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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-04-17 総総天然色
2008-04-02 四月に降る雪
2008-03-28 森本アナ
2008-03-16 春遠からじ
2008-02-18 一昨年ほどの衝撃はなかったが去年よりも一昨年よりも驚くには驚いた
2008-02-08 わかばの頃
2008-02-04 納車
2008-01-27 鈴生り
2008-01-25 腐ってなんかないよ
2008-01-24 もうダメ、なのか?


2008-04-17 総総天然色

以前にも書きましたように、中日新聞の新4コマちびまる子ちゃんのスクラップをしております。B5版の無印のノートで三冊目半ば近くまできました。

去年の7月いっ日からの連載当初、日曜祝祭日はまるちゃんがカラーで嬉しかったものです。
ところが。

この4月からまるちゃんは毎日カラーになりました。
さくらももこさんはさぞかし大変なことでしょう。

しかし、モノクロが当たり前の中にたまに色があるのがとても嬉しいのであって、毎日カラーだとあまり有り難味がありません。
すぐ慣れてしまうでしょうし、そもそも有り難味云々でもないのでしょうが。

見開きに4日分のまるちゃんが貼られている中、3月の末から4月あたまにかけて、それまでとは逆にカラー3日分に囲まれて1日だけモノクロになったページが出来て、その1日分のモノクロがとても新鮮です。

筒井康隆氏の短編に、世界がタイムループに巻き込まれゴールデンウィークが延々繰り返され、一年に当たる日数分に一週間分だけウィークデイがやってきて人々は随喜の涙で仕事に勤しむというのがあります。
嬉しいことでもそれが当たり前になればその当たり前がそれまで持っていた価値を落としめ有り難味もなくなり、さらにはそれまでの価値観全体すら逆転させ塗り替えられ得ることを示唆する好短編だと思ったことを思い出しました。


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2008-04-02 四月に降る雪

四月になれば暖かくなって、その頃には冬の間袷の着物の表地と裏地の間に入れておいた綿を抜くから、「四月一日」を「わたぬき」と読ませるのですよね、確か。
しかし。


昨日は寒かった。
晴れていたにもかかわらず気温も低く風が強かったので寒かった。
陽が落ちても現場でごそごそやっていたのでなおのこと寒さが応えた。

帰宅して開口一番、
「今日緑区、有松の辺、雪降っとったよ」
「あ、ほんとう。寒かったもんねえ」
「うそ」

なんて素直なんでしょう、うちの妻。

「あーもう! こーとーしーーもーだーまーさーれーたー!!」

この先もずっと騙されると思うよ、たぶん。

先頭 表紙

そうですね、そうなのかもしれませんね。 / 揚水 ( 2008-04-07 18:45 )
そうやって騙され続けて「あ〜今年も〜!」て言い続けてこそ幸せなのかもしれませんv(*´∇`*)v / まーこ ( 2008-04-07 08:26 )

2008-03-28 森本アナ

NHK朝8:30のアナウンサー森本さんが、自分の出の確認の為に見ていたモニターから目を上げて

「あすの最終回も、お楽しみに」
と言った。

彼も「ちりとてちん」が大好きなのだ。

明日最終回、来期はいかにも朝ドラ朝ドラしてそうだし、ああ、夕食時に録画した朝ドラを観る習慣がきっとなくなってしまう。

来週からふたりでその時間どうしていいか途方に暮れてしまいそうだ。

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2008-03-16 春遠からじ

先々週までひどい風邪でした。
久しぶりに38度6分も熱が出て死ぬかと思いました。
なんだか先週まで何事に対してもやる気というものを失っておりましたが、今日突然元に戻ったことを自覚しました。

今日は日曜でしたが仕事で、休憩中ふと見た草むらで、ナナツホシテントウが交尾していました。

もう春です。

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夢樂堂さん、遅くなりましたが、お疲れさまでした。 / 揚水 ( 2008-03-26 23:07 )
ばんちゃん、かめさんねえ。村に住んでた頃はようけおったがねえ。今は滅多と見んですね。 / 揚水 ( 2008-03-26 23:01 )
昨日は春を通り越して初夏という感じ。暑いなかフルマラソン完走してきました。 / 夢樂堂 ( 2008-03-17 16:25 )
我が借家ではカメムシが部屋のあちこちにいます。もう春です。 / ばばんばばんの ( 2008-03-16 21:32 )

2008-02-18 一昨年ほどの衝撃はなかったが去年よりも一昨年よりも驚くには驚いた

今年のバレンタインは焼き梅干しがチョコでコーティングされていました。

最初皿にのせられたそれを見た時、「なんで味噌をまぶした梅干しを持ってきたのだ?」と思ったのが、少しよく見たらチョコだったので「今年はなんなのだろう?」とちょっとびくびく。

一緒にズブロッカ(ポーランドのウォッカ)もくれた海月曰く、「これに合う。自信がある」とのことで。

口に入れてびっくりした。

感想を聞かれたので「びっくりした」と答えました。
いや、合うんだけどね。



そして昨日は名古屋市美術館に「北斎展」を観に行ってまいりました。
始まって2週目なので大丈夫だろうと思っていたらなんのなんの人だらけ。展示作品の数は多くて見どころたくさんでしかも寄って見なければならないような大きさの作品ばかりなので一回じゃ足りない。また行かなくちゃ。
展示替え前にもう一回、展示替え後に一回か二回行けるといいなあ、と思います。

先頭 表紙

うまかった。 / 揚水 ( 2008-02-25 20:40 )
凄かった。 / 揚水 ( 2008-02-25 20:40 )
なんとなく分かる。うまそう。多分好き。 / 照照 ( 2008-02-22 09:59 )
凄そう。 / ホエール ( 2008-02-21 15:14 )

2008-02-08 わかばの頃

秋季剪定か冬季剪定か、とにかく葉の落ちていくべき、あるいは落ちているべき時季に剪定されたであろうプラタナスが、すでに青々と若葉をつけていた。

気持ち悪い。

芽吹いているんじゃなくて立派に葉を開いている。

「地球に優しい」などという糢糊とした言葉を聞くと感情の表層がざらつく。耳障りだなと思う。
「(自分らが暮らすに快適で都合のよい)地球(環境を保持することによって我々人間の欲望に)優しい」ことに過ぎないことを耳触りよく言おうとする意図が透けて見えて、ざらつく。真剣に考えている向きもあろうし、そんなひねくれて余計に穿った見方をせずともいい場合もあるのかもしれない。
けれどそう間違って穿ってはいないと自負する。正直に言ってくれればいいのに、そうしないから耳触りよくしようとしているのに耳障りだ。

たとえば、車の排気ガスをクリーンにするために、そういった車を生産する工場が環境に掛ける負荷が以前のそうでない工場より増えていないとは限らない。
もしそうだとしたらツケは購入者の知らないところで払われている。環境に優しい車を買ったと簡単に満足してはならないかもしれない。
高いところに滑車を据えて荷物を引き揚げる際、動滑車を間に加えれば引き揚げる力は半分で済むけれど、その替わりロープは2倍引かなければならない。
地球の環境に「優しく」するのは滑車と動滑車の関係のようなそんな単純なことではないけれど、この世界は、どこかの負担を軽くしようとすればどこか別に負荷がかかって収支が合うようにできている。そうでなければ歪みが出る。

便利に快適に暮らす僕らの生活がどこかほかにかけた負荷の表れのひとつが、冬に繁った落葉樹の若葉なのだと思う。
なってしまったことを元に戻すことは、これは相当に難しいと思う。これ以上ひどくならないようにすることすら難しいであろうから、なおさら。
けれど冬の若葉が気持ち悪いなら、怖いなら、それを変えるなりとどめるなり、その方法を、行動を、考えねばならない。自然と人間を対峙して考えるあまり人間を否定してしまうのも短絡に過ぎる。考えた上で行動せねばならない。していることもあるし、知っていてしていないことも、気付いていないこともある。

プラタナスを見て憤るだけでは俺も無責任な、自分が憤る仮定の対象と何ら変わり映えはしない。

たいそうなことをぶってはみても、僕は微力でさらにいい加減だ。
いい加減で始終そうしたことを考え行動することができないというなら、せめて折に触れては思い返して、一見口当たり耳触りのよい「優しさ」でない優しさを、持てるようになりたいと思う。そうせねばならない。

先頭 表紙

てのか、あたしが言葉足りてないようです。 / 揚水 ( 2008-02-25 20:34 )
え、や、たぶん誤解してないけども。そしてまたたぶん僕以外の人も。 / 揚水 ( 2008-02-25 20:33 )
ちょっと過激な言葉を使ってしまって誤解を生んだようですいません。自分自身の中途半端な「自然に優しい」行動に嫌な気分になることがある、というつもりだったのですが、文章を読むと他人の否定みたいになってました。申し訳ありません。 / 照照 ( 2008-02-22 10:10 )
あ、それは、その見方考え方は目からウロコです。下で照照さんも「…言い過ぎですが…」と断りを入れていますし、その点ファッションそのものと言ってるわけでもないし、ファッションだからいけないと言ってるわけでもありませんでした。けれどそのみなみさんの視点は持ち合わせていませんでした。「環境」にいいことをしてるつもりでいてその実過負荷を掛けて気付かずにいる状況しか想定していませんでした。 / 揚水 ( 2008-02-19 19:30 )
そういえば「ロハス」って多分にファッションぽいですよね。いまやもう下火のような気もしますが。でも、個人的には、ロハスであろうが、エコであろうが、ファッションでも良いんじゃないかなと思っています。意識しないよりは意識した方がマシですから。たとえそれがファッションでもアクセサリーでも。意識しないところからは何も生まれないような気がします。 / みなみ ( 2008-02-19 00:35 )
そうね。なんていうか、その通りだと思うわ。 / 揚水 ( 2008-02-13 21:50 )
最近、自然が身近にあっても生活と深く関わりあうことがない自分の生活から「自然に優しい」生活なんてものはきっと生まれないのだろう、と思っています。これを使うと自然に優しい、といわれているから自分はそれを使うことによって、やることによって自然に優しい生活をしているんだ、と思い込んでいるのではないかと。それは本質的に身近にある自然から感じ取って、その自然と共存していこうという行為ではなく、ファッションとまで言うと言い過ぎですが、それに近い感覚ではないかと思うのです。 / 照照 ( 2008-02-09 12:07 )
…そのためには「目指すは人にも地球にも優しい庭師です!」なんて文をネットで見かけてざらつく心の、その狭さもなんとかせねば(笑)。 / 揚水 ( 2008-02-08 22:35 )

2008-02-04 納車

昨日車が来た、というか取りに行った。

ごく一般的なランクのものなのかもしれないが、うちには豪華すぎるようでちとビビっている。

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2008-01-27 鈴生り

「トヨタの正体」という本の内容が知りたくて近所の本屋に行った。
この本屋はソファが用意してあって、じっくり本の内容を確かめることができる。しかし日曜でかなり混んでいて、座る場所がない。
座席を物色してあちこちに据えてあるソファを巡っていると、座って雑誌を見ているおじさんに目が行った。
彼は袋とじの「北欧のヌード」だかなんだかを一所懸命に覗いていた。
下から開いて。人目も憚らず。
ある意味漢だなと思う。非常にみっともないが。
陸丸と散歩に行った。川の水が凍ったままになっていた。
家の窓から見える隣家の屋根の上のテレビアンテナに雀が鈴生りになっていた。

よく晴れた冬の日曜日。


先頭 表紙

太っててかつ羽根も膨らませてるんでしょう。結論から言えばちっともおかしくありません、正常です。電線からもろもろもろもろ落ちてくる群れは実に食いでがありそうに見えます。 / 揚水 ( 2008-02-07 20:26 )
電線に止まってると腹から見えるでしょ。この角度で見てるとときどき丸々と太ってるのか、毛を立てているのか知らないけれど、そういうのがいて、そいつがやたら旨そうに見えるのって、おかしいですか?? / 照照 ( 2008-02-06 20:57 )

2008-01-25 腐ってなんかないよ

名古屋市中区の「○腐」屋さん。

「○」の部分が朽ち果てそうです。
でもちゃんと豆腐作ってそうな匂いがしてましたよ。じろじろ見る訳にもいかんでちゃんと確認しとらんでかんだけど。


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剥げた土壁や割れたなりに欠片もそのままの擦りガラス窓や、ぞんざいに打ちつけられて隙間を塞ぎきっていない板切れや。入口はしっかり新設し直していたり。いろいろ潔い建物です。 / 揚水 ( 2008-01-27 17:12 )
いい味だしてまんなぁ〜。 / おしげ ( 2008-01-26 17:48 )

2008-01-24 もうダメ、なのか?

昨日は雨天の為手伝いに行っているよその造園屋から朝連絡があって急遽休みになった。自社だとそんなことあんまないんだけど。

で、前から行きたかった病院に行こうと思い立った。どうも足の指に白癬菌がお住まいのような気がするのである。どうにか立ち退いてもらいたいと思うのだが、その前に先ず実際にお住まいなのかどうか調査せねばなるまい。
歩いてパートに通っている海月を、雨なんだから乗って行きなさいと強引に送って、そのまま病院に向かう。車は海月が結婚前からお世話になっているホンダトゥデイ。
僕は会社のトラックやパッカー車で帰宅することがしょっちゅうだったので自分の車は処分してしまった。
海月のトゥデイ、昭和生まれであった。六十何年式の550cc。恐ろしく燃費が良い。

土曜日の日に、たまに手伝いに来てもらっている冒頭とは別の造園屋に手を貸してもらっていて、その帰りにちょうどそんな話をしていた。現場を上がろうとしていたその時に海月から電話がかかってきた。
友達の家に行こうとしていたところ、お土産のスイーツを買ったコンビニでエンジンがかからなくなってしまったというのである。
今の段階では、通りすがりの親切な人が海月持参のブースターケーブルでごそごそやってくれているという。とにかく向かうからひとまずその人らにお願いして、ダメならメールなり何なりしておくれと答えて、土場に帰った。

結果は、ダメだった。
僕がコンビニに着くまでに最初とは別の親切な人があれやこれややってくれたがなんともならなかったという。
トラックで牽引して家に帰った。

翌日曜にかけてみたらエンジンがかかる。
月曜もかかる。
火曜もかかった。

そして昨日、水曜日。
海月を送って病院に向かったが、思いついて喫茶店でコーヒーでも飲んでからにしようと、病院の近くの喫茶店の駐車場にトゥデイを入れた。
が、帰りにコーヒーの方がいいかとさらに思い直して、そのまま駐車場を出た。
出たところでエンジンが止まった。
うわお。

かからない。しょうがないので道の端に寄せて、一度は止そうとした喫茶店に入った。なに、土曜でも時間をおいて翌日にはかかったのだから、今回もそれでいいかもしれないではないか。コーヒーを飲んでゆっくりして店を出た。
しかし。ダメだったのである。
喫茶店から病院には、ちょっとの距離ほぼ平坦なところを進んで、交差点を曲がれば残り3〜4キロはほぼ下りだから大丈夫だ。雨だけどね。ほぼってことは上りもあるけどね。とほほ。

数百メートルの上りのえらいことえらいこと。

なんとか病院に辿り着き診察してもらい、それでもまだエンジンがかからないので、お世話になっている村の車屋さんに電話した。今日は積車が動かせないというので病院の事務の人に一日置かせてもらえるように頼んだ。車屋の奥さんがわざわざ半時間以上かけて迎えに来てくれて、山奥の車屋まで連れて行ってもらった。そこから代車に乗って帰ってきた。
なんていい人なんだろう。

土曜日の時点で次の車を探してもらうように頼んでいたのが、今朝電話があって、即決。お安いんだろうけれどうちみたいな貧乏人には結構な出費なのである。でもそこの車屋さんの仕事だから信用できるのである。カルディナ楽しみなのである。中古とはいえ軽でない普通車なんて二人とも初めてなのである。

そしてトゥデイちゃん、これも中古で海月と出会ったとはいえ十数年もの長い間、本当にありがとう、お疲れさま。

先頭 表紙

ねえ。コンビニの人らね、いい人だよね。そして考えてみたら車屋さんはもう10年以上のお付き合いだ。お世話になってます。 / 揚水 ( 2008-01-25 22:12 )
コンビニの通りすがりの人たちといい、車屋の奥さんといい、人が困っているときに手を差し伸べてくれる人がまだいっぱいいるんだね / おしげ ( 2008-01-25 08:42 )

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