いますよね。僕も色々考えるきっかけはそこだったんです。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:32 )
ぽん様、市川監督、そうですね。あの方、大変遊び心がおあり、というか、撮る事にとても自覚的ですよね。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:31 )
仙川様、そうですね〜ほんと楽しいですよねえ、理屈抜きで。あ、僕の言っていること、理屈か! / ナライフ ( 2002-01-28 15:29 )
はっぴーばーすでぃ! / ぽん ( 2002-01-28 11:58 )
お誕生日おめでとうございます! / りゃん ( 2002-01-27 23:42 )
はっぴーばーすでぃ♪いつも私の知らなかったことを教えてくれて、いろんな視線からものごとを見つめる大切さに気づかせてくれるナライフさまの日記、これからも楽しみにしています♪ / しまお ( 2002-01-27 22:02 )
お誕生日おめでとうございまーす♪おとめ映画好きだけど、こーゆー事考えた事なかったなー♪ / おとめ ( 2002-01-27 20:28 )
お誕生日おめでとうございます。目は大切ですね。目は口ほどに・・・とはよく言ったものです。 / たらママ ( 2002-01-27 20:27 )
お誕生日〜おめでとです〜♪ の〜んびりと〜素敵な一年になりますように〜♪ おめでとです〜♪ / 仙川亭おき楽 ( 2002-01-27 19:41 )
ふぅむなるほど・・・・。いろいろご存知ですねえ。というわけで、お誕生日おめでとうございます!! / フィー子 ( 2002-01-27 17:43 )
Happy birthday.いつもは歌を歌うのですが、男性につき、やめておきました(爆)。 / ガス欠コイン ( 2002-01-27 09:35 )
う〜ん、読み入ってしまいました。早く続編書いてください、徹夜して(笑)。冗談です、楽しみにしています。 / ガス欠コイン ( 2002-01-26 23:39 )
いつも何気なく見ている映画(映像)でもほんのひとつのシーンにこんなにも演出(?)を必要とするんですねー、、。同じ脚本でも演出家が変わると出来上がるものも変わるって言うことなのよね。(ちょっと内容と関係ないかも?) / Hiroko ( 2002-01-26 03:11 )
いろいろ試行錯誤してるサイレント時代のほうが新鮮だったりしますよね。視線の使い方は、市川崑監督とか遊びがあって好きです。 / ぽん ( 2002-01-24 17:13 )
観ている者の〜♪ 心をつかみ〜♪ 深く洗礼された映画の本質〜♪ 色々ありますね〜♪ 映画は〜楽しいですね〜♪  / 仙川亭おき楽 ( 2002-01-23 21:36 )

2002-01-22 きたなくても勝て!!

 今年のワールドカップで日本は何としてもグループリーグを突破しなければならない。3分けでもいい、負けがあってもいい、プロセスはともかく決勝トーナメント進出という結果を出さなければならない。それが今回の日本代表の義務であると私は思っている。その為には、引き分け狙いの第3者から見れば退屈な試合があってもいい。反則まがいのプレーがあってもいい。アトランタオリンピックでブラジルを下した日本のような、おこぼれのような得点でもいい。とにかく今回は結果である。昨日から合宿に入った日本代表、それを率いるトゥルシエ監督にその全てを託したいと思う。

 ところで、そうは言ったものの、実は私は、見ていて楽しいサッカー、攻撃的で美しく、ファンタジー溢れるサッカーをするチーム、プレーヤーが好きである。日本代表に今年私が求めるものは、本来私が常に求めているものではない。ヨハン・クライフは「美しく勝利せよ。」と言う。僭越ながら、それは、1人のサッカー好きとしての私の趣向に一致する。ただ勝利するだけでは駄目だ。守備的戦術で勝っても駄目だ。美しく勝利せよ。

 しかし、歴史に目を向ければ、74年のオランダ、82年のブラジル、86年のフランス、98年のオランダ、等々、大会で最も魅力的で美しいチームは、足元をすくわれ、敗れているのも確か。70年W杯のブラジルや84年欧州選手権のフランス、88年欧州選手権のオランダあたりが、「美しく勝利」した最近の稀有な例だろうか。

 かつてトゥルシエ監督がインタビューかなにかで、クライフが監督をしていた頃のバルセロナが好きだ、私もああいうチームを作りたい、みたいなことを言っていた。クライフ監督時代のバルセロナ。ストイチコフやロマーリオといった暴れん坊もクライフの下でまとまり、まさに「美しく勝利」するための超攻撃的戦術で欧州ナンバー1に輝いたあのドリームチームである。トゥルシエ監督がその理想を日本代表でどこまでやろうとしているのかは分からない。私も願わくば、日本代表が「美しく勝利」して欲しい、とは思う。恐らく一昨年のアジア大会での日本は、それに近い戦い方で(決勝戦は別だが)優勝を獲得したと言って良いと思うのだが、やはり今の日本代表が「美しく勝利」できるのはアジア内部のみであろう。ワールドカップのレベルは、アジア大会の比ではない。ベルギー,ロシア、チュニジアのいずれも、アジアのレベルを超えているのは明らかだ。それは監督も選手も百も承知のはず。だから、冒頭の繰り返しになるが、汚くてもいいから日本には結果を出して欲しい。私の理想ではないが、今、切にそう思う。

先頭 表紙

フィー子さま、そう思っておられましたか。いやあ同感同感。 / ナライフ ( 2002-01-29 19:21 )
私も今回の日本に期待するのはどんなに汚くても格好悪くてもみじめでもいいからとにかく勝て、と。格好なんてつけてて勝てるわけないと思っとります。 / フィー子 ( 2002-01-26 14:24 )
仙川様、そうですね〜逆に言うと、まだまだ日本はその「まずは勝ってから」の段階なのでしょうね〜。 / ナライフ ( 2002-01-23 09:27 )
りゃん様、まあ何とかやって欲しいですよね。どういう形でもいいから勝て、なんて甘い話だとは思いますが。94年にブラジルが優勝した時など、一部から「守備的戦術で面白くない」などという批判が出た、というレベルから見れば、ねえ。 / ナライフ ( 2002-01-23 09:26 )
ガス欠コイン様、そうですね、「魅せて勝て」が一番ですね。日本に関しては「勝つ」ことを強調したいがために「きたなくても」とは言いましたが、確かに今の日本代表は、4年前やアトランタ五輪の時と違って、己のスタイルを貫き通す能力はあるかも知れませんね。 / ナライフ ( 2002-01-23 09:23 )
まずは〜♪ 勝ってから〜☆ 綺麗な勝ち負けよりも〜☆ 勝利の執着心〜☆ / 仙川亭おき楽 ( 2002-01-23 04:17 )
そうですね!みんな結果を求めてるのですから、、少々ずる賢くても。初勝利を目撃したいものです / りゃん ( 2002-01-22 23:30 )
僕の理想は魅せて、勝てですけどね。やはり、プライオリティの高い方は「勝て」ですよ。ただ、どうなのかなあ。個人的な意見なんですけど、日本は日本のスタイルを貫き通せば、ある程度美しく勝てるのではと僕は思っているのですが。もちろん、一次リーグのみの話しとして。そうじゃないゲームもありつつ。 / ガス欠コイン ( 2002-01-22 22:06 )

2002-01-17 もし・・・だったら

スポーツの世界に、「・・・だったら」、「もし・・・れば」、「・・・だったのに」は禁じ手とされている。当然と言えば当然。それを言い出したらキリが無い。事実は事実。仮の話をしても意味は無い。意味が無いのは結構。楽しければいいじゃん、ということで、「もし・・・だったら、・・・だったのに。」の思いを以下、列挙したい。

@74年W杯でオランダが優勝していたら・・・
 誰もがあの大会の最強チームはオランダだったと言う。優勝は西ドイツだが、クライフ率いるオランダの強さは突出していた。過去の映像としてビデオで見て私もそう思う。決勝でオランダの歯車が狂わなければ7〜8割の確率でオランダが勝っていただろう。そうすれば今に至るオランダの「勝負弱さ」はなく、90年か98年W杯でオランダが優勝していたに違いない。

A82年W杯 2次リーグ「ブラジルVSイタリア」でブラジルが勝っていたら・・・
 74年のオランダ以上に82年のブラジルは突出していた。脆いディフェンス、下手なセンターフォワード等の弱点はあったが、ジーコ率いる夢のチームは、あの狡猾なイタリアにさえ負けなければ、確実に優勝していただろう。そして、恐らく世界のサッカーは、ディフェンス偏重になることなく、より攻撃的で楽しいものになっていたはずだ。

A´さらに82年W杯 準決勝「西ドイツVSフランス」でフランスが勝っていたら・・・
 上記に続いて、あの死闘が逆の結果になっていたら・・・82年、プラティニ率いるあのシャンパンサッカーが、ゲルマン魂の前に屈していなければ、決勝は、あの時点でのベストマッチ、「ブラジルVSフランス」となっただろう。かたやジーコ、ソクラテス、ファルカン・・・、かたやプラティニ、ジレス、ティガナ・・・まさに夢の対決。86年大会準々決勝でこの対戦は実現し、歴史に残る名勝負を展開したが、82年時点だったらもっと面白かったに違いない。ま、でも勝つのはブラジルでしょうな。


考え始めたらとても楽しくなってしまった。まだまだあるが、今日はここまで。
皆さんも勝手な妄想、いつでもやっていると思いますが、是非披露してくださいね!

先頭 表紙

Hidey様、可能性高い「もしも」ですね。代表で一緒のプレーは勿論ありましたけど、印象に残った絡みはあまり無かったような。確かにカズの動きが頂点の頃だったらどうなっていたか、見てみたいですね。 / ナライフ ( 2002-01-21 10:21 )
もしカズが今、最盛期を迎えていたら。。。中田との攻めぎ合いが見てみたかったです。 / Hidey ( 2002-01-19 14:17 )
フィー子さま、なるほど、そういう「もしも」もありますね。ジダンがイングランドねえ、およそ似合いませんね。 / ナライフ ( 2002-01-18 18:53 )
りゃん様、とは言っても生で見たわけではないんですけどね。元々は僕の兄が大ファンなんです。 / ナライフ ( 2002-01-18 18:48 )
そうですよねえ、ガス欠コイン様、78年のあのポスト直撃のシュート!それにバチストンの歯を折った西独のGK様!思えば色々ありますねえ。 / ナライフ ( 2002-01-18 18:47 )
とつっこんところで2番目のつっこみを読みました。ま、そういうことなんです。 / ナライフ ( 2002-01-18 18:06 )
マイケル様、ダメなんてことありませんよ!むしろ僕の意図はそこにあるのです!! / ナライフ ( 2002-01-18 18:05 )
もしもジダンがイングランドに生まれていたらあの才能はつぶされていただろう・・・と誰かが言っておりました。小野がブラジルに生まれていたら・・・!! / フィー子 ( 2002-01-18 09:42 )
ナライフさん、ヨハン・クライフのファンですよね!今頃分かった(笑) / りゃん ( 2002-01-17 23:56 )
3つとも印象に残る試合でしたね。オランダはもうひとつあります78年、アルゼンチン大会決勝、試合終了直前のシュートがポストの内側に当たって入っていたなら。でも82年のフランスVS西ドイツはねえ、バチストンの顎にナックルパンチを見舞ったGKが、どうしてその後もピッチに立っていたんでしょうかねえ(笑)。 / ガス欠コイン ( 2002-01-17 23:18 )
...と思ったら2つ下の突っ込みにまさにそれがあった。どっかで最近見かけたと思っていたらここでした... / マイケル ( 2002-01-17 22:52 )
タイトルを見て「ドリフの大爆笑」の「もし〜な床屋がいたら...」という”もしも”シリーズを思い出すようじゃダメですかねぇ... / これはこれでとても楽しいのですよ ( 2002-01-17 22:51 )

2002-01-15 反=「物語」の見方について

 知性とは、賢さとは、文明とは、物事の表層だけを見ない。その奥底に潜んだ何やら深遠なものを読み取ることにこそ、動物や赤ん坊と違う「頭のいい人間様」の真価が問われるものなのだ。というのは大抵の日本の学校教育の場で、あるいはそこかしこのメディアで、声高な主張がないときでさえ、大人なら誰もが自明の理としていることだ。自分の小学校時代を思い起こしても、読んだ話を短くまとめる、即ち、要約するという作業は、その文章の表現としての細部を捨象してでも、「書き手の言いたかったことを汲み取る」ことに主眼を置いていた。あるいは比喩のお勉強。比喩はAという言葉でBを暗に示しているのだから、その隠れたBを探り当てることに主眼を置いていた。そこでは比喩表現そのもののAは無視されてしまっている。
 そこには、今まさに「比喩」の例で喩えたように、私たちが表層で触れ合っているモノ・コトがその裏に代替可能な何かを常備しており、A=B的な記号論が常に成立しているという私たちの無意識的な確信がある。それは予定調和の世界であり、何の刺激もない世界だ。ベートーベンの音楽から「苦悩から歓喜へ」という意味を読み取り、したり顔で主張したところで、所詮音楽とは無縁の次元の話である。ジョン・レノンの凄さは何もLOVE &PEACEを訴えた1点に尽きるわけではないのに、彼のことを誉めるメディアの文句は紋切り型だ。だが、あのしゃがれ声を、荒れたノイジーな音を、あるいは不器用そうなギターの持ち方そのものに私は惹かれる。その魅力に比べたら、LOVE & PEACEというメッセージはいかにも稚拙だ。
 『ラスト・エンペラー』という映画は、中国の歴史上の人物を描いた、と言われるが、あれを「布の映画だ」と言ってはいけないのだろうか。至るところに風に揺れる布が映されており、その魅力的なさまに溢れた映画だ。『その男、凶暴につき』は、歩くことを徹底的に追求した映画。主演のたけしはとにかく歩く。その歩きぶりが素晴らしい。同じ歩く映画なら、イランのアッバス・キアロスタミの『友だちのうちはどこ?』もそうだ。こちらは、たけしと違ってじぐさぐに歩く。その動きが素晴らしい。
 しかし、世の知識人たちから見れば、「そんな上っ面だけを見ないで、行間を読め。」となる。そんなことよりもっと大事なことがあるだろう、というわけだ。そこには物事には表面だけを見ていては分からない、深層が隠れており、そこにこそ価値がある、という哲学がある。その人達は、実は、以前私が書いた、「物語」という「制度」にがんじがらめになってしまっている、「制度化された感性」の持ち主たちに違いないのだが、由々しきことは、冒頭述べた様に、義務とされている教育の場でもそれが「正しい考え方」だとして、教師たちがせっせと子供達の感性の制度化に加担している、ということだ。
 そんな中でも天才的な異端はいつでもいるのが嬉しい。映画の世界なら、ジム・ジャームッシュ、ジャン・リュック・ゴダール、北野武、黒沢清、侯孝賢、キアロスタミ。とても楽しみな人たちだ。

先頭 表紙

しまお様、テーマをこれみよがしに主張してくる映画、僕も嫌ですね。お前は何様だ!と言ってしまいます。 / ナライフ ( 2002-01-23 20:40 )
現代国語の要約、嫌いだったなー。作者が言いたいことを20字で言え、って、20字で言えるなら言っとるわい、ってつっこみたくなった(笑)そのトラウマか、テーマのある映画ってあんまり好きじゃないんです。なんかお説教くさいなぁ、とか思ったりして。。 / しまお ( 2002-01-21 23:55 )
ぽん様、ゴダールの映画に意味を考えてもねえ…ただ見れば面白いですもんね。昨晩もついついビデオで『ゴダールの映画史』に見入ってしまいました。 / ナライフ ( 2002-01-16 09:32 )
フィー子さま、子育て、まさにそうですね。言葉をまだ覚えてない赤ん坊の発する音は無限。五十音を覚えた子供は、それは勿論進歩かも知れませんが、逆に50の音に制限されてしまったわけですよね。ほんとは「あ」と「え」の中間の音もあるのに…あ、でも僕の返事もちょっと話が飛んじゃいましたね。 / ナライフ ( 2002-01-16 09:28 )
ふとしたときに映画の一場面が目に浮かぶのはいつもゴダール。映像の意味するものをなんだかんだ探る前に、映像が目に残るんですよね。「行間を読め。」ってことは確かに学校で詰め込まれたなー。長文読解で「作者の意図することを別の言葉をつかって述べよ」とか。 / ぽん ( 2002-01-16 01:16 )
非常によくわかります。こういったことを踏まえた上で子育ての難しさについて時々考えます。人間が社会化する、社会と関わっていくというのは本当に大変なことですよね。って子供いないのに何をいっとるんじゃ。しかもちょっと話がとんでしまってすみません。つっこみだと短くて上手く言えませんですみません(ーー;)。 / フィー子 ( 2002-01-15 22:51 )

2002-01-09 もしもこんな居酒屋があったら・・・

フィー子さんのマネですいません。歴代スターの会話バージョンです。場所は東京の居酒屋。

ペレ;やあ、抽選会は楽しかったね。ブラジルには有利な組み分けになったけど、何にも細工してないよ。

クライフ;ああ、どうも。ま、オランダは出ないから所詮僕には関係ないっすよ。でも、ブラジルもロナウドの復調が芳しくないと辛いでしょう。

マラドーナ;ペレさんには悪いけど、ブラジルはベスト8止りだよ。準々決勝が鬼門さ。グループ1位だとフランス、2位だとアルゼンチンと当るからね。リバウド、ロナウド、ロマーリオが揃って勝てるかどうかだろうね。あー、酒くれ!女くれ!

ペレ;おいおい!君は酒も禁じられてるんだろう。そんなにぶよぶよになっちゃって!ま、でも確かに君の言う通り、準々決勝が鬼門だね。

エウゼビオ;よう!ペレさん、久し振りだなあ、今回こそポルトガルがいただきよ。フィーゴ、ルイ・コスタという天才を揃えてるしな!組合せも恵まれてるよ!おや、そこの禿げ頭はサー・ボビー・チャールトン。

ボビー・チャールトン;いやあ、懐かしいねえ、君たち。今回のポルトガルは確かにエウゼビオ時代を超える可能性大だね。だけど、ディフェンスが心配だね。ここはイングランドを推したいところだけど、総合的に見るとイタリアかな。なんたって、僕はジェントルマンだから予想も公平だよ。

ペレ;うーむ、さすがサー。

一同;・・・(寒いギャグだが相手が神様だけに何も言えず)

クライフ;しかし、イタリアの守備的戦術には美しさがないね。僕たちオランダのトータルフットボールの守備面だけ採り入れた戦術は、フットボールから美しさを奪ってしまった。

ロッシ;確かに、現代のサッカーはスペースが無さ過ぎる。ジダンやフィーゴはあんな状況の中でよくやるよ。でもクライフさん、じゃあどこなの?

クライフ;やはり楽しくて美しいのはポルトガル。美しくて強いのはアルゼンチンとフランス。個人的には愛弟子グラウディオラがいるスペインにも頑張って欲しいね。

マラドーナ;随分と八方美人なこと言うじゃねーか。美しいとか何とか御託並べやがって!ああ、吸いてえ!!

ペレ;君も僕のように品行方正の人格者だったら今頃はアルゼンチンの新大統領候補だろうに。君なら今のアルゼンチンを救えるだろうけどなあ...

こうして、スターたちの噛み合わない会話は延々と続くのだった...

先頭 表紙

ああ、そういう発想もありましたね。僕のイメージは、「ドリフの大爆笑」の名物シリーズ「もしも〜だったら」だったんですが、ちょっとマイナーでしたね。 / ナライフ ( 2002-01-15 09:13 )
それにしてもこの題名、もしも〜嫌いで〜なかったら〜♪ってデュエットしたくなりますね。って私だけ? / フィー子 ( 2002-01-14 19:52 )
フィー子様、勝手にアイディアお借りして失礼いたしました。何の構想もないままに書き始めたので収拾がつかない企画になってしまいました。推理小説とかだったらペレみたいなのが犯人ですよね。 / ナライフ ( 2002-01-10 16:39 )
グーです。ペレの「何もしてないよ」。これが一番怪しいです(笑)。 / フィー子 ( 2002-01-10 11:03 )
ガス欠コイン様、鋭いつっこみ有難うございます。ベッケンバウワーには登場してもらいたかったのですが。誰かにつっこまれるだろうとは思ってました。今回のドイツ、ダークホースの臭いがぷんぷんします。ま、ドイツがダークホースっていうのも凄いことですが・・・ / ナライフ ( 2002-01-10 09:29 )
りゃん様、ちょっとやり過ぎたとは思っているのですが・・・ま、許して下さい。 / ナライフ ( 2002-01-10 09:24 )
どうしていつも俺達を呼んでくれないんだ。そんなに俺達のフットボールはつまんないって言うのかい。つまんなくたって勝てばいいじぇねえか。by ベッケンバウアー他(爆爆)。 / ガス欠コイン ( 2002-01-10 00:30 )
マラド−ナの発言は嘘偽りなしですね(笑) / りゃん ( 2002-01-09 20:54 )

2001-12-28 ヘイズ・コードの産物〜スクリューボール・コメディ〜 A

 この作品が、喜劇では今でも珍しいが、その年のアカデミー賞に選ばれるなど、高い評価を得、こうした類の作品が次々と生まれる。当代きっての美男美女俳優が演じ、簡潔な物語、シンプルでスピーディな演出で質の高いコメディ映画が沢山作られていくのだ。基本的には「略奪愛」の世界なのだが、それが何とも見ていて幸せな気持ちになるコメディになっているのは、「アメリカ映画」=楽天的という「物語」で収まりのつかない「ヘイズ・コード」の存在によるところが大きい。

 さてこの「スクリューボール・コメディ」、コメディというジャンルに対しての偏見が原因なのか、なかなか日本では知られていない。かく言う私もまだまだとは思うが、私が見た限りでお薦めのものを以下列挙する。ただ本当に面白さは保証します。
 『赤ちゃん教育』(1935) 監督ハワード・ホークス 主演ケイリー・グラント,キャサリン・ヘップバーン
 『生活の設計』(1933) 監督エルンスト・ルビッチ 主演ゲイリー・クーパー、ミリアム・ホプキンス
 『レディ・イヴ』(1944) 監督プレストン・スタージェス 主演ヘンリー・フォンダ、バーバラ・スタンウィック
 『フィラデルフィア物語』(1940) 監督ジョージ・キューカー 主演C・グラント,K・ヘップバーン
 『生きるべきか死ぬべきか』(1942) 監督エルンスト・ルビッチ 主演キャロル・ロンバード
 『教授と美女』(1941) 監督ハワード・ホークス 主演ゲイリー・クーパー、バーバラ・スタンウィック
 『ヒズ・ガール・フライデー』(1940) 監督ハワード・ホークス 主演ケイリー・グラント,ロザリンド・ラッセル
 『天使』(1937) 監督エルンスト・ルビッチ 主演マレーネ・ディートリッヒ,ハーバート・マーシャル
 『パームビーチ・ストーリー』(1940) 監督プレストン・スタージェス 主演クローデット・コルベール
上記の映画群、知名度はそんなに高くないとは思うが、「名作」とか「傑作」なんていうレッテルが貼られている数多の古典映画が吹っ飛ぶほどの面白さ。正月にビデオででもどうぞ、と言いたいところだが、果たしてビデオ屋さんにあるかどうか…(どれもビデオにはなっているが。)

 上記、どれも映画作家たちにはインパクトが強いようで、何がしかリメイクされていたり、「引用」されていたりする。そういう意味でも映画史的には大きな影響力を持っているのだが、一般的な認知、特に日本での認知のされ方は非常に低い。けったいなことである。

先頭 表紙

はじめまして、さくらもち様。アメリカ映画に関しては一部例外を除けば明らかに衰退してますよね。それにしてもジーン・ティアニーが出てくるとは嬉しい!!一番好きな女優の5指に入ります。『天国は待ってくれる』を上記挙げたかったんですが、スクリューボールコメディという枠からは外れそうなのでやめたのです。「ついでに」の続き、待ってます。 / ナライフ ( 2002-01-10 16:22 )
はじめまして、よこ!さま経由で参りました。スクリーボール・コメディはNHKBSやWOWOWでつかまえた分くらいしか見てないんですけど、この時代にこんなに洗練されたオトナの映画があったのかーとショックなくらい。文化って衰退してるんでしょうかねえ。好きな女優はジーン・ティアニーです、ついでに / さくらもち ( 2002-01-10 09:15 )
Hiroko様、明けましておめでとうございます。ケイリー・グラント、いいですよねえ。こういったコメディをやらせたら彼の右に出る男優は居ないと思います。 / ナライフ ( 2002-01-09 09:28 )
ブルー様、あけましておめでとうございます。そう、フロリダのパームビーチです。冒頭のタイトルクレジットからラストまで息もつかせぬ面白さですよ。 / ナライフ ( 2002-01-09 09:26 )
明けましておめでとうございます!  本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!  「ケイリー・グラント」渋い。。。。♪ / Hiroko ( 2002-01-09 03:14 )
明けましておめでとうございます。どれも見た事ないのですが、パームビーチストーリーなんて面白そう。フロリダの、パームビーチよね。 / プルー ( 2002-01-08 22:22 )
ぽん様、そう、確かに「上流社会」の方がメジャーですよね。僕も先に「上流社会」を観て、後から「フィラデルフィア物語」を見ました。「フィラデルフィア物語」は無駄が無くシャープで粋な演出ですよ。 / ナライフ ( 2002-01-07 17:16 )
ガス欠コイン様、お忙しい中のつっこみ有難うございます。今ごろは撮影でしょうか?頑張って下さい。 / ナライフ ( 2002-01-07 17:14 )
しまお様、そうですね、入ると思います。この2作の監督、ビリー・ワイルダーは、ルビッチという監督のお弟子さんなんです。ですからまさにスクリューボールコメディーの系譜を受け継いでいると思います。ただ若干田舎臭くなってしまっている印象がありますが... / ナライフ ( 2002-01-07 17:12 )
フィー子さま、ディートリッヒの顔いいですよね。百万ドルの脚線美と言われた脚もいいですが、あの瞳が大好きです。決して好みのタイプではないのですが、映画の中では大好きです。 / ナライフ ( 2002-01-07 17:08 )
Hidey様、原語タイトルは、順番にBringing Up Baby,Design for Living,Lady Eve,The Philadelphia Story,To Be Or Not To Be,The Ball of Fire,His Girl Friday,Angel,The Palm Beach Storyです。勉強の合間に赤ワインと共に... / ナライフ ( 2002-01-07 17:06 )
「フィラデルフィア物語」のリメイク、「上流社会」しか見たことないなー。レンタルで探してみますっ。 / ぽん ( 2001-12-30 23:16 )
僕も全然知りませんでした。スクリューボール・コメディっていうネーミングがまたいい。とにかく個人的にはゆっくり出来る時間が欲しいです。今年は31日まで(終わらないかも)、残務整理。年明け早々、撮影。とても正月気分ではないのです。関係ない話しでごめんなさい。 / ガス欠コイン ( 2001-12-29 23:51 )
ジャック・レモンのものなんかも、入るのかしら?「お熱いのがお好き」とか「アパートの鍵貸します」とか。大好きだったなぁ。それにしても昔の映画に駄作がないのは、こんな理由もあったんだなーと思いました。お正月ビデオ三昧もいいですよね。 / しまお ( 2001-12-29 13:51 )
マレーネ・ディートリッヒなんて顔を見てるだけでもいいってくらい美しくて好きです。幾つか見たような気がするけれど、題名などを覚えないのでいけませんね。古い映画が見たくなっちゃったなあ。うずうず。 / フィー子 ( 2001-12-29 00:08 )
正直この年代の映画はそれほど知らないので、貴重な情報に感謝です。こちらのビデオレンタルは、アメリカ映画であれば古いものもたくさんあるので、是非観てみたいと思います。モノクロ映画にはなぜか赤ワインがよくあうんですよね。ゴックン。 / Hidey ( 2001-12-28 19:15 )

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