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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-03-21 頭の中にあの音楽が流れてくる
2002-03-21 同級生その後
2002-03-20 転載「新世紀へようこそ 075 砂漠のカフェの話」−1
2002-03-20 転載「新世紀へようこそ 075 砂漠のカフェの話」−2
2002-03-20 言い換えの思い遣り
2002-03-20 その節はお世話になりました
2002-03-20 ばっちぐー之進はアゴが三つに分かれてて新右衛門さんの友達なんだよ
2002-03-19 愛は惜しみなく奪う
2002-03-19 カー・○ックス
2002-03-19 意味不明


2002-03-21 頭の中にあの音楽が流れてくる

キューピー3分間クッキング。

何かのはずみで、誤ってこの番組を見てしまうことがあります。
いつも思うんですけれど、あれ、3分間じゃとても無理でしょう?

先頭 表紙

lim.さん。確かにあのウサギはかわいいっすね。 / 揚水 ( 2002-03-22 12:56 )
ピーターラビットが可愛い。私の携帯のアラームはこれ! / lim. ( 2002-03-22 11:16 )
売ってない売ってない(笑)。 / 揚水 ( 2002-03-21 19:30 )
○テレにケンカ売ってる?(笑) / パオラ@それはおもろい ( 2002-03-21 01:20 )
3分じゃ無理だよね、やっぱ。 / 揚水 ( 2002-03-21 00:20 )
仕込み入れたらけっこうなもんだとおもうよ。もちろんバラエティーの特番ほどではないだろうけどね。材料の準備やプロセスごとのサンプル作りがすごそうだよね。 / パオラ ( 2002-03-20 20:40 )
なんだろね(笑)? 番組は10分くらいでも、仕込み入れたらどんなもんよ? 故事来歴知りません。調べて教えて。 / 揚水 ( 2002-03-20 20:31 )
なんなんだよおおこの怒濤のようなアップはよおおおおっ!! / パオラ ( 2002-03-20 20:23 )
あれは約10分ほどの番組だよね。たしか。私はね、数字ネタならそれよりも五十歩百歩のほうがどうかと思うね。五十と百は五十もちがおうが。あれってどういう故事なの? / パオラ ( 2002-03-20 19:25 )

2002-03-21 同級生その後

大学の時の同級生でエロ漫画家になった人がいる。

僕は彼とほとんど口を利いたことはないが、たまに思いついて彼の漫画が載っている雑誌を買ってきては、彼の作品を読む。

つい先日も、コンビニの18禁コーナーで彼の名を見かけた。
買ってきて、読んだ。

そうやってたまに読むくせに、あんまり好みではない。

先頭 表紙

無駄っちゅうか、産業廃棄物だ。エロサンギョー。 / 揚水 ( 2002-03-20 20:30 )
ヌケないエロ本てすんーーごくいらないものの代名詞みたいだね。 / パオラ ( 2002-03-20 19:22 )
エロ本買う動機って、あんたそりゃ一つしかないでしょう? 排泄。でもあれじゃとてもヌケねえよ。じゃあいったい俺はいったいなんで買ってるんだ? 金もないくせに。 / 揚水@動機不純 ( 2002-03-20 18:42 )
まあ動機はさておき売り上げに貢献するあたり親切な行為。 / パオラ ( 2002-03-20 18:06 )

2002-03-20 転載「新世紀へようこそ 075 砂漠のカフェの話」−1

世の中がとても殺伐です。

国の中も外も嫌な話ばかりだから、どこか清冽なところに行きたいと願う。

しかし今の現実にすっかり背を向けるわけにもいかないと考えなおす。自分が混乱していることに気づく。

そういう時に、お薦めのカフェがあります。映画『少年と砂漠のカフェ』の舞台となったこの店は、今の問題と深く関わりながら、清冽な印象も与えてくれる。

イランのアボルファズル・ジャリリ監督の作品で、ぼくはこの映画に熱をあげています。

場所はイランの東の方、アフガニスタンとの国境からあまり遠くないデルバランというところ。

大きなトラックが轟々と通る街道のほとりにカフェがあります。砂漠の中に道があって、そこに砂漠色の建物があって、行き交う運転手が休憩する。壊れた車が入ってくると、近くに住む修理工が呼ばれる。

ぜんぜんおしゃれでない、ごく実用的なカフェです。

ここで一人の少年が手伝いとして働いている。

実際このキャインという子はよく働きます。身寄りがないから自活するしかないのだけれど、それにしてもよく働く。

この映画には彼が走る姿を写したショットが何度となく繰り返されます。その姿が美しい。走ったり、故障した車を押したり、荷を担いだり、彼の身体の動きのいちいちが美しい。カメラはすっかり彼に惚れ込んでいるようです。

自活しているということは自立しているということでもあって、キャインは知恵もあれば度胸もある子です。交渉にはねばり強いし、頼みごとはしつこい。言うべき文句は堂々と言う。大人の頑迷を前にして「まったく、もう」という表情を見せるところなど、一人前です。

だから、カフェを経営する老夫婦は迷い込んだこの少年を愛している。頼りにもしている。

不法滞在者である彼をかばって、警察官が来るとさっと隠す。それでも捕まった時には貰い下げにゆく。老夫婦の妻のハレーは片足がないのですが、松葉杖で警察に乗り込んでまくし立てる。

不法滞在者。キャインはこっそりイランに来たアフガニスタン人です。

イランは、他の国同様、勝手な越境者を認めません。見つけたら送還する。カフェは人の出入りが多いから、取り締まりのためにしばしば警察官が立ち寄ります。

キャインは見つかってしまう。

そこでハレーは警察に乗り込むわけです。

全体として、この映画は国籍の異なる者どうしがいかに親しくなり、相手を認め、共に暮らすようになるかということを主題にしている。ぼくはそう見ました。

しかしそれは嘘っぽい仲よしごっこではない。

アフガニスタン人とイラン人がトランプで遊んでいるうちに、インチキをしたのしないので口論になり、口ぎたなくののしりあって、やがて手が出る。

だが、そこまで。

刃物は出ない。世の争いの99.99%はそうなのです。みなどこかで自制する。

もしもここで一方がナイフを出して相手を威嚇し、賭け金を奪って去ったら、残された方には屈辱感が残ります。次の時には刃物に対して銃を出す。殺し合いになる。

ここで先日発覚したアメリカの核先制攻撃プランのことなど考えはじめると、せっかくの砂漠のカフェから忌まわしい現実に引き戻されてしまう。

先頭 表紙

2002-03-20 転載「新世紀へようこそ 075 砂漠のカフェの話」−2

でも、この映画の中ではイラン人の娘とアフガニスタンから来た若者が結婚するのです。

言葉も通じないのになぜだ、と問う警察官に対して、若者は「愛しているから」と答える。

この言葉をキャインが通訳します。

昔、ぼくが親しかった老夫婦を思い出しました。夫はイギリス人で、妻はギリシャ人。結婚した当初は言葉が通じなくて、居間の卓の上に辞書を置いておいたと笑って話していました。

異なる人を混ぜておくと、諍いも生じるけれども、仲よくもなる。「073 日本人と外国人」でぼくが、人は雑居が基本と書いたのはこういうことです。

この映画のカメラ・ワークのことを書いておきましょう。

細部のクローズアップから始めて、少しずつ全体を見せてゆく。必ず自分でカメラを覗くと言われるジャリリ監督のこの技法は優れています。

機械らしきものの一部を見せ、やがてそれがひっくり返ったトラックであること、背後には砂漠の風景があること、人が何かをしようとしていることを示す。カメラの動きにつれてゆっくりと全体がわかる。

この反復が一種生理的な快感を誘います。

ベタにストーリーを説明するのではない。映画では美しいショットが心地よい順序とリズムで並ぶことが何よりも大事。

映画の基本原理をひさしぶりに思い出しました。

何十年もの後にぼくがこの映画のことをたまたま思い出した時、アフガニスタンもイランも戦争もすべて忘却の中に消えていて、ともかく男の子が砂漠をよく走る映画だったという一点だけが残っている。

この映像にはそういう力が感じられます。

ぼくがこの映画に夢中になったのには、個人的な理由もあります。

2年前の5月、イランに行きました。砂漠の道をよく走って、オアシスの町をいくつか見て、この映画に出てくるような大きなトレーラー・トラックをたくさん見て、角砂糖を口に含んで紅茶を飲むというイラン式のやりかたを習得しました。

つまり、この映画はずいぶん懐かしいものでした。

ぼくはあの国とあそこの人々が好きなのです。

一つだけ問題を提起しておきます。

最後の場面でキャインが釘を投げる。

(なぜそんなことをするかは、ここでは説明しないでおきます。)

観客の多くは彼のこの行為への共感の思いを胸に、席を立つでしょう。

でも、誰一人殺さず、怪我もさせないとしても、あの行動の原理は暴力です。ごくごく小さな暴力です。

ぼくはキャインのしたことを断罪するつもりでこう書いているのではありません。人にはあのような行動に出るしかない場合もあるのかもしれないと考え、迷っているのです。

これはまた映画そのものから観客への問いかけでもあります。単純なわかりやすいスローガンの映画よりも、考えることを迫る映画の方が重みがある。

その意味で、これは傑作だと思いました。

『少年と砂漠のカフェ』はまず3月30日から、東京銀座のシネ・ラ・セットで公開されるということです。

        (池澤夏樹 2002−03−18)

転送は自由です。

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先頭 表紙

いいなあ、都会は。銀座が遠いっつっても、うちからほどじゃあんめえ(笑)。 / 揚水 ( 2002-03-20 17:31 )
単館上映もの?だよねえ。この手のは。観てみたい。地元で観られるのが一番いいんだけど(笑)、これは銀座か。あー。 / パオラ ( 2002-03-20 15:18 )

2002-03-20 言い換えの思い遣り

インポ、と言ってはいけないようですね。
「ED」、「勃起障害」と言わねばならないようです。
‘E’はイレクト(erect)かイレクション(erection)の頭文字でしょう。‘D’は、手許に和英の辞書が見あたらなくて調べられないのが残念ですが、障害があるというくらいですから否定の接頭辞、‘des-’か‘dis-’あたりの付く言葉の頭文字なのでしょう。

「インポ」と日本語において縮められてしまった言葉は英語ではインポテンスですが、もとは‘impotenz’、ドイツ語でしょう。
ただ音だけで外来語として取り入れた日本語の中では気付きにくくなっていますが、「ポテンシャル(英語でもドイツ語でも綴りは‘potential’)」の上にこれも否定の接頭辞、‘im-’が被っているのですから、陰茎が勃起しない人に対してこの言葉を使うとその人を傷付けるのではないかということを気遣っての言い換えでしょう。
語源から辿っていけば「お前には能力がない」と言っているようなものですから。‘potent’には「生殖能力がある」という意味もあります。
「生き物として落第だ」と斬って捨てているようなものです。

だからこれは、「禿げ」を「薄毛(うすげ)」、「呆け(ボケ)」を「還幼(かんよう)」と言い換えようと呼びかけることとは少し趣が異なるように思います。
本来差別・蔑視的な意味を持たなかった、少なくともその意味だけではなかった言葉が、人を馬鹿にするための醜い使われ方の方が主流になった、そうした場合に用いられることが多く見受けられるようになった。そういうことではないかと思います。
「禿げ」や「呆け」などはそうした言葉のうちの目立ったものではないかと思います。
それを言い繕っても、問題は本当には解決しない。

英語にもそうした例はあるようです。
主なものでは‘negro’、‘yellow’、‘jap’などがこれに当たるでしょう。

差別語に含まれる差別とは、それをそのように口にする人の、その心の裡にあるのです。
だいたい例えば、「禿げ」の語源は「薄毛(うすげ)」をあるいは「はくげ」と読んだ、それが訛ったものだとは考えられないでしょうか? もしそうだとすれば堂々巡りですね。
英語でも、かつてニグロという言葉の方が蔑視的要素は少なく、むしろ‘white’は‘black’と言う語に悪意を込めていた。そうした時代もあったようです。

それが1960年代後半頃から‘Black is beautiful’という標語のもと、却ってブラックの方が誇りを持って使われるようになった経緯があるようです。
もっとも今ではまた、「ブラック」にも再び込められるようになった悪意に対して、ど忘れしてしまいましたが「アフリカン」だかなにかを用いて言い換えを計ってもいるようです。
また同じようなことは起こるでしょう。

このように、言葉に込められた悪意を取り除くことは、とても難しい。
根本にある人を蔑む心をどうにかしないとどうにもならないのです。
それが分かっていても、傷つく人の気持ちを考えてどうにか出来ないものかと思う人がいる。
言い換えは、だからその苦肉の策です。

皆さん、どうか優しい人になってください。

先頭 表紙

いやーん、エッチ。ってね。スケベは不滅。 / 揚水 ( 2002-03-20 20:30 )
↓ あ、まじ?これすっごいことじゃない?やだ、もう、信じらんない!わあー、揚水くんありがとー!勉強になったわあああ!!!! / パオラ ( 2002-03-20 20:18 )
↓ あのさ、男性名詞か女性名詞かということにさほどの根拠はないというようにたいがい教えてるじゃない?でもさ、この切り口で行くとさ、「il fior 花(男性名詞)」は「女が愛でるもの」ということになるよね。「il sole 太陽(男)」「 la luna 月(女)」もそう。なんか・・・えっちいね。 / パオラ@でも考え方があたってる気がする ( 2002-03-20 19:19 )
下のパーさんへ。ちなみにね、‘arte(つまり‘art’)’も女性名詞ね。アートなんて、今でこそ「お芸術」を指す言葉だけど、もともと「人工物」、「人の手の掛かったもの」ってイミだあね。その対象物、「もの」に「手を掛ける」主体が女性なのか、「手を掛けられる」客体が女性なのか。つまりその「人」というのが男なのか女なのかって事だね。まあ、男だろうね十中八九。‘history’だって‘his story’だもんねえ。でもそれに目クジラを立てすぎるのもどうかと思うけど。そうなんだろうね、歴史って。。 / 揚水 ( 2002-03-20 18:42 )
「禿げ」の語源が「薄毛(はくげ)」ではないかというのはもちろん冗談です。古くは「禿ぐ」。多分「剥がす」「剥げる」(古くは「剥ぐ」)と同源でしょうね。「引き離す」「引き離れる」、「(表面から)取る」「取れる」との語感が正しいでしょう。 / 揚水 ( 2002-03-20 17:54 )
パーさん。教養はいらない、経験は積めばいい。そして知性は磨けばいい。問われているのは自身の生きる力、他者と共存する智恵です、きっと。僕が現在その智恵を「こうだ!」と言えないのが歯痒い。 / 揚水 ( 2002-03-20 17:30 )
むーーん。想像力と知性・教養・経験がおいつかない部分まではいやはやどうにも。あるところで自分も悪人の一味であることを認めておかないとやりきれない面もあります。私は。時間があったら山田詠美の「アニマルロジック」を読んでみてください。あんなに正面から差別問題を書いてるとは思わなかった。まだ最後まで読んでないけどね。 / パオラ ( 2002-03-20 15:10 )

2002-03-20 その節はお世話になりました

僕の妹が結婚した男は、とてもいい男です。どっしりとしていて、とても温かい。
船乗りです。結婚式のために渡った五島で、初めて会いました。
その素晴らしい男っぷりと優しさは、一目会っただけで分かります。
僕は式の後あまりにも感動して嬉しくて、初対面にもかかわらず大勢の海の男たちと一緒に浴びるように酒を飲みました。三次会だか五次会だか、どこまで付き合ったか覚えていないくらいです。
翌朝、道路の真ん中にビキニブリーフ一枚で大の字になって寝ていた自分に気付いたときには魂消ました。
狼狽えましたよ。俺の服はどこだ? ってなもんです。
パンツを穿いていたのが、せめてもの救いです。

妹の結婚した男、つまり僕の義弟、彼は今では本州のメーカーから九州のディーラーへ納入される車を運ぶ船に乗っていますが、以前は近海でアジやサバを捕る漁船団で働いていました。
漁期のうち、本船はそうそう寄港しません。水揚げした魚を陸揚げし、沖で働く漁師の飲料水や食糧を補給するために漁場と港を往復する、その任に当たる船に乗っていたのです。
だから僕にばかすか魚を送ってくれていた。僕はそのお陰でずいぶん魚を捌くのが上手くなりました。
人に配って減らしたところでまだまだたくさんの青背の魚がある。すぐには食べきれないので、僕は家庭用の冷凍庫を買って保存していました。

彼が職を替えてから魚は届かなくなりました。それで冷凍庫を使う必要があまりなくなっていて、僕は前の職場の社長に彼が自宅で使うように、それを貸していました。
ところが事情が変わってそれを使うこととなりました。
一応、僕が使うときには返してくださいねと言っておいたので、会社の方にファックスを送りました。


その節はお世話になりました。
お世話になりました上にご迷惑をおかけしたことをまずもってお詫びいたします。

皆さんお変わり無くお過ごしでしょうか。
従業員ご一同、お仕事に励まれていることと思います。

さて、○○さん宅ご自宅に貸させていただいておりました冷凍庫の件です。
四月の初めから、都合により必要となります。
出来ましたら三月の末に、返していただけませんでしょうか。
勝手を言いまして申し訳ありません。

つきましてはお手数ですが、それまでに返していただけますかどうか、ファックスにてご返答願います。

よろしくお願いいたします。

平成一四年三月一九日

                   川内揚水



書いていて自分で、ずいぶん慇懃無礼な文だなと思いました。

そこではたと気が付いた。
人が他人にあてた文で訳が分からなくなるものを書く理由に思い至りました。

文章を書くのが上手いのか下手なのかは横に置いて、要は相手を馬鹿にしているかなめているかした時、人は訳の分からない文を書くのです。
真意を伝える誠意を持ち合わせてはいないけれど何か書かねばならない時、言わねばならない、言う振りをしなければならない、そうした時がそうです。
そうであっても無礼(なめ)ているのをそのまま伝える訳にはいきませんから、こうしとけば間違いがないと決まり文句を多用し、あるいは必要以上に丁寧になるか、意味のない美辞麗句を弄するのです。

うわあ、俺イヤらしいなあ。
いくらそう思っても、送信してしまったからもう遅いんですけどね。

先頭 表紙

さらに下のつっこみ。やべえ!bella だったらuna bellaじゃんよ!ああ、やべえ!カタカナ表記ってキケンだわ。(と自分のアホを表記のせいにするパオラ18:00すぎ。) / パオラ ( 2002-03-20 18:05 )
チロデルハイドへ。同じだよ(笑)。こんな場合特にね。 / 六点 ( 2002-03-20 17:30 )
パーさん。まあねえ。偉そうなこと言って、自分も「こうしとけば」とか「こういうもんだ」から自由でない人はいるもの。僕もその一人だということでもある、と。学校に反発(しているかに見せかけるように)しているお子さま方も、彼らなりの「制服」みたいなもん着てたり。ルールから逃れても別のルールに進んではまりこむ。そして実はもとのルールと後のルールは似たようなもんだったり。んなこったら逃げなきゃいいのにね。 / 揚水 ( 2002-03-20 17:29 )
美辞麗句は慇懃無礼に近いものかも(笑) / チロりす ( 2002-03-20 09:38 )
はは。そうかそういうことか。これが答えね。ウケるわあ。でもそういう人っているよね。一見社会の常識からうまく逃れて好きに生きてそうだけど、そういうひとたちの言うことってものすごく常識的なのよ。行動もね。ほんとびっくりするわ。 / パオラ ( 2002-03-20 02:23 )
いや、でもこれってそのとおりでない?やっぱ私も確かにこういう用途でわけのわからん文章を書くことがあるわ。段取り文の羅列。やーねーあたしって。でももういいや。昔のことだし。でもこういうの日本人だからなのかな?それとも外国人もこういうまわりくどい文章書くのかな? / パオラ ( 2002-03-20 02:15 )

2002-03-20 ばっちぐー之進はアゴが三つに分かれてて新右衛門さんの友達なんだよ

僕は物事が上手くいって思わず「バッチグー」などと言いたくなった時にこう言う。
新右衛門さんとはいわずと知れた一休さんのお友達である。アゴが二つに分かれていて円らな瞳をしている。
いつも困ったことがあると一休さんのもとに、頓知を求めて駈け参じる。

「バッチグー」なんて死語もいいところだ。恥ずかしい。
その恥ずかしさがこの長ったらしい言葉を生み出したものと思われる。

アニメでは新右衛門さんは小坊主の一休さんと友達であるようだが、実際には彼は一休さんが年を取ってからの友人であるらしい。友人というよりも、彼は一休さんを師と仰いだ。
だいたい小坊主の頃の一休さんはまだ「一休」という道号を持ってはいない。幼名千菊丸、安国寺時代は周建という名、五山叢林を飛び出して西金寺の謙翁、為謙宗為のもとに赴いたときも、もらった名は宗純だった。一休ではない。
「将軍さま」も羽振りのよいところからしてどうも金閣寺の足利義満臭いが、新右衛門さんが仕えたのは三代義満ではなく六代義教である。有名どころかどうかで言えば、銀閣寺の八代義政ですらない。

本名蜷川新右衛門親当(にながわしんえもんちかまさ)。
武官でありながら連歌を能くし、号を智蘊(ちうん)という。一休さんとの歌のやりとりも多く残されているはずだ。あんなアホなお侍ではないのである。
架空のこととはいえ嘘はいけない。
確かに一休さんというお坊さんは室町の世に実在したらしい。爾来人々が「一休」さんに親しみを覚える理由は、そんな嘘をも飲み込んでしまうようなところにもあるのであろうが。



「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」

「釈迦も又阿弥陀ももとは人ぞかし われもかたちは人にあらずや」

「女をば法(のり)のみくらといふぞげに 釈迦も達磨もひよいひよいと出る」

「釈迦といふいたづらものが世にいでて おほくの人をまよはするかな」

「ふらばふれふらずばふらずふらずとも ぬれてゆくべき袖ならばこそ」



放下着。法雨、法雨。

一休さんの歌である。

先頭 表紙

どういたしまして。recitativo,un´opera d´arte.artisan,partisan,resistanceです。 / 揚水@辞書片手 ( 2002-03-20 17:28 )
下の記事へのつっこみ。recitativo,uno bella di arte(ダルテはアポストロフィがみあたらんからそのまんまね。)か。あとはartizane?partizane?registance? / パオラ ( 2002-03-20 15:04 )
ありがとー。へへ。 / パオラ ( 2002-03-20 02:06 )
昔も今も、分かってはいるのかもしれませんね。ただ、昔から言われ続けてなお今でも「本当に大事なこと」を言う必要があるのならば、未だかつてそれは実現されてはいないのです。本当のところ、きっと人はそれほど進歩してはいないんでしょうね。あまり変わっていない。ただ、昔に較べてよくなった部分も悪くなった部分もあるということでしょう。状況はしかし、確実に悪くなっています。さてどうしましょうね。個人的な話なら、とにかくがんばってください。それしか言えない(笑)。 / 揚水 ( 2002-03-20 01:47 )
本当に大事なことは大昔の人はもうみんなわかってたんですね。今のようなような世の中だとよけいにその言葉の意味が深く重いものに感じられます。個人的にはまた何か捨てることができそうな時期にきています。参考にさせていただきます。 / パオラ ( 2002-03-19 23:00 )
「放下着(ほうげじゃく)」、「法雨(ほうう)」と読みます。「放下」とは捨て去ること、「着」とは執着のこと。つまり一切の執着を捨ててしまえ、ということ。「法」とはすなわち仏法。仏教が広く教化し人を救うということを世界を遍く潤す雨に譬えて、「法雨」といいます。托鉢僧が「ホー、ホー」と唱えて歩くのはこの言葉です。古(いにしえ)において、キリスト教に限らず仏教寺院ででも、その組織の存続や繁栄が優先されたことも事実でしょう。体ばかり大きくなると、心を見失う。そうならないようにしたいものです。 / 揚水 ( 2002-03-19 22:17 )
「放下着。法雨、法雨。 」ってどういう意味? / パオラ@読めんしわからんし・・・ ( 2002-03-19 21:30 )
わあ、あげみくんおっちゃん全開のベタギャグかと思いきや、どうしてどうして。とってもためになるお話でパオラびっくりの巻でした。「門松は」の句は聞いたことがあると思ったら・・・「笑点」の大喜利で見たらしいです。はは。(たしか「目出度くもあり 目出度くもなし」につながる上句を考える、ってお題だったと思う。) / パオラ@とんち一発! ( 2002-03-19 21:29 )

2002-03-19 愛は惜しみなく奪う

愛は惜しみなく与えるものだと思う。
けれど、惜しみなく与えてもなお、どうしても相手の時間だけはいやがおうにも奪ってしまう。
お互いに好きあっていれば。
片想いであってすら、深い愛は時間を奪う。その場合は自身の時間を。

与えることと奪うことは、ある意味同義だ。

先頭 表紙

レチタティーヴォ、ウノペラダルテがイタリア語。あとはおフランス語。 / 揚水 ( 2002-03-20 02:11 )
いや、イタリア語らしいぞ。 / 揚水 ( 2002-03-20 02:10 )
それラテン語? / パオラ ( 2002-03-20 02:08 )
アルチザン。人はもっと骨太に生きるべきです。レチタティーヴォ。教義を語る合間に生の会話をなさねばならない。パルチザン。何かを生み出すために働く人々の力を侮ってはいけない。レジスタンス。世の仕組みがもしお互い慮ることを難しくしているというのなら、抗い続けましょう。人として生き、死ぬために。ウノペラダルテ。どんな人でも本来その一生は、芸術でなければならない。 / 揚水 ( 2002-03-20 01:59 )
そうなんだよね。仏教本はほとんど読んだことがないのでなんとも言えないんだけど、ことキリスト教にかんしていえば社会のシステムのための意図が非常に感じられるのよね。でもそれがこれからも通用するかどうか。他人を思いやることはたしかにそんなに難しいことではないけれど、でもそれすら忘れさせてしまうような世の中の仕組みになっているのもまた事実。その波にあらがう意志のある者だけが人らしくあり続けられるのかしら? / パオラ ( 2002-03-19 23:07 )
パーさんへ。喧嘩は売りません。どうしても売りたい人がいれば買うよ、安値でね。キリスト教の功罪は、人がいかに生きるかの智恵や悦びに関する教義と大多数の人にとっての社会を円滑に建設運営するための方便(もちろんこれも大事だし必要)とを混同させやすく先人が語ったこと、ここにこそ現れてはいまいか。人間が生き物としてここまで弱体化するとは神も思し召さなかったのではないか。今の夫婦や家族の形態は、もう想定外ではないか。でも、人が他人を慮ることはそんなに難しいことではないでしょ、ね。 / 揚水 ( 2002-03-19 22:16 )
をを、キリスト教に宣戦布告(笑)!?「神につかえるように自分を愛し、自分を愛するように妻(あるいは夫)を愛しなさい。今日からはまずおたがい相手のことを最初に考えるのです。」というありがたいお言葉に策略を感じるのは私だけ? / パオラ@ななめの視線 ( 2002-03-19 21:24 )

2002-03-19 カー・○ックス

やったことがないなあ。

あ、一遍だけやったことがあるか。あんなことしてなにが嬉しいんだろう? 特に気持ちよくもならなかったぞ。

街のはずれの住宅街なんかでせっせと励んでいる人を見ると、「何をそんなに一生懸命になってるんだろう」と揶揄したくなる気持ちがむくむくと頭をもたげてくる。
勃発する底意地の悪い心。
腹にイチモツぶら下げて。
休日の昼下がり。
明るい陽差しのもとに揺れる、窓際の淫靡なカーテン。
あの向こうでは気怠い人妻が物思いに耽るものなのか。
子供らのはしゃぐ声。
辺りは一面濡れて。
満面の笑顔で掌(たなごごろ)を、腕を濡れそぼらせる若い男。

街中を走る車という車がみな一様にピカピカに磨き上げられている光景は、考えようによっては異常じゃありませんかね? 洗車病。

先頭 表紙

ウソだ! おじさんは信じないぞ(笑)。 / 揚水 ( 2002-03-20 02:09 )
今は中学生がはめたおしてるでしょ? / パオラ ( 2002-03-20 02:07 )
ところで高校生のくせにセックスしてる奴、おじさんは許せませんねえ(笑)。これはひがみだ(笑)。 / 揚水 ( 2002-03-20 01:46 )
あ、そーなんだ。へー。 / 揚水@マジかよ ( 2002-03-19 23:41 )
いや、マジつっこみ。疲れててなんだか前後がかみあわないなあと思いながら書いてた(笑)。でも、どっちも私はキライ。男が日曜に車磨きたててる姿って、どうも自慰を連想させるんだよね。車をかざりたてる行為とかさ。ああ、キライ。 / パオラ ( 2002-03-19 23:11 )
パーさん、「セ」じゃないよ、違う文字だって(笑)。 / 揚水@わざとだよな? ( 2002-03-19 22:16 )
まあ、お好きな方はカーセックスでもアオカンでもご自由にと思います。人の迷惑にならん範囲で。友人の話で、とある駅ビルの中の階段(人目につきにくい)でハメていた高校生がいたという話をきいたことがあります。単にホテル代がなかったのかな?とも思うけど、私は車の中よりこっちのほうが理解しがたい。 / パオラ ( 2002-03-19 21:20 )
へー。じゃあ僕の本性は駄洒落エロ星人か。 / 六点 ( 2002-03-19 13:54 )
最近、この手の(耳かきとか)多いねぇ。東スポみたいだぞ(笑) / チロりす ( 2002-03-19 10:01 )

2002-03-19 意味不明

以前、県議会議員選挙が近づいたある日のこと、ポストにゴミが入っていました。
以下はその引用です。三つ折りになっていて、開いた外側にはこうあります。


人・文化・産業の調和したエコタウン○○○(ここには郡名が入ります)!

「○○○○(人名)と○○○(郡名)を創る会」は団結して行動します!!

○○○○と○○○を創る会
(事務所住所が記してあります)

(略歴が載せてあります)

(葉書が付けてあり、「○○○○と○○○を創る会」入会申込書になっています。その上部には葉書とは別のスペースがあり、そこにはこうあります。)
後援会活動を積極的に進めるに当たって
投票を依頼するような選挙活動はできませんが、選挙期間中をのぞき次のようなことは自由にできます。
● ○○○○(人名)の政治的、社会的活動を支援するために後援会組織を作ることができる。
● この「○○○○と○○○を作る会」への加入を友人、知人、会社の人たちにすすめることができます。
● ○○○○(人名)を推薦することは個人でも、団体でも自由です。

(そのスペースの裏へ回って)
「○○○○と○○○を創る会」の規約
名称:本会は「○○○○と○○○を創る会」と称します。
目的:本会は「○○○○(人名)」の政治的社会的活動を支援することを目的とします。
事業:本会は、さきの目的を達成するために必要な事業をおこないます。
会員:本会は会の趣旨に賛同する者をもって組織します。
役員:本会には、会長その他役員をおきます。
経費:本会の経費は寄付その他をもってあてます。

(葉書部分裏面)
「○○○○と○○○を創る会」入会申込書
(住所氏名電話、家族の氏名年齢、紹介者の住所氏名電話の記載欄があります)


以下、三つ折りの内側の葉書以外の部分です。


(顔写真があります)
環境に優しい郷土づくりをめざし
決意
○○○郡の恵まれた自然環境を愛し大切に守ります。
ビッグプロジェクトの進行している我が県の将来像を的確に見すえ、○○○郡三町村が特色ある発展をとげるよう、二十一世紀に向けて調和のとれた魅力ある郷土づくりに邁進いたします。
皆様方のあたたかいご指導を心よりお願い申し上げます。

○○○郡の環境・福祉・教育のため
福祉の充実
人にやさしい心の通う福祉政策の充実に努力いたします。
青少年の伸びる環境づくり
伝統文化を守り、青少年が健やかに伸びる環境づくりに努力します
自然環境の保全
豊かな自然環境を守り、ぬくもりある地域づくりに努力します。
社会資本の整備
道路を始めとする産業発展の基盤づくりに努力します。
男女共同参画社会の推進
女性の社会参加の推進に努力します。

(激励の言葉があります)
ますますのご活躍を
○○○○さんは、新世紀の「地方の時代」になくてはならない人です。地方分権の問題を真正面から受け止め、地方行政地方議会のあり方を議論できる方です。心から期待します。
○○町長 ○○○○

(激励文の脇には二枚のイラストがあります。一つはコンコルドのような飛行機が中部地方に降り立つところです。もう一つは、流線形の車が疾走する高速道路のような道の周りに「鉄腕アトム」に出てくるかのような「近未来」的な建物が建っています)


イラストの情けなさはいただけませんが、実現すればどれもすばらしいものです。
けれど、僕には彼や彼の後援会が何が言いたくて何がしたいのか、このリーフレットを読む限りではまったく分からない。
誰か理解できる人がいたら教えてください。

先頭 表紙

まあでっち上げには違いない。中身ナシ。 / 揚水 ( 2002-03-19 13:52 )
時間のない時にでっち上げたレポートのようですね。 / lim. ( 2002-03-19 10:38 )
こんなもん、「公文書」と呼ぶのも口はばったいよ。 / 揚水 ( 2002-03-19 02:33 )
いかんね。公文書系は。ほんまぱっとせんわ。 / パオラ ( 2002-03-19 01:38 )
まーね、たいがいばっか疲れたがや…。 / 揚水 ( 2002-03-19 01:35 )
あげみちゃん、このまったくようわからん文章をひたすら打ち込んだ君のガッツに、その怒りの大きさをみてとるね。わしは。 / パオラ ( 2002-03-19 01:01 )
うちの村には「行政区」という行政単位があります。大字のことを普通「字(あざ)」と呼ぶのですが、いくつかの字をまとめたものが「行政区」です。先日その行政区の年度末の総会がありました。彼の候補者は当選を果たし、今では議員さんです。来賓として招かれていました。彼は「皆様のお力添え」をもって、今の「素晴らしい地位」を「占めさせていただいて」いるのだそうです。なんか民主主義を勘違いしてないか? もうそういう言い掛かりをつけることすら疲れる。 / 揚水 ( 2002-03-19 00:49 )
これは「公約」ととってもよいのでしょうか。だとすれば彼の公約はあまりにも場当たりで、よくよく考えればおのおの矛盾していることすらあります。とってつけたような感が否めない。対抗候補のリーフレットもありましたが、それも似たようなものです。人のすることにケチをつけるだけなら簡単ですが、家に帰ってポストにこんなものが入っていたら文句の一つも言いたくなるというものです。 / 揚水 ( 2002-03-19 00:48 )

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