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エッセイスト“S”

日々様々なつまらんことについ考えを巡らせすぎて不眠症になりつつあるおっし〜の、自論炸裂エッセイです。
文章に対し不快・不明快なところがあるかと思いますが、こんなヤツもいるということでお許しください。

ホームページ「102号室」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-04-20 戦争は終わったか。
2003-04-02 戦争を考える その2
2003-03-25 戦争中。
2003-03-01 春嫌い。
2003-02-28 不自然。
2003-02-26 回転寿司。
2003-02-23 おおざっぱさ。
2003-02-21 軽井沢。
2003-02-18 見えない道。
2003-02-14 審査終わって。


2003-04-20 戦争は終わったか。

砲撃戦は終わりました。さて、戦争は終わったと言えましょうか。


思えば、終わってもなお謎の戦争です。
例えば、フセイン像の撤去。人が集まってからアメリカ軍が来て像を倒すなんていかにもパフォーマンスです。アメリカ人の好きそうなことです。余談ですがそう考えると9・11のテロは貿易センタービルじゃなく自由の女神像を狙ったほうがよかったんじゃないでしょうか。どうせ雲隠れして捕まらないなら、テロリストとしての威厳というか悪名ははるかに上だと思うのですが。
ともかくもフセイン像。一番疑問なのは、フセイン像に乗っかった奴がいきなりアメリカ国旗を出したことです。何であんなものを持っていたんでしょうか。巷で言われている「さくら」説がにわかに現実味を帯びています。それに、ライフルを持った民兵のおっさんが、「俺はアメリカ人だ!アメリカ万歳」とかわけのわからないことを言ってました。殺されるのだけは嫌なんでしょうか。第一、民兵はフセイン第一主義者じゃないんでしょうか。それがこうもあっさりとアメリカに鞍替えするあたり、イラクでのフセイン100%支持はやはりウソ臭いと言うしかありません。数値に踊らされすぎているような気も。もっとも、支持率が90%近くあった小泉政権率いる日本人がこんなことを言うのは何とも皮肉のような気もしますが。今は見る影もないあたり、日本はアメリカにもイラクにも似ているような気がします。なんとなく行く末は同じなんじゃないかな、と。


今のアメリカ大統領のやり方に何だか違和感のある方、NHKで放映している「ザ・ホワイトハウス」というドラマをご覧下さい。
おそらく現・大統領に対しての考え方が変わる、かもしれません。。

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「ザ・ホワイトハウス」って、いつやってるんでしょう? / アウトドア ( 2003-05-10 02:13 )

2003-04-02 戦争を考える その2

「戦争はいけないから良くないと思う」

非常にありがちな意見ですね。別にこれだけとって文句を言うつもりもない。
ではなんでいけないかと言うと、

「人がたくさん死ぬから」
「人が人を殺すなんてよくないから」

これも至極もっともな言い分。否定する気はさらさらなし。


ところで。
戦争、という字を斜めから見てみる。
戦い、争うこと。ほぼ同じ意味の言葉が連なっている。
戦い争う、と聞いたときに、砲撃や爆撃で攻撃しあうというものを思い浮かべる人がどのくらいいるだろうか。結構な数いることでしょうな。
一方。。。
「部活でA君とB君はレギュラーを争っています」
「この過熱する受験戦争の中・・・」
この言い回しの中で、砲撃や爆撃はまずイメージしないでしょう。
「戦争」に古来からどんなイメージがあったかはどうでもいいんだと思う。
これだけ様々な分野で亜流になってしまった言葉である。
「もとはこういう意味だったんだぞ」とか言っても何の意味もないだろうし、第一僕はもとの意味を知らないので言いようもない。

怖いのは、戦争と一言に言うだけで砲撃や爆撃しかイメージできないというこの発想の単純さである。図式にすると、

戦争⇒・・・といえば砲撃や爆撃で人が死んじゃう!⇒よくないよ!!

という感じである。で、真ん中の部分が次第に暗黙というか当然になってしまい、

戦争⇒よくないよ!!

ということになる。
それとレギュラーを争うとは意味合いが違うと言う人がいるかもしれない。
ていうか事実その通りだ。部活のレギュラーを爆弾とかで争ったらあまりにも怖いしな。

問題なのは、世界が舞台で外交が上手くいかないときの「戦争」がなぜか砲撃や爆撃のものと直結してしまっている点だ。部活のレギュラーを争うときは、お互いに持てる力やレベルをアップさせていく争いである(一応美談ということで。陥れるとかは含まないでおく)。受験戦争も然りだ。これは他を傷つけるのではなく、純粋なレベルアップの争い。
論述で争うなんて言葉もある。これは、主張と主張を真っ向からぶつけ合うものである。怪我させるものじゃない。

戦争の意味合いや使い方は多様なものである。そして、適用の仕方も限定する必要はないと思う。使うときにこういう意味合いなんですよ、という説明をすればいいだけの話だ。
それが世界が舞台となると、何故か怪我のさせあい・殺し合いになってしまう。


きっとどこかで誰かが語っているだろうが、自分で思いついたのであえて書く。
戦争が始まる前よりも、世界的に見た死者の数は飛躍的に増えているだろう。戦争をはじめなければ死ななかった人が死んでいる。経過を見る限り、一方的な通告をし、それを聞かなきゃ攻撃すると脅し、聞かなかったので攻撃している。短絡的な思考この上ない。敵国となっている国が毎日大量破壊兵器で大量に破壊しているのならともかくそんなことはなくて。なのにわざわざ攻め込んでいって大量に破壊している。
外交手腕に必要なのは賢さとか思慮深さじゃなくて思い切りとカリスマなのかなと思うと寂しくなるね。(続)

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2003-03-25 戦争中。

戦争やってますね・・・というと誰でもいいそうだな。流行だけに面白くない。
流行ほど面白くないものはないと思うのだけどどうでしょうか。。。



戦争に関連して。
国会答弁がばかばかしくて面白い。何て言うか君らは何なの?て感じで。一国の首相が相手のあらを探して答弁で有利に立とうとするなんて、これはこれでこの国の小ささがよくわかるね。ブッシュ大統領からアメリカを推察できるのと同じかな。あの国も妙な国だね。戦争前はあれだけ反戦と開戦が真っ二つだったのに、いざ始まると支持が圧倒的。「戦争は嫌だけど早く終わらせて欲しい」つまりは早く終われば戦争していいってことか。口だけの反戦なのか、戦争は外交手段の一つと理解しての発言か。まぁ一国の国民にそこまで突き詰めるのも酷でしょうな。僕にだって答えられないもの。

アメリカは石油の利権を狙っているとか。でも、利権がないのにあそこまでの大国になってるわけだから、必要ないとは思うけどね。人が持ってるものは欲しくなるのかな。これはある意味人間の本能かも。巨人軍しかり、浮気しかり。強い者ほど、自分が持ってないものに劣等感を感じるみたいだね。それがいわゆる流行か。みんな負けず嫌いと言うか、目立つのが嫌と言うか。流行に乗ると目立たなくなるからね。僕みたいに、流行にまったく無縁に生きてるとそれはそれで目立たないんだけどね。


ブレア・イギリス首相の演説原稿を見てみた。
ブッシュよりもきびきびとしてると言うか、言葉を選んで話している気がする。国民を高揚させるのはブッシュの方が上手い(というかそれしか出来ない気も・・)けど、ブレアは冷静だね。矛盾点とかはブレアのほうが少ないんじゃないかな。イギリスのイメージと言うか国民性か。きちっとした事が好きそうだしね。そういえば日本は武士文化という外国からもきちっとして好かれているものがあるが、小泉さん見てるとため息が出るね。武蔵がもてはやされるのもそれかな。国民性といえば国民性。



結局、しばらくは戦争も終わらないだろうし、これでフセイン捕まえてどうするんだろう。そもそも、フセインはイラクにいるのかねぇ。ビンラディンすら見つけられなかったのに、見つかるんでしょうか。暗闇とキャッチボールでもしてるようにこの戦争が見えるのは僕だけでしょうか。。。

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2003-03-01 春嫌い。

春は嫌いです。理由はいくつかあるんだけど。



花粉。
これがなんとも言えずダメです。
症状の全てが現れます。
だるくなるし、思考能力も低下する。
ティッシュの消費量が増える。普段いらない花粉用目薬が欲しくなる。
ティッシュもローションとかやわらかめのいいやつが欲しくなる。

今年は甜茶を飲むことにし、一日に1リットルといっても煮出したのを少しずつ飲んでいますが、さて効くのかな。去年はグレープフルーツジュースを飲んでみた。それ以来グレープフルーツはマイブームになっているが。甜茶はブームにはならなそうだが、まずくはないので一応続けてみよう。




天気が中途半端。
まだ寒いかなと思ったら、日中は暖かかったりする。
微妙に着るものに困るんですな。
今まで着ていた「一枚」を着るか着ないかが瀬戸際。

寒いのが好きな僕ですが、それは「寒いときにあったかいものに触れる」のが好きなわけで、寒い中を薄着で出かけるのが好きなわけではないです。そうすると迷う。脱いだら持つのが面倒。でも持ってないと寒いときに対処できない。大抵は缶コーヒーでごまかしますが。缶コーヒーで対処されるようじゃ、天気も悲しいね。さすがに北風と太陽はもう昔話か。




別れ。
あちこちで大きくも小さくも別れがある。
すぐ会えるようなのもあれば、音信不通になりそうなのもある。
ともかくも日本中がそんな雰囲気だから、
変に別れが寂しくなってくる。
決して、いいもんだと言えるものじゃないとは思うんだけど。

別れっていいな、って奴は、究極にはいないんじゃないでしょうかね。その別れのシーンとかに感動はするんだろうけど、いいものではないよね。感動するってことはある種の悲劇があるわけで。悲しいんだからよくはないでしょ。自分が親友と必ず別れなきゃならないってのは、どう考えてもよくないしね。でも別れが美談になるあたりは、世界の共通事項みたいだし。いずれ別れてもそれは当然ゆえ悲しむのも当然ってことか。





今日から3月。
花粉にしろ別れにしろ、誰かの涙声が聞こえてきそうな時季ですね。

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2003-02-28 不自然。

社会学の研究などやっていると、周りのちょっとした事に関してすぐに反応してしまっていけないですね。ちょっとした間違いとか、考え方とかに反応して能書きたれてしまう。よくないですな。

でも、研究しているときはそれが必要になるわけで、普段あまり気を抜きすぎると研究時にそれが発揮されないんです。困ったものですな。

で、ジェンダー研究者として最近思う。
男女を表象する言葉が、あまりに意味のない場で使われてはいないかと。
「ことばとジェンダー」はジェンダー研究の中でも非常に大事な分野で、何気なく使ってしまっている分たちの悪いものと言えます。気づいたものを少々。


<雌雄を決する>
勝負事の際によく出てきます。っていうか、なぜ戦いに於いて「雌雄」を決するんでしょうか。男同士でも「雌雄」を決するようだし、女同士でもそうみたいです。まぁあえて意味を書くまでもありませんな。

<女の腐ったような奴・・・>
男性において、あまりに男性らしさがない(わざと使ってるので。悪しからず)ような人に使うものですが、「女」だけでなく「腐ったような」とは非常に不思議かつ不快な言葉です。男性⇒女性⇒腐ったような、という序列でしょうか。「男の腐ったような」奴はいないんでしょうかね。

<女子ども>
何故かセットで扱われることの多い、女性と子ども。災害になったら女子どもは邪魔になる、なんてことも言われてるようですが。救助も女子どもから。弱い立場なのと、役に立たないのと。「雌雄を決する」の雌ってことか。やだね。


まだあるんですけど、気がついたときに。

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2003-02-26 回転寿司。

回転寿司好きです。
もっとも、一皿100円っていう流行のやつ。それ以上の金額だと、何だかお得な気がしない。寿司がそれで食えるってだけでも得なのかもしれないけどね。

最初に考えた人は天才的だと思っている。よくこんな発想が浮かんだな。こういうのにも特許とかあるのかしら。よほど儲けてるに違いない。寿司のような生鮮食品を回すとはね。

で、最近回転寿司屋で思うのが、インターホンを使って注文するというやつ。チェーンの回転寿司屋はこうなりつつある。食べるところでインターホンで厨房に注文して、インターホン番号の札とともに寿司が流れてくるというわけ。これもまたすごいアイディアだね。まさかインターホンとは、と最初は思ったものです。


で、このインターホン注文。
みてるとうまく機能しているように見えるが、ほとんどの人が注文しちゃってる現状。回ってる寿司にはほとんど番号札がついている。僕のような注文しない派にはやさしくないね。食いたきゃ注文しろ、みたいな不文律があるみたい。

何だかおかしくないだろうか。
回転している寿司を食うのが回転寿司のような気がする。結局頼んでいるってのは、回転させるメリットはどうなるのだろう。もっとも、この回転寿司の寿司は結構いいかげんなものだという話もある。もちろん目の前で握って回すようなところはインチキしようがないが。厨房がまったく見えない回転寿司では、注文って言ったって何が起こってるかわからないね。一度厨房を見てみたいものだなぁと思う。白は白でも割烹着じゃなくて白衣を着た店員が、インターホンの前でボタン押してるだけだったら嫌だろうな。案外遠からずではないだろうか。「寿司製造回転直売所」なんてね。リアリティありすぎるかな。店名も「すし科学」なんてつけたらどうだろう。客足は、鈍るだろうな。

自動販売機が好評だったり人との接触をあまり歓迎しないような世の中だけど、寿司となるとちょっと板前チックな人が目の前で握る方が美味しいらしい。そんな人とまったく同じ質感の人工寿司握り機ができたとしたらどうだろう。知らないで食べたら「さすが板前」とか言うんじゃないかな。食べ物の種類が多すぎるくせにそのそれぞれの味をよく知らない人が多いような気がする。自分もよくそんな目にあってることが多いぞ。美味しいとはどういうことでしょうかな。


銀座で現役のスナックのバーママをしてる100歳のおばあちゃん、何を食べているか聞いたら毎朝牛乳2本とうるめいわし3本は欠かさないと言ったらしい。問題はその後。
「美味しくないけど仕方なく食べてるんですよ」
と言ったとか。はてさて、長生きするには美味しくないものを食べろってことか。そうすると、僕らの世代なんかはまず早死にだね。少なくとも100歳は無理だろうな。でも食べたい美味いものが食える。どっちがいいんでしょうな。

何だか延命治療の議論に似てる気がしてきた。
延命治療=長寿、ではないと思うのでこの100歳のおばあちゃん的長生きはどうかなとも思うが、まぁそれでも長生きしたいと思います。回転寿司で注文することといい、生きてるとどんどん欲深くなっていくのはなんだかね。そのうち天国とインターホンで話せるようになるかもな。
「苦しんで死にたくないです」
「じゃああと三日お待ちください」
なんて。欲深いのもほどほどだね。

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あっしも回転寿司は好きです。でもインターホンはどうもいまいち・・・だけど、一皿100円の某チェーンはインターホンだねぇ。 / こっしー ( 2003-02-27 23:41 )

2003-02-23 おおざっぱさ。

先日、深夜のドライブをしていて気づいたことだが。


地名案内板は非常に大雑把なものだと思った。
いい加減というのではないがね。

例えば、私は群馬県に住んでいるわけだが、群馬県といえば東京都より100KM〜200KMほど離れているところ。細かい数字はご勘弁ください。
その200KMほど離れている地点で、二股に分かれている道の案内板の表記には、まことしやかに

「⇒東京」

と書かれていた。
間違いじゃないね。これを右にいったら東京に着くのはまぁうそじゃないだろうけど。
東京に着くまでに案内板の数を数えたらえらい数になるだろうな。

そもそも、この案内板の地名は一体どこを指しているのか。
東京といっても広うござんすよ。僕は田舎もんだからそんなに知らないけど。47都道府県で2番か3番目に狭いとは思えないくらい広いね。

誰かが「都道府県庁のある場所」とか「市町村庁舎のある場所」とかいっていた記憶がある。さて、いかがなものだろうな。もしそれが本当だとしても、その距離を目当てにする人がその程度いるだろう。群馬の山奥で

「⇒東京 150KM」

と書いてあっても何のリアリティも沸かない。そもそも群馬の山奥で東京都庁に車で用のある人なんていないだろうし。それが本当じゃないとしたらそれはそれで大雑把だろうし。




つまりは、見る側も設置する側も大雑把じゃないかと思うわけです。
東京まで150KMといっても、往復300KMしか走らなくていいようにガソリンを入れてやっぱり足らないじゃないかと文句をつける人もいないだろうしな。でも、こんな訴えを起こしたら結果がどうなるか気にはなるね。いっそ文句をつけてみるか。ガソリンをもっと入れろと言われるだろうが、距離が違うぞ、ちゃんと基準を示せと文句は言えそうだ。ガソリン代くらいもらえるかな。
見る側も何となく見てるわけ。ああ、そんなもんか、みたいな。
設置する側もそう。第一、直線距離なのか、蛇行したらどの程度蛇行するかとか、意外と細かいこと言い出すときりがない。それに、残りが少なくなると、「東京」の地名がどんどん細分化してって、最初の距離はなんなんだってことになる。現地に詳しくないと車では無理ってことか。



なので、気になったとはいえ、目安くらいに思っておくのが頭いいのかもしれないな。
そりゃ、群馬県から南下すればよっぽどのことがない限りは東京に行くよ。
つまりは、都心部の詳しい地図を買った方がいいんだろうな。


車の移動好きな僕としては、大雑把もそれなりに楽しくていいんですけどね。

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夜のドライブお疲れ様でした。それなりに収穫はあったよね・・・ / だいすけ ( 2003-02-23 21:55 )

2003-02-21 軽井沢。

何となく軽井沢に行ってきました。
理由は特にないんですが・・・・行きたかったから?かな。。。




道に雪はあるだろうと思いきや、意外とクリーンな道でほっとしました。
まぁスキー場がある位だから雪があってもおかしくはないんですが・・・

そう、別にスキー目当てじゃないです。
普通にアウトレットモールでぶらぶらしてきました。
でも買い物したのが無印とワイナリーだけってのが微妙ですが・・(苦笑)

いつもは家族とくるので、
今回は見たいものをゆっくり見れましたね。
家族と行くと気を遣っちゃうし、
家族と一緒にウィンドーショッピングもどうかなと。

しかし、このショッピングモール。
広さはそこそこですが、いちいち入っていると時間がないし、
そもそもいちいち入る気にはなれませんね。
エリアを決めるか、店を決めてそこを丹念に見ることを前提としたほうがいいのかも。。
もしくは、ふらふらしながら気になったところをチェックするとか。

時間によって楽しみ方があるので面白いといえば面白いのかもしれません。。。

あ、お昼ご飯はおにぎりやさんがおすすめです。
「豚汁セット」¥700、おにぎり二個に豚汁と漬物。



その後旧軽井沢へ。
冬季なので店は半分以上が閉まっており人もまばら。
しかし!
ここでの目当ては「ミカドコーヒー」のモカソフトクリーム。。。
えらく寒い中、目当てを見つけた喜びとソフトクリームのうまさに感激・・・。。。



帰り道は碓氷峠・旧道。
200からなるカーブを降りていくのはなかなかに面白く・・・
と思ったら、道端に動くもの発見・・・・


猿だ!!!!!!!!!!!



しかも合計3匹遭遇!!!!!!!!!!!


旧道で思わぬ発見。
喜びというか面白かったです。



旧道を抜けると、最近できた温泉センターがあり、
ここで湯浴み。
ややぬるめのお湯が、僕にはベストマッチ。
旧道での疲れも飛びましたね。
平日だけに人もおらず、ゆっくりできました。



さて、旅の終わりは横川・おぎのやの釜飯です。
ここに来たら食べねばならないでしょう。。。。
たびの情緒を味わうために、その場で食ってきました。

しかし、24時間営業ってのはすげぇなぁ。。。。。
あとで夜中に行ってみよう。。。。









昨夜は、
ワイナリーで買ったワイン、
それにパスタソースにクラッカーを合わせて晩酌してました。

たまにはこういうのもいいですねぇ。。。

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あのドライブインって24時間営業でしたっけ? パスタソースにクラッカー、いいかもしれない。 / こっしー@チーズがないと不機嫌になる? ( 2003-02-22 18:26 )
我が家の向かいの山にも住んでるよ。自宅の室内から見たことあるよ。野生のやつ、態度悪いでしょうが。 / mishika ( 2003-02-21 11:31 )

2003-02-18 見えない道。

審査、発表共になかなかの手ごたえを感じて終了できました。






その発表の打ち上げ、つまりは追いコンの席で。

担当教官と、今後についての話し合いをしたんですが、
自分のやってる「男女問題」および「ジェンダー」という学問の市場は、
およそ女性がリードしているため男性がそこで市民権を持つのは非常に難しいということでした。
そりゃそうだろうなぁ、と思ったのですが、
だんだん腹が立ってくる自分がいました。


何で女性がリードしているのか?
学問の始まりは確かに女性解放運動―フェミニズムから始まったし、
それで女性のほうが共感を呼びやすかったこともわかる。

けれど、今のジェンダー学問は女性だけじゃない。
両性の自立や平等がテーマとなるはずである。

それで市場を女性がリードしているとは、
はなはだ勘違いもいいところである。
もっとも両性の両立が進んでいなければならない市場ではないのか。

別に女性がその市場から男性を廃絶しているわけではないとは思うのだが、
無意識に女性がリードする展開になっているのならば、
それはその女性たちの研究視点が未成熟であると言わざるを得ない。
男性もジェンダーを一線で考えられるような環境には程遠く、
それを議論しないままに差別がいけないだとか言っているのであれば、
本末転倒もいいところだ。恥ずかしくはないのだろうか。


と考えると、成長段階においてジェンダーを研究した自分の論文の視点は、
やはり間違っていないように思う。有効な視点といえるのではないだろうか。
もちろん、教師教育など考えるべき視点はまだいくつもあるのだが。





こんなことを考えていると、やっぱり研究を続けたくなってくる。
一石を投じるのも、悪くはない。むしろやってみたいところである。

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2003-02-14 審査終わって。

修士論文の審査の模様などを少々、、、



12:20
教授の研究室に入室。
教授が副審査の先生方を呼びに行く。部屋に一人、緊張感募る。。

12:25
審査開始。
まずは、論文の概要を簡単に説明。
はっきり言って、このときが一番緊張した。。。

12:40頃
説明終了。
ここからいわゆる「口頭試問」に入る。
まずは担当教官より2つほど質問があった。
ちょっと考えれば答えられるそれほどきつくないもの。ホッ。。。

12:55頃
副審査の先生がたお二人より質問。
まずは年配の経済の先生から。・・・が、おっしゃっていることが非常に高尚。
聞きながらにして同時に理解と思考をしなければならない。むぅ。。。

13:10頃
もう一方の、法律の先生より質問。
具体的な内容の質問であり、答えやすいのはいいが、
自分の明確な考えがないと逆に答えづらいんだろうなと思った。
その点はまぁ、何とかなった気もする。

13:20
口頭試問終了。




審査の時に気になったこととして、
・先行研究の流れの中で、この研究がどういった位置づけになるのか?
・この論文で明らかにできたことは?
・具体的な考えは?

ということを集中的に訊かれた気がします。
特に位置づけ。修士論文の重みが垣間見える部分でしたね。









一応、
・修士論文としての研究水準は充分にクリアしている
・独自性のある調査も行なっている
・調査の分析、およびそれを生かした考察が行なわれている

など、大変ありがたいお言葉をいただきました。
そのときはさすがに審査中なので恐縮していましたが、
嬉しかったですね〜〜〜!







おかげで昨日は一日中ゲームして遊んじゃいましたよ・・・・(苦笑)

15日は修士論文発表会。ですが、30分って無理だよねぇ・・・・
時間足らないっつ〜の・・・
















さて、審査も終わりました。
何気にこれからが忙しいかな・・・・・。

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