himajin top
揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-03-22 水耕栽培
2002-03-21 バット・アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ファット・アイム・ルッキング・フォー
2002-03-21 黄砂に吹かれて
2002-03-21 馬鹿丁寧にも程がある
2002-03-21 頭の中にあの音楽が流れてくる
2002-03-21 同級生その後
2002-03-20 転載「新世紀へようこそ 075 砂漠のカフェの話」−1
2002-03-20 転載「新世紀へようこそ 075 砂漠のカフェの話」−2
2002-03-20 言い換えの思い遣り
2002-03-20 その節はお世話になりました


2002-03-22 水耕栽培

調理に使うために切り落とした大根や蕪の頭、どうしてますか?

うちではクラゲが小皿や小さなグラスに水を張って、葉っぱが育つのを楽しんでいます。
大根、蕪、ワサビ。ついでにキャットミントを活け、松と南天も小さな剣山に挿して並べてあります。

普段は流しの正面に置いてあるのですが、少し前に遊びに来た彼女が「日光浴」だと言って縁側に出していました。
ところが僕は水をあげるのを忘れていた。寒い時期とはいえ、日光の力は偉大です。水がミント以外、全て乾いてしまっていた。
大根と蕪がさようならしてしまいました。

ある時、恐る恐るそのことをクラゲに告白しました。
かわいそうじゃない、と叱られました。
微生物に分解してもらって生命のサイクルに参加してもらうが為、生ゴミ処理のコンポストに入れて手を合わせておいたと弁解して許してもらいました。

それから新たに大根が二皿仲間入りしました。水やりを忘れてはいけませんね。

ワサビは、元気です。

先頭 表紙

いいじゃん、そうなんだもの(笑)。 / 揚水 ( 2002-03-30 04:20 )
手抜きー(笑)! / パオラ ( 2002-03-30 00:24 )
そうそう(笑)。lim.さん、そう(笑)。 / 揚水 ( 2002-03-22 21:42 )
大根とかかぶとかネギは伸びたらまた食べるの。ず〜っと食べられるの(はあと) / lim. ( 2002-03-22 16:01 )
↓ 過程だ。 / パオラ@自分つっこみ ( 2002-03-22 13:28 )
私はいきものを育てることにあんまり縁がなかったのね。小学校の朝顔とひまわりとじゃがいもの水耕栽培くらいかな?それらの野菜たちは、育つ課程も楽しそうだけど、成長してどうなっちゃうの? / パオラ@想像つかん ( 2002-03-22 11:47 )
種とかも植えると芽が結構でますよ。柚子とか茂ってきました。葉っぱの水耕栽培もやってます。かわいいんですよね。情が移る。 / lim. ( 2002-03-22 11:14 )

2002-03-21 バット・アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ファット・アイム・ルッキング・フォー

ただ君と一緒にいるために、ただそのためだけに野を駆けてもこの世で一番高い山に登っても、僕は自分が目指すものがなんであるのか、未だ見つけてはいない。

若者の歌ですねえ。

テレビか何かでU2のこの歌がかかっているのを聞いた時、僕は自分が高校の頃を思い出すかと思いきや、別のことを考えました。

「人生まだまだこれからさ」
こういう歌もありましたね。

先頭 表紙

I have run through the field. I have climbed the highest mount. Only to be with you, only to be with you. / 揚水 ( 2002-03-21 23:27 )
But I still haven’t found what I’m looking for.じゃないのかな? 「人生」の方は日本の歌ですよ、確かバーゲンズ。 / 揚水 ( 2002-03-21 22:57 )
どっちの歌もわしにはようわかりません。そしてただでさえ外国語がわからんのに、カタカナにされたと同時に百倍わからなくなるというこの現象をわたくしは憎んでいるのです。たのむからあるふぁべでかいてくれやーー!(すでにカタカナ英語になってるものはいいんだけど・・・。) / パオラ@ ( 2002-03-21 22:35 )

2002-03-21 黄砂に吹かれて

今日は全国的に風が強かったようですね。
北京が黄色に染まっていたのは昨日のことでしょうか。
黄砂の季節です。春ですね。

さて、本日東京において「水の商品化を考える」国際シンポジウムが開催されたようです。ニュースでその映像を見ました。
欧米において問題となりつつある水道事業の民営化や飲料水の商品化を考えるということらしい。
この問題を放置すれば貧しい人々が安全な飲料水を確保することが困難になる、それを憂えて開催をみたという事らしいのですが。

その映像中、出席者が自分の席に缶コーヒーを、あまつさえミネラルウォーターのペットボトルを置いて資料を繰っている様を見て、考えさせられました。

先頭 表紙

まあそう自分を卑下せずともよかろうに。 / 揚水 ( 2002-03-22 03:08 )
偏見でした。そうです。私は思いこみでものを見る女・・・いかんなあ。 / パオラ ( 2002-03-21 23:56 )
そりゃ偏見だろう。 / 揚水 ( 2002-03-21 23:47 )
もとい。英国人ならこういうこと小ネタにして鼻で笑ってそうかなと。(それって偏見かしら?キャッ!) / パオラ ( 2002-03-21 22:32 )
そうかな、皮肉かな? 単になにも考えてないだけだと思うけど。 / 揚水 ( 2002-03-21 21:38 )
きっと主催側で人数分のピッチャーとコップを用意することができなかったんだね。英国人くさい皮肉も感じるが・・・。 / パオラ ( 2002-03-21 20:01 )

2002-03-21 馬鹿丁寧にも程がある

たまにいませんか? ご飯のことを「おご飯」と言う人。
みんなが使う言葉として定着こそしていないようですが、時折そういう人が見受けられます。

漢字で書くと「御御飯」ですかね。
物凄まじい字面です。仰々しい。
でもさらに上を行く言葉がある。
「御御御漬け」あるいは「御御御付」、です。参っちゃいますね、どうも。

汁物のことを「漬け」、あるいは「付け」と呼ぶのでしょうね。それを丁寧に呼んで「御漬け」となった。
それから幾星霜、丁寧さが一つでは物足りなくなって「御御漬け」となった。これは定着した。そこいらへんがどうも「飯」と「漬け」のあいだに横たわる深い溝のようなもの、実力の違いのようです。
ところがさらに後世の人々は、それにもまだ飽き足らなかったらしい。丁寧の上に丁寧を重ねて、今もう一度その上に丁寧を重ねなければ気が済まない人が現れたのでしょう。
「御御御漬け」のご登場です。

恐ろしいことにこれも定着してしまった。
侮り難し、「漬け」。

確かに「おみおつけ」との発音はすんなり出来ますが、「ごおごはん」は言いにくくて仕方ない。
まず最初に「お」が付くか「ご」が付くか、このあたりが「漬け」と「飯」の勝敗の分かれ目のようです。

たまに紙の上に「御御御漬け」と書いてみます。笑えるんですよ、これが。

こういうのも慇懃無礼というのでしょうか?

先頭 表紙

まうさんへ。ニャンコやワンコに「ご飯」を「あげ」たりもしますね。僕はこの言い回しは特に気にしていませんでしたが、気になる人は気になるようです。 / 揚水 ( 2002-03-21 19:32 )
チロデルハイドへ。なんでだろね? ほんと。 / 六点 ( 2002-03-21 19:32 )
いらっしゃいませ、すじおさん。僕はそんな大したもんじゃないですよ。ご指導もなにもございません。これまでも読んでくださっていたようで、ありがとうございます。 / 揚水 ( 2002-03-21 19:31 )
当て字ではないでしょう。その通りに読むのだもの。 / 揚水 ( 2002-03-21 19:31 )
最近の料理番組、「…してあげます」とかね、なんか擬人化したような物言いも謎だわあ。 / まう ( 2002-03-21 13:14 )
なんで「付け」が、そんなに丁重に扱われるのか理解できない。現代では、ご飯セット(オプション)の脇役だ。 / チロりす ( 2002-03-21 10:36 )
パオラさんとこから飛んできました。以前より揚水さんってかなり味のある素敵な方のような気がしてなりません。きっとそうなんでしょう。いろいろと御指導下さい。 / すじお ( 2002-03-21 02:39 )
で、どうなんだよ?え?これはさあ?当て字? / パオラ@けんかを売ってるわけでは・・・ ( 2002-03-21 01:19 )
廓言葉といえば「そもじ」「しゃもじ」「お目もじ」とか? あ、これは女官言葉かな?「そなた」「杓子」お「目」にかかる、の頭文字に、何でも「文字」を付けたとか付けないとか。廓言葉っつったら「ありんす」とか「あちき」とかかなあ。 / 揚水 ( 2002-03-20 23:55 )
なんなんだよそりゃあ!?それって公家ことばとか郭ことばとか、そっちのほうの系統だったりすんのかな?しらんけど、フランス語みたいにいらん文字つかうなやーー! / パオラ@もうやけくそつっこみ ( 2002-03-20 20:44 )

2002-03-21 頭の中にあの音楽が流れてくる

キューピー3分間クッキング。

何かのはずみで、誤ってこの番組を見てしまうことがあります。
いつも思うんですけれど、あれ、3分間じゃとても無理でしょう?

先頭 表紙

lim.さん。確かにあのウサギはかわいいっすね。 / 揚水 ( 2002-03-22 12:56 )
ピーターラビットが可愛い。私の携帯のアラームはこれ! / lim. ( 2002-03-22 11:16 )
売ってない売ってない(笑)。 / 揚水 ( 2002-03-21 19:30 )
○テレにケンカ売ってる?(笑) / パオラ@それはおもろい ( 2002-03-21 01:20 )
3分じゃ無理だよね、やっぱ。 / 揚水 ( 2002-03-21 00:20 )
仕込み入れたらけっこうなもんだとおもうよ。もちろんバラエティーの特番ほどではないだろうけどね。材料の準備やプロセスごとのサンプル作りがすごそうだよね。 / パオラ ( 2002-03-20 20:40 )
なんだろね(笑)? 番組は10分くらいでも、仕込み入れたらどんなもんよ? 故事来歴知りません。調べて教えて。 / 揚水 ( 2002-03-20 20:31 )
なんなんだよおおこの怒濤のようなアップはよおおおおっ!! / パオラ ( 2002-03-20 20:23 )
あれは約10分ほどの番組だよね。たしか。私はね、数字ネタならそれよりも五十歩百歩のほうがどうかと思うね。五十と百は五十もちがおうが。あれってどういう故事なの? / パオラ ( 2002-03-20 19:25 )

2002-03-21 同級生その後

大学の時の同級生でエロ漫画家になった人がいる。

僕は彼とほとんど口を利いたことはないが、たまに思いついて彼の漫画が載っている雑誌を買ってきては、彼の作品を読む。

つい先日も、コンビニの18禁コーナーで彼の名を見かけた。
買ってきて、読んだ。

そうやってたまに読むくせに、あんまり好みではない。

先頭 表紙

無駄っちゅうか、産業廃棄物だ。エロサンギョー。 / 揚水 ( 2002-03-20 20:30 )
ヌケないエロ本てすんーーごくいらないものの代名詞みたいだね。 / パオラ ( 2002-03-20 19:22 )
エロ本買う動機って、あんたそりゃ一つしかないでしょう? 排泄。でもあれじゃとてもヌケねえよ。じゃあいったい俺はいったいなんで買ってるんだ? 金もないくせに。 / 揚水@動機不純 ( 2002-03-20 18:42 )
まあ動機はさておき売り上げに貢献するあたり親切な行為。 / パオラ ( 2002-03-20 18:06 )

2002-03-20 転載「新世紀へようこそ 075 砂漠のカフェの話」−1

世の中がとても殺伐です。

国の中も外も嫌な話ばかりだから、どこか清冽なところに行きたいと願う。

しかし今の現実にすっかり背を向けるわけにもいかないと考えなおす。自分が混乱していることに気づく。

そういう時に、お薦めのカフェがあります。映画『少年と砂漠のカフェ』の舞台となったこの店は、今の問題と深く関わりながら、清冽な印象も与えてくれる。

イランのアボルファズル・ジャリリ監督の作品で、ぼくはこの映画に熱をあげています。

場所はイランの東の方、アフガニスタンとの国境からあまり遠くないデルバランというところ。

大きなトラックが轟々と通る街道のほとりにカフェがあります。砂漠の中に道があって、そこに砂漠色の建物があって、行き交う運転手が休憩する。壊れた車が入ってくると、近くに住む修理工が呼ばれる。

ぜんぜんおしゃれでない、ごく実用的なカフェです。

ここで一人の少年が手伝いとして働いている。

実際このキャインという子はよく働きます。身寄りがないから自活するしかないのだけれど、それにしてもよく働く。

この映画には彼が走る姿を写したショットが何度となく繰り返されます。その姿が美しい。走ったり、故障した車を押したり、荷を担いだり、彼の身体の動きのいちいちが美しい。カメラはすっかり彼に惚れ込んでいるようです。

自活しているということは自立しているということでもあって、キャインは知恵もあれば度胸もある子です。交渉にはねばり強いし、頼みごとはしつこい。言うべき文句は堂々と言う。大人の頑迷を前にして「まったく、もう」という表情を見せるところなど、一人前です。

だから、カフェを経営する老夫婦は迷い込んだこの少年を愛している。頼りにもしている。

不法滞在者である彼をかばって、警察官が来るとさっと隠す。それでも捕まった時には貰い下げにゆく。老夫婦の妻のハレーは片足がないのですが、松葉杖で警察に乗り込んでまくし立てる。

不法滞在者。キャインはこっそりイランに来たアフガニスタン人です。

イランは、他の国同様、勝手な越境者を認めません。見つけたら送還する。カフェは人の出入りが多いから、取り締まりのためにしばしば警察官が立ち寄ります。

キャインは見つかってしまう。

そこでハレーは警察に乗り込むわけです。

全体として、この映画は国籍の異なる者どうしがいかに親しくなり、相手を認め、共に暮らすようになるかということを主題にしている。ぼくはそう見ました。

しかしそれは嘘っぽい仲よしごっこではない。

アフガニスタン人とイラン人がトランプで遊んでいるうちに、インチキをしたのしないので口論になり、口ぎたなくののしりあって、やがて手が出る。

だが、そこまで。

刃物は出ない。世の争いの99.99%はそうなのです。みなどこかで自制する。

もしもここで一方がナイフを出して相手を威嚇し、賭け金を奪って去ったら、残された方には屈辱感が残ります。次の時には刃物に対して銃を出す。殺し合いになる。

ここで先日発覚したアメリカの核先制攻撃プランのことなど考えはじめると、せっかくの砂漠のカフェから忌まわしい現実に引き戻されてしまう。

先頭 表紙

2002-03-20 転載「新世紀へようこそ 075 砂漠のカフェの話」−2

でも、この映画の中ではイラン人の娘とアフガニスタンから来た若者が結婚するのです。

言葉も通じないのになぜだ、と問う警察官に対して、若者は「愛しているから」と答える。

この言葉をキャインが通訳します。

昔、ぼくが親しかった老夫婦を思い出しました。夫はイギリス人で、妻はギリシャ人。結婚した当初は言葉が通じなくて、居間の卓の上に辞書を置いておいたと笑って話していました。

異なる人を混ぜておくと、諍いも生じるけれども、仲よくもなる。「073 日本人と外国人」でぼくが、人は雑居が基本と書いたのはこういうことです。

この映画のカメラ・ワークのことを書いておきましょう。

細部のクローズアップから始めて、少しずつ全体を見せてゆく。必ず自分でカメラを覗くと言われるジャリリ監督のこの技法は優れています。

機械らしきものの一部を見せ、やがてそれがひっくり返ったトラックであること、背後には砂漠の風景があること、人が何かをしようとしていることを示す。カメラの動きにつれてゆっくりと全体がわかる。

この反復が一種生理的な快感を誘います。

ベタにストーリーを説明するのではない。映画では美しいショットが心地よい順序とリズムで並ぶことが何よりも大事。

映画の基本原理をひさしぶりに思い出しました。

何十年もの後にぼくがこの映画のことをたまたま思い出した時、アフガニスタンもイランも戦争もすべて忘却の中に消えていて、ともかく男の子が砂漠をよく走る映画だったという一点だけが残っている。

この映像にはそういう力が感じられます。

ぼくがこの映画に夢中になったのには、個人的な理由もあります。

2年前の5月、イランに行きました。砂漠の道をよく走って、オアシスの町をいくつか見て、この映画に出てくるような大きなトレーラー・トラックをたくさん見て、角砂糖を口に含んで紅茶を飲むというイラン式のやりかたを習得しました。

つまり、この映画はずいぶん懐かしいものでした。

ぼくはあの国とあそこの人々が好きなのです。

一つだけ問題を提起しておきます。

最後の場面でキャインが釘を投げる。

(なぜそんなことをするかは、ここでは説明しないでおきます。)

観客の多くは彼のこの行為への共感の思いを胸に、席を立つでしょう。

でも、誰一人殺さず、怪我もさせないとしても、あの行動の原理は暴力です。ごくごく小さな暴力です。

ぼくはキャインのしたことを断罪するつもりでこう書いているのではありません。人にはあのような行動に出るしかない場合もあるのかもしれないと考え、迷っているのです。

これはまた映画そのものから観客への問いかけでもあります。単純なわかりやすいスローガンの映画よりも、考えることを迫る映画の方が重みがある。

その意味で、これは傑作だと思いました。

『少年と砂漠のカフェ』はまず3月30日から、東京銀座のシネ・ラ・セットで公開されるということです。

        (池澤夏樹 2002−03−18)

転送は自由です。

配信の登録・削除、アドレスの変更は以下のページで手続きいただけます。

http://www.impala.jp/century/index.html

バックナンバーは以下でご覧いただけます。

http://www.impala.jp/century/index.html

先頭 表紙

いいなあ、都会は。銀座が遠いっつっても、うちからほどじゃあんめえ(笑)。 / 揚水 ( 2002-03-20 17:31 )
単館上映もの?だよねえ。この手のは。観てみたい。地元で観られるのが一番いいんだけど(笑)、これは銀座か。あー。 / パオラ ( 2002-03-20 15:18 )

2002-03-20 言い換えの思い遣り

インポ、と言ってはいけないようですね。
「ED」、「勃起障害」と言わねばならないようです。
‘E’はイレクト(erect)かイレクション(erection)の頭文字でしょう。‘D’は、手許に和英の辞書が見あたらなくて調べられないのが残念ですが、障害があるというくらいですから否定の接頭辞、‘des-’か‘dis-’あたりの付く言葉の頭文字なのでしょう。

「インポ」と日本語において縮められてしまった言葉は英語ではインポテンスですが、もとは‘impotenz’、ドイツ語でしょう。
ただ音だけで外来語として取り入れた日本語の中では気付きにくくなっていますが、「ポテンシャル(英語でもドイツ語でも綴りは‘potential’)」の上にこれも否定の接頭辞、‘im-’が被っているのですから、陰茎が勃起しない人に対してこの言葉を使うとその人を傷付けるのではないかということを気遣っての言い換えでしょう。
語源から辿っていけば「お前には能力がない」と言っているようなものですから。‘potent’には「生殖能力がある」という意味もあります。
「生き物として落第だ」と斬って捨てているようなものです。

だからこれは、「禿げ」を「薄毛(うすげ)」、「呆け(ボケ)」を「還幼(かんよう)」と言い換えようと呼びかけることとは少し趣が異なるように思います。
本来差別・蔑視的な意味を持たなかった、少なくともその意味だけではなかった言葉が、人を馬鹿にするための醜い使われ方の方が主流になった、そうした場合に用いられることが多く見受けられるようになった。そういうことではないかと思います。
「禿げ」や「呆け」などはそうした言葉のうちの目立ったものではないかと思います。
それを言い繕っても、問題は本当には解決しない。

英語にもそうした例はあるようです。
主なものでは‘negro’、‘yellow’、‘jap’などがこれに当たるでしょう。

差別語に含まれる差別とは、それをそのように口にする人の、その心の裡にあるのです。
だいたい例えば、「禿げ」の語源は「薄毛(うすげ)」をあるいは「はくげ」と読んだ、それが訛ったものだとは考えられないでしょうか? もしそうだとすれば堂々巡りですね。
英語でも、かつてニグロという言葉の方が蔑視的要素は少なく、むしろ‘white’は‘black’と言う語に悪意を込めていた。そうした時代もあったようです。

それが1960年代後半頃から‘Black is beautiful’という標語のもと、却ってブラックの方が誇りを持って使われるようになった経緯があるようです。
もっとも今ではまた、「ブラック」にも再び込められるようになった悪意に対して、ど忘れしてしまいましたが「アフリカン」だかなにかを用いて言い換えを計ってもいるようです。
また同じようなことは起こるでしょう。

このように、言葉に込められた悪意を取り除くことは、とても難しい。
根本にある人を蔑む心をどうにかしないとどうにもならないのです。
それが分かっていても、傷つく人の気持ちを考えてどうにか出来ないものかと思う人がいる。
言い換えは、だからその苦肉の策です。

皆さん、どうか優しい人になってください。

先頭 表紙

いやーん、エッチ。ってね。スケベは不滅。 / 揚水 ( 2002-03-20 20:30 )
↓ あ、まじ?これすっごいことじゃない?やだ、もう、信じらんない!わあー、揚水くんありがとー!勉強になったわあああ!!!! / パオラ ( 2002-03-20 20:18 )
↓ あのさ、男性名詞か女性名詞かということにさほどの根拠はないというようにたいがい教えてるじゃない?でもさ、この切り口で行くとさ、「il fior 花(男性名詞)」は「女が愛でるもの」ということになるよね。「il sole 太陽(男)」「 la luna 月(女)」もそう。なんか・・・えっちいね。 / パオラ@でも考え方があたってる気がする ( 2002-03-20 19:19 )
下のパーさんへ。ちなみにね、‘arte(つまり‘art’)’も女性名詞ね。アートなんて、今でこそ「お芸術」を指す言葉だけど、もともと「人工物」、「人の手の掛かったもの」ってイミだあね。その対象物、「もの」に「手を掛ける」主体が女性なのか、「手を掛けられる」客体が女性なのか。つまりその「人」というのが男なのか女なのかって事だね。まあ、男だろうね十中八九。‘history’だって‘his story’だもんねえ。でもそれに目クジラを立てすぎるのもどうかと思うけど。そうなんだろうね、歴史って。。 / 揚水 ( 2002-03-20 18:42 )
「禿げ」の語源が「薄毛(はくげ)」ではないかというのはもちろん冗談です。古くは「禿ぐ」。多分「剥がす」「剥げる」(古くは「剥ぐ」)と同源でしょうね。「引き離す」「引き離れる」、「(表面から)取る」「取れる」との語感が正しいでしょう。 / 揚水 ( 2002-03-20 17:54 )
パーさん。教養はいらない、経験は積めばいい。そして知性は磨けばいい。問われているのは自身の生きる力、他者と共存する智恵です、きっと。僕が現在その智恵を「こうだ!」と言えないのが歯痒い。 / 揚水 ( 2002-03-20 17:30 )
むーーん。想像力と知性・教養・経験がおいつかない部分まではいやはやどうにも。あるところで自分も悪人の一味であることを認めておかないとやりきれない面もあります。私は。時間があったら山田詠美の「アニマルロジック」を読んでみてください。あんなに正面から差別問題を書いてるとは思わなかった。まだ最後まで読んでないけどね。 / パオラ ( 2002-03-20 15:10 )

2002-03-20 その節はお世話になりました

僕の妹が結婚した男は、とてもいい男です。どっしりとしていて、とても温かい。
船乗りです。結婚式のために渡った五島で、初めて会いました。
その素晴らしい男っぷりと優しさは、一目会っただけで分かります。
僕は式の後あまりにも感動して嬉しくて、初対面にもかかわらず大勢の海の男たちと一緒に浴びるように酒を飲みました。三次会だか五次会だか、どこまで付き合ったか覚えていないくらいです。
翌朝、道路の真ん中にビキニブリーフ一枚で大の字になって寝ていた自分に気付いたときには魂消ました。
狼狽えましたよ。俺の服はどこだ? ってなもんです。
パンツを穿いていたのが、せめてもの救いです。

妹の結婚した男、つまり僕の義弟、彼は今では本州のメーカーから九州のディーラーへ納入される車を運ぶ船に乗っていますが、以前は近海でアジやサバを捕る漁船団で働いていました。
漁期のうち、本船はそうそう寄港しません。水揚げした魚を陸揚げし、沖で働く漁師の飲料水や食糧を補給するために漁場と港を往復する、その任に当たる船に乗っていたのです。
だから僕にばかすか魚を送ってくれていた。僕はそのお陰でずいぶん魚を捌くのが上手くなりました。
人に配って減らしたところでまだまだたくさんの青背の魚がある。すぐには食べきれないので、僕は家庭用の冷凍庫を買って保存していました。

彼が職を替えてから魚は届かなくなりました。それで冷凍庫を使う必要があまりなくなっていて、僕は前の職場の社長に彼が自宅で使うように、それを貸していました。
ところが事情が変わってそれを使うこととなりました。
一応、僕が使うときには返してくださいねと言っておいたので、会社の方にファックスを送りました。


その節はお世話になりました。
お世話になりました上にご迷惑をおかけしたことをまずもってお詫びいたします。

皆さんお変わり無くお過ごしでしょうか。
従業員ご一同、お仕事に励まれていることと思います。

さて、○○さん宅ご自宅に貸させていただいておりました冷凍庫の件です。
四月の初めから、都合により必要となります。
出来ましたら三月の末に、返していただけませんでしょうか。
勝手を言いまして申し訳ありません。

つきましてはお手数ですが、それまでに返していただけますかどうか、ファックスにてご返答願います。

よろしくお願いいたします。

平成一四年三月一九日

                   川内揚水



書いていて自分で、ずいぶん慇懃無礼な文だなと思いました。

そこではたと気が付いた。
人が他人にあてた文で訳が分からなくなるものを書く理由に思い至りました。

文章を書くのが上手いのか下手なのかは横に置いて、要は相手を馬鹿にしているかなめているかした時、人は訳の分からない文を書くのです。
真意を伝える誠意を持ち合わせてはいないけれど何か書かねばならない時、言わねばならない、言う振りをしなければならない、そうした時がそうです。
そうであっても無礼(なめ)ているのをそのまま伝える訳にはいきませんから、こうしとけば間違いがないと決まり文句を多用し、あるいは必要以上に丁寧になるか、意味のない美辞麗句を弄するのです。

うわあ、俺イヤらしいなあ。
いくらそう思っても、送信してしまったからもう遅いんですけどね。

先頭 表紙

さらに下のつっこみ。やべえ!bella だったらuna bellaじゃんよ!ああ、やべえ!カタカナ表記ってキケンだわ。(と自分のアホを表記のせいにするパオラ18:00すぎ。) / パオラ ( 2002-03-20 18:05 )
チロデルハイドへ。同じだよ(笑)。こんな場合特にね。 / 六点 ( 2002-03-20 17:30 )
パーさん。まあねえ。偉そうなこと言って、自分も「こうしとけば」とか「こういうもんだ」から自由でない人はいるもの。僕もその一人だということでもある、と。学校に反発(しているかに見せかけるように)しているお子さま方も、彼らなりの「制服」みたいなもん着てたり。ルールから逃れても別のルールに進んではまりこむ。そして実はもとのルールと後のルールは似たようなもんだったり。んなこったら逃げなきゃいいのにね。 / 揚水 ( 2002-03-20 17:29 )
美辞麗句は慇懃無礼に近いものかも(笑) / チロりす ( 2002-03-20 09:38 )
はは。そうかそういうことか。これが答えね。ウケるわあ。でもそういう人っているよね。一見社会の常識からうまく逃れて好きに生きてそうだけど、そういうひとたちの言うことってものすごく常識的なのよ。行動もね。ほんとびっくりするわ。 / パオラ ( 2002-03-20 02:23 )
いや、でもこれってそのとおりでない?やっぱ私も確かにこういう用途でわけのわからん文章を書くことがあるわ。段取り文の羅列。やーねーあたしって。でももういいや。昔のことだし。でもこういうの日本人だからなのかな?それとも外国人もこういうまわりくどい文章書くのかな? / パオラ ( 2002-03-20 02:15 )

[次の10件を表示] (総目次)